機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
特殊戦艦オルフェウスの格納庫へ、黒い巨体がゆっくりと収容されていく。ネメシス。
その周囲では帰投したバンパイア12機が次々と着艦し、追随する輸送艦でも同様に機体の収容作業が進められていた。
固定アームが閉じると、待機していた整備員たちが各部の損傷確認へ取りつく。
その映像を艦橋のメインモニターで眺めながら、ロード・ジブリールは満足そうに口元を緩めていた。
本来この艦を指揮する者のために設けられた艦長席へ深く腰を下ろし、足を組んでいる。
オルフェウスの艦長はその脇に立っていたが、席を返すよう求めることはなかった。
モニターの一角には、遠ざかりつつある月面が映っている。
その中でザフトによって制圧されたダイダロス基地が、今では小さな光の集まりとなっていた。
「まったく、大したものですね。レクイエムを奪い、基地まで押さえた。
あの男は今頃、さぞや勝ったつもりでいるのでしょう」
艦橋の誰も答えなかった。ジブリールはそれを気にする様子もなく、喉の奥で笑い声を漏らす。
自分を捕らえるために大軍を投入しながら、その本人はすでに月を離れている。
その事実だけで、デュランダルを出し抜いた気になれるらしい。
「その私が、こうして無事にここを離れているとも知らずに。
いやはや、ギルバート・デュランダルにも困ったものですよ」
笑いを残したまま、ジブリールは格納庫の映像へ視線を戻した。それを見計らい、研究主任が一歩前へ出る。
「どうですか我が社のMSは。今回の実戦でも主力量産機ウィンダム以上の結果が得られています」
「ほう」
「ネメシスは単機で複数の高性能MSと交戦しながら戦闘を継続しました。バンパイアも1個中隊で高度な連携能力を維持しています。通常部隊では困難な局面でも、十分な戦果を期待できます」
モニターが切り替わり、先ほどまで行われていた戦闘記録が表示された。
黒いネメシスが6本の腕をそれぞれ異なる方向へ動かし、複数のMSを同時に牽制する。
その周囲ではマンタを思わせるバンパイアが散開し、互いの死角を埋めるように標的へ迫っていた。
ジブリールは映像をしばらく眺めたあと、僅かに顎を上げた。
「なるほど。性能そのものについては認めましょう。少なくとも、そこいらのMSよりは随分と使えるようだ」
「では――」
「ですが、それと主力として採用するかどうかは別の話です」
研究主任の言葉を片手で遮り、ジブリールは続ける。
「我々の主力量産機は、すでにウィンダムで決まっています。
生産設備も運用体系も整っている。それを今さら、搭乗者を選び、誰にでも扱えるわけでもない機体へ置き換える必要がありますか?」
オルフェウスの艦長が口を開いた。
「誤解があります。これらはウィンダムの代替を目的としたものではありません」
「ほう?」
「市街地や基地内部など、通常部隊では行動を制限される戦域を想定しています。少数での施設防衛、要所への侵入、特殊任務。そうした局地戦であれば、一般的な量産機とは異なる用途が見込めます」
「特にバンパイアは、小規模部隊での制圧能力に重点を置いています。ネメシスと組み合わせれば、戦力差のある状況であっても――」
「結構です」
声を荒らげたわけではない。だが、その一言で研究主任は口を閉じた。
ジブリールの顔から、先ほどまでの愉快そうな笑みが消えている。
「あなた方が何を作り、どう使いたいのかは分かりました。兵器として見れば、確かに興味深い。ですがね」
肘掛けに置いていた指を軽く動かし、研究主任へ視線を向ける。
「そのために使うのが、遺伝子を弄って作った人間だというのでしょう?」
「……」
「そんなものは、コーディネイターと何が違うのです」
吐き捨てるような怒声ではなかった。
むしろ、それが疑う余地のない結論であるかのような声音だった。
「我々はコーディネイターによって世界を歪められている。その連中に対抗するために、同じようなものを作り出してどうするのです。私はそのようなものを、ロゴスの主戦力として認めるつもりはありません」
「しかし、これらは――」
「艦長」
研究主任の言葉を無視し、ジブリールはオルフェウスの艦長へ顔を向ける。
「アルザッヘルへ向かってください」
「……了解しました」
艦長はそれ以上何も言わなかった。
