機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
月面から放たれた光が、プラントの宙域へ届いた。
巨大な光条はヤヌアリウスのコロニー群を横切り、その外壁を一瞬で焼き切った。
人工の空を映していた天井に白い亀裂が走り、街路を照らしていた灯りが次々と消えていく。
直後、赤い非常灯が点灯し、耳を刺す警報がコロニー全体へ響き渡った。
「緊急警報。外壁に重大な損傷を確認。住民は直ちに最寄りの避難区画へ――」
放送を遮るような轟音が響いた。
街路が大きく揺れ、走っていた車両が横滑りする。
建物の窓が次々と割れ、人々は何が起きたのかも分からないまま外へ飛び出した。
「隔壁へ! 急げ!」
「押さないで! 子供がいるの!」
「お母さん、怖い!」
「大丈夫! 手を離さないで!」
母親は幼い子供の手を強く握り、人の流れに押されながら避難口へ向かう。
その頭上で、コロニーの空だったものが裂けた。
亀裂の向こうに黒い宇宙が覗き、そこから大気が一気に噴き出していく。
街路を吹き抜けていた風は、瞬く間に暴風へ変わった。
紙片や看板が舞い上がり、停車していた車両まで少しずつ浮き始める。
人々は柱や手すりにしがみつき、互いの身体を必死に掴んだ。
「助けて!」
「こっちだ! 手を伸ばせ!」
「お父さん!」
避難口では兵士たちが閉まり始めた隔壁を挟み、残された住民へ手を伸ばしていた。
大人に抱き上げられた子供が泣き叫び、別の場所では転倒した少女を少年が必死に引き起こそうとしている。
誰もが生きようとしていた。
だが、外壁の亀裂はなお広がり続けた。
再び大きな衝撃が走る。
建物の一部が崩れ、通路の照明が一斉に消えた。
悲鳴と警報、金属の軋む音が重なり、それすらも大気が失われるにつれて急速に遠ざかっていった。
*****
それは見るも無残な光景だった。
ジュール隊の目の前で、巨大なコロニーが白い大気を噴き出しながら崩れていく。
裂けた外壁から建物や車両、都市を形作っていた無数の残骸が流れ出し、その中には小さな人影も混じっていた。
何を叫んでいるのかは聞こえない。
互いにしがみついていた者たちも、やがて引き離され、黒い宇宙へ流されていった。
イザークは言葉を失った。
被害はヤヌアリウス1区だけではない。
2区、3区、4区でも外殻の崩壊が始まり、街の灯りが次々と消えていく。
構造を維持できなくなった巨大なコロニーは回転を乱し、砕けた外壁が周囲へ飛散した。
「ヤヌアリウス1区から4区、反応消失!」
「大型構造物がディセンベル方面へ向かっています!」
「7区、8区、衝突コース! 回避不能!」
巨大な残骸がディセンベル7区へ激突した。
コロニー全体が押し潰されるように歪み、砕けた外壁がさらに8区を巻き込む。
直撃を免れていた街にも亀裂が走り、無数に並んでいた灯りが一斉に消えた。
「何とかならないのか!」
『無理だ、イザーク! あんなもの、俺たちじゃ止められない!』
ディアッカの声にも、いつもの軽さはなかった。
イザークの拳がコンソールへ叩きつけられる。
「くそっ!」
戦場の動きが止まっていた。
ジュール隊だけではない。
周囲のザフト機も、目の前で故郷が崩れていく光景を呆然と見つめている。
だが、イザークはすぐに顔を上げた。
視線の先には、先ほど月面から来た光を受け、別方向へ放った中継コロニーが残っていた。
これが残っている限り、同じことがもう一度起こるかもしれない。
「何をしている!」
怒声が部隊回線へ響く。
「全機、あのコロニーを墜とせ! 急げ!」
『隊長……』
「2射目が来たら、今度こそプラントは終わりだ! ここで止めるぞ!」
最初にディアッカの機体が動いた。
『……聞いたな。ジュール隊、全機続け!』
「中継機能を残すな! 一気に叩く!」
止まっていたMSが次々と加速する。
背後では今もコロニーが崩壊を続けていた。
故郷のため。
家族のため。
そして、まだ生きている者たちのため。
ジュール隊は中継コロニーへ向け、一斉に突撃を開始した。
*****
機動要塞メサイアの作戦司令部も、かつてない混乱に包まれていた。
正面の巨大モニターにはプラントの被害区域が赤く表示され、報告が入るたびにその範囲が広がっていく。
救難信号を示す光点は次々と増え、すでに画面上で重なり始めていた。
「ヤヌアリウス1区から4区、完全消失! ディセンベル7区、8区も壊滅的被害!」
