名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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4話:歩く爆弾と鉄の夜空

パチリ、と目が覚めると、見慣れた自宅の天井が視界に飛び込んできた。

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 私は勢いよく布団をはねのけた。全身からは、まるでとてつもない悪夢を見たかのような、嫌な汗がどっと流れ落ちていた。深夜0時に布団に入ってから、一体どれだけの時間が経ったのだろう。

 

「……ひどい夢を見たな」

 

 額に浮かんだ汗を拭おうとした、その時だった。

私の手のひらから、パラパラと何かがベッドの上に落ちた。薄暗い部屋の中で目を凝らしてよく見てみる。それは、どう見ても乾いた『白い砂』だった。

 夢の中で、あの水鏡の地面から確かに鷲掴みにした、あの砂が──今もハッキリと、私の手のひらにこびり付いていたのだ。

 

「夢では……なかったんだ……。ああ、普通に夢オチがよかったなぁ……」

 

誰もいない部屋で、私は思わずぽつりとぼやいてしまった。

 いきなりわけのわからない世界に引っ張り出され、とんでもない無茶振りをされたのはどうやら現実だったらしい。

 

 枕元のスマートフォンを手に取って時間を確認してみると、いつもの出勤時間まで一時間ほどの猶予がある。電波のマークが妙なことになっていたが、寝ぼけていた私は深く気に留めなかった。

 どうやら、あの使徒の女性に言われた「3000年後」とやらに、いきなり飛ばされたわけではないらしい。

 

 なんだ、脅かしやがって。一瞬で未来にワープさせられたわけじゃないなら、まだこちらの世界で色々と準備をする時間的猶予は残されているようだ。

 とりあえず、全身にかいた嫌な汗を流そうと、私は箪笥から着替えの用意を始めた。

 

 ふと、すぐ横にある窓の外が気になり、何気なく視線を向けてみた。

いつもなら、そこには地方都市のありふれた住宅街が広がっているはずだった。

 しかし、箪笥の前に屈んだ状態の私の視界に、本来なら見えるはずの「お向かいの家の2階部分と屋根」が、どこにも映らない。

 

「……ん?」

 

 嫌な予感が、冷たい手のように背中を這い上がってくる。私は用意した着替えをベッドに置き、恐る恐る、部屋の窓から外を覗き込んでみた。

 

一面の、花畑だった。

 

「……は?」

 

 窓を開け、ベランダから身を乗り出して周囲をぐるりと見渡してみる。

 あるはずの道路も、電柱も、隣の家も、何一つ存在しない。ただひたすらに、色鮮やかな未知の花だけが、地平線の彼方まで一面に咲き誇っていた。

 

 私は、何も言わずに窓をピシャリと閉め、カーテンを引いて部屋に戻った。ひとまずキッチンの蛇口をひねってみる。ジャーと勢いよく水が流れ出した。

 どうやら、手だけは洗えるようだった。部屋のライフラインだけは、神様の力か何かで都合よく維持されているらしい。

 私はシャワーを浴びる気力を完全に失い、洗った手をタオルで拭くと、箪笥から引っ張り出してきた新しい服に着替えた。

 

 そして、再び布団に潜り込み、深く頭までかぶった。

 

(よし、ふて寝をしよう。もう一度目が覚めたら、きっといつもの日常が待っているはずだ)

私は現実から逃げるように無理やり目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

──それから、どれほどの時間が経ったのだろう。

 

 カーテンの隙間から強い光が差し込み、部屋の温度が上がって少し暑苦しくなってきた頃、私はようやく目を覚ました。

 体感的にはお昼頃だろう。そう思って、布団の中で少し体を動かした、その時だった。ボフッ、と足の先に、何か妙に柔らかくて温かいものが当たった。

 

「……ん?」

 

我が家にはペットもいなければ、同居人もいない。嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、私は恐る恐る、掛け布団の端を少しだけ持ち上げて足元の方へと目を向けた。

 

 そこには、見知らぬ少女がいた。身長は150センチメートルほどだろうか。ずいぶんと小柄な、見た目だけなら高校生くらいにしか見えない少女が、なぜか私のベッドの足元にごく自然に腰掛け、熱心に本を読んでいる。彼女は、鮮やかなオレンジに近い、燃えるような輝きのある赤髪を腰のあたりまでストレートに伸ばしていた。頭には修道女のような立派な帽子を被っているのだが、そこから跳ねるようにオレンジの髪がはみ出しているのが、どこかやんちゃな印象を与える。

 

そんな非現実的な美少女が、私の狭い部屋で、私の布団の上に座っている。

 

「…………」

 

