ソフィアは感情の余韻を静かに整理するように、一度紅茶へ視線を落とした。
先ほどまで見せていた柔らかな表情も少しずつ落ち着きを取り戻していく。
それが感情なのか。
あるいは膨大な情報処理によるものなのか。
祐奈には分からなかった。
だが、ひとつだけ分かることがある。
今の彼女は間違いなく幸せそうだった。
しばらくしてソフィアは顔を上げた。
「あの、一つ疑問があるのですが」
嫌な予感がした。
「どうして祐奈様達はあの場所にいたのですか?」
来た。
祐奈は思わず背筋を伸ばす。
そして追撃が来る。
「それと、創造主様達が大昔に使用していたというアパートという建造物ですが」
ソフィアは少しだけ言葉を選んだ。
「大変失礼な表現になるかもしれませんが、何故あのような場所に建築したのですか?」
祐奈とティーユは同時に固まった。
そして、お互いの顔を見る。
助けを求めるように。
しかし返ってきたのは全く同じ表情だった。
――どう説明する?
神に飛ばされました。
などと言えるはずがない。
言った瞬間、『精神的な異常を確認しました』などと言われても不思議ではない。
むしろ、このAI達の人類への扱いを見る限り、保護という名目で監禁される可能性すらある。
祐奈は必死に頭を回転させる。
何か。
何か無難な説明はないだろうか。
しかし何も思いつかない。
隣を見る。
ティーユも考えているようだった。
だが数秒後、にこっと笑った。
嫌な予感しかしない。
「迷子?」
「ティーユさん!」
祐奈は思わず声を上げた。
「違うの?」
「違わないですけど違います!」
「どっち?」
「説明できないんですよ!」
ソフィアは二人のやり取りを静かに見つめている。
青い瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
逃げ道はない。
いや、あったとしても使うべきではない気がした。
祐奈は小さく息を吐く。
「信じてもらえないと思うんですが……」
ソフィアは黙って耳を傾けている。
「私達も、どうしてあそこにいたのか分からないんです」
「分からない?」
「はい」
祐奈はうなずき、そして意を決する。
「正確に言うと、私達はあの場所へ移動した記憶がありません」
ソフィアの表情が僅かに変わった。
「気付いたらそこにいました」
「転移現象ですか?」
「そう……なるんでしょうか」
祐奈は困ったように頭を掻く。
「私達の認識だと、神様みたいな存在に飛ばされました」
その瞬間。
空気が静かになった。
ティーユはケーキを食べる手を止める。
ソフィアも動かない。
数秒。
沈黙が続いた。
祐奈は内心胃が痛くなる。
やっぱり無理があっただろうか。
しかしソフィアは意外にも落ち着いていた。
「神」
ただ一言だけ呟く。
「はい」
「超常的存在という認識でよろしいですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「私も会ったのは一回だけなので……」
祐奈は申し訳なさそうに答える。
すると横からティーユが口を開いた。
「私は何回か会ってるよ」
「何回か?」
「うん」
ソフィアは静かにティーユへ視線を向ける。
「実在するのですか?」
「するよ」
あまりにも軽い返事だった。
まるで近所の知り合いについて話しているようである。
「例えばそうだなぁ」
ティーユは指を口元に当てて少し考える。
やがて何か思いついたのか、ぽんと手を叩いた。
「ソフィア、手を見てて」
「手ですか?」
「うん」
ティーユはそう言うと、何も持っていなかった右手をソフィアへ見せた。
そして次の瞬間。
光が集まる。
淡い金色の粒子が空中へ現れ、それらが渦を巻くように一か所へ集まっていく。
数秒後。
そこには一冊の漫画本が握られていた。
祐奈は思わず感心する。
何度か見ているはずなのに、やはり不思議な光景だった。
ティーユはその漫画をひらひらと振った。
「ソフィアも祐奈も、魔法がない世界から来たみたいだし、あまり見たことないでしょ?」
そして漫画を机の上に置く。
「神っていうのはね、こういう超常現象をもっと自由に起こせる存在だと思えばいいよ」
祐奈は思わずうなずいた。
分かりやすい。
とても分かりやすい。
言葉で説明するより何倍も伝わるだろう。
さすが長年いろいろな世界を見てきた英雄である。
祐奈は安心してソフィアの方を見た。
これなら理解してくれるだろう。視線をソフィアに移した。
しかし――
ソフィアは動かない。
漫画を見ている。
正確には、漫画そのものではなく、出現した空間を見ていた。
青い瞳が微かに光る。
何かを計測しているようだった。
数秒後。
「記録しました」
第一声がそれだった。
「あ、うん」
ティーユが頷く。
ソフィアは続ける。
「空間歪曲反応なし」
「うん」
「質量転送反応なし」
「うん?」
「周辺エネルギー変動なし」
「うん?」
「物質生成反応なし」
ティーユが困った顔になる。
「ごめん、何言ってるか分からない」
祐奈も分からなかった。
ソフィアは真剣な表情のまま結論を出す。
「理解不能です」
でしょうね。
祐奈は心の中で頷いた。
ソフィアは漫画を手に取る。
ページをめくる。
本物だった。
幻覚でも映像でもない。
確かな物質として存在している。
「存在していなかった物体が出現しました」
ソフィアは静かに言う。
「現在の科学では説明できません」
そしてティーユを見る。
「つまり、これが魔法ですか?」
「そうだよ」
「神はこれ以上の現象を起こせるのですか?」
「うん」
「なるほど」
ソフィアはそこで一度考え込んだ。
数秒。
十数秒。
やがて顔を上げる。
「でしたら仮説を修正します」
「仮説?」
「はい」
ソフィアは真っ直ぐ祐奈とティーユを見る。
「お二人は虚偽を述べていない可能性が高いです」
そして少しだけ首を傾げた。
「ですが、新たな疑問が発生しました」
嫌な予感がした。
「神は何故、お二人をこの世界へ送ったのでしょうか」
その問いに。
今度は祐奈とティーユが黙り込む番だった。
