ブルーアーカイブ 透き通る青春よ永遠なれ   作:Jon.Do

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銀さんがシロコと出会ったので初投稿です


第一章 アビドス対策委員会篇
第六話 砂漠の街のユメノアト


 深々と白い雪が降る墓地に、私は立っていた。

 

 見覚えのない景色だった。墓石の形も、私の知るものとは随分と異なっている。けれど、その一基一基に「○○家之墓」と刻まれているのを見て、ここが墓地なのだと理解した。

 

 好き好んで足を運ぶ者などいないだろうが、私は昔から墓地という場所が苦手だ。敷地に一歩足を踏み入れるたび、あの苦い後悔が、鋭い棘となって私の胸を苛むから。

 

 ちり、と小さく痛む胸を片手で押さえながら、雪を踏みしめて歩いていく。

 

 すると前方、とある墓石の前に、一人の年老いた女性が屈み込んでいるのが見えた。ちょうど墓参りに訪れたところなのだろう。百鬼夜行の生徒たちが着ているような、どこか見覚えのある和装を纏っている。だが、彼女の頭上には「ヘイロー」が浮かんでいない。キヴォトスではない、どこか遠い世界の出身なのだろうか。

 

 そんな私の疑問をよそに、女性は目の前の墓石へと、白くて丸い饅頭と思しきものをそっと供えた。

 その瞬間、静まり返った墓地に、突如として低く無遠慮な男の声が響き渡る。

 

「……おいババア。それ、饅頭か」

 

 どこからその声が響いたのかと周囲を見渡すと、ちょうど老女が饅頭を供えた墓石の真後ろだった。墓石を背もたれにするようにして、一人の白髪の青年が気だるげに腰を下ろしている。

 

 青年は視線をこちらに向けることもなく、言葉を続けた。

 

「それ食べていい? 腹減って死にそうなんだ」

 

 それを聞いた老女は、怒る風でもなく小さく笑ってから言った。

 

「そりゃアタシの旦那のモンだ。旦那に聞きな」

 

 青年はその言葉が終わるのを待ちきれないとばかりに、素早く手を伸ばした。そして、躊躇いもなく、貪るようにして饅頭へと齧り付く。その姿はどこまでも図々しく、同時にひどく飢えているようにも見えた。

 

 呆れたようにその光景を見ていた老女が、やれやれといった表情で言葉を続ける。

 

「……なんて言ってた? アタシの旦那」

 

「知らね。死人が口聞くかよ」

 

 青年のその言葉を聞いた瞬間、私は思わず眉をひそめ、彼へ向ける目つきを鋭くしてしまった。あまりの図々しさと、死者に対するデリカシーのなさに、胸の内で冷ややかな感情が湧き上がる。

 

 しかし老女は気分を害した様子もなく、相変わらず穏やかな微笑みを浮かべたまま、呆れたように言葉を続けた。

 

「罰当たりな奴だね。祟られても知らんよ」

 

 その警告のような言葉に、罰当たりにも供え物を貪った男が言葉を続ける。

 

「死人は口も聞かねえし団子も食わねえ」

 

 どこまでもデリカシーのない男だ。もし、大切なあの人の墓にこんな輩が現れたら──。そんな憤りと、理不尽に重ね合わせてしまった感情に突き動かされ、男に歩み寄ろうとした。

 

 しかし、直後に続いたその男の言葉に、私は思わず足を止め、目を丸くする。

 

「……だから勝手に約束してきた」

 

 勝手に、約束? この男は一体何を言っているのだろう。死人は口を利かないと言ったのは、他ならぬ自分自身だろうに。

 そんな疑問を頭に浮かべる私をよそに、まるで私の存在など最初から見えていないかのように、男は平然と言葉を重ねる。

 

「この恩は忘れねえ。アンタの婆さん、この先老い先短い命だろーが……」

 

 男はそこで一度言葉を切り、どこか遠くを見つめるような、それでいて確固たる光を宿した瞳で静かに告げた。

 

「この先は。アンタの代わりに俺が護ってやるってよ」

 

 ──────────

 

「……なんの夢を見てたんだろ、私」

 

 その男の言葉を最後に、気付けば私はベッドの上で目を覚ましていた。

 いつも私を苛むのは、もっと違う夢だ。あの日の、あの光景。胸を抉るような、後悔の夢ばかりなのに。

 窓の外の気配を感じながら、私はまだ熱の残る夢の記憶を、そっと手繰り寄せていた。

 

「……学校に行く準備、しなきゃ」

 

