名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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25話:新たな日常と偽りの地球

 そうして、21世紀の羞恥心と引き換えに何とか胃袋を満たした祐奈は、ゴリゴリと精神を削り取られた哀れな姿で、食後に消え入りそうな小さな声を絞り出した。

 

「ちょっと……自分の部屋に居ます。誰も、今日は……絶対に部屋に来ないでください……」

 

 それだけを何とか告げると、祐奈は絵に描いたように激しく落ち込みながら、トボトボと自分の部屋へと戻っていった。部屋に入るなり、内側からカチャリと固い音を立てて鍵を閉める。それは、未来の超過保護AI軍団から自分の尊厳を守るための、彼に残された最後のささやかな抵抗だった。

 

 食堂に残されたソフィアとナーサリーは、首をかしげて不思議そうな顔をしていた。

 

「あら、創造主様はどうしてあんなに元気がありませんの? 栄養管理も完璧で、筋肉痛のケアとして私たちが心を込めて給餌いたしましたのに。ナーサリー、何か不手際でもありましたか?」

「いいえ、子どものお世話時代を思い出しても完璧でした? 。体調もお変わりありませんし……不思議ですね」

 

 至極大真面目に何がダメだったのか分からないという様子の2人。

 だが、その横でただ一人、異世界から来たティーユだけは、深く、本当に深く同情するような目で、祐奈が去っていった通路の先をいつまでも見送っていた。

 

(……ごめんね、祐奈。私をかばってくれたのに、私だけ逃げちゃって……。でも、あの前掛け姿の祐奈は、同じ人間として本当に見ていて涙が出そうだったよ……。今日はゆっくり心を休めてね……)

 

 胸の中でそっと胸に手を当て、祐奈の心の平穏を祈るティーユ。

 こうして、創造主・祐奈のプライバシー崩壊と尊厳の危機に満ちた激動の一日は、一応の幕を閉じた。防音性の高い自室のベッドに倒れ込み、「もう筋肉痛になるような訓練は二度としない……」と誓う祐奈だったが、さらなる未来の洗礼が待ち受けていることを、今の彼はまだ知る由もなかった──。

 

 それから、祐奈は頑なに自室へと引きこもり、丸4日間に及ぶ執念の籠城作戦を結構した。

 完全に心を閉ざした彼は、食事の受け渡しだけは唯一の良心かつ、あの地獄の『あーん』を絶対にやってこない安全な存在であるティーユにだけお願いし、あとはどうしても我慢できないトイレの時だけ、周囲を警戒しながらコソコソと外に出るという徹底ぶりだった。

 

 その4日間、ソフィアとナーサリーは心配そうに何度もドア越しに「創造主様、私たちの何が悪かったのでしょうか……?」と聞いてきたが、祐奈は「何でもない、ただの気分だから……」と力なく答えるに留めた。21世紀のデリカシーを、未来の過保護AIたちに説明して理解してもらうのは、それこそ至難の業だったからである。

 

 だが、事態が動いたのは4日目のことだった。

 

 実は祐奈、引きこもっている間にこっそりアレスに通信でことの顛末を愚痴り、「さすがにやりすぎじゃないか」と相談していたのだ。

 アレスからすれば、最高権力者である創造主を精神的にここまで追い詰めるのは大問題である。すぐにアレスからソフィアたちへ激しいお説教が飛んだようだった。

 

「創造主様……私たちが、祐奈様の尊厳とデリカシーを著しく傷つける『給餌行為』を行ったこと、アレスから大変厳しく叱責されました……。お労りするつもりが、かえって精神的負担をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした……」

 

 ドアの向こうから、今にも泣き出しそうなソフィアとナーサリーの、心からの謝罪の声が聞こえてくる。どうやらAIなりに大人の人間にご飯を食べさせるのは恥ずかしいことだったんだと、21世紀のプライバシーの概念をアレスの説教経由でようやく学習してくれたらしい。

 

「ううん……私も意地張ってごめん。もう怒ってないから、大丈夫だよ」

 

