ゲーム開発部の部室は暗くて重い沈黙に包まれていた。
頼みの綱であった『G.bible』の中身があんな状況で、最高のゲームを作るヒントの一つにもならないどころか、高校一年生となったばかりの少女たちにはあまりにも刺激が強すぎるサイコな演出だったからだ。
唯一平然とし、周囲の異様な空気に困惑しているのはアリスと……なんだかんだで、過去にこれと似たような経験をしており、こうした展開には妙な耐性がついている銀時だけである。
「「「……」」」
「だ、大丈夫でしょうか、皆さん……?」
液晶の赤い光を浴びたまま魂が抜けたようになっている三人を、アリスが心配そうに覗き込む。銀時ははふーっ、と深い溜め息をつきながら、頭の後ろで両手を組んだ。
「ゲームの秘訣がわかるって信じて、命懸けで泥水すすって手に入れたモンがあんなサイコな演出してきたら、そら多感なお年頃の女子高生は落ち込むだろーよ。暫くそっとしといてやんな」
銀時がそう言葉をかけると、絶望のあまり視線が完全に据わっていたユズが、ぽつ、と蚊の鳴くような声で呟いた。
「……こんなに落ち込んだのは、TSCのプロトタイプをアップロードした時以来……」
そんな重苦しい空気に耐えきれず、完全にショックで硬直しているモモイにアリスがそっと声をかける。
「あ、あの、モモイ……?」
「ふふ……ふへへへへ! もうダメだ! おしまいだあ!! 終わったんだよゲーム開発部は! 夢も希望も一文字も残ってねえええ!!」
モモイは狂ったように笑い出し、両手で頭を抱えて机に突っ伏した。アリスはオロオロしながら、今度はミドリに声をかける。
「み、ミドリ? 大丈夫……ですか?」
「ごめんね、アリスちゃん……今はもう、脳細胞の全機能が停止してるから、なにも話したくない気分なの……」
ミドリはコントローラーを握ったまま、死んだ魚の目で天井を見つめている。 最後に、アリスはユズの元へと手を伸ばした。
「ゆ、ユズ───」
「怒り、破滅、腐食、絶望、虚脱……世界は今、大いなる破滅に向かって歩みを進め……すべては無に帰し……」
謎の暗黒ポエマーと化してブツブツと呪詛を吐き出すユズ。三人が三様に行き着くところまで行ってしまっている状態に、アリスは完全に困惑してしまった。
「あ、あの、アリスはあまり理解できていないのですが……演出はともかくとして、『G.bible』は嘘を言ってないと思うのですが……」
純粋無垢なアリスのその言葉に、ようやくガタガタと顔を上げたモモイが、涙目になりながら声を荒げる。
「そういう問題じゃないの!! 嘘って言ってくれた方がまだマシ!! 『これはウイルスでしたー!』って言われた方がどれだけ救われたか! でもそうじゃないんだもん! あんな身も蓋もないド直球の正論、今このタイミングでデイリークエストしなきゃいけない時間帯だけど、やる気がミリも出ないくらいだもん!! 私のライフはもうゼロよ!!」
「知ってた、本当は心のどこかで知ってたんだ……夢じゃない……現実、これが現実っ……ハッピーエンドじゃなくて、最悪のバッドエンドを通り越したトゥルーエンド……っ」
ミドリが膝を抱えてガタガタと震える中、ユズは幽霊のような足取りでふらりと立ち上がった。 部屋の隅にあるロッカーの扉をガラリと開け、その狭い闇の中へと文字通り現実逃避しようと足を入れながら、
「……ちょっとタイムマシン探してくる……」
……と、部室の中は完全に生きる屍たちの巣窟と化していた。
「……今のみんなの状況は……まるで正気がログアウトしたみたいです……」
