人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

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ワカモ推しの先生方、すみません!
閲覧注意です!


執愛・絶対境界線の向こうにある愛護

 百鬼夜行連合学院の停学処分、そして連邦矯正局からの脱獄囚――『七囚人』の一人。

 

 キヴォトス全土にその恐るべき悪名を轟かせる『災厄の狐』こと狐坂ワカモの本性をこの街の住人で正しく理解している者など、ただの一人も存在しなかった。

 

 人々は彼女を、圧倒的な火力と気まぐれな狂気で街を破壊し尽くす、手の付けられない危険分子だと恐れおののく。

 あるいは、一部の勘の鋭い生徒たちは、彼女の纏う空気がどこか異質であり、キヴォトスの如何なる神秘とも毛色が異なることに薄々気づいているかもしれない。

 

 だが、そこ止まりだ。

 

 まさか彼女が、人間とは異なる進化を遂げた13の魔族の頂点、人間のライフエナジーを糧として生きる吸血族『ファンガイア』の一員であるなどとは、夢にも思うまい。

 

 ワカモがその豊満な身体を包む和装の袖を揺らし、シャーレのオフィスが見渡せる高層ビルの屋上に佇んでいたのは、太陽が中天を過ぎた昼下がりのことだった。

 

 風が彼女の黒髪と、斜めに被った狐の面を優しく撫でて通り過ぎる。

 

 彼女の視線の先、遥か階下にあるガラス張りのオフィスの中には、一人の男の姿があった。

 連邦捜査局『シャーレ』の顧問。生徒たちから『先生』と呼ばれ、この世界の調停者として振る舞う、たった一人の『人間』。

 

「うふふ……。今日も相変わらず、せっせとお仕事に励んでいらっしゃること。本当に、見飽きませんわ……♪」

 

 ワカモの薄い唇から、鈴の鳴るような艶めかしい笑い声が漏れた。

 

 彼女の瞳は四六時中、あの男だけを捉え続けている。それは執着という生易しい言葉では言い表せない。

 捕食者が獲物の生態を観察し、『愛でる』、底知れない愉悦に満ちた視線だった。

 

 カヨコには『ペット』だと言い放った。その言葉に一片の嘘偽りもない。

 だが、ただのペットではない。これほどまでに好奇心を刺激し、ファンガイアとしての長い寿命の中で退屈しきっていたワカモの心を震わせる個体は、歴史を遡っても他に出会ったことがなかった。

 

 何しろ、あの男は『人間』なのだ。

 

 ヘイローを持たず、銃弾一発で容易にその命の灯火が掻き消されてしまう…あまりにも脆弱で、あまりにも儚い生身の生き物。

 このキヴォトスという、女子生徒が日常茶飯事に戦車を走らせミサイルを撃ち合う異常な暴力の世界において、あの男の存在は奇跡を通り越して滑稽ですらあった。

 

「(キヴォトス人よりも遥かに弱い、ただの肉の塊のくせに……。生徒たちに守ってもらうことを、まるで当たり前のように受け入れている。なんと図々しく、なんと愛らしい生き物なのかしら)」

 

 ワカモは手すりに身を乗り出し、オフィスの中を凝視する。

 

 そこには、先生だけでなく、銀髪に水色のオッドアイを持つアビドス高等学校の生徒――砂狼シロコの姿があった。

 

 シロコは、先生の側に頻繁に現れては、その周囲に執拗なまでに視線を走らせている。

 特に、ここ最近は『災厄の狐』の気配を敏感に察知しているのか、どこか警戒するように耳をピクリと動かし窓の外を鋭く睨みつけることが多かった。

 

 シロコはワカモのことを明確に目の敵にしており、いつその不穏な銃口が先生に向けられるかと身構えている。

 だが、ワカモにとっては、そんなシロコの敵意など気にする価値すらない些事だった。

 

「(ん……? そこの『子犬』が、いくらこちらを睨みつけようとも……。私の可愛いペットの毛並みを一本整えることすら、あなた方にはできやしませんのに。うふふ、本当に滑稽ですわ)」

