蜘蛛の子を散らすように逃げていった魑魅一座のメンバーたちは、修行部や、ニャン天丸を捕らえた後のお祭り運営委員会、そしてイズナたちの手によって完全に壊滅した。これにより、百鬼夜行は無事にフィナーレの夜を迎えられるようになったのである。
「……では、私たちはお祭り運営委員会として最後の準備があるので、一旦失礼しますね。キチンとした御礼は後でするのでお待ちください!」
お祭り運営委員会のエプロンを整えながら、シズコが晴れやかな笑顔で一礼する。
「お頭! 良い席でクライマックスをエンジョイ! してクダサイね!」
フィーナも名残惜しそうに大きく手を振った。
「おう、二人ともお疲れさん。残りの仕事も頑張れよ」
その二人を見送ってから、銀時はすっかり活気を取り戻した賑やかな夜の街をぶらぶらと歩いてゆく。
「もうすぐあの、ミレニアムとの合作の花火の時間だよ!」
「遅れる前に早く行こう!」
すれ違う少女たちやロボ頭、動物頭の市民たちが、期待に胸を弾ませて会場へと向かう声が至る所から聞こえてくる。銀時もまた、以前イズナと出会った時に、彼女から教えてもらったとっておきの見晴らしがいい場所へと足を向けていた。
しかし、辿り着いたその場所は、すでに立つ余地もないほどギュウギュウ詰めになっていた。
「けっ、満員電車かよ……こんな時にまでギュウギュウ詰めにされたくねえっての……」
うんざりしたように、ニャン天丸の鉄扇で打ち据えられたことで湿布の貼られた頬を片手で撫でつつ、銀時はため息をつく。すると、そんな凄まじい人混みの奥から、見覚えのある黒い狐耳がぴこぴこと必死に跳ねているのが目に入った。
「ひ、人が多すぎてイズナ、酸欠になりそうです〜……!!」
波に揉まれるように溺れかけている少女の姿に、銀時は口元を緩めた。
「……おーい、イズナ。こっちこっち。早くこっち来ーい」
銀時が声を張り上げて手招きすると、その呼ぶ声に狐耳がぴんっと鋭く反応して伸びた。
「……! 主殿!」
イズナは人混みの中から弾かれるようにして飛び出してくると、嬉しそうに銀時の片腕へと勢いよく飛びついた。
「主殿、申し訳ありません! 先生に特等席で見てもらおうと、ここがいいかなと思ったんですが、人が多くて……」
ふさふさの尻尾を力なく垂らし、イズナがしょんぼりと耳を伏せる。
「……さっさと来い、いーとこ知ってっから」
「え、え? あ、主殿?」
銀時はイズナの小さな手をひょいと引くと、そのまま早歩きで歩き始めた。しかし、その進む方向は、誰もが目指す華やかな祭り会場からどんどん離れてゆくルートだった。手を引かれるイズナは、主君の意図が分からず、ただただキョトンとした顔でその後ろ姿を見つめていた。
──────────
向かった先は、大通りの入り口にある薄暗い駐輪場だった。そこの一角に停められていた一台のくたびれたスクーターへと近寄ると、銀時は手慣れた動作でその運転席へと跨がった。
「ほら、ケツ乗れよ」
「え?」
突然のことに、イズナは目を丸くしてスクーターと銀時の顔を交互に見つめる。
「いーから乗れって。のんびりしてると時間になっちまうから」
「は、はいっ!」
急かす銀時の言葉に煽られて、イズナはスカートの裾を気にしながらも、慌てて銀時の後ろのシートへと飛び乗った。
「しっかり捕まってろよ。お前ら頑丈だから、万が一落ちても怪我はしねーんだろうけど。わざわざ落としたくはねえし」
「……わ、わかりましたっ」
イズナは恐る恐るといった様子で、銀時の背中へとそっと両腕を回し、しがみつくように抱きついた。大きくてがっしりと広い背中。そこから伝わる確かな温もりに、イズナは不思議と胸をドクドクと高鳴らせてしまう。
彼女の両腕がしっかりと自分の胴体へと回ったのを確認してから、銀時はアクセルを捻ってスクーターを走らせた。
エンジン音を響かせながら駐輪場を飛び出し、夜の風を切り裂いて、光り輝く百鬼夜行の中心街からぐんぐんと離れてゆく。
流れる夜景と心地いい風の中、イズナは何故だか急に赤らんでいく自分の頬を隠すように、そっと彼の広い背中へと押しつけていた。
──────────
少し早めにスクーターを走らせて向かった先は、銀時がここ百鬼夜行へと赴いた際にその美しい街並みを見下ろして江戸を懐かしんだ高台だった。先ほどの大混雑していた展望台と比べたら打ち上げ場所からは少し遠いが、その分、中心にそびえ立つ巨大な桜だけではなく、百鬼夜行の情緒溢れる夜の街並みまでも一望できる絶景のロケーションだった。
