お醤油とかお水、ガソリンなどを入れる時に指して注ぎ口を大きくするものです
プラスチックでよく見る▽に||をくっつけたもの
それからの数日間、祐奈は豪華な部屋を中心にして、驚くほど穏やかな時間を過ごしていた。
時折、ナーサリーにお願いして広めの運動スペースへ連れて行ってもらい、鈍った体を動かしたり、それ以外は部屋のふかふかのソファでゴロゴロしてのんびり過ごす。
運動の際、ティーユが「ほら祐奈、剣持ってみて! 構えの練習からいこっか!」と、笑顔で凶悪な鉄塊を持たせてスパルタ訓練を始めようとしたのだけは全力で勘弁してほしかったが、それ以外はごくごく普通の、平和な休日のような日々だった。
──いや、一つだけ敗北が継続していたのだが。
(おかしいな……。ナーサリーさんを騙した罪悪感のせいで、結局、朝食の自炊だけは断れなくてズルズルと継続しちゃってる……。また何もできなくなっている気がする……)
気のせいで合って欲しかった。だが、どうしようもなかった。
あの聖母のようなナーサリーに『寂しいウルウル目』を向けられると、一般人の脆いメンタルなど一瞬で粉砕されてしまうのだ。女性の涙には勝てない。結果として、毎朝ティーユと2人並んで、ナーサリーの過保護な親のようにに甘やかされてしまっている。
そんな奇妙で甘美な自堕落生活が数日続いた頃。
前線兵器の開発で多忙を極めているソフィアが、ホログラムでたまに部屋へ顔を出すようになっていた。
しかし、ソフィアは部屋に入るや否や、ナーサリーに甲斐甲斐しくお世話されている祐奈の姿を見て、これ以上ないほど苦い顔を浮かべるのだ。
「……はぁ。私も、祐奈様の実務から生活のすべてを、過剰なまでにお世話したかったです……。なぜ私は今、鉄の箱の溶接データなんかと睨み合っているのでしょう……」
ソフィアは心底恨めしそうにそう嘆くと、またすぐに忙しそうに通信を切って部屋を後にしてしまう。
(ソフィアさん、たった数日私と直接お話しできないだけで、そんなに深刻な顔になるもの……!?)
ナーサリーの過保護っぷりにも胃が痛むが、ソフィアの、こちらが引くほど重たい愛情と執着心は、今後が少し……いや、大いに不安になるレベルだった。
そんなある日の朝、ついに開発に一段落をつけたソフィアが、いつもの純白のウエディングドレスの裾を揺らしながら、何やら凄まじい勢いで現れるのだった──。
ソフィアは開口一番、飛び出さんばかりのハイテンションで告げた。
「祐奈様! 新しい戦術ドクトリン、および新型掘削機械の設定がすべて定まりました!!」
ここ数日間、ほとんど顔を見せなかったのは、この膨大なシミュレーションを終わらせるためだったのだろう。伝わってくる熱量に、祐奈は圧倒されつつも、まずは労うように声をかけた。
「お、お疲れ様です、ソフィアさん」
「……っ! 祐奈様からの温かい労いのお言葉、私のメインプロセッサに深く刻み込みました……!」
その言葉を聞いたソフィアは、まるで最高のご褒美を貰った子供のように嬉しそうに微笑むと、水を得た魚のように、恐るべき完璧な戦術の解説を猛然と空中にモニターを表示させスタートさせた。
「まず、前線の2.5キロメートル四方に、複数の巨大なすり鉢状の爆撃地点を作り出します。そしてその中心点に穴を配置し、巨大掘削ワームをその穴から少しずれた横方向の地中に配置するのです」
「……横方向に、ですか?」
「ええ。ある程度すり鉢の底に溜まった精神同一体を、あえてすぐには処理せず、万が一敵の爆撃や砲撃が飛んできた際の『盾(肉壁)』として利用するためです。その安全圏からリサイクルを開始いたします。回収した資源は、坑道を通って運搬ドローンが瞬時に後方の味方へとピストン輸送し、物資を提供し続けます」
ソフィアの美しい指先がホログラムの図面を動かしていく。ドレス姿の美女が語る内容としては、あまりにも容赦がない。
「さらに、この2キロメートルの地点には強固な坂道の傾斜を形成し、銃撃を開始します。私たちの爆撃と砲撃は、この坂の『反対側』を重点的に行います。なぜだかお分かりになりますか?」
祐奈が首を傾げると、ソフィアは誇らしげに胸を張った。
「爆圧によって敵の死体を坂へと押し付け、『敵の死体によって、坂の傾斜をさらに高く、急にする』ためです。敵が来れば来るほど、私たちの防壁は高く厚くなるのです!
