人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

6 / 8
オリジナル設定が入っていますのでご注意を。


夢幻・泡影の職人は共存の夢を見るか

 ミレニアムサイエンススクールにおいて、その名を知らぬ者はいない。エンジニア部部長、白石ウタハ。

 

 彼女がこの最先端の学園で一目置かれているのは、単に「問題児だらけ」と噂されるエンジニア部を率いているからではない。

 その卓越した技術力や独創的な発明品の数々もさることながら、何よりも、彼女のその『人柄』ゆえである。

 

 物腰は常に柔らかく、穏やか。そして何よりも、誰に対しても分け隔てなく優しい。ミレニアムの生徒のほとんどが、後輩であれ同級生であれ、彼女を慕い、その言葉に耳を傾けていた。

 エンジニア部が引き起こす数々の爆発騒動が、セミナーによって即座に廃部にされないのは、ひとえにウタハという存在が、冷徹な規律と荒ぶる技術者たちの間で極めて優秀な緩衝材として機能しているからに他ならなかった。

 

 

 

 放課後の部室には、未だに焦げ臭い煙の残滓が漂っている。床には無残にひしゃげた試作型の自動給油クレーンが転がり、火花を散らしていた。

 床のタイルは黒く焼け焦げ、壁の棚に並んでいたネジやボルトのケースが、衝撃でひっくり返って散乱している。

 

「部長……ごめんなさい……また爆発させちゃって……。私の計算では、ボルトの締め付けトルクと流体圧のバランスは完全に調和していたはずなのですが、熱膨張の初期係数を見落としていて……!」

 

 コトリがトレードマークの眼鏡を曇らせ、目を潤ませながら、申し訳なさそうに小さな肩をすぼめる。

 その隣では普段は無口なヒビキも俯き、工具を握りしめたまま立ち尽くしていた。

 

「……うん。私の火薬配分も、少しだけ多かった。自爆装置の回路が、主電源と同期しちゃったみたい」

 

 失敗を悟り、おろおろと怯える愛らしい部下たちに対し、ウタハは怒るどころか、ただ静かに聖母のような微笑みを返すのだった。

 彼女は作業机から立ち上がると、二人の頭に優しく手を置いた。

 

「いいんだよ、二人とも。失敗は成功の母、というだろう? 壊れた箇所を一つずつ特定していけば、原因という名のバグは必ず排除できる。それはつまり、私たちは確実に『正解』へと近づいているということだ。だから、そんなに落ち込むことはない。さあ、まずは煤を拭いて、温かいお茶でも飲もうじゃないか」

 

 ウタハのその温厚な声音には、焦燥や落胆を綺麗に消し去る不思議な魔力があった。コトリとヒビキは顔を見合わせ、安堵の溜息をつく。

 ウタハは手際よく棚から淹れたてのハーブティーを取り出し、繊細なガラスのカップに注いでいく。

 

 しかし、そんな平穏な部室の扉が、非情な音を立てて勢いよく開け放たれた。

 

「失礼します! ウタハ先輩! ――って、またですか!?」

 

 現れたのは、ミレニアムの生徒会組織『セミナー』の会計であり、規律に人一倍厳しい早瀬ユウカだった。

 彼女は部室に充満する煙と、無残なスクラップと化した機械を見るなり、青筋を立てて手に持っていたクリップボードを叩くように抱え込む。

 

「はぁ……。ウタハ先輩。これで今月何度目だと思っているんですか? 購買部からの苦情、それから破損した共有設備――今回は第三廊下の防火シャッターの駆動系までイカれてるって連絡が来てます! 極めつけは予備費の申請書……ほら、また報告書が山積みですよ!」

 

 ユウカは怒濤の勢いで書類の束を突きつけるが、ウタハは全く動じることなく、困ったように眉を下げて微笑むだけだった。

 