 私は音を立てないように、そっと布団を元の位置まで下ろし、再び目を閉じた。

 おかしいな。まだ夢から覚めていないらしい。

 すると、布団越しに頭の上から、鈴を転がしたような凛とした声が降ってきた。

 

「この漫画、面白いね」

 

 どうやら彼女は、私がすでに起きていることに完全に気づいた上で話しかけているらしい。

 布団の隙間からそっと覗き込んでみると、彼女は私の部屋の本棚に置いてあった単行本を勝手に引っ張り出し、暇つぶし代わりにページをめくって楽しんでいるようだった。

 とりあえず、私はこのなんとも言えない奇妙な状況を打開するため、布団の中から少女に向かって声をかけることにした。

 

「あの……一旦、布団から降りてくれないか。足元が重くて起き上がれないんだ」

 

「ああ、ごめんね」

 

 

 少女はひらりと身軽にベッドから床へと降りてくれた。ようやく足元の重みから解放されて身動きが取れるようになった私は、のそりと布団から這い出した。

このままベッドの上で話し合うわけにもいかない。私は現実を受け入れるための話し合いをするべく、彼女に声をかけることにした。

 

「とりあえず、ここじゃ落ち着いて話し合いも出来ないし、隣のダイニングキッチンの場所に移動しよう」

 

 私たちは狭いキッチンの小さな机に、お互いに椅子を引いて向かい合って座った。

 まずは現状把握と情報共有。

 私は軽く咳払いをすると、お互いの自己紹介を始めることにした。

 

「私は夕凪優奈(ゆうなぎ ゆうな)。日本の中小企業で働いていた、ごく普通の人間だ。何の拍子でかは分からないけれど、神様……いや、使徒の相談に乗っていたら、こんなよく分からない世界に飛ばされてしまった。本当に、どうしてこうなったんだ……」

 

 話し終えると、私は両手で顔を覆い、深いため息をついた。

 その様子を少し不思議そうに、首を傾げながら見つめていた少女は、やがて淡々と話し始めた。

 

「私はティーユ。ファミリーネームは無いよ。神様の使徒としてお仕事をしに呼ばれたのだけれど……。出身はアイルランドなんだけど、どうやら『似たような別の世界』にいたみたいだね。私がいたのは、西暦2030年くらいの世界だよ。アイルランドの田舎町で、普通の田舎暮らしをしていたんだ」

 

 

「に、2030年……? ほんの数年先なだけか。それにしても、普通の田舎暮らし、ですか?」

 

私の問いに、ティーユは困ったように眉を下げてのんびりとうなずく。

 

「うん。でも、元の世界にちょっと居づらくなっちゃってね。そんな時にこの依頼を受けたんだ。昔からそういう神様の依頼をこなすことはあったし、今回の期間が凄く長いけれど、まあいいかなって。私、こう見えてもう3000年くらい生きてるから、300年か400年待つのなんて大したことないし」

 

「……ぶっ」

 

 私は思わず、お茶を吹き出しそうになった。3000年。

 今、この小柄などう見ても17歳前後にしか見えない少女は、さらりと「3000年生きている」と言い放った。本人はそれが普通のことだと思っているのか、全く自慢する風でもなく小首を傾げている。

 

 予想外の事実の連続にめまいを覚えながらも、私はお伺いを立てるように尋ねてみることにした。

 

「わ、私の世界は西暦2026年だったので、たぶん文明のレベルとしては殆ど同じくらいですね。……それで、ちょっと聞いてもいいのか分からないんですが。その『居づらくなった理由』と、神様の依頼っていうのは、一体……?」

 

 ティーユは困ったように眉を下げて続ける。

 

「なんかね、近くの大きな橋の上で、ペンキを使って地球を守れって叫んでる環境活動家の子たちが車道を占拠していたんだよ。車が通れなくて迷惑だし、危ないから注意したんだけど、全然退いてくれなくて。だから、そんなに自然と触れ合いたいなら川で遊びなさいって、みんなまとめて川に放り込んだら、警察とかネットとかで凄く怒られちゃったんだよね」

 

「……川に、放り込んだ?」

 

 正義を掲げて座り込みをしていた活動家たちを、力技でまとめて川へ叩き落としたというのか。私は内心引きつりながらも、先を促した。

 

「あとね、ちょっと仲の良かった王家の子に誘われて、大きな宗教行事に参加したことがあったの。その時、お説がちょっと長かったから『その偉い神様って、本当はいつ復活するんでしょうね?』ってポロッとぼやいたら、それを聞いた偉い宗教家の人たちが、顔を真っ赤にして怒り狂っちゃって……」

 

「王家……? 宗教行事……?」

 

