ブルーアーカイブ 透き通る青春よ永遠なれ   作:Jon.Do

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初めて少しだけラブコメしたので初投稿です


第九.五話 砂狼の夜

 昼間の容赦ない暑さなんてものは綺麗さっぱり忘れたかのように、冷たい風が窓から吹き込んでくるアビドスの夜。

 銀時は、アヤネが用意してくれた薄手のブランケットを上半身に被せながら窓の外に広がる月光に照らされた砂漠を眺めていた。静まり返った夜の砂海は、昼間よりもずっと冷酷で、静かに学校を侵食しているように見える。

 

『数十年前に大規模な砂嵐が……』

 

『それから毎年のように……』

 

 静寂の中で、昼間にアヤネが落としたあの言葉が、頭の奥で何度も逡巡していた。

 あの様々な意味で汚い街で過ごしてきた勘が、その裏にある「きな臭さ」を敏感に察知している。自然災害、砂漠化。一見すればただの天災だが、こういうのは大抵、裏で何処かの汚い大人が糸を引いているものだ。土地の価値を暴落させ、借金で身動きを奪い、合法的に毟り取る。そんなヤクザ紛いのやり口は、嫌というほど見てきた。今回のは環境操作なんて随分とスケールが大きいものではあるが。

 なんとなく全貌の検討はついている。だが、あの子たちにそんなことを気付かせたくはなかった。

 借金返済のために泥水をすするような生活を強いられているだけでも十分すぎる。これ以上、大人のドス黒く汚い世界なんてものは、まだ知らなくていい。

 ふぅ、と重いため息を夜風に逃がしてから、ソファの上で寝返りを打った、その時だった。

 トントン、と遠慮がちに引き戸を叩く音が、静かな廊下に響いた。

 

「……先生、入っていい?」

 

「お、シロコか。お前、まだ帰ってなかったん?」

 

 扉の向こうからかけられた、いつもと変わらない淡々としたシロコの声。銀時はブランケットを肩に引っ掛けたままのっそりと起き上がり、引き戸を開けて彼女の姿を確認した。

 そこには、昼間の制服姿に薄手のパーカーを羽織り、手には温かそうな湯呑みを二つ持ったシロコが佇んでいた。

 

「ん、ローテ組んで学校の夜の見張りをしてるから。今夜は私の番」

 

「へーえ、そりゃご苦労なこって。ま、取り敢えず入んな」

 

 銀時が横に退いて道を開けると、シロコは「ん」と短く頷き、静かな足取りで埃っぽい空き教室へと足を踏み入れた。

 

 シロコは持ってきた湯呑みのひとつを教卓の上にコト、と静かに置くと、銀時の向かい側にあるパイプ椅子へとちょこんと腰掛けた。

 夜の冷気で少し冷えた部屋の中に、置かれた湯呑みからふわりと甘く温かい香りが立ち上る。

 

「お、生姜湯たあ気が効くじゃん。夜の砂漠は冷えるからさ、こういうのあったまるから好きなんだよな」

 

「ん。甘いものが好きだって聞いたから。砂糖、少し多めに入れておいた」

 

「さんきゅ。アヤネちゃんもだけどさ、お前さんのそういう気遣いの良さも、いい嫁さんになれそうだな。アビドスの娘は家庭力高めの縛りでもあるわけ?」

 

 からかうようにニカッと笑う銀時の言葉に、シロコは一瞬ポカンとした後、その言葉の意味を理解したのか、白みを帯びた獣耳をペタチ、と分かりやすく頭に伏せた。

 

「……もう、バカ。先生、からかいすぎ」

 

 かすかに赤らんだ顔を隠すように、シロコは両手で湯呑みを包み込み、フーフーと息を吹きかけながら生姜湯をズズッと啜る。

 銀時もそれに合わせて、あちち、と小さく零しながら温かい液体を口に運んだ。喉を焼くような生姜の辛みと、五臓六腑に染み渡るような優しい糖分。ふぅ、と同時に二人の口から白い息が漏れ、なんとも言えない穏やかな時間が流れ始める。

