機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
機動要塞メサイアの周辺には、束の間の静けさが戻っていた。
アルザッヘルをレクイエムによって消滅させたことで、ダイダロス基地へ向かっていた大西洋連邦軍の動きも鈍り、直ちに大規模な攻撃を受ける可能性は低くなっている。
もっとも、ザフト側に油断するつもりはなかった。
ダイダロス基地には防衛部隊だけでも300機を超えるMSが常駐し、周辺へ停泊する艦隊とその搭載機まで含めれば、集結している戦力はその倍にも達していた。
レクイエムという巨大兵器を手にした以上、それを奪還、あるいは破壊しようとする勢力が現れることは十分に考えられる。
メサイア内部でも警戒態勢が継続される中、デュランダルは執務室の通信回線を開いた。
正面の大型モニターに映し出されたのは、ネメア・インダストリアルのバスク・グレイズとニキアス・シアンだった。
「先日引き渡してもらったロード・ジブリールについては、すでに処刑を終えている。彼が再び戦火を広げることはない。当面の大きな脅威は取り除けたと考えていいだろう」
『それは何よりです。議長にとっても、長く続いた懸案が一つ片づいたことになりますな』
バスクが落ち着いた声で答えると、隣のニキアスも穏やかな笑みを浮かべた。
『我々としても、取引が無事に完了したことを喜ばしく思います』
そこに深い感慨などないことは、デュランダルにも分かっていた。
ネメアにとってジブリールは取引材料であり、その後どのような処分を受けたかは企業利益に直接関係しない。
形式的な労いであることを理解したうえで、デュランダルもそれ以上の言葉を求めなかった。
「それで、今日は別の話がある。君たちにも無関係ではない話だ」
バスクの目が僅かに細くなる。
「私は現在、デスティニープランの実行を進めている。人が生まれ持った遺伝的な適性をより正確に把握することができれば、教育も職業も、その人物に合ったものを選びやすくなるだろう」
『それに、弊社の研究成果を利用したいと?』
デュランダルが目的まで話す前に、バスクが問い返した。
「話が早くて助かるよ。ネメアは長年、遺伝子と人間の能力の関係を研究してきた。その蓄積は、プラントの研究機関にもないものを多く含んでいるはずだ」
モニターの向こうで、バスクの表情が目に見えて硬くなった。
求められているものが単なる研究協力ではないことを、すぐに理解したらしい。
『議長。それはつまり、我々が保有する遺伝子研究の成果を開示しろという意味ですか』
「必要な範囲については、そうなる」
バスクはすぐには答えなかった。
ネメアが現在の地位を築くまでに積み重ねてきた研究成果は、単なる学術資料ではない。
競合する軍産企業が持っていない技術だからこそ価値があり、それを独占していること自体が企業の強みだった。
『随分と大きなものをお求めになりますな』
「無償で提供してもらおうとは思っていない。相応の対価は用意する。それに今後、ネメアが新たな市場で活動する上で必要になる立場についても、可能な限り便宜を図ろう」
バスクの眉間に刻まれた皺は消えなかった。
金銭だけで測れる話ではないものの、企業として無視できない条件であることも確かだった。
その隣で黙って話を聞いていたニキアスが、不意に小さく手を打った。
『なるほど。ようやく理解しました』
デュランダルが視線を向ける。
「何をかな」
『議長のデスティニープランです。以前から概要は存じていましたが、こうして研究利用まで含めて聞いてみると、弊社の考え方によく似ていますね』
バスクが僅かに顔を向けたが、ニキアスは気にした様子もなく話を続ける。
『デスティニープランは、生まれ持った遺伝子から適性を調べ、その人物に最適な教育と仕事を与える仕組みなのでしょう?』
「大まかにはそうだ。適性と現実の不一致によって生まれる失望や競争を減らす。それが無用な対立を減らすことにもつながる」
『ええ。人が自分の能力を最も生かせる場所へ行き、そこで充実した生活を送る。非常に合理的です』
ニキアスの言葉には皮肉らしい響きがなかった。
むしろ純粋に仕組みを評価しているように見えることが、デュランダルには妙に引っかかった。
『弊社もよく似ています。ただ、出発点が反対なのですよ』
「反対?」
『議長は人間を先に見て、その遺伝子に適した仕事を探す。我々は必要な仕事を先に決め、それに適した遺伝子を持つ個体を選ぶ。必要なら、目的に合うように作る』
デュランダルの表情から、僅かに柔らかさが消えた。
ニキアスはそれにも気づかないように、指先で机を軽く叩きながら言葉を続ける。
『けれど、最終的には同じではありませんか。システムに必要な場所があり、そこへ最も適した人間を配置する。いわば適材適所の歯車です』
「人は歯車ではないよ」
デュランダルの返答は早かった。
『もちろん、それぞれ呼び方に差はあります』
ニキアスはあっさりと認める。
