機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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102.スエズ上空

デスティニーとインパルスは、ミネルバとは異なる角度から降下軌道へ入っていた。

 

すでに周囲に敵機の姿はない。セイバーが追撃を遮った間に、2機は戦闘空域から離脱していた。

 

正面には、青い地球が大きく広がっている。

 

『本当に、このまま降りるのよね』

 

ルナマリアの声は、いつもより少し硬かった。

 

「他にどうするんだよ。俺から離れるなよ」

『分かってるわよ』

「速度がずれたら、降りる場所まで変わるんだからな」

『あんたにだけは言われたくないんだけど』

「何でだよ」

『勝手に飛び出して、いつも人を振り回してるのは誰だったかしら』

 

いつもの調子で言い返してはいるが、不安を隠し切れてはいなかった。

 

シンにも、単独で大気圏へ突入した経験は一度しかない。それでも、インパルスの癖についてはルナマリアより分かっている。

 

「とにかく、俺の機体だけ見てろ。余計なことはするなよ」

『何よ、その言い方』

「失敗したくないなら言うこと聞け!」

『はいはい、元インパルス乗りの言う通りにします』

 

やがて、2機の周囲に淡い光が生まれた。

 

機体表面に空気抵抗がかかり、細かな振動がコクピットへ伝わってくる。

 

『外装温度上昇』

『降下角度、規定範囲内』

 

「ルナ、少し前に出てる。推力を落とせ」

『どのくらい』

「3パーセント」

『細かいわね!』

「インパルスは少し動かしただけで姿勢が変わるんだよ!」

 

ルナマリアが出力を下げると、インパルスはデスティニーの斜め後方へ収まった。

 

2機を包む光が強くなり、振動も激しさを増していく。

 

『シン、これ本当に大丈夫なの』

「正常だ。そのまま姿勢を維持しろ」

『正常にしては、随分揺れるんだけど』

「大気圏に入ってるんだから当たり前だろ!」

『もう少し安心させる言い方はないの』

「そんな余裕があるなら、計器を見てろ!」

 

通信に雑音が混じり始める。

 

シンの声が遠ざかり、次の瞬間には完全に途切れた。

 

『シン?』

 

返事はない。

 

炎の向こうにはデスティニーの姿が見えている。機体姿勢にも異常はなかった。

 

それでも、声が聞こえない。

 

『シン、聞こえる?』

 

激しい雑音だけが返ってくる。

 

自分の通信機が壊れたのかもしれない。デスティニーに何かあったのかもしれない。あるいは、自分が気づいていないだけで、すでに突入に失敗しているのかもしれない。

 

悪い想像が次々に浮かび、操縦桿を握る手に力が入った。

 

その時、通信が突然戻った。

 

『ルナ! 聞こえてるなら返事しろ!』

「聞こえてるわよ!」

 

ルナマリアも反射的に怒鳴り返した。

 

『何度呼んでも返事がないから、機体に何かあったのかと思っただろ!』

「それはこっちの台詞よ!」

『デスティニーは目の前にいるだろ!』

「見えてれば何でも分かると思ってるの!」

 

安堵した途端、今まで抑えていた恐怖まで戻ってきた。

 

「大体、いきなり黙るなんて最低」

『通信が切れたんだから仕方ないだろ』

「それでも何とかしなさいよ」

『無茶言うなよ。ルナ、声が震えてるぞ』

「震えてない」

『震えてるだろ』

「……ちょっと怖かっただけよ」

 

シンが一瞬黙る。

 

「何よ」

『別に』

「何か言いなさいよ」

『次に通信が切れても、俺の機体を見てろ。勝手に変なことを考えるな』

「変なことって何よ」

『ルナが勝手に死んだり、俺を勝手に殺したりすることだよ!』

「誰がそんなこと――」

 

言い返しかけて、ルナマリアは口を閉じた。

 

まさにその両方を考えていた。

 

『図星かよ』

「うるさいわね! あんたこそ、勝手に消えないでよ」

『消えてない!』

 

