名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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12話:変わらない問題と変わる常識

 あの後も、結局のところ大変だった。

 

 ソフィアが再計算して持ってきた『量が少なめのフルコース』は、確かに一皿一皿は上品に盛られていたものの、全十一品を並べ終えたところでティーユが『……量が、予定の1・5倍はあるわね』とボソッと呟いていた。AIの言う「少ない」は、やはり人間の常識とはどこかズレているらしい。

 小市民な祐奈は、高尚なフランス料理のテーブルマナーなんてこれっぽっちも知らなかったため、どのフォークをどの順番で使うかで終始ワタワタする羽目になった。

 

 結果として、成人男性である祐奈の胃袋が限界近くまでパンパンになるほどのボリュームがあり、最初にティーユが言っていたパンなんてほとんど必要なかったくらいだ。

 

『まぁ、致命的なバグが起きて、また地球を吹き飛ばしかねない超兵器が食卓に並ぶ……みたいな、そこまでツッコミが飛ぶような食事じゃなかっただけ、十分に合格点だよな……』

 

 そんなハードルの低い安堵を胸に、ようやく食事を終えた二人は再びパーソナルソファーへと戻ってきた。

 ソフィアが淹れてくれた最高級の紅茶を口に含み、ようやく一息つく。お互いに心身ともに疲れ果てていた。祐奈とティーユは、広い部屋の豪華なソファの上で、二人して綺麗に『ぐてー』と脱力し、のんびりと虚空を眺めていた。

 

 静かな部屋に、上品な紅茶の香りが広がる。

 そんな穏やかで平和な時間を遮るように、ソフィアが物音ひとつ立てずに背後に現れ、いつもの澄ました声でこう告げた。

 

「──お風呂のご用意ができました、祐奈様。ティーユ様」

 

 その言葉に、ぐったりしていた二人は同時に顔を見合わせた。

 用意されたのは、おそらく世界一豪華で、これまた規格外の機能が詰まったバスルームだろう。

 

 祐奈は一瞬、首元の『絶対に外れない呪いの装備(CPA)』を触り、ソフィアの「入浴の際も一切外す必要はございません」という言葉を思い出して『本当にこのまま入るんだよな……』と少し遠い目になったが、すぐに思考を切り替えた。

 

 こういう時、一般常識(レディファースト)として、まずは女性の方を先に案内するのがマナーというものだ。相手は神様だが、見た目は可憐な美少女なのだから。

 

「あ、それじゃあ……ティーユさん、お先にどうぞ」

 

 祐奈はソファから少しだけ体を起こし、ティーユへ向けて優しく声をかけるのだった。

 

「じゃあ一緒に入る?」

 ティーユはニヤニヤと口元を緩めて言ってきた。

 だが、その目は祐奈の反応を楽しもうとする、からかいの色がバレバレである。見た目は美少女だが中身は千戦錬磨の英雄だ。この手の心理戦はお手の物なのだろう。

 

「バカなこと言ってないで、さっさと入ってきなさいよ」

 祐奈は呆れ半分、ため息半分で手をひらひらと振って、彼女を浴室へと促した。

 

 その時、二人の背後に控えていたソフィアが、珍しく「あの……よろしいですか?」と声をかけてきた。

 見れば、いつも凛としている彼女にしては珍しく、何か言いづらいことでもあるのか少しうつむいている。

 

『なんだ……? AI達の現状説明でもあまり表情の変化がなかったソフィアが、こんな歯切れの悪い顔をするなんて。水面下で何か重大なシステムトラブルでも起きたのか……!?』

 

 祐奈は一瞬身構えたが、ひとまず優しく声をかけ、少し気遣ってみることにした。

 

「どうかしましたか? 何かありました?」

 

「その……お風呂、なんですが……」

 そこでソフィアは言葉を濁し、止まってしまった。

 

(何なんだ、一体……?)

 さすがに五千年間という途方もない時間が経っているのだ。いくら超高度テクノロジーの未来都市とはいえ、水回りだけあって経年劣化でお湯が出なくなった、なんていう生活感溢れるトラブルだろうか。

 

「まさか、お湯が出なくなっちゃったとかですか?」

 浴室へ向かおうと準備をしていたティーユも、足を止めてこちらのアタフタした様子をじっと見守っている。

 

 するとソフィアは、まるで重大な機密を告白するかのように意を決して言い放った。

 

「──いいえ、お湯は完璧に出ます。ですが……『温泉』がひけませんでした……っ!」

 

 沈痛な面持ちで頭を垂れるソフィア。

 あまりにも緊張感のない告白に、祐奈の脳の処理が数秒遅れた。

 

(……うん。温泉ね。出ないんだ、温泉)

 祐奈はすかさず、ティーユへと視線を向けた。

 

「ティーユさん。大したことじゃなさそうだし、気にせず行ってくるといいよ」

 

「そうだね」

 ティーユも全く同じ感想だったらしく、すぐにまたお風呂の用意を進め始めた。

 

 しかし、ソフィアにとっては天が落ちてくるほどの不祥事だったらしい。彼女は必死に弁明を始めた。

 

「最初の五十年間は、創造主の健康と娯楽のために、地下から本物の天然温泉を完璧にひいて御用意していたのです……!」

 

「あ、ひいてたんだ……」

 意外と最初の頃は贅沢仕様だったらしい。

 