 

 クスクスと笑うワカモは、白磁器のようになめらかな2本の指をゆっくり上げる。そして遥か先にいる先生の首を開いた人差し指と中指の間に収め、そしてーーー

 

 

「チ ョ キ ン」

 

 

 ハサミのように無情に指は閉じる。

 

 しかしシャーレビルの中にいる先生の首は胴から離れることはない。ただ開いた指を閉じた、それだけ。

 

「(その気になれば今この瞬間に『ハサミ』で切り落とせましょう。うふふ…子犬ちゃんはどんな顔をするのかしら? 怒り? 悲しみ? 絶望? いっそのこと、新しい『ペット』として飼うのもいいですこと)」

 

 普通のファンガイアであれば、あのような無防備な人間は一瞬で吸命牙の錆びにして、ライフエナジーを啜り尽くしているだろう。

 だが、ワカモは違った。彼女にとって先生という存在は、すぐに平らげてしまうにはあまりにも惜しい、極上の『玩具』だった。

 

 先生は、自分の持つ絶対的な弱さを理解していないわけではないだろう。それなのに、彼はいつも指導者としての面を崩さない。

 

 その自信の根拠となっているのは、彼が肌身離さず持っている『シッテムの箱』、そしていざという時に文字通り世界を覆すほどの奇跡を発動させる『大人のカード』という、2つの道具だった。

 

「(すべては『借り物の力』。あの四角い端末と1枚の奇妙なカードがなければ、あなたは何一つ成し遂げられない、ただの哀れな家畜ですのに……。それらがあるというだけで、まるでこの世界の王であるかのように振る舞う。その傲慢さが、たまらなく愛おしいのですわ)」

 

 ワカモの胸の奥で、加虐的とも言える甘やかな熱情がじわじわと湧き上がる。

 

 もし。もしも…あの男がその借り物の力を『すべて失ってしまったら』一体どういう顔をするのだろうか。

 

 拠り所としていた奇跡の道具を奪われ、文字通り剥き出しの『ただの人間』へと引き摺り下ろされたその瞬間、彼はどんな音色を奏でてくれるのか。

 

「(絶望に顔を歪めて、涙を流しながら許しを乞うのかしら? それとも……そんな冷酷な現実を前にしてもなお、脳天気に『生徒を守る』などと、身の程知らずな戯言をほざき続けるのかしら? うふふ、どちらにしても、きっと最高の不協和音を聞かせてくださるわ。ああっ、想像しただけで、私の身体中のガラスが震えてしまいそう……)」

 

 下顎から首筋にかけて、一瞬だけ朱色と漆黒のステンドグラス模様が浮かび上がりかけたが、ワカモはそれを自制心で押さえ込んだ。まだ、その時ではない。

 

 しばらくすると、オフィスにいたシロコが退室し、先生が一人で書類を整理し始めた。

 ふと、先生が窓の外――ワカモが佇むビルの屋上の方向へと視線を向けたような気がした。

 

 距離にして数百メートル。常人の視力であれば、そこに誰かがいることすら判別できないはずだ。

 だが、先生は何かを感じ取ったように、じっとその方向を見つめている。

 

 ワカモは隠れようともしなかった。それどころか、嬉しそうに和傘を広げ、ひらひらと手を振り返して見せる。

 

 彼女にとって、先生が他の生徒と親しげに話していようが、任務でどこへ出かけようが、そんなことは些事だった。

 嫉妬という人間の感情ではなく、あくまで「私のペットが今日も元気に鳴いている」という、全知の観察者としての余裕がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の夕暮れ時。

 

 キヴォトスの空が、血のような禍々しい茜色に染まる頃。

 

 ワカモの待ち望んでいた「その瞬間」は、予想よりも早く、そして最高の形で訪れることとなった。

 

 場所は、自治区の境界線付近にある、廃墟と化した工場地帯。シャーレの定期巡回任務として、先生がシロコを伴って赴いた先での出来事だった。

 

