代わりに銀さんが色々大変な目にあうので彼に免じて許してください。
週に二、三話は投稿できるようにしつつスランプから抜け出せるようにします。
第六十二話 全力の謝罪が届くかは相手次第だからマジで自分の行動は慎んでマジで
アビドス砂漠。
かつて巨大な都市が広がっていたというその広大な砂の海において、文明の痕跡は容赦なく砂塵に呑まれ、乾いた風に削られ続けていた。
真昼の太陽は容赦ない熱線を地上へと注ぎ、立ち上る陽炎が空間を波打たせている。その一角、建物の半分以上が黄色い砂に埋もれ、朽ちかけた鉄骨を無残に晒す廃墟地帯。
人影などあるはずもない死の静寂の中、巨大な瓦礫の陰に、身を潜める一つの影があった。
小鳥遊ホシノ。
普段の彼女であれば、「うへ~、おじさんもう動けないよ~」と欠伸を噛み殺し、昼寝の場所を探してのらりくらりと歩き回っているはずの時間帯。
だが、今の彼女の佇まいには、そんな気の抜けた空気は微塵も存在しなかった。
ピンク色の長い髪は埃よけの布でタイトにまとめられ、オッドアイの鋭い双眸は、陽炎の向こうにある一棟の頑丈なコンクリート建造物をじっと見据えている。左腕には大型のタクティカルシールドを抱え、背には愛用のショットガン。
彼女は砂利一つ鳴らさずに建物の角へと身を寄せると、指先を耳元のインカムへと滑らせた。
「────こちら“タカホシ”。……“オクアヤ”、おくれ」
ノイズ混じりの短いコール音の直後、少女の引き締まった声が鼓膜を震わせる。
通信の向こう側は、何十キロも離れたアビドス高等学校・対策委員会室。防塵カーテンを下ろし、複数のモニターの青白い光に照らされながらオペレーションを執る奥空アヤネだ。
『……こちら“オクアヤ”。そちらのカンよし。おくれ』
互いの本名である小鳥遊ホシノから「タカホシ」、奥空アヤネから「オクアヤ」。
かつて無線技術が発展途上だった時代を思わせる、不格好で、けれど極めて実用的な略号コードネーム。
以前の対策委員会であれば、このような仰々しい真似はしなかった。端末の専用回線で気兼ねなく連絡を取り合い、他愛もない世間話を交えながらパトロールを行っていたはずだ。
だが、状況は一変していた。
先の騒動──アビドス自治区の広大な土地の大部分が、裏で糸を引くカイザー・コーポレーションによって非合法かつ組織的に買い叩かれていたという決定的な事実の発覚。それ以来、この砂漠全域にはカイザー息のかかった私設軍隊や警備ドロイドが平然と闊歩し、通信網には常に高性能な傍受プログラムが張り巡らされている。
ほんの少しの通信の綻び、油断した一言が、即座に敵の索敵網へと引っかかる危険地帯。だからこそ、砂漠深くへと単独潜入するホシノと、拠点で通信を守るアヤネは、徹底的に削ぎ落とした最短の暗号通信を交わすことを義務付けていた。
「こちらタカホシ。目標の建造物まで残り数十メートル。外周の監視網、ドローン哨戒の有無について確認をモトム」
『了解。……衛星画像および簡易スキャナー、直前の熱源反応を再照合中…………確認ヨシ。周辺に移動式の哨戒機影なし。直進ルートに敵反応なし。そのまま進め』
「りょ」
短くそれだけを返すと、ホシノは無駄な通信痕跡を残さぬよう、指先でスイッチを弾いて回線を遮断した。プツン、という乾いた電子音が途切れる。
ホシノは小さく息を吸い、肺腑を焼くような熱気を胸に満たした。
インカムから離した右手で、背中に背負っていた大型ショットガンのスリングを固定し直す。狭い屋内での接近戦闘、ましてや人質救出という極限の状況において、散弾の轟音と過剰な拡散はリスクでしかない。
腰のホルスターから音もなく引き抜かれたのは、使い慣れた自動拳銃だった。スライドを軽く引き、薬室に弾が送り込まれていることを目視で確認する。
乾いた砂を踏みしめるその靴底は、一切の摩擦音を立てない。かつてアビドスの最前線で戦い続けた元・生徒会長代行の肉体言語が、長年の惰眠を脱ぎ捨て、完璧な戦闘機械のそれへと切り替わっていた。
ホシノは滑るような足取りで標的の建造物へと肉薄した。
