人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

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カルテット・その娘の名はーーー

 キヴォトスの喧騒から隔絶された、冷たいコンクリートの壁。薄暗い白熱灯が怪しく明滅するその空間は、白石ウタハがこの世界に幾つも所有している極秘の『隠れ家』の一つであった。

 

 部屋の中央に置かれた長机の前に、2人の少女が並んで腰掛けている。

 

 一人は、不機嫌さを隠そうともせず、気怠げに煙草の煙――ではなく、冷え切った缶コーヒーを弄んでいる鬼方カヨコ。

 もう一人は、白狐のお面を机に置き、妖艶にして禍々しい殺気を周囲に振り撒きながら、長い指先でトントンと不規則に机を叩いている狐坂ワカモ。

 

 あまりにも急な呼び出し。それも、お世辞にも居心地が良いとは言えない密室への招集。二人の表情には、明確な不快感と苛立ちが刻まれていた。

 

 「……はぁ。わざわざこんな時間に関係のない連中まで集めて、一体何の用? 私はこれから深夜のレコードショップに行く予定があったんだけど」

 

 カヨコが低く、低音の効いた声で呟く。その視線は、部屋の隅で未だに興奮冷めやらぬ様子で肩を上下させている歌住サクラコへと向けられていた。

 

 「大方……またそこの『シスターフッドの長』様が、取り返しのつかない問題でも起こしたんでしょ。それ以外に、私たちがこうして一堂に会する理由なんて思い浮かばない」

 

 カヨコの辛辣な言葉に、ワカモもまた、黄金の瞳をさらに細めてサクラコを冷ややかに見据えた。

 

 「おやおや、カヨコさんの仰る通りですわね。サクラコさん、貴女という方は、トリニティという温室で聖女の真似事をしているうちに、脳みそまでお花畑になってしまわれたのですか? わざわざウタハさんの手を煩わせ、私たちの貴重な時間を奪うなど……万死に値しますわ」

 

 「貴様ら……ッ!!」

 

 サクラコの額に、青筋がピキリと浮かび上がる。彼女の美しい顔が怒りで歪み、皮膚の下でステンドグラスの紋様が激しく蠢いた。

 今すぐにでもこの無礼な同胞どもを噛み砕いてやりたいという衝動が突き上げるが、ここがウタハの隠れ家であるという最低限の理性が、辛うじて彼女の暴走を繋ぎ止めていた。

 

 1986年の当時は、違った。

 

 あの狂気と激情の時代、カヨコもワカモも、ファンガイアとしての誇りと尊厳を胸に抱き、偉大なる一族の保全のために戦う、信頼に足る強大な『同胞』だった。サクラコにとっても、彼女たちには確かな情誼と敬意があったのだ。

 

 

 しかし、すべてを『台無し』にしたのはサクラコ自身だった。

 

 

 2008年、日本でビショップを失った彼女が狂乱し、すべてを巻き込んで自滅しようとしたあの暴走。

 

 そして2009年、彼女をキヴォトスへと強制送還する際、カヨコとワカモはウタハに懇願され、多大なリスクを冒して『キヴォトス戻し』の裏工作に協力させられた。

 

 さらに、この世界に来てからも、サクラコは不定期にファンガイアとしての凶暴性を抑えきれずに暴発し、その度にカヨコとワカモが影でその凄惨な尻拭いをさせられてきたのだ。

 

 現在のカヨコとワカモにとって、サクラコへの信頼など欠片も残っていなかった。

 あるのは、ただただ鬱陶しいお荷物に対する、底冷えするような嫌悪感だけである。

 

 「勘違いしないでよね、サクラコ」

 

 カヨコが冷徹な声を重ねる。

 

 「私たちが今でもあんたを見捨てずにいるのは、ひとえにウタハの顔を立てているから。ウタハがあんたを庇い、キヴォトスという歪んだ檻に匿ってくれていなければ、あんたはとっくの昔に『素晴らしき青空の会』の戦士たちに捕捉されて、今頃は灰すら残らず討伐されていたはずよ。……正直なところ、私個人の意見を言わせてもらえば、あんたがどこでどう死のうが知ったことじゃない。ただ、私たちの生活に迷惑がかからない形で死んでほしい、それだけ」

 

 「同感ですわね」

 

 ワカモがクスクスと、しかし一切の感情が籠もっていない笑い声を漏らす。

 

 「貴女の歪んだ忠誠心も、身の程知らずな誇りも、私たちの前ではただの滑稽な喜劇。次に私たちの足を引っ張るような真似をすれば……ウタハさんの制止があろうとも、この私が貴女を肉塊に変えて差し上げますわ」

 

 「おのれ、家畜にへつらう不浄なる者どもが……! どの口でこの私に言葉を紡ぐか……!!」

 

 サクラコは拳を血が滲むほどに強く握りしめ、歯を激しく軋ませた。部屋の温度が急激に低下し、三人の間で一触即発の殺気が火花を散らす。

 

