人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

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聖域・四天を継ぐは我なり

 トリニティ総合学園における表の顔、そしてシスターフッドの長としての慌ただしい活動を終え、歌住サクラコは自らの邸宅へと帰還した。

 

 周囲の生徒たちに悟られぬよう、完璧な淑女の微笑みをたたえたまま静かに玄関の扉を閉める。

 その瞬間、彼女の顔から偽りの慈愛が剥がれ落ち、冷徹な捕食者としての無表情が張り付いた。

 

 サクラコは迷うことなく、自らの部屋の奥にある隠し扉へと向かった。重い本棚の裏に隠された暗暗たる階段を下り、邸宅の最深部に存在する秘密の地下室へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 薄暗い空間の正面に、『それ』は鎮座していた。1枚の高大なる絵画。

 そこに描かれているのは、チェスの『ビショップ』の駒に、狂い咲く薔薇が妖艶に絡みついたデザインの紋章。

 

 

 神聖にして悍ましい、最高幹部『チェックメイトフォー』の一角…『ビショップの紋章』を示す呪われし証だった。

 

 

 サクラコは絵画の前に立つと、祈りを捧げるかのように自らの掌を、そして手の甲をひっくり返して凝視した。

 かすかな光の中に晒された彼女の肌は、どこまでも白く滑らかで、何の斑点も存在しない。

 

「(……『ない』。今日も…どこにも…!『刻まれていない』……!!)」

 

 サクラコは激しい絶望と憤怒に身を震わせ、白く美しい歯をギリ…! と音を立てて軋ませた。

 

「なぜ……なぜ私は選ばれない……! 『ビショップ様』…貴方亡き後、この一族を正しき理へと導くべき最高幹部の座に、なぜ…私が選ばれぬのですか……!!」

 

 湧き上がる悔し涙を堪えながら、サクラコは自らの両手を強く握りしめた。

 彼女の記憶は、自らが最も輝き、そして最も盲信していたあの遥かなる過去――1986年へと回帰していく。

 

 

 

 1986年当時、若きサクラコはチェックメイトフォーの重臣である『ビショップ』の忠実なる補佐として彼の傍らに仕えていた。

 

 黒い牧師服に身を包み、丸眼鏡の奥から冷徹な知性を覗かせていた彼は、すべてのファンガイアの在り方を管理するという天文学的な重責を担っていた。

 寝る間もないほどのハードワーカーだったにも関わらず、キングやクイーンの気まぐれに振り回されながらも、一族の保全と尊厳のために淡々と、しかし完璧に計略を巡らせていくビショップの背中に、サクラコは神への信仰にも似た深い憧れと崇拝を抱いていたのだ。

 

 しかし、その完璧なる世界は、人間の無礼者と裏切り者の手によって崩壊へと向かう。

 先代キングが、忌々しき人間・紅音也の手によって討ち果たされたという悲報が届いた時、サクラコは深い悲しみに明け暮れ、世界の理が崩れ去る恐怖に怯えた。

 

「(偉大なるキングが崩御された……。すべてはあの汚らわしい人間の男と、掟を破った先代クイーンの真夜のせいだ!!)」

 

 憎き紅音也はその直後に命を落としたが、サクラコの燃え盛るような復讐心は収まらなかった。

 彼女は即座にファンガイア態へと変身し、裏切り者の女・真夜と、彼女が産み落としたばかりの『不浄なる娘』をこの手で引き裂き、肉を喰らい尽くそうと飛び出そうとした。

 

 しかしそれを遮ったのは、憧れの主であるビショップだった。彼は落ち着き払った様子で彼女の肩に手を置き、荒れ狂うサクラコを宥めた。

 