砂風に削られた分厚い鉄製の扉。
わずかに開いた隙間から、内部の澱んだ冷気と機械油の匂いが漏れ出している。
彼女は扉の正面には決して立たず、壁際に張り付いた。そこから半歩下がり、扉の開口部の角を軸にして、コンパスの針のようにゆっくりと円弧を描きながら横移動していく。
ミリタリーにおける「カッティング・ザ・パイ」の基本技術──部屋の内部を扇状に、少しずつ死角を潰しながら索敵していく精密な動作。
その鋭く研ぎ澄まされた青と琥珀の瞳が、薄暗い室内の情景を一瞬で切り取った。
部屋の一角、粗末なスチールデスクを囲むようにして、三体のカイザー所属とおぼしき重装アンドロイド兵が陣取っていた。
胸元にカイザーのエンブレムを刻んだ無骨な機械兵たちは、こちらの接近に全く気付いていない。卓上に広げられた薄汚れたプラスチックカードを、ぎこちない金属の指先で扱きながら、無意味な賭け事に興じている最中だった。
(……三体。装甲は軽装、武装はアサルトライフルが机の脇に立てかけてある。即座の射撃態勢には入れない。……だけど、普通に撃ち倒せば銃声で上階に感づかれるね)
ホシノは再び建物の外壁の影へと身を引いた。
息の乱れはない。心拍数すら一定に保たれたまま、彼女は拳銃のマガジンキャッチを押し込んだ。
手のひらの中に自重で滑り落ちてきた弾倉を音もなく受け止め、ポーチの中へ。代わりに反対側のポーチから取り出したのは、弾頭部分に青い絶縁塗料が施された見慣れないマガジンだった。
マガジンウェルへと滑り込ませ、カチリと鳴りそうになる微小な金属音すら、手のひら全体の肉で包み込むようにして完全に殺す。熟練の業だった。
(ミレニアムのエンジニア部に感謝しなきゃね。……おじさん、こういう最新のオモチャはあんまり詳しくないんだけどさ)
これはシャーレのコネクションを通じてミレニアムの技術者たちから「実戦環境でのデータ収集を兼ねた試供品」として無償提供された、特殊作戦用のジャミングパルス弾だ。
実包のような破壊力はないが、着弾時に強力な指向性電磁ノイズと高周波パルスを放射し、目標となった機械兵の視覚センサーや画像認識回路を一時的にエラーの渦へと叩き落とす代物。
ホシノは再び扉の隙間へと滑り込み、銃口を構えた。
照準が捉えたのは、三人の機械兵の頭部でも胸部でもない。彼らが足を置いている、スチールデスクの真下──コンクリートの床面だった。
トン、とサプレッサーを介したような鈍い発射音が室内に小さく落ちる。
放たれた特殊弾頭は、狙い過たず三体の足元の中心へと正確に着弾した。
パチン、というショートケーキの蝋燭を吹き消すような小さな破裂音。次の瞬間、青白い微細なスパークが花火のように散り、目に見えない強烈なパルス波が円状に広がった。
「「「!?」」」
直撃を受けた三体のアンドロイド兵の挙動が一変する。
胸部のファンが甲高いエラー音を上げ、頭部の単眼の赤いランプが不規則に明滅を始めた。
「ノイズ……? 視界パラメータに変にズレが……」
「俺もディスプレイに異常信号。昨夜、地下倉庫の粗悪な中古オイルを飲んだからかなあ……」
「馬鹿を言え、我々に消化器系の不調など……しかし、画像処理フレームレートが極端に低下しているな、暑さのせいか?」
機械兵たちは武器を取ることも忘れ、ガタガタと首を傾げながら、自分たちのモノアイを分厚い金属の指先でくしくしと擦り始めた。
視覚情報が完全に砂嵐と残像で埋め尽くされている証拠だ。
(よし、狙い通り)
ホシノはその隙を一切見逃さなかった。
気配を断ったまま、滑るように開いた扉をすり抜け、室内へとエントリーする。
三人の機械兵のすぐ脇、彼らの視覚の死角を矢のように駆け抜け、音一つ立てずに奥の非常階段へと取り付いた。一段飛ばしに駆け上がる足取りは羽毛のように軽い。
螺旋階段を登りきった二階の踊り場。
そこには、階下と違って武器をしっかりと構えた直立不動のドロイド兵が一体、厳重な警備姿勢を取っていた。
だが、ホシノの突入速度はドロイドの反応速度をコンマ数秒上回っていた。
