機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
アークエンジェルはデブリ帯の中を縫うように進み、月面へ向かっていた。
艦体の周囲には大小さまざまな岩塊や人工物の残骸が漂い、それらに紛れることでダイダロス基地やザフトからの発見を避けている。
だが、月へ近づくほど利用できる遮蔽物は少なくなり、この先にはまとまったデブリのない空白地帯が広がっていた。
艦橋では、アスランが正面スクリーンに映る月面を見つめていた。
すでにアークエンジェルは月の引力を強く受ける位置まで来ているが、ここから最大戦速へ移ったとしても、月面へ到達するまでにはまだ数十分を要する。
その間、何にも身を隠さず進めば、ダイダロス基地か周辺に展開するザフト部隊のどちらかに捕捉される可能性は高かった。
「この先は、もう隠れられそうなデブリはないのね」
「はい。ここを出れば、月面までほとんど開けています」
ノイマンの報告を聞き、マリューは戦術表示へ視線を落とす。
「迂回は?」
「できます。ただ、さらに時間が掛かります」
「今でも間に合うかどうか分からないのに……」
アスランは黙ったまま月を見つめていた。
レクイエムがすでに一度発射されたことは分かっている。
もし第二射まで許せば、今度こそプラントがどれほどの被害を受けるのか想像もできなかった。
「このまま出るしかないか……」
誰に言うでもなく呟く。
最大戦速で突っ切れば時間は縮められるが、それは自分たちの存在を月面全域へ知らせながら進むことと変わらない。
ザフトに見つかれば、今のアークエンジェルがどう扱われるのかも分からなかった。
時間だけが過ぎていく。
艦橋に時計の音など聞こえてはいない。
それでもアスランには、一秒ごとに何かが削られていくように感じられた。
その焦りは誰も口にしないまま、艦橋全体へ静かに広がっていた。
「艦長!」
ミリアリアの声が空気を切った。
「前方に機影! こちらへ接近しています!」
「数は?」
「大型反応1、小型反応12! 合計13機!」
正面スクリーンの一部が切り替わり、まだ遠い光点が拡大される。
1機の大型機を中心に12機がまとまって移動しており、その進路はアークエンジェルの正面を斜めに横切る形になっていた。
「こちらへ向かっているの?」
「いえ。現時点では直進しています。こちらを捕捉した兆候もありません」
マリューは表示された進路を確認する。
このまま互いに航路を変えなければ、かなり近いところを通過する。
だが、ここでアークエンジェルが急に動けば、逆に存在を知らせることになりかねない。
「機関出力は現状を維持。余計な電波を出さないで」
「了解」
「第二戦闘配備。MS隊は発進待機」
「第二戦闘配備! 各員、所定配置へ!」
警報が艦内へ流れる。
アスランも正面の機影をもう一度見てから艦橋を離れた。
*****
アークエンジェルは大きなデブリの陰へ艦体を寄せ、息を潜めるように動きを止めていた。
発進デッキではストライクフリーダム、インフィニットジャスティス、アカツキの3機がすでに待機状態へ入り、いつでもカタパルトへ移れるよう準備を整えている。
ジャスティスのコクピットで、アスランは接近する機体群の映像を見ていた。
距離が縮まったことで、暗かった輪郭が次第にはっきりしてくる。
やがて一団が月と太陽の位置関係から明るい宙域へ出ると、その姿がモニターへ鮮明に映し出された。
大型機は黒い。
人型に近い胴体から複数の腕が伸び、その周囲を平たい魚影のような12機が追随している。
アスランの目が細くなった。
見覚えがある。
以前、月面基地への強襲作戦で遭遇した機体だった。
セラを狙い、ザフトのMS隊を分断しながらレギナントを捕らえた黒い大型機と、その周囲を固めていた12機。
「艦長」
『どうしたの、アスラン君』
「大型機、以前交戦したネメシスに一致します。後続の12機もバンパイアです」
『あの時の……』
「はい」
それ以上のことは、アスランにも分からない。
誰が造ったのか。
どこに所属しているのか。
なぜセラを狙っていたのか。
戦闘後に得られた情報はあまりにも少なく、今目の前を通過しようとしている一団の目的も知りようがなかった。
ストライクの中で、キラが映像を拡大する。
『あれが、アスランの言ってた機体?』
「ああ。大型機には気を付けろ。見た目以上に速い」
『分かった』
アカツキからネオの声も入る。
『できれば、このまま行ってくれると助かるんだがな』
「同感です」
13機は進路を変えない。
アークエンジェルの潜むデブリへ視線を向けた様子もなく、そのまま近くを横切っていく。
距離が縮まる。
誰も通信を増やさない。
艦橋でもMSのコクピットでも、正体不明の一団が完全に通過するのを待っていた。
先頭のネメシスがアークエンジェルの正面を通り過ぎる。
