機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ダイダロス基地の奥で、いくつもの爆発が続いていた。
インパルスが突入したレクイエム管制区画では制御設備の一部が破壊され、発射準備を示していた高エネルギー反応も急速に低下している。
ミネルバの艦橋では、メイリンがその変化を追いながら次々と入ってくる情報を読み上げていた。
「レクイエム関連施設、エネルギー値低下! 発射シーケンス停止を確認!」
「再上昇は?」
「ありません! 発射準備は完全に止まっています!」
アーサーが大きく息を吐いた。
タリアも正面スクリーンを見つめたまま、ようやく肩から僅かに力を抜く。
第二射は阻止された。
少なくとも今、プラントへ向けてあの光が再び放たれる危険は消えた。
その直後、通信端末へ新たな信号が入った。
「艦長、ダイダロス基地から広域通信です!」
「つないで」
メイリンが回線を開く。
『こちらダイダロス基地司令部。ダイダロス基地は、これ以上の戦闘継続を断念する』
『全防衛部隊へ戦闘停止を命じた。ザフト軍に対し、基地の降伏を宣言する』
『繰り返す。ダイダロス基地は降伏する。基地所属部隊は直ちに武装を解除し、各所で待機せよ』
艦橋が静まった。
メイリンが戦術表示を確認すると、基地周辺に残っていたウィンダムの反応が次々と停止し、健在だった固定砲台も砲身を下げ始めている。
それまで散発的に続いていた砲撃は急速に途絶え、白い月面から戦場を覆っていた光が一つずつ消えていった。
「敵防衛隊、攻撃停止」
「各砲台も沈黙しています」
「……本当に降伏したんですね」
アーサーの声にも、まだ実感が伴っていなかった。
レクイエムの発射能力を失い、基地防衛線も大きく崩されている。
さらに月面にはザフトの主力部隊が展開している以上、ダイダロス側が戦闘継続を断念したこと自体は不自然ではない。
だが、すべての敵がすぐに止まったわけではなかった。
*****
ネメシスの補助腕が、レギナントの爪を正面から受け止めた。
セラはさらに左腕を振り抜こうとしたが、No.2はその攻撃を受け流すと、これまでとは違って大きく距離を取った。
ネメシスが後退する。
セラも追わず、荒い呼吸を繰り返しながら敵機の動きを見つめた。
ダイダロス基地から流れた降伏宣言は、当然No.2にも届いている。
「戦闘を継続しないのですか」
『時間切れだ』
それだけ言い残し、ネメシスが機体を反転させた。
レギナントへ背を向けることに躊躇する様子もなく、そのまま基地から離れる方向へ加速していく。
「No.2」
セラが呼びかけても返事はなかった。
黒い大型機はさらに速度を上げ、白銀の月面上空を遠ざかっていった。
ほぼ同じ時刻、デスティニーとレジェンドを囲んでいたバンパイアにも変化が起きていた。
シンは前方の1機へアロンダイトを向け、相変わらず決定打を狙ってこない敵の動きを警戒していた。
そのバンパイアが突然、デスティニーへ背を向ける。
「何だ?」
他の機体も同じだった。
1機、2機と戦闘を切り上げ、後方にいた機体まで次々と反転していく。
12機はほとんど隊形を崩さないまま、一斉にダイダロス基地から離れ始めた。
「待て!」
シンがデスティニーを加速させる。
だが、バンパイアは振り返ることさえせず、反撃もしないまま離脱を続けていた。
「レイ、何なんだあいつら!」
「分からない。だが、明らかに撤退している」
「さっきまであれだけ付きまとってきたくせに……!」
シンは追撃しようとしたが、その直後にミネルバから通信が入った。
『シン、レイ。追撃は不要よ』
「でも艦長!」
『今はダイダロス基地の制圧を優先します。あなたたちは直ちに基地周辺の警戒へ移って』
「……了解」
「了解」
シンは不満を残しながらもアロンダイトを下ろし、レイとともにダイダロス基地へ機首を向けた。
続いて、レギナントにもタリアから通信が入る。
『セラ』
「はい」
『あなたは直ちに帰投しなさい』
「戦闘継続は可能です」
『これは許可ではなく命令よ。すぐに戻りなさい』
一瞬の間があった。
セラは遠ざかっていくネメシスの背中を見つめる。
すでに追撃するには大きく距離が開き、その機影も徐々に小さくなっていた。
「了解しました」
レギナントがゆっくりと向きを変える。
白い大型機は最後に一度だけネメシスの消えた方向へ視線を向けると、そのまま母艦へ帰投していった。
*****
ダイダロス基地の降伏から間もなく、ザフトの制圧部隊が次々と基地周辺へ到着した。
MSが格納庫や司令区画へ続く主要通路を押さえ、その後ろから突入要員を乗せた車両が続いていく。
降伏したロゴス兵たちは武装を解除し、月面各所でザフト兵の指示に従っていた。
デスティニー、レジェンド、インパルスは大型格納庫前に残り、内部から新たな敵が出てこないか警戒を続けていた。