ドロイド兵が階段側からの微かな風圧を察知し、首を巡らせようとした瞬間──ホシノの拳銃がすでに火を噴いていた。
バシュッ。
至近距離から正確に放たれたパルス弾が、首元──装甲板と骨格を繋ぐ最も脆弱な配線束の継ぎ目へとダイレクトに吸い込まれた。
バチバチッ! と激しい火花が散り、過電流がドロイドのメインフレームを直撃する。
機械兵は警告アラームを発する間もなく全身の関節を硬直させ、次いで電源を喪失して崩れ落ちかけた。
ホシノは素早く踏み込み、その巨体が床に倒れて音を立てる寸前、片腕でその装甲を抱きとめた。ズシリとした鋼鉄の重量を膝で受け止め、絨毯を敷くように、静かに、ゆっくりと床の上へ横たえる。
(ふぅ……あっぶな。……で、ここだね)
立ち上がったホシノの視線の先。
倒れたドロイド兵が背中で庇うようにして守っていたのは、外観の廃墟ぶりには似つかわしくない、分厚い防爆仕様の重厚な鉄扉だった。電子ロックはすでに何者かによって解除され、原始的なかんぬきだけが掛けられている。
ここに、今回の作戦のすべてがある。
探し求めていた目標が、この薄い鉄の板の向こうにいる。
ホシノは確信を込めながら、わずかに湿った自分の掌を制服のスカートで拭うと、ゆっくりとドアノブへと手を伸ばした。
蝶番の軋む音を可能な限り殺しながら、そうっと、慎重に、扉を開け放つ。
──────────
ギィ……と微かに鳴った隙間から、澱んだ空気が流れ出してきた。
室内は遮光カーテンが固く閉ざされ、真昼だというのに夕暮れ時のような薄暗さに包まれていた。
舞い上がる埃が、わずかな隙間から差し込む一筋の光に照らされてキラキラと浮遊している。
埃っぽさと、錆びた鉄の臭気。そして、どこか饐えたような、人間が極限状態で放置されていたことを物語る匂いが鼻腔を突く。
ホシノは思わず眉を顰めそうになるのを堪え、瞬きすら惜しむようにして部屋の隅々へと視線を走らせた。
敵の伏兵は……なし。
罠の類いも敷設されていない。
そして──部屋の最奥、窓際の太い鉄骨の下に、それはあった。
「…………あ」
声にならない呼気が、ホシノの小さな唇から零れ落ちた。
目標。
彼女が……いや、彼女達が何日も、血眼になってその行方を追い続けていた存在。
アビドスを、そしてキヴォトスを奔走しながらもいつも飄々と、そしてヘラヘラと軽率な笑みを浮かべていた彼。
その彼が、そこにいた。
「……先生……っ」
喉の奥からせり上がってくる熱い塊と、叫び出しそうになる感情を、ホシノは奥歯を強く噛み締めることで必死に押し殺した。
駆け寄る足が、もつれそうになる。床に転がる瓦礫を蹴飛ばさないよう、必死に理性で手足を統制しながら、彼女は影のようにその足元へと滑り込んだ。
男──坂田銀時の姿は、痛々しいという言葉すら生ぬるい状態だった。
両手首には無骨な鋼鉄の手枷が嵌められ、窓枠の上部を通る太い鉄骨から吊るされるようにして固定されている。体重を支えきれなくなった体はだらりと垂れ下がり、足先だけが辛うじて床に触れていた。
そして何より、その頭部には目の粗い麻袋がすっぽりと被せられ、外界の光も、自らの呼吸すらも遮断されていた。
ホシノの指先が微かに震える。
彼女は息を殺しながら、銀時の頭部を覆うそのざらついた麻袋へと手を伸ばした。
擦れる音を立てないよう、慎重に、布地を上へと捲り上げていく。
露わになったのは──見慣れた、白髪の天然パーマだった。
埃と砂にまみれてくすんではいるが、決して見間違うはずのない、あの柔らかな髪。
そして、現れた顔。
普段は死んだ魚のような濁った目をしているくせに、こうして黙って瞼を閉じていると、腹が立つほど端正に整っているその輪郭。
数日間まともな水も食事も与えられていなかったのだろう、頬は微かに痩け、顎の周りには不揃いな無精髭がジョリジョリと伸びていた。
漂ってくる饐えた匂いと、微かに乱れた呼吸音。その生々しさが、彼が確かにここで生きて、囚われ、苦痛に耐えていたのだという現実を突きつけてくる。
