「先生、見てください! あっちにはカルメ焼きがありますよ! んん、この甘い匂いは……綿飴!?」
お祭りの賑やかな灯りの中に飛び込んだ途端、さっきまでの敵対宣言はどこへやら、イズナは目をキラキラと輝かせて出店の屋台を指差した。ピコピコと忙しなく動くお耳と、嬉しそうに揺れる尻尾がその興奮を物語っている。
「お、ほんとだ。じゃあ俺カルメ焼きで、お前は綿飴な。二人でシェアってヤツ」
「いいんですか!? やったあ! ……んふふ、この綿飴、先生の髪の毛みたいですね」
買ったばかりの真っ白でふわふわな綿飴を両手で持ちながら、イズナは銀時の頭をじっと見つめてクスクスと笑った。
「おい、天パなのこれでも気にしてんだぞ俺。お前さんみてえなサラサラヘアーがマジ羨ましいやこんちくしょう」
「ふふっ、その髪の毛もお似合いだとイズナは思いますよ? ……そんなことより、はい、先生! あーん!」
イズナは綿飴を小さくちぎると、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべて銀時の口元へと差し出してきた。
「……そーゆーのはも少し落ち着いた場所でやってくんね? 銀さん恥ずいから……。ほら見ろ、周りの視線が痛い、お巡りさんこっち見ないで」
「……イズナからのあーんは、いや、ですか……?」
あからさまに拒否されて、イズナのお耳が一瞬にしてへにょりと垂れ下がり、潤んだ瞳が銀時を見上げる。その破壊力抜群の曇り顔に、銀時は盛大にため息をついた。
「……わーったよ! やりゃあいいんだろやりゃあ!!」
半ばヤケクソ気味に身を乗り出し、あむ、と。イズナから差し出された綿飴を軽く齧る。口に入れた瞬間にスッと溶けていく、ふんわりとした優しい甘さが心地いい。
「……甘ぇな」
「ふふ、でしょう!」
銀時がぼやくと、イズナは待ってましたと言わんばかりに、またパタパタと狐耳を跳ね上げさせて嬉しそうに笑った。その屈託のない笑顔は、周囲の賑やかな祭りの灯りを受けていっそう眩しく輝いている。
「イズナ、桜花祭が大好きなんです! ですので、先生とこうして一緒に楽しむことができて、イズナは今すごく嬉しいです……!」
胸いっぱいの喜びを伝えるように、ふさふさとした尻尾が左右に大きく揺れる。
その本当に心からの、濁りのない嬉しそうな表情を、銀時は少しだけ眩しそうに目を細めて見つめた。手に持ったカルメ焼きを一口、サクリと小気味よい音を立てて齧りつつ屋台の並ぶ通りへ視線を戻して言葉を続ける。
「だろーな、俺ぁこの祭りに来たのは初めてだが……気に入っちまったよ。毎年参加してえくらいだぜ」
「それなら来年もまた一緒に……!」
弾んだ声で一歩踏み出してくるイズナ。銀時はそんな彼女を横目で捉えながら、どこか含みを持たせたトーンで、ぽつりと呟いた。
「だから、こんなに楽しいのに中止になっちまうかもなんて寂しいよなあ」
「え……!?」
楽しげな喧騒の中、銀時のそのあまりにも落差のある言葉がストンと路地に落ちる。
イズナはパッと目を丸くして足を止め、それまでの笑顔を消して、不安そうに眉を下げた。
「ちゅ、中止!? 急にどうされたんですか、先生?」
「なあに、この祭りを台無しにしてえ奴が、そこら中で魑魅一座ってのをけしかけて暴れまわらせてるみてえでさ。……多分、お前の雇い主ってヤツなんだけど」
どこか遠くを眺めるような銀時の目が、再びイズナへと向けられる。
「お、桜花祭を台無しに……? イズナが受けた命令は……『事業を邪魔する奴らがいるから、その者達を倒せ』と……それなのに、桜花祭が台無しに……? え、ええ……?」
やはり彼女は、自分が足を突っ込んでいることの重大さを理解しないまま、ただ都合よく書き換えられた命令の言葉通りに動いていたのだろう。信じていた前提が足元から崩れ去るような衝撃に、狐耳が動揺でパタパタと忙しなく揺れる。
混乱し、すっかり元気をなくしてしまった彼女の様子に、銀時は少しだけバツの悪そうな顔になり、頬をポリポリと掻きつつ続けた。
「……俺ぁこのいい祭りをつまんねえ終わらせ方はさせたくねえんだ。……なあ、イズナ。お前さんがその雇い主って奴のことを教えてくんねえか?」
その言葉に、イズナの身体がびくりと強張る。
