ミレニアムサイエンススクールの一画に位置するエンジニア部の部室。
そこは油とハンダ付けの匂いが常に漂い、高度な工作機械や電子部品の山、そして常人には理解不能なロマンを詰め込まれた「試作品」たちが所狭しと並ぶハードウェアの聖域だった。
深夜ともなれば校舎の他の部屋は静寂に包まれるが、この部室の窓からは、今夜も遅くまで青白い火花と明かりが漏れていた。
白石ウタハは、作業机の前に座り大型の溶接用ゴーグルを額に上げた。
その切れ長の瞳には、設計図の複雑な回路を追う職人特有の鋭さと、生真面目で誠実な人柄が映し出されている。
彼女はミレニアムの誇るエンジニア部の部長であり、周囲からは「マイスター」の称号を持つ稀代の発明家として尊敬を集めていた。
「よし、この出力制御回路なら、次のトライで完璧な結果が出せるはずだ」
ウタハは額の汗を拭い、満足そうに微笑んだ。
そのすぐ近くでは、1年生の豊見コトリが機械の基礎構造について目を輝かせながら独自の理論を熱弁している。
一度おしゃべりが始まれば、周辺知識から歴史まで語り尽くさなければ止まらないのが彼女の悪癖だった。
そしてもう一人の1年生、猫塚ヒビキは無口で淡々とした態度を崩さず、ウタハの指示通りにスマートフォンのBluetooth機能を応用した新たな通信モジュールをハンダ付けしている。
自爆装置を組み込もうとする彼女の手元をウタハは時に苦笑しながら、しかし深い愛情を持って見守っていた。
「2人とも、今日の作業はここまでにしてそろそろ休みなさい。技術の優位は一日にして成らず、だよ」
「ええっ、部長! 今ちょうど、このボルトのネジ山のピッチに関する歴史的変遷と、それが現代の規格に与えた音響学的影響について説明しようと思っていたところなのですが! あ、でも部長がそう仰るなら、睡眠の重要性についての論文も引用しなければなりませんが……!」
「……了解、部長。これ、明日までに仕上げておく」
コトリとヒビキ、2人の愛らしい後輩たちは、ウタハにとって本当に大切で、心から可愛がっている存在だった。
彼女たちの持つ溢れんばかりの才能と、純粋な技術への情熱。それらを育み守ることは、部長であるウタハの最大の喜びであるはずだった。
――しかし。
後輩たちが片付けを終え、部室の鍵を閉めて寮へと帰っていく後ろ姿をウタハは窓から静かに見送っていた。
その瞳からは、先ほどまでの生真面目で温厚な先輩としての色彩が急速に失われていく。
ウタハの頭上にあるヘイローと横に浮かぶ独特のパーツが、怪しく、そして冷たく輝きを変えた。
「(『人間』は、本当に脆くて愛おしい生き物。コトリも、ヒビキも……本当に良い子たちだ)」
ウタハは独りごち、誰もいなくなった深夜の校舎へと静かに歩みを進めた。
白石ウタハ。彼女の正体もまた、この世界に人知れず紛れ込んだ人間のライフエナジーを糧とする吸血族――『ファンガイア』の一員だった。
人間の姿に擬態し、ミレニアムの天才マイスターとして日々を送っているが、その本質は冷徹にして極めて高度な知性を持つ捕食者である。
カチ、カチ、と規則的な音を立てて時を刻む校舎の時計を見上げながら、ウタハは自身の脳裏に刻まれた、かつての世界での記憶の歯車を回していた。
今から17年前の2009年。当時の日本でウタハを含むファンガイア一族に激震が走った。
チェックメイトフォーの『3代目キング』――登太牙。彼はそれまでの人間をただの家畜とする方針を一転させ、人間との『融和政策』を大々的に発表したのだ。
それまでの時代、太牙が社長を務める投資企業「D&P(ディベロープメント&パイオニア)」の裏側では、人類の発展に貢献しうる高度な科学技術を持つ同族たちが、キングの役割――『ファンガイアに対立・脅威の元を生み出す可能性がある者や種族を始末する』という掟によって、次々と処刑されていた。
一族の優位性を揺るがすような過度な技術開発は、王によって厳しく制限され、多くの職人たちがその才能を血に染めて圧殺されてきた歴史がある。
しかし、登太牙による融和策が始まったことで、その血生臭い制約は完全に撤廃された。
人間のライフエナジーに代わる代替エネルギーの研究が進められ、ファンガイアが自らの知性と技術を、王の粛清を恐れることなく極限まで発揮できる時代が到来したのだ。
その融和策の知らせを聞いた時、ウタハは魂が震えるほどの歓喜に包まれた。