(……なんで、袋を被せられてたのに……)
ホシノの胸の奥が、ツンと痛んだ。
麻袋を捲る前、頭部が完全に隠されていたそのシルエットを見た最初の一瞬で、なぜ自分は彼だと確信できたのか。
体格か、着物の端切れか、それとも──。
自分の中で彼という存在が、どれほど深く、どれほど強烈に焼き付いてしまっていたのか。
その想いの重さに気づきそうになり、ホシノは咄嗟に首を横に振って思考を振り払った。
駄目だ。自覚してはいけない。今は感傷に浸っている場合じゃない。一秒でも早く、この人を安全な場所へ連れ出さなければ。
「……今、外すからね」
届いているかもわからない極小の囁きを落としながら、ホシノは制服のポケットへと手を突っ込んだ。
指先が捉えたのは、事前にシロコから「こういう事態もあるかもしれない」と手渡されていた、細身の金属製ピッキングツールだった。
ホシノは銀時の手首を固定する手枷の鍵穴へと、ツールを迷いなく滑り込ませた。
カチャ……カチャリ。
手慣れた手つきで内部のピンの感触を探る。かつてのアビドスでの過酷な日々、あるいは裏社会の連中との衝突の中で培われた、およそ女子高生には似つかわしくない技術。
数秒の静寂の後、小気味よい金属音とともにシリンダーが回った。
ガシャン、と重たい枷が外れる。
支えを失った銀時の大柄な体が、重力に従って前へと倒れ込んできた。
「おっと……っと」
ホシノは咄嗟に踏み込み、倒れかかってくる銀時の胸板を真正面から受け止めた。
ずっしりとした大人の男の重み。体温は少し低く、衣服越しに伝わってくる心音だけが、トク、トクと弱々しく、けれど確かにリズムを刻んでいる。
自分よりも頭一つ以上大きく、骨太な身体。
だが、今のホシノにとってその重さは、愛おしさと安堵の重さでしかなかった。
「……ん、しょっと」
ホシノは華奢な身体からは想像もつかない筋力と重心移動で、銀時の身体を軽々と抱え直した。いわゆる俵担ぎの要領で、自らの肩の上へとその巨体を安定させる。
銀時の顔が、ホシノの背中にだらりと預けられた。白髪の毛先が、彼女の首筋をくすぐる。
振り返り、部屋の出口を見る──いや、階段を使うのはリスクが高すぎる。下のドロイド兵たちのパルス効果が切れ始めている頃合いだ。
ホシノの視線は、鉄骨のすぐ横にある開け放たれた窓枠へと向かった。
二階とはいえ、瓦礫が堆積している砂漠の外壁なら、落差はせいぜい四メートル程度。
「先生、ちょっと揺れるよ」
返事のない背中の荷物に短く声をかけると、ホシノは迷いなく窓枠へと足をかけた。
熱風が二人の髪を激しく乱す。
彼女は靴底で窓枠を強く蹴り上げると、銀時を抱えたまま、砂塵の舞う虚空へと身を躍らせた。
トン、と膝を柔軟に使って砂山の上へと見事な着地を決める。
砂煙が一瞬だけ周囲を覆い隠した。
警報のアラームはまだ鳴っていない。敵の追手が異変に気づく前に、このエリアを完全に離脱しなければならない。
ホシノは肩の上の銀時を落とさないようしっかりと腕でホールドし直すと、照りつける太陽を背に受けながら、砂漠の廃墟が落とす濃い影の隙間を縫うようにして、脱兎のごとく駆け出した。
砂を踏みしめるその足取りは、先ほどまでの潜入時とは違い、大切な宝物を巣へと持ち帰る獣のようにひたむきで、力強いものだった。
──────────
「……ぃ」
「……せい」
「……て……さい、せん……」
「起きてください、先生っ!!」
鼓膜を突き抜けて脳天へ直接響く、鋭くもどこか神経質な金切声。
聞き慣れた、しかしここしばらくの過酷すぎる生活のせいで、前世の記憶のようにすら遠のいていた少女の声だった。
連日の飢えと、肌を容赦なく焦がす熱帯じみた酷暑、そして薄暗い採掘現場の土煙から逃れるために自ら遮断していた意識の蓋が、乱暴にこじ開けられる。
(……あー、うるせぇな……。誰だ日曜の朝から人の枕元で大声出してやが……)
鉛のように重たい瞼を、乾ききった眼球を擦り合わせるようにしてゆっくりと押し上げた。