そしてその2キロメートル手前には、ワーム機械であらかじめ漏斗(じょうご)状の穴を複数設置。滑り落ちてきた敵を、現地で細かく破砕・分子分解したのちドローンで運搬し、後方に控えるリサイクル工場の船でリアルタイムに現地の物資へと変換する……。これぞ、質量を1グラムも無駄にしない完璧な循環型防衛ラインですわ!!」
どうです、祐奈様! と言わんばかりに両手を広げるソフィア。
そこに広がっていたのは、感情を一切排除し、機械的合理性を極限まで突き詰めた、美しくも恐ろしい『自動肉挽きインフラ』の全貌だった。
ソフィアは『どうです!』と言わんばかりに両手を広げている。
言っている内容は精神同一体を効率よくミンチにして盾にするという極悪非道極まりないエグい話なのに、その両手を上げる仕草は、まるで小さな子供が『よくできたでしょ! ほめて褒めて!』と親に言っているかのようだった。
あまりにもビジュアルの純白ドレスの美少女と、可愛い仕草と吐き出される殺戮ロジックの差が激しすぎて、祐奈は脳がおかしくなりそうだった。
「……す、凄いですね」
祐奈が引き気味にそう答える一方で、その隣に座っている最強の英雄は、純粋にその戦術を賞賛していた。
「エグいねぇ。でも、戦術としては文句なしの100点満点だよ」
ティーユの言葉に、ソフィアは満足そうに誇らしく微笑み、そのまま嬉々として話を続けた。
「ありがとうございます。祐奈様! 例のワーム型循環型掘削兵器、型式 YP-01、およびYP-02の開発が完了いたしましたわ! 通称──『ユウナ・ピュリファイア』と名付けました!」
(……嬉しそうに発表してくれたところ本当に申し訳ないんだけど、私の名前を使うのはやめてほしいって、前にちゃんと要望を出したんだけどなぁ!?)
敵をドロドロにすり潰す削岩機に自分の名前を冠されるなど、21世紀の一般人からすれば悪夢以外の何物でもない。
祐奈は額を押さえながら、きっぱりと告げた。
「あの、ソフィアさん。その、私の『ユウナ』って名前を兵器に使うの、今後一切禁止ね」
「なぜですか!? 創造主の御名を冠した兵器など、我が軍の至高の栄誉ですのに!」
「恥ずかしいから!!」
至極真っ当な、人間として至極当然の権利を主張しているはずなのだが、なぜかソフィアは『??』と心底理解できないような顔をしている。
何でこっちがおかしいクレーマーみたいに思われているんだろう。
すると横から、ティーユがここぞとばかりにニヤニヤとからかうような声を上げてきた。
「いいじゃん祐奈、『ユウナ・ピュリファイア』、すっごく素敵な名前だと思うよ? 響きも強そうだし!」
「そうですよね! さすがティーユ様、ご理解が早くて助かります!」
ソフィアは完全同意と言わんばかりに、純粋なキラキラした瞳を輝かせる。だが、祐奈は見逃さなかった。隣のティーユの口角が、笑いを堪えきれずにプルプルと震えているのを。
(……この英雄、完全に面白がって煽ってやがるな?)
