機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
格納庫の奥から現れた少女を見て、セラは動きを止めた。
薄桃色の長い髪と紫紺の瞳。記録映像で確認していたラクス・クラインが、自分と同じ顔を向けて立っている。
ラクスもまた、医療用バイザーを外したセラを見つめていたが、その驚きはすぐに明るい笑みへ変わった。
「本当に、
ラクスは駆け寄るように距離を詰めると、ためらいなくセラの両手を取った。
突然触れられても、セラは手を引かなかった。握られた指先へ一度視線を落とし、それから間近にあるラクスの顔を見つめる。
「あなたが私のオリジナル個体ですか」
「お話は伺っています。遺伝子は同じなのかもしれませんが、私は私、貴女は貴女です。オリジナルもクローンも、私たちには関係ありません」
「はい」
セラは少し考えるように目を伏せた。
ラクスはその返事に微笑んだが、セラの中では、今の言葉と自分に与えられた評価は別のものとして処理されていた。
「私は模倣個体としては失敗作です。その評価は正しいです」
格納庫内に静けさが落ちた。
離れた場所では応急作業が続いていたが、二人を囲む者たちの間から言葉だけが消える。
ラクスは困ったように眉を寄せた。握っている手を離すこともできず、何を返すべきか探している。
セラはその反応の理由が分からないまま、同じ顔を持つ少女を見つめ続けた。
*****
談話室に移ってから、セラは向かいに座るアスランへ視線を向けた。
医療用の上着は羽織っているものの、ベッドから起き上がることも、艦内を歩くこともできている。顔色にも大きな異常はなく、ミネルバへ帰投するうえで支障となる負傷は確認できなかった。
「アスラン。ミネルバへ帰投してください」
アスランはすぐには答えなかった。
膝の上で組んだ手へ視線を落とし、何度か言葉を選び直すように口を閉ざしている。
セラは急かさずに待った。
アスランの負傷は帰投を妨げる状態ではなく、本人も当然ミネルバへ戻るものと考えていた。だからこそ、返答をためらう理由が分からなかった。
「もう少し、考えさせてくれ」
「はい」
セラはそれ以上尋ねなかった。
何を考える必要があるのかは分からなかったが、アスランが回答に時間を求めていることだけは理解し、正面へ向き直った。
その様子を見ていたラクスは、テーブルの上で指を重ねた。
「セラさんは、ミネルバでは普段どのように過ごしていらっしゃるのですか」
「任務、訓練、機体状態の確認を行っています」
「お休みになる時間もありますでしょう?」
「規定された休息時間があります」
「そうではなくて……お仕事から離れて、誰かとお話ししたり、どこかへ出かけたりすることはありませんか?」
セラは少し考えた。
「入港中に、メイリンとルナに同行して市街地へ出たことがあります。衣料品店と飲食店を利用しました」
「どのようなお洋服を選ばれたのです?」
「水着を提示されましたが、防御力が低いため購入していません」
「防御力……」
「ルナから、用途が異なると訂正されました」
キラが思わず笑みを浮かべ、アスランも視線を伏せながら口元を緩める。
ラクスは少し驚いた後、楽しそうに笑った。
「では、艦内で困った時に頼れる方はいらっしゃいますか」
「問題の種類によって異なります。任務上の判断は艦長、身体状態は医療班、機体は整備班へ報告します」
「それ以外では?」
「メイリンは、必要があれば相談するように言っています。シン、レイ、ルナも同様です。ユアンは訓練中の異常を確認します」
「皆さまが、セラのことを気にかけてくださっているのですね」
「はい」
「セラというお名前も、ミネルバで?」
「メイリンが付けました。識別番号では呼びにくいという理由です」
「フェイドという姓は?」
「艦長から与えられました」
「では、皆さまはあなたをセラ・フェイドと呼んでくださるのですね」
「はい。帰投時にメイリンやシンが私の名前を呼ぶことがあります」
「その時は、どのように感じますの?」
「私の帰還が確認されたと判断します」