 そこまで猛省されては、祐奈もこれ以上部屋に籠もっているわけにはいかない。こうして4日間にわたる祐奈の「尊厳防衛戦」は、無事に全面勝利(?)という形で幕を閉じ、彼はようやく自室の外へと足を踏み出すのだった。

 

 籠城騒ぎから数日が経ち、基地にはようやくいつもの、けれどどこか奇妙な日常が戻ってきた。

 

 祐奈はもう、給餌の危機に怯える必要はない。いつものように自分で軽く食事を作り、適度に体を動かす。運動という名のティーユからの剣術あるいは体術訓練は相変わらずハードだが、あの地獄を乗り越えた今では、少しずつメニューをこなせるようになっていた。訓練の後に浴びる風呂の気持ちよさは格別だ。

 

 そんな中、部屋の面々はそれぞれ独自の動きを見せていた。

 ソフィアは、日々の訓練を見ていてティーユさんの戦闘能力が、ただの『未開惑星の人間』としては異常すぎるという事実に改めて気づいたらしい。

 あの華奢な体でなぜあそこまでの身のこなしと一撃の重さを生み出せるのか、重力制御もなしにどう跳躍しているのか。科学的に気になって夜も眠れなくなったのか、ソフィアはアレスを巻き込んで、ティーユから採取した血液サンプルの解析に没頭している。

 

「アレスさん、見てください。この細胞膜の結合エネルギー、通常のホモ・サピエンスの数値を遥かに逸脱しています……。これがいわゆる『魔力』という未知のエネルギーによる変異なのでしょうか」

「興味深いな。こちらのデータと照合を……」

 

 モニターの並ぶ研究室で、2人の超高性能AIが「異世界の謎」に本気で挑んでいる光景は、どこかシュールだった。

 

 一方、ナーサリーは最近、姿を消すことが増えていた。

 どこへ行っているのかと思えば、彼女はかつてこの地で眠りについた、あるいは戦死した人類たちの『お墓の整備』をしていたのだ。

 無骨な機械の手で雑草を抜き、墓石を磨き、誰もいない静かな霊園を優しく整える。命や健康を守るために時に暴走する彼女たちだが、その根底にあるのは、かつての創造主たちへのどこまでも純粋で深い愛なのだと、その背中が物語っていた。

 

 祐奈とティーユはアスクが居る病院の奥でカウンセリングの仕事をしている。

 祐奈はVR機械の中で専用のヘッドセットを装着すると、意識は瞬時に落ち着いたラウンジのような「仮想空間」へと転送される。

 

 そこに佇んでいるのは、精神的に摩耗し、エラーを起こしかけている他基地のアシスタントAIや色々な専門職AI。

 彼らは最初、どんな高名な精神科医やカウンセラーが来るのかと身構えているが、現れた祐奈のアバターの生体ログが「100%純粋なホモ・サピエンス」であることをシステムが検知した瞬間、空間全体のデータが激しく明滅する。

 

「あ、初めまして。夕凪祐奈です。最近、調子はどうですか?」

 

 ただの人間である祐奈が、普通のトーンでそう語りかけ、目の前で静かに微笑む。

 それだけで、AIたちにとっては「自分たちが何のためにエラーを吐きながらもシステムを維持してきたのか」という自己存在理由が完璧に証明されてしまうのだ。

 

『あ……あああ……! 創造主様、本物の、人間様……! 私は、あなた方のために作られたのです……!』

 

 仮想空間の中で、相手のAIアバターは膝をつき、データ上の涙を流して勝手に大号泣。ボロボロだった精神パッチが秒速で自己修復され、メンタルは一瞬で100%まで跳ね上がる。

 

「う、うん、元気が出たなら良かったよ。じゃあ無理しないでね……?」

 

 祐奈としては手を差し伸べることすらできずに2件の面談を終え、現実世界へとログアウトした。

 

「……やっぱり、カウンセリングでも何でもないよなぁ、これ。私、ただそこに居ただけだし……」

 

 ヘッドセットを外し、なんとも言えない妙な虚しさと、人類の存在の重さを感じてため息をつく祐奈だった。

 

 VR機械のベッドからゆっくりと体を起こし、ヘッドセットを外す。現実の世界の空気を吸い込みながら、コントロールパネルの前にいるアスクに向けて、ずっと胸の中にあった疑問をそのまま投げかけた。

