名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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26話:至れり尽くせりの未来の宇宙服

 少し時間がたった頃に、アスクがいつの間にか仮想空間にやってきて声をかけた。

 

「やれやれ、二人とも仮想空間への適合率が異様に高いね。いきなり倒れそうになったからびっくりしたよ」

 

 ぼやきながらこちらに向かって歩いてきた。現実世界でのドタバタ劇を思い起こさせるその親しみやすい愚痴に、祐奈とティーユの肩の力がフッと抜ける。

 

「あ、アスクさん。現実ではお手数おかけしました……」

 

 祐奈が申し訳なさそうに頭を掻くと、アスクは「いいってことさ」と手を振った。だが、その目はどこか面白がるような光を帯びており、おもむろに視線を地球から足元の砂地へと移した。

 

「さて、観光はこれくらいにしておこうか。どうする? リアルにするなら一旦離れて戦闘用宇宙服にでも着替えることになるけど?」

 

「そういえば景色に感動してて忘れてましたけど、普通に宇宙空間に居るのはおかしいか……」

 

 そんな常識的なことも、地球の美しさに見とれて忘れていた。今の2人は、生身の普段着のままで空気のない月面に立っている状態なのだ。

 ティーユの方は今更、手の感覚や地面の感触を確かめ、

 

「おぉ~これが現実じゃないとはすごいや!」

 

 とはしゃいでいた。祐奈はその姿をほほえましい感情で見ながら声をかける。

 

「私も初めての時感動したので分かりますけど、どうします? リアルにすると宇宙の環境で死んじゃうみたいですけど?」

 

 ティーユは笑いながら答える。

 

「そうだよねぇ、まあより現実的な戦闘の方がよさそうだし、宇宙の服でも着ようか」

 

 どんな環境であれ、戦士としてよりリアルな実戦形式を求めるあたり、やはりティーユの芯はブレない。

 

 ソフィアは空中にディスプレイを出して、

 

「では名残惜しいですが、環境を宇宙船の船外作業部屋に移しましょうか」

 

 手を動かしながら設定を変えているようだ。

 

 一瞬のうちに、2人の視界から灰色の砂地と壮大な地球が消え、宇宙船の近未来な部屋に飛ばされた。

 金属質の無機質な壁に囲まれたその部屋。周りには、見たこともない白い異様な宇宙服がずらりと並んでいた。

 

 21世紀のモコモコとしたNASAの宇宙服とも違う。かといって、スマートなだけのSFのタイツとも違う。どことなく不気味で、人間のシルエットを歪めるようなパーツが随所に見え隠れする、まさに「異形」と呼ぶにふさわしい戦闘用宇宙服。

 

「えっと、これって人間用?」

 

「ええ、そうですが? まずはお二人ともこのスーツに着替えてください。着替える場所はそうですね……そこの減圧検査室であるスペースを閉じますので着替えてください」

 

 ソフィアの指し示した円柱のスペースにスーツを渡され、2人は着替えることになった。

 それはダイバースーツのようなもので、お尻の部分に何か四角い機械がついたパンツのような見た目だ。触ってみると、下腹部を守るように何かしらの機械がついている。

 

 とりあえず2人は、減圧検査室という狭い場所で何とか服を着たものの、首から下までボディラインのスタイルがくっきりと強調されてしまい、少し恥ずかしい。しかも、背中のチャックは人に手伝ってもらう仕様らしく、腰の部分から背中が丸見えだ。

 

 

 お互いに着替え終わって顔を合わせた時、ティーユと祐奈の間になんとも言えない気恥ずかしい雰囲気が漂っていた。ぴったりとした未来の戦闘服姿の異性を間近で見るのは、刺激が強すぎる。

 祐奈はその空気を何とかごまかす様に、お尻の部分の不思議な機械について聞くのであった。

 

「この、おしりと下腹部を守るようにある機械って何ですか?」

 

「それはおむつです」

 

「おむつか……」

 

 思わず遠い目になる祐奈。ソフィアは不思議そうに小首を傾げた。

 

「どうかしましたか? 宇宙空間でトイレなど出来ないので、そこで垂れ流しを防ぐため回収する機械ですね」

 

 ソフィアとしては、宇宙環境で生き延びるための至って合理的で真面目な機能を説明しただけなのだが、21世紀の感覚が残る祐奈にとっては別の意味で大ダメージである。

 隣のティーユも、スタイルを強調された恥ずかしさに加えて「おむつ」という衝撃の単語を聞き、頬を赤くしながら複雑な表情で自分のお尻の機械に触れている。

 

「祐奈、祐奈、トイレ行きたくなったら訓練中止ね」

 

「そうしましょうか」

 