視界に飛び込んできたのは、ここ数ヶ月ずっと見飽きていたカビ臭い地下牢の土壁でも、トタン屋根の隙間から差す無慈悲な太陽光でもなかった。
網膜を刺すような清潔な白。ツンと鼻腔をくすぐる消毒液の匂い。規則的な電子音を刻む生体モニター。
どこかの近代的な病院の一室──その中央に据えられた、ふかふかのベッドの上だった。
「……! 起きた、先生が起きたわ!!」
枕元でパイプ椅子から飛び上がったのは、ミレニアムサイエンススクールの計算高いツインテール、早瀬ユウカだった。
その瞳には大粒の涙が揺れ、普段のきっちりとした会計監査用の険しい表情は見る影もなく崩れている。
「ん、……よかった。本当に、よかった」
ベッドの反対側から身を乗り出し、細い指先でそっと掛け布団の端を握りしめたのは砂狼シロコだ。
いつもは淡々としている彼女の狼耳が、今は安心を隠しきれないようにぺたりと倒れ、その双眸には静かな、しかし確かな熱が宿っていた。
「わ、私、すぐにお医者さんを呼んできますね! 安静にしていてください!」
奥村アヤネが眼鏡を押し上げながら、今にも転びそうな勢いで病室の引き戸を開けて廊下へと走り去っていく。
「よ、よかったです主殿ォ……! イズナ、主殿がこのまま二度と目を覚まさなかったらどうしようかと、どうしようかと……ッ!」
ずびずびと派手に鼻をすすりながら、掛け布団の上へダイブしてきたのは久田イズナだった。
ふわふわとした大きな狐尻尾を千切れんばかりの勢いで左右に振り乱し、ぽろぽろと涙を零しながら銀時の着物の袖にしがみついてくる。
周囲から四重奏のように浴びせられる、聞き馴染みのある少女たちの騒がしい声。
耳が痛くなるほどの熱量。こんなに賑やかで、鬱陶しくて、温かい空間は一体何ヶ月ぶりだろうか。
銀時は乾いた喉を蠢かせ、いつもの調子で軽口を叩こうとした。
(ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー喧しいんだよお前ら……。発情期じゃねえんだからもうちっと静かに……)
「……ッ、が……あー……」
しかし、喉から這い出たのは、干からびた雑巾を絞ったような掠れ声だけだった。声帯が長い休眠から目覚めきっておらず、言葉としての体をなさない。
情けなく胸元を押さえて咳き込む銀時を見て、枕元のすぐ横から、ひときわ呑気で、しかし底知れない重みを含んだ声が降ってきた。
「まあったく……みーんな心配してたんだからねえ? ここ三ヶ月もぷっつり行方をくらましてさ。キヴォトス中ひっくり返してようやく居場所を掴んだと思ったら、カイザーコーポレーションの非合法採掘場で強制労働させられてるなんてさぁ」
ため息交じりに紡がれる言葉。
銀時がゆっくりと首を傾けると、そこにはパイプ椅子の背もたれに両腕と顎をちょこんと預け、下から覗き込むようにこちらを見つめる小鳥遊ホシノの姿があった。
ピンク色の長髪を揺らし、オッドアイの瞳を細めて「へへっ」と気の抜けた笑みを浮かべている。
その表情は、一見すると普段と変わらない、昼寝が大好きな自称ぐうたらおじさんのそれだった。
部屋を見渡せば、ユウカは胸に手を当てて震える指先でスマートフォンを操作し、「モモイ、先生が……先生が意識を取り戻したわ!」と、半ば泣き声でゲーム開発部の面々に連絡を入れている。
部屋の隅では十六夜ノノミが「本当によかったですねぇ……」とハンカチで目元を拭い、黒見セリカは腕を組んでそっぽを向きながらも「……バカ先生、心配かけさせんじゃないわよ」と耳まで赤くして安堵の息を吐き出していた。
イズナに至っては、銀時の胸板に額をすりつけ、ぬくもりを確かめるように「主殿……主殿ぉ……」と嗚咽を漏らし続けている。
(ああ……)
銀時は天井の白い蛍光灯を見上げ、ぼんやりと息を吐き出した。
地下深泥の採掘場で、クワとツルハシを握らされ、配給される僅かなカビ臭いパンと濁った水だけで食い繋いだ地獄の日々。
背中にはムチこそ打たれなかったものの、重機のアンドロイドたちに怒鳴られ、埃と泥にまみれて「糖分が足りねェ……ジャンプが読みてェ……いちご牛乳を点滴してくれ……」と壁に爪を立てていたあの日々は、ようやく終わったのだ。