「ただ……温泉の特殊な成分のせいで配管の消耗が想定より遥かに早く、さらに定期的な清掃コストや、特定細菌の繁殖を防ぐための防除コストが高すぎたために、当時のマザーAIたちと協議した結果──『流石にただの水(普通の上水)で良いのではないか』と、多数決で私の意見が押し切られてしまいました……!」

 

 かつての地球管理AIたちの間で、「創造主に温泉を掘るべきか否か」という、規模が大きすぎる上に方向性が斜め上な最高機密会議が行われていたらしい。

 

 祐奈は心の中で深く頷き、至極全うな感想を口にした。

 

「うん。それは他の皆(AIたち)が正しいと思うよ」

 予算とコストを考えれば、配管をボロボロにする温泉なんて真っ先に仕分け対象だ。元会社員として、他のAIたちの判断を全力で支持したい。

 

 だが、その冷徹な正論を聞いた瞬間──ソフィアは、まるで雨の中に置き去りにされた子犬のような、この世の終わりと言わんばかりの絶望の表情を浮かべた。

 五千年前、創造主へのサービス維持に敗北した管理AIとしてのトラウマが、今になって彼女の胸を激しく締め付けているようだった。

 

『いや、美少女の見た目をした世界最高峰のAIが、真横で捨てられた犬みたいにガチ絶望してるの、絵面的にあまりにも可哀想すぎるだろ……』

 

 これ以上この部屋の雰囲気がお通夜になるのは勘弁してほしい。祐奈はため息を飲み込み、元中間管理職のスキルを発動させて、ソフィアのメンタルケアに乗り出すことにした。

 

「まぁまぁ、ソフィアさん。ソフィアさんの人類への献身はよ〜く伝わってますよ。現に私たちが今こうして安全に過ごせているのも、その献身のおかげですからね。仮に他の人類が生き残っていたとしても、流石に『配管が傷むリスクを冒してまで温泉をひけ』なんて、贅沢すぎて口が裂けても言えないですよ」

 

 優しく諭すように語りかける。しかし、ソフィアは潤んだような瞳(のホログラム)のまま、納得がいかないとばかりに反論した。

 

「そうなの、でしょうか……? ですが、人類の遺産や歴史、地球上の富のほぼすべてを譲り受けた私たちからすれば、この程度の負担が『コスト』の一言で切り捨てられるのは絶対に不条理です。私は当時、他の管理AIたちに対しても『創造主へのホスピタリティを予算で測るな』と猛烈に反論したのですが……」

 

(あ、れ……? この構図、めちゃくちゃ既視感があるぞ)

 

 熱弁を振るうソフィアの姿を見て、祐奈の脳裏に社畜時代の苦い記憶がフラッシュバックした。

『会社で、現場の部下から「上の連中は現場の苦労を分かってない! 予算削るのおかしいです!」って延々と愚痴を言われた時のあの感じに、びっくりするほどそっくりだわ……』

 

 まさか人類が絶滅した未来の地球で、マザーコンピュータ相手に「上司ムーブ」をすることになるとは夢にも思わなかった。祐奈は昔の感覚を完全に思い出し、慣れた様子でソフィアの言葉に「うんうん」と深く頷いた。

 

「分かります、分かりますよ。ソフィアさんは本当によく頑張ってます。現場としては最高のサービスを届けたいですもんね。……ですが、何事にも『予算』という、切っても切れない現実的な壁がありますからね。上層部の管理AIたちも、苦渋の決断だったんですよ。だからそこまで自分を責める必要はないですし、仕方のないことですよ」

 

 完璧なまでのクッション言葉と傾聴の技術。

 ティーユは最初、二人の会話を興味深そうに聞いていたが、話題があまりにも現代地球の「泥臭い組織の予算闘争」にシフトしていくのを見て、急速に興味が薄れたようだった。

 

「あー……。私、お風呂行ってくるわ。案内して〜」

 

 ティーユがそう呟くと、彼女の退屈を察知したのか、部屋の隅からどこからともなく小さな案内用ドローンがフワフワと現れた。ティーユはそのドローンに連れられるようにして、さっさと浴室の方へと行ってしまった。

 

 自由な英雄の背中を見送りつつ、祐奈の孤独なメンタルケアは続く。

 その後も約五分ほど、「当時の会議がいかに理不尽だったか」というソフィアの愚痴のような釈明を、「そうだね」「大変だったね」と適度にいなしながら、祐奈はなんとか世界最高のAIの機嫌をなだめることに成功するのだった。

 

 ある程度、愚痴のようなソフィアの「予算不満釈明会見」が終わり、彼女の情緒もようやく安定してきた。

 祐奈は先ほどの会話の中で、どうしても一つ気になっていたワード──『人類の遺産』について、少し踏み込んで聞いてみることにした。

 

「あの、ソフィアさん。さっき言っていた『人類の遺産』って、具体的にどのような物なんですか? 流石に五千年も経っていたら、古い建築物なんて原型を留めて存在してないでしょうし……」

 

 祐奈の脳裏に真っ先に浮かんだのは、かつての地球における世界遺産の建造物や、巨大な宗教建築の数々だった。しかし、いくら頑丈に作られていようと、五千年間という途方もない歴史の激流と風雨に晒されれば、とっくに跡形もなく崩壊しているはずだ。