『ただ、仕組みとして見れば同じです。議長の計画ではシステムが人間を調べ、それぞれを最も適した場所へ配置する。我々の場合は、最初からその場所に適した人間を用意する。その違いでしょう』
「大きな違いだ。私は人を作り変えようとしているわけではない。生まれ持った資質を理解し、その可能性を最も生かせる場所を示そうとしている」
『現時点では、ですね』
その一言に、デュランダルの目が止まった。
バスクが横からニキアスを見る。
『主任』
『何か、おかしなことでも?』
咎められたとは思っていないらしい。
ニキアスはいつもの営業用の笑みを崩さなかった。
『議長。一つ問題があります。すべての人間に最適な仕事を割り当てようとしても、仕事には定員があります。最も適性がある人間が100人いても、必要なのが10人なら90人は余る』
デュランダルは答えなかった。
『逆もあります。社会に100人必要な仕事があっても、その適性を十分に持つ人間が20人しかいなければ、残り80人をどうするのでしょう』
「適性は一つではない。人には複数の可能性がある。それを含めて配置を考えることになる」
『ええ。それでも、完全には一致しない』
ニキアスは迷いなく返した。
『システムを運用する以上、定員から漏れる者も、必要とされる水準に届かない者も出ます。そして理想的な適材適所を目指すほど、その不一致は邪魔になる』
デュランダルの指が、机の上で僅かに動いた。
「だからといって、人間そのものを変えるという結論にはならない」
『必ずそうなるとは申しません。ただ、合理性だけを求めるなら、その方が簡単です』
ニキアスは平然としていた。
『必要な能力を持つ人間が足りないのであれば、その能力を持つ人間を増やせばいい。適性が足りないのであれば、次の世代では最初から適性を持たせればいい。我々が行ってきたことは、基本的にはそれです』
「私の計画は、そのようなものではない」
『では、どこで止めるのです?』
ニキアスの問いに、初めて間が生まれた。
『より正確に適性を把握するために、さらに遺伝子を研究する。それでも不足が生まれれば、より適した人間を求める。争いをなくし、社会を最適な形にすることが目的なら、避けられる不適合をわざわざ残す理由は何でしょう』
「それは――」
言葉が続かなかった。
人は製品ではない。
そう言えばいい。
だが、それはニキアスの問いへの答えにはなっていなかった。
デスティニープランが目指しているのは、遺伝子によって人の資質を把握し、その適性と社会的役割の不一致を減らすことである。
より完全な一致を求めるなら、次に何をするのか。
その一線を越えてはならないという意思は、自分の中にある。
しかし、システムそのものにその一線を保証するものがあるのかと問われれば、すぐに示せるものはなかった。
ニキアスはさらに続けた。
『それに、適性のない者や必要とされなくなった者を、システムがどう扱うのかも決めなければなりません。我々なら単純です。必要な性能を満たさないものは採用しない。運用上の価値がなくなれば、別の用途を検討する』
バスクが今度こそ渋い顔を見せたものの、否定はしなかった。
それはネメアにとって特別に残酷な思想なのではなく、企業活動として当然の基準だった。
『議長の計画では、どうなります?』
デュランダルはモニターの中の2人を見つめた。
無知と欲望が争いを生む。
ならば、人が自分に何ができるのかを知り、必要以上のものを求めなくなれば、争いは減らせる。
その考え自体は、今も間違っているとは思わない。
だが、そのために不確定なものを排除し、社会にとって最も効率の良い人間だけを求め続けた先にあるものは何なのか。
目の前に、その一つの答えがあった。
人間を目的に合わせて作り、性能で評価し、必要性によって扱いを決める企業。
自分が否定したいはずのものと、自分が築こうとしている仕組みの間に、どこで越えてはならない線を引けばよいのか。
その線が、初めて見えなくなった。
「……研究成果の提供については、条件を詰めた上で改めて話したい」
デュランダルがそう告げると、ニキアスは満足そうに頷いた。
『承知しました。弊社としても、十分な対価が保証されるのであれば協力する理由はあります』
『提供範囲についてはこちらで整理します。企業機密まで無制限に開示するつもりはありませんので、その点はご了承いただきたい』
バスクも念を押す。
「もちろんだ。今日は時間を取らせたね」
『いえ。非常に興味深いお話でした』
ニキアスの笑顔を最後に、通信が切れた。
広い執務室に静寂が戻る。
デュランダルはしばらく消えたモニターを見つめていたが、やがて椅子へ深く背中を預け、そのまま目を閉じた。
人が争い、傷つき、最後には絶望していく姿を、もう見たくなかった。
自分の根底にあったものは、それほど複雑な願いではない。
誰かに適した場所があり、そこで必要とされ、望まぬ競争に人生を費やす必要がなくなれば、世界は今より穏やかになる。
