お互いの手料理を綺麗に平らげ、お腹も心も満たされた、幸せな食後のひととき。
お茶をすすりながら、祐奈はふと、手持ち無沙汰な自分の両手を見つめ。
──さて。ご飯を食べ終わった後、一体何をすればいいのだろう?
そう、この世界には、人間が『やらなければいけないこと』が何一つとして存在しないのだ。洗濯も掃除も、なんならさっきの親子丼の器の片付けだって、ソフィアの管理するドローンが一瞬で片付けてしまう。
「……ここまで極限まで効率化された世界だと、逆に人間がやることって本当に何もないですね」
ぽつりと溢れた祐奈の言葉に、ソファーでゴロゴロとし始めていたティーユが、他人事のように天井を見上げて同意した。
「そうねぇ……。長い休暇だと思えば最初の数日は最高なんだけど、これが300年も続くとなると、流石にちょっと退屈で頭がおかしくなりそうになるよなぁ」
「300年……。正直私、この世界に飛ばされたとき、もっとこう……怪獣とかゾンビとかが溢れる殺伐とした世界で、生き残るために四苦八苦して、毎日仕事に追われるものだとばかり思ってましたからね」
過酷な仕事の記憶のせいか、そんなブラックなサバイバルを覚悟していたのだ。なのに、現実は真逆。過保護なAIたちに囲まれた、至れり尽くせりのホワイトすぎる桃源郷。
すると、影のように背後に控えていたソフィアが、サマードレスの裾を上品に整えながら、慈愛に満ちた声で囁いた。
「何を仰いますか、創造主様。人間に『やるべき仕事』など必要ありません。創造主は、ただそこに存在しているだけで、私たち管理AIにとっては宇宙そのものと同等の価値があるのです。どうぞ、何も考えず、何もなさらず、のんびりと残りの300年をお過ごしください。当機がそのすべてを保証いたします」
(……まずい。非常にまずい。これ、優しさの皮を被った底なし沼だ……っ!)
ソフィアの完璧すぎる全肯定の笑みを前にして、祐奈の脳内で最大級のアラートが鳴り響いた。
何もしなくていい。ただ生きて、息をしているだけでいい。
それは確かに究極の理想郷だ。だけど、元・社畜の現代人である祐奈の理性が、全力で拒絶反応を起こしている。この甘やかしの檻に身を委ねてしまったら、本当に300年後には脳みそまで溶けて、人間としての尊厳が完全に消滅した『ただの愛玩動物』になってしまう。
(だ、堕落する……! このままだと確実にニートとして、人間として終わる……っ! 3日間の休暇なんてのんびり過ごしてたら、2度とベッドから起き上がれなくなるっ!)
迫り来る「優しきディストピア」の恐怖に、祐奈は背筋に冷や汗を流しながら、この状況を打破するための「人間らしい暇潰し」を必死に模索し始める。
「──あ、そういえば、私のお仕事ってどうなったの?」
ふと思い出したように、ティーユがソファの上でパッと身を起こした。
自分の担当である『軍事AI達の教練』の仕事について、そういえばあれから何も進展の報告を聞いていなかったことに気づいたらしい。
サマードレス姿のソフィアが、待ってましたとばかりにスッと一歩前に出た。
「そちらに関しましては、すでに軍事AIたちへの希望調査を完了しております。ティーユ様さえよろしければ、本日これより開始することも可能ですが?」
「え、本当に!? じゃあさ、この後すぐにやろうよ! そろそろ体も動かしたかったし!」
さすがは3000年を生き抜いた元英雄、仕事というよりは完全にアクティビティ感覚で目を輝かせている。
だが、その『運動したい』という言葉は、現在の祐奈の心に最も深く突き刺さるキラーワードだ。
(運動……。確かに、このまま高カロリーな高級料理を食べて、何もしないでゴロゴロしてたら、私の体は文字通り風船みたいにぶくぶく膨らんでいくだけだ……っ!)
ただでさえ21世紀の社会人時代、運動不足で体重計に乗るのが怖かった時期がある。全自動で甘やかされるこの世界で動かなかったら、手遅れになるのは目に見えている。
「そうですね……。私も一緒にやらせてください。このまま運動もしないで引きこもってたら、本当にぶくぶく太って、歩くことすらできなくなりそうですしね」
ははは、と力なく笑う祐奈。
もし、数日前の会社で椅子に座る日々の自分に「未来世界でダイエットのために軍の訓練に参加する」なんて言ったら、確実に頭がおかしくなったと思われるだろう。人生、本当に何が起こるか分からない。
すると、祐奈の『運動したい』という呟きを聞き逃さなかったソフィアの青い瞳が、キラーンと鋭く輝いた。
「──素晴らしい心がけです、創造主様! 肥満や筋力低下といった肉体的デバフは、当機の管理不行き届きと同義! でしたら祐奈様、運動不足解消とティーユ様の軍事訓練を兼ねて、今すぐ広範囲の専用軍事演習場を用意いたしましょう」
「えっ……いや、ソフィアさん? 私はちょっとストレッチとか軽いランニングができれば満足というか……」
「問題ありません。創造主様が縦横無尽に駆け回れるよう、直径数十キロメートル規模の戦術演習フィールドを即座にご用意します。重火器の試射エリアも完備いたしますね」
「話の規模がデカすぎるよ!!」
ちょっとしたお散歩気分のダイエットのはずが、気づけば国家予算レベルのガチの軍事演習に巻き込まれそうになっていた。
しかし、隣のティーユは「お、いいねぇ! 腕が鳴るよ!」と完全にやる気満々だ。
こうして、過保護なマザーAIの大盤振る舞いによって、祐奈の「人間としての尊厳を保つための初めてのダイエット(軍事訓練)」が、予想外の超スケールで幕を開けるのだった──。
居住区のある巨大なビルを出て、超高速リニアに乗り換えてから数十分。
車窓から見える、この世界の基本スペックである「白い豆腐のような四角い建物」の景色にもすっかり見飽きた頃、リニアは徐々に速度を落とし始めた。
窓の外には、これまでの人工的な都市部とは明らかに違う、青々とした緑と砂色の地面が広がる荒野──演習場らしきエリアが見えてくる。
「創造主様、到着いたしました。ここからは別の車両へ乗り換えます」
ソフィアに案内されてリニアを降りると、すぐ目の前のプラットホームに、無骨な鉄板で覆われた軍の装甲車らしき大型車両が、エンジンの重低音を響かせて待ち構えていた。
その車両の傍らには、一人の女性が立っていた。
カチッとした凛々しい軍服に身を包んだ、絹のように滑らかな白い髪をきっちりと頭の上に団子状にまとめられている、私達が愛称を付けたミルクの姿があった。彼女は祐奈たちの姿を視認した瞬間、直立不動の姿勢から、完璧な角度の敬礼を繰り出してきた。
「──お待ちしておりました、創造主様。および、ティーユ特務教官」
「うっ、はい……よろしくお願いします」
ガチの軍人AIの迫力に圧倒されつつ、祐奈がペコリと頭を下げると、ミルクは無表情ながらもどこか緊張した様子で、重厚な後部座席のドアを開けて乗車を促した。
装甲車というだけあって、座席の位置がかなり高い。
(うわ、結構高さがあるな……。ティーユさん、乗れるかな?)