「そ、それは……いえ! 誰に雇われているかを口にするなんて、忍者として絶対にやってはいけないことです! イズナは、キヴォトスで一番の、立派な忍者になるんです! ですから、いくら大好きな先生から聞かれたとしても……!」
イズナは狐耳も眉も完全に下げ、忠義と憧れの間、そして何より己の信じる「忍びの道」のプライドに挟まれ、苦しそうに拳をきゅっと握りしめて俯いてしまう。
そんな健気で、あまりにも真っ直ぐな姿に、銀時はふっと呆れたように鼻での溜息を一つ。そして、少しだけ腰を落とすと、その小さな頭をポンポン、と大きな手で優しく叩いた。
「なら仕方ねえな。そこら辺は俺がどうにか突き止めるしかねえや」
「……へ?」
予想外の諦めの早さに、イズナが涙目のままひょこっと顔を上げる。
「お前さんの立派な忍者になるっつー志を壊す真似はしたくねーからな。この祭りが台無しになるよりも、俺ぁそっちの方が心苦しいし」
銀時の手から伝わる温もりに、イズナの大きな瞳が小さく揺れた。
「イズナの、志……」
「つっても俺ぁ腐っても便利屋、そんでシャーレの先生だ。依頼されたことにゃ最後までやり通す。これ以上祭りを荒そうってんなら、次は俺ぁお前を全力で止めるぜ。容赦なく、な」
ぽんと最後に頭を軽く小突いて手を離し、銀時は不敵に笑みを唇に浮かべる。その表情を見たイズナは、胸の奥が高鳴るのを感じていた。
「……っ! やはり、イズナと先生はそういう運命……! い、イズナはこの場は失礼します! 今回はなぜだかこうして、一緒にお祭りを楽しんでしまいましたが……! 次は違います! 次こそは……!」
「おう、またな、イズナ」
いつもの気だるげな調子のまま、けれど次に会う約束を当たり前のように交わす銀時の言葉。
イズナは一瞬だけ目を丸くし──そして、それまでの迷いを吹き飛ばすような、今日一番の輝かしい笑顔を浮かべた。
「……!! はい、では先生、また!」
そうしてイズナはしゅしゅっ……と、まるでお祭りの人混みに溶け込むように、風のように素早くその場から消え去っていった。
「……さあて。あともう一組俺と散歩したがってる奴がいるみてえだな。俺ぁいつからモテ期が来たんだか」
イズナが消え去った人混みの余韻を見送りながら、銀時は懐の手はそのままで、首だけを僅かに傾けて背後に声をかけた。賑やかな祭りの喧騒に紛れ、確実にその距離を詰めてきていた二つの気配。
「……やっぱりバレてるか。久しぶりだね〜、シャーレの先生」
「護衛もなしにこんなとこをぶらつくなんて、危ないっすよ? 先生にご執心の誰かにこうして脅迫されるかも知れないっすから」
人混みの死角を縫い、天狗面を被った二人の少女が姿を現した。彼女たちの手元には、上着の陰でしっかりと引き金に指がかけられた銃が握られており、その銃口はピッタリと銀時の脇腹を捉えている。
万が一にも引き金が引かれれば、周囲の一般客を巻き込む大惨事になりかねない状況。しかし、銀時は平然とした様子のまま、やれやれと言わんばかりに深くため息をつくと、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「怪我、したくなけりゃ大人しく投降しな。これだけ人がいる中で騒ぎを起こすような人じゃないだろう?」
「それに離れた場所でもスポッターがこっちを狙ってるっす。逃げようとしたとしても絶対に……」
魑魅一座の少女たちは、銀時の圧倒的な実力を警戒してか、どこか強張りながらも確実に退路を断つ布陣をアピールする。だが、銀時はその脅し文句に怯むどころか、むしろ待ち望んでいたと言わんばかりにニヤリと口元を緩めた。
「ちょうどいい、俺ぁお前さん達の雇い主ってのに会いたかったとこなんだ。どうせこれからそこへ連れてくつもりなんだろ?」
「……素直に応じるんだ?」
あまりにも拍子抜けな反応に、天狗面の奥の目が怪訝そうに細められる。
「お前さんらの言う通り、こんな他のカタギさんもいる中じゃ暴れらんねえし……それに、こっちもちょうどその黒幕とやらと話をつけてえとこだったからな。渡りに船ってヤツさ」
「……武器は回収させてもらうっすよ、念のため」
一人が慎重に距離を詰め、銀時の腰からあの妙な存在感を放つ木刀を引き抜いた。銀時は特に抵抗する素振りも見せず、「へいへい……」と両手を軽く挙げてみせる。