 長く伸ばした桜色の髪に櫛を通し、頭のてっぺんで跳ねる癖っ毛を軽く整える。

 それから、見慣れた学校の制服に腕を通し、鏡の前で一度自分の身なりを確認した。

 

「……うへ〜」

 

 そうして鏡の向こうの自分に向かって、一度だけ、わざとらしく間抜けた声を漏らす。

 

 これでよし。

 みんなに余計な心配をさせない、いつも通り眠たげな、みんなの先輩の完成だ。

 

 それまで心の内を映すように鋭かった自らの眼差しを、いつものように緩ませる。

 

 そうして玄関へと向かう途中、ふと、棚の上に飾られた一枚の写真へと目を向けた。

 まだ髪が短く、今よりもずっと目つきの鋭かった私の隣で、穏やかな笑顔を浮かべる水色の髪の……私の、大切な先輩。

 写真の中の先輩を見つめていると、胸の奥から熱い感情がこみ上げてくる。それをぐ、と喉の奥で堪えながら。私は静かに微笑んだ。

 

「───── 行ってきます。先輩」

 

 そう小さく告げて、重い扉を開ける。

 目の前に広がったのは、どこまでも果てのない、白く渇いた砂漠の世界だった。

 

 ──────────

 

「───── 学校への支援要請、ねえ」

 

 先日、シャーレの顧問にして先生としての肩書を半ば押し付けられる形で得た銀時は、だらしなく部室に置かれた事務机に足を投げ出し、鼻をほじりながら手に持つ手紙を眺めていた。

 

 タワマンのように積まれた依頼書の中でも、一際必死な様子が綴られた手紙。

 奥空アヤネと名乗る手紙の主の几帳面さを伺わせる、ピシッとした文字が並ぶその中身は、要約するとこんなところだろうか。

 

 地域の暴力組織によって高校が危機に陥っていること。

 

 今はどうにか校舎を守っているが、弾薬などの補給が尽き掛けていること。

 

 このままでは暴力組織によって学校を占拠されてしまうこと。

 

 だから私たちの学校を救って欲しい。その木刀一つで戦車を叩き潰した、先生の力で──── と。

 

 その手紙の宛先の校名を見た、端末の中のアロナが目を閉じて考え込む。

 

「アビドス高等学校、ですか……」

 

「どんなとこなんソレ」

 

 穿った鼻から出てきた汚いソレに「うおでっか」と呟いてからゴミ箱へと飛ばしつつ問いかける銀時に、じとりとした眼差しを向けながらアロナは続ける。

 

「昔はとても大きな自治区でしたけど、環境の変化によって街が非常に厳しい状況になってしまったと聞いています」

 

 そしてアロナは手振りでどーん! と大きなジェスチャーをしながら言葉を続ける。

 

「どのくらい大きいかというと、街の真ん中で遭難する人が出るくらいだそうです!」

 

「なにそれ。どっかの都市の駅みてえにぐちゃぐちゃに通路が敷かれてるとかそーゆーオチだったりするんじゃねーの?」

 

 俄かに信じられない、と言わんばかりに銀時が目を細めて告げると、アロナは「まあソレもそうですよね……恐らく誇張か何かかと」と苦笑いをして見せた。

 

「それより学校が暴力組織に襲われてるだなんて……只事じゃありませんね」

 

「俺からすりゃ年端もいかねえJKが銃をデコってドンパチやってる方も只事じゃねえと思うんだけど」

 

 そう言って、ピラピラと手にした手紙を揺らしながら大きくため息をついた。このキヴォトスという銃弾が飛び交う街にやってきてそれなりに経つが、未だに銀時の常識の枠組みはこの歪な日常に馴染みきっていない。

 

「とにかく、これだけ必死な要請を無視するわけにはいきません! 先生、すぐに出発しましょう!」

 

「はいはい。ったく、木刀一本で戦車だなんだとかって情報の回りが早いったらありゃしねえ。イマドキ女子のバズりへの執念半端なさすぎだろ。俺のプライベートってモンそのうち無くなりそうで怖えんだけど……」

 

 文句を並べ立てながらも、銀時は重い腰を上げて事務机から足を下ろした。壁に立て掛けてあった愛用の木刀「洞爺湖」をひっ掴み、腰ベルトへと差し込む。

 その姿を見て、端末の中からアロナが期待を込めて目を輝かせた。

 

「おお……! これがサムライの出撃風景! アロナ、全力でアビドスまでのナビゲーション実施します!」

 

 ─────────

 

「……てさあ、アロナちゃん気合い入れてたよね」

 

「はい!」

 