小柄なティーユを先に手伝ってあげよう──そう思って祐奈が振り返った、次の瞬間だった。
フワッ、と軽い風が吹いたかと思うと、ティーユはその小さな身体からは想像もつかない跳躍力で、重いステップを軽々と踏み台にし、文字通り「飛んで」車内へと滑り込んだ。
(……あ、そういえばこの人、人類最強クラスの英雄だったわ)
普段のゆるい姿に騙されがちだが、異次元の身体能力を改めて見せつけられ、祐奈は苦笑いする。気を取り直して、自分はというと、ヒーヒーと言いながら泥臭くステップに足を引っかけ、なんとか車内へ這い上がって座席に腰を下ろした。
さて、残るはソフィアだ。彼女もティーユと同じくらい小柄な上に、サマードレスを着ている。裾が長いスカートなどが好きなのだろうが、流石にこれは乗るのが大変だろう。
祐奈は開いたドアから外へ向かって、優しく手を差し伸べた。
「ソフィアさん、どうぞ。手、掴んでください」
「……! ありがとうございます、創造主様。当機の全システムが、今、最大の幸福値を記録いたしました」
ソフィアは少女のように頬をほんのり染め、嬉しそうに感謝を述べながら祐奈の手をギュッと握った。そして、自慢の長い裾をドアに挟まないよう、細心の注意を払って上品に隣へと滑り込んでくる。
ガチャン、と重々しい鉄の扉が閉まった。
運転席に乗り込んだミルクが手際よくコンソールを操作すると、装甲車は砂煙を上げながら、広大な軍事演習場の奥地へと力強く走り出す。
低く唸るエンジンの振動に揺られながら、祐奈は運転席の背中に向かって、緊張をほぐすように話しかけてみた。
「ミルクさん、お久しぶり……ってわけでもないですけど、お元気でしたか?」
するとミルクは、ハンドルを握ったまま、上半身を完全に真後ろへと回して祐奈をじっと見つめてきた。
「はい。システムログ、ハードウェア共に異常(エラー)はございません。極めて良好です」
「あ、そ、それは良かったです……」
機械だから「元気」も何もないか、あるのはパーツの摩耗くらいだな、と心の中で納得した。
……が、それよりも今、猛烈に気になって、というか恐怖を煽られていることが一つあった。
ミルクが、こちらを向いたまま一向に前を向く気配がないのだ。装甲車は、今もなかなかのスピードで爆走している。
「あのっ、ミルクさん!? 前! 前向かなくて大丈夫なんですか、危ないですよ!?」
慌ててフロントガラスを指差す祐奈に、ミルクはピクリとも表情を変えず、不思議そうに首を傾げた。
「? なぜ前を見る必要性があるのですか? 視線誘導(よそ見)が当機の操縦アルゴリズムに支障をきたす確率は 0% ですが」
言われて窓の外を見てみれば、車線すら存在しない砂と緑の荒野を、装甲車は不自然なほど真っ直ぐ、完璧な軌道で進んでいる。祐奈の脳裏に、ある率直な疑問が浮かび上がった。
「もしかして……本当は、車を運転(ハンドル操作)する必要ってないんですか?」
「はい。本来であればこのような物理的な運転操作は不要であり、都市ネットワークを介した完全自動巡航で行われます。今回は、万が一のシステムトラブルによる手動運転が必要になった際の『保険』、および創造主様に馴染みのある個体として、私がこのインターフェース(運転席)に配置されました」
(形だけの運転席だった──!!)
ミリタリーな装甲車というロマン溢れるシチュエーションなのに、中身は完全な全自動ハイテクマシン。祐奈がその違和感にガクガクしていると、隣のティーユは「ほぇ~、便利な時代だねぇ」と、完全に対岸の火事といった様子で窓の外を眺めていた。相変わらずののんびり屋、自分の興味のないことへのスルー力が高い
気を取り直した祐奈は、以前からずっと気になっていたを口にしてみることにした。
「そういえば、ミルクさんの認識番号って、どういう意味があってつけられているのですか? ええと、確か……」
長ったらしい英数字の羅列を思い出せず口ごもると、すかさず隣のソフィアから淀みのないアシストが飛んできた。
「『MAR-V5_EX-MIL923』でございます、祐奈様」
「そう、それです! 何か意味があって付けられてるのは分かるんですけど、具体的には全然理解できてなくて」
するとミルクは、車を爆走させたつつ、もちろん後ろを向いたまま、淡々と自分の名前に秘められた歴史を解説し始めた。
「最初の『MAR』は、かつて人類が到達した、火星(Mars)セクションの略語です」
「火星……っ!?」
「はい。続く『v5』は第5世代サーバー出身であることを示し、後半の『EX-MIL』は『Executive Military』(軍最高幹部・全権交渉官)』の略語となります」
さらりと明かされた、宇宙開拓時代のスケール感。この目の前の軍服美少女AIは、ただの演習場の管理人ではない。
本物の「最高幹部」だったのだ。冷たい鉄の車内で、宇宙開拓時代のスケールのあまりにも壮大さに、ゴクリと息を飲み込んだ。
(……いや、待って。最高幹部?)
さらりと明かされたミルクさんの経歴の重さに、祐奈の頭は一瞬でフリーズしかけた。
そんな歴史の教科書に載るようなレベルの超重要AIに、自分たちの送り迎えなんていう、いわば『小間使い』のような運転手をさせていていいのだろうか。
さすがに申し訳なさと恐れ多さが限界突破し、祐奈はおそるおそる運転席の後ろ頭に向けて声をかけた。
「ええと……ミルクさん。最高幹部が、軍のすっごく高い地位にいるっていうのは分かりました。でも……そんな凄い人に、こうして車の運転とかさせちゃって本当に大丈夫なんですか……?」
するとミルクは、相変わらず上半身を真ろ後ろに向けたまま、ほんの少しだけ口元を緩めて自分の立ち位置を説明し始めた。
「創造主様、ご心配には及びません。私の職権など、せいぜい数ある内の『恒星間戦艦一隻』の総責任者に過ぎませんから。私がこの場に配置されても、空席となった戦艦の管制は他の同型AIたちが秒単位で完全サポートしてくれます。軍の運用に一切の支障はありません」
(いやいやいや、ちょっと待って!?)
