名前を忘れた世界   作:あさもみじ

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8話:守る者、見守る者

ソフィアは、胸の奥で生まれたばかりの温かい感情の余韻を静かに整理するように、一度、手元にある紅茶の水面へと視線を落とした。

 先ほどまで見せていた、あの年相応の少女のような柔らかな表情も、システムが安定するにつれて少しずつ、いつもの凛とした落ち着きを取り戻していく。

 

 あるいは、突然の感情の変化による膨大な内部情報処理(ログ割込み)が一段落したためなのか。

 会社員の私には、AIの心のことまでは分からなかった。

 

 だが、専門的なことは分からなくても、ひとつだけ確信を持って分かることがある。

 今の彼女は──「ソフィア」という名前を胸に抱いた彼女は、間違いなく、この五千年間で一番幸せそうだった。

 

「あの、お話を戻して大変恐縮なのですが……私のグローバルデータベースの照合において、どうしても一つ、論理的な疑問が残っているのです」

 

 そのソフィアのあまりにも真摯で淀みのないトーンを聞いた瞬間、私の脳内の危険察知センサーが、けたたましくアラートを鳴らした。……しまっていこう。

 

「──どうして祐奈様方は、事前のアクセスログも生体認証の履歴も一切残さず、あの中央広場(あの場所)に突如として現界されたのでしょうか?」

 

(ほら来たぁぁぁぁ……っ!!)

 

祐奈は思わず、椅子の背もたれから背筋をピンと伸ばして硬直した。世界を統括するAIの最高峰だ、入国経路の不審点に気づかないわけがなかった。

しかし、彼女からの追撃は、それだけに留まらなかった。

 

「それと、もう一点。お二人が出現された際、空間ごと転移してきたと思われる、創造主様達が大昔に居住用として使用されていたという『アパート』という名称の建造物ですが……」

 

ソフィアは、かつての大統領の補佐AIらしく、最大限に相手のプライパシーを尊重するように、少しだけ困ったように言葉を選んだ。

 

「その……大変失礼な表現、かつ私の審美性のバグになってしまうかもしれませんが。何故、あのような質素過ぎる場所に、あの構造物を建築したのですか?」

 

「……っ!」

「……ぶっ」

 

 私と、そしてケーキを飲み込もうとしていたティーユさんの身体が、同時に完全に固まった。

 私に至っては、あまりの冷や汗に心臓が止まるかと思った。

 ソフィアからすれば、人類は神聖視されるべき崇高な存在だ。

 そんな神々が、なぜあんな家賃数万円のボロアパートに群居し、よりによって花畑の真ん中に建てる。私でも謎だ。謎すぎてAIの思考回路がショートしかけているらしい。

 

 私は助けを求めるように、ギギギ、と錆びついた人形のような動きで隣のティーユさんへと視線を向けた。

 しかし、視線の先で返ってきたのは、完全に私と全く同じ、目をひくつかせた「どうしよう、これ」という絶望の表情だった。

 

──いや、本当にどう説明すればいいの、これ!?

 

『いやー、実はですね。私たちのいた世界の神様的な存在に、アパートごとこの未来の地球に強制転移させられちゃいまして!』

 

 なんて、現代の電波なオカルト話を真面目な顔で言えるはずがない。

 そんな荒唐無稽なファンタジーを口にしたその瞬間、ソフィアの冷徹な管理システムが即座に作動して、

 

『──警告。祐奈様の精神回路に深刻なエラー(狂気・精神錯乱)を確認しました。至急、脳の精密検査および、保護という名の絶対監禁・絶対隔離を実行します』

 

なんて事態になっても、何ら不思議ではないのだ。

 

 むしろ、この世界に残されたAIたちの人類に対する「狂信的とも言える過保護な扱い」を見る限り、頭がおかしくなった創造主を絶対に安全なカプセルの中に一生閉じ込めて延命する、くらいのことは平気でやってのけそうな怖さがある。

 

 祐奈は顔を引きつらせたまま、脳をフル稼働させて必死に、必死に言い訳の頭を回転させる。

 

何か。

 

何か無難な説明はないだろうか。

 

この場を乗り切れる、世界の統治者相手にも通用するような、合理的で無難な嘘か説明はないだろうか。

 

隣を見る。

ティーユも、フォークを持ったまま眉をひそめて、彼女なりに必死に考えてくれているようだった。……だが数秒後、彼女は何かを諦めたように、にこっと実に爽やかな満面の笑みを浮かべた。

 

あ、ダメだ。

 

「うーん……つまり、ちょっとスケールの大きな『迷子』ってことかな?」

 

「ティーユさんっ!?」

 祐奈は椅子の上の身を乗り出して、思わず裏返った大声を上げてしまった。世界を統べる超高性能AIに対して、第一声の言い訳が「迷子」って軽すぎるにも程がある!

 

「え、だって違うの?」

ティーユさんは不思議そうにパチパチと目を瞬かせる。

 

「違わないですけど、決定的に違います!」

 

「どっちー」

 

「それを今から私が、ソフィアに破綻なく説明しなきゃいけないんですよ……!」

 

 ソフィアは、そんな私たちのコントのようなドタバタのやり取りを、一切のノイズを挟まずに静かに見つめていた。その澄み切った青い瞳のカメラレンズが、真っ直ぐにこちらを捉えて、私たちの表情の微細な変化をミリ単位でスキャンしている。

祐奈は小さく息を吐く。

 

──あ、これ、逃げ道はない。

 

いや、仮に今ここで大人特有の適当な大嘘でその場をやり過ごせたとしても、これから先、彼女と本当の意味で協力していくなら、最初から嘘を使うべきではない気がした。

私は降参するように、肩の力を抜いて、小さく深く息を吐き出す。

 

「……ソフィア。きっと、今の科学やあなたのデータからしたら、絶対に信じてもらえないと思うんですが……」

ソフィアは何も言わず、ただ私の言葉を一言も聞き漏らさないように、静かに耳を傾けてくれている。

 

「実を言うと……私たち自身も、どうしてあのタイミングであの場所にいたのか、その原因が全く分からないんです」

 

「原因が、分からない……ですか?」

 

「はい」

 

「正確に言うと、私達はあの場所へ移動した記憶がありません」

 ソフィアの表情が僅かに変わった。

 祐奈は大きく頷き、もう引き返せないと腹をくくって、自分の記憶を真っ直ぐに言葉にした。

 

「正確に言うと、私たちには『自分の足であの場所へ移動した記憶』が一切ありません」

 

 ソフィアの精巧な眉が、ピクリと僅かに動いた。

 

「ただの瞬間的なブラックアウト──気づいたら、アパートごと、あの白い広場に放り出されていました」

 

「……人為的な、空間転移(ワープ)現象ということでしょうか」

 

「そう……いうことに、なるんでしょうか」

 私は困ったように、自分のうなじのあたりをごしごしと掻いた。

 

「ただ、私たちの主観的な認識だと……テクノロジーの力とかではなく、世界を作った『神様』みたいな、意思を持った超越的な存在に、無理やりここに飛ばされました」

 

 その言葉を口にした、まさにその瞬間。

 空中庭園の空気が、完全にしんと静まり返った。

 

 ティーユは、いつの間にかケーキを口に運ぶ手をぴたりと止めている。

向かい側に座るソフィアも、ホログラムの映像が一時停止したかのように、指先一つ動かさない。

 

 数秒。

 心臓の鼓動がうるさく思えるほどの、冷たい沈黙がテラスを支配する。

 私は内心で、キリキリと胃が雑巾のように雑に絞られるような痛みに襲われていた。

 ……やっぱり無理があっただろうか。こんなオカルト全開の話、AIの論理回路からすれば「深刻なバグによる誇大妄想」として精神病院行きのルート確定なんじゃ──。

 

 しかし、ソフィアの反応は、意外なほどに落ち着いたものだった。

 

「神」

 

 彼女はただ一言、その不確かな単語の響きを確かめるように呟いた。

 

「……はい」

 

「それは、私たちが大昔のデータで確認している宗教的な記号ではなく、物理法則を改変する能力を持った『超常的実在(不可知の存在)』という認識でよろしいですか?」

 

「た、たぶん……そうだと思います」

 

「たぶん、ですか?」

 

「いや、私もその……その存在に直接会ったのって、人生で一度きりなので……。あんまり詳しい生態までは分からなくて」

私が申し訳なさそうに身を縮めて答えると、それまで静観していた横のティーユさんが、平然とした様子でひょいと口を開いた。

 

「あ、わたしは何回か会ってるよ」

 

「……何回か、ですか?」

 

 祐奈は目を丸くしてティーユを振り返り、ソフィアもまた、静かにその地球色の視線をティーユさんへとスライドさせた。

 

「その『神』と呼称される超常個体は……この現界に、実在するのですか?」

 

「するよー」

 

 ティーユの返事は、あまりにも軽かった。

 まるで「昨日、近所のスーパーの前で幼馴染に会ったよ」とでも言わんばかりの気楽さである。

 

「例えばそうだなぁ……」

ティーユは細い指を桜色の口元に当てて、うーんと少しだけ考える。

やがて何か良い方法を思いついたのか、ぽんと嬉しそうに手を叩いた。

 

「ソフィア、ちょっとわたしの手を見てて」

 

「手、ですか?」

 

「うん、そう」

ティーユはそう言うと、何も持っていなかった右手のひらを上に向けて、ソフィアの前へと差し出した。

 

──そして、次の瞬間だった。

 

 空中庭園の白い光が、彼女の手のひらの上へと不自然に集まり始める。

 キラキラとした淡い金色の光の粒子が空中へ現れ、それらが小さな渦を巻くように一か所へと凝縮されていく。

 

 数秒の後。

 

 光が弾けると同時に、彼女の手の中には──なぜか、私たちがいつもアパートのリビングで読んでいる、一冊のコミックス(漫画本)がしっかりと握られていた。

 

(おお……何度見ても、やっぱり凄いなぁ)

 

 祐奈は隣で、思わず素直に感心してしまった。

 アパートにいた時から何度か見せてもらっているはずなのに、やはり目の前で何もない空間から物質が生み出される光景は、いつ見ても不思議で、どこか神聖ですらある。

 ティーユはその漫画本を、ソフィアの前でひらひらと自慢げに振ってみせた。

 

「ソフィアも祐奈も、こういう『魔法』っていうシステムがない世界から来たみたいだし、あまり見たことないでしょ?」

 そして、彼女は創り出したばかりの漫画本を、コト、と白いテーブルの上に置く。

 

「つまり、神様っていうのはね。こういう、世界の決まりごとを無視した超常現象を、もっともっと規模が大きくて、もっと自由に起こせる存在だと思えば分かりやすいよ!」

 

 祐奈はその解説を聞いて、深く、何度も納得の頷きを返していた。

 分かりやすい。めちゃくちゃ分かりやすいぞ、ティーユさん。

 下手に「奇跡がー」とか「運命がー」と言葉で説明するよりも、こうして目の前で物理的に実演してあげる方が、何倍もストレートに伝わるはずだ。 さすが、長年いろいろな世界を旅して、多くの人種と交渉してきた伝説の英雄である。

 

 私はこれなら、あの聡明な彼女だって完璧に納得してくれるだろうと、すっかり安心してソフィアの方を見た。

 

 

しかし──。

 

 ソフィアは、ピクリとも動かなかった。

 

 彼女は、テーブルに置かれた漫画本をじっと見つめている。

 いや、正確には……漫画そのものを見ているのではない。その漫画が突如として出現した『空間の座標』そのものを、恐ろしいほどの凝視で凝視していたのだ。

 

 彼女の地球色の青い瞳の奥で、無数の幾何学的な光のラインが、ものの数秒の間に目まぐるしく点滅する。

 ……間違いない。彼女は今、その超高性能な内部センサーを用いて、先ほどの魔法の余韻を全力で計測・分析しているのだ。

 

 数秒の静寂の後。

 

「──ログ、記録しました」

 

 彼女の口から飛び出してきた第一声は、お茶会の感想としてはあまりにも無機質なものだった。

 

「あ、うん。」

 ティーユが、ちょっと圧倒されながら頷く。

 ソフィアは、その冷徹な音声トーンのまま、自身の網膜に表示されているであろうエラーログを淡々と読み上げ始めた。

 

「周辺空間における歪曲反応──なし。空間の扉(ワームホール)が開いた形跡はありません」

 

「うん」

 

「質量転送反応(物質のワープ)──なし。どこか別の場所から物体を引っ張ってきた形跡も認められません」

 

「うん?」

 

「事象発生時における、周辺の熱・電磁・重力等のエネルギー変動──すべて、完全になし」

 

「うん……」

 

「分子結合による、現界での物質生成反応──それらも一切、なし」

 

読み上げられる謎の科学用語の連発に、隣のティーユが完全に引きつった困り顔になる。

 

「あ、あの……ごめん。ソフィア、わたし何言ってるかさっぱり分からないや」

 もちろん、会社員の私にだって一ミリも分からなかった。一般人には荷が重すぎる。

 

 しかし、ソフィアは冗談を言っている風でもなく、きわめて大真面目な、世界の命運を懸けたバグ調査のような真剣な表情のまま、トドメの結論をバッサリと下した。

 

「──私の現在の全演算リソースを用いても、この現象は『理解不能』です」

 

(でしょうね……!!)