2機を包んでいた炎が薄くなり、振動も少しずつ弱まっていく。

 

「アスランさん、無事に降りられたかな」

 

シンが小さく呟いた。

 

「分からないわ。でも今はこっちも無事に降りきることを考えないと」

「……そうだな」

 

眼下には、巨大な河のような水面が細長く伸びていた。

 

「大きな河ね。地球の地形は学んでたけど、こんなのあったんだ」

「いや、あれは海だ。多分、紅海だと思う」

 

航法データを照合すると、現在位置はハルガダの南東、紅海上空と表示された。

 

「ルナ、インパルスの残量は」

『推進剤は問題なし。バッテリーは……3割を切ってる』

「戦闘は無理だな」

『言われなくても分かってるわよ』

 

スエズ運河までは、まだ距離がある。

 

シンは現在の高度と進路を確認した。

 

「このまま滑空して距離を稼ぐ。推進器は姿勢制御だけに使え」

『途中で速度が落ちたら』

「デスティニーで補助する」

 

ルナマリアは少し考え、了承した。

 

『分かった。それでいきましょう』

 

2機は推力を落とし、緩やかな降下姿勢へ移る。

 

デスティニーがインパルスとの距離を詰めた。

 

「インパルスの左手を出せ」

『何するのよ』

「こっちで姿勢を支える。少しでもバッテリーを温存できるだろ」

『手をつなぐみたいで、ちょっと変じゃない?』

「今それを気にするところか!」

『冗談よ。そんなに怒らなくてもいいでしょ』

 

インパルスが左手を伸ばし、デスティニーの右手がそれを掴む。

 

2機は並んだまま、紅海上空を北へ向かった。

 

*****

 

降下シーケンスを終えたミネルバにも、安堵する時間はなかった。

 

「現在位置を確認」

「シナイ半島、ティーフ山地上空。スエズ運河南口まで、およそ150キロです」

「セイバーへ広域通信。周辺空域の捜索も開始して」

「了解」

 

メイリンは通信周波数を切り替えた。

 

大気圏突入前、セイバーは左翼と推進器を損傷し、予定軌道から西へ流されている。自力で降下すると答えていたが、それ以降の状態は分かっていなかった。

 

「こちらミネルバ。セイバー、応答してください」

 

雑音だけが返ってくる。

 

「こちらミネルバ。セイバー、応答してください。アスラン、聞こえていたら返事をしてください」

 

メイリンは周波数を変え、同じ呼びかけを繰り返した。

 

返事はない。

 

「応答ありません。緊急ビーコンも確認できません」

 

艦橋に重い沈黙が落ちた。

 

「最後に確認した機体反応は」

「大気圏突入中に途絶えています。左側の推力が安定していなかったため、降下地点の予測範囲が広すぎます」

 

戦術表示に、セイバーが取り得た複数の軌道が映し出される。

線はミネルバの西側へ扇状に広がり、地上へ近づくほど互いに離れていた。

 

「範囲を絞れないの?」

「損傷した推進器をどこまで使えたかで、大きく変わります。現状では数百キロ以上の誤差があります」

 

タリアは表示を見つめた。

 

墜落したと決まったわけではない。アスランは通信が途切れる直前まで機体を制御していた。

それでも、損傷した状態で予定外の角度から大気圏へ入った事実は変わらない。

 

「通信と捜索は継続。セイバーの反応を確認した場合は、すぐに報告」

「了解」

 

メイリンは一度だけ唇を結び、別の周波数へ切り替えた。

 

「続いて、デスティニーとインパルスへ呼びかけます」

 

2機はセイバーと異なり、予定された角度から降下を始めている。

だが、こちらも大気圏突入後の通信は途絶えたままだった。

 

「こちらミネルバ。デスティニー、インパルス、応答してください」

 

返事はない。

 

通信範囲外なのか、大気圏突入の影響が残っているのかは判断できなかった。

 

「最後に通信が途切れた位置から、降下地点を推定します」

 

2機の速度と突入角を入力すると、予測線は紅海周辺へ集まった。

 

