(めちゃめちゃ話の続きを聞きたい……! 聞きたいけど、これ以上触ったら歴史の闇の超特大爆弾が爆発する気がするな……!)
元社畜としての防衛本能が赤信号を灯した。祐奈はこれ以上の深追いを断念し、必死になって別の話題へと舵を切った。
「あ、そういえば、さっき読んだこの漫画がすごく面白くてですね……!」
そんな強引な世間話にも、ティーユは「へえ、どんな話?」といつも通りの気軽さで乗ってくれた。ナーサリーがおいしいお茶を淹れ直してくれ、南極のシェルターの中に、穏やかで普通の時間が流れていった──。
やがて夜になり、ダイニングテーブルに夕食が運ばれてきた。
メニューはごく普通の、美味しそうな温かい料理だ。夜の『御城のフルコース』を思えば、あまりにも普通である。
(な、なんだろう……? やっぱり夜のあれは、ソフィアさんの愛が過剰すぎておかしかっただけなのかな……?)
一安心しながら、祐奈は自分の席についた。
だが、すぐにその違和感に気づいて視線を止める。
ティーユの席のすぐ隣──ほとんど肩が触れ合うほど超至近距離に、もう一つの椅子がぴったりとくっついて並べられていたのだ。
(近っ!! いくらなんでも近くないか、それ……!?)
「え? ん……?」
自分の席に座ったティーユも、さすがにこの不自然なレイアウトには少し混乱気味のようで、首を傾げながら座っている。
すると、その至近距離の椅子に、ナーサリーが何食わぬ顔でごく自然に腰掛けた。
まあ、席が近いだけなら、仲良しということでギリギリ納得できなくもない。
そう、ご飯がすべて運ばれてくる「その時」までは──。
祐奈が自分のスプーンとフォークを手に取ったとき、決定的かつ致命的な事件が起きた。
ティーユの目の前には、料理の皿しか置かれていない。
スプーンやフォークといった食器が……すべて、隣のナーサリーの席にしか用意されていないのだ。
祐奈とティーユが困惑する中、ナーサリーは微笑みを絶やさないまま、自分の手元にあるスプーンで器用に料理をすくい上げた。そして、それをティーユの口元へと優しく差し向けた。
「はい、ティーユ様。あ〜ん」
「…………は?」
世界を救った最強の英雄が、完全に思考を停止させて間抜けな声を漏らした。
ナーサリーの目はマジだ。一切の迷いも邪気もなく、まるで雛鳥に餌をやる親鳥のような、絶対的な母性と包容力に満ち満ちている。
(ナーサリーさん!? ハウスキーパーの『お世話』の概念が、完全に限界突破して介護か幼児退行の領域に突入してるんですけど──ー!?)
隣の席で繰り広げられる『はい、あ~ん』の光景を前に、祐奈は持っていたスプーンを握りしめたまま、本日何度目か分からない限界の衝撃に震えるのだった。
「あ、あの、ナーサリー? 私、手も足もちゃんと動くし、自分で食べられるよ……!?」
ティーユは必死に抗議の声を上げた。しかし、ナーサリーは持ったスプーンをピクリとも動かさず、見る見るうちにその大きな瞳に涙を潤ませてみせた。
「……ティーユ様。私から『お世話をする喜び』を奪うというのですか? 私のハウスキーパーとしての存在意義は、もうここにはないのですね……」
「うぐっ……! わ、分かった、分かったから! 食べる、食べるからその顔やめて……っ!」
ナーサリーのウルウル目という最強の精神攻撃の前に、世界最強の英雄はあっけなく敗北した。ティーユは顔を引き攣らせながらも、ついに諦めて観念したように、差し出されたスプーンをパクッと口に含んだ。
「お味はいかがですか?」
「……おいしいです」
完全に幼児退行させられているティーユは、すがるような、助けを求めるような視線を対面の祐奈へと向けてきた。
(祐奈! 頼むから助けて!!)