「周辺区画への二次被害は現在も拡大中です!」
「月艦隊の一部を救助へ回すべきです!」
「主力を抜けば包囲網に穴が開く! 第二射を撃たれたら救助どころではない!」
「ならば直ちにダイダロスへ総攻撃を!」
「待て! 戦力を立て直す時間も必要だ!」
普段なら順番を守って発言する幕僚たちの声が重なっていた。
それだけ、今起きている事態が彼らの想定を超えていた。
「議長」
一人の幕僚が口を開いた。
「一時的にでも、ロゴスへ停戦を申し入れるべきではないでしょうか。第二射を止める時間だけでも稼げれば――」
デュランダルは、しばらく何も答えなかった。
普段の穏やかな表情は消え、崩壊したプラントの映像を見つめている。
「停戦か。だが、誰と停戦するのかね」
司令部が静まる。
「ロード・ジブリールは国家を代表ではない。今や彼らは、国家間の約束によって行動を縛られる存在ではないのだぞ」
「ですが――」
「そして彼は今、軍事施設ではなくプラントそのものを撃った」
デュランダルの声は静かだった。
だが、その言葉には普段より明らかな硬さがあった。
「我々が砲口の前で立ち止まれば、彼がそれを好機と考えない保証がどこにある。第二射を許すわけにはいかない」
「しかし、プラント側からの救難要請も増え続けています」
「救助は止めない。だが、救助だけに戦力を割けば、また救わなければならない者を増やすことになる」
幕僚たちは口を閉ざした。
正面モニターでは、今も救難信号が増え続けている。
「月艦隊は戦力を再編し、中継施設の制圧を優先。ダイダロス基地への攻撃も強化したまえ」
「総攻撃を?」
「そうだ。今ここで止めなければ、次に何が失われるのか分からない」
命令が各部隊へ送られていく。
戦術表示の上で止まっていたザフト艦隊が、再び動き始めた。
デュランダルはそれを見届けると、通信士へ顔を向けた。
「それから、ミネルバへつないでくれ」
「通常作戦回線でしょうか」
「いや。艦長専用回線で頼む」
通信士がすぐに操作へ入る。
デュランダルの視線は、地球上のカーペンタリアを示す一点へ向けられていた。
*****
同じ映像は、オーブにも届けられていた。
代表府の作戦室では、壁面いっぱいにプラントの惨状が映し出されている。
ヤヌアリウスが崩壊し、その残骸がディセンベルを巻き込んでいく。
何度映像が切り替わっても、状況が良くなることはなかった。
カガリは机に両手をつき、画面を見上げていた。
オーブがレクイエムを撃ったわけではない。
それでも、ジブリールがオーブにいたという事実は消えない。
ザフトから引き渡しを求められた時、当時代表だったユウナはその存在を否定し、その後の戦闘の混乱に乗じてジブリールは月へ逃れた。
全てがオーブの責任ではない。
だが、ジブリールを逃した経緯について国家として責任の一端はある。
「被害状況は」
「まだ確定できません。プラント側も混乱しています。ただ、人的被害はこれまでとは比較にならない規模になるかと」
「救援要請が来た場合に備えて、宇宙港と医療班へ準備をさせろ。今はザフトとの関係を考える必要はない。受け入れられるものは受け入れる」
「はい」
幕僚が動き出す。
カガリは隣へ目を向けた。
アスランは一言も発していなかった。
毅然として立っているが、その顔からは明らかに血の気が引いている。
プラントは、アスランの故郷だった。
「アスラン」
「……大丈夫だ」
「そんな顔で言われても説得力がないぞ」
アスランは答えなかった。
視線だけは、崩壊したプラントから離れない。
カガリは少し迷ってから口を開いた。
「ミネルバに戻りたいか」
アスランの表情がわずかに動く。
「必要なら私から掛け合う。タリア艦長にも、ザフトにも。こんな状況だ。お前の力が必要だと言えば――」
「いや。戻れない」
「どうしてだ。こんな時なんだぞ」
「こんな時だから戻ったら、俺はまた同じことをする」
カガリが眉を寄せる。
「プラントが危ないから戻る。誰かが困っているから戻る。そうやって、その時に正しいと思った場所へ移り続けて……俺は何度も、自分が何をするのか分からなくなった」
アスランは一度、自分の意思でミネルバへ戻った。
そしてタリアと話し、シンたちにも自分の考えを伝え、FAITHの徽章を置いてきた。
その判断が正しかったのか、まだ答えは出ていない。
それでも、自分で決めたことだった。
