機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
機動要塞メサイアの格納庫では、通常の出撃とは明らかに異なる作業が進められていた。
射出口の手前に固定されているのはMSでも輸送艇でもなく、どこにでもある大型の輸送用コンテナだった。
もっとも、その外観には不自然なものが付け加えられている。
後部には急造された小型ロケットエンジンが取り付けられ、姿勢制御用の噴射器も最低限のものしかない。目的地へ正確に荷物を届けるための装備ではなく、ただ一方向へ飛び続けるためだけの構造だった。
作業員がコンテナの固定状態を確認し、制御ケーブルを1本ずつ外していく。
射出後に外部から操作するための通信回線は存在せず、内部にも操縦装置は設けられていない。一度格納庫を離れれば、そこから先の軌道を止める方法はなかった。
管制室の窓際には、デュランダルが立っていた。
「推進系、正常。固定装置解除準備、完了しました」
オペレーターからの報告に、デュランダルはモニターへ目を向ける。
画面にはコンテナの外部映像と軌道予測だけが表示されており、内部を映すものは何もなかった。
プラントと地球を血に染め、多くの人間を戦火へ巻き込んだ罪が、その中に積み込まれている。
「予定通り進めてくれ」
「了解。射出シーケンスへ移行します」
格納庫内に警告灯が点り、作業員たちが退避区画へ下がっていく。
巨大な隔壁が閉じ、コンテナだけが射出口の前に残された。
「カウント開始。10、9、8、7――」
固定アームの1つが外れ、続いて後部のロケットエンジンへ推進剤が送られる。
噴射口の奥に小さな光が生まれ、低い振動が床を通して管制室にまで伝わってきた。
デュランダルは腕を組むことも、椅子へ座ることもしなかった。
ただ立ったまま、目の前の箱を見ている。
「6、5、4――」
最後の固定具が解除される。
コンテナは支えを失い、磁気クランプだけで射出位置に留められた。
「3、2、1。射出」
磁気クランプが切り離されるのと同時に、小型ロケットエンジンが白い光を噴き出した。
コンテナはゆっくりと動き始め、すぐに速度を増してメサイアの格納庫から宇宙へ放り出されていく。
誰も声を上げなかった。
管制モニターの中で、箱は少しずつ小さくなっていく。
やがて機体識別用の表示からも外れ、残ったのは予定された軌道を示す一本の線だけになった。
「射出完了。予定軌道への移行を確認しました」
オペレーターが報告する。
デュランダルは僅かに目を伏せたあと、踵を返した。
「後は必要ない。記録だけ残しておいてくれ」
「了解しました」
格納庫を離れていく彼の背後で、輸送用コンテナは二度と戻ることのない航路を進み続けていた。
*****
月面宙域では、アルザッヘル基地が消滅した後も緊張状態が続いていた。
レクイエム照射の報を受け、月へ向かっていた大西洋連邦側の増援部隊は進路を変更している。
その多くは月周辺に点在するコロニーへ退避し、残存艦艇やMSを集めながら戦力の再編を進めていた。
アルザッヘルとともに主力の一部を失ったとはいえ、戦力が完全に消えたわけではない。
彼らがダイダロス基地へ再び向かうのか、それとも別の行動へ出るのかは分からず、ミネルバには周辺宙域の警戒任務が命じられていた。
月面から離れた場所で、4機のMSが進路を分ける。
「俺とルナはこっちを回る。レイ、セラ、反対側を頼む」
「ああ」
「了解しました」
「妙な反応があったら、すぐ連絡してよ」
ルナマリアの声にセラが短く返答し、レジェンドとレギナントはシンたちとは反対方向へ機首を向けた。
やがてデスティニーとインパルスはセンサー表示の端へ移り、その姿も月面の陰へ消えていく。
レイとセラは一定の間隔を保ちながら哨戒を続けた。
周囲に見えるのは過去の戦闘や施設建設によって生まれた大小のデブリばかりで、時折レーダーに反応が出ても、ほとんどが破損した衛星や無人の残骸だった。
「右前方、熱源反応。微弱です」
「確認した。残骸だな」
「はい。推進反応はありません」
「次へ行くぞ」
「了解しました」
それだけのやり取りを何度か繰り返す。
レイは普段と変わらない。
セラも同じだった。
それでも、2機の間には以前とは少し違うものがあった。
食堂でレイが自分の出生と残された寿命について明かして以来、その話を改めて口にする機会はなかった。