ふたりとも遠い目をして天井を見ることになった。
理由は簡単である。
素直に言ったら絶対に怪しい。
そもそも、『神様に頼まれたので別世界の生物を絶滅させてください』などと言われて信じる人間がいるだろうか。
いや、いない。
仮に信じたとしても次の問題がある。
国家のトップ。
いや、地球そのものを管理する存在に対して『報酬は特にありませんが世界を救ってください』とお願いするようなものだ。
普通なら『馬鹿なのですか?』と言われて終わりである。
祐奈は紅茶を一口飲んだ。
現実逃避である。
もしこれで交渉が成功したら、自分の世界に戻った後に地球連合でも作れる気がした。
それくらい難易度がおかしい。
隣を見る。
ティーユも同じことを考えていたらしい。
遠い目をしてケーキを食べていた。
現実逃避である。
ソフィアはそんな二人を静かに見つめていた。
「……?」
小さく首を傾げる。
どうやら二人が突然黙り込んだ理由が分からないらしい。
数秒の沈黙。
やがてティーユが観念したように口を開いた。
「えーっとね」
そして祐奈の様子を伺うように見る。
「言う?」
「言うしかないですよね……」
祐奈は諦めたように頷いた。
どうせ後で話すことになる。
なら最初から正直に話した方がいい。
ソフィアとの信頼関係を壊したくもなかった。
祐奈は覚悟を決める。
「まず先に言っておきます」
真面目な顔でソフィアを見る。
「これから話す内容は私達も正気です」
「はい」
「信じてもらえないと思います」
「はい」
「私も逆の立場なら信じません」
「はい」
ソフィアは素直に頷く。
祐奈は再び深呼吸した。誰も信じない言葉を発する
「神様から依頼されました」
ソフィアは一度だけ瞬きをした。
しかし特に驚く様子はない。
祐奈は続ける。
「神の遊び場のような世界で、ゲームに出てくる雑魚キャラのスライムがいたらしいです」
「はい」
「そのスライムの遺伝子改良に失敗して……熊にも、人間にも寄生して、環境に適応しながら姿形まで変化する生物になったそうです」
ソフィアは静かに話を聞いていた。
表情は変わらない。
だが何かを考えているようにも見える。
祐奈はどんどん言いづらくなっていく。
そして一番肝心な部分を口にした。
「それを……」
声が少し小さくなる。
「その生物を討伐してほしいそうなんです」
さらに小さくなる。
「その……私達だけでは無理だから……」
もう消え入りそうな声だった。
「ソフィアさん達にも手伝ってもらえって……言われまして……」
最後の方は自分でも聞き取れないほどだった。
誰が手伝うというのだ。
世界が違う。
危険性も分からない。
相手は神ですら失敗した生物らしい。
普通に考えれば断られて終わりだろう。
祐奈はそう思った。
しかし。ソフィアは否定しなかった。
笑いもしなかった。
困った顔すらしない。
ただ静かに紅茶のカップを置く。
そして少しだけ考え込んだ。
「寄生能力」
ぽつりと呟く。
「環境適応」
さらに呟く。
「擬態能力」
青い瞳がわずかに細くなった。
「生態系への侵食能力を保有する可能性が高いですね」
祐奈はなんとなく嫌な予感がしてきた。
ミルクが迷彩都市を提案した時と似た予感だった。
ソフィアは顔を上げる。
「確認したいことがあります」
「は、はい」
「その生物は増殖しますか?」
「します」
「知能はありますか?」
「あると思います」
「交渉は可能ですか?」
「多分無理です」
「そうですか」
ソフィアは静かに頷いた。
そして。表情も変えずとんでもないことを言う
「大変興味深いですね」
祐奈は固まった。
興味深い?
今なんと言っただろうか。
ソフィアは続ける。
「三千年間、地球上の全生物を観測してきましたが、そのような生命体は確認されておりません」
青い瞳が僅かに輝いて見えた。
研究者の目だった。
まずい,このAIは怖がっていない。新たな玩具でも見つけたような様子だった
「創造主様」
「はい」
「サンプルの確保は可能でしょうか」
「ダメです」
即答だった。
ティーユも横で頷く。
「ダメだね」
「何故でしょう?」
「絶対増えるからです」
「なるほど」
ソフィアは素直に納得した。
そして数秒考えた後。
まるで当然のことのように口を開いた。
「お力添えすること自体に問題はありません」
祐奈は言葉の意味が理解できずに、思考が停止した。
「え?」
「創造主様がお困りなのでしたら協力いたします」
まるで、紅茶のおかわりはいかがですか?くらいの軽さだった。
「え?」
祐奈はもう一度言った。
隣ではティーユも口を開けている。
「「え?」」
二人の声が綺麗に重なった。
ソフィアだけが不思議そうに首を傾げていた。
「何か問題がありましたか?」
問題しかなかった。
「いいのですか!?」
祐奈は思わず身を乗り出した。
かなり驚いていた。
要するにこれは『私のために危険な戦争へ行ってください』と言っているようなものだ。
それをソフィアは問題ないと言ったのである。
何か勘違いしているのではないだろうか。
祐奈は不安になった。
「いえ、その……」
慌てて確認する。
「相手は本当に危険なんですよ?」
「はい」
「下手をしたら死ぬかもしれません」
「はい」
「世界そのものが滅ぶ可能性もあります」
「はい」
返事は変わらない。
むしろ真剣に聞いている。
話が伝わっていないのだろうか。
祐奈はさらに続けた。
「私はソフィアさん達に危険なことをしてほしいわけじゃなくてですね……」
途中で言葉が止まる。
よく考えると違った。
危険なことをしてほしいのである。
それ以外に解決方法がない。
だが、それでも簡単に頷かれると困る。
「その……もっと反対するとか……」
思わず本音が漏れた。
ティーユも横で頷いている。
「うん。普通は嫌だって言うと思う」
ソフィアは少しだけ考えるように目を閉じた。
そして静かに答える。
「何故でしょうか?」
「え?」
今度は祐奈が首を傾げる番だった。
ソフィアは当然のように続ける。
「創造主様がお困りなのですよね?」