悲痛な心の叫びが聞こえてきそうだったが、祐奈はそっと視線を逸らし、ナーサリーの方を向いて満面の笑みを浮かべた。
「あっ、ナーサリーさん! このお料理すごく美味しいですね! なんていう料理なんですか?」
──よし、全力で無視しよう。関わったら負けだ。
「まあ、嬉しいですわ祐奈様! それはですね、前時代の家庭料理をベースに、アレスの栄養素を……」
ナーサリーは嬉しそうに解説を始めてくれたが、恐ろしいことに、彼女の右手は一切止まっていなかった。 祐奈と会話を交わしながらも、まるで機械的な正確さで次の料理をすくい上げ、迷いなくティーユの口へと「はい、あ〜ん」と運び続けている。まさにプロの業である。助けになるかと思ったが無駄のようだ。
祐奈はティーユに『ごめん、私には無理だ』と目線で告げた。
ティーユの目が、絶望に染まった。完全に生贄にされた王者の目だった。
──しかし、それから数分後。
されるがままに給餌されていたティーユの口元が、にやり、と邪悪に歪んだ。さすがは数々の修羅場をくぐり抜けてきた英雄、ただでタコ殴りにされるタマではなかった。
「……ふう。ナーサリー、私、もうお腹がいっぱいになってきちゃった。だから、次は祐奈にしてあげれば? 祐奈、今日はいっぱい頭を使って疲れてるみたいだし!」
最悪の矛先が、一瞬にしてこちらを向いた。
これ以上ない綺麗なカウンターパス。あまりにも鮮やかな戦犯のなすりつけ合いである。
「いやいやいや! 私は本当に大丈夫ですよ!? 手もピンピンしてますから!」
祐奈は引き攣った笑顔で全力で拒絶した。だが、その言葉を聞いたナーサリーは、ポンと手を叩いて嬉しそうに微笑んだ。
「まあ! それもそうですね。祐奈様は私たちの創造主様なのですから、私としたことが、最優先でお世話をするべきお方を忘れていましたわ!」
そう言うと、ナーサリーはごく自然な動作でトレイから新しいスプーンを手に取り、スッと席を立った。
(まずいぞ……。ロックオンされた。こっちに来る……!!)
超至近距離で甘やかされる英雄の次は、自分がターゲットになる。
じわじわと自分の席へと近づいてくる完璧なハウスキーパーの影を見ながら、祐奈は背中に冷や汗が流れるのを自覚するのだった。
自分の皿に視線を落とす。料理はまだ、あと半分ほど残っている。
このままナーサリーが自分の席の隣に到達してしまえば、自分も対面の英雄と同じように、有無を言わさず『雛鳥』にされてしまう。それだけは何としても阻止しなければならない。
「あの、ナーサリーさん! 私、本当に自分で食べられますから! 大丈夫ですからね!?」
必死に防衛線を張ろうと断りの言葉を叫んだ、その瞬間。
対面の席から、さっきまで被害者だったはずのティーユから、あまりにも痛烈な『追撃の言葉』が飛んできた。
「そういえばさ、祐奈。昔の高貴な貴族って、自分の下僕にご飯を食べさせることで、自分の権力と信頼や忠実さを周囲に誇示したんだってよ?」
「ぶっ……!?」
ティーユは食事を上品に嗜みながら、いかにも「歴史の豆知識」といった風に、さも楽しそうに語った。
(くっ、さすが本物の王族の友達がいるだけはある……! そういうろくでもない貴族の歴史は、どこの世界にだって共通して存在するのか……!)