周囲にはまだ破壊されたウィンダムやザムザザーの残骸が散らばり、遠くでは停止したデストロイが月面へ倒れたまま動かない。
やがて、制圧部隊の先頭を進んでいたザフト機が3機へ近づいた。
『ミネルバ隊か』
「はい」
『ここからは我々が引き継ぐ。基地内部の制圧はこちらに任せてくれ』
シンは周囲を確認した。
後続のザフト部隊は途切れることなく到着し、格納庫だけでなく司令区画やレクイエム関連施設へも次々と向かっている。
これだけの戦力が入れば、もう自分たちが入口を守り続ける必要はなかった。
『レクイエムを止めてくれたそうだな。ありがとう』
ルナマリアが少し照れたように笑う。
「それじゃあ、後はお願いします」
『任せてくれ』
ザフト機はそのまま格納庫内へ入り、続く部隊も次々と基地区画の奥へ消えていった。
シンはそれを見届けてから、ようやく操縦席へ背中を預ける。
「終わった……のかな」
「少なくとも、レクイエムは止めたわ」
「ああ。それだけでも十分だ」
レイの言葉に、シンは小さく息を吐いた。
ほんの少し前まで、何十機もの敵と基地砲台に囲まれ、いつ第二射が放たれてもおかしくない状況だった。
砲火が消えて緊張が切れた途端、今まで意識していなかった身体の重さが一気に戻ってくる。
「帰ろうぜ」
「ええ」
「ああ」
3機はミネルバへ向けて進路を取った。
*****
ミネルバの格納庫では、帰還した3機を整備班が待ち構えていた。
デスティニーが固定されるより早く整備員が機体へ取り付き、損傷箇所の確認を始める。
レジェンドとインパルスにも次々と足場が寄せられ、長時間の戦闘で傷んだ装甲や推進器の点検が始まった。
シンはコクピットから降りると、周囲を見渡した。
レギナントはすでに帰投しており、白い機体の周囲では整備班がスカート装甲や肩部に残る損傷を調べている。
だが、セラ本人の姿はどこにもなかった。
「セラは?」
ルナマリアもレギナントの周囲を見回す。
「ああ、セラなら医務室だよ」
ヴィーノが答えた瞬間、シンの表情が変わった。
「医務室!?」
「大丈夫だって。そんな顔するなよ」
ヨウランが慌てて手を振る。
「今回は前みたいな危険な状態じゃない。かなり疲れてはいるけど、診てもらった限りじゃ休ませれば問題ないって話だ」
「本当に?」
「ああ。意識もあるし、受け答えも普通だよ」
シンが大きく息を吐き、ルナマリアも胸へ手を当てた。
レイはレギナントを一度見上げてから、2人へ視線を戻す。
「行くのか」
「当たり前だろ」
「私も行くわ」
3人はそのまま医務室へ向かった。
*****
医務室では、すでにセラの診察と必要な処置が終わっていた。
奥のベッドで上半身を少し起こし、壁へ背中を預けている。
額や首筋にはまだ汗が残っていたが、顔色は以前のように青白くはなく、疲労の色が濃い程度だった。
そのベッドの横には、ユアンがいた。
片手には水分補給用のボトル、もう片方には汗を拭くためのタオルを持ち、セラの様子を気にするように何度も顔を覗き込んでいる。
扉が開いた音に気づき、ユアンが振り返った。
「シン教官!」
慌てて立ち上がる。
「お、お疲れさまです!」
「ああ。セラは?」
「さっき診てもらって、今は休んでいれば大丈夫だそうです。水分も少しずつ取るようにって言われてます」
シンはベッドへ近づいた。
「大丈夫か?」
「はい。疲労があります」
「それ、大丈夫って言うのかよ……」
いつも通りの返答に、シンは困ったように眉を下げた。
ルナマリアはその横を通り過ぎようとして、ふとユアンの手元を見た。
タオルとボトルを持ち、いかにも甲斐甲斐しくベッドの横についている。
それを見て、口元に少しだけ笑みが浮かんだ。
「へえ。ずっとセラについててくれたんだ」
「え?」
「汗も拭いてあげて、水まで用意して。随分優しいじゃない」
「ち、違います! そういう意味じゃなくて!」
ユアンの顔が一気に赤くなる。
「医務室の人に水分を取らせてって言われたから、それで……タオルも必要だと思って!」
「私は別に、そういう意味だなんて言ってないわよ?」
ルナマリアはしばらく笑っていたが、やがて申し訳なさそうに片手を上げた。
「ごめんごめん。ちょっとからかいすぎたわ」
「……いえ」
「でも、本当にありがとう。セラについててくれて」
ユアンは照れたように視線を逸らす。
「俺は別に……大したことはしてません」
「そんなことないわよ。セラだって感謝してると思うし」
「でも、セラは何も……」
ユアンが言いかけたところで、ルナマリアの視線が下へ落ちた。
「ほら」
ユアンの制服の袖を、セラの右手が掴んでいた。
「えっ」
ユアンが固まる。
シンも一瞬目を丸くし、ルナマリアは楽しそうにセラとユアンを交互に見た。
「ね?」
「い、いや、これは……」