「……カレー臭いな、この木刀。よくこんなものであたし達をのしたもんだね」
木刀を手にしたもう一人が、微かに漂うスパイスの匂いに眉をひそめて呆れたような声を漏らす。
「あー、この前カレー味のインスタント麺作ってる時に重しに使ってたら零しちまってさ。今度買い換えようかなあソレ。……さあ、さっさと連れてけよ。これでも結構歩き疲れて堪らねえんだけど」
「わかった、……連れてくぞ」
「はいっす!」
銀時のどこまでも緊張感のない態度に毒気を抜かれつつも、二人の少女は彼を前後から挟み込むようにしながら彼の手を後ろ手に縛り、拘束の形をとった。
お祭りの華やかな光と喧騒が背後へと遠ざかっていく中、銀時は抵抗する様子もなく、彼女たちの案内する薄暗い闇の奥へと静かに歩を進めていった。
──────────
そして、賑やかなお祭り会場から少し離れた、静まり返った建物の屋根の上。
ぽつんと夜風に吹かれながら、膝を抱え込んで座るイズナは、小さく寂しげな溜息をついた。
「……はふ、またしても先生に太刀打ちできず……」
自分の未熟さを噛み締めるように、もう一度大きな溜息を吐き出す。しかし、ふと口の中に微かに残る砂糖の甘い風味を思い出すと、へにょりと垂れていた狐耳がぴこんと跳ね上がり、その頬が自然と緩んでいった。
「えへっ……えへへ、先生と食べた綿飴、美味しかったなあ……。イズナを止めるって言ってたけど、最後に『またな』って言ってくれました……! 先生のためにも、これ以上負けてられません! 次こそは必ず、立派な忍者としてお相手してみせます!」
そんな新たな決意を胸に、ばっと勢いよく立ち上がったその時、彼女の鋭い視線が眼下の暗い路地裏の光景を捉えた。
提灯の光が届かない薄暗い道を、魑魅一座の二人に前後を挟まれるようにして歩く、見覚えのある着流し姿の銀髪の男──先生の姿。
「……こんなところに魑魅一座と……先生?」
むむ、とイズナは怪訝そうに首を捻る。先ほど自分と別れたばかりの先生が、なぜ彼女たちと行動を共にしているのか。しかも、その手元にいつもあるはずの木刀が見当たらない。
何かただ事ではない気配を察知したイズナは、身を翻すと、一切の足音を立てぬように屋根から屋根へとひらりと飛び移りながら、静かに三人の後をつけていった。
──────────
後をつけていくと、三人がたどり着いたのは、いつもイズナや魑魅一座、そして雇い主が会合を行う街の隅の廃墟だった。
「こんなところに先生を連れてきて……まさか……?」
嫌な予感を胸に抱きながら、イズナは廃墟の崩れた壁の影に身を潜める。息を殺して三人の方へと聞き耳を立てると、確かにぼそぼそとした話し声が聞こえた。しかし、建物の反響のせいか上手く聞き取れない。
「……多分、あそこに連れて行くはず」
確信を持ったイズナは、音を立てずに天井の崩落した穴へとひらりと飛び上がった。そのまま梁を伝い、静かに三人の向かう先──いつもの部屋の上にあるキャットウォークのエリアへと先回りして向かっていく。
「……ここ、ですね。どれどれ……」
イズナは息を整え、床に小さく開いたひび割れの隙間から下を覗き込んだ。眼下に広がるのは、やはりいつもの薄暗い会合の部屋。それから少しして、ぱたん、と重い鉄の扉が開け放たれた。
「命令通り連れてきたよ!」
「連れてきたっす!」
魑魅一座の二人が、我が物顔で部屋の奥へと入っていく。その中央には、前後を挟まれるようにして歩かされてきた銀時が立っていた。そして二人は彼をその場へと膝をつかせて座らせる。
「よくやった、やればできるじゃないか。……さて、また会えて嬉しいよ、シャーレの先生」
部屋の奥の暗がりから、低く尊大な声が響く。そしていつもは暗い高座の上に鎮座しているその陰が、ゆっくりと銀時の前へと歩み寄ってきた。部屋の僅かな光に照らされたその輪郭は──左目に眼帯をつけた、あまりにも見覚えのある猫頭の市民。
「……ニャン天丸会長」
銀時が面倒くさそうにその名を呼ぶと、猫頭の男は鼻を鳴らし、大袈裟に両手を広げてみせた。
「ふふ、私の本名はニャン天丸ではない。儂の名前はマサムニェ……路地裏の独眼竜、ニャテ・マサムニェとは儂のことじゃ!」
「……あー、そう」