(帰ってきたんだな、俺。日常ってやつに……)
思わず目頭が熱くなる。
散々厄介事を押し付けてくるガキ共だと思っていたが、こうして命がけで自分を救い出し、涙を流して喜んでくれる存在がいる。
人間、捨てたもんじゃない。先生なんてガラじゃねえとずっと思ってたが、たまにはこいつらのために真面目に大人の背中ってやつを見せてやるのも悪くねえかもしれない──。
そんな、坂田銀時の人生において極めて稀な、奇跡的に美しく殊勝なセンチメンタリズムに浸りながら、体力を回復させるべく再び心地よい微睡みへと瞼を閉じようとした。
その、まさにその瞬間だった。
「────あ、ねえねえ。おじさんね、先生がまた寝ちゃう前にさ。ちょーっと見てもらいたいものがあるんだよねぇ」
至近距離から、耳元をすり抜けるように掛けられたホシノの声。
そのトーンが、先ほどまでの「おっとりした脱力系」から、わずかに、しかし決定的に「温度」を失っていた。
「……あ?」
銀時が薄目を開けると、ホシノは椅子の横に置いていた使い古しのスクールバッグから、手慣れた所作で自身のスマートフォンを取り出していた。
画面のロックを手早く解除し、動画プレイヤーのアイコンをタップする。
そして、その液晶画面を、銀時の顔面のわずか十センチほどの至近距離へと無言で突きつけた。
「ほら、これ。再生ボタン、押しちゃうね?」
画面に映し出されたのは、粗い画質の監視カメラ映像だった。
薄暗いフロアの中に、無数のサイケデリックなネオンが毒々しく明滅している。
立ち並ぶ派手な装飾の機械の前に、多種多様なアンドロイド市民や動物市民たちが、まるで機械の部品のように規則正しく、かつ異様な執念を漲らせて背中を丸めて座り込んでいた。
スピーカーからは、けたたましい電子音、けたたましく鳴り響くファンファーレ、そしてジャラジャラジャラジャラという暴力的なまでの金属音が絶え間なく溢れ出ている。
「これね、ブラックマーケットの最深部にあるパチンコ屋の防犯カメラ映像。ほら、あそこってアビドスやトリニティの正規の街にある健全なアミューズメント施設と違ってさぁ……レートが百倍とか二百倍に跳ね上がってる、悪名高い違法な闇店なんだよねぇ」
ホシノの声は、どこまでも平坦だった。
平坦すぎて、逆に背筋へ氷水を一気に流し込まれたような悪寒が走る。
「なんでも、一晩で家が建つか、あるいは命ごと身包み剥がされるかっていうギャンブラーの聖地らしくてさ。カイザーファイナンスの連中が裏で仕切ってる、一番タチの悪い資金源の一つなんだって。……ねえ、先生。ここ、すっごく見覚えあるでしょ?」
画面の中で、カメラのレンズがぐぐっとズームしていく。
フロアの最奥、最も射幸心を煽るド派手な「超・大宇宙海賊メガミリオン」と書かれた巨大な筐体の前。
そこに座っていたのは──。
白髪頭に、黒いインナー、そして片肌を脱いだいつもの渦巻き模様の着流し。
間違いなく、そこには坂田銀時その人が鎮座していた。
映像の中の銀時は、死んだ魚のような目を血走らせ、口元からだらしなく涎を垂らしながら、狂ったようにハンドルの固定位置をミリ単位で調整していた。
目の前のドル箱は、すでに底をついて空っぽ。足元に転がっているのは、何十本目かもわからないエナジードリンクの空き缶の山。
その痩せこけた頬と荒い呼吸は、画面越しでもはっきりとわかるほど凄惨に憔悴しきっていた。
(あ…………)
銀時の脳裏を、走馬灯のようにあの夜の記憶が駆け巡る。
─── あれは三ヶ月前。シャーレの経費精算を終え、ユウカからの小言から逃れるようにして夜の街へと繰り出したあの日。
ふらりと足が向いたブラックマーケットで、「激アツ! 確変継続率九十九パーセント!」という甘美な看板に魂を奪われた。
財布の中には、今月の生活費。
最初の千円でリーチがかかったのが全ての運命の狂い咲きだった。