「おそらくスエズ湾と紅海の間です。ハルガダ周辺まで流されている可能性があります」

「かなり南ですね」

 

アーサーが戦術表示を覗き込む。

 

メイリンは2機が離脱した時点のデータを呼び出した。

 

「インパルスは戦闘と直接降下で、かなり電力を消費しているはずです。推進剤が残っていても、バッテリー残量によっては戦闘は困難です」

「途中で動けなくなる可能性があると」

「はい」

 

艦橋の視線がタリアへ集まった。

 

タリアは短く考え、正面へ目を戻した。

 

「進路は変更しない。このままスエズ運河へ向かいます」

「ですが、2機が南へ流されているなら、迎えに行った方が」

 

タリアはアーサーの言葉を静かに制した。

 

「合流地点はすでに伝えてあるわ。通信の届かない2人は、こちらが進路を変えても知ることができない」

「行き違いになると」

「そうなれば、2機は補給も支援も受けられないまま敵勢力圏に取り残される」

 

タリアは戦術表示を拡大した。

 

「2人が到着するまでに、運河周辺の敵を排除する。合流地点の安全を確保します」

「了解しました」

 

アーサーは姿勢を正した。

 

「第二戦闘配備。スエズ運河周辺の敵戦力を確認しなさい」

「第二戦闘配備!」

 

警報が艦内へ流れる。

 

「セイバーへの通信と捜索は継続。戦闘準備と並行して行ってください」

「了解」

 

タリアは続いて、格納庫の状況を確認した。

 

レジェンドは帰投後の簡易点検を終え、再出撃の準備が進められている。

一方、レギナントの生体電池系には、ほとんど余力が残っていなかった。

 

前日の模擬戦と降下前の戦闘で、高機動とドラグーン制御を続けている。今の状態で特殊制御を使えば、セラの身体へ大きな負担がかかるはずだった。

 

「レジェンドは出撃準備。レギナントは待機。セラは身体検査を受けさせて」

「了解」

 

メイリンが指示を送ろうとした時、艦橋へ通信が入った。

 

「ブリッジ」

 

セラの声だった。

 

「どうしたの」

「レギナントは出撃可能」

「却下します」

 

タリアはすぐに答えた。

 

「そろそろ、あなたの体調に支障が出始めてる頃よ」

「特殊制御を含め、長時間運用に支障ありません」

「何を根拠に言っているの」

「艦長専用回線へ、判断材料を送信します」

 

タリアの端末へデータが届いた。

表示された内容を読み進めるうちに、タリアは一度目を見開き、やがて小さく笑った。

 

「……いつの間に、こんなものを」

「ネロ技師が実施」

「でしょうね」

 

呆れを含んだ声だったが、同時に安堵もあった。

表示された内容が正しければ、これまでのようにセラの命を直接削る危険は軽減される。

 

負担が完全になくなるわけではない。

それでも、今までよりはるかにましだった。

 

「身体への負荷が消えたわけではないわ」

「認識しています」

「異常が出た場合は即時帰投」

「了解しました」

「それでも出るのね」

「はい」

 

タリアは短く息を吐いた。

 

「レギナント、出撃を許可します」

「了解」

 

通信が切れる。

 

「艦長、今のは」

「後で説明するわ。今は戦闘準備を」

「……はい」

 

正面には、スエズ湾へ続く海が見え始めていた。

 

「スエズ運河周辺に敵反応。航空MS複数、地上部隊も展開しています」

「こちらの接近には」

「まだ気づいていません」

 

タリアは艦長席から正面を見据えた。

 

「このまま低空で接近。敵防衛線へ奇襲をかけ、2機が到着するまでに合流地点を確保します」

 

格納庫では、レジェンドとレギナントの固定アームが外されていた。

 

「レジェンド、発進準備完了」

「レギナント、発進準備完了」

 

ミネルバは高度を下げ、スエズ運河へ向かう。

セイバーの消息は不明。

紅海上空では、デスティニーとインパルスが手を取り合いながら北へ進んでいた。

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