 事前に情報を掴んでいた無法者の重武装集団――ゲヘナ学園を退学になった過激派の元生徒や、連邦矯正局から脱獄した凶悪な囚人たちで構成された残党の群れが、先生を孤立させるために周到な罠を張っていたのだ。

 

 激しい爆音と共に、先生が乗ってきた車両が破壊され、周囲に仕掛けられた強力な閃光弾と催涙ガスの直撃を受けて、2人は一瞬にして退路を断たれてしまう。

 

 ガスの霧の向こうから現れたのは、重機関銃やロケットランチャーだけでなく、鋭利な鉄パイプやコンクリート塊を加工した鈍器で武装した、数十人もの不埒な悪党たちだった。

 彼らの頭上には歪んだヘイローが浮かび、その瞳にはシャーレの権威を失墜させようという下卑た欲望がギラギラと輝いている。

 

「ハハハ! 捕まえたぞ、シャーレの先生! お前さえ人質に取れば、連邦生徒会も、アタシたちの要求を飲まざるを得ないからな!」

 

 これほどの圧倒的な物量差を前にしては、いかにアビドスで高い戦闘力を誇るシロコであっても分が悪すぎた。

 四方八方から容赦なく浴びせられる銃撃の嵐、そして仕掛けられた多数の突撃工作により、彼女の退路は完全に塞がれてしまう。

 

「ん……くっ、敵が多すぎる。キリがない……!」

 

 シロコは愛用の突撃銃を乱射して数人を昏倒させるものの、次から次へと湧き出る脱獄囚や過激派の波に押し潰されそうになり、徐々に先生の側から引き離されていく。

 至近距離での爆発に巻き込まれ、ついに彼女はその場に膝をついた。

 

「先生、逃げて…っ!! ここは、私が食い止めるから……!」

 

 シロコが悲痛な声を絞り出す。

 

 まさに絶体絶命の窮地。

 

 いつもであれば、ここで先生は『シッテムの箱』を起動し、メインOSであるアロナの障壁によってあらゆる攻撃を防ぐはずだった。

 あるいは、『大人のカード』を切り札として引き抜き、その圧倒的な代償と引き換えに戦況を引っくり返すはずだった。

 

 

 だが、今回は違った。

 

 

 敵の放った特殊な電磁パルス(EMP)爆弾が直撃したのか、先生の手にある「シッテムの箱」の画面は完全に暗転し、如何なる操作も受け付けなくなっていた。

 

 さらに、あまりの急襲に、先生の身体は爆風の衝撃で地面に叩きつけられ、右腕を激しく負傷している。

 ポケットの中のカードを取り出すことすらままならない状態だった。

 

「……っ、アロナ!? 応答してくれ……!」

 

 先生の声に、いつもの余裕はない。冷や汗がその額を伝い、生身の肉体が放つ「恐怖」と「焦燥」のライフエナジーが、周囲の空気に美味そうに霧散していく。

 

 その様子を、工場の梁の上から見下ろしていたワカモは、興奮のあまり全身の血が沸き立つような錯覚を覚えていた。

 

「(ああ……素晴らしいわ……! 道具を奪われ、ただの肉塊となったあなたがこれほどまでに美しい絶望の調べを奏でてくださるなんて……!)」

 

 ワカモは、たまらず梁の上から音もなく先生の背後へと舞い降りた。着地の衝撃音すら立てない、完璧な捕食者の身のこなし。

 

「おやおやおや……。随分と手酷い歓迎を受けていらっしゃるようですわね、先生?」

 

 背後からの艶やかな声に、先生はハッとして振り返った。

 

「ワ、ワカモ……!? どうしてここに……!」

 

「うふふ、お困りのご様子でしたので、馳せ参じました。このワカモ、先生の敵となる有象無象を、今すぐ一人残らず塵にして差し上げ――」

 

 ワカモがいつものように愛銃を構え、芝居がかった仕草で前に出ようとした、その時だった。

 先生は負傷した右腕を庇いながら、左手でワカモの衣服の袖をぐい、と引っ張ったのだ。

 