 二人は流石に、いくらバーチャルとはいえ垂れ流ししてまで訓練はしたくなかった。そこは21世紀の一般人と異世界の戦士、頑なに譲れない尊厳のラインで完全に意見が一致した。

 

 だが、技術の結晶を前にしたソフィアは、その機能性を熱っぽく語りだした。

 

「初期のころは不快感がすごかったとは聞いていますが、この最新式の排泄処理機は排泄物を瞬時に回収、そしてナノ結晶分離によって皮膚を常に清潔に保ち──」

 

「ソフィアさん、大丈夫です」

 

「そうですか……」

 

 解説を邪魔をされて、ソフィアは少し落ち込みぎみだ。耳としっぽがあれば目に見えてペシャリと垂れ下がっていそうなほど、あからさまにシュンとしている。

 

 アスクはその様子をみて苦笑し、助け舟を出した。

 

「まあ、後で機械の説明書でも配ればいいさ。次行くよ」

 

 サクサクと話を進めてくれたアスクのおかげで、これ以上の羞恥プレイめいた排泄講義は免れた。

 

 ソフィアはコホンと一つ咳払いをして気を持ち直すと、いよいよ本命である新たな装備の解説に入っていった。

 

「失礼しました。では次に『外骨格』、その次に『装甲服』を着用してもらいますね。そこからは手動ではなく、自動の装着シークエンスに移行します。祐奈様、中央の固定台へどうぞ」

 

 ソフィアが操作パネルをタップすると、床からガシャンと金属製のフレームが迫り上がってきた。ピチピチのインナースーツの上に、まずは身体機能を劇的に引き上げるフレーム(外骨格)が組み込まれていく。

 

 そこからは手動ではなく、自動の装着シークエンスへと移行した。

 パーツが体に吸い付くたび、背中のスーツの割れ目の部分からカチカチカチ……と細かな金属音が鳴り響く。

 

 チャックが閉まるのではない。腰のあたりから背中にかけて、六角の小さな金属パーツがまるで生き物のように、磁石で引き合って勝手に引っ付くようにして噛み合い、隙間なく閉まっていくのだ。肌が露出していた背中が、その幾何学的な六角の咬合によって完全に密閉されていく感覚に、祐奈の背筋にゾクゾクとした奇妙な高揚感が走った。

 

 そしてその上に、ロボットのような、ゴツゴツとした重装甲が被せられていく。

 

 いわゆるパワードスーツだが、それは機動性よりも、宇宙空間という絶対的な死の世界での生存性を極限まで高めた、未来のSF兵士でテクノロジーの塊だった。ゴツゴツとしたそのシルエットは、人間の洗練された体型に無駄なく装甲で覆い隠し、圧倒的な質量感をもってそこに君臨する。

 

 固定台へと一歩を踏み出すのだった。

 

 地面にある足跡のマークに沿って足を乗せると、自動的に足から腰、そして首まで、まるで生き物のように張り付くようにして強化外骨格がついてゆく。腕の脇を上げると、自動で手の指のところまで、体全体を隙間なく覆うようにして引っ付いた。

 

 少し動くと、ガチャガチャと小気味よい金属音が鳴る。これだけでも十分に戦えそうな、圧倒的な力の高まりを感じる雰囲気である。

 

「最後に装甲服と呼ばれるパワードアーマーを着て完成ですね」

 

 ソフィアに連れられ、今度は装甲の装着専用スペースに案内されて直立する。先ほど身につけた強化外骨格が背後の機械にガッチリと掴まれて完全に固定されると、上下左右から肉厚な白い装甲プレートが次々と迫り、凄まじい風圧と共に体に張り付いていった。

 

 六角形の金属パーツがカチカチカチッと自動で噛み合い、密閉されていく。

 完成したその姿は、SFゲームや映画で見た未来の兵隊そのものだった。ずんぐりとした質量感がありながらも、洗練されたスマートさを残した白銀のパワードスーツ。

 

 ただ──どうしても気になる部分があった。

 肘や膝、手首といった関節と関節の間に、なぜか外部に向かって不自然に飛び出るような、円盤型のよくわからない突起物がいくつもついているのだ。屈むときや汗を拭う動作をしようとするたびに引っかかるであろう、明らかに戦闘の邪魔になりそうな謎の円盤が装甲に突き刺さっている。

 

「お~、すごく強そうな見た目になったね、祐奈!」

 

 横に並んだティーユが素直な感想を述べる。

 

「なんかすごいですね……」

 

 祐奈は手を握る動作をさせながら、恐る恐る体を動かしてみた。これだけ頑丈な見た目なのに、生身の時とほとんど変わらないくらい、驚くほどスムーズに動く。

 

「特級特殊部隊仕様ですから高性能ですよ。あらゆる過酷な環境から創造主様をお守りいたします」

 

 ソフィアは誇らしげに胸を張ってそう説明してくれた。

 