「聞きてえんだけど自治区に入って学校目指し始めて今何日目だっけ?」

 

「3日目ですね!」

 

「3日目ですね! ……じゃねーんだよ! マジで俺街中で遭難してんじゃん! どーしてくれんだポンコツナビ娘!」

 

「そんなこと言ったって仕方ないじゃないですか! こんなに広くて複雑だとは思わなかったんですー!」

 

 見渡す限り、どこまでも乾いた砂の海に囲まれた街が広がっている。吹き付ける熱風が砂を巻き上げ、銀時の天然パーマを容赦なくカサカサにしていった。

 最初の景気良い返事はどこへやら、端末の中で涙目で言い訳をするアロナに、銀時は死んだ魚の目をさらに澱ませる。

 

「おいおいおい、遭難者が出るくらい広いって自分で言ってただろーが! 人がせっかく重い腰上げたらこれだよ。救う前に俺のライフがゼロになるわ! 水! 水くれよ! 糖分でもいいぞ、いちご牛乳の川はどこだコラ!」

 

「ううっ、現在地を再計算中ですので、もうちょっとだけ歩いてください、先生!」

 

「どんだけ歩かせんだよ学校どころかガンダーラに行かせるつもりなんですか天竺まで行かせるつもりなんですかアァン!?!?」

 

「ふにゃぁぁぁ!! 画面をツンツンするのやめてくださいー!!」

 

 あまりの暑さと空腹、喉の渇きに苛立ちを止められない銀時は、手に持つタブレットの画面を怒涛の勢いで連打していた。

 ここまでくれば、もはや怒号の引き立て役でしかない不毛な口喧嘩しか、この静かな街には響いていなかった。

 

 この自治区に入ってから目に映るのは、どこまでも続く砂漠か、閑静が過ぎる人の気配のない宅地ばかり。つまるところ、この街には活気というものが根本から欠落していたのだ。

 すぐに着くものだとばかり思っていた銀時は、あっという間に食料も水も底を尽き、この暑さのせいか、あるいは微かに電脳に異常をきたしているのか、目的地へと一向に辿り着かせない電脳少女に当たり散らすしかなかった。

 

 しかし、そんな不毛なことをしていれば、当然のごとく自然と体力も削られてゆくわけで……。

 

「──── あ、やべ……」

 

「……!? せ、先生!? 大丈夫ですか先生!!」

 

 ふらり、と体の芯が歪んだ気がして、銀時はそのまま前のめりに道へと倒れ込んでしまった。

 それまで画面を連打されてぷくーと頬を膨らませていたアロナも、一転して血相を変え、慌てて画面の向こうから銀時を呼び掛ける。

 

「先生、しっかりしてください先生! 先生!!」

 

 何度もかけられるアロナからの必死の呼びかけも、段々と薄れるようにして霞んでゆく。

 もう暑さで頭が働かず、空腹で体を動かせず、渇きで喉が張り付いて声すら出ない。砂の熱が服の隙間からじわじわと体温を奪い、意識の輪郭が急速に融けていく。

 

 あー、ダメだこれ。死ぬ。水分不足で死ぬ。

 こんなわけのわからん砂漠のど真ん中で行き倒れるなんて、どんなバッドエンドだよ。せめて最後に、あんこのたっぷり詰まったパフェとか、冷たいいちご牛乳とか……。てか、……どうせなら。アイツらに……新八や神楽……アイツらにもう一度でいい、から。会ってから。ぽっくり逝きたかったぜ……

 

 走馬灯のように脳裏を駆け巡る甘味の幻影や……どこにいるのかもわからない腐れ縁の顔達を必死に追いかけようとするが、それすらも重い闇の底へと沈んでいく。

 

 完全に意識の糸がぷつりと切れる、その寸前。

 キィ……と、砂を噛むような、静かな自転車のブレーキ音が耳の奥に滑り込んできた。

 

「……あの……大丈夫?」

 

 どこか物静かだけど、本当に心配をしてくれているのが伝わってくる優しい声。

 

 銀時が重い瞼を開け、そちらへとゆっくり視線を向けると、一人の少女がスポーツバイクに跨がったまま、心配そうにこちらを見下ろしていた。

 目につくのは、その頭の上でぴこぴこ、と健気に揺れる可愛らしい獣耳。そして、この照りつける砂漠の暑さの中だというのに、首元にしっかりと巻かれた厚手のマフラーだった。

 

「あ……う……み、水……」

 

