機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
世界中のモニターに、ギルバート・デュランダルの姿が映し出されていた。背後にはプラントの旗が掲げられ、その表情はいつもと変わらず穏やかに見える。
だが、これから語ろうとしていることが単なる戦勝報告ではないことは、演説を聞く誰の目にも明らかだった。
「我々は数年前にも、大きな戦争を経験しました。多くの命を失い、憎しみが憎しみを生み、その果てに世界そのものを滅ぼしかねないところまで行った。そして我々は学び、誓ったはずです。もう2度と、このようなことを繰り返してはならないと」
デュランダルは正面を見据えたまま、僅かに間を置いた。
「しかし現実はどうでしょう。戦争は再び起こり、また多くの人々が命を落とした。そしてついには、1度の攻撃で数え切れないほどの命を奪う兵器までもが使われた。なぜ、我々は同じことを繰り返してしまうのでしょうか」
問いは世界へ向けられていた。返答する者はいない。それでもデュランダルは、聞く者それぞれに答えを考えさせるように言葉を続ける。
「武器があるからでしょうか。国があるからでしょうか。それとも、ナチュラルとコーディネイターという違いがあるからでしょうか。私は、それだけではないと思っています」
穏やかな声のまま、その目だけが僅かに鋭さを増した。
「人は自分自身を知らない。何を求め、何を成し得るのかも知らぬまま、ただ与えられた価値を追い、他者と競い、時に必要以上のものを欲する。無知と欲望がまた新たな不満を生み、それが争いへと姿を変えていく」
各国の放送局では、誰も口を挟めないままその演説が流れ続けていた。街頭の大型モニターを見上げる者も、自宅で家族と画面を見つめる者も、政府施設で記録を取る者もいる。
ロゴスを告発し、それを世界の敵として追い詰め、ついにはその切り札であるレクイエムまで奪った男の言葉を、今や世界中が聞いていた。
「ならば我々が為すべきことは、ただ敵を倒すことではない。争いを生み続けるその原因そのものを克服することではないでしょうか」
デュランダルの背後に新たな映像が現れた。人の遺伝子情報を思わせる螺旋と、そこから枝分かれしていく無数の職業や役割を示す表示。
医師、技術者、研究者、農業従事者、軍人。その数は次第に増え、世界を形作る無数の役割へ広がっていく。
「人にはそれぞれ、生まれながらに持つ資質があります。得意なこと、不得意なこと。それを知らずに生きるからこそ、自らに適さないものを求め、その結果に苦しみ、他者を羨み、時に憎むことにもなる」
声は静かだった。だからこそ、その言葉は断定として世界へ浸透していく。
「自らを知り、自らに最も適した道を知る。それによって誰もが、その能力を最大限に活かせる場所で生きることができる。それは決して誰かを優劣で分けるためのものではありません。誰もが必要とされ、誰もが自らの価値を知るためのものです」
モニターに映る遺伝子の螺旋が、ひとつの言葉へと集約された。
デスティニープラン。
「私はここに、人類存亡を賭けた最後の防衛策として、デスティニープランの導入と実行を宣言します」
その言葉は、ほとんど同時に世界中へ届いた。
街頭で演説を見ていた人々の中から、やがて拍手が起こった。それは一箇所だけではない。
ロゴスによる戦乱に疲れ、レクイエムの光に恐怖し、その脅威を退けたデュランダルへ希望を託す者は多かった。
「これで戦争がなくなるなら」
「議長なら、本当に変えてくれるかもしれない」
そんな声が各地で上がる。
国家もまた、次々に受け入れる姿勢を示した。だが、そのすべてがデスティニープランの内容に賛同したからではない。
ロゴスという巨大な存在を世界の敵として暴き、各国をまとめ上げ、その勢力を崩壊寸前まで追い込んだデュランダルの政治的影響力は、すでに無視できるものではなくなっていた。
今この瞬間に彼へ異を唱えれば、ロゴスに代わる新たな敵として見られかねない。少なくとも、そう受け取られる危険を各国政府は計算せざるを得なかった。
戦争によって経済も軍事力も疲弊した状況で、国際社会から孤立することはあまりにも大きな損失になる。
だからこそ、疑問を抱きながらも口を閉ざす国があり、導入への協力を表明する国も現れた。
だが、その流れに即座に逆らった国もあった。
スカンジナビア王国。
大西洋連邦。
そして、オーブ連合首長国。