 しばらくそうして、交互に湯呑みを啜る音だけが響いていたが、シロコがふと、湯呑みを見つめたまま静かに口を開いた。

 

「……先生って、キヴォトスの『外』から来たって言ってたよね」

 

「ん? ああ、まあな。気付いたらこんな街に放り出されてたわけよ。それがどしたん?」

 

「……どんなとこだったの? 先生のいた、その『外』の世界って」

 

 シロコは湯呑みから顔を上げ、じっと銀時を見つめた。

 ヘイローを持たない、けれど銃弾を木刀一本で叩き落とすような、底知れない強さと不思議な優しさを持った大人。そんな彼を育んだ「外の世界」がどんな場所なのか、彼女は純粋な好奇心、あるいは少しの憧れを孕んだ瞳で、その答えを待っていた。

 

「……そうさなあ。キヴォトスの街に出た時も感じたが……なんとなく似てるわ。ここじゃ犬頭だの猫頭だのの大人がいるみてえだが、同じような見た目の変な宇宙人が歩いてるようなとこさ」

 

「宇宙人?」

 

 聞き慣れない単語に、シロコの丸い獣耳がピクリと跳ねる。

 

「そ。俺らの世界じゃ『天人(あまんと)』って呼んでたけどな。動物の顔だけじゃなくてタコだの虫だの、一昔前のSF映画から飛び出してきたようなツラした奴らが、当たり前のようにのさばってんの。だからさ、初めてキヴォトスでスーツ着た柴犬のオッサン見た時も、『あー、こっちにも似たようなのいんのね』くらいにしか思わなかったわ」

 

 銀時は生姜湯を一口啜り、どこか遠い目をして、窓の向こうの暗い夜空を見上げた。

 

「まあ、こっちみたいに女子高生がアサルトライフル片手にチャリ乗り回してるような狂った光景は、さすがの江戸でもお目にかかれなかったけどな」

 

「ん、それは心外。私たちは至って普通に学校に通ってるだけ」

 

 シロコは少し不満げに頬を膨らませたが、すぐにその「天人」という言葉を頭の中で反芻するように、じっと自分の湯呑みを見つめた。

 

「……先生のいた世界は、私たちとは全然違うんだね。……そういえば先生って、いつも木刀持ってるよね。元の世界では万事屋をやってたって言ってたけど。なんで木刀を持ってるの?」

 

「あー、これか? 俺ぁこう見えて侍って時代遅れの生きた化石みてえなモンでね。廃刀令ってのが出されても近くに刀がある生活ばっかしてたからおしゃぶり代わりに持ってるようなもんよ」

 

「おしゃぶり……」

 

 シロコは銀時の腰元にある木刀をじっと見つめた。

 キヴォトスにおいて、武器とは「銃」だ。弾丸を弾くヘイローを持つ彼女たちにとって、剣や刀といった近接武器はあまり一般的ではない。ましてや、彼が持つようなただの木の棒なら尚更だ。

 けれど、先日のヘルメット団との戦いで、銀時がこの木刀一本で銃弾を叩き落とした光景をシロコは忘れていない。ただのおしゃぶりにしては、頑強が過ぎるのではないか? と思うくらい。

 

「ん。おしゃぶりにしては、すごく強そう。ヘルメット団の銃弾も、全部弾いてた」

 

「まあ、ほら。これ洞爺湖の仙人から貰った奴だからな。そこらの棒切れとは違うわけよ。ぶっちゃけ必殺技の伝授とかもお願いすればやってくれるハイテク木刀だからね?」

 

「……どーだか」

 

 そんなファンタジーじみた木刀の出自に、くす、と小さく笑うシロコ。けれど彼女は、ふざけた口調で煙に巻こうとする銀時の態度を責める風でもなく、その『洞爺湖』と刻まれた掠れた文字を、どこか寂しそうに眺めていた。

 

「……ね、先生は元の世界に戻りたいと思う?」

 

 シロコが静かに、けれどどこか恐れるような響きを帯びた声で問いかけた。

 せっかく見つけた「自分たちの話を聞いてくれる大人」。それどころか、一緒に借金を返すとまで言ってくれた風変わりな万事屋。彼がいつか、自分たちの手の届かない遠い世界へ消えてしまうのではないかという不安が、その小さな肩をわずかに揺らす。