 漸く見つけることのできた第一村人ならぬ第一少女。彼女との出会いがもたらした安堵と、視界に滑り込んできた微かな希望に声にならぬ声を漏らすが、銀時は力尽きたように再び砂の上に顔を伏せた。

 

「あ、生きてた。道の真ん中で倒れてるから、てっきり死んでるかと」

 

 少女はそんな物騒なセリフを呑気に口にしながら、スポーツバイクをその場に立たせて降りると、行き倒れている白髪の男へと迷いのない足取りで歩み寄る。

 

「み、水……くんね……喉が渇いて、死ん……」

 

「……遭難者だったんだ。ここ、食事を提供するとことか買い物できるとこなんて、とっくになくなってるから。郊外の方に行けばまだあるんだけど……ハイ、これ」

 

 銀時の必死の訴えに少女が状況を察すると、背負っていたカバンの中をゴソゴソと探ってから、今の銀時にとっては仏様からの甘露にも見える一本のボトルを差し出した。

 

「エナジードリンク。ライディング用なんだけど……今はソレしかなくて。お腹の足しにはなると思う。ええっと、コップは……」

 

「の、飲みモンだァァァァァ!!」

 

「……え」

 

 エナジードリンクを差し出した少女がカバンからコップを取り出そうとしたが……限界を迎えていた銀時の目にはそんなものは一切映っていなかった。猛猛しい勢いでボトルを引っ掴むと、そのまま直接口をつけて、濁流のごとく喉へと流し込み始める。

 

 一瞬の出来事に、少女は目を丸くして驚いたように声を漏らした。

 

「あの、それ……」

 

「─── ぶ、はあ!! 生き返った!! マジ死ぬかと思った!! 干からびた五臓六腑が潤ったわマジで!! ありがとな嬢ちゃん、この恩は……ん、どした?」

 

 無遠慮にごく、ごくっ……とドリンクを一気に飲み干した銀時は、カ──ーっ……と豪快に息を吐き出す。生きながらえた感動に薄く涙を浮かべつつ、少女へと感謝を告げようと視線を戻した。

 

 しかし、先ほどまで淡々としていた少女はどこか落ち着かなそうに、ぴこぴこぴこっ……と頭上の耳を小刻みに揺らし、首元のマフラーを手繰り寄せて口元を覆い隠している。

 

「(……間接キス)」

 

 そう、そのボトルには先ほど自分も口をつけていた。だからこそ親切心でコップを取り出そうとしたのだが、この男は尋常ではない野生のスピードでボトルの注ぎ口へと直接食らいついてしまったのだ。

 

「え、悪い。銀さん飲み過ぎちまった?」

 

 そんな年頃の乙女の意識なんて、三十路も手前で喉どころか女性関係にも渇ききっていた男が察せるはずもない。

 

 キョトン、と首を傾げている彼から少女はふいと目を逸らした。

 

「……ううん、なんでもない。……見た感じ連邦生徒会の方から来た大人の人……だよね。学校に用があってきたの?」

 

 そう問いかけながら、隠していた口元からマフラーを外し、今度は彼女の方がきょとん、と首を傾げてみせた。

 

「ああ、まあな。地域のヤーさんか何かに目を付けられてるから助けてっつー手紙読んできたんだが、どーにも着けなくて……」

 

「……それじゃ、あなたが……」

 

 少女の瞳が、驚きに小さく見開かれる。

 

 その視線は、砂をかぶった銀時の白い髪から、彼の腰に下げられた古ぼけた木刀へと向けられていた。

 

「(……この人が、アヤネが見せてきた……木刀で戦車を制圧したシャーレの先生?)」

 

 脳裏に蘇るのは数日前。あの日、興奮気味にアヤネが眼鏡の奥の瞳を輝かせて見せてきた一本の動画だ。

 そこには、獲物の雁首を捉えたかのような、飢えた狼を思わせる獰猛な笑みで戦車へと肉薄する男の姿があった。強固な装甲を誇る鉄の塊に対し、あろうことか木刀一本で飛び掛かると、砲塔と操縦席のハッチを強引にこじ開けては、中に籠もっていた不良を引きずり出す──。そんな常軌を逸した離れ業が、まざまざと映し出されていた。

 

「(……本当に、この人が?)」

 

 しかし、目の前で砂まみれになっているこの男を見ていると、どうしても別人のようにしか思えない。衣服の着こなしや特徴的な顔立ちは確かに映像のそれと同じなのだが……あの動画で見せた、周囲を圧倒するような力強い眼差しはどこにもない。

 そこにあるのは、完全に光の消え失せた、ただただ生気のない死んだ魚のような目だった。

 