どどんっ! と脳内で効果音でも鳴らしていそうな勢いで、歌舞伎の如く激しく見栄を切った会長。そのあまりにも安直でコテコテな正体の明かし方に、銀時は完全に半目を向け、引きつった顔のまま頬の肉をピクピクと痙攣させていた。
「おほん……類稀なる指揮能力、そして白兵戦能力を持つ『先生』とやらに邪魔をされたと聞いて何処の誰かと思えば……そのシャーレの先生がおぬしだったとはな。一度、百夜堂で会った時は気付かなんだ」
マサムニェはわざとらしく咳払いをすると、眼帯の奥の鋭い目を光らせて銀時をねめつけた。
「けっ、あん時から黒幕が近くにいたなんてな。マタタビの一つでも盛っておくべきだったか」
「ははっ! こんな状況でも余裕でいられるとは大したヤツじゃないか! 何か奥の手でも持っているのかな? 私はコミックの悪役とは違う、武器だけではなく連絡手段も絶たせてもらおう。歳をとると用心深くなって困る」
「そーかよ」
マサムニェが顎でしゃくると、魑魅一座の少女が手早く銀時の懐へと手を突っ込み、そのスマートフォンを強引に引っ張り出した。銀時は特に抵抗もせず、ただ気だるげにその様子を見つめている。
「……さあ、これでおぬしが助けを求める手段はない。武器もない。孤立無援とはまさにこのことじゃないか。あるいは飛んで火に入る夏の虫、かな?」
手に入れたスマートフォンをこれみよがしに手の中で弄びながら、マサムニェは勝ち誇った笑みを浮かべた。その様子を冷ややかに見下ろしながら、銀時はフッと息を吐く。
「随分と悪役顔がサマになってるじゃねーか。お前さんみてえなヤツは祭も好きだろうと思ったんだが……どうして祭りを邪魔しやがる?」
銀時の問いかけに、マサムニェは不気味な笑みを深くした。
「……桜花祭の伝統、昔ながらの花火を維持するため、とでも思っているのだろうが、違う。あの喫茶で口にしたことは出まかせなどではないがな。本当に気にしているのは至ってシンプル……金だよ」
「けっ、金が欲しけりゃ猫らしく招き猫でもやりゃあいいだろ……っ」
銀時が吐き捨てるようにそう口にした瞬間、マサムニェの表情から笑みが消えた。激しい風切り音と共に、彼が手にしていた硬質な鉄扇が鋭く一閃し、銀時の頬を容赦なく叩きつける。
「……減らず口は負け惜しみにしか聞こえないからやめた方がいいぞ? ……さて。百夜ノ春ノ桜花祭。この祭りが開かれる度に一体どれだけの金が動くと思う?」
マサムニェは手にした鉄扇をもう片方の手のひらにぱし、ぱし、と小気味悪い音を立てて打ち付けながら、獲物を値踏みする蛇のように銀時の周りをゆっくりと歩き回る。
「これだけの規模だ、それなりに大きいものだと言うことはわかるだろう。なのにその金をあのお祭り運営委員会……あんなチビどもが握っている。儂はそれが気に食わないのだ」
歩みを止め、再び銀時の正面へと立ったマサムニェは、怒りと強欲で鉄扇を握る手を小刻みに震わせた。
「『お祭りを素敵なものに』? そのためならミレニアムに大枚を叩いて依頼するのも必要なことだって? なんと言う青い考えだ! 儂に任せればあいつらより更に多くの金を稼げたと言うのに! 綺麗事だけでこれだけの巨大な利権を動かそうなどと、傲慢極まる!」
叩かれた衝撃で頬の内側を小さく切った銀時は、口の中に溜まった少しの血をぺっ、と床に吐き出した。そして、痛む素振りすら見せず、マサムニェを哀れむように見据えて薄く笑う。
「……へっ。そんなことで桜花祭の邪魔するなんてな。歳はとりたくねえもんだ、気が短くなっていけねえや」
「……!!」
その言葉に、マサムニェは再び激昂して鉄扇を振り抜いた。硬質な音が狭い部屋に響き、銀時の顔が横へと大きくのけぞる。
「ふう……減らず口はやめろ、と言ったはずだ。その男前を不細工にしてやっても構わないんだぞ。しかし……まあ、そうさ。桜花祭が中止になればお祭り運営委員会はその責任を取って運営を下りるしかない。自然とその役割を次に任せられるのは儂だろう。商店街会長だ、そのコントロールも難しくはない」
マサムニェは呼吸を荒くしながら、自分の完璧なはずのシナリオを反芻するように言葉を重ねる。