「ダメだ、ワカモ……っ! 敵の工作が多すぎる。ここは罠だ! ……いいから、私の後ろに下がって!」

 

「……は?」

 

 ワカモの動きが、完璧に静止した。

 狐の面の奥にある彼女の瞳が、驚愕で僅かに丸くなる。

 

 

 今、この男は『何と言った』のだろうか。

 

 

 シッテムの箱も使えず、大人のカードも使えず、銃弾一発で肉片に変わるだけの無力な人間が。自分を害しようとする悪党たちの銃口を前にして。

 

 圧倒的な力を持つ『ファンガイア』であり、キヴォトス全土を震え上がらせる『災厄の狐』であるこの自分に向かって、『下がれ』と言ったのだ。自分が盾になると、そう言わんばかりに。

 

「(……ククッ、うふふふ……! あははははは……!)」

 

 ワカモの脳内で、狂気にも似た歓喜の爆音が鳴り響いた。

 

 面白い。面白すぎる。カヨコの言っていた『極上の歪んだ旋律』という意味が、今この瞬間に完全に理解できた。

 

 この男は、『本物の阿呆』だ。あるいは、人間の分際で神の領域にでも達していると思い込んだ狂人か。

 己の命の軽さを理解していながら、それでも『生徒を守る』という、その一点の信念だけで肉体の恐怖を凌駕させている。

 

「……分かりましたわ、先生。あなたの仰る通りにいたします」

 

 ワカモは殊更に殊勝な声を出し、言われた通りに先生の後ろへと一歩、身を引いた。

 

 そして、先生の背中の後ろで彼女の口元は醜悪なほどに、しかし最高に愉悦に満ちた形でニヤニヤと歪んでいった。

 彼女は先生を助けるそぶりを一切見せず、ただその後ろ姿を観察しながら、ニヤニヤとほくそ笑んでいる。

 

「(うふふふふ……! なんと、なんと可愛らしいこと。守られるべき家畜の分際で、捕食者を守ろうとするなんて! ああっ、愛おしくて、今すぐその細い首を噛みちぎってしまいたい……!)」

 

 先生はワカモが後ろに下がったのを確認すると、鋭い視線を前方の無法者たちに向けた。

 

「おいおい、なんだ? 災厄の狐を後ろに従えて、自分が格好いいヒーローにでもなったつもりかよ、先生!」

 

 無法者のリーダーが、下卑た笑い声を上げる。

 

「カードも箱も使えねえお前なんか、ただの的だ! 全員、構えろ! シャーレの先生の首を獲るぞ!」

 

 数十丁の銃口が、一斉に先生の胸元へと向けられる。

 

 先生は一歩も引かない。その足は恐怖で僅かに震えているというのに、その瞳だけは、後ろにいるワカモと、遠くで倒れているシロコを絶対に死なせないという強い意志で満ちていた。

 

 ワカモは先生の背中を見つめながら、心の中で、至極のオペラを鑑賞するかの如く、極上の愛を込めてその無惨な惨状の実況を始めた。

 

「(頑張れ♪ 頑張れー♪ 私の可愛いペ・ッ・ト♪ さあ、開演ですわ。あなたという無力な楽器が、どのような美しい悲鳴を奏でてくださるのかしら?)」

 

 容赦のない銃撃の第一波が先生の肉体を襲う。ヘイローを持たない人間の皮膚など、鉛の弾丸の前には紙切れ同然だった。衣服が引き裂かれ、鮮血が周囲の地面に派手に飛び散る。

 

「がはっ……、あ、ぐ……っ!?」

 

 先生が激痛に顔を歪め、膝を折りかける。だが、ワカモはただ、背後でニヤニヤとそれを見ていた。

 

「(おぉっと…? まずは正面から放たれた無数の弾丸が、その脆弱な左肩の肉を容赦なく抉り取りましたわね? 骨の砕ける鈍い音がこちらまで響いて、本当にゾクゾクいたしますわ。あぁ、痛そう。先生がこんなに傷ついて胸が張り裂けそうですわ♪)」

 