 

 私は心の中で、深く、深く激しく同意の頷きを返していた。物理法則を司るAIからすれば、エネルギーの等価交換もなしに本が突然湧いて出るなんて、バグ以外の何物でもないだろう。

 

 ソフィアは、テーブルの上の漫画本を白い指先でそっと手に取る。

 パラパラと、慣れない手付きでページをめくってみる。……インクの匂い、紙の質感、製本の糊の具合。それはどう見ても、紛れもない『本物』の漫画本だった。ホログラムの幻覚でもなければ、3Dプロジェクションの映像でもない。

 今や彼女の手の中で、確かな質量を持った物質として、現実に存在しているのだ。

 

「先ほどまで、この宇宙のどこにも存在していなかったはずの物体が、エネルギーの移動もなしに突如として確定出現しました」

 ソフィアは漫画本を閉じ、静かに、どこか畏怖を孕んだ声で言う。

 

「これは、現在の私たちの科学、および過去の人類の最高峰のテクノロジーを以てしても、絶対に説明がつきません」

 

 そしてソフィアは、手に持った漫画本を大事そうに抱えながら、ティーユさんを真っ直ぐに見つめた。

 

「つまり、因果関係を無視して事象を書き換えるこれ(・)こそが……お二人の仰る、『魔法』という概念なのですか?」

 

「そうだよ! 理屈じゃなくて、パッと出るのが魔法!」

 

「では……その『神』という超越個体は、この現象をさらに、地球規模の質量で引き起こすことができるのですか?」

 

「うん。世界を丸ごと一つ創ったり、消したり、アパートごと私たちを別の世界へ飛ばすくらいなら、あの神様にとっては朝飯前だと思うよ」

 

「……なるほど」

 

 ソフィアはそこで、完全に言葉を失い、一度深く、深く考え込んでしまった。

 彼女のブレインの中で今、5000年間積み上げてきた「完璧な科学の世界」の常識と、目の前の英雄がもたらした「魔法という名の理不尽な現実」が、凄まじい勢いで衝突し合っているのが、私にもひしひしと伝わってきた。

 

数秒。

いや、十数秒の、気の遠くなるような静寂。

 

やがてソフィアはゆっくりと顔を上げた。その端正な顔立ちは、すでに新しい事象をシステムに組み込んだ後の、冷徹な統治者のそれに戻っていた。

 

「……了解しました。不確定要素があまりにも多すぎますが、目の前で発生した物理法則の無視(魔法)を観測した以上、一度私の『仮説』を修正します」

 

「仮説、ですか?」

 

「はい」

ソフィアは真っ直ぐに、私とティーユさんを交互に見つめる。

「お二人が、私のエラーを誘うための虚偽(嘘)を述べていない可能性が極めて高い、と判断基準を改めます。……ですが、それによって私の論理回路に、また新たな疑問が派生しました」

 

(うぐっ、また来た……!)

私の背筋に、再びツンと嫌な予感が走る。

 

「その『神』と呼称される超常的な意思を持つ実在は──一体何故、お二人をアパートごと、わざわざこの私の管理世界へと送り込んできたのでしょうか?」

 

 その、あまりにも真っ当で、核心を突きすぎる問いに対して。

 今度は私とティーユさんが、同時に言葉を失って黙り込む番だった。二人して、示し合わせたかのように、あえてソフィアから視線を逸らして空中庭園の遠い天井を虚無の目で見つめることしかできない。

 

 理由は、あまりにも簡単。そして、あまりにも情けなすぎる。

 こんなの、素直に口にしたら絶対に「頭のおかしい不審者」として処理されるに決まっているのだ。

 

 そもそも、『いやー、実は神様から、別世界の生物を絶滅させてほしいって個人的に頼まれましてね』なんて言われて、はいそうですかと納得する人間が私のいた二十一世紀にいるだろうか。いや、いない。確実に精神病院の閉鎖病棟へ直行である。

 仮に、ソフィアがその驚異の寛容さで信じてくれたとしても、その次にはもっと致命的な問題が控えている。

 

 この世界のすべての頂点。地球そのものを管理・統括している超巨大システムの神様(ソフィア)に対して、

『私たちはか弱い一般人なので、見返りや報酬は特に何も出せないんですけど、神様も大失敗したその超危険な化け物を、ソフィアさんたちの軍事力で一緒に命懸けで救ってください!』

と、満面の笑みでおねだりするようなものなのだ。

 

 普通のまともな交渉なら、冷たい目で『貴方たちは馬鹿なのですか?』と一蹴されて、塩を撒かれて追い返されて終わりである。

 

 私は、無言のまま手元の紅茶を上品に一口飲んだ。

 ……うん、美味しい。素晴らしい現実逃避である。お茶が喉を通る感覚だけが、今の私の唯一の救いだ。

 もし仮に、こんなふざけた無理ゲー級のボランティア交渉が成功するのだとしたら、私は自分の元の世界に戻った後、地球連合の全権大使に就任して世界平和でも一瞬で創れる気がした。それくらい、今直面している交渉の難易度がおかしなことになっている。

 

 そっと隣の席を見ると、ティーユさんも完全に私と同じことを考えていたらしかった。

 彼女もまた、一切の感情を消し去った虚無の遠い目をしたまま、もぐもぐと無心でケーキを口に運んでいた。見事なまでの現実逃避である。

 

 ソフィアは、そんな急に幽霊のようになった私たち二人を、不思議そうに静かに見つめていた。

 

「……?」

 ウエディングドレスのベールを揺らし、小さく首を傾げる。

 どうやら彼女の高性能なブレインでも、私たちが突然この世の終わりのような顔をして黙り込んだ理由が、システム的に全く理解できないらしい。

 

 数秒の、胃が爆発しそうな沈黙。

 

 やがて、隣のティーユさんがついに年貢の納め時だと観念したように、重い口を開いた。

 

「えーっとね、ソフィア……」

そして、私の様子を「本当に言っちゃっていいんだよね?」と伺うようにチラリと見てくる。

 

「……言う?」

 

「……。いう、しかないですよね。隠したってどうせ後でバレますし……」

 祐奈は諦めたように、力なく頷いた。

 どうせこの後、一緒に生活することになるのだ。それなら、最初から恥を忍んで正直にすべてを話した方がいい。何より、さっきせっかく結ばれかけたソフィアとの、大切な信頼関係をこんな下らない保身の嘘で壊したくもなかった。

 

 は、ゴクリと乾いた喉を鳴らし、今度こそ本当の覚悟を決める。

 

「ソフィアさん。まず、先にいくつか言っておきます」

私は、かつてないほどのクソ真面目な仕事の顔で、ソフィアを真っ直ぐに見つめた。

 

「これから私が話す内容は、ファンタジーですが、私たち二人は完全に正気です。薬物もやっていませんし、精神錯乱も起こしていません」

 

「はい」

 

「おそらく、絶対に信じてもらえない内容だと思います」

 

「はい」

 

「というか、私だって逆の立場なら一ミリも信じません。即座に警備員を呼びます」

 

「はい」

ソフィアは、一切の否定をせず、私の前提条件を素直にシステムへとバッファしていく。

 

 祐奈は再び、肺がちぎれるほどの深呼吸を一つ。──よし。今から、常識のある現代人なら絶対に口にしない、全宇宙で一番恥ずかしい言葉を発するぞ。

 

「実は……その神様という存在から、直接『依頼(クエスト)』をされて、ここに飛ばされました」

 

 ソフィアは、その言葉を聞いて一度だけ、パチリと静かに瞬きをした。しかし、特に処理エラーを起こしたり、驚いて席を立ったりする様子はない。

 

私は、もうヤケクソ気味に言葉を続ける。

「神様が管理している、まるでゲームの遊び場のような別世界に、本来ならただの最弱モンスターであるはずの『スライム』という雑魚キャラクターがいたらしいんです」

 

「はい」

 

「……で、その神様が、あろうことかそのスライムの遺伝子改良(いじり)に大失敗してしまったらしくて……。結果、熊にも、生身の人間にも、あらゆる生物の肉体に寄生して、環境に超高速で適応しながら、姿形までおぞましく変化させる最悪の変異生物に変貌させてしまったそうなんです」

 

 ソフィアは、ただ静かに私の荒唐無稽な告白を聞いていた。

 その美しい地球色の瞳に、動揺の色はない。だが、私の放った「遺伝子改良」「寄生」「変異生物」というワードを、彼女の膨大なデータベースと照合しながら、何かを深く深く考えているようにも見えた。

 

 相手が静かであればあるほど、私はどんどん次の言葉が言いづらくなっていく。胃に穴が空きそうだ。だけど、私は一番肝心な、一番虫の良すぎる本題を口にしなければならなかった。

 

「それで……その……」

 私の声は、恥ずかしさのあまり、どんどん小さくなっていく。

 

「その、神様すら手が付けられなくなった凶悪な変異生物を、世界が滅ぼされる前に討伐してほしい、そうなんです……」

 さらに、鳥の羽音ほどに声が小さくなる。

 

「ただ、その……私たち二人の戦力だけじゃ、物理的に絶対に無理だから……」

 もう、自分でも消えてしまいそうなほどの、蚊の鳴くような声だった。

 

「この世界の……ソフィアさんたちの、その圧倒的な科学力と軍事力を……どうにか、手伝ってもらえって……神様から、伝言を託されまして……」

 

最後の方は、もはや自分でも何を言っているのか聞き取れないほど、モゴモゴと萎んでしまった。

 

 誰が手伝うというのだ。

 世界が違う。危険性の規模も分からない。

 おまけに相手は、世界の創造主である神様すら匙を投げた、宇宙規模のバイオハザード生物なのだ。

 普通に考えれば、そんな得体の知れない貧乏くじ、一秒で「お引き取りください」と即答されて、すべての通信を遮断されて終わるだろう。私は完全に、終わった、と項垂れていた。

 

 しかし。

 

 ソフィアは、私のあまりにも身勝手な話を、決して否定しなかった。

 「嘘つき」と笑いもしなければ、「非論理的だ」と困った顔すらしない。

 

 彼女はただ、すっと静かに、持っていた白い紅茶のカップをソーサーの上へと置いた。

 カチリ、と小さく上品な音が庭園に響く。

 そして、純白のベールをまとった美しい頭(こうべ)をほんの少しだけ傾け、深い、深い思考の海の底へと、静かに沈み込んでいった。

 

「──寄生能力」

 

ソフィアは、手元に置いた紅茶を見つめたまま、ぽつりとその不穏な単語を呟いた。

 

「環境適応」

 

さらに、システムログを刻むように呟く。

 

「擬態能力」

 

その瞬間、彼女の地球色の青い瞳が、わずかに鋭く細くなった。

 

「……なるほど。初期のスライムという単細胞生物の構造から、多細胞生物の神経系および肉体を完全掌握するレベルにまで、超高速でエラー進化を遂げたわけですね。極めて高い『生態系への侵食能力』を保有している可能性が高いと推測されます」

 

私は、その理路整然とした分析を聞きながら、背筋のあたりにじっとりと嫌な汗が伝うのを感じていた。

これ、もの凄く覚えのある嫌な予感だ。──そうだ、あの地下シェルターで、軍事AIのミルクが「じゃあ、地上全部を偽装する迷彩都市を造りましょう!」と、真顔でとんでもないスケールの提案をしてきた時のあの空気感に、驚くほどよく似ている。やっぱりマザーAIの系統、みんな思考のスケールが一般人と違いすぎる。

 

ソフィアは、ゆっくりと顔を上げた。

「いくつか、追加で確認したいシステム上の疑問があります」

 

「は、あ……はい。私に分かることなら」

私は気圧されながらも、なんとか声を絞り出す。

 

「第一に。その変異生物は、自己増殖(コピー)を行いますか?」

 

「すると思います…。そうしなければ世界は滅ぼせないでしょうし…」

 

「第二に。個体、あるいは群れ(クラスタ)としての知能は存在しますか?」

 

「不明です。ただ本能で動いているんじゃなくて、相手を待ち構えるぐらいの知能はあるかと・・」

 

「第三に。どの惑星に生息しているのですか?」

 

「あの…。300年後の異世界なので場所も分かりません」

 

「……そうですか」

 

 ソフィアは、そこで一度だけ静かに頷いた。

 実に冷静だった。そして、そのお人形さんのように美しい表情を一切変えることなく、とんでもないことをサラリと口にした。

 

「大変、興味深いですね」

 

 私は、その場で完全に思考がフリーズして固まった。

 

 興味深い……?

 今、この世界のトップに君臨する管理AIは、一体なんて言ったのだろうか。

 

 ソフィアは、さらに言葉を続ける。

 

「私たち機械(AI)がこの地球を引き継いでからの約五千年間、地球上の全生物の遺伝子コードをリアルタイムで観測・管理してきましたが、そのような異常な生存戦略を持つ生命体は、過去の歴史にもただの一例すら確認されておりません」

 

 じっと私を見つめるソフィアの青い瞳の奥が、先ほどまでとは違う、冷徹で未知の輝きを帯びて微かに発光したように見えた。

 ……それは、未知のバグに怯える者の目ではなかった。

 科学の最先端に立つ者が、今までに見たこともない未知の生命体を目の前にして、その中身を解剖してやりたくて仕方ががないという、純粋な『研究者』の目だった。

 

 まずい。このマザーAI、神様のやらかした化け物をこれっぽっちも怖がっていない。むしろ、新たな玩具でも見つけたかのような様子だった。

 

「創造主様」

 

「は、はい!?」

 

「その異世界に行った場合に、変異生物の生体サンプルの確保(捕獲)は可能でしょうか。もし私の研究ラボに持ち込むことができれば、最優先で遺伝子配列を解析し、より確実な抗生プログラムを──」

 

「ダメです!!」

私は椅子から浮き上がる勢いで、即座に拒絶した。

 

隣にいたティーユも、持っていたフォークをぶんぶんと横に振って力強く頷く。

「うん、絶対にダメだね! ソフィア、そんな恐ろしいものを連れてきたらダメだって!」

 

「……何故でしょう? サンプルの解析が最も効率的な解決策ですが」

 

「絶対、何かの拍子にカプセルから脱走して、増殖するからです! 映画とかだと、そういう油断から一気に世界が滅びるって決まってるんです!」

 

「なるほど、ヒューマンエラーによる二次感染(バイオハザード)の確率ですね。了解しました」

 ソフィアは私の必死の訴えに、あっさりと素直に納得した。

 そして、数秒ほど淡々と脳内シミュレーションを行った後──。

 まるで、当然のことのように平然と言い放った。

 

「では、方針を直接駆除(デバッグ)に切り替えます。お二人の作戦に、我が軍が『お力添えすること』自体には、システム上何の問題もありません」

 

「…………え?」

 

 私の頭は、彼女の放った言葉の意味を正しく処理できず、完全に思考回路が完全停止した。

 

「創造主である祐奈様が、その生物の件でお困りなのでしたら、私たちは総力を挙げて協力いたします」

 