「勝てる……! 今の俺は潮目が来てる! これで今までの負け分を全額チャラにした上に、パフェ一生分稼いでやるぜェェェ!!」
そんな浅ましい妄想に取り憑かれ、気づけば諭吉は紙吹雪のように消え去り、消費者金融の端末で限度額いっぱいまで電子サインを殴り書き──。
画面の中の銀時が、突如として両手で白髪をむしりながら、絶望に満ちた叫びを上げて大きく仰け反った。
液晶演出の「激熱」「金保留」「全回転フリーズ」が、無慈悲にも外れた瞬間だった。
そして次の瞬間。
逆上した画面の中の銀時は、雄叫びを上げながら立ち上がり──渾身の力を込めた右ストレートを、筐体のど真ん中、液晶画面へと叩き込んだのである。
バリンッ! という鈍い破壊音(監視カメラのマイクが音割れするほどの衝撃)とともに、火花を散らすパチンコ台。
エラー警告音がけたたましく鳴り響き、赤色灯が狂ったように回り出す。
数秒と経たぬうちに、奥の事務所から棍棒やアサルトライフルを手にしたカイザーの屈強な黒服アンドロイドたちが雪崩を打って現れた。
銀時は木刀を抜こうとするも、連日の不摂生と泥沼の敗北による脱力で足をもつれさせ、あっけなく数名のアンドロイドに組み伏せられ、床に顔面を擦りつけられる。
そして、両手両足を掴まれ、まるで出荷される養殖マグロのように情けなくじたばたと暴れながら、ネオン煌めく店の裏口へと引き摺られていった──。
映像は、そこでプツリと途切れた。
病室が、静まり返っていた。
先ほどまで満ちていた「感動の再会」の空気は、分子レベルで急速に凍結し、絶対零度へと叩き落とされている。
チー……ンという、耳鳴りのような静寂。
生体モニターの心拍数を示す電子音だけが、ト、ト、ト、トトトトトトトッ! と、銀時の恐怖に比例して異常なハイテンポを刻み始めていた。
「……ちょうど、先生がシャーレから忽然と姿を消した日の、深夜二時四十五分の映像なんだよねぇ」
ホシノがスマートフォンをパタンと裏返し、ベッドサイドのテーブルに置きなら言葉を続ける。
「これね、ゲヘナの風紀委員長ちゃんがさ。『バカ先生の行方がわかりました』って、直通回線で送ってくれたんだよ? ……ねえ、先生?」
ひっ、と銀時の喉から情けない引き攣り声が漏れた。
視界の端で、さっきまで涙を流して銀時にすがりついていたはずのイズナが、野生の本能で尋常ならざる死の気配を察知したのか、ガタガタと全身の毛を逆立たせ、涙目で部屋の最も遠い隅っこへと音もなく這って後退していた。
「主殿……ご武運を……イズナには、これ以上はどうすることも……ニンニン……!」
忍者が主君を見捨てるなァァァ!! と心の中で絶叫する銀時だったが、もはや視線をイズナに向ける余裕すらない。
「自業自得、ですねぇ……⭐︎」
ノノミが、いつもの眩しい天使のような笑顔を浮かべながら、背中に背負っていたミニガンの給弾ベルトをジャラリと撫でた。その笑顔の奥の瞳には、ハイライトが一切存在していない。
「私、先生を探すためにここ三ヶ月、バイト代全部注ぎ込んで情報屋雇ったのよ? 毎日毎日、睡眠時間二時間でチラシ配って……心配で、ご飯も喉を通らなくて……それなのに……それなのにッ!!」
セリカがプルプルと肩を震わせ、般若のような形相で顔を背けた。その手にはすでにしっかりと愛銃が握られている。
カチャリ、と硬質な金属音が病室に響いた。
「ん、先生のパチンコ癖の悪さと、金銭感覚の破綻には、前々から目に余るものがあった。一度徹底的な外科手術が必要」
シロコが無表情のまま、愛用のアサルトライフルのマガジンを叩き込み、手際よく遊底を引いて初弾を薬室へ送り込んでいた。その青い瞳は、砂漠で獲物を追い詰めた狼そのものだった。
そして──。
もっとも恐ろしい気配を放ちながら、銀時の枕元へと影を落としたのはユウカだった。
彼女の手には、いつの間にかシャーレの業務日誌と、分厚い領収書の束、そして二丁のサブマシンガンが握られていた。
額には青筋がくっきりと浮かび上がり、その双眸から滾る怒りの炎は、触れるもの全てを炭化させそうなほどの熱量を放っている。