そう信じたからこそ、ここまで進んできた。
だが、その理想を突き詰めた先に、人間を目的に合わせて作る世界があるのだとしたら。
デュランダルはゆっくりと目を開いた。
それまでに失われた命が脳裏をよぎる。
プラントで、地球で、戦場で死んだ者たち。ここまで来るために積み重ねてきた犠牲も、すでに後戻りできないほど大きくなっている。
今さら、自分が迷ったからという理由だけで、すべてを投げ出すことはできなかった。
「……もう、止まれないか」
誰に聞かせるでもなく、声が漏れた。
正しいと証明できるわけではない。
このまま進めば、自分が恐れていたものとは別の形で、人を苦しめる世界を作る可能性すらある。
それでも進む。
もし自分が誤り、その先に新たな悲劇しかないのなら、その時は誰かが自分を止めればいい。
自分にはもう、その誰かに討たれることまで含めて、この計画を最後まで背負うしかない。
デュランダルは再び正面を向いた。
争いを終わらせるために作り上げたはずの計画が、いつの間にか自分自身をも縛っている。
それでも彼は、その悪魔から手を離さなかった。
*****
ミネルバの格納庫へ帰還警報が響き、整備員たちが一斉に着艦区画から退避していった。
開放されたハッチの向こうから最初に姿を見せたのは、白いレギナントと、その機体に支えられるようにして進むレジェンドだった。
「レイ!」
待機していたシンが、機体の状態を見た瞬間に声を上げた。
レジェンドの右肩から先には何もなく、切断された右腕から伸びた配線やフレームがむき出しになっている。
「右腕が……レイ、大丈夫なの!?」
ルナマリアもシンと一緒に着艦位置へ駆け寄る。
レジェンドが固定されるとコクピットハッチが開き、レイは自力で降りてきたものの、いつもの顔色とは明らかに違っていた。
「大丈夫だ。俺自身は負傷していない」
「それのどこが大丈夫なんだよ!」
シンは思わず言い返したが、レイが足を止めたのを見て、続く言葉を飲み込んだ。
負傷していなくても、長時間の高負荷戦闘を続けた疲労まで消えるわけではない。
ルナマリアも一度レジェンドの惨状を見上げ、それからレイへ視線を戻す。
「とにかく医務室で診てもらって。怪我がないって言っても、その顔じゃ全然安心できないから」
「……分かった」
珍しく素直に医務室に向かうレイの様子に、シンはかえって眉を寄せた。
その後方でレギナントが着艦位置へ降りる。
「セラ!」
今度はシンがそちらへ駆け出した。
コクピットハッチが開き、セラがいつもと変わらない足取りで機体から降りてくる。
レギナントにも戦闘の痕跡は残っていたが、本人には目立った疲労の色が見えなかった。
「セラ、お前は大丈夫なのか?」
「問題ありません。身体状態に異常はありません」
「本当に?」
「はい」
平坦な返答も表情も、出撃前とほとんど変わらない。
ルナマリアがそれを見て、ようやく肩から少し力を抜いた。
「今回は、そっちは本当に大丈夫そうね……」
「戦闘継続も可能です」
「そういう意味じゃないんだけど」
ルナマリアが苦笑すると、シンも小さく息を吐いた。
少なくともセラまで消耗しきって戻ってきたわけではない。それだけでも十分だった。
だが、格納庫に流れた安堵は長く続かなかった。
帰還ハッチの向こうから、新たな巨体がゆっくりと姿を現わす。
「おい……待てよ」
「あれ……」
赤黒い光沢に包まれた大型機が、格納庫の照明を遮るように進入してくる。レギナントを上回る巨体、2本の主腕と4本の補助腕――見間違えるはずがない。
これまで何度となく戦ってきた敵の機体、ネメシスだった。
「なんで、あいつがここに来るんだよ」
ルナマリアも言葉を失っていた。
以前、月面でセラを奪おうとし、ミネルバ隊と激しく交戦した機体を忘れられるはずがない。
「セラ、これ……」
問いかけながらルナマリアが横を見ると、セラだけは赤黒い大型機を静かに見上げていた。
ネメシスが着艦位置へ巨体を沈める。
やがて機体上部のコクピットハッチが開き、その奥から1人の男が姿を現した。
外見だけなら18歳前後だろうか。細身ながら均整の取れた体つきで、淡い金色の髪の下には、青年と呼ぶに十分なほど整った顔立ちがある。
だが、その顔を見た瞬間、シンは僅かに眉を寄せた。
どこか、レイに似ている。
顔そのものが同じというわけではない。髪の色も違えば、輪郭にも明確な差がある。それでも目元や鼻筋、無表情のままこちらを見る時の印象には、妙に見覚えのあるものがあった。
青灰色の瞳は落ち着いているというより、年齢に似合わないほど冷めて見える。その一方で、成熟した顔立ちの奥には、わずかに少年らしい幼さも残っていた。
男は格納庫を見回すこともなく、最初からそこにいることを知っていたかのように視線を動かす。
その先にいたのはセラだった。
「なんだ、まだ機嫌が悪いのな。L-31」
セラも表情を変えずに見返す。
「No.2」
2人の短いやり取りだけが、静まり返った格納庫の中へ響いた。