 「そこまでにしてもらおうか、三人とも」

 

 冷え切った空間を切り裂くように、白衣を纏ったウタハが毅然とした声を放った。

 彼女は手にした端末を操作しながら、重苦しい足取りで長机の前に歩み出る。

 

 「カヨコ、ワカモ。急な呼び出しに応じてくれたことには感謝する。そして、君たちの言い分はもっともだ。これまでサクラコの粗相のために、君たちに多大な労力とリスクを強いてきたことは、私からも謝罪しよう」

 

 ウタハは静かに頭を下げた。ミレニアムの天才であり、この奇妙なコミュニティの調停者である彼女の謝罪に、カヨコは不承不承といった様子で視線を逸らし、ワカモもまた殺気を収めてお面を手に取った。

 

 「しかし、だ」と、ウタハは紫の瞳を鋭く光らせ、言葉を続ける。

 

 「今回ばかりは、サクラコの個人的な暴走や、その問題の後始末のために君たちを集めたわけではないんだ」

 

 「……じゃあ、何だって言うのよ」

 

 カヨコが眉をひそめる。ウタハは何も言わず、壁面に設置された巨大なマルチモニターの起動スイッチを押した。

 

 ブゥン、という低い電子音とともに、モニターに鮮明な映像が映し出される。

 それは、サクラコが先ほどアリウス自治区の廃墟で目撃した、あの光景だった。泥と瓦礫に塗れた荒涼たる背景のなかを、静かに、しかし統率された動きで進む『4人の少女たち』。

 

 

 錠前サオリ、秤アツコ、槌永ヒヨリ、戒野ミサキ。

 

 『アリウススクワッド』の姿が、鮮明にモニターに拡大される。

 

 

 「――ッ!?」

 

 その映像が視界に入った瞬間、それまで不機嫌そうに身をのけ反らせていたカヨコの身体が、嘘のように硬直した。

 手にした缶コーヒーが危うく手から零れ落ちそうになる。

 

 ワカモに至っては、息を呑む音さえ立てられぬほどの衝撃に打たれ、その美しい黄金の瞳を限界まで見開いたまま、椅子から立ち上がることすら忘れてモニターを凝視していた。

 

 

 部屋を支配したのは、あまりにも重く、冷酷な静寂。二人の頭脳は、今目にした光景の『意味』を処理しきれずに、完全にフリーズしていた。

 

 

 「な……、なに、これ……」

 

 カヨコの唇から、掠れた声が漏れる。

 

 「どうして、『彼女たち』が……ここにいるの……?」

 

 ワカモが、震える指先をモニターへと向けた。普段の妖艶な余裕など塵一つも残っていない。

 その顔には、隠しきれない動揺と、過去の凄惨な記憶がもたらす恐怖が混ざり合っていた。

 

 「あり得ません……! 到底、信じられませんわ……! 『この娘』の存在は百歩譲って理解できたとしても……なぜ、あとの『3人』までもが、この世界に、キヴォトスにいるのです!? 彼女たちは……1986年当時、偉大なる先代キングの御手によって、『完全に滅ぼされた』はずですわ!!」

 

 ワカモの声が狂おしく響く。

 

 「その血の系譜も、魂の残滓も、すべて根絶やしにされたはず……! なぜ生き残っているのです!? 分からない……まさか…彼女たちは、私たちを追ってこのキヴォトスへやってきたというのですか……!?」

 

 完全に冷静さを欠き、取り乱すワカモ。その肩を、カヨコが冷徹な、しかしどこか諦念を含んだ声で制した。

 

 「……落ち着きなさい、ワカモ。その可能性は低いわ」

 

 「カヨコさん……!?」

 

 「冷静になって考えなさいよ。もし彼女たちが、私たちへの復讐や討伐を目的にこの世界へ渡ってきたのだとしたら、こんなやり方は回りくどすぎる。……『アリウススクワッド』…だったっけ? 彼女たちがわざわざ、キヴォトスの最底辺であるアリウス分校に籍を置き、泥をすすりながらゲリラ活動なんてしている意味がないわ」

 

 カヨコはモニターに映る4人の装備や佇まいを観察しながら、顎に手を当てた。

 

 「そんなことをしていれば、彼女たちがキヴォトスにいるという情報が、他の学園に知れ渡るリスクが高まるだけ。もし彼女たちが最初から私たちを狩る気だったのなら、もっと早く、私たちが気づかないうちに陰ながら首を跳ねられていたはずよ」

 

 「ふむ……。カヨコの分析は的確だな」

 

 ウタハが腕を組み、深く頷く。

 

 「私も彼女たちの動向を密かに追跡してみたが、現時点で彼女たちが我々の存在に気づいている、あるいは意識して行動している形跡は全く見られない。彼女たちはただ、純粋にアリウスの生徒として、その過酷な運命に翻弄されているようにしか見えないんだ。……つまり、目的は不明。なぜ彼女たちがここにいるのか、その因果関係は現時点ではまったくの五里霧中だ」