「今さら、状況が変わったからといって、取り消すことはできない」
「後悔しないのか」
「するかもしれない。でも、それでも決めたんだ」
カガリは、しばらくアスランの横顔を見つめた。
ミネルバへ戻らない。
ならば、今この男にできることは何なのか。
カガリは作戦室の別の画面へ視線を移した。
そこには、オーブ軍港に停泊するアークエンジェルの姿が映っていた。
「なら、アークエンジェルと行け」
「カガリ」
「私はここを離れられない。代表に戻った以上、今度こそオーブにいなきゃならない。でも、お前は違う」
「俺はアークエンジェルに戻るためにザフトを辞めたんじゃない」
「分かっている。戻れと言ってるんじゃない。行けと言ってるんだ」
アスランが黙る。
「プラントが心配なんだろう。ジブリールを止めたいとも思ってる。それなのに、ここで見ているだけなのか?」
「だが、アークエンジェルと行けば、この先ミネルバと戦うことになるかもしれない」
「それは、その時にお前が決めろ。まだ起きてもいないことを怖がって、今できることまで捨てるな」
アスランは目を伏せた。
宇宙へ行けば、キラたちと行動することになる。
その先でザフトと敵対する可能性もある。
シンやレイ、そしてミネルバと再び向かい合うことになるかもしれない。
それでも今、レクイエムを止めなければ、その先の選択すら失われる。
「アークエンジェルも宇宙へ上がる準備をしている。お前も一緒に行け」
「カガリ……」
「命令だ」
「もう俺は、お前の部下でも何でもないぞ」
「細かいことはいい!」
思わず声を荒らげたカガリは、一度息を吐く。
「……とにかく行ってこい。私の代わりに」
アスランはしばらく何も言わなかった。
もう一度、崩壊したプラントの映像を見上げる。
「……分かった」
それは、ミネルバへ戻るという答えでも、アークエンジェルへ戻るという答えでもなかった。
ただ今は、宇宙へ行く。
アスランはそう決めた。
*****
プラントの惨状は、カーペンタリア基地に停泊するミネルバにも届けられていた。
食堂の壁面モニターには、現地から送られてくる映像と被害速報が繰り返し流されている。
休養中だった乗員たちはいつの間にかそこへ集まり、椅子に座る者も、壁際に立つ者も、誰一人として食事へ手をつけていなかった。
モニターの中では、崩壊したコロニーがゆっくりと回転している。
裂けた外壁から白い大気が噴き出し、その中を街の残骸が流れていく。
時折、その間に遠目にも人間だと分かる小さな影が混じった。
「ヤヌアリウス1区から4区は完全に反応を消失。崩壊した構造物がディセンベル7区、8区へ衝突し、両区にも壊滅的な被害が確認されています」
食堂の奥で椅子が倒れた。
若い整備兵が立ち上がり、画面を見たまま固まっている。
「……3区」
「おい?」
「母さん……親父……」
隣にいた同僚が肩へ手を伸ばした。
その途端、整備兵は力が抜けたように膝をついた。
「嘘だろ……昨日まで……」
その先は声にならなかった。
別のテーブルでは、女性乗員が椅子に座ったまま両手で顔を覆っていた。
隣にいる同僚が背中をさすっている。
「大丈夫だから」
「……何が?」
「……」
「何が大丈夫なの……?」
答えられる者はいなかった。
食堂の入口では、被害地区の名を聞いた乗員がその場で立ち止まり、壁へ手をついた。
別の若い兵士は顔を青ざめさせ、何度も首を横に振っている。
「姉貴が……あそこに……」
「まだ分からない。まだ、何も――」
「じゃあ、どうやって確かめるんだよ!」
押し殺していた声が一気に大きくなった。
だが、責める者はいない。
食堂のあちこちから嗚咽が聞こえる。
呆然とモニターを見つめる者もいる。
顔を伏せたまま動かない者もいた。
誰かの手から食器が滑り落ち、床で割れた。
甲高い音が響いたが、それにも誰一人として振り返らなかった。
シンとルナマリアも、青ざめた顔でモニターを見ていた。
外壁の裂けたコロニーから、人影が宇宙へ流されていく。
顔など分からない。
誰なのかも分からない。
それでも、家族の名を呼ぶ整備兵の声を聞いた時、シンの右手が強く握られた。
ルナマリアは一度だけシンへ視線を向ける。
だが、何も言わなかった。
何を言えばいいのか分からなかった。
レイも黙ってモニターを見つめていた。
やがて、その視線が崩壊したコロニーから、繰り返し流されている別の映像へ移った。