続いて12機のバンパイアが後を追う。
このまま行く。
アスランがそう思った直後だった。
後方を飛んでいたバンパイアの1機が、僅かに軌道を変えた。
続いて隣の機体も動く。
それまでまとまっていた12機が扇状に散開し、デブリ帯を包み込むように広がっていった。
「艦長!」
『分かってる!』
ネメシスも旋回を始める。
その機首が、まっすぐアークエンジェルへ向いた。
『第一戦闘配備! MS隊、直ちに発進!』
「了解!」
デブリの陰に隠れていたアークエンジェルが一気に機関出力を上げる。
同時に発進デッキが開き、3機のMSが次々と射出位置へ移動した。
「キラ・ヤマト、ストライクフリーダム、行きます!」
「アスラン・ザラ、インフィニットジャスティス、出る!」
「ネオ・ロアノーク、アカツキ、行くぜ!」
3機がアークエンジェルの前へ展開する。
その向こうでは黒い大型機を中心に、12機のバンパイアがすでに戦闘隊形へ移っていた。
*****
最初に動いたのはネメシスだった。
黒い大型機が一気に加速し、迎撃へ出た3機の中央へ飛び込んでくる。
キラはフリーダムを前へ出し、アスランとネオは左右へ散開してバンパイアの接近を阻んだ。
「アスラン、あの大きいのは僕が!」
『分かった! 無理に近づくな!』
返事を聞くより早く、ネメシスが目の前まで迫る。
キラはビームライフルを撃ったが、黒い機体は射線が見えていたように僅かに軌道を変え、速度をほとんど落とさず接近を続けた。
通信が割り込む。
『民間船かと思ったら、戦艦クラスだったか』
若い男の声だった。
切迫した様子も、怒りも感じられない。
『どちらにせよ、見られた以上は同じだ。機密保持のために沈んでもらう』
「何を――」
ネメシスの背部と腰部から4本の補助腕が展開された。
2本の主腕と合わせて6本の腕が大きく広がり、フリーダムを抱え込むように迫ってくる。
獲物を逃がさないために脚を広げる巨大な蜘蛛を思わせる姿に、キラは反射的に距離を取った。
同時に、No.2から周囲のバンパイアへ通信が飛ぶ。
『残り2機を落とせ』
複数の返答が重なった。
『了解』
『了解しました』
『了解』
キラの指が一瞬だけ止まった。
知らない声ではなかった。
そう感じた理由が、すぐには分からない。
どこかで何度も聞いたような響きがあり、それが一人ではなく複数の通信から重なって聞こえてくることに、胸の奥がざわついた。
「今の声……」
アスランの通信にも、僅かな揺れが混じっていた。
アークエンジェルの艦橋でも、同じ通信を拾っていた者たちが一瞬だけ言葉を止める。
だが、戦闘は待ってくれない。
『余所見をする余裕があるのか』
No.2の声と同時に、ネメシスが消えるように加速した。
「くっ!」
キラはフリーダムを急上昇させる。
直前まで機体のあった場所をネメシスの主腕が薙ぎ、そのまま4本の補助腕が異なる方向から追いすがってきた。
両腰からビームサーベルを抜く。
振り上げた刃で1本を受け、もう1本を機体を捻って避ける。
残る2本から距離を取ろうと後方へ下がった瞬間、ネメシスの本体が先回りするように進路へ入った。
「速い……!」
右へ抜ける。
主腕が来る。
下へ逃げる。
そこには補助腕が伸びている。
キラはスラスターを噴かして強引に機体を反転させた。
目前を赤い光が走り、フリーダムの装甲すれすれを掠めていく。
『
ネメシスの爪が赤く輝いた。
キラは2本のビームサーベルを交差させ、正面から振り下ろされた主腕を受け止める。
激しい衝撃が機体を揺さぶり、その左右から補助腕が回り込んできた。
「このっ!」
サーベルを押し返しながら横へ逃げる。
だが、No.2はその動きを待っていたようにネメシスを追従させ、フリーダムが離れようとする方向へ先に機体を滑り込ませた。
逃げようとするたびに、そこへいる。
キラが左へ動けば左に。
上へ抜けようとすれば上へ。
まだ操縦桿を倒し切る前から、その進路へ攻撃が置かれているような感覚だった。
「動きを……読まれてる?」
ビームサーベルを振るう。
No.2は最小限の動きで避ける。
キラがそのまま距離を広げようとすれば、ネメシスは即座に加速して再び間合いを潰してきた。
射撃へ移る暇さえ与えられない。
一方、ジャスティスとアカツキの周囲では、12機のバンパイアが広く散開していた。
1機ずつ正面から勝負を挑むのではなく、2機がキラの援護へ向かえないよう進路を塞ぎ、互いの射線を重ねながら少しずつ距離を広げていく。
「大佐、右から来ます!」
『見えてる!』
アカツキが身を捻り、横から伸びてきた攻撃をかわす。
その後方から別のバンパイアが射撃を加え、ネオはさらに機体を下げて回避した。
アスランは2機を斬り払うようにビームサーベルを振るい、強引に中央へ戻ろうとする。
「キラ!」
フリーダムが押されている。
そう判断して進路を変えた瞬間、前方へ3機のバンパイアが滑り込んだ。