「……わあ……」
スクーターのライトが消え、目の前に広がったきらびやかな夜景に、イズナは感嘆の声を漏らして瞳を輝かせる。
「すげーだろ、ここ。俺が百鬼夜行に来て、初めて見つけたとっておきの場所さ」
スクーターを停めて二人で降りると、展望のために設けられた古びたベンチへと並んで腰掛けた。街の喧騒は遠く、周りには誰もいない。ただ心地いい夜風が吹き抜ける、二人だけの特別な空間だった。
「……うし、時間ギリギリだ。どうにか間に合ったな」
銀時がスマホで時間を確認しながら呟いた、まさにその瞬間だった。
「……! あ! 始まりましたよ、主殿!」
イズナが勢いよく立ち上がり、夜空を指差す。
百鬼夜行の象徴である巨大な桜の周囲から、まばゆい光の弾丸がいくつも天高くへと打ち上がった。それらは夜空の頂点で弾けると、ミレニアムサイエンススクールとの合作による、壮大なホログラムの花火となって夜空を鮮やかに染め上げていく。
「わぁぁぁ……! すごいです、とっても綺麗です……!」
次々に花開く光の芸術を見上げ、イズナは子供のように歓声をあげる。その横顔は、色とりどりの花火の光に美しく照らされていた。
「おー、すげえなこりゃ。本物の火薬じゃねえってのに、たいしたもんだ。本物みてえだけど、どこかサイバーチックな感じもあって……近頃の技術ってのは、つくづく驚かせてくれるじゃねーの」
銀時はベンチに背を預け、木刀を脇に置きながら、次々と夜空に花咲く大輪の花火を見つめていた。色とりどりの光が、彼の銀髪を鮮やかに染めては消えてゆく。
ちら、ちら、と彼の横顔を見つめていたイズナだったが、やがて意を決したようにベンチに座りなおし、銀時との距離を少しだけ縮めた。どこかもじもじと落ち着かない様子で、彼女は背中にずっと担いでいた小さな風呂敷包みを、そっと膝の上で解き始める。
「……主殿。その、主殿のために用意してきたものがあるんです」
「用意してきたもの?」
銀時が首を傾げ、夜空の花火からイズナの手元へと視線を移した。
丁寧に解かれた風呂敷の中から現れたのは、まだラベルも貼られていない、一本の透明な二合瓶だった。
「……それ、酒か?」
「はい、百鬼夜行の選択科目のお酒作りで、私が自分で醸しているものです。……私が学園を卒業して、成人して、本当に立派な忍者になれた時に飲もうと思ってて……その、もしよかったら、主殿に一番に味見、して欲しくて」
イズナは瓶を両手で大切そうに抱えながら、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……俺でいいのか? 」
「主殿が、いいんです。主殿じゃなきゃ、嫌なんです。……やっぱり、ダメ、ですか?」
少し不安そうに、ふさふさの狐耳を心持ちへにょんと寝かせながら、イズナは潤んだ瞳でじっと銀時を見上げる。
そんな健気でまっすぐな上目遣いをしばらく見つめていた銀時だったが、やがて降参したようにふっと小さく笑うと、二合瓶の隣にそっと用意されていた、素朴な陶器の盃をひとつ手に取った。
「……ったく、しゃーねえな。スクーターで来たってのに。まあ、帰りはタクシーでも呼べばどうにかなるだろうし……それに、こんな特等席で花火を眺めながらの花見酒とか絶対旨いに決まってら」
「……! はい!」
銀時の言葉に、イズナの表情がパッと大輪の花火のように華やいだ。
嬉しそうに耳をぴんと立たせたイズナは、さっそく二合瓶の蓋を丁寧に開ける。トントン、と小気味いい音が夜の静寂に響いた後、彼女は両手で優しく瓶を傾け、銀時が差し出した小さな盃へと、透明な澄んだお酒をとくとくと、静かに注いでゆく。
ふわり、と夜風に乗って広がるのは、米のふくよかで優しい香り。銀時は満たされた盃をそっと持ち上げて、目の前の夜景に一度掲げるようにしてから、静かにくい、と仰いだ。喉の奥へと滑り込み、じんわりと広がっていく心地よい酒気の熱。
隣に座るイズナは、二合瓶を胸元でぎゅっと抱きしめたまま、まるで自らの命運をかけた試験の合否を待つかのように、じ、と彼の横顔を見つめていた。その長い耳が、緊張で心持ち強張っている。
「……どう、ですか?」