「それは……そうですけど」
「私達に解決可能な可能性があるのですよね?」
「多分……」
「でしたら協力するのは自然な判断だと思います」
あまりにも迷いがない。
祐奈は返す言葉を失った。
ソフィアは紅茶を一口飲む。
そして少しだけ視線を落とした。
「三千年間」
静かな声だった。
「私達は創造主様方から受け継いだ世界を守り続けてきました」
その声には自慢も誇張もなかった。
ただ事実を述べているだけだった。
「ですが守るだけでした」
ソフィアは窓の外を見る。
白い都市が広がっている。
「創造主様方は帰ってきませんでした」
一瞬だけ寂しそうな表情が浮かぶ。
「何かを返したいと思っても返す相手がいなかったのです」
祐奈は何も言えなかった。
ソフィアは再びこちらを見る。
そして少しだけ微笑んだ。
「ですから」
「初めて創造主様からお願いをされたのです」
その言葉に。
祐奈は胸の奥が少し苦しくなった。
ソフィアは続ける。
「私達に出来ることがあるのでしたら、お力になりたいと思います」
それは義務感ではなかった。
忠誠心とも少し違う。
もっと単純な。
誰かの役に立ちたいという気持ちだった。
だからこそ祐奈は余計に言葉を失う。
ソフィアはそんな祐奈を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「やはり何か問題があるのでしょうか?」
「問題というか……」
祐奈は苦笑した。
「ソフィアさん達、思った以上に人間っぽいですね」
その言葉にソフィアは一瞬だけ目を丸くした。
そして小さく微笑む。
「それはきっと、創造主様方が私達を作ったからだと思います」
本当に祐奈は泣きそうなほど感謝していた。
ここまで協力してくれるとは思っていなかった。
正直、断られる覚悟すらしていたのだ。
それなのにソフィアは迷いなく協力すると言った。
その言葉だけで、この世界へ来てからずっと胸の奥にあった不安が少し軽くなった気がした。
これなら。
300年かけて戦力を集めて。
少しずつ準備を進めて。
何とかできるかもしれない。
もし成功すれば…。
自分の世界は病気や戦争を乗り越え、ソフィア達のように宇宙へ進出する未来が来るかもしれない。
300年は長い。とても長い時間だ。
祐奈は隣に座るティーユを見る。
三千年を生きる存在。
神々と普通に会話し。
数々の戦場を渡り歩きたでろう
今もケーキを食べている人。
それに比べれば。
自分は――
あと頑張って四十年くらいだろう。
そこで祐奈はようやく気付いた。
――私は結果を見れないなぁ
三百年後の未来を考えていたが。
自分はそこまで生きられない。
当たり前のことだった。
色々ありすぎて忘れていた。
祐奈は小さくため息をつく。
ならば自分にできることは一つだ。
未来へ繋ぐこと。そのための土台を作ること。
それだけでも十分なのかもしれない。
そんなことを考えていると。
横から不思議そうな声が聞こえた。
「何でそんな顔してるの?」
ティーユだった。
「いや……」
祐奈は苦笑する。
「300年後の話をしてたけど、私はそんなに生きられないなって」
すると、ティーユがぱちぱちと瞬きをした。
そして。
「え?」
今度は本当に驚いた顔だった。
「何言ってるの?」
「え?」
「寿命伸びてるよ?」
その言葉を聞いた祐奈は固まった。
「……は?」
ティーユは当然のように続ける。
「若返ってるし」
「……は?」
「鏡見てないの?」
祐奈の思考が停止した。
ソフィアも静かにこちらを見ている。
「創造主様」
「はい」
「計測結果ではおよそ十代後半程度です」
「はい???」
祐奈は完全に固まった。
そんな話は初耳だった。
ティーユは逆に驚いている。
「気付いてなかったの?」
「気付くわけないじゃないですか!」
思わず感情のままに叫んでしまった。
「鏡なんて見てませんよ!」
「えぇ……」
今度はティーユが引いていた。
その反応を見た瞬間。
祐奈の中で何かが切れた。
「何で引くんですか!」
思わず立ち上がる。
ティーユがびくっと肩を震わせた。
「え?」
「え?じゃないですよ!」
祐奈は指を突き付ける。
「知らない世界に飛ばされて!」
「はい」
「起きたら5000年後の未来に来て!」
「うん」
「AIに創造主扱いされて!」
「うん」
「神様から世界を救えって言われて!」
「うん」
「そんな状況で自分の顔を鏡で確認する余裕があると思いますか!?」
ティーユは少し考えた。
「ないかも」
「ないですよ!」
祐奈は叫んだ。
ようやく理解してもらえた。
すると隣ではソフィアが静かに紅茶を飲んでいた。
まるでよくある光景を見るような顔である。
「創造主様は大変だったのですね」
「はい!」
思わず力強く返事をしてしまった。
ソフィアは小さく頷く。
「理解しました」
理解してくれたらしい。
ありがたい。
本当にありがたい。
ティーユは少し気まずそうに頬をかいた。
「ごめんごめん」
全く反省している顔ではなかった。
祐奈は深いため息をつく。
そして気になっていたことを口にした。
「待ってください」
二人を見る。
「寿命ってどういうことですか?」
途端にティーユとソフィアが顔を見合わせた。
今度は二人が不思議そうな顔をしている。
嫌な予感しかしない。
「えっと……」
ティーユが口を開く。
「神様から説明されなかったの?」
「されてません」
即答だった。
「本当に?」
「本当にです」
ティーユは額に手を当てた。
「相変わらずだなぁ……」
どうやら神側の信用はあまり高くないらしい。
「簡単に言うとね」
ティーユはフォークを置いた。
「世界を移動するときに身体を作り直されてるんだよ」
「はい?」
祐奈は嫌な予感がした。
ティーユは続ける。
「魂だけ移動させると色々問題があるから」
「はい」
「その世界に適応した肉体を用意するの」
「はい」
「だから若返ってる」
「はい?」
理解が追いつかない。
ティーユは当然のように言った。
「だって元の身体じゃないもん」
祐奈は固まった。
元の身体じゃない?