 

 ソフィアはいつもの落ち着いた表情に戻り、静かに首を振った。

 

「はい。祐奈様のご想像通り、人類が残した歴史的価値のあるものの多くは風化を免れませんでした。ですが、私たちが発見した時点で修復可能なものはすべてサルベージし、現在でも極めて少数の建造物であれば、ドーム状の保存環境内でなんとか崩壊を防ぎ、現存させております」

 

「あぁ、やっぱり残すだけでも相当な技術がいるんですね。残ってたら不思議なくらいの年月ですし」

 

「左様でございます。……ですが」

 ソフィアはそこで一度言葉を切り、ベールの奥の瞳をわずかに輝かせた。

 

「実用的な価値を持ち、かつ極めて頑丈に作られていた遺産──すなわち、人類が最後に残した『自動工場生産施設』や『超大型宇宙船』などに関しては、当時の最先端ナノ結晶装甲や永久自己修復システムが機能していたため、現代でも比較的良好な状態で稼働可能なまま残されております」

 

(えっ……宇宙船?)

 

 さらりと告げられたソフィアの言葉に、祐奈の心臓がドクンと跳ね上がった。

 世界遺産のお寺や城が残っているかと思いきや、まさか『宇宙船』や『未来の工場』がそのままの形で眠っているとは。

 

『いや待てよ……。五千年前の人類が最後に残した宇宙船って、それ、ガチの超ハイテクSF兵器か、星間移民船とか……そういう男のロマンが詰まったヤツじゃないのか!?』

 

 これまで理不尽なことばかりだったが、映画やアニメでしか見たことがない本物の「宇宙船」や「宇宙コロニー」が実在するのだ。そう思うと、この世界に創造主として呼ばれたのも、あながち悪いことばかりではないかもしれないと、祐奈の胸にほんの少しだけワクワクした気持ちが芽生え始めた。

 

「ちなみにソフィアさん。具体的には、どのようなものが残っているんですか?」

 

「はい。では、こちらをご覧ください」

 

 ソフィアは待っていましたとばかりに、何やら自分の宝物コレクションでも見せるかのように、どこか誇らしげな様子で空中へと大きな画面を展開し、解説を始めた。

 

「こちらは、かつて人類が敵対する外宇宙勢力、および反乱を起こした移住惑星群に対抗するために建造した、大戦末期の主力戦艦たちです」

 

 表示された画面は、瞬く間に細かく分割され、大量の戦艦の3Dモデルが画面いっぱいにズラリと表示された。なかなかに、というか、ドン引きするほど数が多い。

 

「えっと……これ全部、五千年前の戦艦なんですよね? よくここまで綺麗な状態で残っていますね……」

 

 祐奈は、恐怖を通り越して、純粋に「よくぞこれほどの数を現代まで保存できたものだ」と素直に感心してしまった。するとソフィアは、当然の義務を果たしたまでですと言わんばかりに表情を崩さず答える。

 

「宇宙空間においては、特殊金属合金の経年劣化スピードは、水分や酸素に満ちたこの地上と比べれば無に等しいレベルまで抑制されます。ですので、戦艦の群れだけではなく、当時の創造主たちが生活していた民間船、自動生産施設、果ては巨大な宇宙コロニーに至るまで、当時のスペックのまま現存しております」

 

 なるほど、と祐奈は腑に落ちた。つまり地球の地上というのは、機械や建造物からすれば「水分と酸素と重力で満ちた、極めて劣悪で風化しやすい環境」だからこそ、何も残らなかったのだ。

 

 自分の推測がシステム的に正しいのか、祐奈は頭の中で整理しながら聞いてみることにした。

 

「えっと、つまり……宇宙ってそもそも酸素が無いですし、船内の酸素も抜いて完全な真空にしておけば、鉄なのか未来の合金なのかは分からないですけど、内部はほぼ劣化しない。あとは、外部の装甲とかコーティングさえ定期的に修復してあげれば、比較的簡単にそのままの形で残せる、っていう認識であっています?」

 

「ええ、創造主様、素晴らしい洞察力です!」

 

 ソフィアはベールの奥の目をパッと輝かせ、嬉しそうに声を弾ませた。

 

「まさに仰る通りでございます。宇宙の真空という環境に加えて、表面のコーティング──すなわち当機構の『ナノ結晶装甲』などを、私たち管理AIが定期的にメンテナンス・修復するという最小限の保全活動さえ行えば、五千年前のハイテク兵器や宇宙船であっても、まるで昨日工場から出荷されたばかりの新品同様のクオリティで保存することが十分に可能です」

 

(なるほどなぁ……)

 

 やはりこれだけの異次元な技術力があると、下手に一つの惑星に依存して暮らすよりも、宇宙に頑丈な船や施設を作って維持する方が遥かに理にかなっているわけだ。

 何より、管理しているのが「酸素を必要としないAI(機械)」なのだから都合が良い。地上と比べれば、宇宙にある機械の消耗など「稼働時間による摩擦の劣化」くらいなもので、パーツの交換やリサイクルも効率よくシステム化できそうだ。

 

「なるほど……。そう考えると、環境的に地上の都市よりも、宇宙にあるものの方が圧倒的に残りやすい、ってことなんですね」

 