「落ち着きなさい、サクラコ。貴女の忠義と怒りはもっともですが、今は一族の再建が第一です。日本は今、裏切りと混沌の渦中にある。貴女のような強力で苛烈な戦士がここで無駄に血を流すのは得策ではありません。……貴女には、遥か彼方の地、『キヴォトス』の新天地開拓任務を言い渡します。そこで我が一族の未来のための拠点を築き、来たるべき時に備えるのです。これこそが私から貴女への、もっとも重要な命令ですよ」

 

 ビショップの理路整然とした言葉に、サクラコは深く感じ入り、その命令を聖遺物のように抱いてキヴォトスへと旅立った。

 

 

 だが、ビショップの『真意』は全く別のところにあった。

 

 

 彼はサクラコの底知れない凶暴性と、狂信的なまでの選民思想を誰よりも熟知していたのだ。

 

 2代目キングを失い、一族の再建を極秘裏に進めねばならないこの繊細な混乱期に、サクラコのような爆弾を日本に置いておけば、彼女の暴走によってファンガイアの存在が人間に完全に露見し、計画のすべてがめちゃくちゃになる。

 ビショップはただ、日本のほとぼりが冷めるまでの間、彼女を遠い地獄の果てのような僻地へと追いやったに過ぎなかった。

 

 サクラコはそんな主の冷酷な計算など露知らず、純粋な使命感に燃えてキヴォトスへ渡ったのだった。

 

 

 それから22年の歳月が流れた。2008年、一族の情勢変化に伴い、サクラコは嬉々として日本へと戻り、再びビショップの元で影の兵卒として仕え始めた。

 憧れの主のために再び働ける喜びに胸を躍らせていたサクラコだったが、運命はまたしても彼女からすべてを奪い去る。

 

 人間の対ファンガイア組織『素晴らしき青空の会』の戦士であり、一族の敵である『名護啓介』。

 彼が白金の鎧『仮面ライダーイクサ』を纏い、サクラコが心から敬愛していた参謀ビショップを容赦なく討ち取ったのだ。

 

「ビ、ビショップ様……! 嘘だ、あり得ない!! 貴方のような偉大な御方が、あのような人間の虫ケラに敗れるなど……!!」

 

 絶望はそれだけに留まらなかった。ビショップが死に際に自らの命を捧げ、一族の未来を託して蘇らせた最強の古帝『バットファンガイア・リボーン』。

 それさえも、紅音也の遺した呪われた娘と、人間との融和を説く腑抜けた3代目キング・登太牙の二人の手によって、完膚なきまでに撃破されてしまった。

 

 愛する主を失い、一族の誇りが完全に地に落ちた瞬間、サクラコは完全に自暴自棄となった。

 

「ビショップ様のいない世界など、価値はない! 穢れたキングが人間にへつらい、玉座に居座る世界など、すべて私が壊して消し去ってやる!!」

 

 狂ったように咆哮し、日本を血の海に変えようと暴れ回るサクラコ。

 見かねたウタハたちが命がけで彼女を拘束し、引きずるようにして再びキヴォトスへと連れ戻したのだった。

 

 キヴォトスへと強制送還されてからも、サクラコの胸中の炎は消えていなかった。この街に溢れる生意気な二足歩行の家畜どもを皆殺しにし、自らも死の深淵へ飛び込もうかとさえ考えていた。

 

 だが、そんな彼女を踏みとどまらせたのは、やはりビショップの遺志だった。

 

「(いや、違う…。私はビショップ様の唯一無二の忠臣。主が生前に私に言い渡した『キヴォトスの開拓と保全』という任務を、私が勝手に放棄することなど許されない。……そして、何よりも)」

 

 サクラコは薄暗い地下室の絵画を見つめ、自身の乾いた唇を噛んだ。

 

「(ビショップ様が亡くなられた今、チェックメイトフォーの『ビショップ』の称号を継承し、一族の在り方を正しく管理する資格があるのは、この世界で私をおいて他にいないはずだ!!)」

 

 チェックメイトフォーの資格は、候補者の中からビショップが選び、基準を満たした者の身体に薔薇の紋章が出現することで引き継がれる。

 