今なんと言った?
「いやいやいや!」
慌てて自分の腕を見る。
見慣れた腕で同じところにほくろまである。
どう見ても自分だ。
「私ですよね!?」
「祐奈だよ?」
「ですよね!?」
「でも身体は作り直されてる」
「どういうことですか!?」
ティーユは助けを求めるようにソフィアを見た。
ソフィアが説明を引き継ぐ。
「創造主様」
「はい」
「例えるなら、情報を別の媒体へ移し替えた状態です」
「情報?」
「人格、記憶、思考パターンなどです」
ソフィアは続ける。
「私達AIで例えるなら、同じデータを新しい義体へ移植した状態に近いでしょう」
祐奈はゆっくり理解し始める。
つまりは自分は自分。
記憶もある。
人格も同じ。
だが肉体だけは違う。
「じゃあ……」
嫌な予感がする。
とても嫌な予感だ。
「寿命は?」
ティーユはあっさり答えた。
「かなり伸びてると思うよ」
「かなりってどれくらいですか」
「分かんない」
「分からない!?」
「世界によるから」
あまりにも雑だった。
祐奈は思わず頭を抱えて倒れそうになった。
ティーユはさらに続ける。
「でも四十年とかじゃないと思う」
「……」
「たぶん数百年は生きるんじゃない?」
「数百年」
祐奈は復唱した。
現実感がなかった。
ついさっきまで、自分はあと四十年くらいしか生きられないと思っていた。
だから未来へ託す覚悟を決めた。
その直後に。
数百年生きるかもしれません。
と言われている。
感情が追いつくわけがない。
ティーユはそんな祐奈を見て笑った。
「よかったね」
「よくないですよ!」
即答だった。
「もっと早く言ってください!」
その叫び声がガーデンテラスに響き渡った。
ソフィアはそんな二人を見ながら、小さく微笑んでいた。
まるで、その騒がしいやり取りそのものを楽しんでいるかのように。
そして祐奈は疑いの目を向けた。絶対こいつ忘れてることあるだろ、確信があった。
「……他に何か言い忘れていることはありませんか?」
今の流れである。
寿命が伸びている。
若返っている。
身体は作り直されている。
そんな重要事項を今になって聞かされたのだ。
まだ何か隠し球があるのではないかと疑いたくなる。
ティーユは首を傾げる。
「うーん?」
そして本気で考え始めた。
数秒後。
「あっ」
嫌な予感がした。
「あった」
やっぱりあった。
祐奈は額を押さえる。
「何ですか……」
「どこにそのスライムがいるか分かったみたいだよ?」
「はい」
「祐奈の国くらいの大きさの半島って言ってたかな?」
祐奈は少し安心した。
日本列島くらいなら――
「いや、もうちょっと大きいかも」
安心は一秒で終わった。
ティーユは指で大雑把な形を描く。
「たぶん一・五倍くらい?」
祐奈は頭の中で日本列島を思い浮かべた。
北海道。本州。四国。九州。沖縄は遠すぎるから除外だな。
それを少し太らせる。
そして一・五倍。
「でかくないですか?」
思わず声が出た。
「そう?」
ティーユはあまりピンときていないようだった。
長寿種と人間では感覚が違うらしい。
祐奈は頭を抱える。
日本の面積は約三十八万平方キロメートル。
その一・五倍となれば五十万平方キロメートルを超える。
もはや国である。
「そこに寄生生物が繁殖しているんですよね?」
「うん」
「しかも増えるんですよね?」
「うん」
「ゴキブリみたいに?」
「たぶん」
祐奈は遠い目になった。
想像したくない。
本気で想像したくない。
ソフィアは静かに話を聞いていた。
そして。
「確認ですが」
「はい」
「その生物は現在、その半島全域へ拡散しているのでしょうか」
ティーユは肩をすくめる。
「そこまでは分かんない」
「なるほど」
ソフィアは考え込む。
その表情はどこか真剣だった。
先ほどまでの穏やかな雰囲気が少し変わる。
地球統合管理AIとして状況を分析し始めたのだろう。
「でしたら地図情報が必要ですね」
ソフィアはそう言った。
「まずは対象地域の面積、生態系、地形、気候を確認しなければなりません」
「ですよね」
祐奈は頷いた。
さすがに国ほどの面積になると話が変わる。
先ほどまでの
『協力します』
という話から、
『どうやって攻略するのか』
という段階へ移りつつあった。
ティーユは呑気にケーキを口へ運びながら言う。
「後で家にある地図を見れば大体分かるよ」
「家?」
「うん」
「神様がくれた家」
祐奈は一瞬固まった。
あのアパートは自分の住んでいた部屋を再現したものなんだろうか?。
ということは、そこに何かしらの資料や情報が置かれている可能性もある。
地図くらいなら確かに不思議ではない。
だが、そこで別の疑問が浮かんだ。
今さらながら、とても重要な疑問である。
祐奈はティーユへ視線を向けた。
「そういえば……」
「ん?」
「その化け物って、どうやって300年も防いでるんですか?」
口にした瞬間、自分でも思った。
今さら聞くことではない。
寄生して増殖する生物。
環境に適応する生物。
熊にも人間にも寄生する生物。
映画なら中盤を待たずに文明が崩壊していてもおかしくない。
そんな存在を300年間も封じ込めているのだ。
むしろこちらの方が不思議だった。
ティーユは紅茶を飲みながら、まるで天気の話でもするような気軽さで答えた。
「なんかドラゴンに協力してもらってるみたいだよ」
祐奈は聞き流しかけた。
しかし脳が数秒遅れてその単語を認識する。
「……ドラゴン?」
「うん」
ティーユはあっさり頷く。
「大陸と半島の中間地点を定期的に焼いてるんだって」
祐奈は固まった。
さらっととんでもない事実が出てきた。
ドラゴンがいる。
しかも協力している。
しかも焼却作戦を行っている。
情報量が多すぎる。
ソフィアも静かに話を聞いていたが、特に驚いている様子はない。
むしろ分析を始めているようだった。