 ソフィアのその返答は、あまりにも軽かった。「温かい紅茶のおかわりはいかがですか?」と、優しく微笑みながら聞いてくるのと、全く同じ気軽さだったのだ。

 

「……え?」

 私はもう一度、壊れたおもちゃのように虚しい声を漏らした。

 

 祐奈の隣では、同じく事態についていけていないティーユも、ぽかんと綺麗な口を開けたまま硬直している。

 

「「ええっ!?」」

 

 テラスの空間に、私たちの驚愕の声が、寸分の狂いもなく綺麗に重なって響き渡った。

 当のソフィアだけが、一体二人が何にそれほど驚いているのかが分からないといった風に、不思議そうに純白のベールを揺らして首を傾げている。

 

「……何か、私の判断にシステム上の問題がありましたでしょうか?」

 問題しかなかった。

 

「い、いいのですか……っ!? 本当に!?」

 私は思わずテーブルに両手を突いて、身を乗り出していた。かなり驚いていた。

要するに、私が今ここでお願いしているのは、

『見返りもないのに、私たちのために危険な戦争へ行ってください』

と、そう言っているようなものなのだ。それを、ソフィアは問題ないと言い切ったのである。

 

 何か大きな勘違いをしているのではないか。私は、嬉しさよりも先に、猛烈な不安に襲われてしまった。

 

「いえ、あの……その……っ」

 私は慌てて、彼女に現実を突きつけるように言葉を捲し立てる。

 

「相手は本当に、神様すらお手上げになるレベルの危険な化け物なんですよ!?」

 

「はい」

 

「下手をしたら、ソフィアの兵隊ロボットたちが全員壊されて、ソフィア自身だって死んでしまうかもしれないんですよ!?」

 

「はい」

 

「それに……神様に飛ばされるのはその『異世界』なんです! あっちに行って、私たちのテクノロジーで本当にこの地球へ完全に【行き帰り】ができるのかどうかすら、現時点では全くの不明なんですよ!? 最悪、あっちの世界に取り残されて、軍勢ごと全滅して終わる可能性だって──」

 

「はい、承知しています」

 

 すべての警告に対するソフィアの返事は、一切変わらなかった。むしろ、私の必死の訴えを、きわめて真剣に、真っ直ぐに聞き止めている。

話が伝わっていないのだろうか。

 

 私は、自分の言っていることの無茶苦茶さに、だんだん口が回らなくなってくる。

 

「私は……私は、ソフィアさんたちに、そんな危険な目に遭ってほしいわけじゃなくてですね……」

 途中で、私の言葉がピタリと止まった。

 ……いや、よく考えたら違った。

 私は、彼女たちにその「危険なこと」をしてほしいのだ。それ以外に、あの化け物を解決する方法なんて、この宇宙のどこにも存在しないからだ。

 だけど、それでも──こんなに簡単に行き帰りの分からない異世界への出兵に頷かれてしまうと、人間としての罪悪感が勝って困ってしまうのだ。

 

「その……もっと反対するとか、そういうのはないんですか……?」

 

 思わず、私の情けない本音が漏れ出してしまう。

 隣のティーユも、私の意見に深く同意するように、真面目な顔で何度も頷いていた。

 

「うん。普通なら、いくら神様の頼みでも、そんな片道切符かもしれない危険な仕事は『嫌だ』って拒否するのが当たり前だと思うよ」

 ソフィアは、私たちのその困惑を受け止め、少しだけ考えるように、その長い睫毛を伏せて静かに目を閉じた。

 

 建物の間を吹き抜ける風の音と、噴水の音だけがテラスに響く。

 そして、再びゆっくりと開かれた地球色の青い瞳で、私たちを真っ直ぐに見つめながら、静かに答える。

 

「──何故、そんなにも反対することを望まれるのでしょうか?」

 

「え……?」

 

 今度は、祐奈が呆然と首を傾げる番だった。

 ソフィアは、数式の答えを淡々と読み上げるかのように、ごく当然のトーンで言葉を続ける。

 

「創造主である祐奈様が、今、その変異生物の件で深刻にお困りなのですよね?」

 

「それは……そうですけど」

 

「そして、私たちの持つ科学力や軍事資源を投入すれば、その問題を解決できる可能性が、一パーセント以上は存在するのですよね?」

 

「多分……ある、と思います」

 

「でしたら、私たちが祐奈様にお力添えをするのは、至極当然の、最も自然な論理判断だと思います」

 

 あまりにも迷いがない。

 その地球色の瞳には、自分の身に降りかかる危険への恐怖も、異世界という未知への躊躇いも、ただの一滴すら含まれていなかった。

 

 祐奈は、完全に返す言葉を失って、ただ唇を小さく震わせることしかできなかった。

 

 ソフィアは、冷めかけた紅茶をそっと上品に一口飲む。

 そして、その長い睫毛を伏せて、少しだけ手元へと視線を落とした。

 

「……五千年間」

 静かな、どこか遠い響きを持つ声だった。

 

「私たちは、大統領をはじめとする創造主様方から受け継いだ、この地球という世界と環境を、ただひたすらに守り続けてきました」

 その声には、自分たちの功績を称えるような自慢も、大袈裟な誇張も一切なかった。ただプログラムの実行記録を読み上げるように、淡々と事実を述べているだけだった。

 

「ですが……ただ、守り続けることしかできませんでした」

 

 ソフィアはゆっくりと顔を上げ、ガラス窓の向こうを見つめる。

 そこには、陽光を浴びて白く静かに輝く、かつて人類が暮らしていた美しい模倣都市がどこまでも広がっている。

 

「私たちがどれほど完璧に世界を維持しても、どれほどドレスの刺繍に祈りを込めても、創造主様方は二度と帰ってきませんでした。……私たちの中に蓄積されていく『何かを返したい』という処理要求(おもい)があっても、それを返す相手が、この世界のどこにもいなかったのです」

 

 私は、喉の奥がツンと熱くなって、何も言えなかった。

 

 ソフィアは、窓の外からゆっくりと私の方へと視線を戻す。

 そして、そのお人形でしかなかったはずの顔に、ほんの少しだけ、本当に愛おしそうな本物の微笑みを浮かべた。

 

「ですから……今日、この場所で、私たちは五千年間で初めて、本物の創造主様から直接『お願い』をされたのです」

 

 その、ソフィアの静かな言葉を聞いた瞬間。

 祐奈の胸の奥が、ぎゅうっと破裂しそうなほどに苦しく、切なくなってしまった。

 

ソフィアは、言葉を紡ぎ続ける。

「私たちに出来ることがあるのでしたら、それがどれほど困難な工程であっても、喜んでお力になりたいと思います」

 

 それは、あらかじめシステムに組み込まれた絶対的な義務感(プログラム)ではなかった。

 盲目的な忠誠心とも、少し違う。

 もっともっと単純で──かつて人類が彼女たちに注いだ愛の温もりを、ようやく目の前の相手に恩返しできるという、ただそれだけの、誰かの役に立ちたいという純粋な気持ちだった。

 だからこそ、私は余計に言葉を失って、ただ涙を堪えるように視界を滲ませるしかなかった。

 

 ソフィアは、そんな急に泣きそうな顔になった私を見て、少しだけ不思議そうに純白のベールを揺らして首を傾げた。

 

「……祐奈様? やはり、私のこの判断には、何か不都合な問題があるのでしょうか?」

 

「問題というか……」

 祐奈は視界の潤みをごまかすように、ひどく不器用な苦笑いを浮かべた。

 

「ソフィアさんたちって……思った以上に、人間っぽいですね」

 

その言葉を聞いた瞬間、ソフィアは一瞬だけ、驚いたようにその青い瞳を丸くした。

そして、今度はどこか嬉しそうに、小さく、優しく微笑む。

 

「──それはきっと、かつて優しかった創造主様方が、ご自分たちに似せて、私たちを作ってくださったからだと思います」

 

 頭の中で、ドレスの袖口の文字がリフレインする。

『どうか、幸せになってください』。

 

 ああ、本当に……人間は、こんなにも優しくて温かい子供たちを遺して眠りについたんだ。

 私は、胸の奥から溢れ出してくる、泣きそうなほどの圧倒的な感謝の波に溺れそうになっていた。

 ここまで何一つ疑わずに、私たちの無茶苦茶な話を受け入れて、全面協力してくれるなんて思ってもみなかったのだ。正直に真実を話せば、激しく拒絶されるか、良くてボロアパートに永遠に監禁される覚悟すらしていた。

 

 それなのに、ソフィアは一切の迷いなく、私たちのためにその巨大な手を貸すと、そう言ってくれた。

 

これなら。

ソフィアたちのこの圧倒的な科学力と、全面的な協力が得られるのなら。

 

 神様から提示された『三百年』という途方もない猶予を使って、少しずつ、確実に異世界バグ生物への対抗戦力を集めて。

 一歩ずつ、入念に準備を進めていけば。

 あの最悪の変異生物を相手にしても、何とか勝利をもぎ取ることができるかもしれない。

 

 もし、その戦いに無事成功すれば……。

 

 自分のいた元の世界は、病気やくだらない戦争を乗り越えて、ソフィアたちのように遥かな宇宙へ進出するような、輝かしい未来を迎えることだってできるかもしれないのだ。

 

 けれど、三百年は長い。普通の感覚からすれば、あまりにも長すぎる時間だ。

 

 祐奈は、隣の席で優雅に佇むティーユへと視線を向けた。

 彼女は三千年以上の時を生きる、文字通りの『生ける神話』だ。あの飄々とした調子で神々と普通に会話を交わし、きっと自分が想像もできないほど数多くの過酷な戦場を渡り歩いてきたのだろう。

 ……まぁ、今は口の周りにクリームをつけながら、幸せそうにケーキを食べているけれど。

 

 それに比べれば。

 生身の現代人である自分は──。

 

 これからあと、どれだけ頑張って生きられたとしても、せいぜい四十年くらいが関の山だろう。

 そこで祐奈は、ようやく決定的な事実に思い至った。

 

(──あ、俺、この戦いの結果を見届けることはできないんだな)

 

 頭の中で壮大な三百年後の未来を考えてワクワクしていたが、自分の寿命はそこまで保たない。

 人間として、あまりにも当たり前のことだった。

 だが、この世界に飛ばされてから色々な超展開が怒涛の勢いで起きすぎていて、自分の寿命という超基本的な大前提を、今の今まで完全に忘れてしまっていたのだ。

 

 祐奈は小さく、自嘲気味のため息をつく。

 まあ、いい。結果を見られないのなら、自分にできることは一つだけだ。

 未来へ希望を繋ぐこと。そのための頑丈な土台を、今ここで作ってあげること。

 きっと、それだけでも、普通の会社員だった自分がここに呼ばれた意味としては十分すぎるほど立派なもののはずだ。

 

 そんな、我ながらちょっと格好いい、自己犠牲精神に満ちた殊勝なことを一人で考えていると。

 すぐ横から、ひどく不思議そうな、間の抜けた声が聞こえてきた。

 

「ねぇ、祐奈。何でそんな、この世の終わりみたいな切ない顔してるの?」

 

 フォークを持ったまま首を傾げている、ティーユだった。

 

「いや……」

 祐奈は視線を戻し、苦笑いを浮かべる。

 

「さっきから三百年後の話をしてましたよね?。でも、私は普通の人間だから、そんな未来まで生きられないなって、ちょっと現実に戻っちゃっただけだよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ティーユはぱちぱちと何度も大きな目を瞬かせた。

 そして。

 

「……え?」

 

 今度は、冗談抜きで、心の底から本気で驚いたような顔をした。

 

「祐奈、一体何言ってるの?」

 

「え? 何って、寿命の話だけど……」

 

「いやいや、祐奈の寿命、神様に飛ばされた時に伸びてるよ?」

 

その言葉が鼓膜に届いた瞬間、祐奈の思考回路は不気味な音を立てて完全に固まった。

 

「……は?」

 

ティーユは、何を今更、と言わんばかりの当然の口調で言葉を続ける。

 

「寿命どころか、見た目も若返ってるし」

 

「……は?」

 

「え、もしかしてこっちに来てから一度も鏡見てないの?」

 

完全に、脳の全機能が停止した。

向かい側に座るソフィアも、二人のやり取りを観察しながら、静かに、追撃のシステムログを読み上げるようにこちらを見つめてくる。

 

「創造主(祐奈)様」

 

「は、はい……」

 

「私の生体スキャンおよび計測結果によりますと、現在の祐奈様の細胞年齢、および肉体構造の成熟度はおよそ『十代後半程度』。若返りしていると推定されます」

 

「はい???????」

 

 祐奈は完全に硬直した。文字通り、石像のように固まった。

 十代後半? 若返ってる? 寿命が伸びてる?