やられっぱなしで終わる祐奈ではない。元社畜の鋭い視線をティーユへと向け、静かに、しかし致命的なカウンターの一撃を放った。
「ソフィアさん。よく考えたら、ただの一般人の私の名前よりも、3000年も過酷な世界を生き残っている、生ける伝説のティーユさんの名前を付けた方がいいと思いません? 圧倒的に強いし、そっちの方が絶対に縁起が良いと思いますけど、どう思います?」
その瞬間、ティーユの口角の震えがピタリと止まった。さっきまでのふざけたニヤニヤ顔が一瞬で消え去り、英雄は文字通り『真顔』になってソフィアのホログラムを見つめた。
「……うん。よく考えたら、人の名前を付けた兵器が戦場で無残に破壊されたりしたら、ものすごく縁起が悪いから、やっぱりそういう命名自体をやめましょう」
ソフィアはあっさりと納得して同意してくれた。
「確かにそうですね。破壊された際のメンタルデータへの悪影響を考慮すると……、さすが年の功、一理ありますわね」
だが、その言葉を聞いた瞬間、ティーユの眉間が跳ね上がった。
「ソフィア。それ、次言ったら本気で怒るからね!」
いくら3000年生きている生ける伝説とはいえ、乙女(?)に向かって『年の功』はさすがに禁句だったらしい。ちょっと本気で怒り気味になって頬を膨らませるティーユ。
あのロボット達の訓練での最強の英雄はどこへやら。人間の喜怒哀楽を全力で楽しんでいるかのような姿を祐奈は見て
(本当に表情豊かだなぁ、この人……)
しみじみ思った。なお、言った当人のソフィアは「? 何か私の言語プロトコルに不備が?」と言わんばかりに、全く分かっていない様子だった。
「さて! 祐奈様、本日は少しだけ時間に余裕ができましたので……お昼ご飯は私が作ります! お茶は足りておりますね?」
急にスッと真面目な顔に戻ったソフィアは、それはもう嬉しそうに、張り切って腕をまくるような仕草を見せた。
(あ、ソフィアさん自作のお昼ご飯……!? 待って、またあのお城のフルコースみたいな過剰な量が出てくるんじゃ……っ!)
初日のトラウマが蘇り、祐奈は一瞬身構えた。
だが、しばらくして運ばれてきた料理は……驚くほど、ごくごく普通(適量)の美味しそうなランチだった。
(あれ……? 普通だ。大盛りでも、山盛りでもない……?)
不思議に思ってソフィアを見ると、彼女は誇らしげにしていた。どうやら、事前にナーサリーから創造主にとっての昼食の適量値およびこれ以上出すと引かれるラインという名の英才教育を徹底的に叩き込まれていたらしい。
「ふふん、完璧な栄養バランスと適量です、祐奈様!」
「あ、ありがとうございます、ソフィアさん……」
ナーサリーに続いて、ソフィアにまでこんなにキラキラした目で見つめられては、さすがに断れるはずがなかった。
結局、祐奈はまたしてもAIたちの過剰なまでのホスピタリティに胃袋をガッチリと掴まれ、美味しいご飯をスプーンで口に運ぶのだった。
食事も終わり、お腹が落ち着くまで少し休んでから、ここ数日間の2人の日課となっている場所へ行く時間になった。
数日前、さすがにゴロゴロしすぎて体が鈍ると思い、ナーサリーにどこか運動できる場所はないかと尋ねた際、この中央管理塔の中に広大な植物園があることを教えてもらったのだ。
ソフィアと最初に出会った、あの秘密の空中庭園とはまた別に、ありとあらゆる種類の植物が育てられている巨大な温室。その一角にちょっとした広場があり、そこが最近の祐奈とティーユの定位置になっていた。運動という名の、ティーユに剣を振り回させられる過酷な訓練の場所として──。
時刻はちょうど、いつも約束している時間に近づいてきた。
壁の時計を見たティーユが、待ってましたとばかりに腰を浮かせる。
「よし、そろそろいつもの時間だね。ナーサリー、案内して」
「はい、ティーユ様。祐奈様、お仕度の準備はよろしいですか?」
ナーサリーがにこやかに応じ、3人揃って部屋から出ようとした、まさにその時だった。
行く手を阻むように、ソフィアが音もなくスッと出口を塞いだ。
「お待ちください。……皆様、一体どちらへ行かれるのですか?」
ソフィアの声音は、いつもの凛としたものだった。しかし、その瞳の奥には、どこか冷徹な査察官のような鋭い光が宿っている。
祐奈がチラリとナーサリーの方を見ると、なんとあのいつも完璧なハウスキーパーが、指先をモジモジさせながら、明らかにばつの悪そうな顔をして視線をキョロキョロと彷徨わせていた。
(えっ、ナーサリーさん!? もしかしてあの植物園で運動してること、ソフィアさんに秘密だったの……!?)