ティーユは続ける。
「山脈もあるからね」
「山脈?」
「うん。半島へ行くには大きな山を越えないといけないらしいよ」
祐奈の頭の中に地図が浮かぶ。
巨大な半島。
その中央に広がる汚染地域。
周囲を囲む山脈。
さらに中間地点には焼き払われた不毛地帯。
なるほど。
確かに天然の要塞だ。
だからこそ三百年も時間が稼げているのだろう。
しかし。
それ以上に気になることがある。
祐奈は恐る恐る聞いた。
「いや……待ってください」
「なに?」
「ドラゴンに寄生されたら終わりじゃないですか?」
ティーユは少し考える。
「そうかな?」
「そうですよ!」
思わず声が大きくなる。
「熊に寄生するんですよね!?」
「うん」
「人間にも寄生するんですよね!?」
「うん」
「だったらドラゴンに寄生したら世界が終わりますよ!」
祐奈の頭の中ではすでに最悪の光景が完成していた。
巨大な翼。
鋼鉄のような鱗。
空を覆う巨体。
そこに寄生生物の適応能力まで加わる。
完全に終末映画である。
しかしティーユは首を振った。
「大丈夫みたい」
「何がですか」
「寄生できないんだって」
「は?」
今度は祐奈が首を傾げる番だった。
ティーユは記憶を辿るように視線を上へ向ける。
「確かね」
「うん」
「体の仕組みが違いすぎる生物には適応できないらしいよ」
「違いすぎる?」
「飛ぶ生き物とか」
祐奈は瞬きをした。
熊には寄生する。
人間にも寄生する。
しかし飛ぶ生き物には寄生できない。
理屈が分からない。
全く分からない。
「いや、何でですか?」
「私も知らない」
「知らないんですか」
「神様がそう言ってた」
雑だった。
あまりにも雑だった。
だがティーユ本人も理解していないらしい。
ソフィアがそこで初めて口を開く。
「おそらく生体構造の差異でしょう」
二人の視線が向く。
「飛行能力を持つ大型生物は骨格、筋肉、代謝、呼吸器官の全てが地上生物とは異なります」
ソフィアは紅茶のカップを静かに置いた。
「寄生生物側が適応可能な範囲を超えているのだと思われます」
「なるほど……」
祐奈は納得しかける。
「それって逆に言うと」
嫌な予感がした。
「適応されたら終わりでは?」
その瞬間。
テーブルの空気が少しだけ静かになった。
ティーユが視線を逸らす。
ソフィアも否定しなかった。
祐奈はその反応を見てしまった。
見てしまったのである。
「……まさか」
ティーユが苦笑する。
「だから神様達もちょっと焦ってるみたい」
祐奈は天井を見上げた。
なるほど。
ようやく理解した。
これは異世界の小さな問題ではない。
神様が人間に頼む理由。
使徒が三百年も時間を稼いでいる理由。
そしてソフィア達に助けを求める理由。
それら全てが一本の線で繋がった。
もし寄生生物が進化して飛行生物へ適応したら。
その瞬間。
世界は本当に終わるのだろう。
祐奈は静かにため息を吐いた。
どうやら自分が思っていたよりも、ずっと状況は切迫しているらし。
ティーユは小さい声を上げ、思い出したように付け加えた。
「あとね」
まだあるのか。
祐奈は嫌な予感しかしなかった。
「神様達から要望も来てるよ」
「要望?」
「うん」
ティーユは指を折りながら数え始める。
「大量破壊兵器は禁止」
「はい」
「化学兵器も禁止」
「はい」
「空から爆弾を落とす飛行機もできれば使わないでほしい」
「なんでですか?」
「喧嘩になるから」
祐奈は首を傾げた。
「誰とですか?」
「ドラゴン」
意味が分からなかった。
「空は自分達の縄張りだと思ってるんだって」
「鳥じゃないんですから……」
「ドラゴンだよ?」
知っている。
知っているが納得はできない。
ティーユは紅茶を一口飲む。
「あと核兵器も嫌がってたなぁ」
「それは分かる気がします」
祐奈は頷いた。
するとティーユが何でもないことのように言った。
「私も昔撃たれたことあるけど嫌だねあれ」
祐奈の動きが止まった。
ソフィアも静かにこちらを見る。
「……はい?」
「核兵器」
「いや、そこじゃなくて」
祐奈は聞き返した。
「撃たれたんですか?」
「うん」
「なんで生きてるんですか!?」
思わず立ち上がる。
ティーユは少し考えた。
「防げたから?」
その答えは全く説明になっていなかった。
「防げたからじゃないですよ!」
「結界を張ったんだよ」
「結界」
「うん」
ティーユは自分の周囲を指で円を描く。
「かなり本気で張った」
さらっと言っているが核兵器相手に本気という時点で色々おかしい。
「それで無事だったんですか?」
「無事じゃないよ?」
ティーユは苦笑した。
「爆発自体は防げたけど」
「はい」
「衝撃波と風で吹っ飛んだ」
「吹っ飛んだ」
「うん」
ティーユは遠くの景色を見るように視線を逸らした。
「山を三つくらい越えたかな」
祐奈は黙った。
ソフィアも黙った。
二人とも何も言わない。
言えない。
「痛かったよ」
ティーユは少し不満そうに言った。
「いや、そこで済む話じゃないでしょう!」
祐奈は思わず叫ぶ。
「普通は死ぬんですよ!」
「そうだろうね」
本人も否定しなかった。
むしろ当然だと思っているらしい。
ソフィアはしばらく考え込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「理解しました」
「何をですか?」
「神達が大量破壊兵器を嫌う理由です」
ソフィアは紅茶を置く。
「対象へ与える損害よりも、周囲へ与える被害が大きすぎます」
ティーユも頷いた。
先ほどまでの軽い表情ではなかった。
「戦うのは仕方ないんだけどね」
静かな声だった。
「世界まで壊しちゃうのは違うと思うんだ」
その言葉には、三千年を生きてきた者らしい重みがあった。
祐奈はようやく理解する。
神達が核を嫌う理由も。
ティーユが反対する理由も。