ラクスはそれ以上問い返さず、静かに笑った。
セラの答えは事実を並べただけだったが、名前を呼ばれることと帰る場所が、彼女の中で結びついていることは伝わった。
ラクスは質問を重ねながら、セラの返答だけを聞いているわけではなかった。
名前を挙げる時のわずかな間や、過去の出来事を検索するような目の動き、その一つ一つを確かめている。
アスランから聞いていた。セラはミネルバで名前を与えられ、仲間として扱われていると。
それでも、軍艦の中で兵器として運用されているだけではないのかという懸念を、完全には消せずにいた。
ラクスの声から柔らかさが少しだけ薄れる。
「セラは、なぜ戦っていらっしゃるのですか」
セラはすぐに答えなかった。
命令、任務、戦闘継続能力。以前なら、そのいずれかを答えれば十分だった。
だが、今は別の答えが浮かんでいる。
「ミネルバを守るためです」
「ミネルバを?」
「ミネルバは私を守ってきました。だから、私もミネルバを守ります」
ラクスはしばらくセラを見つめた。
その答えに含まれるものを確かめるように目を細め、やがて小さく頷く。
「そうですか」
返した言葉はそれだけだったが、表情には安堵に近い喜びが浮かんでいた。
アスランから聞いた話が、目の前の少女自身の言葉で確かめられた。
セラには、なぜラクスが嬉しそうにしているのか分からなかった。
それでも質問に対する回答は完了しているため、理由を求めることはしなかった。
会話が途切れたところで、キラがアスランへ目を向ける。
「アスランは、これからどうするの?」
アスランは顔を上げた。
セラから帰投を促された時と同じ問いを、今度は別の形で突きつけられている。
カガリはオーブへ戻った。
自分がザフトへ復隊した理由は、彼女とオーブを守るためだった。だが今のカガリは、自らの意思で代表として立ち、国を動かそうとしている。
この艦に残るのか、ミネルバへ戻るのか。
どちらを選んでも、今までのように誰かの判断に従うだけでは済まない。
アスランは長く黙り込んだ後、ようやく口を開いた。
「ミネルバに戻る」
「うん」
「戻って、けじめをつけてくる」
アスランはそう口にしてから、ようやく自分の中で決まったものを確かめるように息を吐いた。
ミネルバへ帰れば、タリアやシンたちと向き合わなければならない。その先で何を選ぶとしても、今度は曖昧なまま離れるつもりはなかった。
キラはそれ以上問い返さなかった。
アスランが軍に対してどう見ているのかは分からない。だが、唯ミネルバへ復帰するためだけに戻るのではないことは分かる。
ただ優しく微笑み、静かに頷いた。
その時、談話室の扉が勢いよく開いた。
「艦長、テレビをつけてくれ!」
駆け込んできたネオは、室内を見回す余裕もなく壁面のモニターを指した。
マリューがすぐに操作すると、暗かった画面に放送映像が映し出される。
演台の前に立っていたのは、薄桃色の髪を持つ女性だった。
ラクスとよく似た顔に穏やかな笑みを浮かべ、集められた記者たちへ語りかけている。
「ミーア……」
アスランが小さく名前をこぼした。
ラクスの代わりとしてデュランダルが用意した、彼女にそっくりな女性、ミーア・キャンベル。
セラとは違って遺伝子的には全く関係のない、顔と声を似せただけの存在だ。
画面の中のミーアは、世界を戦乱へ導き、多くの命を犠牲にしてきたロゴスの存在を強く非難していた。
その声はプラントだけでなく、地球各地へ向けられている。人々に立ち上がることを求め、デュランダルの呼びかけへ賛同するよう訴えていた。
談話室にいる誰も、途中で言葉を挟まなかった。
ミーアが言葉を強めるたび、画面の下には各地で集まった群衆の映像が切り替わる。掲げられる反ロゴスの旗と、歓声を上げる人々の姿が、声明の影響をそのまま映していた。
セラは画面と、そのすぐ近くに座るラクスを見比べる。
顔立ちも、髪の色も、声も似ている。だが、隣にいるラクスが口を動かしていないことだけは明確だった。
放送が続く中、ラクスは悲しそうに目を伏せた。
「これが、デュランダル議長のやり方ですのね」
