機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバの艦橋では、誰もが通常の任務を続けていた。
レーダーにはオーブ周辺を航行する艦艇や航空機の反応が映り、各部署からは損傷箇所の確認と補修状況が順次報告されている。戦闘が終わった後も、艦を動かすための作業が止まることはない。
しかし、アークエンジェルへ向かったレギナントからの通信は、途絶えたままだった。
「レギナントからの応答は?」
タリアが尋ねると、メイリンは通信回線を確認してから首を横へ振った。
「ありません。こちらからの呼びかけにも応答なしです」
「最後に位置を確認したのは?」
「アークエンジェルが浮上した直後です。その後、双方とも戦闘行動は確認されていません」
タリアは指揮官席の肘掛けへ指を置き、正面のモニターを見つめた。
アークエンジェルがセラを攻撃するとは考えにくい。アスランが本当にあの艦にいるなら、なおさらだった。それでも、セラが敵艦へ単独で乗り込み、予定時刻を過ぎても戻らないという事実は変わらない。
メイリンもコンソールの前で、祈るように両手を固く結んでいた。
「艦長、こちらから捜索機を出しますか?」
アーサーの問いに、タリアはすぐには答えなかった。
ここでMSを接近させれば、休戦状態にあるオーブを刺激する可能性がある。
「もう少し待ちます。ただし、いつでも出せるよう準備だけは進めておいて」
「了解しました」
返事が艦橋へ響いた直後、メイリンのコンソールに新たな反応が表示された。
彼女は握っていた手を離し、身を乗り出す。
「接近する航空反応、2つ! 1機はレギナントです!」
艦橋内の視線が一斉にレーダーへ向いた。
「もう1機は?」
「戦闘機です。機種照合……スカイグラスパー。アークエンジェル所属機と思われます」
タリアの表情が引き締まった。
レギナントと並んで飛行している以上、敵対行動とは考えにくい。それでも所属不明の航空機を無条件で収容するわけにはいかなかった。
「識別を要求して」
「はい」
メイリンが回線を開くより早く、接近する航空機から通信が入った。
「こちらアスラン・ザラ。セラとともにミネルバへ帰投する」
聞き慣れた声が艦橋へ流れた。
メイリンは目を見開き、しばらく何も言えなかった。周囲から向けられた視線に気づき、慌ててコンソールへ手を戻す。
「……アスランさん本人と確認しました。レギナントからも帰投要請です」
張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
タリアは指揮官席へ深く座り直すと、安堵を表に出さないまま命じる。
「レギナントとスカイグラスパーの収容を許可します。着艦誘導を」
「了解。レギナント、スカイグラスパー、こちらミネルバ。着艦コースを送ります」
メイリンの声は普段よりわずかに早かった。
*****
レギナントが格納庫へ収容されると、続いてスカイグラスパーが着艦した。
機体が停止するより早く、格納庫には人が集まっていた。
レギナントのコックピットが開き、昇降ワイヤーでセラが降りてくる。床へ足を着けた直後、メイリンが駆け寄った。
「セラ!」
「メイリン」
メイリンはセラの肩や腕へ目を走らせ、異常がないか確かめる。
「怪我は? どこか痛いところはない?」
「ありません。機体にも戦闘継続へ影響する損傷はありません」
「戦闘継続じゃなくて、セラのことを聞いてるの」
「身体状態に異常はありません」
その答えを聞き、メイリンはようやく息を吐いた。
セラはタリアへの報告を意識したように姿勢を正す。
「アスランの生存と帰投を確認しました。確保任務は完了です」
メイリンが何か言おうとした時、隣でスカイグラスパーのキャノピーが開いた。
アスランが操縦席から立ち上がる。
機体の脇にはシン、レイ、ルナマリアが待っていた。アスランが床へ降りると、最初にシンが一歩前へ出る。
「アスラン」
呼びかけた声には、隠しきれない安堵があった。
「生きてたんですね」
「ああ。心配をかけた」
「大気圏に降りる時、俺たちを援護してくれたから……。あの時アスランが残ってくれなかったら、俺たちは降下できなかったかもしれない」
シンが頭を下げると、ルナマリアも続けた。
「私からも、お礼を言わせてください。あの状況でアスランさんが敵を抑えてくれなかったら、全員無事には降りられなかったと思います」
アスランは二人を見つめた。