「すまないね、ユウカ。彼女たちはただ、純粋な探求心に従っただけなんだ。もちろん、予算の超過分に関しては私の個人口座から引き落としてもらって構わないし、報告書の作成も私がすべて引き受けよう。いつも苦労をかけて、本当に申し訳ない」

 

 そう言って、ウタハは丁寧に淹れたハーブティーのカップをユウカの前に差し出した。

 ユウカはウタハのどこまでも誠実で、自分を包み込んでくれるような優しい眼差しに見つめられると、それ以上は言葉を続けることができなくなってしまう。

 尖らせていた口元をすぼめ、観念したように深い溜息をついた。

 

「……はぁ。ウタハ先輩がそうやっていつも全部背負い込もうとするから、私もそれ以上強く言えなくなるんです。……分かりました。先輩の顔に免じて、今回だけは不問にします。次は絶対ありませんからね! コトリもヒビキも、先輩を困らせちゃダメよ!!」

 

「はいっ! 肝に銘じます、ユウカ先輩! ちなみにこのハーブティーの鎮静効果については、脳内のアルファ波を劇的に上昇させる計算結果が……!」

 

「……了解。ユウカ、ありがとう」

 

 それが、彼女たちにとっての、いつもの微笑ましい定型句だった。ウタハの持つ不思議な包容力は、学園の厳格なルールさえも融和させる絶対的な温かさを持っていた。

 

 

 

 

 

 そんなエンジニア部の部長であるウタハは、不定期で『モノづくり教室』を開催している。

 

 この教室はミレニアム内にとどまらず、彼女の穏やかな指導方針と生徒個人の自由な創造性を何よりも尊重する姿勢が口コミで評判を呼び、今やゲヘナやトリニティといった、本来であれば犬猿の仲であるはずの他学園の生徒までもが、席を求めて詰めかけるほどの異例の人気を博していた。

 

 

 ある日の午後、ミレニアムの広々とした第1実習室。窓から差し込む柔らかな陽光の中、室内には様々な学園の制服が入り混じり、独特の活気に満ちあふれていた。

 異なるヘイローがいくつも浮かび、それぞれが机の上に並んだ無数の電子部品や金属フレームに向き合っている。

 

「さあ、今日のテーマは『生活を少しだけ彩る、小さな動力機構』だ。基本の設計図は用意してあるけれど、それに囚われる必要はないよ。自由な発想で、各自アレンジを加えてみてほしい。技術とは、個人のロマンを形にするためにあるのだからね」

 

 ウタハの穏やかな開始の合図と共に、生徒たちが一斉に作業を始める。

 

 

 実習室の右側では、ゲヘナ学園の生徒たちが、何故か爆発耐性を極限まで高めた『万能型小型ストーブ』を製作していた。

 

「おい、もっと燃料パイプを太くしろ! 火力が足りねえ! 火力こそがすべてだろ!」

 

「バカ、それじゃただの爆弾になるだろ! ウタハ先輩が言っただろ、生活を彩るんだよ! 爆風で周囲を消し飛ばしてどうすんだ!」

 

 彼女たち特有の荒っぽい工具の扱い方や、一触即発の口論にもかかわらず、完成したストーブは真っ赤な暴力的とも言える火力を、驚異的な安定度で維持していた。

 ウタハが事前に適切な安全弁の配置をそれとなく助言していたおかげであり、まさに実用性とゲヘナらしい野生味が同居した性能だった。

 

 

 左側の席では、ミレニアムの生徒が、寸分の狂いもない計算に基づいた『高精度自動筆記ペン』を組み立てていた。

 

「よし、ギアの噛み合わせ誤差は0コンマ0ミリ。これなら、論文の執筆速度が従来の142%に向上するはずです。数式の入力も自動化しましょう」

 

 彼女たちは、図面通りの精密な動きを見せるペンに満足げな表情を浮かべ、ウタハに誇らしげな視線を送る。ウタハはそれに、大きく頷いて応えた。

 