二度も強く打ち据えられたことで、銀時の頬は赤く腫れ上がっていた。しかし、彼は痛みなど最初から感じていないかのように、口内に溜まった血を再びぺっ、と容赦なく床に吐き捨てる。そして、死んだ魚のようだったその両の瞳に、冷徹で鋭い光を宿してマサムニェを真っ直ぐに見据えた。
「……そのためにイズナを雇ったってワケか」
「イズナ? ……ああ、自称忍者のあのチビっ子か。そうだな、あいつは実に役に立ってくれた。大した報酬も払っていないのによく働いてくれたよ。ちょっと忍者ごっこに付き合っただけでこんなに活躍してくれるなんて思ってもみなかった。戦力だけは魑魅一座の数十人分はあったからな」
マサムニェは鉄扇で自分の肩を叩きながら、思い出すだけでも愉快だと言わんばかりに、喉の奥を鳴らして笑った。
「……忍者ごっこ?」
低く、地を這うような銀時の声が部屋の温度を一段と下げるが、勝ち誇るマサムニェはそれに気づかない。
「ああ、幼稚な子どものごっこ遊びだろう? あいつの言う、魔法のような忍者なんてファンタジー世界の話だ。『雇い主としてのご命令を』だとか『ご命令とあらばなんでもこなすのが忍びの道』だとか……大真面目に言ってくるものだから、笑わないようにするのが大変だったくらいだ。逆に言えば面倒だったのはそれくらいで、ちょっと話を合わせて付き合ってあげればあの通り」
マサムニェのその言葉にはだんだんと明確な嘲笑が混ざり始め、それは周囲に控えていた他の魑魅一座の面々にも波及してゆく。
「もうやる気満々で『忍びとして全力を尽くします!』なんて言ったときには、いくら儂でも笑いが止まらなかったさ!」
「あはは! 今なら言えるけど、あの歳で本気で忍者目指してるとか笑えるよな!」
魑魅一座の一人が腹を抱えるようにしてゲラゲラと笑い声を上げる。
「正直、隣で一緒に任務とかやってる時も、見てるだけで笑いを堪えるのが本当に大変だったっす」
もう一人も、銃口の警戒を少し緩めてクスクスと下卑た笑いを漏らした。
「ああ、本当に便利なヤツだったよ。純粋で、実に経済的で、バカで、こちとら大助かりだった! フハハハハ!」
カビ臭い廃墟の部屋に、大人たちの醜悪な笑い声が響き渡る。その言葉の刃が、天井の隙間で全てを聞いている少女の胸にどれほど深く突き刺さるかも知らずに、彼らはただ嘲り続けていた。
「……てめえの金のために、イズナの夢を利用したってことか」
銀時の手が、みしり、と音を立てて微かに軋む。縛り付けられているはずの両拳に信じ難いほどの力が込められ、その鋭い眼光がマサムニェを真っ直ぐに射抜いた。
「……夢? なにをいっているんだ? あんな夢想とすら言えないバカの妄想を、夢? おぬしも付き合いのいいヤツだな、先生とは言え、大したお人好しだよ」
マサムニェは冷ややかに鼻で笑い、鉄扇を軽く振って銀時の言葉を一蹴した。彼にとって、一人の少女が懸命に追いかける純粋な想いなど、都合よく利用するための道具に過ぎなかったのだ。
──────────
その会話を天井裏の暗がりで聞いていたイズナは、激しく身体を震わせていた。
(……イズナに、忍者として……活躍してほしいって、信じるって、言っていたのに……。それもこれも全部、イズナを騙すための嘘だった……? イズナは、騙されて……)
冷たい床に爪が食い込むほど、彼女はきつく拳を握りしめる。信じていた世界が音を立てて崩れ落ちていく。しかし、絶望に暮れる彼女の耳に、さらなるマサムニェの嘲笑が追い打ちをかけるように響き渡った。
「話を聞いていればおぬし、イズナ殿……いや、イズナが儂の命令を聞いて動いていたと気付いてたんだろう? 魑魅一座もイズナも、儂の手下と知っていたのにノコノコとイズナと同行するなんてあたまが足りないんじゃないか? 裏に罠があると考えないとは。行動力だけはあるイズナを泳がせておぬしを見つけさせ、魑魅一座にイズナを尾行させて、隙をついて誘拐……あくまでも策の一つだったが、面白いほど上手くいった。あいつは本当によく働いてくれたよ。フハハハ!」
高笑いする大人たちの声が、天井の隙間から容赦なく吹き上がってくる。
その言葉の本当の意味を理解した瞬間、イズナの脳裏に、先ほどまで自分に優しく微笑み、綿飴を一緒に食べてくれた銀時の顔が蘇った。
(……!! イズナが、騙されたせいで……!! イズナの夢を笑わないでいてくれた、応援してくれた、先生が……!!)