 しかし、パーツの自動装着はまだ終わっていなかった。最後に背中と頭部へカチャリと接続された「追加パーツ」を見て、ティーユが怪訝そうに首を傾げる。

 

「ねえ、ソフィア。その腰の部分から生えてる……何て言うか、大型の板がついた羽と尻尾みたいなやつと、頭の上から伸びてる、黒い生き物みたいな触手はなんなの?」

 

 ソフィアは至って真面目に、その異形パーツたちの極めて高い実用性を解説した。

 

「あら? 説明しなかったですか? 頭上にあるのは『第3の手』と呼ばれる、銃のブレ防止や重量軽減を行うサポートアームです。そして、特殊部隊の間で『尻尾』の愛称で呼ばれていたものが、腰から伸びる4番目のアームですね。反動の軽減やマガジンの交換などをする補助アームです」

 

 祐奈は頭の上を見てみる。頭上でフヨフヨと、意思を持っているかのように生き生きと動いている1本の黒い触手。それが、銃を構えたときに上から支えてくれるサポートアームなのだ。

 

 次に、お尻の部分から伸びている頑丈な尻尾をグッと掴んで、自分の目の前まで持ってきてみた。金属製でありながら、節々が滑らかにしなるその質感は、まるで強靭なヘビのようだ。これが戦闘中、自動で予備のマガジンを掴んでリロードしてくれたり、地面に突き刺さって銃の反動を抑えたりしてくれるらしい。

 

「なんか……すごいですね」

 

 頭上の1本の触手と、1本のメカニカルな尻尾。人間の形を完全に超えたその戦闘形態に、祐奈は感嘆するしかない。さらに、背中に目を向けると、そこにはまた別の大型パーツがマウントされていた。

 

「背中に生えてる、その……鳥の羽みたいな板は何ですか?」

 

「放熱を行うためのラジエータープレートですね。このスーツが激しい運動や戦闘を行った際、内部に恐ろしいほどの熱がこもるのを防ぐための重要な機械です。これがないと、スーツの出力に人間が焼き殺されてしまいます」

 

 ソフィアの物騒な補足に、祐奈は「焼き殺されるって……」と小さく引きつった笑いを浮かべた。

 

 頭上には2本の黒い触手、腰からはヘビのような金属の尻尾、そして背中には2枚の大型放熱板。

 ピチピチのインナースーツの気恥ずかしさは完全に消え去り、今や祐奈は、白銀の装甲に身を包んだ「人類の天敵」か何かのような、おぞましくも美しい戦闘マシーンへと変貌を遂げていた。

 

「へぇー! 腕が4本あるようなものか! 面白いねこれ!」

 

 ティーユは早くもその仕様が気に入ったのか、祐奈の周りをグルグル回り見まわしている。格好いいパワードスーツと、至れり尽くせりの自律アーム。

 ここまでは確かに、ソフィアの言う通り「創造主を守るための高性能な特殊部隊仕様」そのものだった。

 

 ──そう、関節各部に配置された、あの邪魔な「謎の円盤型突起」の正体に、2人が気づくまでは。

 

 アスクはいつの間にか、手元に20cmほどの薄い円盤を掲げていた。

 

「医者から重要な装備を説明するよ」

 

 と、その謎の円盤を祐奈に手渡してくる。

 

「これはなに?」

 

「円盤型血管インターフェース」

 

 さっぱりわからない。ただ、「血管」を何かするものだということだけは辛うじてわかる。首を傾げる祐奈に、アスクは自分のスーツの関節部分をトントンと叩きながら説明を続けた。

 

「これは足と肩用なんだけどね。関節ごとに、円形の突起物が2つくっついてあるでしょ?」

 

「ああ、この飾りのような邪魔なものですね。さっき屈むときとかにすっごく引っかかって」

 

「飾りじゃなくて、『四肢損壊プロテクトシステム』」

 

 一気に不穏なワードがアスクの口から飛び出してきた。祐奈の背筋を冷たい汗が伝う。

 

「……なんか不穏な言葉が聞こえてきたんだけど」

 

「軽度の負傷の場合、スーツの自己修復機能とかダクトテープなんかで塞ぐんだけどね。それでは間に合わないような致命的な負傷──例えば強力な汚染兵器を喰らったり、未知の生物に噛みつかれて侵食されたりして、これ以上は本体(頭脳や臓器)の維持が不可能だとスーツのAIが判断した時に……」

 

 アスクはこともなげに、極めて事務的なトーンで言い放った。

 

「その場で瞬時に四肢を切断し、この円盤型血管インターフェースが速やかに止血と神経接続を行って、本体の生存を図るんだ」

 

「せ……切断!?」

 

