降下艇からゆっくりと歩み寄ってくる彼女の姿を、私はただ圧倒されて見つめることしかできなかった。
年齢は20代半ばほどに見えるだろうか。絹のように滑らかな白い髪をきっちりと団子状にまとめられており、近未来の技術で作られた漆黒とシルバーを合わせた見慣れない軍服が、彼女のモデルのように細く引き締まった体躯を美しく包み込んでいる。
その整った冷徹な顔立ちは、まるで精巧に作られた芸術品のようだ。
しかし、団子状にまとめられた髪の生え際をよく見ると、およそ冷酷な軍人には似合わない『可愛い猫のブローチ』が不自然に飾られていた。
彼女は私たちの目の前まで来ると、その冷たい瞳でこちらを鋭く見下ろし、怪訝そうな声で問いかけてきた。
「なぜ私たちの通信を無視するのですか? 早く認識番号を送信してください」
私とティーユは顔を見合わせ、(……そんなもの、ある?)と目配せを交わした。
当然だが、持っているわけがない。私の困惑を無視して、軍服の女性はさらに冷徹に言葉を重ねる。
「それに、そのおかしな義体(肉体)と、あそこにある謎の『古代に創造主が暮らしていたと言われるアパート』は、あなたたちが再現して作ったのですか?」
(いや、再現じゃなくて本物だし、俺の家なんだけど……)
心の中でツッコミを入れつつ、私は「認識番号」という言葉について考える。そんなデジタルなものは持っていない。あるとすれば、財布の中の免許証かマイナンバーカードくらいだ。あまりにも場違いだとは思ったが、私は口を開いた。
「認識番号なんて言われてもないしなぁ……。マイナンバーカードなら、財布にありますけれど」
口に出した瞬間、(いや、どう見ても絶対に違うだろ)と自分でも猛烈に後悔した。
しかし、私の予想に反して、軍服の女性はベールのない目を見開いた。
「マイナンバー……? 認識番号をそのように呼称する個体は初めて聞きました」
何やら、妙なところで話が通じてしまっている。私は恐る恐る、ズボンのポケットから革財布を取り出し、中からプラスチック製のマイナンバーカードを抜いて彼女に手渡してみることにした。
「カード? えっ? ……カードって、物理的なプラスチックのカードを指していたのですか!?」
まあ、絶対に違うだろうなとは思いつつも、ここまで素っ頓狂な声を上げて驚かれるとは思いもしなかった。
「え? こんな原始的な記録媒体を、よく今でも維持して持っていましたね!?」
さらに驚愕の声を上げられ、私は自分が近代を生きるビジネスマンではなく、大昔の原始時代の猿として生き延びていたのではないかと錯覚しそうになった。
軍服の女性は、受け取った私のマイナンバーカードをまじまじと見つめ、手でそっとなぞったりして必死に調べている。
カードのICチップに彼女の指先が触れた、その瞬間だった。女性の顔から完全に冷徹な余裕が消え失せた。
「えっ……嘘……このカードに、大昔の『創造主様』の本物の生体データが入っている……!?」
「えっ?」
今度は私の方が目を見開く番だった。
ただの冗談のつもりで、お茶濁しに出した行政のカードが、3000年後の超科学世界で「本物の創造主のデータ」として完全認証されてしまったのだ。
一体どんな奇跡のバグが起きたというのだ。
軍服の女性がカードを両手で捧げ持ってガタガタと震えていると、横からティーユが私の袖を不安そうに引っ張ってきた。
「ねぇねぇ……私はそんな便利なカードはないからどうしよう……。認識番号がないとだめなのかなぁ……?」
小柄な体を縮めて、少ししょげ返っているティーユ。出会ったばかりの人間を驚かせないよう一歩だけ歩み寄り、小声で優しくフォローを入れた。
「いや、大丈夫だよ。これ、多分絶対に向こうが何か勘違いしてるだけだから! 安心していいからね!」
私が必死に彼女のメンタルケアをしている間、軍服の女性は、私のマイナンバーカードと私の顔を、何度も何度も交互に見つめ続けていた。その美しい顔は、先ほどまでの威厳が嘘のように、何やらもの凄く困惑しているように見える。
やがて、軍服の女性は恐る恐る、信じられないものを見るような上ずった声でこんな質問を投げかけてきた。
「あの……その、あなた方の義体には、機械が一切使われていないですし……全身が、100パーセント純粋なタンパク質だけで構成されていますけれど……。えっと、もしかして……生身の『人間』ですか?」
さも当たり前すぎることを真顔で聞かれた。未来の彼女たちから見れば、3000年前の人間なんて化石か原始人のようなものなのだろうか。私は内心で小さくため息をつきながら答えた。
「ええ……。見ての通り、普通の人間ですよ。他に何に見えますか?」
私がそう答えた瞬間、軍服の女性はまぶた一つ動かさずに完全に静止した