自分の無知と未熟さが、大切な人を危機に陥れてしまった。
激しい後悔が胸を掻きむしり、イズナの目からは大粒の涙がポタポタと溢れ落ちて、廃墟の乾いた床を黒く染めていく。握り締めた拳は血がにじむほどに震え、彼女の胸はちぎれんばかりに締め付けられていた。
──────────
「しかし、まぁ本当に可哀想なヤツだな。本人は今頃、どこかの屋根の上で『これぞ忍びの道!』とでも悦に浸っているのだろうよ。そんなもの、ただのごっこ遊びに過ぎないというのにな!」
マサムニェはさらに声を張り上げ、イズナの純粋さをこれでもかと嘲笑う。
──ミシ、ミシシシシッ!!!
その瞬間、部屋の空気を完全に圧殺するほどの凶悪な音が響いた。
銀時は力任せに両腕を広げようとしながら手首の皮膚が裂けて血が滴るのも構わず、己を縛り付けていた縄を強引に引き絞る。予期せぬ怪力に驚愕するマサムニェたちが息を呑む間もなく、銀時は一歩、地を踏み締めてその眼前に詰め寄った。
「……俺のことは幾らでも笑えばいい。でもな、アイツの夢を笑うんじゃねえ」
低く重い、地獄の底から響くような声だった。腫れ上がった頬のままでマサムニェを真っ直ぐに見上げる銀時の瞳には、ただ事ではない怒りの炎が静かに燃え盛っている。
「……ほう?」
その気迫に一瞬気圧されながらも、マサムニェは虚勢を張るように鉄扇を胸元で構え直した。
「てめえは知らねえだろうが、俺ぁ侍だ。こいつぁファンタジーでも時代劇でもねえ。俺ぁ侍としての生き方が俺にゃ合ってるから、侍として生きてる」
「侍? 侍だと!? 更にお笑い種じゃないか! そんな時代遅れの、とっくに滅び去った遺物──」
「時代遅れがなんだ、遺物がなんだ。俺には俺の、アイツにはアイツの生き方ってもんが、一本通った筋ってもんがある。それを笑うんじゃねえ」
銀時は言葉を遮り、冷徹に言い放つ。
天井裏で声を殺して泣いていたイズナは、自分のためにこれほどまでに激昂してくれている銀時の姿に、涙を浮かべた目を大きく丸くしていた。胸の奥が、熱い何かで満たされていくのを感じていた。
銀時は、かつての自分の世界で見てきた、あの重度のB専痔持ち男や、始末におけないドMストーカー女たちの、いざという時には文字通り命を懸けて戦う背中を思い浮かべている。
そして銀時はフッと口元を歪め、不敵にニヤリと笑った。
「……言っとくが、俺が元々いたとこじゃ、忍者ってのは侍と同じくらい強くて、かっこいいんだぜ。あいつは……俺が見た忍者に負けねえくらい、強えぞ」
いつもお楽しみいただき、本当にありがとうございます。
ここで書いてて楽しかったのは魑魅一座の二人が銀時の腹部に銃を押し当てるシーンです。源外を煽った高杉と久しぶりに再開したシーンを軽く思い浮かべながら書いてました。
これからもよろしくお願いします。