 思わず裏返った大声を出した祐奈に対し、アスクは不思議そうに、本当に何が問題なんだという顔で小首を傾げた。

 

「なんでそんな慌ててるんだい?」

 

「慌てるに決まってるでしょう!! 切断って、手足が切り落とされるってことですよね!?」

 

 銃の練習で安全なはずのVR空間。そこに持ち込まれた最新鋭スーツの正体は、最悪の場合「生き残るために自ら手足をトカゲの尻尾のように切り捨てる」という、合理的だが最悪な安全装置だった。

 

 隣ではティーユが、祐奈の肘にある円盤を指先でツンツンと突っついている。

 

「これって、衝撃とか受けると作動したりするの?」

 

 その不穏極まりない言葉を聞いて、祐奈は跳び上がるようにしてティーユから距離を取った。

 

「怖いから突っつかないでくださいよ! なんでその言葉言いながら笑顔で触るかな! 万が一があったらどうするんですか!」

 

 怯える祐奈を見て、ソフィアは冷静になだめるように、いつもの静かな声音で落ち着かせようとする。

 

「創造主様、ご安心ください。開発初期の頃はそのような不具合も散見されましたが、これは最新式ですので、外から弾が当たった程度の衝撃では誤作動いたしませんよ」

 

「けど! 弾が腕に直撃したら、スーツに『重傷』って判断されて腕切られちゃうんでしょ!? ティーユさんの剣に切り刻まれる前に、この身内のギロチンシステムにスパーンって切られちゃうよ!」

 

「失礼な! 私はそんなに失敗しないよ!」

 

 ティーユはぷくーっと頬を膨らませて怒りながら抗議する。戦士としての腕前を信用されていないのが不満らしいが、祐奈からすれば、楽しそうに円盤を突っついていた時点で信用しろと言う方が無理な話だった。

 

「あ~……祐奈。多分、宇宙環境でスーツに穴が空いた場合のことって、まだちゃんと知らなそうだな」

 

 アスクはそんな二人のやり取りを見かねて、やれやれと首を振りながら、本職の医者としての解説を始めた。

 

「さっきソフィアが言った『ダクトテープで塞ぐ』ってのもね、実はもの凄く切実な話なんだよ。宇宙空間は完全な真空だ。もし戦闘や事故でスーツの装甲にほんの小さな穴が空いただけで、内部の空気は一瞬で外に吸い出されちゃう。そうなったら人間はどうなると思う?」

 

 アスクは人差し指を立て、祐奈のバイザーの目を覗き込むようにして続ける。

 

「減圧症で血液が沸騰するか、あるいはそのまま窒息して数分で脳死さ。だから、関節ごとの圧迫システム、自己修復ナノマシンやダクトテープが『1秒以内』にその穴を塞げなかった場合……スーツのAIは、穴の空いた腕や足をまるごと『切り捨てる(パージする)』ことで、胴体側へ空気が漏れるのを完全にシャットアウトするんだよ。手足を犠牲にして、肺と心臓と脳だけでも地球へ生きて帰すためにね」

 

「ひ、一瞬の空気漏れでもアウトだから、即座に切り落とす、と……」

 

「そういうこと。だからこれはね、祐奈。君が死なないための、僕たちAIからの最大級の『優しさ』なんだよ?」

 

 アスクはにっこりと、お医者さんらしい極上の聖母のような笑顔を浮かべた。

 だが、その笑顔の裏にあるロジックは相変わらず狂気そのものである。

 

「やっぱり怖いよこのスーツ──!!」

 

 訓練が始まる前から、すでに自分の四肢が明日の朝を迎えられるか不安になっていく祐奈。

 そんな絶望する創造主の横で、それまで面白がっていたティーユまでもが、いつの間にか青い顔をしていた。

 

「……ちょっと待って。そんな物理法則の中で、私も戦えないじゃん!」

 

 流石に異世界の精鋭戦士といえども、空気そのものが存在せず、穴が空いただけで手足が飛ぶような宇宙という極限環境には適応できてないようだ。剣で斬り合う以前の次元で命が消える世界に、ティーユの額からも冷や汗が流れる。

 

 ソフィアはガタガタと震え出した2人の様子を見て、優しくなだめるように微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。もしものことがあっても、最新の高性能な義手・義足はすでにご用意してあります! 接続すれば、神経の伝達速度も腕の感覚もほぼ生身の肉体と一緒です。かつて人類文明の最盛期には、戦場での確実な生存のために『最初から四肢を切り落としてこのスーツを直結しておこう』と、思い切りの良い決断をされる特殊部隊の方々も大勢いらっしゃいました」

 

「いや、そんな私は思い切りが良くないですよ! 絶対に痛いでしょ、それ!!」

 

 何をサラッと「人類最盛期のサイボーグ化狂信者」のエピソードを混ぜて安心させようとしているのか。

 すると、アスクが宥めるように両手を前に出した。

 