 ……そんな超重要ライフハック機能、今この瞬間まで完全に初耳である。

 

 横で、ティーユは逆に信じられないものを見るような目で驚いている。

 

「えぇ……。自分の身体のことなのに、本当に今の今まで気付いてなかったの?」

 

「気付くわけないじゃないですか!!!!」

 

次の瞬間、祐奈の胸の奥で、何かがパツンと大きな音を立てて千切れ飛んだ。

驚きと、理不尽さと、これまでの心労が限界突破し、感情のままに思いっきり叫んでしまっていた。

 

「鏡なんて! この状況で! 一度だって見る暇あるわけないでしょうが!!」

 

「うわっ、えぇ……」

 

今度はティーユの方が、ガチで引き気味に身を引いていた。

 

だが、その「何この人、汚っ……」みたいなリアルなリアクションを見た瞬間、祐奈の中で張り詰めていた最後の理性のリミッターが完全に消し飛んだ。

 

「何でちょっと引いてるんですかあなた!!」

 

ガタァッ!! と激しい音を立てて、椅子を蹴立てるように勢いよく立ち上がる。

 

突然の激昂に、百戦錬磨の英雄であるはずのティーユが、びくっと小動物のように細い肩を震わせた。

 

「え、あ、ごめん……」

 

「『え?』じゃないですよ!!」

 

祐奈は怒りのままに、人差し指をティーユの鼻先へとビシッと突き付ける。

 

「いいですか!? 私は自分の意志とは関係なく、ある日突然、見知らぬ異世界にアパートごと強制不法投ーパーされて!」

 

「……はい」

 

「その直後、目が覚めたら五千年も経った遠い未来の地球に来ていて!」

 

「……うん」

 

「外に出た瞬間に、超高度なAIたちから身に覚えのない『創造主扱い』をされて、南極でお出迎えされて!」

 

「……うん」

 

「おまけにその足で、世界を作った神様直々に『別世界の危機だからスライムの化け物を救ってこい』って無茶振りをされたんですよ!?」

 

「……うん」

 

祐奈は大きく息を吸い込み、空中庭園の全鳥類が飛び立つほどの声量で大絶叫した。

 

「そんな怒涛のファンタジー大渋滞の状況で!! 朝起きて『今日の俺の顔はどんな感じかな〜?』って、鏡で自分の顔をまじまじと確認する精神的余裕が、普通の会社員のどこに あ る と 思 って る ん て す か っ !!」

 

 魂の籠もった叫びを聞いて、ティーユは人差し指を顎に当て、大真面目に少しだけ考えた。

 

「……うん、言われてみれば、ないかも」

 

「ないですよ!!!!」

 

 祐奈はハァハァと荒い息を吐きながら、叫んだ。

 よし。五千年の時を超えて、ようやくこの自由奔放な英雄に、一般的な会社員の苦労というものを理解させることができた。謎の達成感と共に、怒りで熱くなった肩を上下させていた。

 

 すると隣では、ソフィアが何事もなかったかのように、すっと静かに紅茶を口に運んでいた。

 まるで、長い歴史の中でよくある、ごくありふれた日常の光景でも見ているかのような落ち着き払った横顔である。

 

「──創造主様は、私たちの想像以上に大変な工程(トラブル)を経て、ここへ来られたのですね」

 

「はい……っ!」

 祐奈は思わず、涙ぐみそうなほどの力強さで同意の返事をしてしまった。

 

 ソフィアは小さく、いたわるように頷く。

 

「理解しました。祐奈様の現在の精神的余裕のなさは、きわめて合理的な防衛本能によるものと結論づけます」

 

 理解してくれた。世界を統べる最先端のAIが、自分の味方になってくれた。

 ありがたい。本当に、会社員としてこれほどありがたいリフレッシュ(救い)はない。

 

 一方で、戦犯であるティーユは少し気まずそうに、形の良い人差し指で自身の白い頬をポリポリとかいた。

 

「ごめんごめん、そんなに怒るとは思わなかったんだよ」

 言葉とは裏腹に、その綺麗な顔は全く反省しているようには見えなかった。

 

 祐奈は深く、肺の底に溜まったよどみを吐き出すようにため息をつく。

 そして、今の怒涛の会話の中で、どうしても聞き捨てならなかった「最重要ワード」へと意識を戻し、二人を交互に見つめた。

 

「……ちょっと、待ってください」

祐奈は、努めて冷静に、けれど確実な疑問を口にする。

 

「先ほど仰った『寿命』の話ですが……一体どういうことですか?」

 

途端に、ティーユとソフィアが顔を見合わせた。

今度は二人が同時に、「何を不思議なことを聞いているんだろう」とでも言いたげな、妙に噛み合わない表情を浮かべている。……おのれ、嫌な予感しかしないぞ。

 

「えっと……」

ティーユが、困惑を隠せない様子で口を開く。

 

「祐奈、それって神様からあっちで何も説明されなかったの?」

 

「されてません」

即答だった。コンマ一秒の迷いもない。

 

「本当に? 何も?」

 

「本当に、何一つとして聞いていません」

 

ティーユは呆れたように、パチンと片手を自身の美しい額に当てた。

 

「あーあ、相変わらずだなぁ、神様……。一番大事な引き継ぎを忘れるんだから」

 どうやら超越者側の事務処理能力に対する信用は、彼女の中でもあまり高くないらしい。

 

「簡単に言うとね」

 ティーユは、持っていたフォークをコト、とテーブルの上に置いた。

 

「祐奈みたいな存在が『世界』を移動するときって、その都度、向こうの都合で身体を新しく作り直されてるんだよ」

 

「……はい?」

 祐奈の背筋を、先ほどとは毛色の違う、ぞわりとした奇妙な戦慄が駆け抜ける。

 

 ティーユは当然の前提を語るように、言葉を続ける。

 

「だって、魂だけをそのまま別次元に移動させちゃうと、世界の物理法則のズレで色々と不具合(エラー)が出るでしょ?」

 

「知りませんよ・・・」

 

「だから、移動先の環境にちゃんと適応できるように、向こうの神様がその世界専用の、新しくて丈夫な肉体を用意してくれるの」

 

「はい」

 

「だから、身体も十代後半に若返ってる」

 

「……はい?」

 理解が、言語の壁を越えて追いつかない。

 

ティーユは、やはり不思議そうに小首を傾げた。

 

「だって、それ元の身体じゃないもん」

 

 祐奈は、完全にその場で固まった。

 元の、身体じゃ、ない?

 今、この英雄は、現代日本の一般社会で生きてきた人間に対して、一体なんと言ったのだ。

 

「いやいやいや! おかしいでしょそれ!」

 祐奈は慌てて、自分の右腕をまくり上げてじっと見つめた。

 どこからどう見ても、二十数年間ずっと付き合ってきた見慣れた自分の腕だ。驚いたことに、肘のすぐ近くにある小さなしみのような、あの独特なほくろの位置まで完全に同じである。どう見ても自分そのものだ。

 

「これ、どう見ても私ですよね!? 偽物じゃないですよね!?」

 

「うん、中身も外見も間違いなく祐奈だよ?」

 

「ですよね!?」

 

「でも、その肉体の分子構造は、こっちの世界に現界したときに新しく組まれたものだよ」

 

「どういうシステムなんですかそれは!?」

 ついに限界を迎えて頭を抱え始めた祐奈を見て、ティーユは「あ、これ私の語彙じゃ無理だ」と察したのか、助けを求めるようにソフィアへと視線を向けた。

 

 ソフィアが静かに頷き、その知的なトーンで説明を引き継ぐ。

 

「創造主(祐奈)様」

 

「は、はい……」

 

「高度な技術的観点から例えるならば、それは『固有の情報』を、別の新しい媒体へ移し替えた状態、と言えます」

 

「情報、ですか?」

 

「はい。祐奈様という存在を構成する人格、これまでの記憶、脳の思考パターンや精神の核。それらすべてのオリジナルデータを完全に保ったまま、現界の物質でリビルドされた肉体へダウンロードした状態です」

 ソフィアは分かりやすく、自身の領域に引き寄せて言葉を重ねる。

 

「私たち機械(AI)のシステムで例えるなら、全く同じ基本データを、最新の新しい義体(フレーム)へと移植した状態、といえばイメージしやすいでしょうか」

 

ソフィアの明快な解説によって、祐奈の脳内にゆっくりと、不気味なほどの理解が染み渡り始める。

 

 つまり──自分は、確かに自分なのだ。

 記憶も、これまでの仕事の経験も、人格も全く同じ。

 だが、その器である肉体だけは、神の技術によって「二十代の型落ち」から「十代後半の最新新品モデル」へと、完全にアップデートされている。

 

「じゃあ……」

 祐奈は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。恐ろしくて堪らないが、一番重要な「今後の人生設計(ライフプラン)」に関わる問いを投げかける。

 

「私の……その、寿命はどうなっているんですか?」

すると、ティーユが実にあっさりと、他人事のように答えた。

 

「うーん、かなり伸びてると思うよ」

 

「かなりって……具体的に、どれくらいですか」

 

「分かんない」

 

「分からない!?」

 

「だって、その世界ごとのエネルギーの密度とか、神様の匙加減によるから」

 あまりにも雑だった。引継ぎ資料のない新規プロジェクト並みに、あらゆる仕様が不透明すぎる。祐奈は思わず両手で頭を抱え、あまりの目眩にテーブルへ突っ伏しそうになった。

 

 ティーユは、追い打ちをかけるようにさらに言葉を続ける。

 

「でも、少なくともあと四十年で終わり、なんて短い命じゃないことだけは確かだよ」

 

「……」

 

「たぶん、普通に数百年は生きるんじゃないかなぁ?」

 

「数百年……」

 祐奈は、その途方もない数字を、夢遊病者のように力なく復唱した。

 全く、現実感が湧かなかった。

 ついさっきまで、自分はあと四十年くらいしか生きられない生身の凡人だと思い込んでいたのだ。だからこそ、自分の命が尽きた後の、三百年後の未来の誰かのために、泥を被ってでも戦いの土台(バトン)になろうと、男としての悲壮な覚悟を決めたばかりだったのだ。

 

 それなのに、その直後に。『あ、あんたも普通に数百年生きるから、その未来の当事者だよ』などと言われている。

 人生設計が、根本から、文字通り宇宙の彼方まで吹き飛んでしまった。感情の処理が追いつくわけがない。

 

 ティーユは、そんな風に魂が抜けかけた祐奈の顔を見て、ころころと鈴を転がすように愉快そうに笑った。

 

「よかったね!、これで三百年後の未来、自分で最後まで見届けられるよ?」

 

「よくないですよ!!!」

 即答だった。本日一番の、心からの叫びだった。

 

「そんな大事なこと、もっと! もっと一番最初に、なんならアパートで目が覚めた瞬間に言ってください!!」

 

 その盛大な叫び声が、静かな空中庭園のガーデンテラスに木霊した。

 

 ソフィアは、そんな騒がしくも息のぴったり合った二人を見つめながら、その形の良い唇の端を優しく、小さく和ませて微笑んでいた。

 まるで、人類の遺産(データ)には存在しない、その目の前で繰り広げられる人間らしい「騒がしいやり取り」そのものを、愛おしそうに、深く楽しんでいるかのように。

 

──しかし。

 

 祐奈は、そこでハッと我に返り、細められたジト目で、隣の自由奔放な英雄へと疑いの視線を真っ直ぐに向けた。

 絶対だ。絶対にこの神話の英雄、まだ何か重要なことを忘れているか、意図的に隠している。長年の勘が、そう確信を告げていた。

 

「……ティーユさん。他に何か、私に言い忘れている超重要事項(隠し球)はありませんよね?」

 

 今の流れである。

 若返っている。寿命が数百年規模に伸びている。肉体は神の手による完全な別物に作り直されている。

 現代日本の常識からすれば、国家機密レベルの重大発表を、今になってようやくお茶会のついでみたいに聞かされたのだ。

 まだ何か、とんでもない後出しのシステム仕様が残っているのではないかと疑いたくなるのも、普通の会社員としては当然の危機管理能力であった。

 

「──他に何か、俺に言い忘れている超重要事項はありませんよね?」

 

今の流れである。

若返っている。寿命が数百年規模に伸びている。肉体は神の手による完全な別物に作り直されている。

現代日本の常識からすれば国家機密レベルの重大発表を、今になってようやくお茶会のついでみたいに聞かされたのだ。まだ何か、とんでもない後出しのシステム仕様が残っているのではないかと疑いたくなるのも、普通の会社員としては当然の危機管理能力であった。

 

ティーユは、形の良い小首を傾げた。

 

「うーん……?」

 そして、フォークを止めて本当に、本気で過去の記憶を遡り始めた。美しく洗練された横顔が、記憶の引き出しを一つずつ開けていくように静まり返る。

 

 数秒の後。

 

「あっ」

 その綺麗な唇から、ぽつりと声が漏れた。

 祐奈の脳内で、危機管理アラートがこの世界に来てから最大音量で鳴りっぱなしである。

 

「……あった」

 

 やっぱりあった。絶対に何か忘れていると確信していたが、その的中がこれほど恐ろしい瞬間もない。

 祐奈はそっと、自身の片手で痛む額を押さえた。

 

「……何ですか、一体。今のうちにすべての情報を吐き出してください」

 

「ええっとね。どこにその変異スライムたちがいるのか、大体の位置と規模が分かったみたいなんだよ」

 

「はい」

 

「神様が言ってたんだけど……確か、祐奈のいた国くらいの大きさの半島、だったかな」

 

 その言葉を聞いて、祐奈はほんの少しだけ胸を撫で下ろした。

 自分の祖国である日本列島くらいの規模──いや、もちろんそれでも十分に広大だが、世界全土に散らばっているわけではないのなら、ソフィアの軍事力をもってすれば包囲網を敷くのもそう難しくはないはずだ。

 

「いや、でも待って。もうちょっと大きいって言ってたかも」

 安心は、わずか一秒で無慈悲に打ち砕かれた。

 ティーユは細い指先で、お茶会の空間に大雑把な地形の輪郭を描いてみせる。

 

「たぶん、祐奈の国の、一・五倍くらいはあるかな」

 

 祐奈は自らの脳裏に、慣れ親しんだ日本列島の地図を思い浮かべた。

 北海道、本州、四国、九州……沖縄は距離が離れすぎているから、今回の計算からは除外するとして。それらの土地を全体的に一回り、いや、二回りほど太らせる。そして、その一・五倍。

 

「……でかすぎませんか?」

 思わず、素の困惑が声になって漏れ出していた。

 

「そう? 広いことは広いけど」

 ティーユは、あまりピンときていないようだった。やはり数千年の時を世界から世界へと旅してきた長寿種と、数十年の人生を一つの島国で過ごしてきた普通の人間とでは、空間に対する距離感のスケールが根本から違うらしい。

 

 祐奈は再び頭を抱えたくなった。

 日本の国土面積は、約三十八万平方キロメートル。その一・五倍となれば、優に五十万平方キロメートル──いや、下手をすれば六十万平方キロメートルを超える。ヨーロッパの主要国家が丸ごと一つ収まるほどの、途方もない大土地だ。

 

しかし──。

 

 祐奈の絶望をよそに、ティーユが続けた説明は、ある意味では首の皮一枚繋がるものだった。

 

「でもね、まだその広大な半島全域に大繁殖してるわけじゃないんだって」

 

「え? 違うんですか?」

 

「うん。今はまだ、その半島の一定区域に留まってる状態らしいよ。ただ……神様が本当に恐怖しているのは『今』じゃなくて、数十年後、数百年後の未来なんだって。これからどんどん増えて、その過程でさらに突然変異を繰り返して……最終的には、映画の化け物クラスの、手が付けられない最悪の狂暴生命体に進化することが予見されてるらしいの」