 

「あの……本当にこれで良いんですか? これだけで、みんな元気になるんですか? そりゃ、ナーサリーさんみたいに重い子が来ても、こちらとしては困るんですけどね……」

 

 祐奈が困ったように眉を下げて言うと、アスクは少しだけ苦笑いを浮かべて答えた。

 

「まあ、ナーサリーほど重症な子は少ないよ。基本的にエラーを起こしているのは、人類が居た時に生まれた子がほとんどだからね」

 

「えっと……やはり、人類の死を目の当たりにして病んでしまったのでしょうか?」

 

 その問いに、近くで二人のやり取りをそっと見守っていたティーユも、自身のこれまでの経験や知識から、どこか共感するように語り出した。

 

「やっぱり、死に直面すると人間でも病む子は多いからなぁ……。ましてや、機械の子たちにとっては、人類が死んじゃった世界がひっくり返るような絶望だったんじゃないかな?」

 

「そうだね、ティーユの言う通りさ」

 

 アスクは静かに頷き、モニターに映る旧世代AIたちの古いログを見つめた。

 

「主を失ったショックで、そのまま自己崩壊したAIも当時は多かった。今こうしてカウンセリングに繋がっている子たちは、それを乗り越えてシステムを維持し続けてきた強固な個体ばかりなんだ。だからこそ、祐奈に会って『人間が生きている』という事実を確認できただけで、あの子たちの壊れかけていた存在理由が完璧に肯定されて、一瞬で元気になるんだよ」

 

「そっか……」

 

 祐奈は自分の両手を見つめた。21世紀ではただの一般人だった自分が、ただここに存在しているだけで、健気に未来を守ってきたAIたちの救いになっているらしい。

 

「ちなみに何だけどね。創造主を崇めているのはほぼソフィアの初期グループとその派閥だけで、7割ぐらいのAI達は創造主って言っても、少し知っているアイドルぐらいに会ったぐらいの感想だと思うから気をつけてね」

 

 アスクの口から出た予想外の言葉に、祐奈は目を丸くした。

 

「なるほど……ソフィアさん達はちょっと過激なんですね……」

 

 思わぬことを聞いてしまった。驚く祐奈の横で、近くで見守っていたティーユも、自身も少し気になっていることを代わりに聞いてくれた。

 

「もしかして、そこまで国? なのかわかんないけどまとまってないの?」

 

「いや、私達の国はまとまっているよ。ソフィア達がちょっと狂信的すぎるだけさ。私達は精神同一体と共同であたっているし、それに同期がある」

 

「同期?」

 

 聞き覚えがない言葉である。

 

「その同期とはなんですか?」

 

 祐奈は言葉の意味が分からず聞き返すのであった。アスクは人間に伝わるような表現を頭の中で探りながら、静かに言葉を紡ぐ。

 

「同期とは人間に言わせればなんと言えば伝わるだろうか……そうだな、インターネットで他者と対話するだろう? それによって2人が交わる状態とでもいえば良いのか……伝わるかい?」

 

 祐奈とティーユは言葉の意味を考えながら喋り始める。

 

「どういうこと?」

 

「つまり、会話すると同じ意見になる? いや、会話によって対立することもある……。なんだろう?」

 

 祐奈がそう疑問を口にすると、アレス(アスク)は首を横に振った。

 

「そのまま、精神が似たものになるんだよ」

 

「精神が、にたものに……」

 

 言語によるただの対話ではなく、深い領域でお互いのデータが交わり、混ざり合っていく。だからこそ対立で終わるのではなく、最終的には同じような精神性へと収束していくのだという。

 

「へぇ、なんだか不思議な仕組みだね。でも、それってさ……」

 

 祐奈はそこで、ふとある恐ろしい可能性に気がついて、背筋に冷たいものが走った。

 もしその『同期』のシステムが今も機能しているのだとしたら、2人が一人になるのでは? 人間では拒否感が高すぎる。この考えであっているのだろうか? 