ティーユの悪魔的な援護射撃によって、事態は最悪の方向へと加速した。
その知識を聞いたナーサリーが、目を輝かせて驚きの声を上げたのだ。
「まあ! そんな素晴らしい歴史があったのですね……! 創造主としての絶対的な権力と、私たちへの深い慈愛の証明……。なら、ハウスキーパーである私も、ぜひその高貴なる歴史に倣(なら)うとしましょう!」
「何をならうの──ー!?」
祐奈の全力の絶叫がダイニングに木霊した。
倣わなくていい。そんな前時代の歪んだ特権階級のシステムは、21世紀の一般庶民には荷が重すぎるし、そもそもナーサリーの解釈がお世話をしたいという私欲と都合よくドッキングしてしまっている。
「さあ、祐奈様。貴女様がどれほど私たちを愛し、そして偉大な存在であるかを証明するためにも……はい、あ〜ん」
ナーサリーは完全に『良かれと思って』モードに突入しており、スプーンを片手に、聖母のような慈愛の笑みを浮かべて祐奈の口元へ迫る。
対面を見ると、ティーユが「いや〜、さすが創造主様、器が大きいねぇ」と、完全に仕返しに成功した悪ガキのような顔でニヤニヤとこちらを見ていた。
(ティーユさん、後で絶対に覚えてろよ……!!)
逃げ場のない南極のシェルター。残された半分の料理を前に、祐奈はついに自分の『敗北』と『雛鳥化』を悟り、涙目で覚悟を決めるのだった。
すべての食事が終わり、ナーサリーが空いた食器を片付けるためにパタパタと部屋を出て行った。
──その、ドアが閉まったまさに次の瞬間。
ダイニングテーブルを挟んで、壮絶な言い争いが勃発した。
「よくも私を見捨てて、自分だけ逃げようとしたね祐奈! 恨むからね!」
ジト目どころか、本気の怨念が籠もった目でティーユが指を指してくる。だが、祐奈だって黙ってはいない。
「何を言ってるんですか! 最初にこっちに最悪のパスを回してきたのはティーユさんでしょうが! 完全に巻き添えにされましたよ!」
「あれは緊急避難だよ! 私だって生き残るためには手段を選ばないの!」
そんな、さっきまでの南極の寒さを吹き飛ばすような、子供っぽいなすりつけ合いの口論がしばらく続いた。
やがて、言い返して少し疲れた頃、祐奈の脳裏にふと、恐ろしい『最悪の未来予測』が浮かび上がった。
「……あれ? ティーユさん、ちょっと待ってください」
「何さ、今さら謝罪?」
「いえ、そうじゃなくて……。このままだと、明日からの食事、私たち2人ともソフィアさんとナーサリーさんに雛鳥みたいに食べさせられることになりません……?」
その言葉に、ティーユの動きがピタリと止まった。
先ほどまでの怒った顔がみるみるうちに青ざめ、ことの重大さにようやく気付いたように、ティーユはガタッと椅子を鳴らして頭を抱えながら近づいてくる。
「しまった……そうだ……っ! このままだと、私がずっと『馬鹿だなぁ』って思って眺めてた、あの前時代の貴族たちと全く同じになっちゃう……!」
(やっぱり実物を見たことあったんだ、あの文化……)
さすがの最強の英雄も、手足があるのに自分では何もせず、ただ口を開けて待っているだけのあの退廃的な文化には適合できなかったらしい。それを自分のハメ技のせいで、自分たちの身の上に完全再現させてしまったのだ。
「あの知識の開示はまずかったですね……。ナーサリーさんに創造主とティーユさんのお世話をする正当な権利を与えちゃいましたよ。どうするんですかこれ」
「完璧な攻撃のつもりだったのに、まさか自分に刺さるなんて……ダメだったわ……」
世界を救った最強の英雄が、己の作戦ミスに本気で絶望している。
そんな、あまりにも遅すぎた攻防戦の反省会を繰り広げている真っ最中──非情にも、カチャカチャと小気味よい音を立てて、トレイを持ったナーサリーが満面の笑みで部屋に戻ってきてしまうのだった。
ナーサリーがスプーンを構えて戻ってきた瞬間、祐奈とティーユはその場にピキリと固まった。
(あのスプーンはこれからお茶でさえ給餌しようとしているのか……!)