 

 中央のデスクでは、百鬼夜行燈火連合の生徒が、伝統的な折り紙の構造を応用した『自動展開型日傘』を作成していた。

 

「和の心と、ミレニアムの歯車技術の融合ですね……。これなら風雅な趣を損なうことなく、突然の雨にも対応できます」

 

 幾何学的な美しさと実用性を高い次元で両立させたその工芸品に、周囲の生徒からも感嘆の声が漏れる。

 傘が開く瞬間の、シャカ、という精緻な駆動音が心地よく室内に響いた。

 

 

 奥の席の山海経高級中学校の生徒は、茶道の厳格な作法に基づいた『自動給湯器付き茶器セット』を完成させていた。

 

「温度管理は常に摂氏82度をキープ…。お茶の旨味を引き出すには、この繊細な熱制御技術が不可欠ね。これぞ最新科学による伝統の継承よ」

 

 それぞれの学園が、自らの文化と好みに合わせた「ロマン」を形にしていく。

 ウタハはそのすべてを、愛おしそうな目で見守りながら、的確なアドバイスを与えて回っていた。

 

 

 

 そんな中、トリニティ総合学園の正義実現委員会の制服を着た少女が、一番端の席で1人、頭を抱えて座り込んでいた。

 

「うう……どうして……。なんでうまくいかないんだろう……」

 

 彼女が挑んでいたのは、防犯のための『自動警備監視カメラ』だった。

 

 しかし、彼女が最後のパーツを組み上げた途端に、ガシャリという無機質で不穏な音を立てて内部のギアが噛み込み、レンズが明後日の方向を向いたまま固定され、本体の隙間からパチパチと青白い火花が散ってしまった。

 

「正義を実現するためには、悪意を見逃さないための監視の目が必要なのに……。私には、そんな単純な機械を作る才能すらないのかな……」

 

 彼女はすっかり自信を失くし、肩を落として、今にも泣き出しそうな表情で床を見つめていた。

 せっかくトリニティから勇気を出してミレニアムの教室に参加したのに、醜態を晒してしまったという恥ずかしさが、彼女の心を締め付けている。

 周りの優秀な生徒たちの輝かしい作品と、自分の手元にある燻った鉄屑を比べ、自己嫌悪に陥っていた。

 

 そこへ、ウタハが足音を立てずに静かに歩み寄った。

 

「見せてもらえるかい?」

 

 ウタハは、焦げ目のついたその失敗作を、まるで壊れやすい宝物でも扱うかのように、優しく丁寧に両手で拾い上げた。

 そして、ピンセットを取り出すと、複雑に絡み合った配線を一本ずつ確認していく。

 

「……なるほど、素晴らしいね。この回路の引き回し、とても独創的だよ。普通の技術者なら、効率を求めて配線を直線的に繋ぐところを、君はあえて迂回させている。これは、衝撃を受けた時に断線しないための配慮だね? 正義実現委員会として、激しい現場を想定しているからこその工夫だ。視界の広さを重視した凸面レンズの配置も、実に理にかなっている」

 

 ウタハは壊れたカメラを机に置き、泣きそうになっているトリニティの生徒の顔を覗き込んだ。

 その切れ長の瞳には、心からの慈しみと、一切の偽りのない肯定の光が宿っている。

 

「ただ、今回はその熱い想いが強すぎて、モーターの駆動トルクに対して外装のフレームが少しだけ硬すぎたみたいだ。ほら、ここの接続端子に、少しだけ柔軟性を持たせるようなバネを仕込んでみてはどうだい? そうすれば、機械は君の意志に応えて、滑らかに動き出すはずだよ」

 

 ウタハは彼女の小さな手を優しく包み込み、ピンセットを握らせた。

 