個人の意思と中立を重んじてきたスカンジナビア王国は、人の生き方を遺伝子によって定める制度を受け入れないと明言した。
オーブもまた、人はその意思によって未来を選ぶべきだとして、デスティニープランの導入を拒絶する。
そして大西洋連邦は、別の理由から強硬な反対を表明した。
コーディネイターという存在そのものへの根深い反発を抱える国内において、プラント最高評議会議長が主導する遺伝子解析による社会制度など、到底受け入れられるものではなかった。
世界は再び、ゆっくりと2つに分かれ始めていた。
*****
ミネルバの食堂でも、デュランダルの演説が流れていた。
休暇中とはいえ艦を離れられる者は少なく、食堂には多くの乗員が集まっている。
その一角で、シン、ルナマリア、レイ、メイリン、セラが同じテーブルを囲みながら、壁面モニターを見上げていた。
演説が終わっても、しばらく誰も口を開かなかった。
「……平和にしたいっていうのは、分かるんだけどな」
最初に声を出したのはシンだった。腕を組み、すでに通常放送へ切り替わったモニターを睨む。
「でも、何か違う気がするんだよな」
「私も。議長の言ってることが全部間違ってるとは思わないけど……」
ルナマリアも歯切れが悪い。反対したいわけではない。だが、素直に賛成することもできなかった。
「遺伝子を調べて、自分に一番向いてる仕事を教えてもらえるんでしょ。それだけ聞けば、便利そうではあるけど」
メイリンが言うと、シンは首を傾げた。
「でも、それで決められたことをずっとやるのか?」
「そこなんだよね。自分でやりたいことができた時は、どうするんだろう」
「適性がないって言われたら終わりとか?」
「そこまでは言ってなかったけど……」
話せば話すほど、何が引っかかっているのか分からなくなる。
議長は戦争を終わらせようとしている。それはシンにも理解できるし、そのために戦ってきたつもりでもあった。
それでも、胸の奥に残った違和感だけは消えなかった。
シンは向かいに座るレイを見る。
「レイはどう思う?」
「俺か」
「ああ。お前、議長のことよく知ってるだろ」
レイは少しも迷わなかった。
「俺は議長に従う」
「……それだけ?」
「ああ」
「いや、それは考えじゃないだろ。議長が決めたから従うってだけじゃないか」
シンが眉をひそめても、レイは不快そうな顔をしなかった。
むしろ、その指摘を最初から予想していたように静かだった。
「そうかもしれないな」
「レイ」
「だが、それが俺の生き方だ。議長が示すものに従う。俺はそれでいい」
ルナマリアとメイリンが黙ってレイを見る。
シンは何か言い返そうとしたが、その前に隣から声が入った。
「レイ」
セラだった。
「何だ」
「デスティニープランは、現実的ではありません」
反応したのはレイではなく、シンたちだった。
「え?」
「セラ、反対なの?」
ルナマリアに問われ、セラは僅かに首を傾ける。
「反対かどうかは判断していません。計画の目的と、想定される結果が一致しないと考えています」
セラはそれだけ答えると、テーブルの上へ視線を落とした。誰かを説得しようとしている様子はなく、ただ演説の内容を検討した結果を報告しているようだった。
「遺伝子から適性を判定しても、同じ適性を持つ人間は複数存在します」
「まあ、そりゃそうだろうけど」
「必要とされる人数には上限があります。100人が同じ役割に適していても、必要な人数が10人なら、90人は選ばれません」
シンの表情が変わる。
「選ばれなかった人間は、別の役割を割り当てられると推測します。ですが、その役割にも同じように適性を持つ人間が存在します」
「……また競争になるってこと?」
「はい、ルナ。選抜基準が遺伝子であっても、席の数が有限なら競争はなくなりません」
ルナマリアは黙り込んだ。
「競争に敗れた人間は、別の場所へ移動する必要があります。そこでも競争が発生する可能性があります。希望した役割を得られなければ、不満を持つ人間も存在すると考えられます」
「それじゃ……」
メイリンが小さく呟く。
「結局、苦しい人は残るってこと?」
「はい。その可能性は高いです。したがって、デスティニープランによって争いがなくなるとは判断できません」
セラの声はいつもと変わらない。
自由や尊厳を訴えたわけでもなければ、人の心を語ったわけでもない。
ただ仕組みとして見た時、目的どおりには動かないと指摘しただけだった。