「……三ヶ月。丸々三ヶ月よ、先生」
ユウカの低くドスの利いた声が、銀時の鼓膜を直接削り取る。
「先生が消えてから、シャーレの業務は完全にストップ。各生徒会からの問い合わせに私が毎日頭を下げて、各学園のトラブルの調停に走り回って、徹夜で書類の山を片付けて……! その間、先生がどこかで冷たい骸になってるんじゃないかって……誘拐されて酷い目に遭ってるんじゃないかって……! 私たちがどれだけ、どれだけ泣いたと思ってるの!?」
「い、いや、ユウカちゃん? あの、ですね? これには海より深くて宇宙より広大な大人の事情ってヤツがだな……!」
「黙りなさいッ!! カイザーの奴らに捕まった理由が『闇パチンコで全財産スッて台を壊して器物損壊の現行犯でタコ部屋送り』ですって!? 万死に値するわよ、このダメ人間────ッッ!!」
「ぎゃあああああああッッ! すいませんでしたァァァッ!!」
銀時は取り戻し始めた声を張り上げて掛け布団を引っぺがし、痛む体に鞭打つようにしてベッドの上で土下座のような体勢を取ろうとした。
しかし、三ヶ月の重労働と栄養失調でガタがきている肉体は悲鳴を上げ、まるで生まれたての小鹿のようにプルプルと震えてその場に突っ伏すことしかできない。
逃げ場はない。
左右をシロコとユウカに塞がれ、後方には冷徹な笑顔のノノミと怒髪天を衝くセリカ。
そして正面には──。
「あはは。先生、そんなに怯えなくてもいいんだよ?」
ホシノが、のっそりと立ち上がった。
彼女の手には、いつの間にか愛用の巨大なシールドと散弾銃がしっかりと構えられていた。
彼女は目を細め、まるでお昼寝から目覚めたばかりの猫のように、ふわっと優しく微笑む。
「おじさんたちも鬼じゃないからさ。命まで取ったりはしないよ。先生にはこれから、みっちり働いてアビドスとシャーレに迷惑料を返済してもらわなきゃいけないしねぇ」
カチャリ、とショットガンのフォアエンドが引かれ、重々しい装填音が響く。
「だからね、ちょーっとだけ、お灸を据えようねって話。わかるでしょ? ほら、いつもの……対先生用の、ちょびっと痛いだけの、特注ゴム弾だからさ」
「嘘つけェェェッ! お前らの『ちょっと痛い』は普通の人間がミンチになるレベルだろうがァァァッ! ゴム弾だろうが至近距離でショットガン喰らったら内臓破裂すんだよ! アバラが粉々になって死んじゃうよ!? おいシロコ! 安全装置外してんじゃねえ! ユウカ! 二丁ともこっち向けんじゃねえェェェッ!?」
「ん、先生。痛いのは一瞬。我慢して」
「これからのキヴォトスの平和と、先生の性根を叩き直すための、必要経費ですッ!!」
「あ、アヤネちゃん! 早く医者を! 医者を呼んできてくれェェェ! 別の意味で手遅れになるゥゥゥッ!!」
銀時の絶叫は、冷酷なカチャカチャという無数の銃器の作動音によって掻き消された。
ホシノがにっこりと、本日一番の慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。
「それじゃあ先生。可愛い生徒たちの愛のムチ、しっかり受け止めてね~?」
三人が、否、病室にいた生徒たち(隅のイズナを除く)全員の銃口が、一斉にベッドの上の白髪頭へと向けられ──。
容赦なく、一斉に引き金が引かれた。
ドバババババババババババババッッッ!!!!
ズガァァァァァァァァンッッ!!!!
「うっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!?!?!?!?!?!?!?!?」
初秋の澄み渡る青空の下。
キヴォトス中央病院の特別病棟からは、火薬の煙とともに、魂の底から絞り出された情けない男の絶叫が木霊したのだった。
とっぴんぱらりの、ぷう。
こんなに待たせてしまったのはちょっと仕事の都合でだいぶ時間とか心の余裕とか削られてまして……漸く戻ってこれた次第です。
本当に申し訳ありません。これからも何かあったら彼に色々大変な目に遭って貰うのでどうぞこれからも拙文をよろしくお願いします。