「何度失敗したっていいんだよ。私たちが新しいもの、美しいものを生み出そうとしているこの世界には、時間はたっぷりとあるのだからね。焦る必要はどこにもない。君のその『誰かを守りたい』という気高く優しい気持ちを、また次の形にしてみよう。私は、君のそのロマンを全力で応援するよ」

 

 その温かい言葉と言葉の裏にある本物の優しさに触れ、トリニティの生徒は溢れそうになっていた涙をゴシゴシと袖で拭い、力強く顔を上げた。

 

「……はい! ウタハ先輩! ありがとうございます……! 私、もう一度最初から、諦めずに挑戦してみます!」

 

「その意気だ。分からないことがあれば、いつでも声をかけておくれ」

 

 ウタハが微笑みながら彼女の頭を撫でると、周囲でその光景を見ていた他学園の後輩たちも、温かい気持ちになって互いに微笑み合っていた。

 誰もがウタハの背中に、技術者としての圧倒的な頂の高さと、人間としての底知れない包容力に対する深い憧れを抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 実習室の喧騒が遠ざかり、生徒たちがそれぞれの学園へと帰路についた夕暮れ時。

 茜色の斜光が静かに差し込む自宅の作業室で、ウタハは机に向かっていた。

 

 部屋の明かりは消され、机の上のスタンドライトだけが彼女の手元を白く照らしている。

 そこには、ミレニアムのどんな最先端科学をもってしても……いや、人間という種族には到底理解することすら不可能な、だが歪で神聖な蝙蝠の意匠が施された『キバの鎧』の設計図が広げられていた。

 

「……やはり、人間という生き物は、どうしてこうも愛おしいのだろうね」

 

 ウタハは誰に聞かせるでもなく、夜の帳が下りつつある部屋の中で、小さく、本当に小さく呟いた。

 

 

 『17年前』の、遥かなる記憶の歯車が静かに回り出す。

 

 

 『1986年』。彼女の運命を大きく変えたあの日。当時のファンガイア一族を統治していた『2代目キング』の政権が崩壊した。

 人間をただの家畜、あるいは嗜好品としてしか見なさず、傲慢に貪り喰らっていた同族たちは先代キングの死を皮切りに、人間の反撃と裏切りによって次々と討たれ、一族は激流に巻き込まれるようにして散り散りになった。

 

 当時、純粋にモノづくりを愛していたウタハは、同族たちの間で繰り広げられる血生臭い権力闘争や、人間との果てしない殺し合いの連鎖に、強い嫌悪と限界を感じていた。

 このまま日本にいては、自分の愛する「創造」の時間は永遠に失われてしまう。

 そう察知した彼女は、一族の行く末に見切りをつけていた鬼方カヨコたちと共に、神秘の街『キヴォトス』へと渡る決断をしたのだった。

 

 キヴォトスに移ってからの数十年間は、ある種、本当に平穏だった。

 

 ここでは誰も彼女たちの正体を気にしないし、そもそもヘイローを持つ少女たちが銃火器を乱射するこの街はファンガイアの特異性を隠すには絶好の環境だった。

 

 しかし『2008年』。彼女たちは、『避けることのできない因縁』によって、再び一時的に日本へと戻ることになった。

 そこはまさに、ファンガイアの歴史における激動の時代そのものだった。

 

 ウタハは見たのだ。人間のために、そして自分自身の運命のために、同族を容赦なく打ち倒していく、赤き『キバ』の姿を。

 

 だが、それ以上に彼女のエンジニアとしての魂、そしてファンガイアとしての血脈を激しく揺さぶったのは、人間とファンガイアの混血である『あの少女』が纏っていた、3代目キバの鎧の息を呑むような紅の輝きだった。

 

「(あれこそが、機能と美の究極の調和……。命の美しさをそのまま力の形に変えた、至高の芸術品……)」

 

 職人としての魂を狂わせるほどの衝撃。そしてその翌年、『2009年』。ウタハにさらなる激震が走った。

 

 