 

 「何をグダグダと……! この腑抜けどもが!!」

 

 ドォン!!! と、凄まじい衝撃音が隠れ家に響き渡った。

 

 サクラコが猛烈な怒りを込めて、鉄製のテーブルを限界まで叩きつけたのだ。

 肉食獣の凶暴性を完全に剥き出しにした彼女は、カヨコとワカモを血走った目で睨みつけた。

 

 「目的などどうでもいい! 理由など知るか!! 目の前に『一族の没落を招いた悪魔』がいるのだぞ!? 情報が揃うのを待つなどという生ぬるい猶予がどこにある! 一刻も早く、あの忌まわしき悪魔と過去の亡霊どもをこの手で引き裂き、根絶やしにして、確固たる安寧を得るのが先決だろうが!!」

 

 「チッ……」

 

 カヨコが露骨に大きな舌打ちをした。彼女はサクラコを、まるで哀れな欠陥品を見るかのような、極限まで冷え切った目で見つめ返す。

 

 「……やっぱり、あんたはあの頃から何も進歩していない、ただの馬鹿のままだね。情報が揃っていない、敵の背景も戦力も不透明なうちに突撃していくなんて、戦術において最も愚かで自殺志願者のすることよ。あんた一人が死ぬのは勝手だけど、その火の粉が私たちに降りかかることだけは絶対に許さない」

 

 カヨコはそこで一度言葉を切り、ふぅ、と深い溜息をついた。

 

 「……もっとも、『あの娘』や、他の3人に対して、少なからず深い因縁があるのは……私たちも同じだけどさ。あんただけじゃなくて、ワカモも、ウタハもね」

 

 カヨコのその言葉に、室内の空気はさらに一段と重苦しく沈み込んだ。

 

 

 4人はそれぞれ、言葉にできない複雑な、そして暗い表情を浮かべ、モニターの光に照らされていた。

 

 

 カヨコは、人間の血が混ざりながらも、かつてあの1986年の激動のなかで、誰よりも美しく、そして切ない音楽を奏でていたあの少女の姿を思い返していた。

 

 懐かしく、胸を締め付けられるような記憶。

 

 しかし、現在の彼女の瞳にあるのは、過去を完全に切り捨てたかのような、どこまでも冷たく残酷な拒絶の光だった。

 

 

 ワカモは、溢れ出る苛立ちを抑えきれず、自らの長い髪を乱暴にかき上げた。あの出来損ないの、人間との融和などという不浄な思想を持った娘が、ファンガイアが何千年もかけて築き上げてきた偉大なる伝統と秩序を木っ端微塵に破壊したのだ。

 

 その事実に対する、激しい憎悪と不快感が、彼女の五臓六腑を今なお焼き尽くそうとしていた。

 

 

 ウタハは、ただただ切ない表情を浮かべていた。あの、誰よりも優しく、誰よりも不器用だった少女。

 

 一族の宿命に翻弄されながらも、最期まで己の信念を貫こうとした彼女のことを思い出し、胸の中に去来する嬉しさと、現実の残酷さがもたらす複雑な感情に、ただ唇を噛むしかなかった。

 

 

 そしてサクラコは、ただひたすらに、純粋なる殺意の炎を燃やしていた。人間の汚らわしい血が混ざり合った、一族の歴史における最悪の恥晒し。

 

 あの不浄なる汚物が、何食わぬ顔で再びこの世界に姿を現したという事実そのものが、彼女にとっては神への冒涜であり、耐え難い屈辱だったのだ。

 

 

 『(くれない)』の運命は、まだ続いていたのだ。

 

 

 あの1986年の惨劇も、2008年の崩壊も、すべては過去の遺物などではなかった。

 血塗られた因縁の糸は、時空をも超えて、このキヴォトスという新天地の裏側で、再び彼女たちを縛り付けようとしていた。

 

 4人は各々の胸中に渦巻く、郷愁、苛立ち、未練、殺意、そして狂信的な使命感を抱えながら、吸い寄せられるように、モニターに映し出された『ある一人の少女』へと視線を注いだ。

 

 誰からともなく、しかし完全に重なり合った4人の声が、暗暗たる隠れ家の中に響き渡る。

 

 

 「「「「(くれない)アツコ」」」」

 

 

 4人が血の滲むような声音でその名を呼んだ視線の先。

 

 

 拡大されたモニターのなかで、静かにガスマスクを弄んでいる秤アツコ。

その佇まい、その容姿、その身体から放たれる呪われた『神秘』の気配は――。

 

 あの2008年当時、太牙と手を取り合い、一族に革新をもたらしたあの忌まわしき姿のままで、1ミリの狂いもなく、そこに存在していた。




次から第2部開幕です。
次からは不定期更新で、出来次第の投稿になります。
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