セラが顔を向けると、ラクスは画面に映るミーアを見つめたまま続ける。
「あの方を責めるつもりはありません。きっと、あの方にも信じているものがあるのでしょう」
セラは何も答えなかった。
ラクスが問題としているものを、まだ正確には理解できない。
画面の中では、ラクス・クラインの姿をしたミーアが世界へ言葉を届け続けている。
ラクスはしばらくその姿を見つめた後、静かに席を立った。
「キラ、参りましょう」
「うん」
行き先を尋ねる者はいなかった。
キラは迷うことなく立ち上がり、ラクスの隣へ並ぶ。
ラクスは一度だけセラへ顔を向けた。
「お話の途中で申し訳ありません。けれど、今は私自身の言葉で、お伝えしなければならないことがあります」
セラが返答するより先に、ラクスはキラとともに談話室を出ていった。
閉じた扉へセラが目を向けている間も、モニターの中ではミーアの声明が続いていた。
*****
キラとラクスがフリーダムに乗ってアークエンジェルから出撃していく。
それと同時期、カタパルトからスカイグラスパーが海上へ射出された。
操縦席のアスランは機体を上昇させ、先行するレギナントの後方へつく。
ミネルバへの帰投を告げると、マリューは機体を貸し出すことを認めた。キラとラクスも、それを止めることはしない。
アスランは旋回の途中で一度だけ海上を振り返った。
傷ついた白い艦は高度を落としたまま遠ざかり、やがて雲と水平線の間へ小さくなっていく。前方ではレギナントが速度を合わせ、スカイグラスパーが追いつくのを待っていた。
白い機体と戦闘機は一定の距離を保ち、ミネルバが待つ空域へ向かっている。
しばらく通信はなかったが、やがてセラから回線が開かれた。
「アスラン」
「どうした」
「ラクスは、デュランダル議長のやり方に賛同できないと発言しました」
「ああ」
「その理由が分かりません」
アスランはすぐには答えず、前方を飛ぶレギナントを見た。
「本人ではない人間にラクスを演じさせて、その言葉で人を動かしているからだ」
「ミーア・キャンベルがラクス・クラインではないことは確認しています」
「なら、分かるだろ」
「いいえ」
セラの声に迷いはなかった。
「開戦当初、プラントは核攻撃の脅威によって混乱していました。市民の不安と政府への不信も増大しています。
その時、ラクス・クラインとして発信された声明により混乱は抑制され、プラントの秩序は回復しました。
発信者が本人ではなかったとしても、デュランダル議長とミーア・キャンベルの行動は正しかったと評価できます。
ラクス・クライン本人であることより、混乱を鎮められる言葉を必要としていたと考えます」
アスランは反射的に否定しかけたが、言葉を止めた。
セラが資料だけを見ているから間違っているとは言えない。あの時、ミーアの歌と呼びかけによって救われた者がいたことも事実だった。
「お前の考えも間違ってはいない」
「はい」
「議長のやったことが、結果としてプラントを落ち着かせたのも本当だ。ミーア自身も、誰かを救いたいと思っていたのかもしれない」
レギナントは進路を変えずに飛び続けている。
セラは次の言葉を待っていた。
「でも、議長は目的のためなら、人の名前も立場も利用する」
「必要な結果を得るためですか」
「そうだ。だからラクスも、キラも、アークエンジェルも議長を警戒している。正しい結果を出したからって、その途中で何をしてもいいわけじゃない」
セラは応答しなかった。
戦争が始まった時の混乱。
ラクスの姿をしたミーアの声明。
それによって平穏を取り戻したプラント。
そのすべては記録に残されており、結果も確認できる。
だが、ラクスはその方法を受け入れなかった。
アスランはセラの評価を否定せず、それでもデュランダルを警戒している。
「セラ」
「はい」
「お前も、議長には気をつけろよ」
通信の向こうで、再び沈黙が続いた。
やがてレギナントから返ってきた声は、いつもと同じ静かなものだった。
「はい」
白い機体とスカイグラスパーは、そのままミネルバの待つ空へ飛び続けた。