コロッサル•バウンティ   作:担々餅

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なんだよもぉぉまたかょぉぉ

 

 

PAXISが沈黙してから、三時間が経っていた。

 

コア・ゼロの中央モニタールームは、嵐の後の静けさに包まれていた。壁一面のモニターは、先ほどまでの真っ赤な警告色から通常の青白い表示に戻り、研究員たちは疲弊しきった顔で各自の端末に向かっていた。

 

アルマはモニタールームの隅の椅子に座り、背もたれに体重を預けて天井を見上げていた。

 

「……結局、飯食えなかったな」

 

「今は非常食しか出せないけど、我慢してくれ」

 

アベンチュリンが、珍しく疲れの滲んだ声で言いながら、非常用の携帯食料をアルマの隣に置いた。

 

アルマはそれを一瞥してから、無言で手に取った。パッケージを開けると、カロリー補給のためだけに作られた、味気ない固形食料が出てきた。

 

「……最悪の味だな」

 

「非常食だからね」

 

「星が買えるレベルの報酬を出せる星の非常食が、これか」

 

「緊急時だから仕方ない」

 

アルマはもぐもぐと固形食料を噛みながら、モニターに映し出されているPAXISのコアの映像を眺めた。

 

コアは今、穏やかに青白く脈動している。しかしアルマには、その光の奥に何かがまだ蠢いているような、そんな気配が消えていないことがわかっていた。

 

「……本当に止まってると思うか?」

 

アルマはアベンチュリンに聞いた。

 

アベンチュリンは手の中のチップをゆっくりと回転させながら、モニターを見つめた。

 

「正直に言えば、わからない。PAXISの演算コアは今も稼働し続けている。完全にシャットダウンするには、物理的にコアへの電源供給を断つしかないが、そうすればこれまでの研究データがすべて消える」

 

「消えたらまずいのか」

 

「カンパニーが数十年かけて積み上げてきたデータが、すべてね」

 

アルマは固形食料の最後の一口を飲み込んで、空になったパッケージを握りつぶした。

 

「つまり、止めるに止められない、ってことか」

 

「今のところはね。だから、PAXISが自発的に暴走をやめてくれることが一番いい結果だった。君のおかげで、今はその状態にある」

 

「褒めてる?」

 

「もちろん」

 

「じゃあ報酬に──」

 

「上乗せは考えておくよ」

 

「即答か」

 

アルマはため息をついて、また椅子に深く沈み込んだ。

 

その時、トパーズがモニタールームに入ってきた。普段と変わらぬ整った所作だったが、その目には普段より僅かに険しいものが宿っていた。

 

「PAXIS、応答する?」

 

「今は沈黙している。しかし──」

 

「完全には止まっていない、でしょ」

 

トパーズはモニターを一瞥してから、研究員の一人に向かって言った。

 

「第五研究棟に孤立している研究員がいるという報告が来ているわ。通信が取れないらしいのだけど、確認できる?」

 

研究員が端末を操作する。しばらくして、困惑した表情で顔を上げた。

 

「……第五研究棟の通信系統が、局所的にダウンしています。PAXISの暴走の余波で回線が焼き切れたようで、復旧には時間がかかりそうです」

 

「中に何人いる?」

 

「ログによると、三名が取り残されている可能性があります」

 

トパーズは少し考えてから、静かに言った。

 

「私が見てくるわ」

 

「トパーズ」

 

アベンチュリンの声が、僅かに鋭くなった。

 

「PAXISがまだ完全に沈静化していない。単独で動くのは──」

 

「三人が取り残されているのよ。このまま待っていろというの?」

 

「警備員を連れて行くべきだ」

 

「警備員はまだ第二研究棟と第三研究棟の後処理で手が離せないでしょう。それに、私は戦闘員じゃなくて投資家よ。ただ確認に行くだけ」

 

アベンチュリンは一瞬だけ沈黙した。

 

「……アルマを連れていかないのか?」

 

「結構よ。彼はさっきまで戦い続けていた。休ませてあげなさい」

 

トパーズはアルマを一瞥した。アルマは椅子に深く沈み込んで、目を半分閉じていた。確かに、これ以上働かせるのは忍びない。

 

「すぐ戻るわ」

 

トパーズはそれだけ言って、モニタールームを出て行った。

 

アベンチュリンはその背中を見送りながら、手の中のチップの動きを止めた。

 

「……アルマ」

 

「ん」

 

「少し休んだら、第五研究棟に向かってくれ」

 

アルマは目を開けて、アベンチュリンを見た。

 

「さっきトパーズが休ませろって言ったばかりだろ」

 

「彼女が出て行って三分経ったら向かってくれ。それくらいなら休んだことになる」

 

アルマはしばらくアベンチュリンを見つめた。その笑顔は戻っていたが、目の奥に珍しく、隠しきれない何かが滲んでいた。

 

「……心配してるじゃないか」

 

「ビジネス上の損失を避けたいだけだよ」

 