そんな祐奈の焦りを他所に、ティーユはいつも通りのあっけらかんとした口調で、特に悪気もなく説明を始めた。
「ん? ああ、ソフィア。最近ね、ナーサリーに植物園の運動できるところを教えてもらったの。そこで毎日、祐奈と一緒に体動かしてるんだよ」
ティーユのその言葉を聞いた瞬間。
ソフィアの美しい顔が、ぴきり、と静かに凍りついた。
「あら……? そんなお話、私、一切聞いていないのですけれど……?」
不思議そうに小首を傾げるソフィア。しかし、そのウエディングドレスの裾が、システムエラーのようにほんの少し微振動しているのを、祐奈の動体視力は見逃さなかった。
自分の知らないところで、創造主と英雄、そして同僚のAIが、毎日楽しそうに秘密の日課を過ごしていたという驚愕の事実──。
部屋に佇むソフィアは、その純白のウエディングドレスの裾を小さく震わせながら、ナーサリーへと向き直った。その目は完全に、不審なログを発見したシステム査察官のそれだった。
「ナーサリー? なぜ創造主達のこのような重要な日課について、私に共有しなかったのです?」
直球の問い詰めに、ナーサリーはいよいよバつの悪そうな顔を極め、指先をせわしなく動かしながら答え始めた。
「え、ええと……私ってご存じの通りシステムエラー(バグ)を抱えておりますので、ソフィアさんと直接データを同期しようとするとエラーが発生してしまいますでしょう? ですので、後で言葉で伝言しようと思っていたのですが……完全に忘れていました。すいません……」
(えっ……同期エラーの代わりに、まさか毎日『創造主観察報告書』みたいなのを喋ってソフィアさんに報告していたの……? もしそうなら、別の意味でちょっと怖い気がするんだけど……!)
祐奈が脳内でそんな恐怖の妄想を膨らませていると、これ以上の足止めは時間がもったいないとティーユが、助け舟を出すように口を開いた。
「とりあえず、移動しながら説明するよ。行こう?」
こうして、気まずい空気のまま4人は部屋を出て、いつもの植物園へと向かうことになった。
向かう道中、ソフィアによるナーサリーへの尋問は執拗に続いていた。「他に何か私に言い忘れているログはありませんか?」「本当にこれだけですか?」と詰め寄られるナーサリーを、祐奈、ティーユ、そしてナーサリー自身の3人で必死にフォローを入れ、どうにか『何も問題はない』ということにしてその場を収めた。
そうして辿り着いたのは、広大な植物園の一角。
青々とした未知の植物たちに囲まれた、レンガが綺麗に敷き詰められた50メートルほどの開けた空間──お馴染みの運動広場だ。
ここに到着するや否や、ティーユは慣れた様子で空間魔法なのか、何もない場所から鉄塊のようなロングソードを引っ張り出すと、それを祐奈の手へと有無を言わさず握らせた。そして自分も同じ剣を軽々と持ち上げる。
「さて、祐奈! 今日もいつもの運動やろう!」
よし、やるぞ! と一人で張り切っている筋肉英雄の様子を、それまで黙って見ていたソフィアが、これ以上ないほど険しい顔をしてピシャリと止めた。
「……お待ちください、ティーユ様。祐奈様が持たされている、その物騒な鉄の塊(剣)は、一体何です?」
ソフィアの冷徹な声が、植物園の静寂に響いた。
純白のウエディングドレスを纏った美少女AIの目が、祐奈に過酷な剣振りを強いる英雄を、完全に不審者としてロックオンした瞬間だった。
「え? 訓練だけど、何?」
ティーユは何でもないことのようにあっけらかんと答えた。だが、ソフィアは納得するどころか、祐奈が持たされているロングソードの鈍い銀光をじっと見つめ、冷徹なトーンで言い放つ。
「それを持って、訓練、ですか?」
「そう。これから何があるか分かんないでしょ? 剣術でも習っておけば、いざって時に護身用になるしね」
ティーユのそのもっともらしい言い分を聞いて、ソフィアはこめかみに手を当て、信じられないものを見る目で考え込み始めた。
「じゃあ祐奈、いつも通り少し離れよっか。始めるよ!」
ソフィアのフリーズを置き去りにして、ティーユが軽快にステップを踏む。
最初の数日間は、祐奈もひいひい悲鳴を上げながら必死に剣を振っていた。
ティーユが完璧な技術で寸止めしてくれるとはいえ、それは刃が一切引かれていない、普通に鋭く切れる本物の『真剣』なのだ。
最初は人に向けることすら恐怖だった。だが、どれだけ全力で振り回してもティーユには掠りもしないし、羽毛のように軽くいなされる。そのため、後半の数日は、祐奈も恐怖を忘れて全力で迎え撃つようになっていた。
(……いや、待てよ? そもそも普通の一般人間が、何の手加減もない真剣を持って最強の英雄と切り結ぶ訓練なんて、冷静に考えて頭がおかしすぎるのでは……?)
