飼い猫モンブランの魔法   作:矢崎未紗

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飼い猫モンブランの魔法(3)

「この子、私の兄弟みたいな子で……いなくなってしまって本当に心配で……でも、親切な人に保護していただいたようで、安心しました。お名前をお訊きしてもよろしいですか?」

「舘石……舘石翔太といいます」

「舘石さんですね。本当にありがとうございました」

「ニャーア」

 

 彼女はモンブランを抱いたまま、器用に頭を下げる。するとモンブランも主人を見習うように、お礼のような鳴き声を出した。翔太はしばらく、頭を上げた彼女の微笑を呆けたように見つめる。

 

「あの、何かお礼をさせてください」

 

 女性は翔太を見つめ返し、そう申し出た。曇りのない純粋そうな瞳が、翔太の冷たい瞳を捉える。

 

「いや、いいですよ。たいしたことはしていないですし」

「でもこの子、図々しいところがあるから……ご迷惑をおかけしたんじゃないかと思うんです。ご飯代とか……その、舘石さんに要らない出費をさせてしまったかと思いますし」

「ニャー」

 

 そんなことないですよ、ご主人様――モンブランはおっとりと鳴く。

 それを聞いて、翔太は苦笑した。

 

「たしかに、ずいぶん図々しい猫だとは思いました」

「やっぱり! こら、モンブラン」

「ニャ?」

「そうやってごまかさないの。舘石さんにいったいどんな迷惑をかけたの!」

「ニャァ……」

 

 女性はモンブランの言葉がわかり、そしてモンブランは女性の言葉をわかっているようだ。兄弟みたいだということが、他人事ながらも頷ける。

 

「もうっ……。でも、私のために逃げてくれたのかな」

「どういうことですか?」

 

 女性の言葉が腑に落ちなかった翔太は、思わず尋ねていた。

 さっさとこの場を立ち去ろうかとすら考えていたのだが、自分でも不思議なことに、目の前の女性をもっと見ていたい――彼女と言葉を交わしていたいと思う自分がいた。

 

「その……私事なんですが、今度お見合いをするんです」

「お見合い?」

「はい。父の仕事の取引先の息子さんと……父も私も、仕事の関係上、断れなくて……。でも、私は全然そういう気になれなくて」

「まだ結婚したくないからですか」

「そう……じゃないんです」

「ニャァン……」

 

 モンブランを抱え直し、女性は真剣な眼差しで答えた。

 

「仕事とか親とか、そういうしがらみなんて関係なしに、好いた人と一生を添い遂げたい……それが理想なんです。だから、急なお見合いで将来を決めたくなくて……」

 

 女性は翔太よりやや若いだろう。それなのに、ずいぶんと大人びた落ち着きがある。真面目で誠実で、おしとやかだが自分の意思をしっかりと持っている。けれど、無理に我を通そうという意地の強さはないので、「父の仕事の取引先の息子」という、利害関係が明らかな相手をきっぱりと断れないようだ。

 

「そう悩んでいたら、モンブランがいなくなったんです。この子、本当の兄弟みたいに一緒に育った大事な子なので……私、とても気が動転してしまって……。そしたら、それを知った先方が、この子が見つかるまでお見合いを延期してくれたんです。それで、毎日必死にこの子を捜していたんですけど……」

「モンブランは無事に見つかり、一安心。でも、いよいよ見合いをしないといけない……ということですね」

「はい……。でも、モンブランを捜している間はモラトリアムが延びました。それに、この子を捜している間に、それとなく決心もついたように思うんです。モンブランと一緒なら、きっと大丈夫だと思うから」

 

 そうは言うものの、女性は目を伏せた。ヒマワリのような笑顔は、梅雨の空を思わせる湿った雲のように淀んでいた。断れないお見合いの先に待ち受ける、自分が心から望んだわけではない未来を憂えていることは明らかだった。

 

