名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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3話:条件交渉と神様のどんぶり勘定

 お前はいなくなっても世界が困らない凡人だと神様直々に太鼓判を押された事実に、私が静かに、そして深く凹んでいると、ベールの奥の女性がハッと顔を強張らせた。

 私のただならぬ落ち込みっぷりに気づき、慌てて両手をブンブンと振りながら援護を入れ始める。

 

「あ、あの! そんなに落ち込まないでください! あなたのように、真っ当にお話を聞いてくださる人間は本当に珍しいのですよ!?」

 

「珍しい、ですか……?」

 

 私が力なく聞き返すと、女性は過去の嫌な思い出を吐き出すように、一気にまくし立てた。

 

「はい! これまでにお呼びした他の方々は、それはもう酷かったんですから! 神への偏見が強すぎて私のことを『悪魔め!』と罵ってきたり、そもそも全く話にならない態度で暴れてみたり、挙句の果てには……私に対して不躾な目線を向けたり、セクハラ紛いの言葉をかけてくる男性までいましたから!」

 

(神様にセクハラする奴ってどんな命知らずだよ……)

 

 あまりのヤバすぎる前任者たちの問題行動に私が心の中でツッコミを入れていると、不意に女性の背筋が、すっと伸びた。

 

 それと同時に、周囲の空気の温度がハッキリと下がったような錯覚に囚われる。

 

「――それに」

 

 女性はベールの奥から、こちらのすべてを見透かすような冷徹な視線を投げかけてきた。先ほどまでの慌てっぷりが嘘のような、低く、落ち着いた、有無を言わせぬ声だ。

 

「あなたのその落ち着きよう、中々に珍しいです。ここに呼び出された瞬間、ほんの少し動揺が見られましたが、数秒で現実を受け入れ、置かれた状況をいち早く把握されました。……さらに先ほどの、ギリシャの神々と勘違いしての素早い土下座」

 

 女性は白い指先を顎に当て、品定めをするように私を見つめる。

 

「あれはただ怯えて平伏したのではない。瞬時に『神託』という言葉のリスクを計算し、ご自身のプライドを一切の迷いなく捨て去ることで、最も安全に身を守ろうとした……極めて冷徹な『自己防衛』の判断です。あなたのその高い状況分析力と、即座に最適な行動に移れる実行力。私はとても高く評価していますよ?」

 

「……っ」冷や汗が背中を伝う。見抜かれている。

 

 ただ面倒な仕事から全力で逃げようとしただけの私のドタバタムーブを、この女性は恐ろしいほどの観察眼で『合理的なリスクマネジメント』として完璧に解剖していた。

 

(この人、ただのおっとりしたお姉さんじゃない。修羅場をかなりくぐってるな……)

 

 私がゴクリと息を呑むと、女性はふっと肩の力を抜き、また元のおっとりした口調に戻って微笑んだ。

 

「それにあと20年後には世界は滅ぶんだし問題ないですね!……あっ、今の言っちゃダメなやつでした。忘れてください」

 

(いや台無しだよ!!! 有能なのかポンコツなのかどっちなんだよ!!!)

 

 女性の発言に私はグルグルと回る歯車のように感情が振り回されていることに気づいた時、落ち着くために息を吐き深呼吸する

 少し冷静になってみると矛盾が発生していることに気づく、先ほどの提案の私より上位のに人間に依頼することは滅ぶのであれば、そちらのほうが良いのではないかと思い。

 もう一度、聞いてみることにする

 

「でしたら尚の事有名な化学者や大統領を呼んでもいいのでは?」

 

 女性の声から再び、先ほどの冷徹なトーンが漏れ出していた。

 

「あの者らは、最後の時の選択があるので呼べません」

 

 ベールの奥の視線が、私の思考を先回りして完全に遮断してくる。

 

「最後の、時の選択……?」

 

 聞き慣れない不穏な言葉に私が眉をひそめると、女性は静かに首を横に振った。

 