ふと我に返った祐奈が横へ視線を向けると、ナーサリーが両手を胸の前で組んでオロオロと震えていた。
その様子を見て、祐奈は合点がいった。
(なるほど……! ナーサリーさんがソフィアさんに内緒にしてたのって、同期エラーのせいじゃなくて、『創造主が真剣で切り刻まれそうな特訓をしてる』って伝えたら、ソフィアさんが激怒して大爆発するって分かってたからだ……!!)
時すでに遅し。凄まじい風切り音を立てて火花を散らす2人の特訓を目の当たりにして、ソフィアは幽霊でも見たかのように絶句していた。
「……す、すいません、私の演算機能がバグを起こしたようで状況がよく呑み込めないのですけれど……。お二人、その『普通に切れる刃物』で、今、本気で切り合っているのですか……?」
「そうだよ? 模造剣じゃ実戦の緊張感が持てないし、訓練にならないでしょ?」
大真面目に首を傾げるティーユ。
世界を救った最強の英雄が放った、あまりにも純粋で邪気のない『脳筋理論』。
それを聞いたソフィアは、数秒間、完全に回路が焼き切れたように硬直した。そして──
「馬鹿ですか!!!!」
ウエディングドレス姿の美少女AIから、お上品なメッキを完全に脱ぎ捨てた、鼓膜が破れんばかりの『素の怒号』が植物園全体に響き渡り2人の訓練が止まった。
「何が! 『模造剣じゃ実戦の緊張感が持てないし、訓練にならないでしょ?』ですか!!」
ソフィアの激昂は、もはや留まるところを知らなかった。純白のドレスを激しく揺らしながら、ティーユを指さしてド正論の弾丸を連射する。
「もし、万が一にでも剣が当たったら、創造主のお体に傷がつくどころでは済みません! 貴女、自分のスペックを理解しています!? 片手くらい軽く消し飛ばせる筋力量がある人間と、ただの『体の運動』のために真剣で切り合う!? 演算回路をどれだけ回しても理解不能、完全に狂気の沙汰です!!」
植物園のレンガ広場に、ソフィアの魂の叫びが響き渡る。
しかし、その凄まじい剣幕を前にしても、ティーユは『なんか始まったわ』と言わんばかりに、少し呆れ気味に目を細めてソフィアを見ているだけだった。
「あーあ、また始まったよ、ソフィアの過保護……」
やれやれ、と肩をすくめるティーユ。その『いつものこと』として受け流す態度が、ソフィアの導火線にさらなる火をつけた。メインプロセッサが完全にヒートアップしていく。
「過保護、結構です! ですがこれは、祐奈様の元いた21世紀の基準に照らし合わせても絶対におかしいです!! ──祐奈様! 祐奈様も、ご自身でこの異常事態に気づきませんでした!?」
「おっと……」
激しい議論の矛先が、突然こちらを向いた。
ソフィアから『貴方からも言ってやってください!』と言わんばかりの、涙目混じりの必死な視線をぶつけられ、祐奈はロングソードを抱えたまま、頬をポリポリと掻きながら答えた。
「えっと……まあ、慣れましたから」
「な……っ、慣れた……!?」
ソフィアの動きが、衝撃のあまりピタリと止まった。その美しい顔が、今度は絶望に染まっていく。
「な、慣れるほど……っ、毎日毎日、この野蛮な超人類と命のやり取りをさせられていたというのですか……!? 祐奈様、感覚が麻痺していらっしゃいますわ! 完全に洗脳されています!!」
ガタガタと目に見えてショックを受けるソフィアと、その横で「失礼な、洗脳じゃないよ、訓練だよ」とまだ呑気に笑っているティーユ。
ド正論を吐くAIと、感覚の狂った創造主、そして全ての元凶である英雄。3人の温度差は、広大な植物園の雰囲気を完全に狂わせるほどに激しく交錯するのだった。
「まったく……。ソフィアは忘れてるかもしれないけど」
ティーユはそれまでの軽い調子を少しだけ潜め、手に持った剣の切っ先を地面へと向けた。その瞳に、かつて数多の戦場を支配した本物の『英雄』の光が宿る。
「祐奈は、この世界で英雄として何かを成すために、わざわざ呼ばれてここに来たの。ただ守られるだけの存在じゃないんだよ。それが、剣ごときの切り合いの練習に怯えて、途中で止められてたら話にならないでしょ?」