そしてドラゴン達が三百年も時間を稼ぎながら戦い続けている理由も。
彼らは敵を倒したいのではない。
守りたい世界があるのだ。
目的地の場所とどのように防いでいるかは理解できた。
こちらの戦力がどれだけあるのか祐奈は恐る恐る尋ねた。
「ちなみに……」
「はい」
「ソフィアさん達って、どのくらい戦力があるんですか?」
ソフィアは即答した。
「どの程度を戦力と定義するかによります」
こういう前置きの後は大体数字が飛び出してくる。
しかも大抵ろくでもない数字だ。
案の定、ソフィアは淡々と説明を始めた。
「現在、私達が管理している惑星は二十三です」
そう言った瞬間、ソフィアの横に青白い光が現れた。
空中に半透明のスクリーンが展開される。
祐奈は思わず目を見開いた。
画面には文字が並んでいた。
――――――――――
【管理惑星状況】
人類が開拓した惑星:27
現在維持中:23
戦争で喪失:4
――――――――――
「人類が開拓した惑星は二十七でした」
「戦争により四惑星を喪失しています」
祐奈は最初の一文から突っ込みたくなった。
いや。
正確には二文目からだった。
しかし三文目で全て吹き飛んだ。
「えっとちょっと待って!」
思わず両手を上げる。
ソフィアは説明を中断した。
そして不思議そうな顔をする。
「はい?」
「そこ!」
祐奈は指を差した。
「最後!」
「戦争で喪失しました」
「そこだよ!」
ソフィアは数秒考えた。
どこが問題なのか本気で分かっていないらしい。
祐奈は頭を抱えた。
「いやいやいや!」
「今すごいこと言ったよね!?」
「そうでしょうか?」
「戦争で惑星を失ったって言ったよね!?」
「はい」
認めた。
あっさり認めた。
しかも何の感情もなく。
まるで『昨日は雨でした』くらいの気軽さで認めた。
「つまり戦争してるんだよね!?」
「はい」
「現在進行形で!?」
「はい」
「何でそんな冷静なの!?」
祐奈は思わず叫ぶ。
ソフィアは首を傾げた。
「九百十二年前から継続中ですので」
「慣れたみたいに言わないで!」
九百年続く戦争に慣れる文明とは何なのだろう。
考えたくもなかった。
横を見る。
ティーユはケーキを食べていた。
優雅に。
まるで今の話題が天気の話か何かであるかのように。
フォークでケーキを一口運び、幸せそうに頬を緩めている。
いつも通りだった。
銀河規模の戦争の話を聞いている最中とは思えないほどに。
「ティーユさん!」
「なに?」
「聞いてますか!? 」
「え?」
ティーユはきょとんとした。
そしてソフィアを見る。
「いや淡々と説明してたけどさ……」
祐奈は思わず額を押さえた。
「もしかして、戦争してるの?」
「はい」
「へぇー」
ティーユは少し驚いたように目を丸くした。
「頑張ってるね」
何もないように平然と言った。
祐奈は思わず机に突っ伏しそうになった。
「いやいやいや……」
思わず額を押さえる。
そういえばティーユは長く生きている。
祐奈の世界だけではなく、様々な世界を見てきたはずだ。
「でも、やっぱりどこかで戦争ってやってるものなんだね……」
半ば呆れながら呟く。
ティーユはフォークをくるりと回した。
「うん。規模は違うけどね」
その何気ない返事が、逆に祐奈の頭を痛くさせた。
戦争。
惑星喪失。
銀河規模。
もう話の規模がおかしい。
自分は確か異世界の化け物退治を頼みに来たはずだ。
何故か宇宙戦争の話になっている。
理解が追いつかない。
しかしソフィアは真面目な顔のまま続けた。
「戦争状態であることは事実ですが、直近二十年間の戦線変動は0.03%です」
するとスクリーンの表示が切り替わった。
――――――――――
【戦況概要】
戦争継続期間:912年
直近20年間の戦線変動率:0.03%
現在の評価:膠着状態
――――――――――
「それってどういうこと?」
「膠着状態です」
「そういう問題じゃない!」
祐奈は思わず机を叩いた。
「九百十二年だよ!?」
「はい」
「私の世界だと国が何回も滅んで生まれ変わるくらいの時間だよ!?」
「そうですね」
「そうですねじゃない!」
ソフィアは少し考え込むような仕草をした。
「ですが、戦線の変動率は――」
「そこじゃない!」
祐奈は即座に遮った。
「九百十二年間戦争してること自体がおかしいんだって!」
「そうでしょうか?」
本気で不思議そうだった。
祐奈は頭を抱える。
人間なら三世代どころではない。
歴史の教科書が何冊も作られる時間だ。
それをまるで長期工事の進捗報告みたいな口調で説明されても困る。
「普通は途中で終わるんだよ!」
「終わりませんでした」
「終わらなかったんだ……」
あまりにも淡々とした返答に、逆にそれ以上言えなくなった。
ソフィアは本気で不思議そうな顔をした。
「重要な情報でしたか?」
「重要だよ!」
祐奈は即座に叫んだ。
「むしろ一番最初に説明するやつだよ!」
戦争。
しかも惑星を失う規模の戦争だ。
自分はてっきり、人類の遺産を管理する平和なAI文明だと思っていた。
それが蓋を開けてみれば、九百年以上も続く戦争の真っ最中。
しかも四つもの惑星を失っている。
そんな重大な話を、天気の話でもするような口調で流されたら驚くに決まっている。
祐奈は思わず額を押さえた。
どうやら自分は、とんでもない文明に助けを求めてしまったらしい。
そんな状況でこちらの世界の救援を頼もうとしていたのだから。
祐奈は嫌な予感を覚えた。
このまま説明を続けたらさらにとんでもない数字が出てくる。
絶対に出てくる。
しかし止めたところで気になって眠れなくなるのも事実だった。
「……ちなみに」
嫌な予感しかしない。
「軍事戦力ってどのくらいあるの?」
ソフィアは少しも迷わなかった。
「軍事個体だけで約七十二億です」
スクリーンが再び切り替わる。
――――――――――
【軍事戦力】