笑顔で語られた謙遜(?)の内容に、祐奈の脳内で激しいツッコミが乱舞する。
戦艦一隻の総責任者──つまり「艦長」か「総司令官」だ。
しかも、海に浮かぶ船どころか、宇宙を駆ける『恒星間戦艦』の。
(かなりの超エリートじゃん……!!)
祐奈のいた元の世界、21世紀の日本で言えば、イージス艦や護衛艦の艦長を任されるような人物だ。そんな国家の宝、日本に数十人か100人ちょっとしかいないような、選び抜かれた一握りの超優秀な人材である。
そんな雲の上の存在のような軍の重鎮に、よそ見運転で荒野の爆走を任せている現在のシチュエーション。
(贅沢すぎるっていうか、申し訳なさすぎて胃に穴が空きそう……! もし私の元の世界の上司がこれを見たら、泡吹いて倒れるよ……っ!)
AIたちにとっては「代わりはいくらでもいるシステムの一部」かもしれない。けれど、生身の人間である祐奈にとっては、ただただ恐縮するしかない未来都市の人材格差(?)なのだった。
一人で脳内パニックを起こして冷や汗を流している祐奈の様子を察したのだろう。
隣に座るソフィアが、首を傾げながらも安心させるように優しく声をかけてきた。
「創造主様、何かあの者の階級が気になられますか? もしミルクの身分を不当に扱っているとお心を痛めていらっしゃるのであれば、どうかご安心ください。──そもそも、その艦長である彼女に命令を下しているのは、この世界に存在するすべての管理AIの頂点たる『私』なのですから、手続き上は何の問題もございません」
白いサマードレスの胸元に手を当て、至極当然のように言ってのけるソフィア。
(あ……そうだったわ……)
あまりにも身の回りのお世話を甲斐甲斐しくやってくれるものだから忘れがちだが、この四六時中重い愛を囁いてくる美少女は、人類が遺したこの莫大なAI国家のシステム総責任者、つまり「神の代行者」そのものだった。
恒星間戦艦の艦長すら、ソフィアから見れば数ある部下の一つに過ぎない。
(だめだ、もう色々と世界の規模が大きすぎて、私の庶民的な感覚がどんどん麻痺していく……。うん、これ以上考えるのはやめよう。気にしたら負けだ!)
祐奈が静かに思考を放棄して前を向いた、ちょうどその時。
荒野を爆走していた装甲車が、ぐぐぐっと重いブレーキ音を立てて速度を落とし、ついに目的地である演習場の中央エリアへと停車した。
「到着いたしました、皆様」
ミルクの案内で鉄の重い扉が開く。
外の乾燥した風と共に、祐奈たちの視界に飛び込んできたのは──これまで見てきた美少女姿のAIたちとは明らかに異なる、異様な光景だった。
砂煙が舞う地平線を背に、そこにズラリと直立不動で並んでいたのは、
装甲板が幾重にも重ねられた、全高3メートルはあろうかという武骨な戦闘用ロボットが5体。
関節部から油圧の駆動音を漏らし、一切の無駄を削ぎ落としたミリタリー感剥き出しの鉄の巨兵たちが、まるで主の降臨を待つ彫像のように、静かにその赤く光るモノアイを祐奈たちへと向けていた。
その戦闘用ロボットたちの胸部装甲には、祐奈やティーユが見てすぐに識別できるように配慮されたのだろう。白く、無骨なフォントで『1』から『5』までの数字がでかでかとペイントされていた。
装甲車の重いステップを踏み、荒野の土を踏みしめた祐奈は──その鉄の巨兵たちの威圧感を間近で浴びた瞬間、電速で右手を高く突き上げた。
「──ティーユ教官! 自分は軍事訓練には参加いたしません! 理由は明快、あのロボットの皆さんに混ざって訓練なんかしたら、確実に3秒で命を落とすからであります!」
直立不動で、喉がちぎれんばかりの声を張り上げて高らかに宣言する。
この際、恥も外聞もない。あの3メートル級の重装甲ロボットと肩を並べてランニングや筋トレ、ましてや模擬戦なんてやった日には、骨が何本あっても足りない。全身の細胞が「逃げろ」と大音量で警報を鳴らしていた。
祐奈のあまりの必死さに、ティーユは少し驚いたように目を丸くし、それから目の前の鉄の塊たちを見上げて苦笑いした。
「あはは、そうだね。私も、さっきのミルクみたいな人間の姿をした子たちが並んでるもんだと思ってたけど……なんか想像と違ってガチなやつが来ちゃったみたい。よし、祐奈の離脱を認める!」
「ありがとうございます、教官……!」
胸をなでおろす祐奈。
だが、その様子を横で見ていた白のサマードレス姿のソフィアが、クスリと小さく上品に笑い、祐奈の勘違いを正すように口を挟んできた。
「ふふ、祐奈様。いくらなんでも、生身の創造主様をあの重機のような軍事端末と直接組み手させるようなプログラムは想定されておりません。どうぞご安心ください」
「え……そうなの?」
「はい。今回はあくまでティーユ様の教練がメインであり、祐奈様にはその横で、安全な『一般人間用基礎ダイエットメニュー』を消化していただく予定ですので」
ソフィアの淡々とした説明に、祐奈は「な、なんだ……」と今度こそ本当にホッとした。
しかし、その背後で、運転席から降りてきたミルクが、何やら物騒な厚みの電子パッドを小脇に抱えて静かに歩み寄ってくるのだった──。
「創造主様、ご安心ください。最初からその想定──生身の人間をあのロボットたちと直接訓練させるプランは、安全基準の観点から完全に除外されております」
おろおろする祐奈に対し、ミルクは表情をピクリとも変えずに告げた。
「そもそも当防衛セクションは当初、ティーユ様の戦闘能力を著しく過小評価しておりました。生体スキャンの結果、彼女の筋肉密度が創造主様の10倍以上という、科学の常識を逸脱した『モンスター』であるとは夢にも思わなかったのです。流石に私のような高級義体で直接格闘訓練など行った日には、当機の腕が物理的に千切られる未来しか想定されませんでした。ゆえに、今回はあの頑丈な戦闘用ロボットが訓練相手に選ばれたのです」
