「祐奈様、ティーユ様。そろそろお遊び──失礼、射撃訓練を切り上げたらどうでしょう?」
ソフィアの呆れたような、しかしどこかホッとしたような声に、2人はハッと我に返った。M4に似た『骨董品』を夢中になって撃ち合い、的を外しては笑い、当たってはハイタッチを交わしていた2人は、完全に時間を忘れていたようだ。
「えっ……嘘、もうそんな時間なんだ?」
「あはは、結構時間が経ったからね」
ティーユが使い慣れたライフルを空間の歪みへと仕舞い込みながら、祐奈の顔を覗き込んできた。
「ねえ祐奈、腕、痛くない? 大丈夫?」
「え? 腕……?」
言われて、祐奈は自分の両腕を意識してみた。
するとその瞬間、アドレナリンが完全に切れたのか、それまで銃を支えていた前腕から肩にかけて、もの凄い疲労感が津波のように押し寄せてきた。
「う、嘘……プルプルしてる……」
見れば、祐奈の腕は生まれたての小鹿の脚のように、小刻みにけいれんを始めている。未来の技術で反動が軽減されているとはいえ、本物の銃を何十発、何百発と撃ち続けたのだ。一般人の筋肉が耐えられる限界をとうに超えていた。感覚が麻痺していただけで、これは明日、確実に文字通りの『地獄の筋肉痛』がやってくる。
「ティーユさん……ちょっと明日は、これ以上の運動は無理かもしれないです……」
情けない声を上げながら両腕をだらんと垂らす祐奈。すると、それまで不満げだったソフィアの表情が、パァッと信じられないほど嬉しそうに輝いた。
「まあ! それは大変ですわ、祐奈様! 創造主様の尊いお体に障っては一大事ですからね。ええ、ええ、仕方がありません! 明日の訓練は『完全中止』にいたしますわ!!!」
「(あ、やっぱり相当嫌だったんだ、あの訓練……)」
あからさまにガッツポーズをしそうな勢いで喜ぶ過保護AIを見て、ティーユも「あはは、過保護だね」とクスクス笑っている。
そんな賑やかな彼女たちの元へ、ずっと壁の付近で静かに待機していたナーサリーが、パタパタと柔らかい足取りで近づいてきた。その顔には、満開のひまわりのような優しい微笑みが浮かんでいる。
「皆様、とっても楽しそうに遊んでいらっしゃって……ふふ、見ているこちらまで、なんだか心がポカポカして、とっても楽しくなってしまいました」
どこか、泥遊びを終えて帰ってきた我が子たちを温かく迎える母親のようなナーサリーの感想。
これには、さっきまで『うりゃあああ!』と雄叫びを上げながら銃を乱射していた祐奈とティーユも、急に我に返って顔を真っ赤にした。
「う……あ、あはは……ナーサリー、なんか子供っぽくて恥ずかしいところ見せちゃってごめんね……」
「うぐっ、別に私は遊んでたわけじゃないんだからね……?」
2人は少し決まり悪そうに目を泳がせながら、互いの顔を見合わせて苦笑いする。
こうして、硝煙と笑い声に包まれた賑やかな射撃場を後にし、彼女たちは次のエリアへと、少し恥ずかしそうに足を並べて移動し始めるのだった。
「祐奈祐奈、銃相当撃って硝煙くさいからすぐシャワー浴びたほうが良いよ」
ティーユに言われて自分の服の襟元を引っ張って匂いを嗅いでみると、確かにツンとする火薬の匂いが染み付いている。
「そうですね。このまま部屋でくつろぐと匂いが部屋につきそうですね……」
とはいえ、みんなで1つの浴室に押し寄せるわけにもいかない。特にナーサリーとソフィアが掃除するのに、火薬臭い大人がバタバタするのも申し訳ないし、どうしたものか。
ソフィアは待ってましたとばかりに目を輝かせて提案してくる。
「でしたら、目新しい物が好きそうですし、未来のお風呂はいかかでしょう?」
「未来の、流行ったお風呂……?」
お風呂にお湯を張って、シャワーで体を洗って湯船に浸かる。それ以外に一体何があるというのだろうか。まさか、お湯の代わりに電気でも流されるんじゃ……恐怖が頭をよぎる。
ティーユは興味津々でワクワクしているようだ
「へえ、未来のお風呂! どんなの? ボタンを押すと滝が流れてくるとか!?」
ソフィアは少し笑いながら答えてくれた
「フフ、そんな原始的なものではありませんわ。我が人類軍が誇る『全自動メンテナス・スキンケア・ポッド(通称:人間洗濯機マークIV)』です。祐奈様はただ中で立っているだけで、最新のナノバブルが毛穴の奥の硝煙を完全にハイドロ洗浄いたしますわ!」
(う~ん? 立ってシャワーを浴びる感じなのだろうか?)