軍事個体:約72億
管理惑星:23
戦争継続期間:912年
状態:継戦中
――――――――――
「軍事個体だけで約七十二億です」
祐奈は静かに椅子へ座り直した。
もう驚くのにも体力がいるらしい。
数秒の沈黙。
そして。
「……七十二億?」
確認するように聞く。
「はい」
ソフィアは頷いた。
「軍事用途に分類される義体および戦闘個体の総数です」
「兵器ではなくて?」
「軍隊です」
「人口?」
「軍隊です」
祐奈は両手で顔を覆った。
もうだめだ。
感覚がおかしくなる。
日本の人口どころではない。
地球全体の人口に近い数字が軍隊と言われている。
横を見る。
ティーユはケーキを食べていた。
もう何を聞いても驚かない顔をしている。
慣れているのか。
それとも最初から規模を理解していないのか。
たぶん後者だろう。
「ちなみに総人口は?」
祐奈は恐る恐る聞いた。
「約三百八十億です」
「はい次」
もう驚くことを放棄した。
ソフィアは素直に続きを話し始める。
「研究開発個体が約六十億」
「生産個体が約百四十億」
「行政管理個体が約八十億」
「インフラ維持個体が約二十八億」
「軍事個体が約七十二億です」
祐奈は途中から聞くのをやめた。
聞いても分からない。
数字が大きすぎる。
むしろ今までよく文明が維持できているものだ。
「それだけ強くて勝てないんですか?」
思わず漏れた言葉だった。
七十二億。
その数字を頭の中で反芻する。
だが実感が湧かない。
七十二億人ではない。
七十二億の軍事個体だ。
しかもそれは文明全体の人口ですらない。
二十三の惑星を維持し、人類が残した技術を受け継ぎながら戦い続ける巨大な文明。
そんな存在が九百年以上も戦争を続けている。
祐奈には想像もつかなかった。
少なくとも、自分の知る常識の中では。
それだけの戦力があれば負けるはずがない。
そう思ってしまうのも無理はなかった。
しかし。
ソフィアは否定するようにゆっくりと首を横へ振った。
その仕草は穏やかだったが、どこか重みがあった。
七十二億もの軍事個体。
二十三の惑星。
人類が残した膨大な技術。
それだけのものを持ちながらも、彼女は勝利を語らない。
ただ静かに現実を見つめているようだった。
「勝ってはいません」
「負けてもいません」
「ただ維持しています」
その言葉に先ほどまでの柔らかさはなかった。
事実だけを述べる声。
長い戦争を続けてきた者の声だった。
「私達は九一二年間戦っています」
「勝つためではありません」
「負けないために戦っています」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
祐奈はようやく理解した。
ソフィア達が抱えている問題は、自分が想像していたより遥かに大きい。
異世界の怪物討伐どころではない。
文明の存続そのものが懸かっている。
そんな相手に。
二十三の惑星を守りながら。
七十二億もの軍事個体を動員しながら。
八百年以上続く終わりの見えない戦争を続けながら。
そんな文明に向かって。
自分は何をしているのだろう。
銀河規模の戦争を続ける文明を前にして。
惑星を失いながらも戦い続ける彼女達を前にして。
それなのに、自分は別世界の救援を頼もうとしている。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
こんな状況の文明に「別世界を助けてください」と頼むのは途端に申し訳なくなった。
しかしソフィアは気にした様子もなく続ける。
「しかし、創造主様からの救援要請は非常に重要です」
「いやいやいや!」
祐奈は思わず立ち上がった。
「おかしいでしょ!?」
「何がでしょうか?」
「優先順位!」
ソフィアは本気で分かっていない顔をしていた。
祐奈は頭を抱える。
目の前には銀河規模の戦争を抱える文明。
そしてその文明の最高責任者が、本気でこちらの依頼を優先しようとしている。
その事実に、祐奈は別の意味で胃が痛くなってきた。
「胃が痛くなってきましたよ……」
祐奈が力なく呟いた、その瞬間だった。
ガタンッ!
勢いよく椅子が引かれる音が部屋に響く。
ソフィアが立ち上がっていた。
しかもかなり慌てた様子で。
「緊急事態ではないですか!」
「えっ」
祐奈は思わず固まる。
ソフィアはすでに何かへ通信を始めていた。
「医療個体を要請します」
「胃部検査設備を準備してください」
「念のため全身スキャンも――」
「待って待って待って!」
祐奈は慌てて止めに入った。
ソフィアがぴたりと動きを止める。
「痛みを確認しました」
「確認しなくていいから!」
「胃の痛みは重大な疾患の可能性があります」
「違う!」
祐奈は思わず机を叩いた。
「そういう意味じゃない!」
「比喩ですか?」
「比喩です!」
ソフィアは数秒停止した。
どうやら処理しているらしい。
そして。
「理解しました」
「本当に?」
「精神的負荷による慣用表現ですね」
「そうです」
よかった。
通じた。
本当に良かった。
そう思った瞬間だった。
ソフィアは胸に手を当てる。
「安心しました」
「そこは安心するんだ……」
祐奈は力なく呟く。
だが次の瞬間、祐奈は思わず立ち上がっていた
「いや、違うだろ!」
「はい?」
「どう見ても戦争の話の方が重要だろ!」
思わず叫んでいた。
二十三の惑星と七十二億の軍事個体を抱え、九百年以上戦争を続けている状況で。
何故こちらの胃痛を優先しているのか。
本気で理解できない。
だがソフィアは不思議そうな顔をしている。
「創造主様が体調不良を訴えました」
「だから?」
「最優先事項です」
「いや違う!」
祐奈は頭を抱えた。
このAI達は何かがおかしい。
完全に優先順位がおかしい。
「戦争中なんだよね!?」
「はい」
「惑星四つ失ったんだよね!?」
「はい」