その姿はまるで精巧なマネキンがその場に置かれているかのような錯覚を抱いた。
あまりの硬直っぷりに、横からティーユがのんびりと首を傾げる。
「あれ? 固まっちゃったね。頭の後ろあたりを強めに叩いたら治るかな?」
どこか昭和の古いテレビの対処法のような暴力的解決策を提案してきたため、私は慌てて止めに入った。
「やめましょう! 恐ろしい戦闘ロボットに囲まれているこの状況で、指揮官に暴行を働いたらその瞬間に全面戦争になりますよ!」
私の必死の忠告に、ティーユは「なるほど~」と、どこか緊張感の抜けた返事を返すのだった。とりあえず、この奇妙な沈黙を打破しなければならない。私はカチコチに固まっている軍服姿の女性に向かって、努めて優しく声をかけることにした。
「えっと……私の名前は夕凪祐奈といいます。こちらはティーユさんです。ええと、よろしければ、あなたのお名前を教えてもらえませんか?」
「な……名前? ……なまえ、ですか……?」
私の言葉に、彼女の指先がピクリと動いた。『名前』という響きに対し、懐かしいような、それでいて生まれて初めて直接問いかけられたような、ひどく困惑した反応を見せる。彼女は瞳の奥で、膨大なデータを爆速で検索するように少し考え込んだ後、ゆっくりと答えてくれた。
「私の……個体認識番号は、MAR-V5_EX-MIL923*1 です」
「え? なんて?」
あまりにも無機質な呪文のような響きに、私は思わず聞き返してしまった。
「MAR-V5_EX-MIL923*2 です」
聞き間違いではなかった。私は思わずティーユの方を向いた。ティーユも「う~ん……それ、なんて呼べばいいの?」と、頭を少し傾けて本気で困った様子だ。
さすがに毎回「エムアイエル・ナインツースリー」と呼ぶのは呼びにくい。
私は彼女のなんとか聞き取れた個体番号を頭の中でつぶやき。そして、微かに脳の片隅に残っていた現代の言葉から連想し、思い切って提案してみることにした。
「ええと……じゃあ、最後のところをちょっともじって『MIL9(ミル・きゅう)』……略して、『ミルク』さんと呼んでもいいですか?」
「……みるく?」
軍服の女性は今の混乱を打破しようと少し頭を振り
「よく理解できない状況ですが……敵対行動もしてないですし、とりあえず会話で解決しましょう」
こちらに手を差し出してきた。おそらく、お互いの安全を証明するための握手の提案なのだろう。私は少しホッとしながら、その手を見つめた。
「ええ、よろしくお願いします」
私は丁寧に応じながら自分の手を差し出し、彼女の手を握った。お互いの手が、少しだけ上下に揺れる。柔らかいけれど、機械的な冷たさのない、人間と寸分違わない温もりがある手だ。
――と、そこまでは一般的な商談の握手だった。
だが、その上下の動きが止まった直後、軍服の女性は私の右手を、今度は自分の両手でぎゅっと包み込むように掴んだのだ。そして、まるで生まれて初めて見る未知の超物質を観察するかのように、至近距離で私の手をしげしげと見つめ始めた。
彼女は私の手を裏返し、手のひらから手の甲へと何度も視線を往復させる。そして、その状態でまたしてもカチコチに固まってしまった。瞳をこれでもかと見開いたまま、彼女は信じられないものを見たという風に、ポツリと呟いた。
「……手の甲に、毛が生えてる……」
「いや、まあ、男なんで。手の甲に多少の毛があるのは普通ですよ」
あまりにもピュアに驚かれたので、私は思わず、真顔でそんな当たり前すぎるツッコミを入れるのだった。
するとミルクは、私のツッコミなど耳に入っていないかのように、ハッと大きく目を見開いた。彼女の綺麗な瞳が激しく揺れ動く。
「……そ、それこそが、本物の生命の証……! 私たち機械の体(アンドロイド)には決して真似できない、不規則にして完璧な、創造主様だけの特別な遺伝子の輝きです……!」
ミルクは感動のあまりガタガタと震えだし、私の右手をまるで壊れ物でも扱うかのように、両手でそっと包み込んだ。そのままゆっくりと地面に膝をつき、深く頭を垂れる。
「即座に私の触覚ログを保護領域に隔離し、私の義体の右手は生涯、聖遺物として切断し、綺麗に保存した上で神殿に飾る許可を求めます!」
私は全力で右手を引っ込めた。
「ミルクさん!流石に行き過ぎです!そんな触っただけで手を切り離すことをしていたら、私は貴方に握手も何もかもお願いすることに躊躇してしまいそうになります。
おやめください!」
するとミルクは、ハッと大きく目を見開いた。
「ハッ……! そ、その通りです……。創造主様。私の体全てはたった今、いや過去未来に創造主のものなのに、それを自己の判断で処理するなど、勝手な越権行為(やりすぎ)でした。謝罪します!」
と、頭を深く下げるのであった。