大気圏へ降下していくデスティニーとインパルスを見送り、自分は上空に残った。その後に起きたことを思えば、シンたちが無事に立っている姿を見るだけで十分だった。
「お前たちも無事でよかった」
返した言葉は、それだけだった。
シンは笑みを浮かべようとしたが、アスランの表情が晴れていないことに気づき、途中で止めた。
アスランの視線が、シンたちの後ろにいるセラへ向く。
セラは自分がこのままミネルバへ戻るものと疑っていなかったのだろう。アークエンジェルで帰投を促した時も、迷っている理由を尋ねることなく、自分の返答を待っていた。
その信頼に応えることが、以前と同じ場所へ戻ることなのかは、まだ分からない。
「タリア艦長に報告してくる」
アスランの言葉に、シンがわずかに眉を寄せる。
「今すぐですか?」
「ああ」
アスランはそれ以上説明せず、格納庫を後にした。
シンたちは、その背中を黙って見送った。
*****
艦長室で、アスランはアークエンジェルに救助されてからの経緯を報告した。
大気圏降下中に機体の左翼と推力を失い、太平洋へ不時着したこと。その後、アークエンジェルに発見され、治療を受けたこと。拘束はなく、帰投も本人の意思に任されていたこと。
タリアは途中で質問を挟まず、最後まで報告を聞いた。
「報告は以上です」
「そう。まずは、無事でよかったわ」
「ご心配をおかけしました」
アスランは頭を下げたが、その場を離れようとはしなかった。
タリアは机の向こうから、立ったままのアスランを見上げる。
「まだ何かあるのね」
アスランは一度言葉を止めた。
ミネルバへ向かう間に、何度も同じ問いを繰り返していた。だが、ここまで戻ってきてなお口にできないのなら、何のために帰ってきたのか分からない。
「軍を除隊させてください」
タリアの目が細くなる。
驚きはあったが、問い返すまでに長い時間はかからなかった。
「理由を聞かせてもらえる?」
「俺がザフトへ復隊したのは、カガリとオーブを守るためでした。ですが、カガリは自分の意思でオーブへ戻り、もう一度代表として立っています」
「だから、軍に残る理由がなくなったと?」
「それだけではありません」
アスランは視線を逸らさずに続ける。
「俺はもう、キラやアークエンジェルを敵として戦えません。軍にいる以上、命令を遂行する覚悟が必要です。でも、俺にはその覚悟がない」
「戦場で相手を選ぶことはできないわ」
「分かっています」
「今後、アークエンジェルが敵対するというのなら、あなたは再び迷うことになる。その迷いから逃れるために軍を辞めるの?」
アスランはすぐには答えなかった。
逃げではないと言い切ることは簡単だった。しかし、軍を離れることで選択を避けようとしている面が一つもないとは、自分でも断言できない。
「迷いがなくなったわけではありません」
「なら、なおさら今決めるべきではないんじゃない?」
「いいえ。迷っているからこそです」
タリアの表情がわずかに変わった。
「キラたちを撃つ覚悟がないまま軍に残れば、いつか命令を前に判断を遅らせる。その時、危険に晒されるのは俺だけじゃありません。シンやルナマリアたちまで巻き込むことになる」
アスランは一度息を吐いた。
「そんな状態で、軍人を続ける資格はありません」
艦長室に沈黙が落ちた。
タリアはしばらくアスランの顔に目を向ける。
「一時の感情で言っているわけではないのね」
「はい」
「アークエンジェルへ行くため?」
「いえ。俺もアークエンジェルが全て正しいとは考えていません。今は俺がいるべき場所に行きます」
アスランの返答に迷いはなかった。
タリアはしばらく彼を見つめていたが、やがて除隊願を手に取った。
「分かりました。艦長権限で受理し、本国へ上申します」
「ありがとうございます」
「ただし、快く送り出せると思わないで」
タリアの声は厳しかった。
「戦時下でFAITHが軍を離れる。その決断が周囲に何を残すのか、忘れないことね」
「……はい」
アスランは胸元へ手を伸ばし、FAITHの徽章を外した。
掌の上に残った徽章をしばらく見つめた後、タリアの机へ置く。
「これまで、お世話になりました」
タリアは答えず、机に置かれた徽章を見つめていた。
*****
艦長室を出ると、廊下にはシンたちが待っていた。
シン、レイ、ルナマリア、メイリン。そしてセラもいる。
扉が閉じた後も誰もすぐには声を発さなかったが、シンの視線がアスランの胸元で止まる。そこにあったはずのFAITHの徽章は、すでになかった。