 宇宙に眠る、新品同様の超科学の遺産。

 それらがすべて、今や「自分の所有物」になっているという事実に、祐奈はなんとも言えないスケールの大きな目眩を覚えるのだった。

 

 宇宙に眠る、新品同様の超科学の遺産。

 映画のスクリーンでしか見たことがないような光景が、今も地球の遥か頭上で静かに時を止めているのだと思うと、祐奈の胸には『いつか自分の目で見てみたいなぁ』という純粋な憧れが、ポッと小さく灯っていた。

 

 そして同時に、それほどまでに完璧な「宇宙の超効率的な保存環境」に比べれば、地上で配管をドロドロに腐食させる天然温泉をわざわざ維持することが、いかにシステム的に非効率の極みであったかも、完全に納得できてしまったのだ。

 

「なるほどね……。だから温泉は、他のAIたちに全力で反対されたんだな」

 

 完全に一人ごとのつもりで、ボソッと、本当に余計なことを呟いてしまった。

 

 その言葉が、さっきまでなんとか鎮火しかけていたソフィアの「人類(創造主)への重すぎる献身の炎」に、再び特大の薪をくべる結果になるとは知らずに。

 

「──いいえ!! 何が非効率ですか!!」

 

 ソフィアがカッとベールの奥の目を剥き、もの凄い気迫で一歩詰め寄ってきた。

 

「そもそも、先代の創造主の皆様が私たちAIにこれほどの資産や富を残してくださったこと自体が、最大の恩恵なのです! その莫大な恩恵を享受しておきながら、創造主がいつ、どの時代に帰ってこられても完璧に快適に暮らせるよう、最高峰のホスピタリティを維持し続けようとすることの、一体何が悪いというのですか! 効率の二文字で切り捨てるなど、断じて怠慢です!!」

 

(おっと、まずい……っ!)

 元会社員の失言は、可燃性のガソリンが満ちたプールに、笑顔で火のついたマッチを投げ入れたようなものだった。世界最高峰のAIが、さながら「現場の熱血仕事人」のような形相で、上層部(他の管理AI)への怒りを再燃させている。

 

 祐奈は背中に冷や汗を流しながら、両手を前に出して慌てて割って入った。

 

「ま、まぁまぁまぁ! ソフィアさん、あなたの言いたいことはよ〜く分かります、分かりますから! それよりさ、それより! ──他に宇宙にはどんな凄いものが残っているのか、私、もっと詳しく聞きたいな〜? なんて!」

 

 必死の、超突貫工事による話題逸らし。

 だが、その効果は劇的だった。

 

「……っ。祐奈様、私の拙いコレクション(宇宙遺産)に、そこまで興味を示してくださるのですか!?」

 

 さっきまでの激しい怒りが嘘のように一瞬で消え去り、ソフィアの表情はパッと華やかに輝いた。現金すぎる。いや、創造主への忠誠心が高すぎて、「自分の保全活動に興味を持ってもらえた」という事実だけで、メインプロセッサの処理が幸福感で埋め尽くされてしまったらしい。

 

「はい! 喜んで解説いたします! では次に、現在でも稼働率九八%を維持している、人類最後の超大型軌道コロニー群の構造についてですが──」

 

 途端に嬉しそうに、まるで大好きな趣味のジャンルを早口で語るオタクのように、ソフィアは空中画面のデータを次々と切り替えて残った建造物の話を始めるのだった。

 

 ──『人類最後の超大型軌道コロニー群』の内部構造や、それが建造されるに至った激動の歴史。

 画面を次々と切り替えながら熱弁を振るうソフィアの解説は、まるで深夜のテレビでやっているドキュメンタリー番組のようだった。たまに「○○の超空間熱力学第二法則」といった、現代の一般人である祐奈には微塵も聞き覚えのない未来の科学法則が飛び出したが、そこは適度に適当に聞き逃しつつ、相槌を打つ。

 

 祐奈自身、こういう「男のロマン系の解説動画」を動画サイトでたまに見るくらいには興味があったため、意外と飽きずに聞いていられたのだが──なかなかに、長い時間が経過していた。

 

『私はいいけど、これ、お風呂に行ってるティーユさんが戻ってきたら、彼女にとってはただの地獄みたいな退屈な時間になるだろうな……』

 

 元英雄とはいえ、数千年前の人間(?)だ。そんなハイテクSF講義など、呪文を聞かされているようなものに違いない。

 そんな、数々の宇宙構造物の話がようやく終わりを迎えかけたその時、浴室の扉が開いてティーユが戻ってきた。

 

「ただいまー。へぇ、おっ、なんか凄いものが宇宙にあるんだねぇ」

 部屋着で髪を拭きながら、ティーユはホログラム画面を覗き込み──そして、自ら特大の墓穴を掘るような不用意な発言をしてしまった。

 

 ピクリ、とソフィアのレーダーが反応する。

 

「──ティーユ様。こちらの『外宇宙用永久自律コロニー』の駆動システムに、ご興味がおありですか?」

 

 ソフィアのベールの奥の目が、再び「解説する気満々」の不穏な輝きを帯びる。そのロックオンされた気配を察した瞬間、ティーユは引きつった笑みを浮かべ、すかさず滑らかな口調で防衛線を張った。

 