「あっ、でもその前に、舘石さんにお礼をしないと」

「ニャーニャー」

「そうだそうだ、じゃないの! 迷惑をかけたのはモンブランなんだからね!? もうっ」

 

 女性はぷりぷりとした表情で、モンブランの頭をぐりぐりと雑になでた。

 受け入れがたいと思いつつも、自分の心の中を整理し、受け入れようとするいじらしさを持つ彼女。自身が本当に望むものとは相違している未来を受け入れる覚悟を彼女がしていることを、彼女の父親やその見合い相手は知っているのだろうか。そんな人生で、果たして彼女は幸せになれるのだろうか。そう考えると、翔太は胸の奥深くで何かがチクリと痛むのを感じた。

 

「ところで、あなたのお名前は?」

「え、あっ、すみません。私は国沢桜子といいます」

「国沢さん、不躾を承知で尋ねますが、お見合い相手のお父上……国沢さんのお父上の取引先とは?」

「えっと……景陽(けいよう)ファイナンシャルサービスの社長です。私の父は小さいながらも会社を経営していまして、景陽さんには昔から融資していただいているんです」

「景陽ファイナンシャルサービスか……問題ないですね」

 

 翔太はニヤりと口元を上げて笑うと、桜子に近付いた。そして、桜子に抱かれたままのモンブランの頭をなでる。

 

「舘石さん……?」

「あなたの大切な飼い猫にここ数日、ずいぶんと癒やしてもらいました。お礼をするなら俺のほうです。そんなわけで、そのお見合いには俺が一緒に行きます」

「えっ!? な、なんでですかっ!?」

「あなたはその相手との結婚を断りたい。それなら、俺を結婚する予定の男だと紹介して断ればいい。相手がいるんじゃ、向こうも諦めるしかないでしょう。まあ、ちょっとした茶番です」

「で、でもっ……それじゃ舘石さんにご迷惑ですし……それに、相手がいるぐらいで先方が諦めるかどうかも……」

「大丈夫、必ず諦めます。なにせ、相手はこの俺ですから」

「えっ? それはどういう……?」

 

 桜子は不思議そうな表情で翔太を見上げた。

 

「舘石グループの御曹司が相手と聞けば、景陽ファイナンシャルサービスなんて退()くしかないってことですよ」

「舘石……舘石って……えっ、あの舘石グループの!?」

「そういうことなので、お見合い前にもう少し距離を縮めませんか、国沢さん」

 

 翔太は勝ち誇った笑みを浮かべると、桜子のひたいに小さなキスを一つ落とす。

 

「ンニャァ~」

 

 そんな二人の間で、モンブランが満足そうに鳴いた。

 

 

   ◆◇◆◇◆

 

 

「全部、お前の狙いどおりか?」

「ニャ?」

 

 それから、幾度も季節が巡った。

 ソファに座っている翔太は一枚の写真を見ながら、自分の膝の上で丸くなる猫に問いかける。しかしその猫――モンブランはあの時よりさらに老いて、最近は以前にも増しておっとりとしている。起きていても、こうして動かずにいる時間のほうが多い。だが、翔太かその妻がソファに座っていれば、必ず近くに寄ってくるところは変わらない。

 

「主人思いだな」

「ニャァ」

 

 もちろんですとも――そう言っているのだろうか。近頃は妻だけでなく、自分までモンブランの言っていることがわかるようになってしまった気がする。

 翔太が見ている写真の中では、純白のドレスを着たモンブランの飼い主が、白いタキシードを着た翔太の横で幸せそうにほほ笑んでいた。そしてその笑顔は、今も翔太の一番近くにある。

 

「翔太さん、ご飯ですよー」

「ああ、ありがとう」

「ニャアァ」

「お前じゃない」

「モンブランのご飯もありますよー。そう邪険にしないでください」

「ニャーア」

 

 勝ち誇ったようなモンブランの鳴き声。その表情は心なしか、桜子のひたいに初めてのキスをしたあの日の翔太のように勝ち誇っていた。

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