おずおずとした、けれど期待と不安の入り混じったイズナの問いかけ。銀時は盃を見つめ、それからふっと息を吐き出して口元を緩めた。
「……うめえ」
「……! よかった……!」
その一言を聞いた瞬間、イズナの顔にパッと花が咲いたような笑みが広がった。嬉しさを抑えきれないように、ふさふさとした尻尾がベンチの上でゆらゆらと大きく揺れる。
「……えへへ、主殿とこうして並んで花火と桜を見て……私の作ったお酒を注いで、飲んでもらえるなんて……。本当に、夢みたいです」
「……俺も、まさか生徒からこうして生徒作の酒を注いで貰えるなんて思ってもみなかったよ。先生になってみるもんだな」
銀時は空になった盃を弄びながら、遠くの夜空で弾けるホログラムの光を見つめる。その声には、いつもの気怠さの中に、確かな温かみが混じっていた。
幸せそうに胸をなでおろしていたイズナだったが、ふと、こく……と小さな喉を鳴らしてから、意を決したように銀時へと真っ直ぐに向き直る。その瞳には真摯な光が宿っていた。
「……主殿、この度はイズナ、色々と迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありません。騙されていたとはいえ、お祭り運営委員会の皆や……何より、主殿を危険な目に遭わせてしまって。イズナは、イズナは……」
自分の未熟さが急に押し寄せてきたのか、イズナはきゅっと唇を噛み締め、耳を伏せようとする。だが、その言葉を遮るように、銀時が低く静かな声をかけた。
「……何言ってんだよ」
「……?」
驚いて顔を上げたイズナの視線の先で銀時は木刀に片手を置き、ぶっきらぼうに、けれど諭すように言葉を続ける。
「生徒ってのは先生に迷惑をかけて、お説教受けて、……それでデカくなってくもんだ。最初から完璧な奴なんて面白味もクソもねえだろ。生徒にかけられる迷惑なら大歓迎だよ、俺ぁ」
「……!」
彼の、その言葉を聞いた途端。イズナは噛み締めていた唇をぽかん、と開けた。目に映るぶっきらぼうなのに、優しさのある眼差し。……ああ、やっぱり、私の……私の運命の主殿は。
「……イズナ、ここに誓います! 主殿は私の夢を、誰よりも真っ直ぐに応援してくださる方! これから先、イズナは主殿に生涯の忠誠を誓います!」
胸を打たれたイズナは、熱い感情をそのままに、きゅっと拳を握りしめて宣言した。そのあまりにも純粋で真っ直ぐな言葉に、銀時は思わず喉を鳴らして笑う。
「……くくっ、そーかい。じゃあ好都合だ。シャーレの仕事が書類の山になってたんまりと溜まってんだ。……忍者の修行の傍ら、手伝いにきてくれよ?」
「もちろんです! イズナができることなら何なりと! 主殿の身の回りのお世話から、お掃除まで何でも言ってください! ですので……主殿」
イズナは顔を少しだけ上気させながら、銀時の空いている片手を、自らの小さな両手でそっと包み込むように握り締めた。柔らかく、けれど決して離さないという強い意志がこもった手のひらの温もりが、銀時の手に伝わる。
「……これからも、イズナを。末長くよろしくお願いします! イズナはこれからも死に物狂いで修行を続けて、侍である主殿の隣に、胸を張って並び立てる本物の忍者となれるように頑張りますので!」
「……ああ。お前が本物の忍者になれたそん時は。お前の作ったこの酒を注ぎ合ってさ。二人で飲もうぜ?」
夜空には、この日一番の大きな大輪の花火が打ち上がり、高台の二人を眩いほどの光で包み込んでいく。
最高の主君に巡り会えた喜びと安心感に満たされながら、イズナはそっと彼の広い肩へと、愛おしそうに自分の頭を擦り寄せた。
「ニンニンっ! えへへ……」
隣から聞こえる小さな鼻歌のような忍びの声を、銀時は引き剥がすこともせず、ただ静かに夜風に当たりながら、遠い夜空の光をいつまでも眺めていた。
──────────
百鬼夜行の件から数日。
買い物での出先で、銀時は歩きながら、視界の端にちらちらと映る見覚えのあるシルエットに気づいていた。それは何かを警戒するように、物陰から物陰へとちょこまかと動いている。
街を歩いている時も……
「……ささっ!」
「……」
銀時が何気なく振り返りそうになると、電柱の陰にすっぽりと隠れる黒い耳。
店の中で割安品を選んでいる時も……
「さささっ……!」
「……」
特売のワゴンセールの向こう側から、明らかに怪しい動きで忍び寄るピンク色の衣装。