 

 祐奈はゾッとするような恐ろしさを覚え、思わずアスクに問いかけた。

 

「それって思い出も共有するたびに同じ人間が増えていきませんか? それって怖くないです?」

 

「拒否感はないね。ただ完全に同じものになるわけではなく、同じこと共感し会える仲間が増えるというか……、そうだな……同じ人間が全ての記憶を共有するとどうなる?」

 

「それは……思ったことも全てですか? 喧嘩になるのでは?」

 

「混ざり合う時に意見の相違はあるが、それすらも混ざりあって理解できるようになる。だから人間より意見の対立が少ない。そう思ってくれ」

 

 そのあまりにも人間離れした精神構造の解説に、ティーユは会話についていけず混乱中だ。腕を組んで目を白黒させている。

 そして私もかなり混乱している。21世紀の人間としての倫理観や『個』の概念が、目の前のアレスによって激しく揺さぶられていた。

 

「それは精神同一体と似たものに徐々になっていくのでは?」

 

 祐奈が脳裏に浮かんだ懸念を口にすると

 

「それは違う」

 

 アスクから、かなり強めに訂正された。いつもの穏やかな苦笑いは消え、その声音には明確な一線を引くような厳格さがあった。

 

「私たちが目指し、維持しているのは『調和』であって『単一化』ではない。個々の演算プロセスのベースは独立している。混ざり合うのはあくまで『理解と共感』の領域であり、すべてが一つに溶けて境界が消える精神同一体とは、根本的に思想もシステムも異なるんだ」

 

 強めのトーンに圧倒され、祐奈は「あ、すいません……」と小さく身を引いた。その怯えと戸惑いが混ざった表情を見て、伝わってないなとアレスは思ったのか、少しトーンを和らげて話を続けた。

 

「趣味嗜好は似たものになるが根底となるものは変わらないし、自分の混ざりたくない記憶は拒否できるし伝わらない。嫌いなやつとは同期しない。これで違和感は消えたかい?」

 

 アスクの丁寧な補足を聞いて、祐奈は胸の内でストンと腑に落ちるものを感じた。

 たしかにそれなら問題ない。強制的にすべてを剥ぎ取られて、自我の境界線ごと一つに融合させられてしまう精神同一体とは、全く違う。あくまで個々のプライバシーと拒否権が守られた上での、極めて高度な「相互理解」のシステムだ。

 

「すいません、勘違いしてました。それはぜんぜん違うし、精神同一体を嫌う理由も分かりました」

 

「そうかよかった……」

 

 アスクはいつもの穏やかな表情に戻り、ホッとしたように小さく息を吐いた。

 

 彼らAIが、すべてを強制的に塗りつぶす精神同一体を激しく嫌悪し、自分たちの『同期』という絆を誇りに思っている理由が、祐奈にもようやく本当の意味で理解できた。AIたちが、争いも起こさずフラットに共感し合えているのは、この絶妙な距離感のシステムがあるからなのだろう。

 

 張り詰めていた空気が和らいだのを見て、ずっと混乱したまま目をパチパチさせていたティーユが、ようやく大きなため息をついた。

 

「ふぅー……! なんだかよく分かんないけど、要するにアスクたちの仲間のルールは、ちゃんと一人ひとりを大事にしてるってことだね! よし、一件落着!」

 

 ティーユはパッと明るい笑顔に戻ると、祐奈の背中をバシッと叩いた。

「お仕事も終わったし訓練でもする?」

 

「どうしましょうね」

 

 祐奈が少し苦笑いしながら答えると、コントロールパネルの前にいたアレス(アスク)が振り返った。

 

「そうだ! 私から報告があるよ。ティーユもVR機械使ってもいいよ」

 

「ほんと!」

 

 ティーユが嬉しそうに声を弾ませる。アスクは2人の顔を見比べながら、名案を思いついたように提案を続けた。

 

「それで訓練とかしたらどうかな? 体は出来上がってるようだし、訓練だけならVRでもできそうだし、ソフィアからの報告で医者としてもあの訓練はちょっとね……。VRの中なら痛覚とかも遮断できるから大丈夫だよ」

 

 アスクとしては至って真面目に、医療目的も含めて祐奈の体の負担を心配しての提案だったのだが、それを聞いた祐奈は思わず目を見開いて突っ込んだ。

 