「アスラン……それ」
「ザフトを辞めることにした」
シンの表情から、帰還を喜んでいた時の明るさが消えた。
「辞めるって……何でですか」
「俺には、軍人として戦い続ける覚悟がない」
「それじゃあ、何のために戻ってきたんですか!」
廊下にシンの声が響いた。
「そのままアイツらと一緒にいればよかったじゃないですか! わざわざ戻ってきて、今度は自分から出ていくなんて!」
「何も言わずに残ることもできた。だが、それは許されない。お前たちにとっても、俺にとっても」
シンは納得しなかった。
「それで、ここを抜けた後はアイツらの所へ行くんですか。フリーダムと一緒に、今度は俺たちと戦うんですか!」
「いや、そうと決まったわけじゃない」
「だったら違うって言ってくださいよ!」
アスランは答えを急がなかった。
「この先も、絶対にそうならないとは言えない」
シンの顔が強張った。
「やっぱり、フリーダムとは戦えないからですか」
「ああ、それも大きい」
「戦場で、戦いたい相手だけ選べる人なんていませんよ。俺だって、ルナだって、命令された相手と戦ってるんです」
「シンの言う通りだ」
アスランが否定しなかったことで、シンは一瞬言葉を止めた。
「だから俺は辞める。俺には、その覚悟がない。覚悟がないままここに残れば、いずれ迷って判断を遅らせる。その時、お前たちを危険に晒す」
「そんなの、勝手じゃないですか」
「ああ。勝手だ」
「だったら、今さら俺たちに何を言うんですか」
ルナマリアがシンの腕へ手を伸ばした。
「シン、もういいって」
「よくないだろ!」
シンはその手を振り払わなかったが、声を抑えることもできなかった。
アスランは怒りを向けるシンを見つめた。
かつては力だけを求め、守れなかった過去に縛られていた少年が、今は誰かを守るために戦おうとしている。その道が正しい場所へ続くかは、誰にも分からない。
「シン。お前には、俺にはなかった強さがある」
「急に何ですか」
「迷わず前へ進める強さだ。その力があれば、力を持たない人たちを守ることができる」
「だったらアスランも残ればいいじゃないですか」
「俺は、お前と同じようには進めない」
アスランは一度言葉を切った。
「迷うことも、間違えることもあると思う。だが、自分が何のために力を使うのか、その道だけは見失うな」
「……勝手なこと言わないでください」
シンはそれ以上続けられず、唇を噛んだ。
その隣で黙っていたレイが、アスランへ視線を向ける。
「迷いは弱さだ。俺は迷いません」
「レイ……」
「俺は、あなたのようにはならない」
レイの言葉に揺らぎはなかった。
アスランは反論しなかった。迷わないことが本当に強さなのか、その答えを今の自分が語る資格はないと思った。
メイリンが俯いたまま、一歩前へ出る。
「もう、決めたんですよね」
「ああ」
「そうですか」
メイリンは顔を上げた。
目元には寂しさが残っていたが、引き止める言葉は口にしなかった。
最後に、セラがアスランを見つめる。
「アスランは、ミネルバへ戻りました」
「ああ」
「ですが、再び離れるのですか」
「ああ。戻ったからこそ、きちんと決めることができた」
セラは少し考えるように目を伏せた。
帰還した者が、自らの意思で再び離れる。これまでの判断基準では、その行動を正確に分類できなかった。
やがて顔を上げる。だがそれ以上は尋ねなかった。
*****
補給を終えたスカイグラスパーが、再びカタパルトへ移された。
アスランは操縦席へ乗り込む前に、見送りに集まった者たちへ振り返る。
ルナマリアは複雑な表情のまま小さく頭を下げ、メイリンも胸元で手を握っている。レイは何も言わず、セラはアスランの行動を最後まで確認するように見つめていた。
シンだけは、少し離れた場所で俯いたままだった。
「じゃあなシン。いつか迷うことがあったとしても、お前は前だけを見続けろ」
アスランの言葉にも、シンは答えなかった。
キャノピーが閉じ、スカイグラスパーのエンジン音が格納庫へ広がる。
誘導灯が変わり、機体がカタパルトへ固定された。
次の瞬間、スカイグラスパーはミネルバから射出され、青い空へ飛び出した。
セラは格納庫の開口部から、遠ざかっていく機体を見つめる。
スカイグラスパーは高度を上げ、薄い雲の中へ入った。白い機影はすぐに輪郭を失い、その先にどこへ向かったのかは見えなくなる。
それでもセラは、機体が消えた空を見つめ続けていた。