そう祐奈が頭の中で首を傾げていると、ナーサリーが「こちらですよ」と手を引いて、奥の部屋へ案内してくれた。
自動扉が滑らかに開いた先。そこに待っていたのは……およそ『お風呂』という言葉から連想されるものとは程遠い光景だった。
縦3メートルほどの卵型のポッドが、近未来的な白い壁沿いに左右に10個ほどズラリと配置されている。それ以外には椅子も鏡もなく、お世辞にもリラックスできそうにない、なんとも殺風景な部屋だ。
「……これがお風呂ですか?」
祐奈が思わず眉をひそめて疑問を口にすると、横からナーサリーが「ふふっ」と誇らしげに答えてくれた。
「創造主様から言わせると、シャワーにあたるのでしょうか。私達の義体(ぎたい)も、これに入って洗浄するのですよ?」
「なるほど、ソフィアたちのAIの義体のためのシャワーか。道理で殺風景なはずだ……」
納得する祐奈の横で、ティーユは見たこともない謎のハイテク機械を前にして、「おぉー……」と目を輝かせて感嘆の声を漏らしている。
「では祐奈様、ティーユ様。こちらのスキンケア・ポッドにお入りくださいまし」
ソフィアがポッドのハッチを促すように手を差し向ける。だが、そこで祐奈はある決定的な違和感に気づき、足を止めた。
部屋を見渡しても、服を脱ぐための脱衣所もなければ、カゴも、目隠しのカーテンすら用意されていないのだ。
「えっと……ソフィアさん。服を脱ぐ場所は、ないのですか?」
祐奈がそう尋ねると、ソフィアは心底不思議そうにパチクリと瞬きをした。
「なぜそのような場所が必要なのですか? この場で服を脱いでください。服はすぐにポッドの自動洗浄機能できれいにしてお返しします」
──え?
祐奈とティーユの目が、バチッと綺麗に合った。
お互いの目の中に書いてある感想は、完全に一致している。
『いやいやいや、異性がいる中で服を脱げと!?』
いくらなんでもデリカシーがなさすぎる。完全なフリーズ状態で2人がカチコチに固まっていると、今度はナーサリーがトコトコと歩み寄ってきて、そっと祐奈の服の裾を掴んだ。
「あっ、もしかして、服を脱がしてほしいのですか? お待ちくださいね、今やってあげますから!」
「いやいやいや!! 皆が居る場所で脱げるわけ無いでしょ!?」
「そうだよ! 祐奈(男)がいるんだよ!?」
油断するとすぐに子供扱いしてくるナーサリーと、デリカシーゼロのシステムに対し、2人は顔を真っ赤にして全力で反論した。
だが、ソフィアは相変わらず首を傾げたまま、完璧なマシンの論理で首を傾げる。
「え? 身体測定の際に、お二人の全ての身体データはすでに取得させていただいておりますが……。今更、何が困るというのです?」
「「それとこれとは話が別!!!」」
数値データとして見られるのと、生身の状態で目の前で脱ぐのとでは、精神的ハードルが天と地ほど違う。
超高性能AIたちの完璧すぎる「無自覚な羞恥心攻撃」に、腕をプルプルさせた創造主と、異世界の英雄は、お風呂に入る前から全力の精神的防戦を強いられるのだった。
「そ、そうだ! いつもの部屋のお風呂には脱衣所あったよね!? あれが必要なんです!」
祐奈は赤くなった顔を隠すように、必死の思いで記憶を掘り起こして叫んだ。地下基地の居住区にある、あの見慣れた部屋の浴室。あそこには当然のように、服を脱いで置いておくためのプライベートな空間が存在していたはずだ。
「あれが必要……? はて、あの部屋の脱衣スペースは、単に洗濯カゴを配置するための『効率的な動線確保』として設けただけですが……」
ソフィアは人差し指を顎に当てて、本気で合点がいかないといった様子でブツブツと呟いている。データや効率という物差ししか持たない超高性能AIにとって、人間の見られたくないという繊細な境界線は、どうしてもプログラミングのバグのように見えてしまうらしい。
すると、2人の猛抗議にようやく何かを察したのか、ナーサリーがポンと小さく手を叩いた。
「分かりました! つまり、ソフィアさんや私に見られるのが、恥ずかしいということですね?」
「「そう!!」」
今度こそ伝わった、と祐奈とティーユが同時にホッと胸をなでおろした──のも束の間。
ナーサリーはフンスと大きな胸を張ると、2人の前にトコトコと移動し、これ以上ないほど健気に両手を左右にパッと広げたのだ。
「でしたら、私がこうして『壁』になります! 私の後ろで隠れて脱げば、ソフィアからは見えませんよ!」
「いや、ナーサリーさん……気持ちはすっごく嬉しいんだけどね?」
祐奈は思わず、手で額を押さえた。