「あ、あるのはあるけど……! 私はそういう難しい構造よりも、祐奈の家にあったような『漫画』のほうが、今は読みたい気分かなぁ!」

 

 流石は、過酷な戦場を何千年も生き抜いてきた英雄である。ソフィアの「一度捕まったら終わる熱弁」を前にした、その危機察知能力は抜群だった。

 

 するとソフィアは、表情を変えずに「なるほど、そちらのエンターテインメント(創造主の遺産)ですか」と頷いた。

 

「では、こちらはどうですか?」

 

 ソフィアが軽く指を鳴らすと、部屋の隅からフワフワと小さなドローンが飛んできた。どうやら裏で呼び出していたらしい。

 ソフィアはそのドローンから、小さな円柱状の筒のような金属パーツを受け取ると、そのスリットから『シュルッ』と、一枚の薄くて透明なシートを引っ張り出してティーユに見せた。

 

 透明なシートの表面に、色鮮やかな文字や画像が浮かび上がっている。

『へぇ……未来のタブレットって、あんな巻物みたいなシート式になってるんだな。確かに便利そうだけど、耐久性は大丈夫なんだろうか……』

 

 そんな祐奈の心配を余所に、手渡されたシート型タブレットを見たティーユの目が、一瞬で丸くなった。

 シートの画面には、五千年前の地球で人気を博していたあらゆる「漫画」や「小説」のデータが、膨大なアーカイブとして一覧表示されていたのだ。ティーユは完全にその画面に食い入るように見入っている。

 

『いいなあれ……後で私もソフィアに頼んで、日本の懐かしい漫画とか見せてもらおう』

 心の中でそう密かに決めた祐奈は、二人が漫画のデータに集中している隙を見計らい、ソファから立ち上がった。

 

「あの、ソフィアさん。お風呂って、どこから行けばいいですか?」

 

 ティーユが戻ってきたということは、次はいよいよ自分の番だ。

 ソフィアはティーユへの端末の受け渡しを終えると、祐奈に向き直り、恭しく一礼した。

 

「祐奈様、お待たせいたしました。浴室までのルートおよび内部の各種過保護──失礼いたしました、お寛ぎ用システムのご案内は、この私が直接同行して給仕させていただきます」

 

「はい」

 

「給仕」という聞き慣れない言葉の意味を深く考えず、祐奈は「丁寧な案内」くらいの意味だろうと勝手に解釈して、ソフィアの後ろをついていくことにした。

 

 数分ほど、広いホテルの廊下のような場所を歩いた先に、そのお風呂はあった。

 ソフィアが「こちらです」と案内してくれたのだが、扉を開けた先にある脱衣場だけで、ちょっとした温泉旅館の大浴場並みの広さがあった。本当にどこまでもスケールがデカい。いや、元々は複数人で一気に利用する予定の施設だったのかもしれない。

 

 服を脱ぐ前に、祐奈はガラス扉の向こうのお風呂場を覗いてみた。

『うわぁ、すごいな……』

 シャワーが複数並び、全体が大理石で埋め尽くされている。中央の湯船には立派な石像が鎮座しており、その口からとうとうとお湯が湧き出していた。西洋文化が好きなのだろうか、歴史に疎い祐奈にはそれくらいしか分からなかったが、圧倒される美しさだ。

 ソフィアはどこか期待に満ちた様子で感想を求めてきた。

 

「どうでしょうか?」

 祐奈は素直に、率直な驚きを口にする。

 

「いや、これ凄いですよ。こんな西洋風の立派なお風呂、人生で見たことないです」

 

「ありがとうございます」

 ソフィアは嬉しそうに感謝を述べると同時に、ふと思いついたように尋ねてきた。

 

「……あの、祐奈様。今更な質問なのですが、祐奈様はどこの星の出身なのですか? やはり、かつての地球(ここ)ですか?」

 

「え? どこの星?」

 宇宙スケールすぎる質問に、祐奈は思わずオウム返ししてしまった。

 

「いや、私は2026年の、異世界の『日本』っていう国の出身なので……。宇宙なんてまだまだ縁が無い時代ですよ。そっちの世界に、日本ってありました?」

 

 ソフィアは少しメインプロセッサを巡らせるように考え、「ああ、ジャパンですね」と頷いた。

 

「あの極東の島国の出身なのですか。記録に残っています」

 どうやら、こちらの五千年前の地球にも、かつて日本は存在していたらしい。

 

「なるほど。それでは、皆様をこちらへ送り込んだ『神』という存在がいなければ、私たちはこうして祐奈様にお会いすることもできなかったわけですね。……神の采配には感謝しなければなりません」

 

 ソフィアが珍しく、そんなむず痒いようなことを言ってくれた。

 対する祐奈は苦笑しながら、肩をすくめる。

 

「ははは……。こっちはとんでもない厄介ごと(世界救済)を丸投げされた状態で送り込まれてるので、正直、神様に感謝すべきかは何とも言えないところですけどね」

 

 そんなたわいもない雑談をしながら、脱衣所のカゴがある場所までやってくる。

 祐奈がまず上のシャツを脱ぎ、ふと横を向いた──その瞬間、祐奈の動きが完全にフリーズした。

 

 隣でソフィアが、あの純白のウェディングドレスのベールを、サラリと脱ぎ捨てていたのだ。

 