1機目が撃ち、アスランが避ける方向へ2機目が射線を重ねる。
さらに3機目の尾部から伸びた端末が回り込み、ジャスティスの進路そのものを切った。
「邪魔をするな!」
アスランがビームサーベルで端末を弾き、1機へ突っ込む。
だが、その間にも別の2機がすぐに位置を埋め、キラとの間を開けたままにする。
『アスラン、そっちは任せる!』
「キラ、無理をするな!」
『分かってる!』
答えながら、キラはネメシスの主腕を辛うじてかわした。
その直後、補助腕が背後から伸びる。
振り返って受けると、今度は正面から赤い爪が迫った。
避ける。
追われる。
反撃しようとすれば、先にその間合いを潰される。
フリーダムの高い機動力を使っても、距離を作れない。
No.2はキラの操作そのものを見ているのではなく、その次に何をしようとするのかまで知っているようだった。
『どうした』
淡々とした声が入る。
『その程度か』
キラは答えない。
右のサーベルを振り、主腕を弾く。
左から迫った補助腕をもう1本のサーベルで受けた瞬間、ネメシスがさらに一歩踏み込んだ。
赤い爪が目前まで迫る。
後ろへ下がれば追いつかれる。
左右へ動けば、その先にも腕がいる。
逃げ道が狭まっていく。
それでもキラは操縦桿を離さなかった。
通信の向こうでアスランが何かを叫んでいる。
バンパイアの攻撃音。
警告表示。
迫ってくる6本の腕。
すべてが重なった。
その瞬間、意識の奥で何かが弾けた。
音が遠ざかる。
視界が澄む。
ばらばらに迫っていたはずのネメシスの腕が、一つの流れとして見えた。
主腕が右から来る。
避けた先へ補助腕が2本。
そのさらに先へ本体が踏み込む。
見える。
キラは操縦桿を倒した。
フリーダムが僅かに沈み、主腕を紙一重でかわす。
続く補助腕が閉じるより早くその間を抜け、追ってくるネメシスへ向けて機体を反転させた。
No.2が追撃する。
だが、今度はキラが先に動いた。
「そこ!」
ビームサーベルが振り抜かれる。
ネメシスは咄嗟に主腕で受けた。
光刃と赤い爪が激突し、今までとは逆に黒い大型機が押し返される。
『……』
No.2の通信から、初めて声が消えた。
キラは追う。
ネメシスが補助腕を2本伸ばす。
1本をサーベルで払い、もう1本は機体を滑らせてかわす。
そこから主腕が振り下ろされるより先に、フリーダムがさらに懐へ踏み込んだ。
左のサーベルが装甲のすぐ脇を走る。
No.2が機体を引く。
赤い光刃は僅かに届かなかったが、ネメシスはそれまで維持していた近接距離を自ら捨て、フリーダムから大きく離れた。
キラも追撃せず、2本のビームサーベルを構え直す。
呼吸は乱れていない。
先ほどまで追い詰められていた時とは違い、視線はまっすぐネメシスを捉えている。
「君たちは……何者なんだ」
No.2はしばらく答えなかった。
「その機体も、あの機体も……何なんだ」
『機密と言ったはずだ』
それ以上の返答はなかった。
ネメシスが少しずつ後退する。
キラは警戒を解かず、その動きを追った。
『全機、後退』
No.2の命令が通信へ流れる。
『了解』
『了解しました』
『後退します』
再び、あの声が重なった。
アスランの動きが僅かに止まる。
ネオも追撃へ移らず、離れていくバンパイアを警戒しながら様子を伺っていた。
バンパイアたちは戦闘を打ち切ると素早くネメシスの周囲へ集まり、そのままアークエンジェルから距離を取り始めた。
こちらへ背を向けても隊形は乱れず、追撃を警戒する機体だけが後方を向いたまま離れていく。
『追うか?』
キラは少し迷ってから首を振った。
「いや。今は月へ行かないと」
『そうだな』
アスランもサーベルを収める。
アカツキも2機の近くへ戻り、3機は遠ざかる正体不明機の一団を見送った。
キラはネメシスではなく、その周囲を飛ぶ12機を見ていた。
さっき聞いた声が耳に残っている。
一人ではなかった。
何人もの声が、ほとんど同じ響きを持っていた。
なぜ自分があれほど強く反応したのか。
戦っている最中には考える余裕がなかったが、今なら分かる。
最近、よく似た声を聞いた。
桜色の髪をした、小さな少女、研究所で作られたと話していたセラ。
そして、その声にはもう一つ、キラが長い間聞き続けてきた声の面影が重なっていた。
キラは遠ざかる機影から目を離さなかった。
「……アスラン」
『何だ?』
「あの機体たち、セラがいた研究所と関係があるんじゃないかな」
アスランはすぐには答えない。
確かな証拠はない。
だが、先ほど聞いた声を思い返したのか、やがて低く返した。
『……俺も、そう思う』
13機の機影はさらに遠ざかり、やがてデブリと月の影に紛れて見えなくなった。
アークエンジェルには、まだ何も分かっていない。
ただ一つ。
セラが語った研究所と、今遭遇した機体群が無関係だとは、もう思えなかった。