 3代目キングである『登太牙』による、大々的な『人間との融和政策』の発表。

 

 

 それは彼女に、2つの決定的な衝撃をもたらした。

 

 1つは、それまでキングの『人類の発展に貢献しうる技術開発は、ファンガイアへの脅威となるため禁止する』という理不尽な掟による開発の制限が、完全に撤廃されたこと。

 自分の創り出す「ロマン」を、王の影に怯えて隠す必要がなくなったのだ。

 

「(もう、誰の目を気にすることもなく、私は私の作りたいものを追求していい。あの美しい鎧に負けない、最高の機能美を……!)」

 

 そしてもう1つは、『人間とファンガイアの共存』という、夢のような未来の提示だった。

 

 共存とは、すなわち『正体が人間にバレても、一族の掟によってその人間を殺す必要がなくなる』ということ。

 太牙が社長を務める「D&P」によって開発された、人間のライフエナジーに代わる代替エネルギーの存在も、ウタハにとっては暗闇に差し込んだ絶対的な希望の光であった。

 

 ウタハは、人間を深く、心から愛おしく思っている。

 

 彼女たちの持つ脆弱さ、不完全さ、だからこそ生み出される爆発的な創造性と情熱。それらが愛おしくてたまらない。

 

 

 ……本当は、誰も殺したくない。誰もガラスにして砕きたくなど…ないのだ。

 

 

 しかし、太牙の融和策が始まる前の旧い掟の前では、個人の私情や優しさなど、何の価値も持たなかった。

 正体を知られたら、どれほど愛する友人であっても、その手で喰らわなければならない。

 

 だからこそ、彼女はかつて、その残酷な現実に絶望し、諦め続けてきたのだ。

 

 融和策が始まった今なら、正体を隠すことなく、人間と本当の意味で手を取り合い、同じ技術の未来を語り合える。ウタハはそう信じ、歓喜した。

 

 

 

 しかし――彼女は結局、日本に留まることなく、再び同胞たちと共にこのキヴォトスへと戻り、それから17年もの歳月を、正体を隠したまま過ごすことになった。

 

 

 なぜか。

 

 

 それは、共にキヴォトスへと渡った、大切な『3人の同胞』たちの存在があったからだ。

 

「(もし、私だけが日本の融和社会へ残ってしまったら……この街に残されたあの子たちは、どうなってしまう?)」

 

 キヴォトスに根を下ろしたファンガイアたち。彼女たちは、日本の太牙の統治が及ばないこの地で、独自の生態系を維持してしまっていた。

 何より、ファンガイアこそが至高の種族であり、人間などただの餌に過ぎないという旧時代の思想を、死ぬまで曲げない『狂暴な個体』が混ざっているのだ。

 

 鬼方カヨコは理性的であり、音楽という芸術を通じて人間への理解を示しているため、まだいい。

 ワカモは……破壊衝動の塊ではあるが、あの最愛の『先生』という特異な存在に対して異常な執着を見せているため、ある程度の行動予測と、最悪の場合でもウタハ自身の力で制御する算段が立っていた。

 

 

 問題は、『もう一人の同胞』だった。

 

 

 ファンガイア以外の種族を絶対的に見下すだけでなく、人間との共存を唱えた太牙へ未だに憎悪を向け続けている狂気的な同胞。

 人間を『家畜』と見下し、その命をすする愉悦に溺れきっているその女の存在こそが、最大の爆弾だった。

 

 ウタハの正体を知った者を捕食するのは、自らの正体を隠すためだけではない。

 万が一、自分の正体が人間に露呈し、そこから芋づる式に他の3人の正体まで露呈してしまえば、『取り返しのつかない事態』になる。

 

 カヨコとワカモはまだしも、苛烈な差別主義者であるもう1人の同胞は、人間を愚かな下等生物と見なしている。

 彼女は、無断で自らの聖域に踏み入れられたという怒りから、正体を知った人間だけでなく、その周囲にいる者たちをも、なりふり構わず皆殺しにするだろう。

 