 心にもないセリフを吐くワカモは、遠くで悲痛な叫びをあげるシロコをBGMにし、蕩け切った瞳で目の前の暴虐を観覧する。

 

「(ああ、それだけではありませんわ! ほらほら、後ろから忍び寄ったゲヘナの退学者が錆び付いた太い鉄パイプを、あなたの細い脇腹へと全力で叩き込みましたわよ? みしみしと肋骨がきしむ音……! それから、別の脱獄囚が振り下ろしたコンクリート塊が、あなたの端正な顔の左側を直撃して、お顔が血まみれに染まっていく……。ああっ、皮膚が裂けて肉が剥き出しになり、見る影もなくボロボロになっていくその無惨な惨状! なんて、なんて贅沢な不協和音なのかしら!)」

 

 鉄パイプによる強烈な打撃が先生の脇腹を捉え、鈍い破壊音が響く。顔面を殴りつけられた先生は、視界を血に染めながら、完全に工場の床へと崩れ落ちた。

 溢れ出た大量の血が赤黒いプールを作り、生身の肉体が放つ「死の恐怖」と「激痛」のライフエナジーが、最高級の香水のように工場内に充満していく。

 

「先生……! 嫌……、先生っ!!」

 

 遠くで身動きの取れないシロコが、絶望に満ちた叫び声を上げる。

 ワカモは先生のボロボロになった身体を見つめながら、その甘やかな匂いにうっとりと目を細めていた。

 

「(本当に、本当に素晴らしい香り……。ですが、ここで本当に死んでしまっては、これからの娯楽がなくなってしまいますものね?)」

 

 無法者のリーダーが、止めを刺そうと、アサルトライフルの銃口を先生の頭部へと正確に合わせた。

 

「死ね、シャーレの――」

 

 

 引き金が引かれる、まさにその刹那。

 

 

 先生が確実に『死ぬ』であろう完璧なタイミングを見計らって、ワカモの身体が動いた。

 

 ――ファンガイアの真の姿、ステンドグラスの装甲を纏う必要すらない。

 ただの『人間の姿』のまま、彼女の内に秘められた圧倒的な質量と暴力が、一瞬にして解放された。

 

 

 ドン…! と空気が爆ぜるような音が響いた。

 

 

 次の瞬間、無法者のリーダーの身体は自分が何に殴られたのかすら理解できない速度で工場の壁面へと叩きつけられていた。

 コンクリートの壁に深い亀裂が走り、リーダーは一言の悲鳴も上げられずに気絶する。

 

「な、何が――」

 

 残りの悪党たちが驚愕に目を見開いた時には、すでに遅かった。

 

 ワカモは着物の裾を翻し、弾丸よりも速い速度で敵の群れの中へと飛び込んでいた。

 彼女の手にある愛銃が、銃撃のためではなく、単なる「打撃武器」として振るわれる。

 

 

 バキキィン! ボゴォン!

 

 

 人間の骨が砕け、金属の銃器が飴細工のようにひしゃげる音が、狭い工場内に連続して響き渡る。

 

 ファンガイアの力を使わず、ただの筋力と速度だけで、彼女は数十人の重武装した無法者たちを「文字通り」蹴散らしていった。

 

 それは戦闘ではなく、ただの害獣駆除だった。

 

「ひ、ひいいいっ!? バケモノだ! 災厄の狐が本気を出したぞ!」

 

「逃げろ! 巻き込まれるな!」

 

 わずか数十秒の後、五体満足で立っている悪党は一人もいなくなっていた。

 動ける者は、恐怖に顔を青ざめさせながら、仲間を置いて蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 

 

 工場内には、再び静寂が訪れた。

 

 

 ワカモは愛銃の銃口にふっと息を吹きかけ、何事もなかったかのように先生の元へと歩み寄る。

 

「お怪我はございませんか、先生? うふふ、少しばかり暴れすぎてしまいましたわ」

 

 先生は地面に膝をつき、激しい呼吸を繰り返しながら、驚嘆の目でワカモを見上げていた。

 