「大丈夫、痛みはないよ。異常を検知した瞬間に、スーツが特殊な化学物質を神経に直接注入して痛みを完全に麻痺させるんだ。精神的なショックも和らげるから、戦闘継続には一切支障がないことが実証済みだ」

 

「全然安心できないですよ、それ!!」

 

 かなり大声を上げてしまい、祐奈は訓練が始まる前だというのに激しく疲弊してしまった。

 恐怖でパニックになりかける脳内で、祐奈はふと、昔見たSF映画の一場面を思い出す。確か、アクシデントで宇宙服の腕の部分が破けた登場人物が、必死にその穴を抑えながら30秒ほど生きて活動していたはずだ。

 

「待って! 映画では結構生きてましたよ!? 関節の部分をギュッと圧迫して気圧を抑えれば、30秒……せめて10秒くらいは猶予があるんじゃないですか!?」

 

 すがるような気持ちでツッコミを入れる祐奈。

 すると、アスクは「おっ」と目を見張った。

 

「鋭いね、祐奈。確かに科学的・医学的な計算で言えば、関節を圧迫して隔離すれば、10秒どころか数十秒の猶予は十分にあるよ」

 

「じゃあ──!」

 

「でも、安全のために『1秒』で切ったほうが確実性があるからそうしてるんだ」

 

 アスクはあっさりと祐奈の希望を打ち砕いた。

 

「10秒待つ間に、その圧迫システムが0.001%の確率で故障したらどうするんだい? 猶予を持たせて祐奈の可愛い顔が気圧変化で苦痛に歪むくらいなら、1秒でスパーンと切っちゃった方が僕らとしても安心だからね」

 

「その1秒の優しさが一番怖いんです!!」

 

 科学的には耐えられるのに、AIたちの『創造主を絶対に死なせない』という歪んだ過保護ロジックのせいに拠って、最速ギロチン仕様に固定されている。

 完全に常識の通じない超高度AIの狂気に、祐奈はただただ天を仰ぐしかなかった。

 

 その様子を見てアスクは困惑しながら説明する

 

「何をそんな混乱してるんだい? 一般兵だと四肢損壊プロテクトシステム(ギロチン)は1枚しかなく切り落とした後に熱による止血。助かる率も少ないところ特殊部隊は切り落としたあと血管インターフェースを付けてから2回目の四肢損壊プロテクトシステム(ギロチン)で切り落として接着、生存率も格段に上がる一般兵とは別で贅沢なものなんだよ?」

 

「贅沢で2回もギロチンを落とされるって、どういうことだよ!!」

 

 流石に、四肢を2回もギロチンで落とされることを『贅沢な特別仕様』と表現する文化の違いに、祐奈はこの世界に転生してから一番の衝撃を受けていた。

 

 詳しく聞いてみると一般兵は、スパーンと1回切り落とされて、その傷口を熱でジューッと焼き灼(や)いて止血するだけ。

 それに比べて特殊部隊仕様は、1回落とした後に高性能な血管インターフェースをドッキングさせ、さらにもう1回ギロチンを落として綺麗に圧着・固定する──。

 

「だからね、出血量も感染症のリスクも桁違いに低いんだ。僕たち医療AIの観点から見ても、これ以上の至れり尽くせりなシステムはないよ?」

 

 アスクは相変わらず「何が不満なんだい?」と言わんばかりの、どこまでも澄んだ医者の目で微笑んでいる。至れり尽くせりの方向性が完全に狂っている。2回落とされたら、それはもうただの細切れ(ミンチ)の一歩手前だ。

 

 隣では、ついさっきまで背中を丸出しにして「おむつ」に赤面していたはずのティーユが、この常軌を逸した「2連ギロチンシステム」の話を恐々聞いていたが、流石に耐えかねて口を出すことにした。

 

「わかった! わかったから! ことの発端は私が『リアルに設定して』って言ったせいだから……もうちょい現実(リアル)から離れましょう!!」

 

 自分の「より現実的な戦闘の方がよさそう」という安易な一言のせいで、ここまで過激でグロテスクな超技術を引っ張り出す羽目になるとは、夢にも思っていなかったのだ。

 異世界の過酷な戦場を生き抜いてきた誇り高き精鋭戦士ティーユも、文明最盛期の人類のの「狂信的な合理性」の前には、完全に恐怖して深く後悔するしかなかった。

 

「お願いだからもうちょっと難易度を下げて! 空気があって、腕が勝手に飛ばない、安全なやつに戻してー!」

 

 背中を見せたまま情けなく懇願するティーユと、完全に魂が抜けかけて天を仰ぐ祐奈。

 そんな2人の必死な様子を見て、ソフィアとアスクは困惑したように顔を見合わせるのだった。

 