「世界が滅ぶその瞬間、未来を繋ぐために重大な決断を下すべき人間がいます。大統領や高名な科学者たちは、その運命の歯車にカチリと組み込まれているのです。彼らを一人でもこの時間軸から引き抜けば、その『最後の選択』が行われず、世界の滅び方すら歪んでしまう。……だから、呼べないのです」

 

 女性はそこで言葉を区切り、まっすぐに私を見つめた。

 

「ですが、あなたは違います。あなたが20年後に迎えるはずだった未来は、ただ『周囲の人々と一緒に、静かにウイルスの犠牲になるだけ』の運命。あなたが今ここで歴史から消えても、世界の破滅のシナリオには、塵一つほどの狂いも生じない……。だからこそ、あなたでなければならなかったのです」

 

(……そっか。やっぱり俺、いなくなっても世界が困らない、正真正銘の凡人なんだな)

 二度目の正直。今度は付け焼き刃のポンコツ発言ではなく、世界の運命という圧倒的なロジックで「お前の存在価値はゼロだ」と証明されてしまった。

 有能モードのこの人の正論、おっとりモードの時より何倍も突き刺さって痛い。

 しかし同時に、世界に名だたる大統領や天才科学者たちよりも先に、自分自身がこの世界の運命を左右する選択の席に座らされているのだという事実に、良いような悪いような、何とも言えない複雑な感情が胸の奥から湧き上がってくるのだった。

 

「……少し、考えてもいいですか?」

 

 私の言葉に、女性は同意するように小さく頭を振った。私は腕を組み、静かに思考を巡らせる。だが、考えれば考えるほど、自分に拒否権などという選択肢は最初から残されていない事実に気づかされるだけだった。

 どのみち20年後には、ウイルスで人類全員がゲームオーバーなのだ。私がその過酷な現実に気づき、諦めの境地に達したのを見透かしたのだろう。女性が静かに声をかけてくる。

 

「覚悟は、決まりましたか?」

 

 私は胸を圧迫するような重苦しさを感じながら、大きく息を吐き出して返事をした。

 

「ええ……。最初から決まっていたようなものですね」

  

 そう、選択肢などどこにもなかったのだ。私は頭を上げ、ベールの奥にあるはずの女性の顔を見据えた。

 どうせ死ぬ運命なら、ただ怯えて受け入れるだけなんて真っ平ごめんだ。私はより良い未来を勝ち取るための『条件交渉』に出ることにした。

 

「依頼を受ける前に、一つ、条件……いえ、お願い事をしてもいいですか?」

 

 伺うように尋ねる私に対し、女性は「聞きましょう」と短く促した。ベールの奥の雰囲気から、何か面白いものを見つけたかのような、楽しげな気配が伝わってくる。

 

「20年後、人類がその『最後の選択』の時を迎えたとき……。私がこの依頼を受けた見返りとして、神様側のリソースで何か支援を行い、破滅を回避したり、絶滅の運命をなかったことにしたりすることは可能ですか?」

 

 私がそう切り出すと、女性は少しだけ口元を釣り上げた。

 

「少し待ってくださいね」

 

 そう言い残すと、女性は口元に手を当てて考え込み、数秒の間、まるでどこか上層部に確認の連絡を入れているかのように完全に動きを止めた。

 やがて、すっと女性の口元が動く。

 

「ええ。決定的に歴史の結果そのものを覆すことは不可能ですが、彼らの選択を助ける『支援』を行うことなら、許可できるそうです」

 

「っ……!」

 

 やはりこの女性の後ろには、さらに上の絶対的な存在がいる。

 それを確信すると同時に、私は自分の交渉によって、滅びゆく地球への『最高の保険』をもぎ取れたことに、心の底から安堵するのだった。これなら、受けるだけの価値はある。

 これなら、命を賭けるだけの価値はある。

 

 ――と、そこまでは良かった。

 

 条件を勝ち取って一息ついた瞬間、とてつもない現実の恐怖が遅れて私に襲いかかってきた。脳裏をよぎるのは、某SF映画に登場する、あの黒光りする2メートルの不気味な巨体。誰がどう見ても「誰かが作った最強最悪の殺戮生物」のビジュアルだ。相手はあれの強化版かそれと同等のスライムなのだ。

 

(いや……冷静に考えて、無理じゃね?)