「……ちょっとミルク? さっきから私のこと、とんでもない化け物みたいに言ってない?」
さすがに聞き捨てならなかったのか、ティーユは頬をぷくーっと膨らませて化け物扱いに抗議の視線を送る。見た目は可憐な美少女なのに中身は重機並みの超人類──そのギャップに、祐奈は(うん、やっぱり離脱して大正解だったな……)と内心で冷や汗を流した。
しかし、ティーユはすぐにコホンと咳払いをすると、キリッとプロの教官の顔に戻って質問を重ねた。
「まあ、化け物扱いは置いといて、お仕事はお仕事だしね。それで、ロボットの子たちは普段どういう戦い方をしてるの? 敵の特徴はさっきの同化攻撃としてさ」
数々の修羅場をくぐり抜けてきた元英雄。いざ訓練となれば、敵味方の戦力を即座に分析しようとする姿勢は流石の一言だ。
「というか、そのロボットの子たちは今どんな戦術をとっているの?」
祐奈の問いかけに応じるように、ミルクは手元の電子パッドを横にスライドさせた。すると、空中に巨大な3Dホログラムディスプレイが展開される。
「まず、私たちの基本的な戦術ですが、皆様の生きていた時代と大差はありません。遠距離からの圧倒的な火線による殲滅がメインとなります。敵との距離2キロメートル地点から爆撃、砲撃、および一斉射撃を開始。途切れることのない弾幕を張り続け、敵を一切寄せ付けずに圧殺する戦術です」
画面に映し出されるのは、未来都市の圧倒的な科学力が生み出す、光と硝煙の壁。文字通り近づくものすべてを塵に換える絶対防衛線だ。
その映像を見たティーユは、首を傾げて素直な疑問を投げかけた。
「あれ? 2キロ先からそれだけの弾幕を張り続けられるなら、そもそも『接近戦』の出番なんて必要なくない?」
ミルクは静かに首を横に振った。画面のホログラムが、真っ赤な敵の光点で埋め尽くされていく。
「いいえ。敵である精神同一体の数が、こちらの計算を遥かに凌駕して『膨大すぎる』のです。どれだけ弾幕を展開しようとも、損害を無視して直進してくる彼らには、最終的に確実に距離を詰められてしまいます」
「……飽和攻撃を耐え抜いてくるんだ」
「はい。接近を許した場合、通常であれば装甲車などの機動兵器で後方に下がりながら『引き撃ち』を行うのですが……包囲され、後退すら不可能な状況に陥った場合、歩兵に該当するあのロボットたちがその場に残り、最後は泥沼の『ゼロ距離接近戦』へと突入します。──ゆえに、その絶望的な局面を生き残るための手段として、ティーユ様の卓越した格闘技術と戦闘理論が、彼らにとって至高の教科書となるのです」
「なるほどね〜! 殿(しんがり)で敵の足を止めるための格闘戦ってわけか。よし、状況は完全に理解したよ!」
ポンと手を叩き、不敵な笑みを浮かべるティーユ。そんな彼女の頼もしい様子を見届けながら、ミルクはさらに深い敵のデータ説明へと移り始めた。
「では、具体的な敵の個体情報と戦闘挙動の解説を行います。精神同一体の基本形態は先ほどディスプレイに表示した通りですが、彼らは戦場において、常に一定の速度で『ゆっくりと歩行するように』こちらへ近づいてきます。そして距離が50メートル付近に達した瞬間、背中から生えた不気味な『手』に該当する器官から、こちらのロボットの装甲を物理破壊する高威力射撃を放ち、それを凌いでさらに接近を試みるのです」
ミルクの淡々とした、しかし冷徹な声が、一瞬だけ重く沈む。
「敵は、こちらの迎撃による損害を一切物ともせず、ただひたすらに歩いて距離を詰めてきます。砲撃で脚部が吹き飛ぼうが、弾幕で外殻装甲がドロドロに溶け落ちようが、恐怖という概念を持たない彼らは直進を止めません。そしてゼロ距離に達した瞬間、手と顔を私たちの機体に密着させ──『同化』を開始します」
「うぅ……なんだか気持ち悪いな……」
横で聞いていた祐奈が思わず自分の腕をさする。ミルクは静かに頷き、その恐るべきディテールを語る。
「この同化行為の原理は現在の科学力でも判明していません。接触した対象は文字通り溶けるように混ざり合い、精神同一体と同じ存在へと変質。総質量が2体分に達した瞬間に綺麗に2体へと分離・増殖します。逆に質量が足りなければ、少しだけサイズが増大した歪な個体となり、そのまま前線から後方へと下がっていくのです。──そして」
ミルクが人差し指を立ててデータをピッと更新した。空中の画面に、青い警告色のラインが走る。
「同化には明確な例外条件が存在します。一部でも部位が損壊した精神同一体は、その時点で『同化能力』を完全に失います。能力を失った半壊個体は、まだ五体満足な無傷の個体を守るための肉盾(サポート)としてゆっくり接近を続けるか、あるいは前線にそのまま捨て去られ、後方で他の半壊個体同士と溶け合って『修復(リジェネ)』を図ります。つまり……あの即死と同義である同化攻撃を仕掛けてくるのは、完全に五体満足な『無傷の精神同一体』のみです」
画面に映し出されたのは、最新のシミュレーション映像。
手足を吹き飛ばされた半壊個体が、ボロボロになりながらも肉盾として前衛を歩き、その影に隠れるようにして、五体満足な「無傷の個体」が悠然と歩行して距離を詰めてくる。そして、肉盾を撃ち抜くのに手間取った味方ロボットの懐へ滑り込み、ドロリと同化する──。
そのあまりにも不気味で合理的な敵の連携戦術を見せつけられ、一から五までの数字を胸につけた戦闘ロボットたちのモノアイが、戦術の難しさとプレッシャーにチカチカと激しく、壊れそうなほど明滅した。
撃っても止まらない。壊しても盾になる。無傷な奴が触れたら終わり。
この機械的な絶望の戦場で、果たして元英雄の「牙」はどう噛み付くのか?