「(彼女は『絶対に容赦をしない』…。秘密に触れた者が誰であれ、その首を噛みちぎり、灰に変えてしまう……。それだけは、何としても避けなくてはならないんだ)」

 

 彼女は遠くない未来、確実に、キヴォトス全体を揺るがすような、取り返しのつかない大事件を引き起こす。

 そうなれば、ファンガイアを専門に抹殺する人間の対怪人組織――『素晴らしき青空の会』が事態を察知し、イクサの鎧を駆った戦士とファンガイアハンターたちがこのキヴォトスへ大挙して押し寄せてくるだろう。

 

 そうなれば、狩りを行っている張本人だけでなく、静かに暮らしているカヨコや、下手をすればエンジニア部のコトリやヒビキといった無関係な人間の生徒たちまでが、戦火に巻き込まれて命を落とすことになる。

 

 ウタハは、仲間である彼女たちを見捨てることができなかった。その狂暴な同胞さえも、同じ血を分けた一族の『家族』であり、彼女の優しさは、その牙を向けた身内にさえも注がれてしまうのだ。

 ウタハは、職人として冷徹でありながら、人間としても…ファンガイアとしても……あまりにも『優しすぎた』。

 

「だから私は、ここに残る道を選んだんだ。あの子たちがいつか起こす破滅のブレーキになるために。そして、私の大切なエンジニア部という平穏を守るためにね」

 

 そうして彼女は、自分の夢である『誰もが笑い合える共栄の世界』への参加を捨て、仲間たちの監視役として2009年にキヴォトスへと戻った。

 

 また、彼女がこの17年間、エネルギー補給として捕食行動を行うのは、キヴォトスの生徒たちを「明確な悪意と暴力」をもって傷つけ、貪ろうとする更生の余地のない極悪人のみと決めていた。

 

 だが、本音を言えば、たとえどんなに救いようのない悪党であっても、彼女にとって『人間』という種そのものは、愛おしく、大好きな存在なのだ。

 悪を裁くその瞬間でさえ、彼女の胸の奥には、切ない痛みが伴っていた。

 

 

 

 それは、昨夜の出来事だった。

 

 深夜のミレニアム周辺の未開発地区。暗い路地裏で、複数のヘルメット団の悪党たちが、帰宅途中だった他学園の無抵抗な生徒を囲み、執拗な暴行を加えようとしていた。

 生徒の悲痛な叫び声が、冷たいコンクリートの壁に反響する。

 

 ウタハは、夜の定期巡回の途中で、その狂気に満ちた光景を不運にも目撃してしまった。

 

「ひゃははは! 命乞いしたって遅えんだよ! その生意気な顔をもっとボコボコにしてやる! 金目のもんも全部置いてきな!」

 

「やめて……! 誰か、助けて……っ!」

 

 悪党が鉄パイプを振り上げ、怯える少女の頭部へと振り下ろそうとしたその瞬間、ウタハの瞳が暗闇の中で獣のように鋭く、そして怪しく輝いた。

 

「(私の愛する人間を……私の世界を、これ以上汚させはしない)」

 

 ウタハは躊躇うことなく、即座に介入した。

 

 彼女が夜の闇の中から一歩踏み出すと同時に、その美しい陶器のような肌の下顎から首筋にかけて、鮮やかなステンドグラスの紋様が浮き上がる。

 次の瞬間、彼女の全身から溢れ出た神聖な光が弾け、人間の少女の姿は完全に消え去った。

 

 そこに現れたのは、月光を浴びて妖しく煌めく、アクアクラスの上位者たる怪人の姿。

 

 全体として『シオマネキ』を彷彿とさせる、強靭にして極めて精密なクロックワーク機構を持つ異形。

 右腕には、身体の半分ほどもある緻密なステンドグラスで構成された巨大なハサミのような外殻が形成されている。

 