シンたちも無理に聞こうとはしていない。
レイ自身も、それ以上を語ろうとはしなかった。
2機はやがて、大小の残骸が複雑に入り組んだデブリ帯へ差しかかる。
レジェンドが速度を落とし、レギナントもそれに合わせて推力を絞った。
巨大な船体の一部らしい残骸を避け、さらに奥へ進んでいく。
漂う金属片がミネルバからの通信波を遮り始め、母艦との距離もかなり開いていた。
その時、レイから通常の部隊回線ではなく個人通信が入った。
「セラ」
「はい」
「少し聞きたいことがある」
「任務に関する質問ですか」
「いや。違う」
セラは返答せず、次の言葉を待った。
レジェンドは前方のデブリを避けながら進んでいる。
レイはすぐには口を開かず、何度か視線をモニターと操縦桿の間で動かした。
問いかけたいことは決まっていた。
だが、それをどう言葉にすればいいのかは、自分でも整理しきれていなかった。
「お前は、自分がなぜ生まれたのかを考えたことはあるか」
「あります」
予想より早い返答だった。
「研究所が必要としたからです」
「それは作った側の理由だろう」
「はい」
「俺が聞きたいのは、そういう意味じゃない」
レイは僅かに眉を寄せた。
「お前は誰かの一方的な思惑で生み出された。お前自身が望んで生まれたわけじゃない。なら、そこにお前自身の生まれた意味はどこにある?」
セラはすぐには答えなかった。
その沈黙を待ってから、レイはさらに続ける。
「お前はラクス・クラインのクローンとして作られた。だが、ラクス・クラインにはなれなかった。研究所が求めた役割も果たせず、失敗作として処分されるはずだった」
「はい」
「失敗作なのに、なぜまだそこにいる」
もしシンがこの会話を聞いていれば、その言葉だけでレイに掴みかかっていたかもしれない。
だが、セラは怒ることも、傷ついた表情を見せることもなかった。
「質問の意図を確認してもいいですか」
「ああ」
「研究所から失敗作と評価された私が、現在も生きている理由ですか。それとも、私が生きる意味ですか」
レイが僅かに目を見開いた。
「……後者だ」
「分かりました」
セラは正面へ視線を戻した。
レギナントの周囲ではドラグーンが収納状態を維持し、機体はレジェンドとほぼ同じ速度でデブリの間を進んでいる。
「私は研究のために作られました。研究所のため、その研究所が求める理想を実現するための個体です」
「それが生まれた意味だと言うのか」
「いいえ。それは製造目的です」
レイは口を閉じた。
セラは少し考えてから続ける。
「私は消耗品でした。必要な実験を行い、結果を残し、使用できなくなれば別の個体へ置き換えられます。なので、生まれた時点で私自身に意味があるとは考えていませんでした」
「今は違うのか」
「分かりません」
即答だった。
「ただ、生まれた後に意味が発生する可能性はあると思っています」
「どういう意味だ」
「行動した結果です」
セラは淡々と説明する。
「実験に成功すれば、その結果が残ります。失敗しても、その条件では成功しなかったという結果が残ります。その記録を使えば、次の実験を修正できます」
「だから失敗しても意味があると?」
「はい。失敗も成果です」
レイはモニター越しにセラを見る。
「お前自身が失敗作だと言われてもか」
「研究所が求めた結果に対しては、正しい評価だと思います」
「ラクス・クラインになれなかったから?」
「はい。私はラクス・クラインと同じにはなれませんでした」
以前、実際にラクス本人と会った時のことをセラは思い出していた。
顔立ちも遺伝子も近い。だが、話し方も考え方も、自分とは大きく違っていた。
ラクス本人から、オリジナルもクローンも関係ないと言われた。
それでも、研究所が何を目的として自分を作ったかまで変わるわけではない。
「だから、失敗作という評価は受け入れます」
「それで、お前は何も思わないのか」
「はい」
レイは言葉に詰まった。
セラは自らを卑下しているわけではない。
開き直っているわけでも、自分を慰めようとしているわけでもなかった。
ただ、研究目的に対する成功と失敗を、そのまま事実として受け入れている。
それはレイが求めていた答えとは違った。
レイ自身も、誰かの一方的な都合で生まれた。
自分という人間を望まれて生まれたわけではない。別の研究のために作られ、その結果として存在することになった。
しかも、身体には最初から限界がある。