「(あの時、私は悟った。もう、私の創り出す『ロマン』を、王の影に怯えて隠す必要はないのだと……。開発の制限がなくなったからこそ、私はこのキヴォトスという神秘に満ちた世界で、エンジニア部という最高の隠れ蓑を得て、自らのマイスターとしての技を磨き続けている)」
彼女の家系は、ファンガイアの歴史において特別な意味を持っていた。ウタハは『ナイトの子供』――すなわち、ファンガイアの世界においてキングの鎧を創り出す伝説の職人の血筋を引き継いでいる。
その血脈に刻まれた究極の使命、そして彼女の抱く本当の夢は、ただ一つだった。
「(私の夢は、いつか……あの伝説の『キバの鎧』を、私のこの手で、誰もが息を呑むような完璧な美しさと、圧倒的な機構を持つ至高の芸術品として創り出すこと)」
ミレニアムサイエンススクールで彼女が日々作っているぶっ飛んだロボットや、常人には理解不能なロマン兵器の数々。
それらすべてが、いつか至高の鎧を鍛え上げるための前段階の『試作品』であり、果てしないトライ&エラーの結晶に過ぎなかった。
「あ、ウタハ……! よかった、まだ学校にいたんだね」
夜の静寂が支配する校舎の裏手、古い資材が積み上がった人気のまったくない廃棄物処理場。
そこにウタハを呼ぶ一人の女子生徒の声が響いた。現れたのは、別の部活に所属するウタハの同級生だった。
普段からよく技術的な相談や他愛のない雑談を交わし、ウタハ自身も好ましく思っている親しい友人だった。
だが今の彼女の顔は酷く強張り、その両肩は小さく震えていた。
「どうしたんだい? こんな時間に呼び出すなんて、君らしくないじゃないか」
ウタハはいつも通りの生真面目で温厚な、頼れる友人としての笑みを浮かべて問いかけた。
しかし、女子生徒はそれ以上ウタハに近づこうとはせず、悲痛な眼差しを向ける。
「……ウタハ、お願いだから、嘘だって言ってよ。私……『見ちゃったんだ』」
ピクッと、ウタハの体が僅かに強張る。しかし女子生徒は堰を切ったようにその口から言葉が溢れ出す。
「昨日の夜……この場所で…! ウ、ウタハが……人がガラスみたいになって砕け散る前に…その、人から……何か光るものを……『食べていた』ところを…!!」
ガチガチと震える歯とポロポロと止まらない涙。彼女の心の内に秘めることは簡単だ。しかし、友達であるウタハとの間に隠し事なんてもっと嫌だ。
彼女が一晩かけて決断した勇気ある吐露が静かな空気の中に落ちた瞬間、ウタハの表情からすべての「人間のぬくもり」が消え去った。
女子生徒は涙を溜めながら、ウタハの顔を凝視する。
ウタハの美しい陶器のような白い肌。その下顎から首筋にかけて、突如として『鮮やかな紋様』が浮かび上がった。
それは緻密に作られた教会のステンドグラスのようであり、怪しく…そして神聖な光を皮膚の裏側から放ち始めていた。
「ウタハ……本当に、人間じゃないの……? 私たち、友達だったのに……っ!」
友人は懇願するように声を震わせ、一歩、また一歩と後ずさりした。いつも優しく、生真面目で、誰よりも信頼できるエンジニア部の部長。
その彼女が、人間の命を奪う化け物であるという現実を…心が拒絶していた。
しかし、ウタハの口から漏れたのは、冷徹でありながらも、どこか深く悲しげな諦念を含んだ声だった。
「残念だよ……実に…残念だ」
ウタハは静かに、自らの上着の襟に手をかけながら言った。
「私の正体を知ってしまった以上……たとえ親しい仲だろうが、生かして帰すわけにはいかないんだ…。それが、私たちの種族の『絶対の掟』だからね」
次の瞬間、ウタハの全身から鮮やかなステンドグラスの光が激しく溢れ出した。
光が弾けると同時に、そこには人間の少女の姿は消えていた。
現れたのは、美しくも禍々しい怪人の姿。その全身は緻密なステンドグラスの体組織で構成されている。
全体として『シオマネキ』を彷彿とさせる強靭にして精密な機構を持つアクアクラスの異形。
右腕には身体の半分ほどもある精密なステンドグラスで構成された巨大なハサミのような外殻が形成されている。
全身の装甲は、深海を思わせる紺碧と、結晶化した塩のような純白のガラス細工が複雑に絡み合い、月光を浴びて神聖なまでの輝きを放っていた。関節部分には、古代の歯車や精巧なクロックワークの意匠が施されている。
その姿こそがウタハの真の姿であり、彼女のファンガイアとしての真名は――『偽造王国、あるいは塩漬けにされた役者の薬指』。
アクアクラスの怪人、フィドラークラブファンガイアであった。
「嫌、嫌ぁぁぁ!」