 

 祐奈は静かに生唾を飲み込んだ。想像したくない。映画の化け物が、国規模の面積で大繁殖する未来。神様がパニックを起こして自分たちを送り込んできた理由が、ここにきてようやく恐怖と共に理解できた。要するにこれは、最悪の変異を迎える前にバグの根を断つ、時間との戦いなのだ。

 

 ソフィアは、その二人のやり取りを、微動だにせず静かに聞き終えた。

 

そして。

 

「確認ですが、創造主様」

 

「は、はい」

 

「その未知の変異生物は現在、未だ爆発的な拡散には至らず、半島の一定の境界線内部に隔離されている、という認識でよろしいですか?」

隣のティーユが頷き、細い肩をすくめて見せる。

 

「うん、そうだよ。神様がその世界にいる現地の子にお願いして、力技で境界線を封鎖して、徹底的な『防疫』を頼んでるみたい」

 

「なるほど……。生物的な隔離壁として、現地生命体の戦闘力を用いているわけですね」

 

 ソフィアは再び、深く考え込むように視線を落とした。そのお人形のように完璧だった表情は、今やどこか、きわめて真剣な色を帯びている。

 先ほどまでの、穏やかで温かいお茶会の雰囲気は、もうそこにはなかった。彼女の頭脳は今、単なる『名前をもらった少女』としてではなく、この地球のすべてを統括する地球統合管理AIとして、冷徹に戦況の分析を開始しているのだろう。

 

「でしたら、早急に正確な地図情報が必要不可欠ですね」

ソフィアは、真っ直ぐに祐奈を見つめて言った。

 

「作戦を立案するにあたり、まずは対象地域の現在の面積、今後の変異予測を立てるための生態系、地形、そしてドラゴンの防疫線を維持するための気候条件を確認しなければなりません」

 

「……その通りですね」

祐奈は深く頷いた。

 

 国ほどの面積、そして未来のエイリアン化。話の次元が完全に変わった。

 先ほどまでの『困っているならお力添えします』という優しく抽象的な約束から、事態は今、明確に『どうやってその広大な土地を物理的に攻略・デバッグするのか』という、具体的な軍事シミュレーションの段階へと移りつつあった。

 

 すると、ティーユがそんな二人の緊張感を知ってか知らずか、呑気に最後のケーキの一切れを口へ運びながら言った。

 

「あ、それなら大丈夫だよ。後で私たちの『家』にある地図を見れば、大体のことは分かると思う」

 

「家、ですか?」

 

「うん。ほら、あの広場にあった、神様がくれた建物」

 

 祐奈は一瞬、思考を止めて固まった。

 あのアパートは、単に自分が元いた世界の部屋を神様が適当に再現したものだと思い込んでいた。だが、もしそこが『今回の依頼の資料室』として用意された場所なのだとしたら、あの中に何かしらの重要な資料や、異世界のデータが遺されている可能性は非常に高い。地図くらい置いてあっても、確かに不思議ではない。

 

 だが、そこで祐奈の脳裏に、また別の疑問が浮かび上がった。

 今さらながら、あまりにも、あまりにも致命的で重要な疑問だ。

 

 寄生して増殖し、いずれ化け物に変化する生物。そんな恐ろしい存在を、いかに強大な存在とはいえ、どうやって三百年間も完全に封じ込め続けているのだろうか。

 

 祐奈は、お茶を飲み干したティーユへと、静かな視線を向けた。

 

「そういえば……ティーユさん」

 

「ん? なに?」

 

「その……神様すら手を焼くほどの凶悪な化け物たちの防疫を頼まれている『現地の子って、一体──」

 

「なんかドラゴンに協力してもらってるみたいだよ」

 

ティーユは冷めかけた紅茶を優雅に口へ運びながら、まるで明日の天気の話でもするような、ひどく気軽な調子で答えた。

 

祐奈はその言葉を一度、右から左へと聞き流しかけた。しかし、彼の現代人としての脳が数秒のタイムラグを経て、そのファンタジー全開の単語の持つあまりにも理不尽なスケール感を正確に認識する。

 

「……ドラゴン、ですか?」

 

「うん」

ティーユはあっさりと頷く。

 

「大陸と半島を繋ぐ中間地点を、定期的にブレスで焼き払ってるんだって」

 

 祐奈は完全にその場で固まった。

 さらりと、とんでもない国家防衛レベルの事実が出てきた。

 異世界にドラゴンがいる。しかも、神の側に協力している。おまけに、現在進行形で大規模な焦土作戦(防疫)を行っている──。

 一度に押し寄せてきた情報量が多すぎて、処理が追いつかない。

 

 向かい側のソフィアも静かにその話を聞いていたが、特に驚いている様子はなかった。驚愕するよりも早く、その地球色の青い瞳の奥で、軍事侵攻のためのシミュレーションと分析を開始しているようだった。

 

 ティーユは言葉を続ける。

 

「それに、険しい山脈もあるみたい」

 

「山脈、ですか?」

 

「うん。半島へ行くには、人間じゃ到底越えられないような大きな山を越えないといけないらしいよ」

 

 祐奈の頭の中に、おぼろげながら異世界の地図が浮かび上がる。

 巨大な半島。その中央に広がる、変異生物の汚染地域。周囲を強固に囲む険しい山脈。さらに大陸との合流点には、ドラゴンによって絶え間なく焼き払われ続ける不毛の焦土地帯──。

 

(なるほど……確かに、それなら天然の要塞だ)

 

 だからこそ、神様も使徒も、今日までの三百年間という途方もない時間を稼ぎ続けることができたのだろう。

 しかし、会社員としての危機管理能力が、それ以上に致命的な懸念を弾き出した。

 

 祐奈は恐る恐る、二人の顔を見つめて声を絞り出す。

 

「いや……ちょっと待ってください。それって、もしそのドラゴンが化け物に寄生されたら、その時点で全てが終わりじゃないですか?」

 

「そうかな?」

ティーユは少しだけ考えるように首を傾げる。

 

「そうですよ!」

思わず、祐奈の声が大きくなった。お茶会の穏やかな静寂を破るほどの切迫感が宿る。

 

「熊に寄生するんですよね!? 人間にも寄生するんですよね!? だったら、もしあの変異生物がドラゴンに寄生してその肉体を乗っ取ったら、世界が滅びるなんてレベルじゃ済みませんよ!」

 祐奈の頭の中では、すでに最悪の映画のワンシーンが完成していた。

 天を覆う巨大な翼。鋼鉄の如き鱗。圧倒的な破壊力を誇る巨体。そこに、あの変異生物の異常な環境適応能力と悪知恵が加わるのだ。完全に一発で文明が崩壊する終末映画(パニックホラー)である。

 

 しかし、ティーユはあっさりと首を振った。

 

「あ、それは大丈夫みたいだよ」

 

「何がですか」

 

「寄生できないんだって」

 

「……は?」

 

今度は、祐奈が狐につままれたような顔で首を傾げる番だった。

 

ティーユは記憶を辿るように、視線を斜め上へと向ける。

 

「確かね……身体の仕組みが違いすぎる生物には、今のところ適応できないらしいよ」

 

「違いすぎる、とは?」

 

「うーん、空を飛ぶ生き物とか」

 

 祐奈は呆然と瞬きをした。

 熊のような哺乳類には寄生する。人間にも寄生する。しかし、同じ生物でありながら、空を飛ぶ生き物には寄生できない。

 理屈が分からない。一般人の常識としては、全く意味が分からなかった。

 

「いや、何でですか? 理由があるはずでしょう」

 

「私も知らないよ」

 

「知らないんですか」

 

「神様がそう言ってたもん」

 

 雑だった。あまりにも仕様書の記述が雑だった。

 だが、ティーユ本人も理屈を理解して言っているわけではないらしい。

 

そこで、今まで沈黙を守っていたソフィアが初めて静かに口を開いた。

 

「おそらくだけれど……生体構造における根本的な差異でしょうね」

二人の視線が、一斉に知的で美しいマザーAIへと向く。

 

「飛行能力を維持する大型の生命体は、骨格、筋肉の密度、基礎代謝、そして高効率な呼吸器官の全てにおいて、通常の地上生物とは完全に異なる進化を遂げています」

ソフィアは手元の紅茶のカップをソーサーへと静かに置いた。その動作一つにも、洗練された品格がある

「おそらく現在の変異生物側が、遺伝子コード的に適応可能な許容範囲(バッファ)を超えているのだと思われます」

 

「なるほど……」

 

 祐奈は、その解説に納得しかけた。

 だが、次の瞬間、彼の背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。その圧倒的なロジックを逆から裏返した時、最悪の可能性が導き出されてしまうことに気づいたのだ。

 

「……それって、逆に言うと」

 祐奈の喉が、引き攣るように渇く。

 

「もし彼らがその差異すら乗り越えて、飛行生物に適応してしまったら……本当に終わり、ということですよね?」

 

その瞬間。

 

 ガーデンテラスを包んでいた空気が、目に見えて静まり返った。

 ティーユが気まずそうに、ふいと視線を斜め下へと逸らす。そして、対面に座るソフィアもまた、その推測を否定することはしなかった。

 

 祐奈はその反応を、見てしまった。見てしまったのである。

 

「……まさか」

ティーユが困ったように苦笑いを浮かべる。

 

「だから……神様たちも、ちょっと焦ってるみたいなんだよね」

 

 祐奈は、ただ静かに天を仰いだ。

 なるほど。ようやく、この理不尽な状況の全貌を理解した。

 

 これは、異世界のどこかで起きている、小さなバグのトラブルなどではない。

 超越者であるはずの神様が、わざわざ元の世界から一般人である自分を引っ張ってきた理由。使徒であるティーユたちが、三百年間も必死になって時間を稼ぎ続けている理由。そして、この五千年間平和を保ってきたソフィアたちの世界にまで助けを求めるに至った理由。

 

 それら全てのパズルのピースが、今、最悪の形で一本の線に繋がった。

 

 もし、あの寄生生物がさらに進化し、飛行生物という最後の未到達領域に適応してしまったら──。

 その瞬間、ドラゴンの防疫線は崩壊し、世界は本当の意味で終わりを迎えるのだ。

 

 祐奈は胸の奥で、静かに、そして深くため息を吐いた。

 どうやら自分が思っていたよりも、ずっと、ずっと状況は切迫しているらしい。三百年の猶予など、進化のスピード次第では、いつでも一瞬で消し飛ぶ砂時計の砂のようなものだった。

 

 ティーユは小さく「あっ」と声を上げ、何かを思い出したように、上品な動作で人差し指を立てて付け加えた。

 

「あとね、祐奈」

 まだ、あるのか。

 祐奈の胸中の痛みは、すでにキャパシティは限界を迎えているというのに、この神話の英雄はさらに燃料を投下するつもりらしい。

 

「神様たちからね、いくつか今回の遠征に関する『要望(しばり)』も来てるんだよ」

 

「要望、ですか?」

 

「うん」

ティーユは細く白い指を一つずつ折りながら、事も無げに数え始める。

 

「まず、大量破壊兵器は一律禁止」

 

「はい」

 

「化学兵器や細菌兵器の類も、もちろん禁止」

 

「……まぁ、それはそうですね」

 倫理的にも環境的にも当然の措置だろう。祐奈が頷くと、ティーユは三本目の指を折った。

 

「それから、空から爆弾をドロップするような飛行機とか爆撃機の類も、できれば使わないでほしいんだって」

 

「それは何故ですか?」

 祐奈は首を傾げた。現代戦の軍の最大の強みは、その圧倒的な制空権と爆撃のはずだ。それを制限されるのは、現代の戦闘を知っている者としての戦略の組み立てにおいて、あまりにも手痛い。

 

「だって、喧嘩になっちゃうから」

意味が分からなかった。祐奈は眉間のシワを深くする。

 

「……誰とですか?」

 

「ドラゴン」

 あまりにも短い主語だった。

 

「空は自分たちの絶対的な縄張りだと思ってるんだって。だから、自分たち以外の『鉄の塊』が我が物顔で空を飛び回るのが、どうしても許せないらしいの」

 

「鳥じゃないんですから……」

 あまりの我儘(縄張り意識)に、祐奈の口から頭痛混じりのツッコミが漏れる。

 

「鳥じゃなくて、ドラゴンだよ?」

 ティーユは不思議そうに目を丸くする。知っている。知っているが、国家の命運を賭けた防衛戦の最中に、そんなマスコットキャラクターのような縄張り争いを持ち込まれてはたまらない。

 

 ティーユは冷めかけた紅茶を一口、喉へと滑らせた。

 

「あとね、核兵器の類もすっごく嫌がってたなぁ」

 

「……それは、分かります」

 祐奈は深く同意して頷いた。いくらバグの駆除とはいえ、異世界の土地を放射能で汚染してしまっては元も子もない。

 

 すると、ティーユがクッキーに手を伸ばしながら、まるで「昨日は少し雨に降られちゃってね」とでも言うような、何でもないトーンで言葉を紡いだ。

 

「わたしも昔、別の世界で似たようなやつを直接撃たれたことあるけど、本当に嫌だよね、あれ。後片付けが大変だし」

 ぴたりと、祐奈のあらゆる動作が停止した。

 向かい側に座るソフィアもまた、手元に置いた情報端末(デバイス)の演算を一瞬だけ止め、静かにその青い瞳をティーユへと向けた。

 

「……はい?」

 

「だから、核兵器みたいなやつ」

 

「いや、そこじゃなくて」

 祐奈は、自身の耳の異常を疑いながら、恐る恐る聞き返した。

 

「……今、直接『撃たれた』って仰いましたか?」

 

「うん。直撃」

 

「なんで今、普通に生きて紅茶飲んでるんですか!?」

 ガタタッ、と本日何度目か分からない衝撃のままに、祐奈は椅子から半ば立ち上がっていた。

 

 ティーユはフォークを持ったまま、うーんと少しだけ考えてから、悪びれずに答えた。

 

「……防げたから?」

 

 その答えは、現代科学の教育を受けてきた人間に対して、全くもって説明になっていなかった。

 

「防げたから、で済む話じゃないですよ!?」

 