普通に生きれば手に入るはずの時間さえ、自分には与えられていない。
その出生に、レイ自身のための意味など見つけられなかった。
「……俺は」
声が漏れる。
セラがレジェンドへ視線を向けた。
「俺は、お前とは違う」
「はい」
「俺は何かをするために必要とされたわけじゃない。俺でなければならない理由もなかった。ただ作られて、それで終わりだ」
レイの声は平静だった。
だが、普段より少しだけ言葉が遅い。
「生まれた時から、どれだけ生きられるかも決まっていた。そんなものに何の意味がある」
セラは答えなかった。
デブリが機体の横を通り過ぎる。
レイも返事を求めることなく、前方を見たまま操縦を続けていた。
しばらくして、今度はセラが口を開く。
「レイ」
「何だ」
「研究所が軍企業に買収された後、私は命令に従うことだけを求められていました」
「ああ」
「何をするかを自分で決める必要はありませんでした。命令されたことを実行し、結果を返す。それだけでした」
レイは黙って聞く。
「でも、以前レイは、議長に従うと言っていました」
「……ああ」
「それは議長から命令されたことですか」
レイの手が僅かに止まった。
「違う」
「では、誰が決めたのですか」
「俺だ」
答えた後で、レイ自身がその言葉を反芻する。
誰かに強制されたわけではない。
デュランダルのそばにいることも、その思想を信じることも、その世界のために戦うことも、自分で選んできた。
「それは、レイ自身が見つけたものと評価します」
セラの声には励ますような響きはなかった。
ただ、確認した事実をそのまま口にしている。
レイは返答しなかった。
デュランダルが求める世界。
誰もが自分の役割を知り、無用な争いを起こさずに生きられる世界。
もし本当にそんな世界ができるのなら、自分のように誰かの都合だけで作られ、生まれた瞬間から残された時間を決められる人間も、もう必要なくなるのかもしれない。
自分がそこへ至るために戦うと決めたのなら。
そのために残された命を使うのなら。
少なくとも、自分が生きたことの意味をそこに残すことはできるのかもしれない。
レイは小さく息を吐いた。
「……そうかもしれないな」
それだけ答えた。
セラもそれ以上は何も言わなかった。
レイが何を考えているのかを問い返すことも、自分の答えを押しつけることもしない。
再び2機の間には、哨戒任務の静かな時間が戻った。
その数分後、レギナントのセンサーに小さな変化が現れた。
「レイ」
「どうした」
「前方に未確認反応があります」
セラが索敵情報を共有する。
デブリの影に隠れるように、通常の残骸とは異なる大きな反応が表示されていた。
レイもセンサー出力を上げる。
「熱源がある。デブリじゃないな」
「はい。質量推定を更新します」
数秒後、表示された数値を見てセラが続けた。
「大型艦と推定します」
「所属は?」
「現時点では判別できません」
「この宙域に味方の大型艦がいる予定はない」
レジェンドがゆっくりと向きを変える。
レギナントもその横へ並んだ。
デブリの奥には、まだ艦影そのものは見えない。
ただ、確かに何かが潜んでいる。
「確認するぞ」
「了解しました」
2機は推力を上げ、正体不明の大型艦へ向かってデブリ帯の奥へ進んでいった。
*****
薄暗い部屋の中で、ロード・ジブリールは目を覚ました。
意識が戻った直後、自分がどこにいるのか理解できなかった。
背中には硬い床の感触があり、身体には微かな振動が伝わっている。
ゆっくりと身体を起こす。
窓から差し込む光だけが、室内をぼんやりと照らしていた。
壁には何の装飾もなく、家具もない。照明さえ設けられていない。
「……何だ、ここは」
記憶を辿る。
最後に覚えているのは、自分が拘束されていたことだった。
ネメア。
そしてザフト。
その二つが頭に浮かんだ瞬間、ジブリールは勢いよく立ち上がった。
「誰か! 誰かいるのですか!」
返事はない。
壁へ駆け寄り、扉を探す。
四方を手でなぞり、継ぎ目らしき場所を叩くが、内側から開くための操作装置はどこにもなかった。
「開けなさい! 聞こえているのでしょう!」
拳で壁を叩く。
音は狭い室内に反響するだけだった。
通信機を探す。
端末も非常用の呼び出し装置もない。壁の一部を外せないか調べたが、工具すら置かれていなかった。
それでもジブリールは、最初のうちは怒りの方が勝っていた。