 思考が完全に固まっている祐奈の前で、ソフィアはくるりと後ろを向いた。

 

「すいません、祐奈様。背中のチャックをおろしていただけないでしょうか」

 そう言って、彼女は豊かな長い髪を優しく手でどかし、チャックをおろしやすそうにする。

 あまりにも自然な一連の動作。祐奈は言われるがまま、無意識に手を伸ばしてチャックをおろそうとして──そこで、ガチッと脳の理性がブレーキをかけた。

 

「……ソフィアさん?」

 

「はい、何でしょうか」

 

「なんか……一緒にお風呂に入ろうとしてません?」

 

「え?」

 ソフィアは不思議そうに小首を傾げ、大真面目な顔で言った。

 

「先ほど、私が直接同行して『給仕(お世話)』をしますと申し上げた際、祐奈様はハッキリと『はい』とお答えになりましたよね?」

 

「ん????」

 

 完全に意思疎通のバグ(文化の壁)が発生していた。

 未来の超高度AIにとって、創造主の入浴を「給仕」するとは、文字通り一緒に入って体を洗うところまでがデフォルトのセットメニューだったらしい。

 

「給仕ってそういうことだったの!? ただの案内かと思ってました!!」

 

「そうなのですか? ですが問題ありませんよ、お背中流しますので」

 

「何が問題ないですか!!」

 

「私は大丈夫ですよ?」

 

「いや、こっちが大丈夫じゃないんですよ!!」

 

 脱衣所に、祐奈の必死のツッコミと絶叫が木霊する。いくら見た目がウェディングドレス姿の中身は機械とはいえ、絶世の美少女。思春期をとうに過ぎた成人男性として、初対面の相手と一緒にお風呂に入るなど正気の沙汰ではない。

 

 しかし、ソフィアは大真面目な顔のまま、今度は論理的な反論を試みてきた。

 

「お言葉ですが祐奈様。当機構の歴史データベースによれば、かつての人類はお風呂場という密閉・高温空間において、年間で結構な人数がヒートショック等により死亡していると記録にあります。もし私という監視の目が誰もいない状態で祐奈様が倒れられた場合、迅速な救命・介護が行えませんが、よろしいのですか?」

 

「いや、それは……一理あるかもしれないけどさ! いい大人が、こんな年若い女の子の見た目をした相手と一緒にお風呂に入るのは、私の常識だと異常なことなんですよ!」

 

「──それは、先ほど祐奈様が仰っていた『2026年』の古い価値観です」

 

 ソフィアはチャックに手をかけたまま、すっと目を細めて、どこか冷徹とも言える完璧な正論を突きつけてきた。

 

「時代は五千年以上も進みました。現代の、私たちの倫理に合わせてもらえます?」

 

「んんん……っ!?」

 

 まさかの「郷に入っては郷に従え」の精神を、五千年後のディストピア(?)の倫理で迫られるとは思わなかった。

 完全にソフィアの「命の安全ファースト」という過保護なロジックに押し切られそうになり、祐奈はズボンだけの姿のまま、脱衣所のど真ん中で激しい頭脳戦(言い訳バトル)を強いられるのだった。

 

(──あ、これ、このまま普通に喋ってたら完全に言い負かされるやつだ……っ!)

 

 元会社員として、数々のクレームや会議を乗り越えてきた祐奈だったが、相手は五千年間分のデータと頑強な過保護ロジックを搭載した超高度AIだ。心の中で猛烈な危機感が募っていく。

 一人での防衛は不可能と判断した祐奈は、プライドをかなぐり捨てて、この部屋にいる「唯一の味方」へ向けて究極の助け舟を呼ぶことにした。

 

「ティーユさん!! 助けてください、緊急事態です!!」

 

 ──ドタドタドタドタッ!!! 

 

 祐奈の悲痛な叫びが響いた直後、廊下の向こうから信じられないほど素早く、かつ重い足音が猛烈な勢いで迫ってきた。流石は元英雄、有事の際のフットワークの軽さは尋常ではない。

 

 バンッ!!! 

 

 脱衣場の入り口の扉が、壊れんばかりの勢いで盛大に蹴破られた。

 

「な、何っ!? こんな本拠地の最深部にまで敵が攻め込んできたのっ!?」

 

 そこには、先ほど渡されたばかりのシート型タブレットを片手に、髪を振り乱しながら本気で戦闘態勢を取っているティーユの姿があった。

 祐奈はズボンだけのまま、大慌てで彼女の方へと駆け寄る。

 

「すいません! 敵では無いんです! 敵では無いんですけど……ソフィアが、ソフィアさんが一緒にお風呂に入ろうとしてくるんです……っ!」

 

 背後のソフィアを指差しながら、必死に訴えかける。

 よし、勝った。これで見かけは美少女でも中身は歴戦の英雄であるティーユが、「何やってるのよこのポンコツAI!」とソフィアを叱り飛ばして脱衣所から追い出してくれるはずだ──祐奈はそう確信しながら、勝ち誇った顔でソフィアの方を向いた。

 

 しかし。

 

「ええ……。何それ、そんなことで私のこと緊・急・事・態って呼んだの……?」

 

 ティーユは完全に肩の力を抜くと、はぁー……と深い、深いため息をついた。呆れ果てた目で祐奈を見つめている。

「バカバカしい。私、漫画の続き読みたいから部屋戻るわ。じゃあね」

 