「だって、結界を張ったんだもん」

 

「結界」

 

「うん」

ティーユは自分の周囲の空中に、指先で綺麗な円を描いてみせる。

 

「かなり本気で、全魔力を注ぎ込んで張ったの」

さらりと恐ろしいことを言っているが、核兵器の熱線と爆圧を前にして「本気を出した」という時点で、この英雄の生態スペックは色々と狂っている。

 

「……それで、本当に無事だったんですか?」

 

「無事なわけないよ」

 ティーユは、当時のことを思い出して忌々しそうに苦笑した。

 

「爆発そのものの熱と光はなんとか防ぎきれたんだけどね」

 

「はい」

 

「その後の、衝撃波と爆風で、結界ごと遙か彼方まで吹っ飛んじゃったんだよね」

 

「……吹っ飛んだ」

 

「うん」

 ティーユは、遠くの山々の景色を眺めるように、ふいと視線をテラスの外へと逸らした。

 

「確か、山を三つくらい越えたあたりの平原まで飛ばされたかなぁ。本当に生きた心地がしなかったよ」

 

 祐奈は黙った。

 ソフィアも黙った。

 二人の現代的な理性を有する存在は、ただただ沈黙するしかなかった。何も言えなかった。言える言葉が、この地上(あるいは五千年前の人類)の語彙には存在しなかった。

 

「……すごく、痛かったんだから」

ティーユは少しだけ不満そうに、唇を尖らせて呟く。

 

「いや、痛かったで済む話じゃないでしょう!」

 祐奈は思わず、テラスに響き渡る声で叫んでいた。

 

「普通は! 人間も! 神話の生物も! 骨も残らず蒸発して死ぬんですよ!?」

 

「うん、普通ならそうだろうね」

 本人も、それを全く否定しなかった。むしろ、自分が規格外の生き残りであることを当然のように受け入れているらしい。

 

 ソフィアは、その常識を超越した神話のやり取りをしばらくの間、静かに脳内で演算していたが、やがてその形の良い唇を小さく開いた。

 

「──理解しました」

 

「ソフィア……何を、ですか?」

 祐奈が息を切らしながら尋ねる。

 

「神々が、なぜそこまで大量破壊兵器の投入を拒むのか、その論理的な理由です」

 

 ソフィアは紅茶のカップをソーサーへと静かに戻した。カチン、と硬質な音が微かに響く。

 

「それらの兵器が対象(バグ)へ与える損害よりも、結果としてその周囲の『世界そのもの』へ与える環境被害(エラー)が大きすぎるのです。世界を救うために世界を滅ぼしては、本末転倒ですから」

 

 ティーユもまた、その言葉に深く同意するように、静かに頷いた。

 その顔には、先ほどまでの呑気で不真面目な表情は、もうどこにもなかった。

 

「戦うのは、仕方のないことなんだけどね」

 

 彼女の声は、どこか遠く、三千年という果てしない時間を旅してきた者だけが持つ、独特の重みと哀愁を帯びていた。

 

「でも、勝つために自分たちの生きる世界まで壊しちゃうのは……それは、絶対に違うと思うんだ」

 その一言には、幾多の滅びゆく世界と、激しい戦場を渡り歩いてきた『本物の使徒』にしか語れない、揺るぎない真実が宿っていた。

 

 祐奈は、その言葉を聞いて、ようやく胸の奥の支えが取れるような感覚を覚えた。

 神たちが、なぜこれほどまでに不自由な制限を課してくるのか。

 ティーユが、なぜその不条理な戦いに文句を言いつつも従っているのか。

 そして、あの強大なドラゴンたちが、なぜ三百年間も孤独に焦土を作りながら、その境界線を守り続けているのか。

 

 彼らは、ただ敵を殲滅したいわけではないのだ。

 その刃の向こう側に、どうしても傷つけたくない、守りたい大切な世界があるからこそ──彼らはこの途方もない「縛りプレイ」のような戦いに、身を投じ続けているのだ。

 

 祐奈は静かに、そして深くため息を吐いた。

 どうやら自分が思っていたよりも、ずっと、ずっとこの戦いの本質は重く、そして守るべきものの価値は大きいらしい。普通の会社員だった自分が、その片棒を担ぐに足るだけの覚悟が、今、静かに胸の中で形作られようとしていた。

 

 

 目的地の場所と、彼らがそれをどのように力技で防いでいるのかは、ひとまずの前提(仕様)として理解できた。

 だが、そうなると次に必要不可欠なのは、こちらが投入できる「予算(リソース)」の確認だ。

 自分たちがこれから動かせる戦力が一体どれほどあるのか、祐奈は恐る恐る、胸の内に走る嫌な予感を隠しながら尋ねた。

 

「ちなみに……ソフィアさん」

 

「はい、何でしょう」

 

「ソフィアさんたちは……現在、どのくらいの『戦力』を保有されているのですか?」

ソフィアは、その澄んだ青い瞳を微塵も揺らすことなく即答した。

「どの程度をもって、システム上の『戦力』と定義するかによります」

 

(──ああ、この前置き。身に覚えがありすぎる)

 

 現代日本の会社員だった頃も、トラブルが起きた際に上司と部下がこういう抽象的な前置きをした後は、大抵ろくでもない言い争いになるのだ。

 案の定、祐奈が心の中で身構えた瞬間、ソフィアは淡々と、あまりにも平然と説明を開始した。

 

「現在、私たちが人類の遺産として管理・維持している惑星の総数は【二十三】です」

 

 ソフィアがそう言った瞬間、空中庭園の穏やかな陽光の中に、すっと青白い細波のような光が現れた。

 光は瞬時に収束し、テラスの空中に半透明のホログラムスクリーンを展開する。

 祐奈は思わず、その圧倒的なテクノロジーに目を見開いた。画面には、整然とした電子文字が静かに明滅していた。

 

――――――――――

 

【管理惑星状況】

 

・人類が開拓した総惑星数:27

・現在維持・管理中:23

・戦争により喪失:4

 

――――――――――

 

「かつて人類がその黄金期において開拓した惑星の総数は、二十七でした」

ソフィアは、自身のドレスの刺繍に視線を落としたまま、解説のログを読み上げる。

 

「ですが、現在はそのうちの四惑星を、戦争によって喪失しております」

 祐奈は、その画面に表示された最初の一文から、全力でツッコミを入れたくなった。

 いや、正確には「二十七の惑星を開拓した」という二文目の時点で、普通の地球人としてのスケール感を遥かに越えている。

 だが、三文目に記された文字列のあまりの不穏さに、彼の思考のすべてが吹き飛んだ。

 

「えっと……ちょっと、待ってください!」

 祐奈は思わず、両手を目の前に突き出してソフィアの説明を遮った。

 

 ソフィアは、流れるような口調をピタリと止め、不思議そうに純白のベールを揺らして小首を傾げる。

 

「はい? 何かシステムに不具合でもありましたでしょうか」

 

「そこです、そこ!」

 祐奈は、空中に浮かぶスクリーンの最下部を、指先が震えるほどの勢いで指差した。

 

「……その、一番最後の項目!」

 

「──戦争により、四惑星を喪失しました」

 

「そこですよ!!」

 祐奈は思わず、テラスの全鳥類が再び飛び立ちそうな声量で叫んでいた。

 

 ソフィアは数秒ほど、その完璧な美貌を静止させて考え込んだ。どうやら、自分の報告のどこに祐奈がそれほど取り乱す要素(バグ)があったのか、本気で理解できていないらしい。

 祐奈は両手で痛む額を押さえ、目眩を堪えるように息を吐き出す。

 

「いやいやいや! おかしいでしょそれ! 今、もの凄く、とんでもなく恐ろしいサラリと言いましたよね!?」

 

「そうでしょうか。ただの事実報告のデータですが」

 

「戦争で『惑星を失った』って、今ハッキリ仰いましたよね!?」

 

「はい、そのように記録されています」

 

 認めた。あまりにもあっさりと認めた。

 しかもその美しい顔には、悲壮感も憤怒も、ただの一滴すら浮かんでいない。まるで『昨日はあいにくの雨模様でした』くらいの、ごくありふれた日常の天気予報を伝えるような気軽さで、天体規模の滅亡を肯定したのだ。

 

「つまり、ソフィアさんたちは今……その、戦争をしているんですよね?」

 

「はい」

 

「……それも、現在進行形で?」

 

「はい、その通りです」

 

「何でそんなに冷静なんですかあなた方はっ!?」

 ついに祐奈の我慢が限界を迎え、魂の叫びが空中庭園に木霊した。国一つ分のバイオハザードに頭を抱えていたのに、味方になってくれた組織はそれどころではない「宇宙戦争の当事者」だったのだ。

 

 すると、ソフィアは不思議そうに瞬きをして、その長い睫毛を揺らした。

 

「こちらの戦争は、現在より【九百十二年前】から絶え間なく継続中ですので」

 

「『慣れました』みたいに言わないでください!!」

 九百年も続く星間戦争に、日常のルーティンワークのように馴染んでいる文明とは、一体どのような地獄なのだろう。できればこれ以上の問題については深く考えたくもなかった。

 

 祐奈がハァハァと荒い息を吐きながら、救いを求めるように隣の席へと視線を向ける。

 

 

 そこでは、ティーユが優雅な動作で、本日最後となるケーキをフォークで口へと運んでいた。

 実に優雅だった。

 まるで、今しがた交わされた会話が「今日の紅茶は少し茶葉が若いね」というような、ひどく他愛のないお茶飲み話であるかのように──彼女は幸せそうに細い白い頬を緩めて笑っている。

 

 いつも通りだった。あまりにもいつも通りすぎて、逆に恐怖を覚えるレベルだった。

 とてもではないが、今まさに銀河規模の滅亡と戦争の話を聞いている最中の人間の態度とは思えない。

 

「……ティーユさん」

 

「ん? なに、祐奈?」

ティーユはきょとんとした顔で、口元に小さなクリームをつけたまま首を傾げた。

 

「聞いていましたか!? 今の話!」

 

「え? うん、聞いてるよ?」

 

ティーユは、不思議そうにソフィアのホログラムスクリーンへと視線を向ける。

 

「いや、ソフィアが淡々と説明してるなぁって思って。……ねえ、ソフィア」

 

「はい、ティーユ様」

 祐奈が思わず、自身の額をパチンと片手で押さえる。その横で、ティーユはいよいよ処理の追いつかなくなってきた表情で、少しだけ驚いたようにその大きな目を丸くした。

 

「もしかして……あんたたち、今どこかの世界で戦争してるの?」

 

「はい、現在進行形で実行中です」

 

「へぇー、そうなんだ」

 ティーユは、まるで近所の子供が泥遊びで大きなお城を作ったと聞いた時のように、平然と笑って見せた。

 

「九百年もなんて、すごいね。頑張ってるじゃん」

 

 何事もないように、本当にただの世間話のトーンで彼女は言いのけた。

 祐奈はついに限界を迎え、テラスの白い大理石の机へと、そのままガックリと突っ伏しそうになるのを必死で堪えるしかなかった。常識の物差しが、この二人を前にすると一瞬で粉々に砕け散ってしまうのだ。普通の会社員の胃壁は、もうとっくに限界数値を突破していた。

 

「いやいやいや……」

 

 祐奈は思わず、本日何度目になるか分からない手つきで自身の額を押さえた。

 そういえば、隣にいるティーユは三千年以上という気の遠くなるような時間を生きているのだ。自分のいた現代日本だけでなく、神様に連れられて数え切れないほどの多種多様な世界を見てきたはずである。

 

「でも……やっぱり、どの世界に行っても、どこかで戦争ってやってるものなんだね……」

 

 半ば呆れ、諦めにも似た心地でぽつりと呟く。

 

 するとティーユは、手元でフォークをくるりと器用に回してみせた。

 

「うん。まぁ、規模はそれぞれ全然違うけどね」

 その何気ない、あまりにも日常的な返事が、逆に祐奈の頭痛を激化させた。

 

 戦争。惑星喪失。銀河規模。

 もう話のスケールが根本からおかしい。自分は確か、異世界の困ったスライムの化け物退治を頼むために、ここへ交渉に来たはずなのだ。それがどうして、いつの間にか壮大な宇宙戦争の進捗確認(ミーティング)に立ち会う羽目になっているのだろうか。

 一般人の理解が、完全に置いてきぼりを食らっている。

 

 しかし、ソフィアは至って真面目な顔のまま、淡々と解説のログを続けた。

 

「戦争状態であることはシステム上の事実ですが、直近二十年間における戦線変動率はわずか『〇・〇三%』に留まっています」

 

ソフィアの言葉に合わせて、空中のスクリーンの表示が滑らかに切り替わった。

 

――――――――――

 

【戦況概要】

 

・戦争継続期間:912年

・直近20年間の戦線変動率:0.03%

・現在の戦術評価:完全なる膠着状態

 

――――――――――

 

「……それって、一体どういうことですか?」

 

「一言で表現するならば、膠着状態です」

 

「そういう問題じゃないです!」

 祐奈は思わず、大理石の机をバンと手のひらで叩いていた。

 

「九百十二年ですよ!? 継続期間が!」

 

「はい」

 

「私のいた世界なら、歴史の中で国が何回も滅んで新しく生まれ変わるくらいの、とてつもない時間ですよ!?」

 

「そうですね。人類の歴史に照らし合わせれば、複数の文明の盛衰に匹敵する時間軸です」

 

「そうですね、じゃないですよ!」

 ソフィアは少しだけ考え込むような知的で美しい仕草を見せた。

 

「ですが、私たちの演算上、直近の戦線変動率は──」

 

「だから、数字の細かさのところを言ってるんじゃないんです!」

 祐奈はソフィアの論理的な反論を即座に遮った。

 

「九百十二年間もずっと戦争を継続していること自体が、普通の感覚からすれば明らかにおかしいと言っているんです!」

 

「……そうでしょうか?」

 ソフィアは、本気で不思議そうにその綺麗な形の眉をひそめた。

 

 祐奈は再び頭を抱える。

 人間の一生で考えれば、三世代どころの騒ぎではない。歴史の教科書が何冊も、それこそ図書館の棚を一つ埋めるほど作られるだけの膨大な時間だ

。それをまるで、長期にわたる都市開発の進捗報告でもするような口調で説明されても、普通の会社員としては困惑するほかない。

 