 飛び出してくる単語の規模が、普通の田舎暮らしの女の子のそれではない。さらにティーユは悪びれもせず言葉を重ねる。

 

「あっ、それとお仕事の『神様の依頼』っていうのはね。若い頃に、急に蛮族が攻めてきたから全滅させてほしいって頼まれたり、洞窟の奥から聖なる剣を取ってきてって言われたりして、それを普通にこなしていただけなんだ。でも、それをやってたら一部の別の神様たちに目をつけられて、神々同士の戦争に巻き込まれて争ったり……そんな感じだね。ちなみに言ってなかったけど、魔術も使えるよ」

 

 さらりと、とんでもない世界崩壊規模の経歴が飛び出してきた。

 

「あとはね、お仕事に行く前に王家の友達にお別れを言いに行ったんだ。向こうの世界に行ってお金に困るとあれだからって、昔の金貨とかをたくさん渡したんだけど……その時に友達から言われたんだよね。『君はそういう活動家とか、政治とか、宗教と絶望的に相性が悪いから、今度の世界ではあんまり関わらないほうがいいよ』って、わざわざ真面目な顔で忠告されちゃったんだ。酷いと思わない!?」

 

 

(いや、そのお友達、めちゃくちゃまともで有能な相談相手だよ!!!)

 

 現代社会で最も触れてはいけないタブーに無自覚に首を突っ込んで大炎上してきた彼女。

 

 ティーユは「えへへ」と無邪気な笑みを浮かべて、小さな右手を差し出してきた。

 

「だからね、君が私の『上司』になって、そういう難しい社会のルールとかを担当してくれるって聞いたとき、凄く安心したんだ。よろしくね」

 

(……なるほど。私への無茶振りは、ここにも繋がっていたわけか)

 

 神様がなぜ、ただの中小企業の管理職である私を名指しでスカウトしたのか。

それは、あの凶悪スライムを倒すためだけではない。この『現代のルールが一切通用しない歩く超大型爆弾娘』に、コンプライアンスを叩き込んでコントロールすること。

 そして、その規格外の破壊力を正しいルールの中で制御して、確実な戦力へと変える

 

――そんな「教育係・制御役」が必要だったからなのだ。

 

 差し出された小さな手のひらを見つめながら、私はこれから始まるであろう宇宙規模の胃の痛いマネジメント業務を覚悟して、静かにため息をつくのだった。

 

 だが、ここで逃げ出したって始まらない。私は観念して、目の前の少女の小さな手を取った。ぎゅっと、握手を交わす。それは私にとって、一抹の覚悟と、これから始まる途方もない苦労の契約書にサインをするような、重苦しい決意の瞬間だった。

 

「これからよろしくお願いします、ティーユさん」

 

「よろしく頼むね、祐奈!」

 

 

 なんとか自己紹介も終わり、これからこの未知の世界でどうしていくか、実務的な相談を始めようと声を掛けようとした、その時だった。

 

 ティーユがおもむろに、キッチンの天井をじっと見上げ始めた。

何かあるのだろうか?。つられて私も上を向いてみたが、そこにはただ、部屋に最初から備え付けられているLED照明器具が、いつも通りに白く光っているのが見えるだけだった。

 

「どうかしましたか、ティーユさん……?」

 

視線を戻し、何か気になることでもあったのかと尋ねようとした。

 だが、その言葉を発するよりも早く、部屋の雰囲気が一変した。カーテンの隙間から差し込んでいた強い光が、見る見るうちに失われていく。

 

 部屋の外が急に、不自然なほど急激に暗くなり、まるで一瞬で夜が訪れたかのようにワンルーム全体が深い闇に包まれていったのだ。照明の光だけが、妙に白々しく手元を照らしている。

 あまりにも異常な光景に、私はごくりと唾を飲み込みながら、自分を落ち着かせるように声を絞り出した。

 

「あれ……? 急に大雨でも降るのかな。それにしちゃ、ちょっと暗くなりすぎじゃないか……?」

 

がそう言いながら、何が起きたのかと椅子から立ち外を確認しようとした。

 

 ティーユは座ったまま、小さな人差し指でキッチンの天井を指差した。

 

「これだけ大きいものが空に浮かんでいるって、すごいよね。私の世界も、未来にはこんなのが飛んでいるのかなぁ?」

 

 彼女は天井のさらにその先、はるか上空にある『何か』を透視でもしているかのような感想を、のんびりと呟いたのだ。

 そして視線をこちらに戻すと、事もなげにこう言った。

 

「玄関から外を見れば、何が起きているか分かるよ」

 