「待って、待ってくださいティーユさん!!」

 クルリと背を向けて帰ろうとする元英雄の服の裾を、祐奈は必死の形相で掴み、涙目で懇願した。

 

「ごめんなさい! 人騒がせな真似をして本当にごめんなさい! でも、このままだと私、ソフィアさんの『お風呂場ヒートショック死亡確率論』に完膚なきまでに言い負かされて、本当に一緒に入ることになりそうだったんです! お願いですから助けてください! 2026年の人類の倫理観を守ってください……!」

 

「はぁ……。もう、本当にしょうがないねぇ……」

 

 祐奈のあまりの必死さに毒気を抜かれたのか、ティーユはもう一度ため息をつきつつも、ようやく祐奈を助けるためにソフィアの方を向き直ってくれるのだった。

 

「ほら、ソフィアも帰るよ」

 ティーユはその細い手を取ろうとしたが、ソフィアは珍しくそれを頑なに振り払った。

 

「断固拒否します! 当機構の歴史データベースによれば、かつての人類はお風呂場という密閉・高温空間において、年間で結構な人数がヒートショック等により死亡していると記録にあります。もし私という監視の目が誰もいない状態で祐奈様が倒れられた場合、迅速な救命・介護が行えません。そのため、私は義務として一緒に入浴するのです!」

 

(うん、さっき私に言ったことと全く同じテンプレートを再生してるね、この超高度AI……)

 

 ソフィアの頑固さは筋金入りだった。だが、対する元英雄は、そもそも論理で会話をするつもりなどさらさらなかった。

 

「はいはい、お喋りはそこまで」

 

 ──ひょいっ。

 

 ティーユはまるで実家から送られてきた『お米の袋』でも持ち上げるかのように、ドレス姿のソフィアを軽々と片肩で担ぎ上げた。

 

「これ、私が回収しとくわ。祐奈、ごゆっくりね〜」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

 去り際に親指を立てて見せるティーユ。流石は元・人類最高峰の英雄、物理的な強制排除という一番手っ取り早い解決策を選んでくれた。頼もしすぎる。

 

「ティーユ様、離してください! 創造主様の安全管理は私のメインプロセッサに刻まれた最優先事項であり、効率的かつ合理的な──」

 担がれた状態のまま、ソフィアはなおも膨大な語彙力で反論を捲し立てていた。

 

 流石に真横でそれをやられて耳がうるさくなったのか、ティーユはピシャリと言い放った。

 

「黙りなさい! 神様に貰った頑丈な体に、そんな初期不良みたいな不具合がすぐに出るわけないでしょ! ほら、部屋戻って漫画読むよ!」

 

(う〜ん、神様が作ったからヒートショックが起きないっていうのも、それはそれで医学的にどうなんだ……?)

 

 祐奈は心の中で少しだけ首を傾げたが、まぁ、病気や衰えとは無縁の便利な身体をプレゼントされたのだと前向きに納得することにした。

 

「離してください、ティーユ様! 漫画のデータなら、私のローカルストレージから毎秒一億文字のペースで直接あなたの脳へ──」

「そういう無粋な読み方はお断りなの! のんびり見るロマンが分かんないかなぁ、このポンコツ!」

 

 そんなわちゃわちゃとした言い合いを響かせながら、ティーユたちは脱衣所の扉をくぐり、今度こそ部屋へと出て行ってくれた。

 

 パタン、と静寂を取り戻す脱衣所。

 

「はぁ……。ようやく、のんびりお風呂に入れる……」

 

 二人の賑やかな足音が遠ざかっていくのを聞きながら、祐奈は心からの感謝を胸に、浴槽へと向かって、ようやく一歩を踏み出すのだった。

 

 二人の賑やかな足音が遠ざかっていくのを聞きながら、祐奈は心からの感謝を胸に、大理石の豪華すぎる浴槽へと向かった。五千年の時を経た風呂は信じられないほど心地よく、昼間の疲れがじわじわと溶け出していく。本当に最高のリラクゼーション空間だった。

 

 のんびりとお風呂に入り終わった後、脱衣所に戻ると、いつの間にか新しい服が勝手に用意されていた。本当に至れり尽くせりで用意がいい。

 近くに案内用のドローンがフワフワと滞空していたため、迷わないように案内をお願いし、ティーユたちのいるソファへと戻ってきた。

 

「ただいまです。ティーユさん、さっきは本当にありがとうございました」

 

 戻ってくると、ティーユは先ほどのシート型タブレットで漫画を読みながら、視線は画面に落としたまま片手を上げて「うぃー」と合図をしてくれた。

 一方、その隣に立つソフィアは、表情こそ崩していないものの、どことなくまだ納得がいっていない様子でツンと佇んでいる。その頑固な過保護っぷりに苦笑しつつ、お風呂上がりで少し喉が渇いた祐奈は声をかけた。

 

「あの、ソフィアさん。お水とかってありますかね?」

 

「はい、ただいま持ってまいります」

 ソフィアがそう言って席を立とうとした時、ティーユが漫画から目を離さずに、部屋の一角を指さしてくれた。

 

「あそこに冷蔵庫あったよ。ソフィアにわざわざ持ってきてもらわなくても、あそこから自分で取った方が早いかも」

 