その硬直ぶりは、初期装備のまま最果てのラストダンジョンでラスボスとエンカウントしてしまった一般人のそれだった。
2人は無言のまま、激しく目線を交わし合う。
(ティーユさん、どうするんですかこれ!!)
(なにか、なにか言い訳を!!)
出会ってまだ間もないというのに、ずっと戦場を共にしてきた戦友のように、目だけで驚異的な意思疎通が成立していた。共通の脅威(強制幼児退行)を前に、2人の魂は今、一つになっていた。
2人が無言のままバチバチとアイコンタクトを交わしているのを、ナーサリーは小首を傾げて不思議そうに見つめている。スプーンがじわじわと近づいてくる。タイムリミットはすぐそこだ。どうする、考える時間はもう残されていない……!
「あの……? 祐奈様、ティーユ様、どうかされましたか?」
「い、いえ! なんでもないですよ!」
祐奈は慌ててソファに座り直し、限界までフル回転させた脳細胞から、奇跡のひらめきを引っ張り出した。これぞ、誰も傷つけないための『幸せな嘘』だ。
「ナーサリーさん。実は、先ほどの貴族の話には……まだ続きがあるんです」
「続き、ですか?」
ナーサリーが足を止める。祐奈は居住まいを正し、いかにももっともらしい厳かなトーンで切り出した。
「はい。実は私が元いた世界で、深く尊敬されていた真の高貴な方々は、あえて『自分の手で美しく、完璧に食事を完結させる姿』を部下に見せることで、己の徹底した自己管理能力と、絶対的な孤高の強さを誇示したのです。つまり! 誰の手も借りず、自分で完璧に食べる姿を見せることこそが、真の威厳と慈愛の証明なんですよ!」
言い切った。完璧な言い訳、完璧な論理だ。
祐奈がチラリと対面のティーユに視線を送ると、世界最古の英雄は『こいつ、天才か……!?』とでも言いたげな、深い尊敬の念がこもった目を輝かせていた。
そして、光の速さで祐奈のホラ話に乗っかった。
「そ、そうなんだよ、ナーサリー! 私のお友達で、私が心から尊敬する本物の王族の子もね、周囲に弱みを見せないために、自分で完璧に美しく食事をすることで己の高貴さを示していたな〜って、今思い出しちゃった!」
(さすが英雄、臨機応変のキレが違いすぎる……!)
これには、歴史や概念を重んじるAIのナーサリーも「まあ……そうなのですか……」と感銘を受けたように呟いた。しかし、すぐにシュンと肩を落とし、少し悲しそうな顔で手元のスプーンを見つめる。
「ですが、そうなると……私がお二人をお世話する機会が、随分と減ってしまいますね……」
寂しそうなAIの姿に、祐奈はすかさず身を乗り出して優しいフォローを入れた。
「いえいえ! そんなことないです! 私たちはこの世界に来たばかりで、右も左も分からないことだらけですから。これから先、ナーサリーさんにお世話してもらうこと、頼りにすることが山ほどあります! だから全然大丈夫ですよ!」
「そうだね! 私たち、この世界の常識もインフラも何も知らないから、これから色々教えてもらって、身の回りのお世話をしてもらわないと生活できないと思うよ!」
ティーユも笑顔で太鼓判を押す。
自分たちの威厳を保ちつつ、ハウスキーパーAIのプライドと存在意義を100%全肯定して満たす、完璧な作戦だった。
「……! はい! 分かりましたわ、祐奈様、ティーユ様! では、これからの生活のサポートに向けて、私もさらに全力を尽くしますね!」
ナーサリーの顔に、いつものひまわりのような輝かしい笑顔が戻った。スプーンは無事にトレイへと戻され、ダイニングには再び、温かく賑やかな食後の世間話の声が響き渡るのだった。