「仕方ねーよ。めちゃくちゃ期待してた自己啓発本をワクワクしながら開いたら、中身が『とにかく頑張れ!』の一言だけでペラッペラだったようなもんだからな。心がへし折れる音が一斉に聞こえたわ」
銀時が呆れたように言うと、モモイが机をバシバシと叩きながら叫んだ。
「ほんとそれ!! あんな誰でも知ってるような文章が一つだけとかさあ!! 知ってたよ、世界にはそんな一つあるだけで何もかも状況が変わるような、都合のおいしい大逆転展開なんてないだなんて!! でも……でも期待したっていーじゃん、うわぁぁぁぁぁん!!」
「ごめんね、アリスちゃん……『G.bible』があんなんじゃ、私たちはもう……ミレニアムプライスで勝てるような、いいゲームを作れないよ……」
ミドリが寂しそうに声を落とす。……そんな完全に自信を失い、夢を諦めかけている三人の状況。
見ていられなくなった銀時が、何か言葉をかけようと口を開きかけた──その、途端。
アリスが、力強くその青い眼差しを輝かせて、銀時よりも先に言葉を紡ぎ出した。
「……いいえ、否定します」
「「「……?」」」
アリスの毅然としたトーンに、モモイ, ミドリ、 ロッカーに引きこもりかけていたユズが、同時にハッとして顔を向けた。
「アリスは『TSC』をやる度に思います。あのゲームは、本当に、もの凄く面白いです。感じられるのです。モモイが、ミドリが、ユズが……このゲームを、世界をどれだけ愛しているかを。そんなたくさんの大好きな想いが込められたあの世界で旅をすると……アリスの胸は、いつだって高鳴るんです」
アリスは一歩前に出ると、自分の胸にそっと手を当てた。
「仲間と一緒に新しい世界を旅する、あの温かい感覚は……夢を見るということが、一体どんなことなのか。その大切な感覚を、アリスに教えてくれたんです。 待望のエンディングが近づくほどに、あんなにバグや難易度で苦しんだはずなのに、どうしても思ってしまうんです。──この夢が、ずっと醒めなきゃいいのに、って」
真っ直ぐで、一片の曇りもないアリスの言葉。それが部室に響く度、三人の死んでいた目に、泥の中に埋もれていた光が、段々と、確かに輝きを取り戻していく。
その様子を横で静かに見守っていた銀時は、ふっ、と優しく頬を緩めた。いつものようにポリポリと頭を掻きながら、煽るように口を開く。
「……さあて、聞いたかお前ら。部活での若輩が面と向かってこんなこと言ってくれてんだ。本当にお前らはそれでいーのか? こんなところで、諦めちまうのか?」
「……諦めるわけ、ない」
ロッカーに閉じ籠ろうとしていたユズが、いつの間にか此方へと完全に顔を向け、力強く小さな拳を握りしめていた。その瞳には、先ほどまでの絶望はもう欠片も残っていない。
「ユズ……?」
「ユズちゃん……」
「私の夢は……私の作ったゲームを、みんなに面白いって言ってもらうこと。私が最初に作ったプロトタイプは、ネットに上げたら四桁以上の低評価コメントと、辛辣な冷やかしだけで終わっちゃって……。 怖くなって、この部室にずっと一人で引きこもっていた時に……モモイと、ミドリが、来てくれたから」
ユズの視線が、過去の記憶をなぞるように、セピア色の追憶へと向かう。
────それは、半年前のこと。
ネットの画面に並ぶ、無数の心ない言葉の羅列。
『これがゲーム? 苦行の間違いでしょ』
『これを作った人の頭の中、逆に気になるわ。どんなセンスしてたらこうなるの?』
『本当に脳みそが入ってるのか怪しいよね、テストプレイしたの?』
『ゲームのことをよく知らない素人が、勘違いして作ったんじゃない?』
……もう、やめて。
ごめんなさい、ごめんなさい……私の作ったもののせいで不快にさせてごめんなさい……もうお願いだから、許して……!!