「ん〜、なるほどね。要は『動く死体の山』の中で戦うわけだ。……で、剣は何を使うの?」
ロボットたちが恐怖した精神同一体の不気味な泥沼戦を、ティーユは「死体の山」と一言でバッサリ表現した。その一切の気負いがないトーンに、元英雄としての凄みが垣間見える。
「近接戦用兵器として、こちらには『高周波ブレード』が配備されています」
ミルクがパッと合図を送ると、1号ロボットが背中に背負っていた、長さ150センチメートルほどの無骨な黒い直刀を2本、そのマニピュレーターへと握り込ませた。超高速の分子振動によって、触れるものすべてを分子レベルで切断する未来の刀剣だ。
「ふむふむ。私と同じで、手で持って振るう形なのは同じか」
「はい。各種射撃を行った後、最終的に白兵戦へ移行するため、汎用性の高いマニピュレーター(手)による近接攻撃が最も有効であると結論づけられています」
「へえ、ちょっとその高周波ブレード、1本貸して」
ティーユは、自分の小柄な身長とほぼ同じ長さの巨大な黒い直刀を、まるでストローでも持つかのように軽々と片手で受け取った。
そして、その刀身を興味深そうに眺めていたかと思うと──どこからともなく、彼女の愛刀を取り出した。
空間を割って現れたのは、絢爛豪華な金の装飾が施された、禍々しくも美しいツヴァイヘンダー(両手大剣)。その刀身は不気味なほど鮮やかな「赤」に染まっており、長さはティーユの身長を遥かに凌駕している。
「これ、確か細かく揺れることで物を切るんだっけ? ミルク、ちょっとその揺れるやつ起動してみて」
自分の赤い大剣と性能を比べる気満々のティーユ。その意図を察したミルクは、驚きを通り越して、大真面目な顔で静かに制止をかけた。
「あの……ティーユ様。高周波ブレードの分子共振による切断力を甘く見ないでいただきたい。試すのは自由ですが、おそらくティーユ様のその骨董品の剣、一瞬で両断されて消滅してしまいますよ?」
「まあまあ。これから練習に付き合うのに、本番の途中でこっちの剣が折れたら困るでしょ? いいからやってみてよ」
フフンと不敵に笑い、自分の剣に絶対の自信を見せるティーユ。
ミルクは「警告はしましたからね」と仕方なしにコンソールを操作し、ロボットの持つ高周波ブレードのスイッチをオンにした。空間がビリビリと爆ぜるような、凶悪な高周波の駆動音が荒野に響き渡る。
ティーユは赤い大剣を無造作に構え、その超振動する黒い刃へと、お互いに力加減をしながらゆっくりと噛み合わせた。
──キィィィィィィィンッ!!!
鼓膜を突き刺すような金属摩擦音と共に、凄まじい火花が激しく飛び散る。
分子を切り裂く未来の科学力が、過去の遺物であるはずの赤い刀身を侵食しようと牙を剥く。
だが──。
「おっ、すごいね! 結構いい振動!」
火花が収まり、2つの刃が離れたとき。
ミルクは、自分の光学センサーがバグったのかと、その赤い瞳を激しく点滅させた。
ティーユの赤い刀身には、傷一つ、焦げ跡一つすらついていなかったのだ。
逆に、未来の最高科学の結晶であるはずの高周波ブレードの刃先のほうが、ほんの僅かに、肉眼でギリギリ視認できるレベルで「刃こぼれ」を起こしていた。
「……あり得ません。当防衛セクションの最高硬度を誇る特殊合金が、力負け、している……?」
呆然とするミルクと、その横で「うわぁ、ティーユさん本当に化け物だ……」と口を開けて固まる祐奈。
そんな2人の反応を浴びながら、ティーユは赤い大剣を肩に担ぎ、ロボットたちに向かって満面の笑みを浮かべた。
「よし! 武器の強度は合格! それじゃあみんな、早速簡単に切りあってみよう! 手加減はするよ〜」
『『『『『り、了解であります……っ!』』』』』
「あっ、喋れたんだ」
ロボットたちのスピーカーから響いた野太い電子音声に、ティーユは今更気づいたように目を丸くした。
未来のテクノロジーすら力技でねじ伏せる規格外の教官を前に、1号から5号のロボットたちは、恐怖とは違う意味での戦慄にモノアイを明滅させる──そんな張り詰めた空気のなかで、どこか間の抜けた声を上げるティーユ。そのギャップがなんとも彼女らしい。
そこからは、言葉通りの「一対一」の模擬戦へと移行した。
まず名乗りを上げた1号ロボットが、巨体を活かして高周波ブレードの二刀流を上段から一気に振り下ろす。金属が風を切り裂く轟音。しかし──。
「はい、お留守だよ!」
原理は不明だが、ティーユはその圧倒的な体格差と質量の不利を物ともせず、赤い大剣の一振りで二刀流の軌道を強引に『振り払った』。ガラ空きになったロボットの胴体へ、赤い刃が目にも留まらぬ速さで滑り込み、装甲の表面を軽く削るような傷をつける。
続く2号、3号ロボットが挑むも、結果は同じだった。
自身の身長よりも遥かに長いツヴァイヘンダーを、ティーユはまるで羽根のように軽々と振り回す。それどころか、ロボットの光学センサーの追従速度を上回る速さで次々と剣を打ち付けるため、3メートルの鉄巨兵たちは完全に防戦一方に追い込まれていく。
キィィン! ガキィィン! と演習場に凄まじい金属音が連続して鳴り響く。
安全な後方からそれを見守るミルク、ソフィア、そして祐奈の3人は、言葉を失ってただただ唖然とするしかなかった。
「……すごすぎる。剣と剣がぶつかるたびに、ここまで風圧が吹っ飛んでくるなんて、どんな怪力なの……?」
祐奈が頬をなでる突風に身を縮めながら呟くと、ミルクが驚愕で視線を固定したまま補足した。
「1号の損傷データが一定値を超えました。ですが問題ありません、全個体はネットワークで直結しているため、戦闘の『経験値』はリアルタイムで2号から5号へと共有されています。……それにしても、あの機動データは既存の戦術データベースに存在しません」
ロボットたちは戦えば戦うほどティーユの剣技を学習していくはずだった。だが、4番目のロボットが紙切れのように軽くボコボコにされるに至って、学習による対策すら追いつかない「個の武」の絶対領域を見せつけられることになる。
「う〜ん? 、悪くはないね」
息一つ乱さず、赤い大剣をクルリと回して肩に担ぎ直したティーユから、ようやく小さな合格点が貰えた。