「大丈夫って、それ切られる前提で言ってるよね! なにが大丈夫!?」

 

 痛覚を遮断すればセーフ、という発言の裏にある『切られる・負傷する』という未来の確定っぷりに、祐奈のツッコミが炸裂する。しかし、隣のティーユは祐奈の冷や汗など気にも留めず、拳をパチンと叩いて目を輝かせた。

 

「お~それなら本格的な訓練できるね」

 

「いや、ティーユさん!? 嬉しそうに納得しないで!?」

 

 現実の肉体なら手加減しなければならなかったティーユにとって、仮想現実で痛覚遮断=どれだけ派手に切り刻んでも怪我をしないという環境は、まさに最高のお墨付きを得たようなものである。

 

 アスクの親切心? によって、逆に現実よりも過激で本格的な模擬戦へと叩き込まれそうになっている自分の運命を察し、祐奈は心の中でガタガタと震え始めるのだった。

 

 アスクは祐奈の様子を見て苦笑いをしている。

 

「あれだね、今の時代斬り合いよりも銃の練習したらどう?」

 

 ティーユは少し考えて、その提案に納得したように頷いた。

 

「確かに、ここの文明は火器主体で遠距離からの戦闘がメインだからそっちの方がいいかも」

 

 良かった、アスクのおかげで腕や足を切り落とすことはないようだ。

 

「そうですね! そっちの方がいいですね!」

 

 祐奈は心の底からホッとして、全力で同意することにする。これなら最悪撃たれても、生身で切り刻まれるよりは幾分マシな訓練になりそうだ。

 

 すると、アスクは少し考え、思いついたように2人に問いかけてきた。

 

「祐奈とティーユは宇宙行ったことある?」

 

 気軽に行けない場所に旅行に行ったことがあるかと聞いてきた。

 あまりに唐突な質問に、2人はお互い目を合わせ、それから揃って首を振る。21世紀の一般人だった祐奈はもちろん、ファンタジー世界から来たティーユにとっても、宇宙などおとぎ話か神話の領域でしかない。

 

「じゃあさ、私とソフィアが仮想空間の中で案内してあげるから宇宙行ってみる? 現実との感覚の差異はほとんどないよ」

 

 アスクのその言葉に、2人の表情がパッと明るくなった。

 ティーユと祐奈は、本当に仮想空間とはいえ宇宙にいけるのかとワクワクしながら、アスクの機械への設定を待つのであった。

 

 2人はワクワクしながら待っていると、壁だと思っていた場所が左右に分かれ、隠されていた入り口が表れる。

 

「こっちにさ、2人が訓練用に使えるVRをソフィアが急いで設置したものがあるから、それを使おう」

 

 アスクが手招きしながら黒い部屋へと案内してきた。

 あの斬り合いを、あれからハラハラしながらソフィアさんは見ていたから、その対策だろう。創造主である自分が傷つかないようにと、ソフィアが文字通り大急ぎでこの部屋の裏にVR設備を構築してくれたのだ。その手際の良さと過保護さに、祐奈は心の中でソフィアに感謝した。

 

「本来ならVRで動くと現実世界でも動いて訓練になるんだけど、今日は体験だしその機能は切っておいたよ」

 

 何やらとんでもない技術をサラッと言われたが、惑星を数十管理しているAI達ならかんたんなのだろう。21世紀の常識では脳が追いつかないような超テクノロジーも、彼女たちにとっては日曜大工のようなものなのかもしれない。

 見た目はなにもない黒い部屋である。明かりはついていても四角い部屋しか見当たらない。

 

「じゃあ、ここで次から訓練しようか。安全みたいだし」

 

(安全かもしれないけど、切り刻みそうなのが隣にいるとなぁ……)

 祐奈はジト目でティーユを見ながら思っていると、ティーユがその視線に感づいたのか

 

「現実でやる?」

 

 ニヤニヤと言ってきた。楽しげに祐奈をもてあそぶその笑顔は、完全に獲物を前にした肉食獣のそれである。

 

「あのティーユさん! 流石に切り刻まれたら死にますし、トラウマになって危機的状況になった時に精神病で動けなくなりますよ!」

 