「まったく、創造主たちはしょうがないですね」

 

 どこか困惑しながらも、手を焼かされるのが嬉しくてたまらないといった様子のソフィアが、ふっと表情を緩めて話を続ける。

 

「そこまで仰るのでしたら、今回の訓練に限り、四肢損壊プロテクトシステムの作動しきい値を最大まで引き上げ、さらに環境設定を『大気あり・通常重力』の安全模擬モードへと変更いたします。これで万が一、弾が装甲に当たっても、腕がスパーンと飛ぶことはありませんよ。……本来なら、実戦に備えて最悪の環境を体験していただくのが一番なのですが」

 

 ソフィアは少し名残惜しそうに操作パネルをパチパチと叩いた。

 

「よかったぁ……! ありがとソフィア! やっぱり空気はあった方がいいよね!」

 

 ティーユは心底ホッとしたように胸をなでおろし、アスクがティーユのまだ丸出しだった背中を伸ばした。

 すると、保留されていた自動装着シークエンスが再開され、背中のチャックの代わりに配置された六角形の金属パーツたちが、カチカチカチッ! と心地よい音を立てて勝手に引っ付き、彼女の背中を完全に密閉していった。

 

 祐奈と同じ機械にティーユも乗せられ装甲を付けてもらティーユの方も準備ができたようだ。

 

 これで空気漏れの心配も、即座に手足がトカゲの尻尾にされる恐怖もひとまずは遠のいた。

 

「……でも、アスクさん。『作動しきい値を引き上げた』ってことは、システム自体はまだ生きてるんですよね?」

 

 祐奈はジト目でアスクを睨む。

 アスクはやれやれと肩をすくめ、悪びれもしない極上の笑顔で返した。

 

「そりゃあね。本当に肉体が消し飛ぶような致命傷を喰らった時は、やっぱり1秒で切り落とさないと。でも安心しなよ、今回はただの射撃訓練だ。標的が反撃してくるわけじゃないんだから、普通にしていればその『贅沢な2連ギロチン』の出番なんてないさ」

 

「……フラグにしか聞こえないです」

 

 ようやくティーユもゴツゴツとした重装甲に包まれ、頭上にはフヨフヨと動く2本の黒い触手、腰からはヘビのような金属の尻尾を生やした完全形態になったものの、祐奈の不安は一向に消え去らないのだった。

 

「ヘルメットは……必要ないですね。空気ありますし」

 

 ソフィアは環境パラメーターをいじりだした。これでひとまず、頭をすっぽり覆われる息苦しさからは解放されそうだ。

 

 祐奈は、気になっていた装備についての疑問を口にする。

 

「この触手って、どうやって動かせばいいんですか? 今も勝手にフヨフヨ動いてはいるんですけど……」

 

「あぁ、基本的に脳波で動かすことになるので、念じてもらえばいいです。簡単なAIも搭載してるので、使えば使うほど創造主様の癖を学習して便利になるとお考えください」

 

「お~、勝手に動くんじゃないのね!」

 

 ティーユはさっそく感覚を掴んだのか、頭の上の黒い触手をウネウネ、ニョロニョロと動かし始めた。脳波コントロールに慣れていないせいか、なんとも言えない奇妙で気持ち悪い動きである。

 

 ソフィアの手がパチリと止まると、周りの景色がさっきの「美しい地球が見える砂地」の月面へと戻ってきた。目の前にはいくつかの射撃台と、遠くにホログラムの的が浮かんでいる。

 

「体感では空気はありますが、実際は真空状態のシミュレートです。ですので、背中にこれを背負ってもらいますね」

 

 ソフィアが取り出したのは、見た目は白い2リットルのペットボトルくらいの大きさの、小さなボンベだった。

 

「それは……? 酸素ですか?」

 

 ヘルメットがいらないなら酸素はいらないはず、と首を傾げる祐奈に、ソフィアは淡々と答える。

 

「いいえ、水です。装備の冷却用に使用します」

 

「水!?」

 

 ソフィアは慣れた手つきで2人の背後に回り、その白いボンベをカチャリと追加装備した。背中のあの「羽(大型放熱板)」に水を循環させて、スーツの熱を強制的に冷やすためのものらしい。大気はあるのに真空という矛盾した空間で、冷却のためだけに水を背負わされる。この世界の技術は本当に一筋縄ではいかない。

 

「あとは、銃用の弾と、追加の水を運ぶ補給ドローンを用意すれば準備完了ですね」

 

「……なんか、銃の練習にしては中々重装備ですね」

 

 ずんぐりした重装甲に、脳波で動く触手と尻尾、そして背中には水ボンベ。

 完全に大がかりな実戦仕様になっていく自らの姿を見下ろしながら、祐奈はこれから始まる訓練への不安を、いよいよ現実的なものとして感じ始めるのだった。

 