私はこの行き過ぎた行動に内心ガタガタと戦慄しつつ、少しでもこの場の緊張感を和らげようと、隣にいるティーユに「ね? 同意してくれるよね?」と助けを求めるような視線を送った。
しかし、ティーユはフンフンと鼻歌を交じえながら、私の部屋の本棚から持ってきた漫画の続きをパラパラとめくっているだけだった。
「ねぇミルク、だっけ? 優奈は私の『リーダー』なんだから、あんまり困らせちゃダメだよ。それより、お腹空かない? 3000年後の地球って、美味しいものあるの?」
ティーユの相変わらずのマイペースな発言に、ミルクの鋭い視線が突き刺さる。
「……優奈様。先ほどから気になっていたのですが、こちらの個体は何者でしょうか? 登録番号を持っておらず、生体スキャンをかけてもエラーとしか表示されません。優奈様の安全のため、一度実験室に連れて行ってバラバラに調べてみるべきでは?」
「え、 面白そう、やってみなよ」
ティーユが漫画から目を離し、えへへと無邪気に笑う。
すかさず、後ろのロボット4体がガシャコンと銃口をティーユに向ける。
「ストーーーップ!!! 銃口を下げなさい!両方待って!」
私は二人の間に割って入り、両手を広げて叫んだ。合流してまだ5分も経っていないというのに、早くも大喧嘩の修羅場である。
「ミルクさん、彼女は私の仲間です。絶対にバラバラとかしないでください! ティーユさんも、すぐに力づくで解決しようとしない! お友達にも言われてませんか!?」
私が必死の形相で叫ぶと、ティーユは「あ……」と思いたるふしがあるのか、小さく声を上げた。さっき自分で言っていた元の世界の大切なお友達からの色々な忠告を思い出したのだろう。
ティーユは決まずそうに視線を泳がせると
「……うん、言われた。暴力や喧嘩を買うとダメって言われてたんだった」
と反省し始めた。
私の一喝とティーユの引き下がりに、ミルクは一瞬フリーズしたが
「創造主様直属の仲間……なるほど、大変失礼いたしました」とロボットたちに合図を送り、銃口を下げさせた。
なんとか最悪の事態は免れた。私は深くため息をつき、おでこを押さえた。
ひとまず一触即発の危機は去ったものの、これからのことを考えると頭が痛い。私は気持ちを切り替えるように、二人の顔を見つめた。
「さて、これからどうしましょう? 挨拶も終わったことですし、まずはこれからの予定を決めたいのですが」
今後の動きについて二人の意見を聞いてみる。すると、ティーユが自分のお腹に手を当てながらのんびりと言った。
「うーん、私、ちょっとお腹空いちゃったかも。3000年後の地球って、美味しい食べ物とかあるのかな?」
緊迫した空気などどこへやら、彼女の頭の中はすっかりご飯のことでいっぱいのようだ。さすがは二千年も生きているだけあって、図太いというか肝が据わっている。
一方、ミルクは真面目な顔で姿勢を正すと、少し言いづらそうに申し訳なさそうな声を上げた。
「優奈様。実は、大昔の『人間(創造主)』であるあなたが見つかったというこの事態は、現在の私の権限を遥かに超える超重大な出来事なのです。ですので、まずは我が軍のすべてを管理している、一番トップのAIに会っていただきたいのです。どうか、お願いできませんでしょうか?」
軍の指揮官であるミルクですら、本物の人間を前にしてどう対応していいか処理しきれていないらしい。トップのAIに会って、この異例すぎる状況を報告したいというのが彼女の切実な願いのようだった。
お腹を空かせている魔法使いの少女と、一番偉いAIのところへ行きたいアンドロイドの軍人。
二人の全く異なる要望に挟まれながら
「まずは一番トップのAIに会いに行けば、ご飯も両方なんとかなるのかな……」
これからのスケジュールを頭の中で組み立て始めるのだった。
「わかりました。それじゃあミルクさん、その一番偉いAIのところへ案内してください。ティーユさんのご飯の要望もなんとかなるか、そのトップのAIに確認してもらえると助かります」
「はっ! 了解いたしました。ただちに最優先事項として、全軍の調理システムへ『最高級の創造主様御一行向けメニュー』の準備を命令します!」
ミルクは再びきりっとした軍人の顔に戻り、嬉しそうに降下艇の方へと歩き出した。その後ろを、ティーユが「わーい、ご飯ごはん!」とご機嫌な足取りでついていく。
地平線を覆い尽くす鉄の夜空と、3000年後の未来に残されたAi達。
そして、私の横を歩く、歩く世界滅亡兵器のオレンジ髪少女。
ただの会社員だった夕凪優奈の、途方もない「300年計画」が、ついに本格的に動き出そうとしていた。
まずは、トップのAIと会い、無事にご飯にありつけることを祈るばかりだ。私は胃の痛みをそっと堪えながら、二人の背中を追いかけて一歩を踏み出した。