「助かった……ありがとう、ワカモ。本当に、強いんだね……」

 

「当然ですわ。私は、先生をお守りするためなら、この世界のすべてを敵に回しても構いませんもの♪」

 

 ワカモは満面の笑みでそう言ってみせた。その言葉の『本当の意味』を、先生が知る由もない。

 

 その後、通信が復旧したシッテムの箱を通じて救急車両が手配され、先生は救急搬送されていった。

 ワカモは彼が運ばれていくのを、名残惜しそうに見送った。

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったキヴォトスの街。

 

 ワカモは昼間の戦闘で負傷し命からがら逃げ出した無法者のリーダーが潜伏している、うらぶれたセーフハウスの前に立っていた。

 

 ドアの鍵など、彼女の細い指先が一突きすれば簡単に破壊できる。

 

「だ、誰だ……!?」

 

 包帯を巻いた無法者のリーダーが、ベッドの上で恐怖に震えながら銃を構える。

 

 ワカモは何も答えず、ただ静かに、その美しい顔に『異変』を生じさせた。

 下顎から首筋にかけて、鮮やかな朱色と漆黒の紋様が浮かび上がる。それは、緻密に作られたステンドグラスのようであり、怪しく、そして神聖な光を皮膚の裏側から放っていた。

 

「な、なんだそれ……!? お前、顔が……!」

 

 

 光が弾けると同時に、そこには人間の少女の姿はなかった。

 

 

 現れたのは、東洋の九尾の狐を模した、美しくも禍々しい怪人の姿。背後には九本の巨大なステンドグラス製の尾が揺らめき、その表面には常に血のような光が明滅している。

 

 

 フォックスファンガイア。真名――『地獄、首が飛ぶ、あなたはキスをする』。

 

 

「ひっ、化け物……っ!」

 

「静かに。私の可愛いペットを傷つけた罪、その命の格でお支払いいただきましょう」

 

 ワカモが虚空に向けて手をかざすと、空間から二本の透明なガラスの牙――『吸命牙』が実体化した。

 

 きらきらと輝く吸命牙が、恐怖で動けなくなった女の首筋へと容赦なく突き刺さる。

 

「あ、ガ、は……っ!?」

 

 吸命牙を通じて、女の体内からライフエナジーが急速に吸い上げられていく。

 

 生命の根源を失うにつれ、彼女の身体から見る見るうちに「色彩」が失われ、まるで白黒写真のように完全にモノクロームへと変化していく。

 それだけでなく、肉体そのものが透明なガラスのような質感へと変貌していった。

 

 数秒の後、ワカモは吸命牙を抜いた。

 

 そこに立っていたのは、精巧に作られた人間の形のガラス細工。

 

 パキ、と小さな亀裂の音が響き、次の瞬間、それは音を立てて粉々に砕け散った。

 きらきらと光る無数の破片が地面に散らばり、夜の闇の中で儚く消えていく。衣服も、武器も、彼女の存在していた痕跡のすべてが、完全に消滅した。

 

「(……ごちそうさま。雑味が酷くて、先生のあの極上の香りに比べれば、泥水を啜っているようなものでしたけれど……最低限の栄養にはなりましたわね)」

 

 ワカモは静かにステンドグラスの光を纏い、再び人間の少女の姿へと戻っていく。

 

 浮かび上がっていた首筋の紋様が消え、いつもの美しい狐坂ワカモの顔に戻る。彼女は衣服についた目に見えない埃を払うように、軽く袖を振った。

 

 窓の外を見上げると、キヴォトスの夜空に浮かぶヘイローの光が、相変わらず淡い光を街並みに落としていた。

 

「うふふ……あはははは」

 

 ワカモは、昼間に見た先生の、あの滑稽で愛らしい背中を思い出していた。

 

 道具を失えば、いつでもガラスの破片に変えてしまえる、ただの家畜。

 

 だが、その家畜が次にどんなダンスを見せてくれるのか…それを考えるとワカモの胸の奥にあるファンガイアの血は、どうしようもないほどの歓喜で再び疼き始めるのだった。

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