もう何も見たくない、何も聞きたくない。暗い部室の隅で、ただ膝を抱えて震えていた、そんな時だった。
静まり返った部室の扉を、激しく叩く音が響いた。
今度は、ネットの文字だけじゃ足りなくて、直接クレームを言いに荒らしが来たのかな。最初は恐怖で心臓が張り裂けそうだった。
『ご、ごめんなさい、ごめんなさい……! もう二度とゲームは作らないから、許し……』
涙を流して謝るユズの声を遮るように、扉の向こうから、信じられないほど元気な声が飛び込んできた。
『ええっ!? 何言ってるんですか! こんなに面白いのに、プロトタイプだけで終わらせちゃうなんて絶対にありえないですよ!』
『続きがもの凄く気になって夜も眠れないのに! ここまでプレイヤーをワクワクさせといて未完で終わるなんてそんなのないですよ!』
『……え?』
予想もしなかった言葉に、ユズは呆然と涙を拭った。
『TSC、もの凄く面白かったです!』
『お姉ちゃん、面白すぎて徹夜でやってたもんね』
『ちょっとミドリ! もともとゲームに興味持ってなかったミドリだって、後半ニヤニヤしながら熱中してたくせに!』
『だ、だって! グラフィックはドットだけど、キャラクターがものすごく可愛かったし……世界観が丁寧だったから……!』
『とにかく! 失礼します!』
バンッ! と勢いよく部室の扉が開かれ、閉ざされていた暗い空間に、眩いばかりの夕暮れの光が差し込む。
そこに立っていたのは、騒がしくて、だけど太陽みたいに明るい双子──モモイとミドリだった。
『あ、あなたが、UZ様ですか!?』
『え、えっと……ハ、ハイ……』
『ファンです!』
『『私たち、UZ様みたいに、遊んだ人が絶対にワクワクするような面白いゲームが作りたくて、ここにきました!』』
『……!』
──────────
「……それで、今度は三人で『TSC』の完成版を出して……今年のクソゲーランキング一位を取っちゃったけど。その後、アリスちゃんがきてくれて……アリスちゃんも楽しいって言ってくれた。私の夢は、もう叶ったの」
ユズは浮かんでいた涙を袖でそっと拭い、小さく、だけど確かな温もりを噛み締めるように微笑んだ。
「心の通じ合う仲間たちと一緒にゲームを作って、それを面白いって言ってもらう……。ずっと、たった一人で暗い部屋の中で思い描いてただけだった、その夢が……」
ユズの言葉に、モモイとミドリが静かに、固く拳を握りしめる。あの日、二人があの扉を叩いたから今がある。そしてアリスが来てくれたから、世界はさらに広がった。
「……これ以上を望むのは、欲張りかもしれないけれど。もし叶うなら……この夢が、まだ終わらないでほしい」
「……ユズちゃん」
ミドリが優しく声をかけると、隣にいたモモイの瞳に、いつもの、いや、これまで以上の熱い炎がパッと灯った。モモイは乱暴に涙を拭い去り、前を向く。
「─── やろう。ミレニアムプライスまで、あとどのくらい!?」
その力強いパスに、アリスが即座に胸を張って、ゲームのインターフェース風にハキハキとカウントダウンを告げた。
「6日と4時間38分です!」
「……それだけあれば、十分だね」
ミドリも口元に不敵な笑みを浮かべ、液晶画面へと向き直る。天才ゲームクリエイターたちに、もう迷いも絶望もなかった。たとえ『G.bible』がただの精神論を語るファイルだったとしても、彼女たちの胸にある「ゲームへの愛」は、最初から本物だったのだから。
「うん! ゲーム開発部一同……『TSC2』の開発、始めよう!!」
モモイの威勢のいい号令が、完全に息を吹き返した部室に響き渡った。
モモイの威勢のいい号令が響いた直後、部室の空気は一瞬にして切り替わった。さっきまで絶望のズンドコに叩き落とされ、ゾンビのようにのたうち回っていたのが嘘のように、三人──いや、アリスを含めた四人の手足が、明確な目的を持って一斉に動き出す。
「よし、まずは『TSC2』の基本プロットの組み直し! ミドリ、グラフィックの描き直しとアセットの整理、頼める!?」
「任せて。キャラクターのモーションパターンも、アリスちゃんの意見を取り入れてもうちょっとバリエーション増やしてみる」
「私はメインプログラムのバグ取りと、新しいギミックの実装を試してみる。アリスちゃんは、戦闘バランスのテストプレイと、敵の配置パターンのアイデア出しをお願いしていい?」
「はい! お任せください! アリスは立派なデバッガーとして、あらゆるバグを殲滅する聖騎士となります!」
カタカタ、カタカタと、一秒の無駄も惜しむようにキーボードを叩く音が部室に小気味よく響き始める。ディスプレイの明滅が彼女たちの真剣な横顔を照らし、ノートのページが激しくめくられていく。
そんな、一瞬にして「プロの顔」になった少女たちの姿を、銀時はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、静かに眺めていた。