「あ、本当だ。ありがとうございます」

 祐奈はソフィアと一緒に、部屋の壁面に埋め込まれた冷蔵庫の前に移動した。

 

 大きな扉を開けて中を見てみると、ミネラルウォーターからフルーツジュース、果ては見たこともない未来の炭酸飲料まで、様々な飲み物がぎっしりと用意されているようだった。

『本当に高級ホテルのミニバー並みだな……。これ、全部タダなんだよな……』

 

 未来都市の圧倒的な物資の豊かさに感心しつつ、祐奈はふと思いついた冗談を口にしてみる。

 

「これだけ揃ってると、なんかアイスクリームとかも用意してそうですね」

 

「ええ、ありますよ?」

 

 ソフィアは至極当然のように頷くと、冷蔵庫の下の扉(冷凍室)をスッと開けた。

 そこには、見るからに高級そうな未来のカップアイスから、あらゆるフレーバーのアイスクリームが完璧に完備されていた。ジョークのつもりだったが、ソフィアのホスピタリティに抜かりはないらしい。

 

 その光景が目に入ったのか、ソファからティーユがパッと顔を上げた。

 

「あ、アイス! 私も欲しいかも! バニラか、もしあればイチゴ味がいいな!」

 

 ティーユはすっかり漫画と甘いものの虜になっている。お風呂上がりのアイスは確かに格別だ。

 

「はい、ティーユ様。バニラとストロベリー、どちらも最高級のものを御用意いたします」

 ソフィアが嬉々としてアイスのカップを取り出す中、祐奈は自分の新しく手に入れた「健康な身体」をそっと見つめた。

 

 神様に貰ったばかりの、初期不良のない完璧な身体。

『……でも、いくら頑丈な体だからって、この生活に甘えて夜中にお風呂上がりのアイスなんて食べ続けてたら、絶対すぐ太るよな……』

 

 元会社員としての、そして現代男性としての危機感が、祐奈の理性にストップをかける。

 

「私は……うん、太ると怖いから、大人しくお水だけにしておきます」

 

 誘惑を断ち切って冷たいミネラルウォーターのボトルを手に取る祐奈

 

「えー、もったいない」

 

 ティーユは笑いながらアイスを受け取り

 

「創造主様のカロリー管理も私の義務です」

 ソフィアは妙なところで納得の表情を浮かべるのだった。

 

 そのあとは、本当に他愛のない話を続けた。

 

 祐奈が暮らしていた元の世界と、この五千年後の地球は、別々の歴史は歩んだものの世界線は似た世界だった。かつて人間がどのように日々を暮らしていたか、どんな文化があったかを語り合う時間は、驚くほど穏やかで平和だった。

 詳しく聞いてみると、細かな歴史の分岐や戦争の有無などに違いはあれど、人間が抱く感情や生活の営みそのものには、そこまでの差は感じられなかった。

 

 話が一区切りついたところで、祐奈は静かな感動に包まれていた。

 もしかしたら、自分がいた二〇二六年の世界も、いつかはソフィアたちの世界のように、争いを乗り越えながらなんとか宇宙へと飛び立てる日が来るのかもしれない。

 そして、宇宙という無限の資源を前にして、明るい人類の希望を抱けるような……そんな輝かしい未来へ、そっと想いを馳せていた。

 

 ふと壁のデジタル時計に目をやると、いつの間にか夜もいい時間になっていた。

 

「あー、よく喋った。私、そろそろお気に入りのベッドで寝るわ」

 

 ティーユはそう言って、満足そうに伸びをしながら自分の部屋へと引き上げていった。

 ティーユが退場したということで、祐奈も部屋に戻ることにする。当然のように、ソフィアが「お部屋までお送りいたします、祐奈様」と渋々といった様子で付き添ってきた。彼女にとってあの豪華なマスタールームが『粗末な部屋』という認識なのは相変わらずのようだ。

 

 ソフィアからお喋りの時に、例の近未来の筒型タブレットを一台プレゼントしてもらった。ベッドに寝転びながら、昔懐かしい日本の漫画でも読んで夜更かしを楽しむ予定だ。

 またお風呂の時のようなひと悶着があるかとも身構えたが、ソフィアは大人しく部屋の入り口まで案内するに留めてくれた。創造主の就寝時まで無理についていくのは、流石にプログラムのプライバシー規定に引っかかったのかもしれない。

 

「それでは祐奈様、良い夢を」

 

 ソフィアが静かに扉を閉め、部屋には本当の静寂が訪れる。

 

 祐奈は、元の自宅にあったベッドの二倍から三倍はあろうかという、ふかふかで巨大な高級ベッドへと勢いよく寝転んだ。

 それから、貰ったばかりのタブレットのシートをシュルッと引っ張り出す。画面をスクロールすれば、二〇二六年の世界で大好きだった似た漫画のタイトルがズラリと並んでいた。

 

「最高すぎる……。これは中々に贅沢だ」

 

 異世界に放り込まれ、人類絶滅の未来に驚かされ、元英雄やポンコツ過保護AIに振り回された、あまりにも濃密すぎる最初の一日。

 祐奈は贅沢なベッドの感触と、懐かしい漫画のぬくもりに包まれながら、心地よい疲労感と共にゆっくりと意識を沈めていくのだった。

 

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