 

 女性は私の交渉が成立したあるいは、依頼を受けてくれたことが純粋に嬉しいのか、すっかりきげんをよくして柔らかい雰囲気に戻っている。

 非常に水を差すようで悪いとは思ったが、私は命のために、一番大事な実務上の確認をしてみることにした。

 

「あの……。よくあるゲームみたいに『魔王を倒して来い』って言われる話の100倍は難しそうなんですが。繁殖力も強さも未知数の化け物を、私一人で倒すなんて物理的に絶対に不可能です。こちらの具体的な作戦についても、相談に乗ってもらえますか……?」

 

 私の現実的な問いかけに、女性はピキリと固まった。そして、先ほどまでの明るく柔らかい雰囲気が、まるで山の天気のごとく一瞬でどんよりと暗くなっていく。

 

「どうしましょうね……」

 

 女性はベールの奥で、遥か彼方の地平線を見つめるように、少し遠い目をしながらポツリと答えてくれた。

 

(考えてなかったんかい!!!)

 

 私は心の中で全力のツッコミを叩きつけた。どうやらこの上司(神様側)、勢いでプロジェクトを立ち上げたものの、現場の具体的な動かし方、現場の人間がどうやって戦うかをミリ単位も考えていなかったらしい。これだから上層部の無茶振りは困るのだ。

 

 私は、自分が知っている他の物語(SF小説や映画)の知識を参考に、さらに現実的な問題を突きつけてみることにした。

 

「実際、冷静に考えてみてください。今の人類がこれからかなりの年月をかけて、複数の惑星を人が住める環境(テラフォーミング)にして、人口が1兆人だか何人だか分からないくらい増えたとしますよね? それだけの巨大文明が宇宙を飛び交って、資源をかき集めて総力戦を挑んだって、半分の確率で負けて絶滅しちゃうような相手なんですよ……?」

 

私の言葉に、女性は他人事のように「そうなんですよねぇ」と同意してきた。

 

「まあ、そういう世界も過去にあったというのは聞いていますね。そのくらいの超科学戦力を叩き込んでも、あいつら宇宙にゴキブリのようにはびこって、結局人間側が負けて滅びてますね! ……あ、でも今回は、あの凶悪スライムがいるのは惑星一つ分だけなので大丈夫ですよ!」

 

(何がどう大丈夫なんだよ!!! 規模の問題じゃねえよ!!!)

 

心の中で激しくツッコミを入れながら、私はさらに大人の社会の現実論を語る。

 

「そうなると、物語の世界みたいに、人類全員が都合よく一致団結して当たらないと絶対に勝てないわけですが……。複数の世界や国を巻き込んだら、今度は『なんで他人の世界のために命を懸けなきゃいけないんだ』って揉め始めて、反乱が起きて内側からボロボロになる未来が目に見えてますね」

 

「そうなんですよねぇ~、人間ってすぐに内紛しちゃいますもんね。そんな都合よく一致団結してくれる、最初から一つの意思で動く便利な惑星なんて……あ、ちょっと待ってくださいね?」

 

 何かを思いついたのか、あるいはまた上層部に内線で確認を入れているのか。女性は少し上を向き、指を口元に当てて考え込み、完全に動きを止めた。私は少し疲れを感じ、出されたお茶を、砂で少し汚れた手で口へと運んだ。

 生ぬるいけれど、混乱した頭にはちょうどいい。喉を潤しながら、女性の返事を待つことにした。

 やがて、すっと女性の動きが戻る。

 

「……あるそうです」

 

 不意にそんなとんでもない返答をされて、私は目を見開き、口を丸くした。

 

「あるのですか!?」

 

女性は嬉しそうに、ベールの奥で満面の笑みを浮かべた(気がした)。

 

「はい! あなたの言う通り、人間の国をたくさん集めると内紛してボロボロになっちゃいますから。最初から一つの意思で動いて、絶対に反乱を起こさなくて、神であるあなたを狂信的に崇拝して、いくらでも身代わりになってくれる、都合のいい人間そっくりの肉体を持った連中が、3000年後の地球で待っているそうです!」

 

「――はい?」

 

(いや、何そのディストピアみたいな便利な世界!?)