顔を真っ赤にしたユアンとは対照的に、セラだけは周囲の反応が分からないように全員を見回していた。
「セラ。ユアンに何か言いたいことある?」
ルナマリアに尋ねられ、セラは少しだけ考えた。
「はい」
ユアンが僅かに身を固くする。
「水分を要望します」
全員の視線が、ユアンの手に握られたボトルへ移った。
数秒の沈黙のあと、シンとルナマリアの肩が揃って落ちる。
「そっちかよ……」
「もう、セラ……」
ユアンは何とも言えない表情のままボトルを開け、セラへ差し出した。
セラはそこでようやく袖から手を離し、受け取ったボトルへ口をつける。
「ありがとうございます」
「……どういたしまして」
まだ顔の赤みが引かないユアンを見て、シンが小さく笑った。
命懸けの戦闘を終えたばかりの3人にも、ようやく少しだけ普段の空気が戻っていた。
*****
ミネルバの艦橋には、機動要塞メサイアから通信が入っていた。
正面スクリーンに映るデュランダルのもとには、ダイダロス基地へ突入した各部隊からの報告が集まり始めている。
『まずは、よくやってくれた』
デュランダルの声はいつもと変わらず落ち着いていた。
『レクイエムの第二射は阻止された。プラントにとって、これ以上ない成果だ』
「ありがとうございます」
タリアも静かに答える。
だが、デュランダルの表情には僅かな硬さが残っていた。
『ただ、残念な報告もある』
「何でしょうか」
『ダイダロス基地の捜索が進んでいるが、ロード・ジブリールが発見できない』
タリアの表情が止まった。
「……いない?」
『司令区画を含め、すでに制圧した区域からは発見されていない。基地内の捜索は続いているが、すでに脱出した可能性が高い』
タリアはすぐに言葉を返せなかった。
ヘブンズベースでも逃げられた。
オーブでも捕らえられなかった。
そして、今度こそ追い詰めたはずのダイダロス基地にも、ロード・ジブリールはいない。
「また……」
小さく漏れた声に、アーサーがタリアを見る。
その脳裏に、先ほどまでの戦闘が蘇った。
ネメアの機体は確かに強かった。
シンたちの動きを先読みするような正確な攻撃を繰り返し、ミネルバ隊を何度も押し返した。
それなのに、途中からバンパイアはデスティニーとレジェンドを撃墜しようとはせず、距離を取らせるような戦い方へ変わっていた。
No.2も同じだった。
セラを追い詰める力がありながら、本気で戦うつもりはないと言っていた。
そしてダイダロス基地が降伏した途端、ネメシスもバンパイアも迷うことなく戦場を離れている。
時間切れだ。
最後にNo.2が残した言葉が、タリアの中で引っかかった。
「……時間稼ぎだったの?」
誰へ向けたわけでもない呟きだった。
『グラディス艦長?』
「申し訳ありません、議長」
タリアは顔を上げた。
「敵の目的を読み違えた可能性があります。あの機体たちは、ダイダロスを守り切ることより、こちらを足止めすることを優先していたのかもしれません」
『足止めを?』
「はい。もしジブリールがその間に脱出していたのなら、あの不自然な動きにも説明がつきます」
確証はなかった。
だが、ジブリールがすでに基地から消えているという事実を前にすれば、そう考えずにはいられなかった。
「もっと早く気づくべきでした。私の失態です」
『いや、グラディス艦長。それは違う』
デュランダルは静かに首を振った。
『君たちはレクイエムの第二射を止めた。もしあれが再びプラントへ放たれていれば、ジブリール一人を捕らえることとは比較にならない被害が出ていただろう』
「ですが――」
『君とミネルバのクルーは、果たすべき任務を果たした。それを失態と呼ぶつもりはないよ』
タリアは暫く黙った後、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
『もっとも、これで全てが終わったわけではない』
デュランダルの表情が少しだけ引き締まる。
『まずはダイダロス基地の完全制圧と、レクイエムの確保を優先したまえ。ジブリールについてはこちらでも捜索を続ける』
「了解しました」
『では、また連絡する』
通信が切れ、正面スクリーンが通常表示へ戻った。
タリアはしばらく何も言わず、艦長席の肘掛けへ置いた右手を握り込む。
やがて、その拳が一度だけ小さく肘掛けを叩いた。
大きな音ではなかった。
ジブリールを逃がしたことだけではない。
敵が何を目的に戦っていたのか、最後まで読み切れなかった自分自身への怒りが、そこに滲んでいた。
タリアはゆっくりと手を開き、正面へ顔を上げる。
「ダイダロス基地の制圧状況を確認。各部隊からの報告をまとめて」
「はい!」
メイリンが端末へ向き直る。
レクイエムは止めた。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。