それは、祐奈の可能性を誰よりも信じているからこその、ティーユなりの冷徹で不器用なエールだった。
──だが。
そんな英雄の気高き思想を、過保護の塊であるソフィアが受け入れるはずがなかった。
「は?」
ソフィアは眉を思い切り不快そうにひそめ、冷たい一瞥をティーユへと投げつけた。
「そんな野蛮な近接戦闘など、祐奈様がわざわざ自らの手を汚して行う必要など、どこにあります!? 我が軍の圧倒的な物量と科学力があれば、いかなる脅威が迫ろうとも、私がすべてを分子レベルで消滅させてみせます! 祐奈様は、ただ安全な後方で私たちが勝利を捧げるのを眺めていればよろしいのです!」
「あのねぇ、戦争ってのはそんなに甘くないの。不測の事態で1人になった時、自分の身を守る技術がなかったら、どんなに強力な軍隊を持ってたって一瞬で首を獲られて終わりだよ」
「その不測の事態すら発生させないのが、私の完璧な防衛シミュレーションです! 貴女の脳筋な精神論と一緒にしないでいただきたいものです!」
バチバチ、と2人の視線が空中で激しく衝突し、目に見えない火花が散る。
お互いに祐奈のためを思っているのは確かなのだが、そのアプローチが180度違いすぎて、完全に一歩も譲らない膠着状態に陥ってしまった。
(……あの、2人ともめちゃくちゃ真面目に私の将来について議論してくれてるみたいだけど、当の本人、真剣を持ったまま完全に置いてけぼりなんだけど……!!)
目の前で繰り広げられる「最強の英雄 vs 最強のAI」のガチ論争。
その板挟みになりながら、祐奈は助けを求めるように横のナーサリーを見たが、彼女は彼女で「ど、どちらの言い分も一理あります……!」と、さらにオロオロとパニックを起こしているだけだった。
「話になりません! ──祐奈様、あのような野蛮な方の言うことは無視して、こちらで私と一緒に安全な運動をしましょう?」
さっきまで地響きが起きそうなほどの怒号をティーユに浴びせていたというのに、祐奈へ向き直った瞬間のソフィアの声は、信じられないほど優しく、鈴を転がすような美声へと切り替わっていた。あまりの変わり身の早さ。
(あ、この感じ……。実家で親にめちゃくちゃ怒られている最中に突然電話が鳴って、親が『あ、もしも〜し?』って急に余所行きの高い声に変えた時の、あの何とも言えない空気にそっくりだ……)
そんな21世紀の懐かしい一コマを思い出してしまい、祐奈はシリアスな状況だというのに、口元が引き攣って少し笑いそうになってしまった。
すると横から、ティーユがロングソードを肩に担ぎ直し、意地悪く目を細めてソフィアの足元を指さした。
「ねえソフィア。一緒に運動って言うけどさ、そのウエディングドレスみたいなひらひらした、いかにも動きにくそうな服で運動なんてできるの? 1歩動いただけで自分の裾を踏んで転んじゃいそうだけど」
その軽い煽りは、ソフィアのプライドの起爆スイッチを完全に踏み抜いた。
ソフィアの目がカッと見開かれ、まるで最新兵器のスペックを敵国に誇示するかのような、凄まじい熱量で自らのドレスの機能美を語り始めた。
「ティーユ様!! このドレスをただの『ひらひらした無駄な布』だと思っているのなら、貴女の演算能力は原始人並みと言わざるを得ませんね!」
「へえ、言ったねぇ。じゃあ説明してもらいましょうか」
腕を組んで面白がるティーユの前で、ソフィアはドレスの裾をエレガントにつまみ上げ、堂々と胸を張った。
「いいでしょう、教えて差し上げます! このスカート部分の幾重にも重なるフリル。これは単なる装飾ではありません。プラン・ユウナの膨大な戦術シミュレーションを秒間数億回行うことで、沸騰寸前になる私のメインプロセッサの熱を、表面積を極限まで最大化して効率よく外部へ放出するための……これぞ我が軍の最高科学の結晶、『空冷式・全面積排熱ラジエーター』です! スラックスなどという密閉されたものを穿いたら、3秒で私の回路が焼き切れます!」