 その瞬間、私の胃が明確な音を立てて悲鳴を上げた気がしたが、きっと気のせいだろう。そう思いたい。

 私は意を決して椅子から立ち上がると、重い足取りで玄関へと向かい、その扉を勢いよく外側へと開いてみた。

 

「……うわぁ」

 

 思わず、乾いた声が口から漏れ出た。

 窓の外に見えていた美しい花畑は、完全にその輝きを失っていた。

 なぜなら、空がなくなっていたからだ。

 上空を埋め尽くしていたのは、雲でも雨でもなかった。地平線の端から端までを完全に覆い尽くす

 

 見たこともないほど巨大な──それこそ都市が丸ごと一つひっくり返ったかのような、金属質の超巨大宇宙戦艦の「底」だったのだ。

 その無数の発光体が放つ不気味な光が、昼間だったはずの世界を夜のように塗り替えていた。

 私がその景色に圧倒されていると、いつの間にか横にティーユがいることに気づく。同じように上を見上げながら、ティーユが言葉を発した。

 

「ここまでくると圧倒されちゃうね。やっぱ人間って小さいな」

 

 私はその言葉に、魂が抜けたような顔で完全に同意の相槌を打つことしかできなかった。現実のスケールがあまりにも大きすぎて脳の処理が追いつかない。

 私は、現実逃避のために、自分が子供の時代に空を見上げながら想像していた他愛のない話を口にしていた。

 

「私が子供の頃、空に浮かぶ大きな雲の形を見てね……。あれは戦艦だ、あれは怪獣だ、なんて他の物に例えて遊んでいたのを思い出しましたよ。今のこの状況、まさにあの頃の妄想そのものです」

 

 私の現実逃避に付き合うように、ティーユも同意するように小さくうなずく。

 

「ああ、そういうの分かるな。私の世界でも、大きな雲を見て『あの雲、ソフトクリームに似てる!』とか、何かと似てるってたまに誰かが言ってた……」

 

 そんな風に、過去の地球の思い出話をのんびりと言い合いながら、私は必死に目の前の異常事態から心を逸らそうとしていた。

 しかし、そんな淡い現実逃避の時間も、長くは続かなかった。

 

 上空の巨大戦艦――その広大な『鉄の夜空』から、緑色の光を点滅させながら、ひとつの影が凄まじい勢いでこちらに向かって降下してきた。

それは20世紀や現代の技術では逆立ちしても実現不可能であろう、完全な垂直離着陸をこなす未知の『着陸艇(降下艇)』だった。

 だが同時に、もしもかつての人類の兵器がそのまま正常に進化していたら、きっと行き着くであろう洗練された機能美をも備えている。

 そんな、恐ろしくもどこか懐かしい形をした近未来の兵器が、私たちのすぐ近くの花畑へと音を立てて降り立ったのだ。

 

 激しい風圧が吹き荒れ、色鮮やかな花びらが空中へと高く舞い上がる。私が唖然とその圧倒的な光景を眺めていると、不意にティーユが私の服の袖をグイと引っ張り、現実へと引き戻した。

 

「お迎えが来たみたいだし、行きましょう」

 

 なんとも恐ろしいほどの楽観主義である。平和な日本で生きてきた普通の会社員として、自宅の前に物騒な軍用メカが降りてきて「お迎えが来た」という発想が出ることに驚きを禁じ得ない。

 

「あれってどう見ても軍の兵器なのに、近づいても大丈夫なんですかね!?」

 

 さすがにこれまで冷静に努めていた私も、少し声を荒らげてしまう。

 だがティーユは不思議そうに小首を傾げた。

 

「私達の言うことを聞いてくれるような子って聞いてるし、大丈夫でしょ。行きましょう」

 

 ティーユは袖を引っ張るのをやめると、私の手をしっかりと握り、戸惑う私を引いて謎の降下艇へと二人で歩み寄っていくのだった。

 

 目の前まで近づいたその時、降下艇からプシューッという重厚な排気音とともに、未来的なハッチがゆっくりと開き始めた。

 

 ハッチから現れてきたのは、戦争映画でよく見るような無機質で恐ろしい人型ロボットが4体。それらは降下艇のハッチから左右に広がるように、ガシャコン、ガシャコンと重々しい金属音を立てて整列した。

 

 赤く妖しく光るセンサーカメラが、一斉に私たちの姿を探るように、体全体に赤いスキャンラインを走らせてくる。

 目に強い赤いライトが遮り、私は少しまぶしさを感じて手で顔を覆った。時間にして10秒ほどだろうか。隅々までくまなく調べられる。

 

やがてスキャンが静かに終了すると、降下艇の奥から、息を呑むほど美しい、白い髪に軍服姿をまとった女性がゆっくりと降りてくるのだった。

 

 

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