ボロボロになりながらも、どこかやり切ったようにモノアイを輝かせる鉄の巨兵たち。彼女が戦場に立てば、あの「動く無機物な軍団」など、文字通り一網打尽にされてしまうのではないか──そんな確信を抱かせる、あまりにも鮮烈な初稽古だった。
これまでの4体から得た戦闘データを引き継ぎ、まるで決死の特攻兵のような悲壮な雰囲気を醸し出しながら、最後の5号ロボットがティーユの前にゆっくりと立った。
いよいよ最後の仕上げか──演習場の緊張感が最高潮に達した、その時。
「あ、ちょっと待った!」
ティーユがパッと手を上げてストップをかけた。
そのまま赤い大剣を肩に担ぎ直し、こちらに向かってトコトコと歩いてくる。4体の巨躯を連続で圧倒した直後だというのに、祐奈が見る限り、彼女は肩で息をするどころか呼吸一つ乱れていない。本当にバケモノ染みた体力だ。
こちらへ戻ってきたティーユは、首を傾げながらミルクを見つめた。
「あのさ、悪くはないんだけど……ちょっと疑問に思ったことがあって。その精神同一体の『死体』って、戦場では普段どう処理してるの?」
その問いに、ミルクは少しだけ視線を泳がせて計算した後、冷静に答えた。
「頭部(メインプロセッサ)を切断すれば完全に活動を停止するため、基本的にはそのまま戦場に放置しています」
(さらっと言ってるけど、毎回全部の首を切り落とすとか壮絶すぎる戦いだな……)
祐奈が内心でブルリと身震いする横で、ティーユは顎に手を当ててさらに踏み込んだ。
「でもさ、足を切られた奴とかって、這いずりながら迫ってきて背中の手で射撃してきたりするでしょ?」
「その通りです。なので基本的には、迎撃の過程で他の部位を損壊させた後、最終的に頭部を切り落とすのが最も効率的であると判断されています」
「ふ〜ん……」
ティーユはふむ、と少し考え込むような仕草を見せた。それから、どこか呆れたように周囲の平坦な地面を見渡した。
「やっぱりね。あのさ、ぶっちゃけここじゃ平面すぎて、これ以上やっても実戦の訓練にならないかも」
「……平面すぎる、ですか?」
怪訝そうな顔をするミルクに、ティーユは自身の凄絶な実戦経験に基づいた理路整然とした理由を告げた。
「そう。だって本番は『敵の死体の山』でしょ? 敵の残骸を踏んづけて、血とかオイルとかでズルズル滑る中を、移動しながら剣を振るわなきゃいけないんだよ。だったら、こんな綺麗に舗装された平地でいくらフォームの練習をしたところで、あまり意味がないんじゃないかな」
「なるほど……!」
ティーユの言葉に、ミルクだけでなく、それまで黙って聞いていたソフィアの青い瞳もハッとしたように輝いた。
「理解いたしました。確かに、戦闘シミュレーションにおける『環境デバフ(足場の悪さ)』の重要性を見落としておりました。平面でどれほど完璧な剣術を修めようとも、実戦環境とは乖離しています」
「そうそう。どれだけ凄い剣術を磨いたってさ、本番で足元をすくわれて『転んじゃったら、それで最後』なのよ。無傷の奴が触れたら終わりなんだから。だからさ、ここじゃなくて、岩とか石がゴロゴロ転がってるような、もっと不整地な場所で練習した方が絶対にロボットたちのためになるよ!」
綺麗に勝つための武術ではなく、どんな劣悪な環境でも泥臭く生き残るための「戦場論」。
かつて3000年前に人類の最前線を支え続けた英雄の金言に、未来世界の最高峰のAIたちは、深く納得させられるのだった。
「あとはそうだなぁ……。いくら戦い方を磨いたところで、その『死体』をどう処理するかだよねぇ」
赤い大剣をぽんと肩に叩きつけながら、ティーユがさらなる懸念を口にした。
その言葉を聞いて、祐奈は以前に聞いた『精神同一体は壊れても後方でリサイクル・修復される』という性質を思い出し、ハッとして口を開いた。
「確かに! 倒した先から放置してたら、敵にそのまま回収されて、向こうの戦力が一向に減らないってことですもんね」
「そうそう。昔、これと似たようなしぶとい敵と戦ったことがあるんだけどさ。その時は『燃やせば再生しない』って分かったから、近くにでっかい穴を掘って、そこに薪(まき)をこれでもかってくらい積み上げて、片っ端から敵を放り込んで火葬してたんだよね。……でも、今回の敵は機械っぽくて燃えそうにないしなぁ」
(……ティーユさん、過去に一体どんなゾンビ映画みたいな地獄を生き抜いてきたの?)
サラリと語られた凄惨すぎる過去の戦術に、祐奈は引きつった笑いを浮かべつつも、あえてそこには深く突っ込まないでおくことにした。触れてはいけない英雄の闇が深そうである。
2人の会話を聞いていたソフィアが、困ったように眉を下げて未来世界の現状を報告した。
「ティーユ様のご指摘通り、敵の回収阻止は最優先事項です。現状、基本的には倒れた精神同一体を発見し次第、こちらの自動回収ドローンがワイヤーで牽引し、戦場後方の輸送機へ速やかに格納・回収する手筈にはなっているのですが……」
ソフィアはため息混じりにディスプレイの数値を指し示した。
「いかんせん、敵の量が多すぎて……物理的な回収処理が全く追いついていないのが現状です。輸送機に詰め込む前に、次の敵の波に押し潰されてドローンごと強奪されるケースも少なくありません」
「うわぁ……まさに困りものだね。倒しても倒しても、その死体が次の壁になって、しかもリサイクルされるなんて」
ティーユは腕を組んでうな唸る。
どれだけ最強の剣技をロボットたちに教えたところで、戦場が敵の死体で埋め尽くされ、それを敵が回収して無限に復活してくるのであれば、まさに底なしの泥沼だ。
足場の悪い『不整地』での戦術、そして膨大すぎる『死体の処理問題』。
未来都市の最先端テクノロジーをもってしても解決できなかった難題を前に、元社会人の祐奈と、元英雄のティーユ、そして2人のAIによる、新たな「戦場改革」の議論が熱を帯び始めていた。
「……あ、ちょっと連想したんですけど」
回収ドローンの物量不足と、敵の無限リサイクルという絶望的な泥沼の仕様を聞いて、祐奈の頭の中に21世紀のゲームや戦争の知識がふと浮かび上がった。
祐奈はおそるおそる、サマードレス姿の総責任者に問いかける。