「祐奈様、これでもかなり軽装備な方ですよ。本当の実戦仕様であれば、各部位にさらに多くのワイヤーを配置して地面にアンカーとして打ち込み、推進エンジンと重火器の反動で宇宙空間に投げ出されないようにガチガチに固定します。あとは……」

 

 ソフィアは淡々と説明を続けながら、手元の端末を操作した。すると、2人のすぐ近くの空間に光の粒子がフワリと集まり、まるで本当にそこに存在しているかのような、フル装備の特殊部隊員のホログラムを作り出した。

 

「この、背中にある円錐型の小さなくぼみが見えますか?」

 

 ソフィアに促され、祐奈とティーユはホログラムに近づいて目を凝らしてみる。肉厚な装甲の表面に、ちょうど5円玉くらいの大きさの円錐型のくぼみがポコポコと空いており、その深さ2センチほどの底をよく見ると、小さな丸い球にさらに小さな穴が空いている精密な機構が見えた。

 

「これは『水推進エンジン』と呼ばれる装置です。体の装甲や機関部で発生した凄まじい熱を利用して、水を一瞬で沸騰させ、超高圧の過熱蒸気としてこの穴から噴射します。外からの被弾で壊れないよう装甲のくぼみの奥に内蔵されており、これを使って宇宙空間での移動と姿勢制御を行うのです」

 

「へぇー、よくできてるねぇ」

 

 ティーユは感心したように声を漏らすと、興味を惹かれたのか、そのくぼみの先にある小さな丸い球を指先でツンツンと触って確かめ始めた。脳波コントロールの触手だけでなく、スーツ本体のメカニズムにも興味津々のようだ。

 

 すると、その様子を見ていたアスクが、お腹を抱えてケラケラと笑い出した。

 

「あはは! ティーユ、そこは触っちゃだめだよ。人類最盛期の歩兵ではね、配属されたばかりの新人の子が物珍しさにそこを触って、『精密機器だぞ、壊れるだろ!』って隊長に思いきり殴られるのが定番の鉄板ネタなんだから。だから気軽に弄っちゃ駄目だよ」

 

「へ~、そうなんだ~」

 

 ティーユはそう言いながらも、どこか楽しそうに指を離した。どうやら新兵が怒られる定番のポイントらしい。かなり頑丈な装甲の内側にあるとはいえ、ノズルの角度を変える可動球体部分はミリ単位の調整が必要な重要部分なのだろう。

 

(危ない……何も言われなかったら、絶対に私も物珍しさで触ってた……!)

 

 危うく仮想空間の中でアスクやソフィアに「壊れます」と怒られるところだったと、祐奈は胸をなでおろす。

 

「さあ、構造の理解も済んだところで……」

 

 ソフィアがパチンと指を鳴らすと、ホログラムの特殊部隊員が猛然と走り出した。そのまま地面を蹴り上げると、遥か上空に浮かぶ巨大な隕石に向かって、背中やくぼみから「プシューッ!」と白い高圧蒸気を吹き出し、まるで弾丸のように飛んで行った。

 

「あのような形で飛んでいきます。では、お二人に分かりやすいよう、近くにあの隕石を寄せますね」

 

 ソフィアが淡々とそう告げた直後、凄まじい質量感を持った巨大な隕石が、猛スピードでこちらめがけて突っ込んできた。

 

「ひゃああっ!? ちょっと待って、ぶつかる、ぶつかる──!!」

「うわっ、あぶないよ! 祐奈!!」

 

 2人は本能的な恐怖から頭を抱えてガチガチに身構えた。しかし、隕石は2人の目の前でグググッと急激に速度を落とすと、不思議なことに空間が歪むようにみるみる縮んでいき、最終的には机の上に置くミニチュアくらいの大きさになって目の前に静止した。

 

 よく見ると、その小さな隕石の表面で、先ほどの特殊部隊員のホログラムが壁を登っている状態がはっきりと観察できる。

 彼は体中から視認できないほど細く強靭なワイヤーを前方に放っては岩肌に固定し、その反動と、時折くぼみから噴射される極小の蒸気ジェットを組み合わせて、まるで重力を無視したス〇イダーマンのように器用に、そして高速で上の方へと登っていく。

 

「このように、当時の特殊部隊は3次元的な戦闘区域を文字通り飛び回りながら、同時に銃器を操って戦っていたようです」

 

 ホログラムの素晴らしい実演。非常に合理的で、かつ分かりやすい説明だった。……だったのだが。

 

「分かりやすいですけど!! いきなりあんなデカい隕石をこっちに飛ばすのは心臓に悪いので本当にやめてください!!」

 