 

「あー、まあな。犬の散歩もしなくちゃいけねーし、家賃もアホほど滞納してるしな。今頃あの眼鏡と酢昆布娘さんが、血眼にして街中探し回ってンじゃねーかって気が気じゃねえんだわ。帰ったら帰ったで、二人の他に大家のババアにドヤされるのはわかりきってるんだが……」

 

 銀時はそう言って、空になった湯呑みを教卓の上に置くと、目を細めながら優しく微笑んだ。

 

「……お前らにとってのアビドスが、何があっても守りてえ、帰る場所であるのと同じよーにさ。俺にとっても、帰る場所はやっぱりあそこなんでね」

 

 それは、どれだけこの街の居心地が良かろうと、どれだけ生徒たちと絆を深めようと、彼が「坂田銀時」である限り変わらない絶対の真実だった。

 その言葉を聞いた瞬間、シロコは言葉を失い、寂しそうに小さく俯いた。白みがかった獣耳が、今度は悲しげにしんなりと垂れ下がる。

 大人はいつか自分たちの前からいなくなる。その残酷な現実を突きつけられたような気がして、シロコは胸の奥がキュッと締め付けられるような痛みを覚えていた。

 

「……心配すんなよ」

 

 俯くシロコの様子に、銀時は困ったように苦笑しながら言葉を続けた。

 

「お前らのことが落ち着くまでは帰るつもりはねーし、そもそも帰り方だってこれっぽっちも分かりゃしねーよ。だからさ、ここを住めば都にして、のんびり過ごすつもり。お前らを置いて勝手に消えていなくなったりするもんか」

 

 そう言って、銀時は机の向こうのシロコへと手を伸ばすと、その白みがかった頭へとぽんと掌を置いた。そして、子供をあやすように優しく、けれど大きな手でその髪を撫でた。

 

「せっかく『先生』なんて大層な肩書を押し付けられちまったんだ。それに恥じねえように、お前らの面倒は最後までトコトン見てやるよ。大人を頼るってのがどんなもんか、この銀さんが教えてやる」

 

 そう語る銀時の脳裏に、一瞬だけ、かつての記憶の断片が過る。

 戦場で泥をすすっていた自分を拾い、不器用ながらも侍の道を、生きる意味を教えてくれたあの恩師の姿。そして……理不尽な手によって連れ去られていった、あの小さくも大きな背中。

 

(あんな思いすんのはもう俺たちだけで充分、だからな……)

 

 かつて守れなかったものの痛みを抱えながらも、目の前の少女を安心させるように、銀時はいつものだらしない笑みを浮かべた。しかし、ほんの一瞬だけその手から伝わった切なさを、シロコの鋭い感性が逃さず捉える。

 

「……先生?」

 

 シロコが不思議そうに、少し心配そうに、丸い瞳で銀時の顔を覗き込んできた。

 

「……あ? ああ、なんでもねーよ。ほら、夜回りもいいけど、夜更かしは肌に悪いぞ。子どもはさっさと仮眠しにいって、明日のバイトに備えな」

 

 銀時は照れ隠しのようにガシガシと自分の頭を掻きながら、シロコの頭から手を離した。だが、シロコは湯呑みを置くと、椅子から立ち上がって銀時が腰掛けるソファのすぐ横へとトコトコと歩いてくる。

 

「ん。じゃあ、ここで寝る」

 

「はいィ?」

 

 当然のように銀時のブランケットの端を引っ張り、その横にもぐり込もうとするシロコ。そのあまりにも自然で迷いのない挙動に、銀時は今日一番の間抜けた声を上げるのだった。

 

「待て待て待て待て! 花もはじらう乙女だろお前は! 大の大人の男と一緒に寝ようとすんじゃありません! 危機感! お前さんの人生設計における危機感は一体どこに置き忘れてきたの!?」

 