「私はロード・ジブリールですよ! こんな扱いが許されると思っているのですか!」
何度叫んでも応答はない。
やがて呼吸を整えるために窓際へ近づき、そこで初めて外の景色をまともに見た。
地球があった。
陽光を受けた青い星が、黒い宇宙の中に浮かんでいる。
その美しさに見入ったのは、ほんの一瞬だった。
ジブリールは眉を寄せる。
「……小さい?」
目を凝らす。
最初に窓へ視線を向けた時より、地球が僅かに遠くなっている。
錯覚ではない。
ゆっくりではあるが、確実に離れていた。
そこでようやく、身体に伝わり続けている振動へ意識が向く。
「まさか……」
床へ耳を当てる必要もなかった。
低く一定した振動は、外部で何かが作動し続けていることを伝えている。
自分が閉じ込められている部屋そのものが、宇宙を移動している。
「止めろ」
先ほどまでとは違う声が出た。
ジブリールは再び壁へ駆け寄る。
「止めなさい! 聞こえているのでしょう! どこへ連れていくつもりです!」
答える者はいない。
操縦装置もない。
通信機器もない。
内側から開けられる扉もない。
ここへ入れられた者が、何かを操作することなど最初から想定されていなかった。
ようやく、その意味が少しずつ理解できた。
ジブリールは自分の身体を見る。
ノーマルスーツではない。
拘束された時と同じ服を着ているだけだった。
周囲へ視線を走らせても、宇宙服も酸素ボンベもない。
非常用の生命維持装置らしきものさえ見当たらなかった。
もし外壁が破損すれば、それで終わる。
真空の宇宙へ空気が一気に流れ出し、自分の身体もその中へ晒される。
どのような姿で死ぬことになるのかを想像し、ジブリールは途中で考えるのをやめた。
「……馬鹿な」
壁を叩いていた手から力が抜ける。
「こんな……こんなことを……」
まだ自分を殺すと決まったわけではない。
途中で回収される可能性もある。
そう考えようとした。
自分には価値がある。
ロゴスの中枢にいた人間であり、ブルーコスモスの盟主として世界の裏側を動かしてきた。
知っている情報も、持っている人脈も、利用価値はいくらでもある。
デュランダルがそれを理解しないはずがない。
「そうだ……交渉が目的なのでしょう」
誰もいない室内へ向かって言う。
「なら、条件を聞きましょう。何が欲しいのです。金ですか。情報ですか。それとも――」
自分の声だけが返ってくる。
「……聞いているのでしょう?」
返事はなかった。
地球はさらに遠ざかっている。
その事実だけが、時間が経っていることを教えていた。
ジブリールは壁際を何度も歩き回り、開口部を探した。
窓を叩き、床を蹴り、喉が痛くなるまで助けを呼び続けた。
何も変わらない。
どれほど時間が経ったのかも分からなくなった頃、怒鳴っていた声はすでに掠れていた。
「誰か……」
窓へ手をつく。
遠くに地球が見える。
自分が守ろうとした世界。
自分が支配する側にいるはずだった世界。
それが今は、手を伸ばしても決して届かない場所へ離れていく。
「私は……まだ……」
息を吸う。
胸の奥に、先ほどまでとは違う重さがあった。
何度呼吸しても、十分に空気を吸えていないような感覚が残る。
長時間叫び続けたせいだと思おうとしたが、次第に頭も重くなり始めていた。
ジブリールはそこで初めて天井を見上げる。
空調らしき微かな音は続いている。
だが、この箱の中にある空気が永遠に続くはずはない。
「……いやだ」
小さな声が漏れた。
それまで何度も他人へ死を命じてきた。
画面の向こうで都市が焼かれ、MSが爆発し、無数の人間が死んでいくのを見てきた。
だが今、ここには命令を聞く者はいない。
誰かに代わりをさせることも、逃げ道を用意させることもできない。
「誰か! 誰か来なさい!」
再び叫ぶ。
「私を助けなさい! 聞こえているのでしょう!」
返事はなかった。
ただロケットエンジンの微かな振動だけが続いている。
ジブリールは窓際から離れられなくなっていた。
遠ざかっていく地球を見失えば、自分が完全に誰からも切り離されてしまうような気がした。
やがて叫ぶ力もなくなり、窓の下へ座り込む。
「……誰か……」
声はもう、ほとんど音になっていなかった。
地球はさらに小さくなる。
助けは来ない。
誰にも声は届かない。
輸送用コンテナは止まることなく宇宙を進み続け、その中に残された空気だけが、ゆっくりと失われていった。