「そうだよ! 私、本気で潰されると思ってめちゃくちゃ怖かったんだからね!?」

 

 生きた心地のしなかった2人は、息を荒くしながら猛烈にソフィアへ抗議した。精鋭戦士のティーユですら、あの質量が迫ってくる恐怖には冷や汗が止まらなかったようだ。

 

 しかし、ソフィアはそんな2人の必死な抗議を完全にスルーし、ぴくりとも表情を変えずに淡々と説明してきた。

 

「ここは仮想空間ですので、本当に衝突しても潰れて死ぬことはありません。宇宙戦では視界のすべてから障害物や敵が肉薄してきます。これくらいの衝撃には、今のうちに慣れてください」

 

「くっ……! 感情のないAIの正論が一番きつい……っ!」

 

 無表情な鉄壁のロジックで一蹴され、祐奈はぐぬぬと呻いて引き下がるしかなかった。隣でティーユも「このAI、意外とスパルタだ……」と戦々恐々としている。

 

「あはは、ソフィアは相変わらず容赦ないねぇ」

 

 アスクがのんきに笑いながら、2人のガウスライフルの安全装置(セーフティ)をパチンと解除した。

 

「まあ、今回は射撃のみだけど、慣れたころにああやって移動しながら戦闘して遊べばいいんじゃないかな? 人類最盛期にはゲームとして遊んでいた人もいたけど、VRは絶滅期に発展したから、死に際に『これで遊びたかったのに!』って悔しがってた人もいたしね」

 

 アスクがのんきに笑いながら、2丁のガウスライフルの安全装置(セーフティ)をパチンと解除した。またさらりと人類絶滅期の物悲しい歴史を混ぜてくる。

 

 それを聞いたソフィアは、眉をひそめながら困った顔をした。

 

「まあ、VRなので安全と言えば安全なんですが……」

 

 どうやら彼女は、たとえ仮想空間であっても、大切な創造主たちに危険なことや過激な真似をしてほしくないらしい。

 

「そんな危険なことをやるより、のんびり私達とあの部屋で、祐奈様たちのお話を聞かせてくださいよ」

 

 ソフィアは少し、最後にぼやくようにつぶやいた。何もないあの真っ白な部屋で、お茶を淹れて、2人の話をただ聞いていたい──それが彼女たち超高度AIの本音なのだろう。

 

 しかし、ティーユは少し困った顔をして言った。

 

「あの部屋で何もせずいると、体が腐っちゃいそうだしね」

 

 祐奈もそれに同意するように、苦笑しながら言う。

 

「まあ、あそこにずっといると、人間として生きるより、家畜として生涯を送りそうですよね」

 

 あまりに過保護に飼育されすぎるのも、元人間と元異世界戦士としては耐え難いものがある。

 すると、ソフィアは少しうつむきながら、「そうですかぁ……」と寂しげに小さな声を出すのであった。

 

 そのしんみりとした空気を察してか、アスクがパンパンと手を2回叩きながら、雰囲気を変えるように言った。

 

「はいはい、そこまでよ。銃で遊びに来たんでしょ? 今は何も考えず楽しみましょ!」

 

 アスクの明るい声で、射撃場に漂ったしんみりとした様子が少し変わる。

 ティーユが「そうだった!」と顔を輝かせた。

 

「あの銃、連射したかったんだよね!」

 

「そうだよ、じゃあトリニティーの青い部分にこのドローンのチューブを刺してね。弾はこっちのドローンから供給されるから」

 

 アスクに促され、2人はガウスライフルを手に射撃台に向かって歩き出した。

 その途中、祐奈は立ち止まり、少しシュンとしているソフィアに向かって笑顔で手を差し出した。

 

「一緒に楽しいかは分かんないけど、遊ぼう」

 

 その言葉に、ソフィアはハッとしたように顔を上げ、嬉しそうに微笑んで祐奈の手をとった。

 

 ──ズガガガガガガガッ!! 

 

 次の瞬間、月面の静寂を切り裂くように、ガウスライフル『トリニティー』が爆音を響かせた。

 頭上の触手が驚異的なブレ補正で反動を完全に抑え込み、腰の尻尾がカチャカチャと弾薬をドローンから引き込んでいく。背中のくぼみからは、銃の熱を冷ました過熱蒸気が「プシューッ!」と白い尾を引いて噴き出した。

 

 先ほどまでの重苦しい雰囲気をすべて吹き飛ばすように、銃声を響かせる。

 思った以上の爽快感にティーユが歓声を上げ、ソフィアとアスクもそれを見て楽しそうにアドバイスを送る。4人は笑顔で笑い合いながら、仮想空間の月面で、とても賑やかで楽しい時間を過ごすのだった。

 




コイル・ガウスライフルだと言葉が2重になるらしく訂正しました。w。
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