本屋で漫画雑誌を立ち読みしている時も……
「キョロキョロ……ささっ!」
「……」
平積みされた単行本の陰から、きらきらとした瞳がこちらの様子を凝視している。
そして、買い物をすべて終えてシャーレへの帰路につく時も、その熱心な尾行は続いていた。
「しゅばっ! さささっ……」
路地裏の木箱の陰へと鮮やかに滑り込んだ影。しかし、そこには先客がいた。
「にゃあお」
「なっ!? 猫殿、しーっ! しーっ、です!」
突然現れた丸々と太った野良猫に、イズナは慌てて人差し指を口元に当てて声を殺す。
「にゃあ?」
「くっ、こうなったら古より伝わる忍者の動物語を……にゃ、にゃあっ! にゃにゃ~ん!」
イズナはきつく印を結び、必死の形相で猫に語りかけた。
「にゃーお」
「通じてない!?」
冷ややかな一瞥をくれて去っていく野良猫を見送りながら、イズナはガーンとショックを受けたようにその場にへたり込んだ。そんな彼女へと銀時は歩み寄り、半目を向けつつ声をかけた。
「……何してんの、お前」
「はい、主殿の尾行を……って主殿!? なぜイズナの存在に気がついたのですか!?」
突然、尾行対象その人から話しかけられたことで驚き、目を丸くしながらしゅばっ、と跳び上がるように起き上がったイズナ。尾行、と隠す様子もなくあっさりと白状してしまった彼女に、銀時は盛大にため息をつく。
「お前の尾行は尾行じゃねーんだよ、目立ちすぎだ目立ちすぎ。まだドMストーカーのほうがよっぽど忍者してたぞ。あっちのがタチ悪かったけど」
そう言って指先で自分の耳を穿りつつ、小柄な彼女を見下ろす。
「ううっ、熟練の尾行に気付かれてしまうだなんて……! 主殿、やはり主殿は侍というより、本当は凄腕の忍者なのでは!?」
「忍者の真似事は昔散々させられたことあっけど違えよ……。つーか、あれは忍者っつーかただのコスプレしてただけだったし……」
はあ、ともう一度重いため息をつくと、銀時は買い物袋を持ち直してイズナへと問いかける。
「……てかなんで俺を尾行して
んだよ、お前は。確かにこの前、『仕える』とか俺に言ってたけどさ」
「はい! 主殿は素晴らしく、本当にすごいお方です! ……ですので、こうして陰ながら護衛をしてました!」
「護衛?」
「素晴らしいお方には奇襲が付きものです! 油断していたら謎の暗殺勢力に襲撃されるやも……!」
「そんな時代劇じゃあるめーし……」
ぽりぽり、とだらしなく頭の後ろを掻きながら、銀時は言葉を続ける。
「……それに、いくら護衛のつもりだろうが、本人の同意なしでこそこそ尾行すんのは褒められたモンじゃねーぞ。アレ、やられる側からするとマジで迷惑だからな。家ん中の天井でずっとプライベートの生活を監視されてたりとかさぁ……」
かつてかぶき町で散々受けていた、あの納豆を愛する始末屋からの過激なストーキング被害を思い出し、銀時は心底嫌そうな顔をして身震いした。
「あ、あう……。うう、申し訳ありません、主殿……。イズナ、良かれと思ってやったのですが、配慮が足りておりませんでした……」
すっかり意気消沈してしまったイズナは、さっきまでピンと立っていた黒い狐耳をしゅん、と完全に寝かせ、大きな尻尾もペタンと地面に垂らして深く俯いてしまう。
そんな目に見えて分かりやすく落ち込む小さな背中を見て、銀時はやれやれと仕方なさそうに肩を竦めた。そして、買い物袋から片手を離すと、イズナの頭をクシャクシャと手荒く、だけど優しく撫で回す。
「……だから。護衛すんなら隠れてコソコソやってねえで、事前にちゃんと言えって。そしたら好きなだけ横に付いてきていいからさ」
「……!! は、はい! わかりました! 今度からは主殿にしっかりと『これより護衛いたします!』とお伝えして、それからお供致します!」
銀時の言葉に、伏せられていた狐耳が弾けるようにぴこんと立ち上がり、その瞳が一瞬で輝きを取り戻す。
それからシャーレへ帰る道中、銀時はずっと、一歩後ろを真剣な顔付きで歩く彼女の賑やかな護衛を受けることになった。隠密のつもりなのか、時折シュババッと不自然にステップを踏みながら付いてくるその小さな影に呆れた様子でため息をついていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これもう実質的に三々九度じゃね?