月面から伸びた巨大な光。
それが途中のコロニーへ入り、別方向から再び放たれる。
レイが少し身を乗り出した。
「シン、ルナマリア。これを見てくれ」
「何だよ」
「ここだ。光がこのコロニーへ入った後」
2人も画面へ目を凝らす。
光は一度構造物へ入り、次の瞬間には大きく方向を変えて伸びていた。
「……曲がってる?」
「でも、ビームをこんな角度で曲げられるの?」
ルナマリアの言葉に、レイは少し考える。
「ビームそのものを曲げているとは限らない。一度ここで受けて、別の方向へ撃ち直しているとしたらどうだ」
「撃ち直す?」
「このコロニーそのものが中継施設なら、映像とは合う。1つじゃなく、いくつか使って射線をつないでいるんじゃないか」
シンは画面を見つめたまま眉を寄せる。
「じゃあ……月の裏側からでも、プラントを狙えるのか」
「そういう兵器なら、可能だと思う」
レイは断定しなかった。
今ある映像から考えられる可能性を口にしただけだった。
ルナマリアが息を呑む。
「その中継施設がまだ残ってたら……」
「もう一度撃てるってことか」
シンが先に気づく。
レイは短く頷いた。
「可能性はある」
シンは再びモニターを見る。
今もプラントでは救助が続いていた。
それなのに、次の一撃がいつ来るのか誰にも分からない。
「ジブリール……」
拳にさらに力が入る。
「絶対に止める」
「止めなければならない。次も同じ場所を狙うとは限らない」
レイの言葉が終わった直後、食堂のスピーカーが鳴った。
「総員に通達。現時刻をもって、ミネルバ全乗員の休暇を取り消します。基地内にいる者は直ちに帰艦。各員、出航配置へ移行しなさい」
タリアの声だった。
「繰り返します。全乗員の休暇を取り消し、直ちに出航準備へ入ります」
放送が終わるより先に、食堂のあちこちで椅子を引く音がした。
先ほど膝をついていた整備兵も、同僚の腕を借りて立ち上がる。
「行けるか」
「……行く」
「無理するなよ」
「行かないと……また撃たれる」
同僚は何も言わず、その肩を一度だけ叩いた。
泣いていた者も、呆然としていた者も、それぞれの持ち場へ向かって動き始める。
涙を拭う者。
床へ落ちた上着を拾う者。
まだ震える手を握り締めながら食堂を出ていく者。
悲しみが消えたわけではない。
家族の安否が分かったわけでもない。
それでも今は、立たなければならなかった。
「シン、行こう」
「ああ」
「レイも」
「ああ」
ルナマリアに促され、シンも出口へ向かう。
その途中で一度だけ振り返った。
モニターの中には、もう街と呼べるものは残っていなかった。
*****
それから2時間。
休暇中だったミネルバを戦闘航行可能な状態へ戻すため、艦内では慌ただしい作業が続いていた。
格納庫では各MSの最終確認が進められ、弾薬や補給物資が次々と運び込まれていく。
機関室でも停止していた系統が順番に立ち上げられた。
完全な整備を待つ時間はない。
必要なのは、月まで飛び、そこで戦える状態にすることだった。
先ほど食堂で膝をついていた整備兵も、今は格納庫で工具を握っている。
目元はまだ赤い。
それでも、手は止めなかった。
「主機、全系統起動確認」
「補助機関、異常なし」
「MS各機、固定完了!」
「全乗員の帰艦を確認しました!」
報告が次々と艦橋へ届く。
タリアは正面モニターを見上げた。
目的地は月。
ロード・ジブリールのいるロゴス月面基地。
「了解。出航するわ」
「ミネルバ、出航準備!」
「係留解除。港湾管制より発進許可!」
海面に浮かんでいたミネルバの推進器へ光が灯る。
周囲の水面が大きく波打ち、巨大な艦体がゆっくりと浮かび上がった。
「出力上昇。離水します」
推力が増していく。
ミネルバは艦首を空へ向け、そのまま高度を上げ始めた。
カーペンタリア基地が急速に小さくなり、やがて雲の下へ消えていく。
「高度3万。上昇率安定」
「進路、月軌道遷移コースへ」
青かった空が次第に深くなり、その先に黒い宇宙が広がり始める。
タリアは正面を見据えた。
「最大戦速。目的地、月面ダイダロス基地」
艦橋の誰もが前を向いていた。
つい2時間前まで泣き崩れていた者たちも、今はそれぞれの持ち場でミネルバを動かしている。
悲しみも、不安も、地上へ置いてきたわけではない。
すべてを抱えたまま、月へ向かう。
プラントへ、二度目の光を届かせないために。
ミネルバは成層圏を抜け、宇宙へ上がっていった。