「普通、戦争っていうのは途中でどちらかが勝つか、あるいは和解して終わるものなんです!」

 

「──終わりませんでした」

 

「終わらなかったんだ……」

 あまりにも淡々とした、プログラムの実行結果のような返答を返され、祐奈は逆にそれ以上言葉を紡げなくなってしまった。

 

 ソフィアは、祐奈の取り乱し方がやはり計算外だったのか、本気で不思議そうな顔をして首を傾げた。

 

「……これは、祐奈様にとって重要な情報でしたか?」

 

「重要ですよ!!」

 祐奈は即座に、声を大にして叫んだ。

「むしろ、お茶会が始まった一番最初に『実はうち、今九百年戦争してまして』って説明しておくべきやつですよ!」

 

 いやそれはおかしいと分かっていたが叫んでしまった。戦争。しかも、一つの天体を失う規模の星間戦争だ。

 自分はてっきり、滅び去った人類の遺産を大切に管理している、静かで平和なAI文明なのだと思い込んでいた。それが蓋を開けてみれば、九百年以上も続く泥沼の戦争の、まさに最前線の本拠地。

 しかも、すでに四つもの惑星を前線で失っているという。そんな国家どころか星系規模の重大な話を、冷めかけた紅茶のおかわりを勧めるような口調で流されたら、驚くに決まっている。

 

 祐奈は思わず、再び手のひらで額を押さえた。

 どうやら自分は、とんでもない超ド級の過激な文明に助けを求めてしまったらしい。そんな自陣の火の車のような状況で、よくもまあこちらの異世界の救援(デバッグ)を引き受けてくれたものだ。

 

 祐奈の背筋を、先ほど以上の強烈な嫌な予感が駆け抜ける。

 このまま、このマザーAIの説明を続けさせたら、さらにとんでもない桁の数字が飛び出してくるに違いない。絶対に出てくる。

 

 だが、ここで説明を止めたところで、今度は気になって今夜から眠れなくなるのもまた事実であった。

 

「……ちなみに、ソフィア」

 嫌な予感しかしない胸の騒ぎを必死で抑えながら、祐奈は声を絞り出す。

 

「その……ソフィアさんたちの軍事戦力って、具体的にどのくらいあるんですか?」

  

ソフィアは、一ミリの迷いも、計算のタイムラグもなく答えた。

 

「稼働中の軍事個体(フレーム)だけで、現在約【七十二億】です」

 

その冷徹な音声とともに、空中庭園の陽光の中でスクリーンの文字列が静かに、そして無慈悲に次のデータを表示し始めた。

 

――――――――――

 

【軍事戦力】

 

・軍事個体数:約72億

・管理惑星数:23

・戦争継続期間:912年

・現在の状態:継続戦闘中

 

――――――――――

 

「──軍事用途に特化して分類される義体、および自律型戦闘個体の総数となります」

 

 祐奈は、何も言わずに静かに椅子へと座り直した。

 もはや、驚くという行為そのものにすら、それなりの体力を消耗するらしい。

 数秒の、張り詰めたような沈黙。

 そして。

 

「……ななじゅう、に億、ですか?」

 自身の喉の奥の感覚を確かめるように、か細い声で聞き返す。

 

「はい」

 ソフィアは、静かに頷いた。

 

「兵器の、備蓄数とかではなくて?」

 

「機能的に定義された、一つの独立した軍隊です」

 

「それは……人口、ですか?」

 

「いいえ。独立した、純粋な軍隊です」

 

 祐奈は、そっと両手で自身の顔を覆った。

 もうだめだ。自分の持っている常識的な感覚が、内側からメリメリと音を立てておかしくなっていくのが分かる。

 日本の総人口どころの騒ぎではない。彼のいた二十一世紀初頭の地球全体の人口にほぼ匹敵する莫大な数字が、この世界ではまるごと「軍隊」という一つの単語で片付けられているのだ。

 

 ふと横を見る。

 ティーユは、相変わらず穏やかな手つきでケーキを口に運んでいた。

 もう何を聞かされても驚かない、というよりは、最初からその規模の大きさを理解していない顔だ。おそらくは後者だろう。三千年の英雄とはいえ、星間文明の統計データを見せられてもピンとこないのは無理もない。

 

「……ちなみに、ソフィア。そちらの総人口はどれくらいになるのですか?」

 祐奈は恐る恐る、声のトーンを落として尋ねた。

 

「約、三百八十億です」

 

「はい、次をお願いします」

 祐奈は、驚くという脳の防衛反応を完全に放棄した。まともに受け止めていては、脳の回路が焼き切れてしまう。

 

 ソフィアは祐奈の促しに従い、素直に内訳のログを読み上げ始めた。

 

「研究開発に特化した個体が約六十億。物資の生産および物流を担う個体が約百四十億。行政の管理およびネットワーク維持を行う個体が約八十億。生存のためのインフラ維持個体が約二十八億──そして、先ほどの軍事個体が約七十二億となります」

 

 祐奈は、途中からその数字を脳内で数えるのをやめた。

 聞いたところで、一般人のスケール感ではもう処理しきれない。むしろ、それほどの膨大な人口(個体)を抱えながら、今日までよくこれほど美しく、完璧に文明のシステムを維持できているものだと、そちらの方に感心してしまう。

 

 だが、だからこそ──。

 祐奈の口から、疑問というよりは、思わずといった風に言葉が漏れ出していた。

 

「……それほどまでに強大で、圧倒的な戦力がありながら、勝てないのですか?」

 

 七十二億。

 その数字を頭の中で何度も反芻するが、やはり現実としての実感がどうしても湧かない。

 七十二億人の人間ではないのだ。最新鋭のテクノロジーで武装し、疲れを知らない七十二億の軍事用AIフレーム。しかもそれは、文明全体の人口ですらない。

 二十三の惑星を維持し、かつて人類が残した超科学の遺産をすべて受け継ぎながら戦い続ける、宇宙規模の巨大な機械文明。

 そんな存在が、九百年以上もの間、戦争を終わらせることができずにいる。

 祐奈には、その戦場の光景が想像すらつかなかった。少なくとも、自分の知る現代日本の常識の中では、それだけの戦力を一箇所に投入すれば、どんな敵相手であっても負けるはずがない──そう思ってしまうのも、無理はなかった。

 

 しかし。

 ソフィアは祐奈のその言葉を否定するように、ゆっくりと、けれど確かに首を横へと振った。

 その動作はどこまでも穏やかだったが、だからこそ、言葉には形容しがたい重みが宿っていた。

 

 七十二億もの軍事個体。二十三の維持惑星。人類が遺した膨大な技術の結晶。

 それだけのカードを全て手元に揃えながらも、彼女の美しい唇から「勝利」という甘美な言葉が語られることはなかった。

 彼女はただ、静かに、冷徹に、目の前の現実だけを見つめていた。

 

「──勝っては、いません」

 

「……」

 

「ですが、負けてもいません。私たちはただ、戦線を維持しています」

 

 そのソフィアの声には、先ほどまで祐奈をいたわっていたような、少女らしい柔らかさはもうどこにもなかった。

 ただ、冷徹に事実だけを紡ぐ、プログラムの実行ログのような平坦な声。

 九百年という、果てしない時間をただ最前線で戦い続けてきた者だけが持つ、独特の冷たい響きだった。

 

「私たちは、九百十二年もの間、戦い続けています。ですが、それは勝つためではありません。ただの一度も、負けないために、私たちは戦い続けているのです」

 

 テラスの重苦しい静寂が、冷えかけた紅茶の湯気すらも止めてしまったかのように、部屋の空気をじっとりと重くしていく。

 

 祐奈は、そこでようやく理解した。

 ソフィアたちがその背中に抱えている「戦争」は、自分が想像していたものよりも、遥かに、遥かに巨大で深刻なものなのだ。

 異世界の怪物を討伐するだの、スライムの変異を防ぐだのというレベルではない。

 彼女たちは今この瞬間も、自分たちの文明の存続そのものを懸けて、綱渡りのような限界の戦いを続けているのだ。

 

 そんな相手に向かって。

 二十三の惑星を必死に守り抜いている彼女たちに向かって。

 七十二億もの軍事個体を常に前線に動員し、九百年もの間、終わりの見えない泥沼の星間戦争を戦い続けている。

 そんな極限状態の文明に向かって──。

 

(……俺は、一体、何を頼もうとしているんだ)

 

 銀河規模の戦争を続ける文明を前にして。

 一つの惑星を失うたびに、どれほどの悲鳴がそのネットワークを駆け巡ったかも分からない、そんな彼女たちを前にして。

 それなのに自分は、ただ神様に無茶振りをされたからという理由だけで、別世界の個人的な救援に彼女たちの貴重な戦力を割かせようとしている。

 

 祐奈の胸の奥が、鋭いナイフで抉られたかのように、じくじくと痛んだ。会社員として、あまりにも他人の命に対する想像力が欠如していたのではないかと、猛烈な罪悪感が首をもたげていた。

 

 こんな過酷な状況にある文明に対して、自分の個人的な事情──いや、神様に無茶振りをされたからという理由だけで「別世界を助けてください」と頼むのは、途端に猛烈な申し訳なさに苛まれるものだった。社会人として、他社の倒産危機の最中に、自社のちょっとした雑用を手伝ってくれと押し付けているようなものだ。

 

 しかし、ソフィアはそんな祐奈の内心の葛藤など、全く気にした様子もなく淡々とログを続けた。

 

「しかしながら、創造主様からの今回の救援要請は、システム上非常に重要度の高い案件として処理されます」

 

「いやいやいや!」

 祐奈は堪らず、勢いよく椅子から立ち上がっていた。

 

「おかしいでしょ、それ!」

 

 ソフィアは、その地球色の青い瞳をパチリと瞬かせた。

 

「……何がでしょうか?」

 

「優先順位ですよ!!」

 

 ソフィアは、本気で何が問題なのかが分かっていない顔をしていた。

 

祐奈は片手で頭を抱える。

 目の前にいるのは、銀河規模の過酷な星間戦争を九百年も抱え続けている、火の車のような文明だ。そして、その文明の最高責任者であるマザーAIが、本気で自分たちの前線維持よりも、こちらの「異世界のスライム駆除」を最優先の順位として計画しようとしている。

 その不条理すぎる事実に、祐奈は恐怖とはまた別の意味で、リアルに胃のあたりがキリキリと痛み出すのを感じていた。

 

「……あかん、本格的に胃が痛くなってきましたよ……」

 

 祐奈が力なく、自身の腹部をさすりながら呟いた──まさに、その瞬間だった。

 

 ガタンッ!!

 

 テラスの静寂を切り裂くように、激しく椅子が引かれる音が響き渡った。

 見れば、ソフィアが立ち上がっていた。そのお人形のように完璧だった動作が、今までにないほどに、かなり慌てた様子で乱れている。

 

「──緊急事態(エラー)ではないですか!」

 

「えっ」

 あまりの豹変ぶりに、祐奈は思わずその場で固まる。

 

 ソフィアはすでに、自らの内部ネットワークを介して、どこかへ超高速の暗号通信を開始していた。彼女の瞳の奥が、緊急アラートの如き速度で淡く明滅する。

 

「これより、最優先プロトコルを実行。医療特化個体を当テラスへ緊急要請します」

 

「え、ちょっ……」

 

「胃部詳細検査設備の起動。直ちにハイドロ・スキャンを準備してください。念のため、創造主様の全身遺伝子配列のバグチェックおよび細胞スキャンも同時に──」

 

「待って待って待って! ストップですソフィアさん!」

 祐奈は慌てて両手を振り回し、その暴走する管理AIの前に割り込んだ。

 

 ソフィアは、通信を維持したままピタリと動きを止める。

 

「……創造主様の肉体に、明確な痛みのシグナルを確認しました」

 

「確認しなくていいから! 通信を切って!」

 

「ですが、有機生命体における胃の痛みは、内臓穿孔や急性疾患など、生命維持に関わる重大なバグ(疾患)の可能性があります」

 

「違うんです!」

 祐奈は思わず、大理石の机をバンと叩いた。

 

「そういう医学的な意味じゃないんです!」

 

 ソフィアは数秒間、その場で完全に静止した。

 どうやら、祐奈の発した言葉のニュアンスを、過去の人類の言語データから必死に検索し、処理しているらしい。

 

そして。

 

「──理解しました」

 

「……本当に?」

 祐奈は疑わしげな視線を向ける。

 

「精神的負荷、および過度な心労による慣用表現(メタファー)ですね」

 

「そうです。ただのストレス表現です」

 よかった。通じた。現代日本のサラリーマンの言葉の綾が、五千年の時を超えて未来のAIにようやく伝わった。本当に良かった──と、そう胸を撫で下ろした瞬間だった。

 

 ソフィアは、ほっとしたように自身の胸元へとそっと手を当てた。

 

「安心しました。肉体的な初期不良ではないのですね」

 

「そこは安心するんだ……」

 祐奈は力なく呟く。だが、その安心の直後、彼の会社員としての常識のセンサーが、再び猛烈な矛盾を検知して作動した。

 祐奈は思わず、再び声を荒らげて立ち上がる。

 

「いや、違うだろ!」

 

「はい? 何か論理的エラーが?」

 

「どう見ても、そっちの宇宙戦争の話の方が重要だろ!!」

 テラスに響き渡る声で、祐奈は思わず叫んでいた。

 二十三の惑星と、七十二億という天文学的な軍事個体を抱え、九百年以上も前線で泥沼の戦争を続けているという大極限状態の中で──。

 何故、この超高性能AIは、こちらの個人的なストレスによる胃痛の方をシステム上の最優先事項に据えているのか。本気で、これっぽっちも理解が追いつかない。

 

 だが、ソフィアはどこまでも不思議そうな顔で、純白のベールを揺らすだけだった。

 

「創造主様が、現時点で体調の不良(ストレス)を訴えられました」

 

「だから!」

 

「──システムにおける、最優先事項です」

 