 サクラコは、自らが『次のビショップ』に選ばれるその日を信じて疑わなかった。

 

 だからこそ、彼女は2026年の現在に至るまで、毎日欠かさずサクラコなりのやり方でキヴォトスの『管理』を行い、そして毎朝、自らの掌や手の甲にビショップの紋章が出現していないかを確認することを、狂信的な日課としていたのだ。

 

「私は諦めない…。いつか、必ず…この手に宿るはずだ……」

 

 サクラコは心を落ち着かせるようにヴェールを深く被り直し、冷たい階段を上って地下室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 その日の午後、サクラコは日課である『キヴォトス巡回』を遂行していた。

 表向きはシスターフッドの長としての治安維持活動だが、本質はファンガイアの管理者としての『人間牧場』の視察である。

 

 彼女が足を踏み入れたのは、崩壊した泥と瓦礫が広がる不毛の地――アリウス自治区だった。

 サクラコは、荒廃した街並みを軽蔑に満ちた目で見つめ、心の中で冷酷に嘲笑った。

 

「(本当に、下等生物のやることは理解に苦しむ。ただの食物に過ぎない『人間』の分際で、互いを差別して迫害し合っているとは…。この地で泥をすすりながらトリニティを呪うアリウスの生徒どもも愚かならば、大義名分を掲げて虫ケラどもを執拗に追い詰めるトリニティの生徒どもも、等しく救いようのない愚者だ。……我が一族から見れば貴様らなど、どちらも平等に、ただの無価値な家畜だというのに)」

 

 人間の矮小な争いを鼻で笑い、優越感に浸りながら歩みを進めていた、その時だった。

 

 サクラコの鋭い視界の先、崩れかけた巨大な礼拝堂の影に、複数の人影が静かに移動していくのが見えた。

 

 

 それは、アリウス自治区の闇に生きる特殊部隊『アリウススクワッド』の4人だった。

 

 

 先頭を歩くのは、黒いキャップを深く被り、白いコートを羽織った冷徹なるリーダー、『錠前サオリ』。

 その背後には、不気味なガスマスクを着用し、仲間たちから『姫』と崇められる『秤アツコ』が静かに従っている。

 さらに、巨大な火器を抱え、包帯を巻いた手首を弄ぶ『戒野ミサキ』と、大きな狙撃銃ケースを背負いながら自虐的な呟きを漏らしている『槌永ヒヨリ』が続いていた。

 

 いつものサクラコであれば、そんな彼女たちを一瞥し、「二足歩行の虫ケラどもが、泥遊びをしている」と冷酷に見下すだけで終わっていただろう。

 

 

 しかし、その日は『違った』。

 

 

 サクラコの薔薇色の瞳が、信じられないほどの驚愕と、底知れぬ恐怖…そしてそれを遥かに上回る狂気的な怒りによって、カッと見開かれた。

 

 シュルル……、とサクラコの顔の皮膚の下を、ファンガイア特有の極彩色のステンドグラスの紋様が視認できるほど激しく蠢く。

 

 彼女の全身の血液が、沸騰した油のように逆流していた。

 

「(なぜ……。なぜ、奴がこんなところにいる……!? なぜ、あの悪魔がこのキヴォトスに存在しているのだ……!?)」

 

 サクラコの視線は、アリウススクワッドの4人の中の、ある『特定の人物』の姿を完全に捉えていた。

 

 その容姿、その気配、その魂の波形。どれをとっても、サクラコの記憶に深く刻まれた、『一族を破滅へと追いやった元凶』そのものだった。

 

『(年齢が合わない……? いや、そんなことはどうでもいい、どうでもいいことだ……! 理由など知るか! 一族を没落たらしめた、『あの忌まわしき悪魔』が目の前にいるのだ。ここで、この手で、肉も骨も魂も粉々に噛み砕いて殺さぬ理由がどこにある……!!)