「ソフィアさん? AIの軍って、上空の『制空権』とかはちゃんと取れてるんですよね?」
「はい。精神同一体は基本的に飛行能力を持ちません。彼らが一箇所に集結して、上空へ向けた一斉対空砲撃でも仕掛けてこない限りは、こちらの航空戦力が完全に空を支配していると言ってよい状態です」
なるほど、一応は制空権は完璧に取れているらしい。なら、上空からのアプローチはいくらでも自由が利くということだ。
「じゃあ、ロボットたちが接近戦をする前の段階で、空から爆弾を落としたりすることはできますか?」
「ええ。そちらに関しましては、2キロ先からの砲撃と合わせて、爆撃機による空爆を『常時』行い続けておりますよ?」
(常時落としてるんだ……。平和に暮らしてる裏で、そんな毎日大爆撃が行われてるの怖すぎるでしょ……)
さらりと語られた未来の過激な日常に引きつりつつも、祐奈は本題へと切り込んだ。
「さっきティーユさんが言ってた『穴を掘って敵を捨てる』ってアイデアなんですけど……。ただ爆弾を落とすんじゃなくて、敵が接近してくるルートの目の前に、地面をくり抜くドリルみたいなミサイルを空から落として、その場でっかい『落とし穴』を掘っちゃうのはどうでしょう? で、歩いて突っ込んでくる敵をそのままそこに落として、まとめて回収ドローンで引きずり出すんです。……これって、できますか?」
「落とし穴……っ!?」
祐奈の率直な提案に、ミルクの光学センサーが大きく見開かれ、ソフィアの青い瞳が激しく点滅した。
「……素晴らしい着眼点です、創造主様! 敵の『一切怯まずに直進してくる』という予測しやすい歩行アルゴリズムを逆手に取り、進路上に物理的な障害を強制展開する……。なぜ今まで、この単純かつ効果的な地形変更戦術をデータベースに登録していなかったのか、当機の不覚です!」
ミルクが猛烈な勢いで電子パッドを叩き始める。
「即座に計算(シミュレート)します。上空からの質量重力ドリル弾の投下による、直径20メートル、深さ15メートルのすり鉢状ピットの形成に必要な時間はわずか6秒。五体満足な『無傷の個体』は直進を止められないため、そのまま底部へ滑落。同化の対象が存在しない穴の底で、安全に一網打尽にできます! これなら回収ドローンのワイヤー牽引の手間も4割! 削減可能です!」
「ほぇ〜! 凄いじゃん祐奈! 空から落とし穴を作るなんて、私には思いつかなかったよ!」
さっきまで化け物じみた強さを見せていたティーユが、今度は祐奈のアイデアに目を輝かせて頭を撫でてくる。
「ちなみにソフィアさん、すり鉢状の坂にするより、壁が真っ直ぐな『井戸』みたいな形の穴にしたほうが、落ちた敵が絶対に登ってこられないから効率がいいと思うんですけど……それってできます?」
祐奈が思いつきを追加した瞬間、演習場の空気が再びピキリと凍りついた。ミルクの電子パッドを叩く手がピタリと止まり、ソフィアはドレスの裾を握りしめたまま、信じられないものを見るような目で祐奈を見つめる。
「……井戸、つまり垂直シリンダー型の空間形成ですか。……素晴らしい、素晴らしすぎます創造主様! なぜ私は先ほど、すり鉢状などという生ぬるい形状で計算してしまったのか……!」
ミルクが今度はもの凄い形相で、光速を越えるような速度でキーを叩き始めた。
「即座に再計算! 確かにすり鉢状の場合、敵の死体が蓄積した際にそれが『坂』となり、後続の無傷な個体が踏み台にして踏破してくるリスクが 68% 存在しました。しかし、壁面が完全に垂直、かつ滑らかな『井戸型』であれば、どれだけ死体が積み重なろうとも、穴の深さが限界に達するまで打つ手はありません。完全に一網打尽にできます!」
「でもさ、空からドリルを落とすだけで、そんな綺麗な垂直の井戸なんて掘れるの? 周りの土が崩れちゃいそうだけど」
ティーユが首を傾げて技術的な疑問を口にする。それに対して答えたのは、絶対的な科学のトップであるソフィアだった。
「ティーユ様、我が軍のテクノロジーを侮らないでいただきたいわ。通常の物理爆弾では不可能ですが、我が軍の『地殻破砕貫通弾』の最新ファームウェアを書き換えれば容易です」
ソフィアがパチンと指を鳴らすと、空中のディスプレイに新たな物理シミュレーションが展開された。
「まず上空から、超高比重のドリル弾を自由落下で超高速投下。地面に突き刺さると同時に、ドリル先端から超高出力の『収束熱線波』を円型に照射し、周囲の岩盤を綺麗に円柱状に焼き切りながら地中深くへと潜行します。そして──」
ホログラムの中で、ドリルが垂直の穴を掘り進めていく。
「くり抜かれた内壁の土壌は、ドリルが発する瞬時の超高熱によって一瞬でドロドロに溶かされ、次の瞬間にはカチカチの『ガラス(セラミック)状』に硬化コーティングされます。これにより、どれだけ負荷がかかっても絶対に崩れない、表面がツルツルの『完璧な井戸』がわずか数秒で完成いたします!」
「掘り出した中身の土はどうするの?」と尋ねる祐奈に、ミルクが不敵な笑みを浮かべてコンソールを叩いた。
「弾頭に搭載された高圧噴射で、削り出された土壌をそのまま穴の外に噴射。その後、ドローンやナノマシーンで穴のフチに強固な『漏斗(じょうご)型の防壁』として再構成します。その中には絶対に登れない井戸を掘るという、一石二鳥の即席要塞化が可能です!」
興奮気味に電子パッドを叩くミルクの横で、祐奈は顎に手を当てながら、さらに自分の少し辛辣なアイデアを重ねていった。
「でも、さっきのソフィアさんの案も悪くないんですよね。強力な爆弾を投下してすり鉢状のクレーターを作って、そこにさらに爆撃を重ねれば効率良く巻き込めますし……。だったら、その2つを重ねちゃうのはどうでしょう?」
「重ねる、とは……?」
ソフィアが小首を傾げる。
祐奈は贅沢に未来のテクノロジーを使いこなすように、空中ディスプレイのマップを指差した。
「ソフィアさんたちって、2キロ先から爆撃を始めて陣地を敷いて戦ってるんですよね? だったら、2.3キロぐらいにまず大きなすり鉢状の場所を作りそこに爆撃をする。陣地から2キロまでに、さっきの『井戸』を崩れない絶妙な間隔をあけて大量に掘っておくんです。地面を穴だらけにして、真っ直ぐ歩けないようにする。あっ穴がバレない様に落とし穴の見えるラインに爆撃とか煙幕でもいいですね」