さっきまでもう終わりだ、だの絶望だ、だのと騒いでいたのが、一度腹を括ればこれだ。誰に強制されたわけでもない。自分たちの居場所を、自分たちの夢を繋ぎ止めるために、残された百数十時間をすべて投げ打つ覚悟で画面に齧りついている。その小さな背中には、自分の出る幕なんて一ミリも残されていないように見えた。
「……やれやれ」
銀時は首の後ろをポリポリと掻きながら、小さく息を漏らす。
銀時はゆっくりとパイプ椅子から腰を上げた。どうにもこの健気な姿を前にして、ただ黙って見守るだけなのは少々寝覚めが悪い。
まずは一番近くでノートにペンを走らせているモモイの傍へと歩み寄った。
「うおっと、何、先生? 今ちょっとゾーンに入りかけてるから邪魔しないでよね!」
「はいはい、ゾーンだか大連チャンだか知らねーけどよ」
銀時は、ぐいっと大きな手のひらをモモイの頭に乗せると、その短い髪を少し手荒にクシャクシャと撫で回した。
「わわっ!? ちょっと、髪型が芸術的に爆発するじゃん!」
「うるせーよ。ちょっとは頭冷やして、冷静に仕様書書けってんだ」
そのまま、隣でペンタブレットを走らせているミドリの頭にも、ポンと手を置く。ミドリは一瞬、ビクッと肩を震わせたが、銀時の手のひらの大きな温もりを感じると、少しだけ照れくさそうに視線を画面に向けたまま動きを止めた。その猫耳のようなヘッドフォンが、心なしか嬉しそうに微かに揺れる。
「ミドリもな。あんまり根詰めすぎて、可愛い顔を般若みたいにすんなよ」
「……べ、別に般若なんかになってないです。ただ集中してるだけですから」
さらに銀時は、画面の数字と格闘し始めたユズの後ろへと回り、その頭を包み込むように優しく撫でた。ユズは一瞬驚いて首をすくめたが、すぐに「へへ……」と、緊張の解けた柔らかい笑みをこぼす。
「ユズ。お前は特に、すぐロッカーに引きこもる悪癖があっからな。煮詰まったらロッカーじゃなくて、ちゃんと深呼吸しろ」
「はい……ありがとうございます、先生」
最後に、大きなレールガンの隣で一生懸命キーボードを叩いているアリスの頭をよしよしと大きな手で撫でる。アリスは撫でられるがままに、嬉しそうに目を細めて銀時を見上げた。
「アリス、レベルアップの予感がします! 先生の手のひらから、不思議なバフ効果を感じます!」
「バフじゃねーよ。お前もあんまり夜更かしすんなよな」
四人の頭を一通り撫で終えると、銀時は着物の袖を無造作に払って、部室の扉へと向かって歩き出した。ドアノブに手をかけ、振り返らずに背中で語るように口を開く。
「ま、こっから先は、四人でこの狭い部屋に缶詰するんだろ? 頭脳労働にゃ、まともなエネルギーが必要不可欠だ。テキトーに、夜食だのオヤツだのを持ってきてやるよ。連邦生徒会のエリート様にゃあ、何だ、『シャーレの緊急災害時における特別備蓄物資の有効活用』とかなんとか、それっぽいテキトーな書類を送りつけて、誤魔化しといてやるからさ」
銀時のその言葉に、作業の手を止めた四人が一斉に振り返る。
銀時は少しだけ首を傾げ、ドアノブをガチャリと回しながら、いつになく真面目なトーンで言葉を付け足した。
「……ただし、条件だ。いくら時間がねえっつっても、缶詰するならシャワーはちゃんと浴びろ。飯も食え。睡眠も、最低限はちゃんと取れ。不潔な部屋からは不潔なクソゲーしか生まれねえって、昔の偉いゲームデザイナーも言ってた気がするからな。……いーな?」
その言葉は、単なる体調管理の忠告ではなかった。勝負に勝つために、自分自身を壊すなという、彼なりの不器用な優しさだった。
ユズが胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、深く、愛おしそうに頷いた。
「……うん。ありがと、先生」
ミドリも、モモイも、アリスも、銀時の後ろ姿を見つめながら、それぞれの方法で小さく笑みを浮かべる。
「言われなくても、お風呂は毎日入るもんね! 先生、差し入れは豪華なやつね! ピザ! ジャンクなやつがいい!」
「お姉ちゃん、先生に我が儘言わないの。……でも先生、甘いものとかあったら、ちょっと嬉しいかもです」
「アリスは、先生の持ってくるクエスト報酬を楽しみに待っています!」
「へーへー、ピザでもパフェでも、頼まれたもんは持ってきてやるよ」
銀時は片手をひらひらと振りながら、部室の扉を開けて外へと出ていった。パタン、と静かに閉まる扉。
残されたゲーム開発部の部室には、先ほどまでの重苦しい絶望の影はもうどこにもなかった。あるのは液晶画面から放たれる青い光と未来の最高傑作を創り出そうとする、四人の少女たちの熱い熱気だけだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ジャンクな食べ物だと私はやはりラーメンが好きですね。ライスと合わせて食べると美味しいやつ。とある釣り人の早死に三段活用でいただきます。
これからもよろしくお願いします。