研究主任も説明を続けることを諦めたように口を閉じる。
2人の表情には、これ以上話しても仕方がないという諦めだけが残っていた。
「全艦へ通達。針路変更」
「了解」
復唱が艦橋に重なり、特殊戦艦オルフェウスと数隻の輸送艦がゆっくりと進路を変えていく。
遠ざかる月面を眺めながら、ジブリールは再び薄い笑みを浮かべた。
*****
機動要塞メサイアの議長室には、戦闘終了後とは思えない静けさがあった。
中央の大型モニターにはダイダロス周辺の戦況図が表示され、すでに大部分がザフトの管理下を示す表示へ切り替わっている。
集められた幹部たちは、それぞれの担当から上がった報告を順に読み上げていた。
「ダイダロス基地主要区画の制圧を確認しました。残存部隊の武装解除も予定通り進んでいます」
「レクイエムの管制設備についても確保を完了しています。各部の調査は必要ですが、施設そのものは使用可能な状態で残っています」
「プラントへの再照射も阻止されました。第二射による被害はありません」
別の幹部が端末を操作し、新たな資料を表示する。
「ただ、ロード・ジブリールの身柄は確保できていません。基地内の捜索は続いていますが、すでに脱出した可能性も考えるべきかと」
室内に僅かな沈黙が落ちた。
デュランダルは椅子に腰掛けたまま、表示された情報へ視線を向けている。
やがて小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「それは残念だ。だが、彼1人を取り逃がしたことで、今回得た結果まで過小評価する必要はないだろう」
幹部たちがデュランダルを見る。
「彼らはプラントを狙い、多くの命を奪った。しかし次の攻撃は阻止できた。ダイダロス基地も、レクイエムも今は我々の管理下にある。軍事的な結果だけを見れば、皆がよくやってくれたと言っていい」
何人かが小さく頷いた。
だが、デュランダルはそこで言葉を止め、失われたプラントを示す表示へ目を向けた。
「もっとも、それだけで済ませるわけにもいかないがね」
幹部の1人が僅かに眉を動かす。
「議長?」
「ロゴスが攻撃した。撃ったのも彼らだ。今回の犠牲を生んだ直接の責任がどこにあるのかを、私は曖昧にするつもりはない」
デュランダルは立ち上がり、モニターの前へ歩み寄った。
「だが我々は、彼らがあのような兵器を持ち、しかも実際に撃つところまで追い込まれていることを、最後まで正確には読み切れなかった。そうではないか?」
問いかけられた幹部たちは、すぐには答えない。
「敵が何をするか分からなかった。想定を超えていた。だから防ぐことができなかった。それで、犠牲となった国民に我々は責任を果たしたと言えるだろうか」
「……いいえ」
「私もそう思う」
短く頷き、デュランダルは再びモニターへ視線を向けた。
「ならば、我々にも責任はある。相手の選択を読み切れず、結果として国民を危険に晒した責任がね。今回のことを、ロゴスを追い詰めた結果として起きた不幸な事故と片づけることは簡単だ。だが、それではまた同じことが起こり得る」
誰も反論しなかった。
失われたコロニーを示す表示が、言葉以上にその問いの重さを伝えている。
「その時もまた、我々は想定できなかったと言うのか?」
返事はない。
デュランダルは僅かに目を伏せ、思考を整理するように間を置いた。
「人は争いをやめようとする。平和を望むと言う。だが、そのためにまた力を持ち、恐れ、疑い、そして相手より先に撃たなければならないと考える」
声に怒りはなかった。
そこにあるのは、長く繰り返されてきた事実を確かめるような静かな響きだった。
「ナチュラルか、コーディネイターか。地球か、プラントか。理由も名前も変わる。だが、結局我々は同じところへ戻ってくる。ならば、何が間違っているのかを考えなければならないだろう」
1人の幹部が、慎重に問いかける。
「では議長は……」
「同じ失敗を繰り返さないためには、何かを変えなければならない。私はそう考えている」
デュランダルは卓上端末へ手を伸ばした。
それまで表示されていた戦況図が消え、代わりに複数の機密項目と認証表示が画面に並ぶ。
「準備していた計画を、実行段階へ移します」
「今、この時期にですか?」
「今だからこそだよ」
デュランダルの返答には迷いがなかった。