 

 わけのわからない神様リソースの力技に私が戦慄していると、この瞬間、運命の歯車がカチリと回った

 

 ──いや、思いきり狂ったような音を、私は心の中で確かに聞いた気がした。

 

 女性は本当に嬉しそうに、ベールの奥で声を弾ませる。

 

「いやぁ~、また前任者たちみたいな変な人間と交渉することにならなくて本当に良かったです! これで戦力(リソース)の問題はバッチリ解決ですね!」

 

 サラリと失礼な本音を漏らした女性は、今度は何かを思い出したようにポンと手を打った。

 

「あ、でも、あなたが途中で使命を果たす前に死んじゃったら困りますよね。ボディーガード役を一人、お供に付けたほうがいいですか?」

 

「明日のごはん、何にしましょっか?」くらいの軽いノリで、とんでもない提案をしてくる。

 

「まあ……確かに、身の安全を守る戦力は必要といえば必要ですが。ただ、その世界に行ってすぐに『さあ戦え!』と別の世界に放り出されても、人間はそんなにすぐ適応できませんよ?」

 

「え? そうなのですか?」

 

 女性は不思議そうにこちらを問いかけてくる。

 私は何か分かりやすい例えがないか少し考え、相手の立場に合わせた言葉を選んだ。

 

「あれですよ。使徒様がいきなり別の神様に仕えろと言われて、その日のうちに完璧に仕事がこなせなくなるようなもの、とお考えください」

 

「なるほど~!」

 

 女性は深く納得したように、ポンと手を叩いて返事を返してくれた。

 神様の組織でも、異動直後の引き継ぎは大変らしい。私はさらに時間を引き延ばし、面倒な実務から逃げるために、適当に呟いてみる。

 

「ん~、まあ……100年くらいその世界でのんびり暮らして、体に慣れて、それからじっくり戦力を整えれば……ギリギリ足りるかな……」

 

 自分で言っておきながら「100年って何だ、俺はその前に寿命で死ぬだろ」と不安になってきた 

 

 まさにその時だった。女性が満面の笑みで言い放った。

 

「じゃあ、300年! 300年間しっかり戦闘準備をして、あの遊び場の世界に乗り込んでください!」

 

「えっ」

 

毎度驚かせてくれる、あまりにも雑で巨大すぎる時間スケールだ。

 

「では、転生の準備を始めますね!」

 

 女性は弾むような足取りで椅子から立ち上がると、空中に向かって、見えない何かをスマホのようにパッパと手を動かして操作し始めた。

 

 おそらく、神様直属のシステムにアクセスしているのだろう。その背中を見ながら、ふと、私は根本的な疑問を抱いて聞いてみることにした。

 

「……そういえば、その神様の力とやらで、直接その凶悪スライムを消し去ることはできないのですか?」

 

 それが一番簡単で手っ取り早い解決法だ。淡い希望を抱きながら尋ねると、女性は困ったように眉を下げて振り返った。

 

「ああ、それはですね……。神様が普通にその世界で力を振るってしまうと、手元が狂って惑星に消えない穴が開くか、最悪の場合、星ごと爆発しちゃうので……」

 

(力加減を覚えろよ!!!)

 

 本当によくわからない、規格外に大雑把な規模の話だ。だからわざわざ、歴史に影響のない私という現地雇用(一市民)を雇って、ちまちまと駆逐させようとしているわけか。    これだから上層部の現場無視の企画は困るのだ。

 

「それでは、いってらっしゃいませ!」

 

「ちょっと待って、いきなり飛ばせとは──っ!」

 

 私の叫びが響くより早く、足元の水鏡が凄まじい光を放ち、私の視界を真っ白に染め上げた。

 私の意識は一瞬にして、はるか未来の、人類が消え去った地球へと強制的にワープさせられるのだった。

 

 

 

 

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