ナーサリーがどれだけ頑張って両手を広げたところで、そのその細身の体型では、祐奈の体を半分も隠せやしない。むしろ、ナーサリーの後ろから2人の頭や肩が盛大に見えていて、シュールな目隠しコントのようになってしまっている。
というかこっちを向くて何を隠すというのか見てるじゃないか。
「ナーサリー、全然隠れてないよ! あと向きが逆だよ!」
ティーユも呆れたようにツッコミを入れるが、ナーサリーは「えっ? おかしいですね……完璧なシールドの構えのはずなのですが……」と、自分の手を見つめて不思議そうに首を傾げている。その様子は、どこかおっちょこちょいで微笑ましい。
「仕方がありません……」
さすがにこれ以上の押し問答は時間の無駄と判断したのか、ソフィアがため息をつきながら、手元の端末の画面をパパッと操作した。
「人間の『羞恥心』というパラメータは、本当に計算式が複雑で難しいです。──『簡易プライバシーシールド』、展開」
ソフィアが画面をタップした瞬間。
天井のスリットからプシューッと微かな風の音が響き、卵型のポッドの周囲を囲うように、半透明のスモーク状のホログラム壁がシャアッと滑り降りてきた。外からは中のシルエットすら完全に遮断する、即席の『脱衣スペース』の完成だ。
「これなら文句はありませんね? さあ、腕の筋肉痛が本格化する前に、早くその硝煙臭い服を脱いでポッドへお入りください、創造主様」
やれやれと言いたげなソフィアの案内を背に、祐奈とティーユはようやく命拾いしたような面持ちで、それぞれのシールドの裏側へと逃げ込むのだった。
卵型ポッドの側面がカシャリと音を立てて半分に割れ、中へ入るための小さな階段と、直立して立つためのスペースがギミックのように現れた。
即席の『脱衣スペース』はできたものの、シールドの裏側には服を置いておくためのカゴも棚もない。
「しょうがないな……」
祐奈は苦笑いしながら、地べたの床に直接、靴と服を脱ぎ捨てた。そのまま裸でポッドの中へと入り、少し身構えて待つ。
やがて、プシューッという密閉音と共に割れていた卵が滑らかに閉じた。
完全に周囲を機械の壁に囲まれる。21世紀のビジネスホテルにあるような小さなシャワールームには入ったことがあったが、それよりも遥かに狭く、独特の圧迫感が全身を包み込んできた。
(これ、本当にどうなるんだろう……?)
これから始まる未来の入浴体験に、恐怖よりも少しのワクワク感が勝り、祐奈は鼓動を早くしながら待った。
すると、正面の白い壁だった部分が、まるで魔法のようにスーッと透明に変化していく。首より下は白いままで見えないようになっているが、頭の高さまでの位置が、まるでガラス窓のように外が見えるようになった。
視界が開けて圧迫感が和らぐと同時に、機械のスピーカーからソフィアの声が響く。
「何か、体のデータを見られるのが不快感につながるみたいですので、首より下は外から見えないようにプライバシー設定をいたしました」
「おお……! 少し配慮してくれている。ありがとうございます、ソフィアさん」
祐奈がホッとしてガラス越しに感謝すると、反対側のポッドから同じように頭だけをひょっこり出したティーユも、外を見回しながら感心したように声を上げた。
「お~、配慮出来てる。ソフィアもやればできるじゃん!」
創造主の機嫌が直ってソフィアがどこか得意げに胸を張る中、足元でトコトコと動き回る影があった。ナーサリーだ。彼女はポッドの前にぽつんと残された、祐奈の服や靴を「よいしょ、よいしょ」と手際よく片付けながら、無邪気な声でこう呟いた。
「本来はこのポッド、ちゃんと全身の洗浄ができているか外から確認するために、全部見える仕様なんですけどね」
(……プライバシーのかけらもないな、この機械)
ナーサリーの衝撃的な暴露に、祐奈は心の中で激しくツッコミを入れた。
いや、きっと人間が日常的に使用していた時代は、今の祐奈たちのようにプライバシーモードを起動するのが当たり前だったのだろう。そう思わなければ、未来人のデリカシーを疑ってしまう。
「ふふ、それでは準備万端ですね。これより『ハイドロ・ナノバブル洗浄シークエンス』を開始します。……少し、びっくりされるかもしれません」
ソフィアの不敵な笑みを含んだアナウンスと共に、卵型ポッドの内部に、静かな駆動音が響き始めた──。ソフィアの宣言と共に、ポッドの内部が一気に動き出した。
プシュー、というかすかな排気音の直後、カプセル内が真っ白な霧で満たされていく。それはただの霧ではなかった。