女子生徒が悲鳴を上げ、踵を返して逃げ出そうとした。だが、アクアクラスの頂点たるウタハの速度は人間の想像を絶していた。
ウタハが巨大なステンドグラスの右腕を軽く一振りすると、空間を穿つような風圧が生まれ、彼女の行く手を完全に阻んだ。
「ファンガイアの正体を人間に知られるわけにはいかない。それがどんなに親しい相手であってもね」
怪人の姿のまま、ウタハの声が冷たく響く。
ウタハの意思に応じるように、虚空から二本の透明な牙のような物体――『吸命牙(きゅうめいが)』が実体化した。
きらきらとガラスのように輝く吸命牙が、恐怖でへたり込んだ女子生徒の首筋へと容赦なく突き刺さった。
「あ、ウタハ……ウタ……」
彼女はそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。
吸命牙を通じて、彼女の体内から生命の根源たる『ライフエナジー』が急速に吸い上げられていく。
エネルギーを失っていくにつれ、彼女の衣服も、肌も、髪も、すべての色彩が文字通り吸い取られ、まるで白黒写真のように完全にモノクロームへと変化していく。
それだけではない。肉体そのものが、徐々に透明なガラスのような質感へと変貌していった。
その瞬間、フィドラークラブファンガイアの身体中に散りばめられたステンドグラスのガラス面に、ウタハ自身の『悲しそうな人間の顔』が、幾重にも万華鏡のように美しく、そして切なく映し出されていた。
「覚えているかい…。君と初めて会った時、君は私の作った雷ちゃんの試作機を見て、変なロボットって笑いながらも、その関節の滑らかな動きを凄く褒めてくれた。……嬉しかったんだ、本当に」
ウタハは、ガラス化していく友人を見つめながら、その思い出を語り出した。
「君との雑談は、私の退屈な時間に彩りを与えてくれた。技術のこと、他愛のない学校のこと……私は、君ともっと話したかった。職人としてではなく、ミレニアムの白石ウタハとして、もっとたくさんの時間を共有したかった。それは嘘じゃないんだ」
ガラスの質感となった女子生徒の瞳から、最後の光が失われていく。
「だけど……終わりだ。ごめんね」
吸命牙が静かに引き抜かれた。
完全にライフエナジーを吸い尽くされた女子生徒は、もはや人間ではなかった。
そこに立っていたのは、精巧に作られた、色彩のない人間の形のガラス細工。
パキ、と小さな亀裂の音が響く。
次の瞬間、彼女だったガラスの像は、音を立てて粉々に砕け散った。
きらきらと光る無数の破片が地面に散らばり、月光を反射して儚くまたたいた後、夜の風に溶けるようにして完全に消滅した。
衣服も、彼女がこの世界に存在していた痕跡のすべてが、虚無へと還っていく。
ウタハは怪人の姿から、再び静かにステンドグラスの光を纏い、人間の姿へと戻っていった。
首筋の紋様が完全に消え、いつものエンジニア部部長の顔に戻る。
「……コトリとヒビキもね」
誰もいなくなった暗闇に向かってウタハは、ぽつり、と呟いた。
「あの子たちも、もし私の正体を知ってしまったら……例外ではないんだ。私はあの子たちを心から可愛がっている。エンジニア部の部長として、先輩としてね。だからこそ、絶対に知られてはならない。知ってしまったら、私は今日と同じように、この手であの子たちを喰らわなければならなくなる。そんな悲劇は……耐えられないからね」
彼女の生真面目さと誠実さは本物だった。だからこそ、種族の掟という冷徹な絶対性の前で、その感情は深く、静かな痛みを伴う。
ウタハは衣服についた目に見えない埃を払うように軽く肩を叩き、作業用の上着の襟を正した。
地面には、先ほどまで人間が存在していたことを示すものは何も残っていない。ただの綺麗なガラスの砂粒が、風に吹かれて消えていくだけだ。
「……さて、戻ろうか」
ウタハは静かに歩き出し、廃棄物処理場の闇から部室へと続く校舎の廊下へと足を進めた。
明日になれば、また生真面目で面倒見の良い、後輩思いの白石ウタハとして、コトリの長いおしゃべりに耳を傾け、ヒビキの突飛な改造を宥める日常が始まる。
その仮面の裏側で、彼女はいつか訪れるであろう至高の鎧を鍛え上げる瞬間を夢見ながら、職人としての冷徹な情熱と、切ない秘密を、その胸の奥深くに再び仕舞い込むのだった。
女性なのにシオマネキとしてのハサミが大きいことについては
フィドラークラブファンガイアという性質固有のものだからです。
本体が男性であろうと女性であろうとこのファンガイアのハサミは大きいです。