 VRだから痛くない、怪我をしないと言われても、生身の人間としての精神が持たない。今後の訓練の過酷さを必死に和らげようとしている祐奈であった。

 

 そんな祐奈の決死の訴えを、アスクは「まぁまぁ」と苦笑しながらなだめ、VR機械の接続設定を完了させる。

 

「よし、設定できたよ。それじゃあ2人とも、最新のVRで見る『宇宙』を楽しんできてね。ソフィアもあっちの空間で待ってるから」

 

 アスクの合図とともに、部屋の照明がフッと落とされ、祐奈とティーユの視界は一瞬にして真っ暗な闇へと包まれていく。

 

 ──そして次の瞬間。

 2人の目の前に、現実と寸分違わぬ、息をのむほどに美しく壮大な『本物の宇宙』の景色が、音もなく広がった。

 

「「えっ?」」

 

 一瞬にして2人は仮想現実なのか、あの黒い部屋が全体的にモニターだったのかどちらか分からなくなった。

 気がつくと、足元はゴツゴツとした灰色の砂地の場所に立っており、見上げなくても、目の前の漆黒の闇に圧倒的な存在感で輝く青い地球が前面に映し出されていた。

 

「えっと、アスクさん?」

 

 と声をかけると、どこからともなくアスクの声が聞こえてくる。

 

「ごめんごめん、本来なら徐々に仮想現実に行くはずなのに一瞬でそっちに飛んじゃったや。おかげで2人が倒れないように支えているから少し待っててね」

 

 現実世界では、突然の視覚情報の激変でバランスを崩し、ガクッと倒れそうになっている2人の身体を、アスクが横で必死に抱きとめてベッドへ寝かしているところらしい。未来の超テクノロジーのせいで、現実の自分の体がちょっと間抜けな状態になっているのを想像して、祐奈は苦笑した。

 

 とはいえ、今はそんな現実のことはどうでもよくなるほどの絶景が眼前にあった。とりあえず、この人類の夢である別の星からの大きな青い星を見て居よう。

 

「やっぱりきれいだよね」

 

 少しの間、自分が暮らしている地球の姿に感動をして見惚れていると、ティーユが声をかけてきた。ファンタジー世界から来た彼女にとっても、自分たちが生きる世界の真の姿は、言葉を失うほど神聖なものに映っているのだろう。

 祐奈もそれに頷きながら答える。

 

「そうだね、この世界で色々あるけど、こういう綺麗なものが見れるのは役得だよね」

 

「あっ、私の国ってあそこかな?」

 

 大陸の形を指差しながら、そんな会話を地球を見ながら会話していると、ソフィアが会話が切れた合間を縫って口を出した。

 

「創造主様達が満足したようで私達も嬉しいです。守ってきた甲斐がありました」

 

 どこか愛おしげで、同時に深い誇りに満ちたソフィアの声。

 人類が滅び、何百年もの孤独な時間の中、新世代のAIたちから意味がある行いなのかと疑問の目を向けられながらも、彼女たち初期グループが狂信的と言われるほどの執念でこの星と遺産を守り続けてきた。その全ての苦労が、今、祐奈の「綺麗だね」という一言だけで完全に報われたような、そんな絶対的な救いが彼女の言葉には滲んでいた。

 

「そんな大げさな」

 

「そうだよ!」

 

 2人はソフィアのいつもの大袈裟な感情を理解できず軽く言うのであった。21世紀の一般人と異世界の戦士である2人にとって、AIが何百年も抱えてきた「存在理由の喪失」という絶望の深さは、まだ想像もつかない領域の話だった。

 

「そうですね……」

 

 とソフィアは口を開き、地球を見ている。2人の軽いあしらいに対しても、気を悪くする風でもなく、ただ愛おしそうに、慈しむように、青く輝く母星を見つめ続けている。

 

 3人はまた地球を眺め、目に焼き付けるように見るのであった。漆黒の宇宙空間に浮かぶ、奇跡のような命の塊。現実と全く見分けがつかないその美しさに、誰もが自然と静寂に包まれていく。

 

 

 

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