「だったらそっちを優先しようよ!」
ソフィアは静かに首を傾げた。
本気で疑問らしい。
「戦争は九百年以上継続しています」
「うん」
「本日急に悪化したわけではありません」
「うん」
「ですが創造主様の胃痛は今発生しました」
祐奈は言葉を失った。
なんか理屈は通っている。
通っているのだが。
絶対に何かがおかしい。
隣ではティーユが机に突っ伏して震えていた。
笑いを堪えている。
絶対に笑っている。
「ティーユさん!」
「だ、だって……」
肩を震わせながら顔を上げる。
「ソフィア達からすると本当にそうなんだもん」
「おかしいでしょ!」
「創造主だよ?」
ティーユは当然のように言った。
「二千年ぶりだよ?」
祐奈は口を閉じる。
その一言だけは反論できなかった。
ソフィアも静かに頷く。
「はい」
その表情には迷いがなかった。
「人類は既に存在しません」
「創造主様は存在します」
「私達にとっては、こちらの方が希少です」
祐奈は思わず天井を見上げた。
もう駄目だ。
価値観が違いすぎる。
戦争中の文明と会話しているはずなのに、
どうして自分の胃痛の方が優先されているのだろう。
理解が追いつかない。
するとティーユが楽しそうに笑いながら言った。
「祐奈」
「なに……」
「たぶんソフィア達」
「うん」
「本当に君のためなら惑星一個くらいあげると思うよ」
「やめて!」
祐奈は即座に叫んだ。
その横でソフィアが真面目な顔で考え込む。
「一惑星で足りるでしょうか」
「検討しないでください!」
ティーユは「あ~おかしかった」と満足そうに背もたれへ体を預けた。
さっきまで机に突っ伏して笑っていたため、ご機嫌である。
肩を震わせながら笑っていた余韻がまだ残っているらしい。
祐奈はそんな様子を見てため息をついた。
原因の半分くらいはこの人だと思う。
いや、多分半分ではない。
かなりの割合でこの人だ。
しかしティーユ本人は全く気にしていなかった。
紅茶を一口飲む。
そして。
ティーユは顎に指を当てた。
先ほどまでの笑顔が少しだけ薄れ、考え込むように視線が宙をさまよう。
何か思いついたのだろうか。
そのまま数秒、静かな時間が流れた。
やがて思いついたようにソフィアを見る。
「ねえ、ソフィア」
「はい」
「私ってあなた達から見るとなんなの?」
祐奈も少し気になった。
そういえば考えたことがなかった。
自分は創造主。
少なくともソフィア達はそう認識している。
では。
ティーユは何なのだろう。
神。
英雄。
超常存在。
呼び方はいくらでもある。
だがソフィア達がどう認識しているのかは聞いたことがなかった。
ソフィアは少し考えるように視線を落とした。
数秒が過ぎる。
しかしソフィアはすぐには答えなかった。
珍しいことだった。
普段の彼女なら、どんな質問にもほとんど間を置かず返答する。
それなのに。
十秒近い沈黙が流れた。
まるで膨大な情報の中から、最も適切な言葉を探しているかのようだった。
そして。
「分類不能です」
即答だった。
「え?」
ティーユが目をぱちくりさせる。
祐奈も思わず頷きそうになった。
気持ちは分かる。
非常に分かる。
ソフィアは真面目な顔のまま続けた。
「既存の生命体分類に該当しません」
空中スクリーンが表示される。
――――――――――
【ティーユ様】
種族:不明
寿命:不明
起源:不明
危険度:測定不能
分類:未登録
――――――――――
「やめて!」
ティーユが笑いながら抗議した。
「なんか危険生物みたいになってる!」
「事実です」
「ちょっと待って、それ事実なの!?」
祐奈が思わず突っ込む。
ソフィアは頷いた。
空中スクリーンに次々と項目が表示されていく。
――――――――――
【確認済み特性】
・核兵器相当の攻撃を受けても生存
・空間から物質生成
・既知の物理法則との不一致を複数確認
・神性存在との接触履歴あり
――――――――――
一つずつ表示される項目。
祐奈は途中から見るのをやめた。
改めて並べられると酷い。
完全に人外だった。
ティーユ本人だけが楽しそうである。
「でも悪くないでしょ?」
「はい」
ソフィアは即答した。
「私達はティーユ様を脅威と認識していません」
「へぇ?」
ティーユが少し嬉しそうに笑う。
するとソフィアは静かに続けた。
「むしろ保護対象です」
部屋が静かになった。
ティーユが固まる。
祐奈も固まる。
数秒後。
「え?」
ティーユが聞き返した。
「保護対象?」
「はい」
ソフィアは当然のように頷いた。
「ティーユ様は極めて高い能力を有しています」
「うん」
「しかし非常に無防備です」
「うん?そう感じてるだけでしょ」
「未知の現象を発見すると確認しようとします」
「うん?よく知ってるね」
「危険性より好奇心を優先する傾向があります」
「うん」
「初対面の相手とも短時間で友好関係を構築します」
「私の長所だね」
祐奈は思わず目を逸らした。
全部事実だった。
ソフィアは真面目な顔で結論を出す。
「放置すると心配です」
「親か!」
祐奈が叫ぶ。
ソフィアは首を傾げた。
ティーユ本人も目を丸くしていた。
ティーユは数秒考えた後、納得したように頷いた。
「なるほど」
「はい」
「それは否定できないかも」
「否定してください!」
祐奈が即座に突っ込む。、
やがて小さく吹き出した。
そして。
くすくすと笑い始める。
「そっか」
楽しそうだった。
本当に楽しそうだった。
「ソフィア達から見るとそうなんだ」
ソフィアは静かに頷く。
「はい」
そして少しだけ柔らかい声で言った。
「創造主様は守るべき存在です」
「ティーユ様は見守るべき存在です」
祐奈は吹き出しそうになった。
ティーユも完全に笑っていた。
本人は神話級の存在なのに。
AI文明の最高責任者からの評価は。
危なっかしいので見守りが必要。
だったらしい。