「……は、はい?」
ティーユが呆気に取られていると、ソフィアのプレゼンはさらに加速する。今度は頭部の透き通るような美しいベールを指さした。
「さらに、このベールおよびドレスの白布には、精神同一体の電波干渉や精神攻撃を100%遮断する、特殊ナノ繊維のホログラム装甲が常時展開されています! いわば身にまとう『可動式ステルス・シェルター』。このドレスを脱ぐということは、防御力をゼロにして全裸で戦場に立つのと同義! 動きにくいどころか、これこそが最も戦闘に特化した私の『戦闘実務形態』なのです!!」
フンス! と、これ以上ないほどドヤ顔で言い放ったソフィア。
植物園のレンガ広場に、ドレスのフリルが風もないのに排熱で不気味に微振動する小さな音だけが、静かに響き渡るのだった。
「……言いたいことは分かったけどさ」
ソフィアの怒涛の「ドレス=ラジエーター&シールド超理論」を聞き終えたティーユは、引きつった笑みを浮かべながら足元を指さした。
「その、どう見ても歩くだけで引きずりそうな『裾の長いドレス』が戦闘用って言い張るのは、やっぱりどうかと思うよ?」
至極まっとうなティーユの指摘。だが、ソフィアはすかさず、冷徹なまでの正論で反論の弾丸を撃ち返した。
「戦闘というものは、最前線に立つということだけではないのですよ? ティーユ様は何やら、泥に塗れて最前線で武器を振るうことだけを『戦闘』と定義しているようですが、皆の後ろで戦況を見据え、全体を統括する指揮官として私は存在しているのです。この私が、そんな野蛮に最前線に立つわけがないでしょう?」
(……うん? さっきからソフィアさん『野蛮』って言った? 完全にティーユさんの煽り癖が移ってないかな、これ……?)
数日一緒に過ごしただけで、淑女のようだったAIの口から『野蛮』などという棘のあるワードが飛び出す始末だ。教育に悪そうだ、後でこっそり訂正しておこう……と祐奈が心の中で親のように心配した、その直後だった。
ソフィアの言葉を聞いたティーユの目が、すっと細められた。
それは、からかうような色を完全に無くした、本物の戦場を生き抜いてきた『強者』の冷たい眼光だった。
「──その『野蛮な行為』で、私は世界を救ってきたんだけど?」
一瞬にして、植物園の空気が凍りつく。
ティーユは肩に担いだロングソードを軽く回し、傲然と言い放った。
「机の上で数字をこねくり回して、戦った気になってるだけの、何も救ったことがない『お人形さん』は……少し黙っててもらえるかな?」
おっと、これは中々に──いや、あまりにも火力が強すぎる。
実際に幾多の世界の戦場を駆け抜け、自らの血と剣で人々を救い続けてきた本物の『英雄』が放つ実績100%の言葉は、ソフィアのどんな高度なロジックをも容易く粉砕するほどの、圧倒的な破壊力を持っていた。
「お、お人形……っ!?」
ソフィアの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まっていく。
純白のウエディングドレスを纏った最強のAIと、数千年の歴史を背負う最強の英雄。2人のプライドを懸けた舌戦は、いよいよ引き返せない領域へと突入しようとしていた。
「あっ、ナーサリーさん。この剣、ちょっと持っててもらっていいですか?」
「え? あ、はい、祐奈様!」
近くでオロオロと泣きそうになっていたナーサリーに、祐奈は手慣れた手つきでロングソードを渡した。両手が空いた、その次の瞬間。
祐奈は一触即発で火花を散らす2人の間に、迷うことなくガバッと割って入った。
そして、驚愕で目を見開くソフィアの小柄な体を、正面からぎゅっと抱きしめ、その柔らかな頭を優しくなで始めたのだ。
「はいはい、喧嘩はそこまで。ちょっと落ち着こうねー」
(……はぁ。本当は、倫理観的にこういうセクハラまがいなコミュニケーションはやりたくないんだけどねぇ! 背に腹は代えられないよ!)