 全身の装甲は、深海を思わせる深い紺碧と結晶化した塩のような純白のガラス細工が複雑に絡み合い、関節部分には古代の歯車が静かに噛み合って火花を散らしていた。

 

 

 その名は――『偽造王国、あるいは塩漬けにされた役者の薬指』。フィドラークラブファンガイア。

 

 

 ウタハは、恐怖に目を見開く悪党たちの前に立ちはだかると、巨大なステンドグラスの右腕を優しく突き出した。

 

「な、なんだお前は!? 化け物――」

 

 悪党の言葉が完成するより早く、フィドラークラブファンガイアの身体から、きらきらと光る無数の美しい「泡」が放出された。

 

 その泡は、まるで生き物のように空間を舞い、恐怖で目をつぶり震えていた被害者の生徒を、毛布のように優しく、包み込んでいく。

 

「な……に……これ……。あったか、い……?」

 

 ウタハの放つ特殊なエネルギーの泡は、傷ついた生徒の精神を優しく癒やし、一切の苦痛を与えることなく、深い深い眠りへと誘う。

 少女は目を開くその前に、泡の中でそっと目を閉じ、穏やかな寝息を立て始めた。生徒を恐怖から守るための、ウタハの最大限の配慮だった。

 

「よし……。これで、君に怖い思いをさせずに済む」

 

 怪人の姿のまま、ウタハの声が路地裏に低く響く。彼女が眠る生徒の前に立ちはだかり、残された悪党たちへと向き直ると、その紺碧のステンドグラスの瞳が冷徹な捕食者のそれへと変貌した。

 

「て、てめえ! よくもわけのわからねえ泡を! 死ねぇ!」

 

 悪党たちが一斉に銃火器の引き金を惹き、弾丸の嵐がウタハへと襲いかかる。マズルフラッシュが暗闇の路地裏を激しく照らし、金属音が鳴り響く。

 しかし、アクアクラスの堅牢な装甲は、キヴォトスの一般的な弾丸など文字通り火花に変えて弾き返した。ガラスの装甲に傷一つ付くことはない。

 

 キィィィン――と、鼓膜を引き裂くような美しい高音が響く。

 

 ウタハの背後の虚空から、二本の透明な牙――『吸命牙』が実体化した。それは夜の月光を浴びて、歪な美しさを放ちながら蛇のようにうねる。

 

「ひっ……! くるな、くるなぁぁ!」

 

 逃げ出そうとする悪党の首筋へと、吸命牙が容赦なく突き刺さる。ウタハは巨大なハサミの右腕で、悪党の身体をガッチリと固定し、その魂そのものを挟み込むようにして、ライフエナジーを急速に吸い上げていった。

 

「あ……が……っ!」

 

 エネルギーを失っていく悪党の肉体から、みるみるうちに色彩が失われ、白黒のモノクロームへと変化していく。

 衣服も、皮膚も、すべてが透明なガラスの質感へと変貌していく。

 

 その瞬間、フィドラークラブファンガイアの身体中に散りばめられたステンドグラスの鏡面に、ウタハ自身の、酷く悲しげで、しかし毅然とした人間の顔が、万華鏡のように幾重にも美しく映し出されていた。

 

「すまないね……。だが、他者を傷つけるためにその命を使うというのなら、君たちのそのエネルギーは、私が新しい未来を創るための『部品』として、有効に活用させてもらうよ」

 

 それは、人間を愛するがゆえに、悪に染まった人間を自らの手で裁くというウタハなりの『最期の慈悲』でもあった。

 

「……バイバイ」

 

 吸命牙が引き抜かれた瞬間、完全にライフエナジーを吸い尽くされ、色彩を失った人間の形をしたガラス細工が、そこに完成する。

 

 

 パキィン――。

 

 