「……えーと……どした? 銀さんの顔にさそりでも付いてんの?」

 

 そんな少女の疑念に満ちた眼差しに居心地悪そうに目を細めつつ、彼は自分自身の顔をペタペタと不器用に撫で回していた。

 

 ……目の前の男が本当にあの動画の主なのか、甚だ疑わしい。けれど、連邦生徒会の人間がこんな砂漠の僻地にやってきたのなら、この人の目的地はやはり自分たちの学校以外にあり得ないだろう。少女は眼前の彼へと、確認するように問い掛けた。

 

「……別に。あの、アビドス高校にこれから行くん……だよね?」

 

「まあな、そこが依頼主みてーだし」

 

「そっか。……それじゃ、久しぶりのお客様だ」

 

 彼の返答を聞いて、自分たちの学校が上げた渾身のSOSはとりあえず届いていたのだと確信する。少女は先程跨がっていた自転車へと再び歩み寄り、スタンドのロックを外した。

 そして、照りつける陽光の中で美しい銀の髪をふわりと靡かせながら、男の方へと振り返る。

 

「じゃあ、私に付いてきて。私もこれから登校するところだから」

 

「お、悪い悪い。いやあ渡りに船ってのはまさにこのこと─── あり」

 

「……どうしたの?」

 

 自転車へと跨がろうとしたところで、背後からどさ、と重いものが倒れる音が聞こえた。

 少女が慌てて振り返ると、自分の学校へ行くと言っていたはずの彼が、今度は完全に糸の切れた人形のように再び前のめりにひっくり返っていた。

 

 先ほどのエナジードリンク程度では、三日間の遭難で空っぽになった胃袋を満たすには到底足りなかったらしい。

 

「……腹減って立てねえ……」

 

「……どうしよう」

 

 本当にどうしようもない大人が来てしまった。少女は困ったように頭上の獣耳をパタパタと寝かせ、すっかり脱力して泥のようになっている銀時を見つめる。

 すると、砂に顔を埋めたままの銀時が、濁った目をぎろりとこちらに向け、どこにいるかもわからない見えない誰かに向かって人差し指を立てた。

 

「そ、の。……ちと道交法違反だのになるけど、2ケツさせてくんね? おっと、画面の前のお前は絶対真似すんじゃねーぞ」

 

「……がめん?」

 

 少女は首を傾げたが、これ以上この男をここに放置しておくわけにもいかない。

 けれど、これは競技用のロードバイク。大人を一人乗せては完全に重量オーバーだ。

 

 そうなるとやはり、方法はこの男を荷台に乗せるのではなく、自分が歩いて自転車を押していくしかないのだろう。

 

 別にそれはいい。キヴォトスの外から来たと思しきこの人とは違って、私たちは身体が頑丈だ。この人を片手で担いで歩くことくらい訳はない。できる……できるのだが、一つの問題があった。

 

「その……私、今汗かいてて……匂い、させちゃうかもしれなくて……」

 

 そう、彼女はやはり年頃の女の子。花も恥じらう女子高生なのだ。

 間接キスを奪っていったばかりのこの男に、炎天下のサイクリングでかいた汗の匂いを至近距離で嗅がれてしまうのは由々しき事態である。

 

 ……しかし、当の男は砂にまみれたまま、心底どうでもよさそうに鼻を鳴らした。

 

「ああ? 匂い? そんなん気にするわけねーだろ。未成年のガキの匂い意識するほどチェリーじゃ……」

 

 途端、彼女の中でぴしっと何かの音が響く。

 心配して損した。いや、そもそも心配するような相手ではなかった。

 すっと少女の瞳から温度が消え、頭上の耳が不機嫌そうに伏せられる。

 

「……元気そうだね。勝手に着いてきて」

 

 冷ややかな声を残し、少女は男に手を貸すこともなく、ひらりと手際よくスポーツバイクに跨がった。そして、そのまま無慈悲にペダルを漕ぎ出す。

 

「えっ、ちょ!  おい待て嬢ちゃん! 銀さんまだ地面と熱烈なディープキス交わしてんだけど! 置いてかないで! 先生って肩書に免じてせめて引きずってってぇぇぇぇぇ!!」

 

 背後から聞こえる情けない絶叫を完全に無視しながら、少女は乾いた砂まみれの道をアビドス高等学校へと向かって真っ直ぐに突き進んでいくのだった。




ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
アビドス対策委員会編突入です。
アニメブルアカで路地裏の猫たちに出会ったホシノの「うにゃにゃ〜ん 」に耳を蕩かせつつ頑張って書いていきます。
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