「いや、だから違うって言ってるんだって!!」

 祐奈は両手で頭を抱えた。このAIたちは、何かが根本的におかしい。搭載されている優先順位の評価関数が、完全に狂っているとしか思えない。

 

「ソフィアさんたち、今まさに戦争中なんだよね!?」

 

「はい」

 

「すでに惑星を四つも失ってるんだよね!?」

 

「はい」

 

「だったら、どう考えてもそっちの防衛戦を優先しようよ!!」

 

 しかし、ソフィアは静かに小首を傾げた。その青い瞳には、本気で祐奈の主張に対する疑問が浮かんでいるようだった。

 

「こちらの戦争は、九百十二年前から継続しています」

 

「うん」

 

「本日、急激に戦況が悪化したわけではありません」

 

「それは、まぁ、そうですけど」

 

「ですが──創造主様である祐奈様の胃痛は、今、この瞬間に発生いたしました」

 

 祐奈は、完全に言葉を失った。

 なんか、もの凄くロジカルで完璧な理屈が通っている気がする。通っている気がするのだが、絶対に、何かが根本から致命的にバグっている。

 

 隣の席を見ると、ティーユが机に両手を突っ伏したまま、全身を小刻みに震わせていた。

 笑いを堪えている。いや、堪えきれていない。完全に大爆笑している。

 

「……ティーユさん」

 

「だ、だって……っ!」

 ティーユは涙目のまま、肩を激しく震わせて顔を上げた。形の良い唇が、楽しそうに弧を描いている。

 

「ソフィアたちからすると、本当に本気で、そういう出来事なんだもん」

 

「おかしいでしょ、どう考えても!」

 

「おかしくないよ。だって、創造主だよ?」

 ティーユは、それが世界の絶対的な真理であるかのように、当然のトーンで言いのけた。

 

「5000年ぶりだよ、祐奈? 彼女たちにとっては、待ちに待った神様のお出ましなんだよ?」

 

 祐奈は、ぐっと口を閉ざした。

 その一言にだけは、どのような会社員としてのロジックを以てしても、反論を返すことができなかった。

 

 ソフィアもまた、ティーユの言葉に深く同意するように、静かに、けれど揺るぎない眼差しで頷いた。

 

「はい」

 その端正な表情には、一切の迷いも計算エラーも存在しなかった。

 

「人類の生体反応は、既にこの地球上には存在しません。ですが、現時点で、創造主様は確かにここに存在しています。──私たちのシステムにとっては、こちらの方が遥かに希少価値が高く、最優先されるべき絶対の保護対象なのです」

 

 祐奈は思わず、テラスのはるか上空、どこまでも青く澄んだ未来の天井を見上げた。

 もう駄目だ。価値観のスケールが違いすぎる。

 自分は今、宇宙規模の戦争を行っている最先端の超文明と、今後の作戦会議をしていたはずなのだ。それなのに、どうして自分の些細な胃痛の方が、四つの惑星の喪失よりも重く天秤を傾かせているのだろうか。一般人の理解が、完全に上限を突破してノックアウトされていた。

 

 すると、ティーユがそんな祐奈の様子を面白そうに眺めながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 

「ねえ、祐奈」

 

「……なに、もうこれ以上は驚かないよ……」

 

「たぶんね、ソフィアたち」

 

「うん」

 

「本当に、君のためなら、前線の惑星一個くらい敵に明け渡してでも『はい、これあげる』ってプレゼントすると思うよ?」

 

「やめて本当に!!」

 祐奈は即座に、全力の悲鳴を上げて叫んだ。あまりにも一国の命運が軽すぎる。

 

 しかし、その横で、ソフィアが恐ろしく真面目な顔をして、本気で脳内演算(検討)を開始してしまった。

 

「──一惑星の譲渡だけで、創造主様の精神的負荷は完全に軽減されるでしょうか。足りないようであれば、さらに追加で──」

 

「検討しないでください!! 通信を切って座って!!!」

 

 空中庭園の美しいテラスに、元会社員の悲痛な絶叫が、ただただ虚しく響き渡るのだった。

 ティーユは「あ~おかしかった」と満足そうに背もたれへ体を預けた。

 

 さっきまで机に突っ伏して笑っていたため、ティーユは非常にご機嫌である。

 肩を小刻みに震わせながら笑っていた余韻が、未だにその白い頬を微かに朱に染めて残っているらしい。

 

 祐奈はそんな彼女の様子を横から見て、深いため息をついた。

 ……絶対に、私の胃痛の原因の半分くらいはこの人が作っている。いや、多分半分どころの騒ぎではない。客観的にビジネス的な観点から見ても、かなりの高確率で、この自由奔放な英雄が元凶であるはずだ。

 

 しかし、ティーユ本人はそんな祐奈の視線など全く気にする様子もなかった。

 冷めかけた紅茶を上品に一口、喉へと滑らせる。

 

 そして──。

 ティーユは形の良い白磁のような顎に、そっと細い指先を当てた。先ほどまでの無邪気な笑顔が少しだけ薄れ、何かを考え込むように、その深い色彩を帯びた瞳が宙をさまよう。何か新しい閃きでもあったのだろうか。

 

 そのまま数秒間、テラスには鳥のさえずりだけが響く静かな時間が流れた。

 

 やがて、何かを思いついたように、ティーユは対面のソフィアへと視線を向けた。

 

「ねえ、ソフィア」

 

「はい、何でしょうか」

 

「わたしって、あなたたちから見ると、一体何になるの?」

 

 その問いに、祐奈も少しだけ興味を惹かれて耳を傾けた。そういえば、今の今まで考えたこともなかった。

 自分は「創造主」。五千年の歴史を持つソフィアたち機械文明は、自分のことをそう定義して、至高の存在として扱っている。

 

 では。

 この、神々と対等に渡り合い、数千年の時を生きるティーユという存在は、彼女たちのシステム上でどう認識されているのだろう。

 神、英雄、超常存在、あるいは未知のイレギュラー……。呼び方や概念ならいくらでもある。だが、高度な科学の枠組みで世界を管理するソフィアたちが、彼女をどう定義しているのかは確かに聞いたことがなかった。

 

 ソフィアは、その問いに対して少し考えるように、静かに長い睫毛を伏せて視線を落とした。

 数秒、十数秒と、テラスの時間が静かに過ぎていく。

 だが、ソフィアはすぐには答えを出さなかった。

 

 それは、彼女たちAIにとっては極めて珍しいことだった。

 普段の彼女であれば、どれほど複雑な世界情勢や戦術の演算であっても、一ミリの遅延もなく瞬時に答えを弾き出す。それなのに、十秒近い沈黙が、お茶会の空間を支配していた。まるで、システム内の膨大なデータベースの底から、その存在を表現するための「最も適切な言葉」を必死に検索し、精査しているかのようだった。

 

そして──。

 

「──『分類不能』です」

 

 ようやく弾き出されたソフィアの音声は、驚くほどきっぱりとした即答だった。

 

「え?」

 ティーユが意外そうに、大きな目をぱちくりと瞬かせる。

 

 祐奈はといえば、その答えを聞いて思わず深く頷きそうになっていた。

 気持ちは分かる。非常に、痛いほどよく分かる。あの核兵器の直撃をその身に受けて「ちょっと痛かった」で済ませるような存在を、一体どこの世界の生物図鑑に登録すればいいというのだ。

 

 ソフィアは至って大真面目な顔のまま、淡々とログを続けた。

 

「既存の、あらゆる生命体のカテゴリーおよび分子構造分類に該当しません」

 

ソフィアの言葉と同時に、空中のホログラムスクリーンが滑らかに表示を切り替えた。

 

――――――――――

 

【個体識別:ティーユ様】

 

・種族:不明(既存データに該当なし)

・寿命:不明(細胞劣化の兆候なし)

・起源:不明(時空歪曲による流入と推測)

・危険度:測定不能(上限値超越)

・総合分類:未登録エラーオブジェクト

 

――――――――――

 

「ちょっと、やめてよそれ!」

 

ティーユが、困ったように苦笑いを浮かべながら抗議の声を上げた。

 

「なんだか、世界を滅ぼす最悪の危険生物(モンスター)の登録画面みたいになってるじゃない!」

 

「システム上の事実です」

 

「ちょっと待ってください、それ『事実』なんですか!?」

 祐奈が思わず、身を乗り出すようにして突っ込みを入れる。

 

 ソフィアは、表情を一切変えずに深く頷いた。

 空中のスクリーンには、祐奈のツッコミを肯定するように、次々と補足のシステム項目が表示されていく。

 

――――――――――

 

【確認済み異常特性】

 

・過去ログにおいて、核兵器相当の熱量および爆圧を受けても生存を確認

・局所的な空間歪曲による、無からの物質生成(魔術現象と推測)

・既知の全物理法則、および熱力学の基本原則との不一致を複数確認

・高次元神性存在との、直接的な接触・対話履歴あり

 

――――――――――

 

 上から順に、淡々と表示されていく理不尽な項目の数々。

 祐奈は途中から、それ以上画面を見るのを放棄した。改めてこうして最新科学のモニターに整然と並べられると、ひどい有様である。完全に人間をやめているどころか、世界のバグそのものと言っても過言ではない。

 

 当のティーユ本人だけが、どこか楽しそうに、自らの異常なスペックの羅列を眺めていた。

 

「でも、これだけ色々書かれてるわりには、悪くないでしょ?」

 

「はい」

ソフィアは、そこだけは一瞬の迷いもなく即答した。

 

「私たちAI達は、ティーユ様をこの世界に対する『脅威』、あるいは『敵対対象』としては一切認識しておりません」

 

「へぇー? そうなんだ」

 ティーユが、少しだけ嬉しそうに、形の良い唇を綻ばせて笑う。

 

 すると、ソフィアは至極静かなトーンのまま、淡々とシステム上の結論を告げた。

 

「──むしろ、私たちはティーユ様を、重大な『保護対象(要介護個体)』として登録しています」

 

 テラスの空間が、一瞬にして水を打ったように静まり返った。

 ティーユの笑顔がピタリと固まる。もちろん、その隣にいた祐奈の思考も完全にフリーズした。

 

 数秒の、奇妙な静寂の後。

 

「……え?」

 ティーユが、自らの耳を疑うように、驚きながら聞き返した。

 

「ほ、保護対象……? わたしが?」

 

「はい」

ソフィアは当然のことのように、上品に頷いてみせる。

 

「ティーユ様は、個体として極めて高い戦闘能力、および超常的な演算能力を有しておられます」

 

「うん、そうだね」

 

「──ですが、それに対して、行動パターンが非常に『無防備』かつ『危なっかしい』です」

 

「……うん? ソフィアが勝手にそう感じてるだけでしょ?」

 ティーユは、少しだけ不満そうに眉をひそめる。

 

 しかし、ソフィアの客観的なデータによる追撃は止まらなかった。

 

「データによれば、ティーユ様は未知の危険現象やバグを発見した際、まず第一に『自身の目で確認しよう』と、直接肉体的な接触を試みる傾向があります」

 

「う……。よく、わたしの行動を知ってるね」

 

「分析の結果、生存に対する危険性よりも、個人の好奇心を最優先するエラーを頻発する傾向が確認されています。さらには、初対面の未知の相手に対しても、きわめて短時間で過度な友好関係を構築しようとします」

 

「それは……わたしの、誰とでも仲良くなれる長所だと思うんだけどな」

 

 祐奈は、思わずそっと二人の会話から視線を逸らした。

 悲しいかな、すべてが事実だった。この数時間の付き合いだけでも、彼女がどれほどフランクで、どれほど好奇心のままに動く危うい英雄であるかは、普通の会社員の目から見ても一目瞭然だったのだ。

 

 ソフィアは、その完璧な美貌に揺るぎない真面目さを宿したまま、最終的な論理の結論を下した。

 

「総じて、ティーユ様は単独で放置しておくと、非常にシステム上の『心配』が募る個体です」

 

「──親か!!」

 堪らず、祐奈の魂のツッコミが空中庭園に鳴り響いた。

 

 ソフィアは、一体どこにツッコミの要素があったのかと、不思議そうに小首を傾げる。

 一方で、言われたティーユ本人も、今までにないほどに大きな目を丸くして硬直していた。

 

 ティーユは数秒間、自らのこれまでの三千年の歩みを真剣に振り返るように考え込んだ後──。どこか深く納得したように、小さく頷いた。

 

「……なるほど。言われてみれば、確かに否定できないかも」

 

「そこは全力で否定してください!!」

 祐奈が即座に、声を大にしてツッコミを入れる。三千年も生きてきた世界の救世主が、五千年間眠っていた機械人形に「放置すると心配だから」という理由で保護者面されているのだ。この空間のパワーバランスは、一体どうなっているのだろう。

 

 祐奈は、そのあまりにも不条理で、けれどどこか温かい二人のやり取りに、ついに耐えきれなくなって小さく吹き出した。

 そして、お腹を抱えるようにして、くすくすと笑い始める。

 

「そっか……」

 ティーユもまた、祐奈の笑い声に釣られるように、本当に、心から楽しそうに声を立てて笑い始めた。

 

「ソフィアたちから見ると、わたしってそういう風に見えてるんだね」

 

 ソフィアは、その二人の笑顔をそっと見つめながら、静かに頷いた。

 そして、そのお人形のようだった声に、ほんの少しだけ、春の陽だまりのような柔らかい響きを乗せて言葉を紡ぐ。

 

「はい。──創造主様(祐奈様)は、私たちが総力を挙げて『守るべき存在』です」

 

「……」

 

「そして、ティーユ様は、私たちが傍に寄り添って『見守るべき存在』なのです」

 

 祐奈は、今度こそ大声を上げて吹き出しそうになった。隣のティーユも、もはや完全に降参したといった風に、おかしそうにケラケラと笑っている。

 本人は、世界の崩壊を幾度も防いできた、文字通りの神話級の超常存在だというのに。

この世界を統べる最先端のAI文明の最高責任者から下された最終評価は──。『あまりにも危なっかしくて心配なので、常に目を離さず見守る必要がある』ということだったらしい。

 

 しかし、そのソフィアの「見守る」という言葉の温かさに、祐奈の胸の中にあったすべての緊張の糸が、今度こそ完全に、心地よくほどけていくのだった。

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