 

「アァァ……アァ、オのれェェエエ……!!」

 

 サクラコの口から、人間のものとは思えぬ獣じみた呪詛の息が漏れ出た。彼女の背後に、漆黒と黄金をベースにした『ロングホーンビートルファンガイア』の巨大な幻影が膨れ上がり、ステンドグラスの銃を生成しようと大気が激しく歪み始める。

 

 今すぐ飛びかかり、あの4人もろとも、跡形もなく肉塊に変えてやろうと、サクラコが完全に理性を失って一歩を踏み出した、その瞬間だった。

 

 

 ガシィッ!!!

 

 

 強力な、しかしどこか機械的な正確さを持った手によって、サクラコの肩が後ろから強引に掴まれ、強引に引き戻された。

 

「――そこまでだ、サクラコ。正気に戻れ」

 

 冷徹で理知的な、しかし確かな焦りを含んだ声。振り返ると、そこには白衣を翻したミレニアムの天才、白石ウタハが立っていた。

 彼女の鋭い眼光がサクラコの暴走を物理的に、そして精神的にせき止めていた。

 

 サクラコは激しい息を吐きながら、ウタハを睨みつけた。

 

「放しなさい、ウタハ……! 邪魔をするな! 奴がいる……我が一族の仇が、そこにいるのだ!!」

 

「言いたいことは分かる。だが、あの一団をよく見てみろ」

 

 ウタハはサクラコの視線をアリウススクワッドへと誘導しながらも、その目を驚愕に丸めていた。

 ウタハの視線もまた、彼女たちの姿に釘付けになっていた。

 

「驚いたな……。日本からの亡命者は、我々だけではなかったということか。まさか、あの『過去の因縁の象徴』が、このような僻地へ流れ着いていたとはね」

 

 ウタハの口からも、信じられないといった溜息が漏れる。彼女にとっても、遥か向こうにいる少女たちは、かつて日本で一族を揺るがした懐かしくも恐ろしい顔ぶれに他ならなかった。

 

 しかし、ウタハはすぐに冷静さを取り戻すとサクラコの肩をさらに強く掴み、耳元で低く囁いた。

 

「懐かしい顔ぶれだが、ここで暴れるのはよすんだ、サクラコ。今の君がここでファンガイアとしての力を全開にすれば、連邦生徒会や各学園の主要勢力にその存在が完全に探知される。そうなれば、君がこれまで築き上げてきた『シスターフッドの長』という完璧な椅子は失われ、ビショップ様の遺した『新天地の保全』という任務もすべて水の泡だ。……私の言っている意味が、分からない君じゃないだろう?」

 

「……っ!」

 

 ビショップの名前を出された瞬間、サクラコの身体から、不気味な怪人の気配が急速に霧散していった。

 ウタハの言葉は、狂信的な彼女をコントロールするための、もっとも的確な冷水だった。

 

 サクラコは激しく上下する胸を抑え、ヴェールの下で、獲物を逃した蛇のように忌々しそうに唇を噛んだ。

 

「……分かりました。今日のところは、貴女の言葉に従いましょう。ですが、ウタハ。『あの悪魔』をこのまま野放しにするつもりはありません」

 

「ああ、分かっている。これは一局のチェスだ。感情に任せてキングを動かせば、待っているのは敗北だけだからね。……まずは、カヨコとワカモにもこの事実を知らせるべきだ。彼女たちも、『この因縁とは無関係ではいられない』はずだから」

 

 ウタハはそう締めくくると、サクラコを促して、アリウススクワッドの視界に入らぬよう、静かに瓦礫の影へと身を隠した。

 

 2人は、遠ざかっていく4人の背中を、それぞれの暗い思惑を孕んだ目で見つめながら、音もなくその場を去っていった。

 アリウスの荒涼とした風だけが、彼女たちの残した不穏な気配をかき消すように、虚しく吹き抜けていくのだった。

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