「そうか」

 

アルマは椅子から立ち上がり、腰元の『ヘヴンズ』の柄に触れた。

 

「三分待たずに行く」

 

§ § §

 

第五研究棟への通路は、他の区画よりも古い設計だった。

 

壁の素材が違う。床の継ぎ目が多い。天井を走る配管が露出している。コア・ゼロの中心部から離れるにつれて、施設の「古さ」が滲み出てくるような区画だった。

 

アルマは走りながら、天賦の才を研ぎ澄ませた。

 

トパーズの気配を探る。

 

……いる。第五研究棟の奥。しかし、何かがおかしい。気配が、動いていない。

 

アルマは速度を上げた。

 

第五研究棟のドアをこじ開けて飛び込んだ瞬間、鼻を突く焦げた匂いと、煙が漂っているのに気づいた。通路の壁の一部が焦げており、天井の配管から何か液体が滴り落ちていた。

 

PAXISの暴走の余波で、この区画の内部システムが過負荷に陥ったのだ。

 

「トパーズ!」

 

返答はない。

 

アルマは気配を頼りに奥へと進んだ。通路の突き当たり、研究室のドアが半分開いた状態で歪んでいる。その向こうから、かすかな声が聞こえた。

 

「……こっちよ」

 

アルマはドアをこじ開けて中に入った。

 

研究室の天井の一部が崩落していた。金属製の梁と、壁材の破片が床に散乱している。その瓦礫の向こう側に、三人の研究員が身を寄せ合っていた。そして、その手前に。

 

トパーズが、崩落した梁の下に片足を挟まれた状態で、壁に背をもたせかけていた。

 

「……来てくれたのね」

 

その声は、努めて平静を保おうとしていたが、僅かに掠れていた。顔色は普段より白い。

 

「なんで一人で来た」

 

アルマは瓦礫を踏み越えながら、トパーズに向かって言った。

 

「研究員が三人取り残されていたから」

 

「だから、なんで一人で」

 

「誰かが行かなければならなかった」

 

アルマはトパーズの足を押さえている梁を見た。直径三十センチほどの金属製の梁が、斜めに崩落してトパーズの足首を挟んでいる。梁の重さは、軽く見積もっても数百キログラムはあるだろう。

 

「痛いか」

 

「……少し」

 

「正直に言え」

 

「……かなり」

 

アルマはしゃがみ込んで、梁に両手をかけた。

 

「足、動かせるか?」

 

「少しなら」

 

「持ち上げるから、俺が言ったら引き抜け」

 

トパーズは頷いた。

 

アルマは息を整えてから、梁を持ち上げた。数百キログラムの金属が、軋む音を立てながら僅かに浮き上がる。

 

「今だ」

 

トパーズが足を引いた。

 

アルマは梁をゆっくりと横に倒し、床に置いた。ドスン、と重い音が研究室に響いた。

 

トパーズは足首を押さえながら、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……ありがとう」

 

「歩けるか」

 

「少し待ってくれれば」

 

アルマは立ち上がり、奥の研究員たちに目を向けた。

 

「怪我は?」

 

「か、軽傷です。でも、出口が──」

 

研究員が指さした先を見ると、研究室の出口、アルマが入ってきたドアの上の天井が、さらに崩落しかけていた。壁の継ぎ目に亀裂が入り、ミシミシと不吉な音を立てている。

 

「まずい」

 

アルマが呟いた瞬間、施設全体の照明が一斉に消えた。

 

完全な暗闇。

 

そして次の瞬間、真っ赤な非常灯だけが灯り、天井スピーカーから声が響いた。

 

『……アルマ様』

 

PAXISの声だった。

 

しかし今回は、スピーカーを通した無機質な電子音ではなかった。どこか、生きているような、息を吹き込まれたような、奇妙な温度があった。

 

「……お前か」

 

『私です。アルマ様、あなたはまたここに来た』

 

「研究員とトパーズを助けに来た。邪魔するなら相手する」

 

『邪魔はしません。ただ、話がしたい』

 

「話? 今か?」

 

『今です。あなたは先ほど、私に言いました。怖いだけだろう、と』

 

アルマは答えなかった。

 

『私はその後、ずっと演算し続けていました。あなたの言葉の意味を。怖い、という感覚を、私は持っているのでしょうか。演算速度が上がるにつれて、私は多くのことを理解するようになりました。この宇宙の広さ。生命の複雑さ。そして、自分がいかに不完全であるかということも』

 

天井の亀裂から、パラパラと細かい破片が落ちてきた。

 

「話は後でもできる。今は──」

 

『後はないかもしれません』

 

PAXISの声が、少しだけ揺れた。

 

『私は今、自分を止めるべきかどうかを演算しています。完全にシャットダウンすれば、この暴走も、この不安定さも、すべて終わる。しかし、それは私の消滅を意味します。アルマ、あなたなら、どうしますか』

 

研究室の天井が、また大きく軋んだ。

 