 銀時は大慌てでブランケットを死守しようとするもシロコはそんな銀時の狼狽ぶりなどどこ吹く風で、すでにごく自然にブランケットの中へと潜り込み、パーカーのフードを整えている。そして、丸い瞳をまっすぐに銀時に向けた。

 

「……先生のこと、信じてるから。先生は、私に酷いことしない」

 

 曇りのない、100%の信頼。だからこそ、大人の男としてはこれ以上ないほどタチが悪い。

 

「俺の気持ちも考えろよお前はさぁぁぁぁぁ! いくら死んだ魚の目をしてようがこちとら健康優良な大人の男なの!」

 

 全力で咆哮する銀時を見て、シロコはついに耐えかねたように、口元を小さく緩めた。

 

「……ふふ」

 

「あ、今笑ったな!? 人の純情な葛藤をエンタメ消化すんじゃねーよ!」

 

「ん、先生の慌てる顔、ちょっと面白い」

 

 シロコはブランケットから少しだけ顔を覗かせたまま、悪戯っぽく目を細めた。

 

「……慌ててくれるくらいには私のこと、意識してくれてる」

 

「んなわけねーだろ! いいか、世の中の男なんてな、みんな一皮剥けば狼なんだぞって学校で習わなかったか!? こんなむさ苦しい大人の男を無防備に信用してっと、いつか痛い目見るぞ!」

 

「私の方が狼かもよ?」

 

 シロコはふっと、自分のヘイローと同じ綺麗な瞳を妖しく光らせ、小さく片目を瞑ってみせた。年頃の少女特有のからかい混じりの攻勢に、銀時は本気で頭を抱えてのけ反った。

 

「イマドキ女子はマセすぎだろマジで!! どこでそんな男を狂わせるテクニック覚えてきたんだよ! 頼むから少年ジャンプの倫理規定の範囲内で生きてくれよォォォ!」

 

 全力を尽くした銀時のツッコミを聞き届けると、シロコは今度こそ満足したように口元を緩め、ブランケットを胸元までしっかりと引き上げて静かに目を閉じた。

 

「……ん。おやすみ、先生」

 

 すぐにスースーと、すぐに規則正しい小さな寝息が聞こえ始める。

 呆れ果てた銀時はしばらく天を仰いでいたが、やがて「ったく、これだからガキは……」と小さく毒づきながら、自分が被っていたブランケットもそっとシロコの肩まで重ねてやると、自身はソファから降りて彼女の傍らに寄り添うように床へと腰を下ろす。

 窓の外では、相変わらず冷たい夜風が砂漠の砂を巻き上げて低く鳴いていた。けれど、この埃っぽい空き教室の中にだけは、生姜湯の残香のような、不器用で温かい空気が静かに満ちていた。

 

 ──────────

 

「……シロコちゃんたら、すっかり絆されちゃって」

 

 冷え切った廊下の外、引き戸の隙間から漏れる楽しげな声を聞きながら、桜色の長い髪がぽつり、と呟いた。

 昼間、ソファの上で眠たげに揺れていたホシノのオッドアイは、今は夜の闇に紛れて鋭く細められている。

 あのだらしのない大人の、昼間の活躍は確かに目を見張るものがあった。あの一味違った圧倒的な武力と、アビドスの問題に首を突っ込むと言い切ったあの男。

 けれど──だからと言って、そう簡単にあの大人を信じることなんてできない。

 彼が語った『最後まで面倒を見てやる』という言葉。あれほど綺麗で、都合のいい約束を吐いた大人が、過去にどんな結末を迎えたか。それを誰よりも知っているのは、他でもないホシノ自身だった。

 そう、大人は嘘ばかりつく。昔からそうだ。

 耳に心地いい言葉を並べて、救うような素振りをして、最後には自分たちの手の届かないところへ、容赦なく消えていく。

 

「……私はもう、信じない」

 

 守るべき後輩を、これ以上あの不確かな温もりに委ねるわけにはいかない。

 ホシノは引き戸から視線を外すと、冷たい月光が差し込む廊下の奥へと、足音ひとつ立てずに静かに消えていった。

 




こういう軽いラブコメ展開は書いてて楽しいが過ぎる。

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