「これだけの犠牲を出してなお、また次の判断を先送りにする。それでは我々は、失われた者たちから何も学ばなかったことになる。同じ過ちを繰り返さないと言うのなら、そのための行動が必要だ」
端末上の認証表示が切り替わる。
「各部門へ指示を。予定していた準備を前倒しし、必要な手続きを始めてください」
「了解しました」
幹部たちは一斉に立ち上がり、それぞれの担当へ指示を出すため議長室を後にする。
デュランダルだけがその場に残り、表示の消えたモニターをしばらく見つめていた。
*****
ダイダロス基地のドック内で、ミネルバは静かに停泊していた。
ロゴスとの戦いが終わったわけではなく、ジブリールの行方もまだ掴めていない。
それでも宇宙へ上がってから連戦を重ねてきた艦と乗員には、改めて休暇が与えられていた。
もっとも、休暇と言っても羽を伸ばせる場所はほとんどない。
ダイダロス基地では戦闘の後始末が続き、損傷施設の確認や捕虜の収容、物資の整理に多くの人員が動いている。
娯楽施設など期待できるはずもなく、外へ出たところで眺められるのは月面と軍事施設ばかりだった。
結果として、乗員の大半はミネルバの中で思い思いに時間を潰していた。
機関の火が落とされた艦内は、いつもより静かだった。
格納庫も本格的な整備作業が止まっているため、照明は警備と安全確認に必要な最低限まで落とされている。
インパルスやザク、白いレギナントの巨大な輪郭が薄暗がりの奥に沈み、普段なら頼もしいMSの姿も、今だけはどこか不気味に見えた。
その足元で、7人が輪を作っていた。
ヴィーノとヨウラン、シン、ルナマリア、レイ、メイリン、そしてセラ。
床にはヴィーノたちが持ち出した作業用ライトが置かれ、光量を絞った灯りが下から2人の顔を不気味に照らしている。
「でさ。夜中に1人で鏡の前に立って、灯りを消すんだ。そこで鏡を見ながら、ブラッディ・メアリーって3回呼ぶ」
「3回?」
「そう。すると3回目を言い終わった時、鏡の中に血まみれの女が立ってる。目を逸らしたら最後、そのまま鏡の中へ引きずり込まれるんだってさ」
「……それ、誰が確かめたのよ」
「帰ってきたやつがいないから分からない」
「それじゃ話が伝わらないだろ」
「シン、そこは突っ込むなよ。怪談なんだから」
「お前が言うなよ」
シンとヨウランのやり取りに、ルナマリアが小さく笑う。
レイも壁際の資材ケースへ背を預け、僅かに口元を緩めながら話を聞いていた。
大騒ぎをするほどではないが、普段なら興味を示さなさそうな怪談に最後まで付き合っているところを見ると、それなりに楽しんでいるらしい。
一方、その隣ではメイリンがセラの腕を掴んでいた。
「……鏡、格納庫にあったっけ」
「あるわよ。整備用のが」
「お姉ちゃん、そういうこと言わないでよ」
メイリンの指に僅かに力が入る。
セラは自分の腕へ視線を落とし、次にメイリンの顔を見る。
肩と指先が小さく震えていることは、すぐに分かった。
「メイリン、震えています」
「な、何? これは、その……ちょっと寒いだけ」
「艦内温度は通常範囲です」
「セラ、今はそこ確認しなくていいから!」
「メイリン、本気で怖いんじゃないか」
「怖くないよ!」
「でも、さっきからセラにしがみついてるじゃない」
「これはセラも怖いかもしれないから、一緒にいてあげてるの!」
メイリンは言い切ると、さらにセラへ身体を寄せた。
シンとルナマリアは明らかに面白がっているが、セラだけはブラッディ・メアリーという話について考えていた。
鏡面から人体が出現する機構は不明だった。
特定の名称を3回発声することと、その現象との因果関係も確認できない。
以前ならそのまま疑問として口にしていたかもしれないが、ヴィーノとヨウランは雰囲気を作り、シンとルナマリアはそれを楽しんでいる。
レイも訂正しようとはしていない以上、ここで指摘すべきではないらしい。
セラは何も言わず、自分の腕を掴んでいるメイリンの手へ指を重ねる。
そのまま握り返すと、メイリンは驚いたように目を見開いた。
「……セラ?」
「はい」
「大丈夫だよ。私がいるからね」
「はい」
「ほら、やっぱりセラも怖いんじゃない」
「メイリンが震えていたので、手を握りました」
「え……」
一瞬の沈黙のあと、シンが耐えきれずに吹き出した。
「メイリン、逆じゃん」
「う、うるさい!」
「セラを守ってあげてたんじゃなかったの?」
「お姉ちゃんまで!」
「私は聞いただけよ」
「絶対面白がってる!」