肌に触れた瞬間、まるで霧状の中に全身が入っているかのごとく、微細な温かいお湯がじわリと体を包み込んでいく。
通常のシャワーのように浴びるというよりは、濃密な温水ミストの塊に閉じ込められたような感覚だ。その微細なバブルが肌の表面で集まっては、ぽつぽつと水滴になり、そのまま重力に従って身体を伝ってゆく。
(あ……これ、何かに似てるな……)
じわじわと体中の毛穴が開いていくような、そして水滴がツーッと肌を滑り落ちていくこの感覚。
サウナの汗が伝う感覚と似ているが、なにか蒸されているようにも感じる。さながら、自分がせいろに入れられた蒸し料理の素材にでもなった気分だ。
違和感はそれだけでは終わらない。全身を覆う超微細なバブルの振動のせいか、足にも微細な水が当たり、なんだか無性にくすぐったい。というか、もはや全身がそんな感じで、なんとも言えない奇妙な違和感に包まれていた。
耐えるように身を硬くしていると、防視ガラスの向こうのポッドから同じように頭を出しているティーユの顔が視界に入った。彼女も顔を真っ赤にして身を震わせている。
「あははっ! ね、ねえこれ、なんかくすぐったいんだけど!?」
ポッドのスピーカーを通じて、彼女の楽しげな笑い声が部屋に響き渡る。異世界の英雄といえども、この未知の全身くすぐり洗浄には耐えかねたようだ。
「そうそう、それなんです、ティーユさん……っ」
祐奈も苦笑いしながら同意しようと、思わずポッドの中で深く息を吸い込んだ。
だが、それが失敗だった。
ポッドの上部まで徐々にせり上がってきた霧のバブルが顔のすぐ近くまで迫っており、それを吸い込んでしまったせいで、急に息がし辛くなる。
「ごほっ、お、思ったより霧が濃い……!?」
ハイドロ・ナノバブルの濃密な洗礼は、リラックスタイムというには少々刺激的すぎた。顔の周りを漂う温かい霧に溺れそうになりながら、祐奈は未来の人間洗濯機の威力を身をもって思い知るのだった。
「鼻で息を行うとよいですよ」
すかさずスピーカーからソフィアの冷静な忠告が飛び、それを聞いた祐奈とティーユは、同時にぴたりと口を閉ざした。
……なにか、設計段階で人間が息をするのを考慮していない気がするが、きっと気のせいだろう。そう自分に言い聞かせるしかない。
大人しく鼻呼吸に切り替えてじっとしていると、今度は頭の後ろから、バブル状の石鹸と霧が混じったものが勢いよく当たってきた。
おそるおそる、震える手を少し頭へ伸ばして感触を確かめてみる。……うん、間違いない。これはシャンプーの泡だ。
「これ……? 頭、自分で洗ったほうがいいですか……っ?」
霧を吸い込まないよう、手で口を抑えながらなんとか喋って聞いてみる。すると、すぐにソフィアからの答えが返ってきた。
「そのまま何もせず立っててください。あまり喋ると口に泡が入りますよ」
(なるほど、大人しく洗われよう……!)
下手に抵抗して泡を誤飲する方が大惨事だ。祐奈は覚悟を決めて直立不動の姿勢に戻った。
システムは容赦なく次の工程へと進む。後ろ側から頭、そして足の先まで、スプレーのような勢いで細やかな泡がこれでもかと吹きつけられ、やがてそのスプレーがぐるりと前側に回ってきた。
(うわ、これ、このままだと本気で息ができなくなるやつだ……!)
迫り来る白い泡の壁を前に、祐奈は反射的にギュッと目を閉じ、両手でしっかりと口を覆った。
直後、全身がシュワシュワとした微細な泡に完全に包み込まれる。それと同時に、もの凄い密度の温水ミストがブシューッと吹き荒れ、泡を一気に洗い流していく。
泡をかけられては、霧で流される──その未来科学の怒涛のハイドロ洗浄を、一体何回繰り返しただろうか。体感では4回ほどだったはずだ。
最後に、これまでにないほどかなり濃い霧が全身に勢いよく吹きかけられ、肌に残っていたわずかな泡まで綺麗さっぱりとすべて落とされた。
ぷはっ、とようやく手を口から離した瞬間、今度はカプセル内がゴォーッという心地よい音で満たされた。全方向から絶妙な温度の温風が全身に当たり、残った水分をあっという間に乾かしていく。タオルで拭く必要すらなく、肌がまたたく間にサラサラになっていくのが分かった。
おそるおそる自分の頭を触ってみる。
「あ……すごい、サラサラだ……」
まるで、一流の美容室で丁寧にシャンプーをしてもらった後のように、頭皮から髪の先まで信じられないほどスッキリとしている。
最初は蒸し料理の素材にされた気分だったが、終わってみれば、硝煙の嫌な臭いも、銃を撃ちまくった後のドロドロした汗も、完全に消え去っていた。