 冷たい音が響き、悪党だったガラス像は、音を立てて粉々に砕け散った。

 

 無数のきらきらと光る破片が地面に散らばり、月光を反射して儚く瞬いた後、夜風に溶けるようにして完全に消滅した。

 衣服も、彼らがそこに存在していたという痕跡のすべてが、虚無へと還っていく。残されたのは、ただ静まり返った夜の空気だけだった。

 

 ウタハは静かに人間の姿へと戻ると、衣服についた目に見えない埃を払うように肩を叩き、眠っている生徒のもとへと歩み寄った。

 そして、その身体を壊れ物を扱うように優しく抱き上げると、安全な大通りにあるベンチへと運び、そっと寝かせた。

 

「良い夢を。明日の朝には、全部忘れているさ」

 

 ウタハは生徒が、スー…スー…と小さな寝息を立てていることを確認すると、満足そうに微笑み、人知れず闇の中へと去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 翌日、エンジニア部の実習室では、コトリとヒビキが工具を片手に、何やら楽しそうに噂話をしていた。

 

「ねえねえ、部長! 聞きましたか? また昨日の夜、この近くの未開発地区に『バブルヒーロー』が出没したそうですよ!」

 

 コトリが大きな目をこれ以上ないほど輝かせ、身振り手振りを交えながら熱弁を振るう。

 ウタハは作業机で新しいギアの噛み合わせを調整しながら、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべてその声に耳を傾けていた。

 

「へえ、バブルヒーローかい? なんだいそれは」

 

「ええっ! 部長、知らないのですか!? 最近、ミレニアムの裏街や路地裏で、悪党に襲われていた生徒が、どこからともなく現れた不思議な『光る泡』に包まれて、一切怪我をすることなく救出されるという都市伝説ですよ! しかも、被害にあった生徒が目を覚ました時には、襲ってきた悪党たちは跡形もなく消え去っているというのです! まさに神出鬼没の正義の味方!」

 

 コトリのおしゃべりは止まらない。隣で爆弾の信管をいじっていたヒビキも、珍しく興味深そうに口を開いた。

 

「……うん。ネットの裏掲示板でも、すごく話題になってる。助けてくれたのは誰なのか、どんな高度な光学迷彩を使っているのか、エンジニア部としても、すっごく気になる……」

 

「そうでしょうそうでしょう! 泡の成分がどのような化学組成なのか、あるいは最新のナノマシン技術による防御フィールドなのか! ああ、一度でいいから会ってみたいなぁ。もし会えたら、このノートにサイン、もらえないでしょうか!?」

 

 コトリは屈屈のない、純粋な憧れの笑顔をウタハに向ける。ウタハは手元のドライバーを動かす手を一瞬だけ止め、自身の首筋に手を当てた。そこにはもう、昨夜の禍々しい紋様の感覚は残っていない。

 

 彼女は再び、いつもの生真面目で頼れる先輩としての柔らかな笑みを浮かべ、その会話を穏やかに流した。

 

「ははは、世の中には、私たちの知らない不思議なこともあるものだね。最新の科学でも解明できない神秘が、このキヴォトスには溢れているから。……だが、コトリもヒビキも、そんな危険な事件があった場所には、夜遅くにはあまり近づかないようにね。いくら正義の味方がいるからといって、君たちに『万が一のこと』があったら、本当に……悲しいからね」

 

「はい! ウタハ先輩がそう仰るなら、夜間の外出は控えます!」

 

「……うん。部長を心配させたくない。夜は部室で、大人しく爆弾作る」

 

「それはそれで困るんだがね」

 

 ウタハは苦笑しながら、二人の頭を小突いた。

 

 心の中では、彼女たちのあまりにも純粋で無垢な領分に、決して自分たちの種族が持つ血と絶望の影が、足を踏み入れる日が来ないことを、深く、強く祈りながら。




次は最後の1人のファンガイアが出てきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。