格納庫に笑い声が広がる。
メイリンは頬を膨らませながらもセラから離れず、セラも手を振りほどく理由がないため、そのまま握っていた。
ヨウランはひとしきり笑ったあと、今度はセラの方へ顔を向ける。
「セラは怖い物とかなさそうだよな」
「セラが怖がるものか……ちょっと気になるな」
「シン、面白半分で聞くことじゃないでしょ」
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
ルナマリアに睨まれ、シンは慌てて言い直す。
セラは目を伏せ、質問の意味を考えるように少しだけ沈黙した。
「少し前に、共同病室で1人でいた時は、怖かったです」
先ほどまでの笑いが、僅かに静まった。
「共同病室?」
「前に入院してた時の?」
「はい」
「でも、ミネルバの病室だろ。何か出たのか?」
「いいえ。広い部屋にベッドが多数ありました。使用していたのは私の1床だけでした」
シンたちはまだ話の意味を掴めていない。
だが、メイリンだけはセラの腕を抱いたまま、先ほどまでとは違う表情でその横顔を見ていた。
「研究所にも、同じような大部屋がありました」
ヴィーノとヨウランからも笑みが消える。
誰も口を挟まないまま、セラの続きを待った。
「最初は30人ほどいました。すべてLシリーズの個体です。神経接続や投薬などの実験を受けていました。実験に耐えられなかった個体は、その後いなくなりました」
「……いなくなったって」
「翌日にはベッドが整えられ、番号も外されていました」
セラの声はいつもと変わらない。
作業用ライトの弱い光に照らされた顔にも、苦痛や悲しみを訴えるような表情はなかった。
「1体減ると、その個体から得られた記録を使って実験条件が修正されました。その後、次の実験が行われました。少しずつ数が減り、大部屋に私しかいない日もありました」
「……1人で?」
「はい」
「それが、怖かったのか?」
「はい」
シンの問いに答え、セラは僅かに間を置く。
「私も実験に耐えられず脱落した場合、Lシリーズ計画の継続が困難になる可能性がありました。それまでに失われた個体の実験結果は、後の条件修正に使用されていました」
「……」
「私まで脱落して計画が終了した場合、それらが何の役にも立たなくなる可能性があります。それが怖かったです」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
メイリンの身体からは、いつの間にか怪談を聞いていた時の震えが消えている。
代わりに、セラの腕を抱く力だけが少し強くなっていた。
シンは何かを言おうとしたが、言葉にならなかった。
ルナマリアも同じだった。悲しかったのか、寂しかったのかと問い直すことはできる。
だが、セラが話したのはそういう恐怖ではない。
失われていく個体の死さえ、最後には何の役にも立たなくなるかもしれない。
当時のL-31にとって、それこそが耐え難いことだったのだ。
「でも、その後はユアンが頻繁に来ました」
不意に続いた名前に、メイリンの腕が僅かに止まった。
「……ユアン?」
「はい。話し相手になると言っていました。その後、よく共同病室へ来ました」
「そ、そうなんだ……」
「1人でいる時間が減りました。そのため、怖さも減りました」
メイリンは少しだけ黙り込み、それからセラへ身体を寄せ直す。
シンとルナマリアが一瞬だけ顔を見合わせたが、先ほどのようにからかう者はいなかった。
格納庫に、冷却装置の低い作動音だけが残る。
誰も、セラに何と言えばいいのか分からなかった。
そこで最初に口を開いたのはレイだった。
「セラ」
「はい」
「ここにLシリーズという計画はない」
セラがレイを見る。
「お前は、ここではお前でいればいい」
それだけだった。長い説明も、慰めるための言葉もなかった。
「ああ。そうだよ。ここじゃセラはセラだ」
「うん。今さら確認するようなことでもないけどね」
「そうだよ、セラ。セラはセラだよ」
「俺たちも同じだ」
「計画とか番号とかはよく分からないけどさ。ここにいるなら、それでいいだろ」
シン、ルナマリア、メイリン、ヴィーノ、ヨウランが、それぞれ自分の言葉でレイに続いた。
セラは1人ずつその顔を見る。
シン、ルナマリア、レイ、メイリン、ヴィーノ、ヨウラン。
最後に、自分の手を握ったままのメイリンの指へ視線を落とした。
「はい」