だが、その言葉を聞いていたシンの中で、演説を聞いた時から残っていた違和感が少しずつ形を持ち始めていた。
「……そうか」
シンは自分の手を見る。
この手で何度も操縦桿を握り、敵を撃ち、誰かを守ろうとしてきた。
MSパイロットとしての適性はあるのだろう。コーディネイターとして生まれた身体も、戦場で何度も自分を助けた。
だが、それだけでここまで生きてきたわけではない。
怖くなかったわけではない。迷わなかったわけでもない。
何度も間違え、何度も傷つき、そのたびに何をするか自分で選んできた。
「俺たちだって、最初から何でも上手くできたわけじゃないよな」
「当たり前でしょ」
ルナマリアが苦笑する。
「私なんて射撃外したこと、何回あると思ってるのよ」
「それ自分で言うのかよ」
「シンにだけは言われたくないわ」
いつもの調子が僅かに戻ったが、ルナマリアの表情はすぐに真剣なものへ変わった。
「でも、そうね。適性があるって言われたから、ここまで来たわけじゃない。怖くても出撃したし、失敗したら練習したし……自分でやるって決めたから続けてきた」
メイリンも小さく頷いた。
「私も、最初から全部できたわけじゃないよ。間違えたこともあるし、怖くて動けなくなりそうだったこともある。それでも、できるようになりたいって思ったから」
シンはもう一度モニターを見る。
そこには演説の映像は残っていない。
「遺伝子が何に向いてるか教えてくれるのは、悪いことじゃないのかもしれない。でも、それで全部決められるのは……やっぱり違う」
レイは黙って聞いていた。
セラの指摘を否定する言葉はなかった。
シンやルナマリアが話したことも、間違っているとは思わない。むしろ彼らの言う通りなのだろうと、レイ自身が理解していた。
それでも、自分だけは同じ場所には立てなかった。
レイが静かに椅子を引いた。
「レイ?」
シンが顔を上げる。
「お前たちの言っていることは分かる」
「じゃあ――」
「それでも俺は、議長に従う」
その声に迷いはなかった。だが、先ほどより僅かに重かった。
「何でだよ。間違ってるかもしれないって分かってるのに」
「俺には、もう他の生き方を探す時間がないからだ」
シンの顔から苛立ちが消えた。
「……何だよ、それ」
「そのままの意味だ」
レイは自分の手へ視線を落とす。
「俺の命は、そう長くはない」
「は?」
ルナマリアが息を呑み、メイリンも目を見開いた。
シンは数秒、言葉そのものを理解できないようにレイを見つめていた。
「ちょっと待てよ。何言ってんだ、レイ」
「俺はクローンだ」
食堂の喧騒が遠くなったように感じられた。
「……クローン?」
シンの声が掠れる。
レイは答えず、セラへ視線を向けた。
セラもまた、表情を変えないままレイを見ている。
「俺も、お前と同じだ。作られた命だ」
セラの瞳が、僅かにレイへ向けて止まった。
「俺の身体は、普通の人間と同じようには持たない。だから俺には、残された時間でやるべきことがある」
「レイ……」
シンはそれ以上、何も言えなかった。
ルナマリアもメイリンも言葉を失い、セラだけが静かにレイを見つめ続けている。
昨日までと同じ食堂の中で、5人の間にあったものだけが大きく形を変えていた。
*****
デュランダルが目を開いた時、卓上端末に短い警告音が鳴った。
表示を確認すると、通常の政府回線でも軍回線でもない。発信元情報を伏せた暗号通信が、直接議長室宛てに接続を求めている。
僅かに眉を寄せる。
「発信元は?」
『確認できません。複数の中継を経由しています』
「……繋いでくれ」
モニターが切り替わった。
映像は出ない。音声だけの通信だった。
『ギルバート・デュランダル議長で間違いありませんね』
「そうだ。あなたは?」
『ネメア・インダストリアル所属、特殊戦艦オルフェウス。私はその艦長です』
デュランダルの表情が僅かに変わる。
聞いたことのない企業名だった。
「ネメア・インダストリアル……。私に何の用かな」
『取引について話があります』
抑揚の少ない声だった。
警戒している様子も、相手の機嫌を窺う様子もない。ただ必要な事実だけを確認し、その先へ進もうとしている。
「取引?」
『ええ。我々は現在、ロード・ジブリールを拘束しています』
デュランダルの目が見開かれた。
『あなた方が彼の身柄を必要としていることは承知しています。条件が折り合うのであれば、こちらから引き渡すことも可能です』