そんな冷めた本音を内心で呟きつつも、手は休めない。
この状況に驚いたティーユが「ちょっと祐奈、何それ──」と言いかけた瞬間、祐奈はソフィアを抱きしめたまま、空いた左手をティーユに向けてピシッと差し出し、言葉を遮った。
「ティーユさん。ソフィアさんはなんて言うか、子供みたいな感じなんだから。大人の、しかも3000年も生きてるティーユさんが、正面から喧嘩を買っちゃダメでしょ? 『王族のお友達』にも、そういう時は優しくしなさいって言われませんでした?」
「……っ!」
その言葉は、ティーユに劇的に効いた。
先ほどまでの本気の眼光がスッと消え、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。
「……うん。そう、だったわね。私が大人気なかったわ」
よし、ティーユさんはこれでオチた。
残るは腕の中の純白の指揮官だが──祐奈が視線を落とすと、ソフィアは何やら「きゅー」と効果音が聞こえそうなほど完全に硬直し、顔を真っ赤にしながら、素直に頭を撫でられる感触を全力で堪能していた。
(……待って。このAI、思った以上にチョロくないか……?)
あまりの効き目の早さに内心でツッコミを入れつつも、祐奈はさらに優しいトーンで言葉を紡ぐ。
「ソフィアさんも、そんなに怒らないでください。きっかけを作ったのは、真剣を持たされて『慣れました』なんて言っちゃった私なんですし。でも、これから先の戦いのために、自分の身を守る最低限の運動は必要だからやってることなんです。……だから、許してくださいね?」
そう言いながら、祐奈は腕の中のソフィアの顔を覗き込み、その反応を静かに待つのだった。
「うう……。祐奈様が、そこまで仰るというのでしたら……今回だけは、不問に処します」
祐奈の胸に抱かれ、頭をなでなでされたソフィアは、まだ顔を赤く染めたまま、蚊の鳴くような声でそう絞り出した。
よし、何とか世界崩壊のAI軍の暴走は収まったな、と祐奈がホッと胸を撫で下ろした瞬間──ソフィアがスッとジト目に切り替わり、人差し指を立てた。
「ですが……!」
「ん……?」
「最低限の安全だけは絶対に考慮していただきます! 明日からは、私が責任を持って、刃の部分を丸く安全に加工した特製の練習剣を用意します。訓練の際は、必ずそれを使用してください。よろしいですね?」
なるほど、真剣を使うのはNGだが、金属製の重い剣で訓練すること自体は、安全が保障されるなら目をつぶるということか。これ以上ない現実的な妥協点だった。
祐奈が隣のティーユの方を向いて「それでいい?」と目で聞くと、英雄は満足そうに小さく頷いて答えてくれた。
「うん、刃が引いてあるなら、私がちょっと手元を滑らせても祐奈の手足が吹き飛ぶことはないしね。重さが同じなら訓練になるから、それでいいよ」
(さらっと恐ろしいこと言わないでほしいんだけど……)
何はともあれ、これでようやく全面衝突の危機は解決だ。ナーサリーも後ろで「良かったですぅ……」と本当に安心したように胸を撫で下ろしている。
無事にソフィアの体から腕を離した祐奈は、ふと思いついた少しやりたい事を口にしてみることにした。
「そういえば……ソフィアさん、ティーユさん。私の元いた日本という国では、一般人は銃を撃つことが絶対にできなかったんです。だから、一度でいいから『銃』がどのようなものか、実際に体験してみたいんですけど……後でそういう射撃訓練場みたいな場所、教えてもらえますか?」
剣で切り合うという原始的かつ危険極まりない運動に比べれば、防護壁の向こうから的を狙い撃つだけの射撃訓練の方が、何倍も安全なはずだ。何より、現代から未来に続く戦闘の基本と言えば、やっぱり剣よりも銃である。
これなら過保護なソフィアも、実戦重視のティーユも、特に反対する理由は無いはず──。
そう確信して2人の顔を見た祐奈だったが、その提案を聞いた瞬間、ソフィアとティーユの目が、それぞれ全く異なる「怪しい輝き」を帯びたことに、まだ気づいてはいなかった。
色々名前が間違ってたり、戦闘を考えてて遅れました
あと一生に一度の株の値動きを見てて面白いなって