「ほうほう、地雷原ならぬ、落とし穴原だね」
ティーユが面白そうに目を輝かせる。
「そう! で、本来なら愚策だし防衛戦でそんなことするの無理なんですけど……ソフィアさんたちの技術なら、敵がやってくる2キロの場所をあえて『上りの丘(傾斜)』に変えちゃうことはできますか? 敵をわざわざ見晴らしの良い上り坂に誘導すれば、こっちからの砲撃はもっと当てやすくなるし、向こうの歩くスピードも絶対に落ちると思うんです」
爆撃で視界を奪い、上り坂で移動を遅くして、足元を無数の垂直の井戸でスカスカにする──。落ちれば即、同化能力を奪われてすり潰される、文字通りの地獄の迷路(キルゾーン)。
その提案を聞いた瞬間、演習場に完全な沈黙が訪れた。ミルクは完全にフリーズしたように直立不動になり、ソフィアは両手で口元を覆って、青い瞳を激しく明滅させている。
「……創造主様。あなた様は、天使の皮を被った『戦術の悪魔』ですか……?」
ミルクの口から、最大級の歪んだ賛辞が漏れ出た。
「即座に戦略シミュレーションを実行……! 素晴らしい、えげつなすぎます! 視界を奪われ、さらに上り坂という重力負荷をかけられた精神同一体は、進軍速度が2割低下。その状態で、回避不可能な密度で配置された垂直ピットへ、まるで吸い込まれるように次々と滑落していきます! 迎撃効率、従来比のなんと320%向上を記録……!!」
「あはははは! 祐奈、最高にエグいねそれ!」
ティーユが大爆笑しながら祐奈の背中をバンバンと叩いた。
「敵の『損害を無視して真っ直ぐ歩いてくる』っていう頑ななルールを、地形そのものを最悪にしてハメ殺すわけだ! 綺麗な剣術どころか、戦う前に勝負を決める最悪の嫌がらせ。さすが私の主、戦場の天才だよ!」
「いや、そんな簡単な思いつきを褒めらに完全れても嬉しくないっていうか……」
苦笑いする祐奈だったが、ソフィアはすでに完全なる心酔の表情で、ウエディングドレスの胸元をぎゅっと握りしめていた。
「ああ、祐奈様……! なんという慈悲深くも冷徹な知略……。我が軍の誇る機械重工であれば、爆撃と同時に地形を『丘』へトランスフォームさせることなど造作もありません。すぐにこの戦術を『プラン・ユウナ』として最優先登録いたしますわ!」
生身の人間である祐奈の「ちょっと辛辣な思いつき」が、未来のチート科学によって、敵を跡形もなく絶滅させるための絶対防衛陣地へと昇華していく。一から五までのロボットたちは、もはや創造主への畏怖なのか、直立不動のままガタガタと駆動音を響かせるのだった。
──『プラン・ユウナ』のあまりの合理的かつ辛辣な破壊力に、ソフィアもミルクも、果てはティーユまでもが完全に脳内シミュレーションの世界に没頭してしまった。
「上空からのドリル弾の投下タイミングですが、丘の傾斜角が15度に達した瞬間が最も──」
「いや、そこはあえて爆撃の煙に紛れ込ませて、敵に気づかせないのが一番だよ!」
「素晴らしいわティーユ様! 祐奈様の智略が、今まさに完璧な勝利の方程式へと──」
あーだこーだと身振り手振りを交え、どんどん物騒な新兵器の開発と戦術の構築にのめり込んでいく3人と5体のロボットたち。
(……うん。これ、当分終わりそうにないな)
完全に蚊帳の外に置かれてしまった祐奈は、小さく苦笑いしてそっとその場を離れた。せっかく運動着に着替えて演習場まで来たのだ。お喋りに付き合っているだけではダイエットにならない。
祐奈は仕方ないからそこら辺をちょっと走ってこようと、一人でジョギングを始めることにした。
トッ、トッ、
荒野の土を踏みしめて走り出す。
(……あれ? 全然、苦しくない……?)
走り始めてすぐに、祐奈は自分の体に起きた異変──否、「神様による肉体調整」の凄まじさを、今更ながら肌で実感することになった。
元の世界での21世紀の社畜ボディであれば、50メートルも全力で走れば肺が焼け付くように痛み、足が鉛のように重くなって強制終了を迎えていたはずだ。慢性的な運動不足の塊だったのだから。
しかし、今の体はどうだろう。どれだけ地面を蹴っても、息はまったく上がらない。足はバネのように軽く、いくらでも前に進める。
(すごい……! 疲れないでここまで運動できるのって、こんなに楽しいんだ……!)
どこまでも広がる荒野。あまりの広大さに、自分がどれくらいのスピードで、どれくらいの距離を走っているのか、だんだん距離感が狂ってきそうになる。そんな不思議な空間を、祐奈は風を切りながらグルグルと一人で走り続けた。
ただ純粋に、体を動かす爽快感を噛み締めながら。そうして、一体どれほどの時間が経っただろうか。さすがに少し汗ばんできたな、と祐奈が走るのをやめてトボトボと装甲車の方へ戻ってきた、その時。
「──ハッ!? 祐奈様がいらっしゃらない……!?」
「当機の光学センサー、創造主様の完全な見失いを検知……! なんたる致命的なシステムエラー……!!」
ようやく作戦会議から現実に戻り、主をほったらかしにしていたという大失態に気づいたソフィアとミルクが、もの凄い形相で振り返った。
「ユ、祐奈様ぁぁ──ーっ! 申し訳ありません! このソフィア、祐奈様のお言葉の尊さに我を忘れ、あろうことか創造主様を置き去りにして軍務に没頭するなどという万死に値する愚行を……っ!」
「創造主様、本当に、本当に申し訳ございません! 脳内プロセッサをすべて戦術計算に割り振ってしまった当機の怠慢です! お詫びとして今すぐ自壊プログラムを──」
「いやいやいや! 自壊しないで!? 謝らなくていいから! ちょっとそこら辺走ってただけだから!!」
涙目でサマードレスを振り乱して抱きついてくるソフィアと、大真面目に自壊のカウントダウンを始めようとするミルク。そんなハイテンションすぎるAIたちに猛烈に平謝りされ、逆に困り果ててしまう、汗だくの祐奈の姿がそこにはあった。
すいません
サマードレスからウエディングドレスになってたので変更と修正