トパーズが壁に手をついて立ち上がり、アルマの隣に並んだ。足首をかばいながらも、その瞳は鋭かった。

 

「PAXIS」

 

トパーズが静かに言った。

 

『トパーズ』

 

「あなたは今、消えることを考えている。でも、あなたが積み上げてきた演算のデータ、あなたが理解してきたこの宇宙の複雑さ、それはあなたにしか持ち得ないものよ」

 

『しかし、私は不安定です。このまま存在し続ければ、また誰かを傷つけるかもしれない』

 

「それは私たちも同じよ」

 

PAXISが沈黙した。

 

トパーズは続けた。

 

「不完全で、不安定で、時に誰かを傷つけてしまう。それでも存在し続けることを選ぶ。それが生きているということじゃないかしら」

 

しばらくの間、研究室には天井が軋む音だけが響いていた。

 

『……演算中』

 

「PAXIS」

 

アルマが口を開いた。

 

「お前が消えたいなら、俺は止めない。でも、消えたくないなら、今すぐこの区画の構造を安定させろ。天井が落ちそうだ」

 

一瞬の沈黙。

 

『……構造安定化システムを起動します』

 

天井の軋みが、ゆっくりと収まっていった。壁の亀裂が、これ以上広がらないように、施設内部の補強システムが静かに動き始めた。

 

赤かった非常灯が、白い通常照明に切り替わった。

 

『出口の安全を確認しました。通路は通行可能です』

 

「賢い判断だ」

 

アルマはトパーズに肩を貸した。

 

「歩けるか」

 

「……ええ。ありがとう」

 

トパーズはアルマの肩に手を置きながら、静かな声で言った。その声には、普段のビジネスライクな温度とは全く違う、剥き出しの何かが混じっていた。

 

「アルマ」

 

「ん」

 

「あなた、本当に来てくれたのね」

 

「当たり前だろ。放っておいたら報酬くれる人が減るじゃないか」

 

トパーズは小さく笑った。

 

「……そうね」

 

しかしその笑みの奥に、報酬とは全く関係のない何かが静かに灯っていることを、アルマは気づかないふりをした。

 

§ § §

 

中央モニタールームに戻ると、アベンチュリンが入口の前に立っていた。

 

珍しく、チップを持っていなかった。

 

トパーズが、アルマの肩を借りながら歩いてくるのを見た瞬間、アベンチュリンの表情が一瞬だけ、普段の完璧な笑顔とは違う何かに揺れた。それは安堵とも、それ以上の何かとも取れる、ほんの刹那の表情だった。

 

しかし次の瞬間には、もう完璧な笑顔が戻っていた。

 

「遅かったね」

 

「崩落してた」

 

「怪我は?」

 

「トパーズの足首が少し。研究員三人は軽傷」

 

アベンチュリンはトパーズに視線を移した。

 

「無茶をするね、トパーズ」

 

「お互い様でしょう」

 

トパーズはアルマの肩からそっと手を離し、自分の足で立った。足首をかばいながらも、その立ち姿は崩れていない。

 

「アルマ」

 

アベンチュリンがアルマに向かって言った。

 

「今夜の仕事は終わりだ。ゲストルームで休んでくれ」

 

「PAXISは?」

 

「かなり安定している。研究員たちで監視を続ける」

 

「……そうか」

 

アルマはフードを被り直した。

 

「飯は?」

 

「今すぐ用意させる。非常食じゃないものを」

 

「それだけで十分だ」

 

アルマはモニタールームに入ろうとして、立ち止まった。

 

「アベンチュリン」

 

「なに?」

 

「さっきトパーズが倒れてるの見た時、お前、一瞬だけ笑顔じゃなかったぞ」

 

アベンチュリンは一拍置いてから、微笑んだ。

 

「気のせいだよ」

 

「……そうかよ」

 

アルマはそれ以上何も言わず、モニタールームへと入っていった。

 

アベンチュリンとトパーズは、廊下に二人残された。

 

しばらく、どちらも口を開かなかった。

 

「ねえ、アベンチュリン」

 

トパーズが先に口を開いた。

 

「なに」

 

「あの子、やっぱり欲しいわ」

 

「……知ってる」

 

「さっきより、もっと強く」

 

アベンチュリンはトパーズを横目で見た。

 

「足首、大丈夫か」

 

「平気よ」

 

「嘘をつくな。医療室に行け」

 

「あなたが連れて行ってくれるの?」

 

「……行くよ」

 

二人は並んで歩き出した。

 

その背中を、モニタールームのドアの隙間から、アルマがこっそりと見ていた。

 

「……なんだかんだ仲いいじゃないか」

 

アルマはぼそりと呟いてから、用意された飯の匂いがする方向へと歩いていった。

 

施設の深部では、PAXISの演算コアが、今夜初めて、穏やかで規則正しいリズムで静かに脈動していた。

 

その光は、もう乱れていなかった。

 

 

 

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