機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
突然の来訪者を前に、シンとルナマリアは警戒を解けないままNo.2を見つめていた。
ネメシスがミネルバの格納庫へ入ってきたことだけでも理解しがたい。それなのに、その搭乗者はセラと言葉を交わした後も立ち去る様子を見せず、当然のようにその場に立っている。
「それで……お前、何しに来たんだよ」
痺れを切らしたシンが尋ねると、No.2は視線だけを向けた。
「出向だ」
「……は?」
「出向?」
シンとルナマリアの声が重なった。
セラだけは驚いた様子を見せず、No.2を見上げている。
「私がいれば、戦力は足りています」
「俺に決定権はない。命令だ」
「増員する必要性が不明です」
「増員が決定された。それがお前だけでは不足すると判断された可能性はある」
「根拠はありません」
「そうだな。推測だ」
No.2はそれ以上続けようとはしなかった。
「いや、ちょっと待てよ!」
置いていかれたシンが声を上げる。
「お前、この前まで俺たちと戦ってただろ! それがいきなりミネルバに出向って、どういうことだよ!」
「経緯は聞いていない。俺が受けたのは、ミネルバへ出向し作戦行動を支援しろという命令だけだ」
淡々と返され、シンは次の言葉に詰まった。
その時、格納庫の入口から急ぐ足音が聞こえてくる。
「すみません、お待たせしました!」
携帯端末を抱えたメイリンが駆け込んできた。
赤黒いネメシスの姿に一瞬だけ足を鈍らせ、それから機体の前に立つNo.2へ視線を移す。直接会うのは初めてだった。淡い金色の髪も青灰色の瞳もレイとは違う。それでも近くで見るほど、目元や鼻筋にはどこか重なるものがある。
だが、今はそれを尋ねる場面ではない。
「No.2……でいいんですよね。艦長から、艦長室まで案内するように言われています」
No.2はメイリンへ向き直り、僅かに姿勢を正した。
「了解しました。世話になります」
「え……あ、はい。こちらです」
あまりに普通の返答に、メイリンは僅かに目を瞬いた。
通信越しに聞いた時は、もっと粗野な人物を想像していた。少なくとも今目の前にいるNo.2からは、そのような印象をほとんど受けない。
メイリンが歩き出すと、No.2も黙ってその後へ続いた。
「……本当に出向なんだな」
「みたいね……」
2人を見送りながら、シンとルナマリアは揃って困惑した顔を浮かべていた。
*****
ミネルバの通路を進みながら、メイリンは前を向いたまま何度か背後の気配を窺った。
No.2は必要以上に周囲を見ることもなく、一定の距離を保ってついてくる。セラとの通信では仕事が増えたと不満を口にしていたはずだが、実際に会ってみれば声も態度も落ち着いていた。
エレベーターの前へ着くと、メイリンは認証パネルへ手を触れた。開いた扉へ2人で乗り込み、艦長室のある階を指定する。
扉が閉じると、狭い空間には駆動音だけが残った。
メイリンは表示される階数をしばらく見つめていたが、やがて意を決して口を開く。
「あの……少し聞いてもいいですか」
「何を」
「セラのことです。あなたは、昔からあの子のことを知ってるんですよね」
「知っている範囲なら」
「私、もっとセラのことを知りたいんです。研究所にいた頃のこととか……」
No.2は数秒黙った。
「今は本人に聞かない方がいい。機嫌が悪い。余計なことを聞けば悪化する可能性がある」
メイリンは思わず振り返った。
「セラ、機嫌が悪かったんですか? でも……いつもと同じ顔に見えましたけど」
「返答が普段より短い。こちらを見る時間も少し長かった。あれは不満がある時の反応だ」
「……分かるんですね」
「以前からそうだった」
短い返答だった。
メイリンは前へ向き直る。
自分はセラに名前を与え、同じ艦で長い時間を過ごしてきた。身体の調子を気にして、話をして、少しずつ増えていく反応を近くで見てきたつもりだった。
それでも、自分には分からなかった変化を、この男は簡単に見抜いた。
胸の奥が僅かに締めつけられる。
「研究所では……セラはどんな子だったんですか。その、普段どうしてたとか、好きだったこととか、苦手だったこととか」
「その記録はない。能力評価ならある。神経接続精度、反応速度、実験機への適応率、負荷耐性。L-31はその大半で高い数値を出していた」
メイリンの求めていた答えとは、まるで違った。
「そういうことじゃなくて……」
「なら分からない。研究所で必要だったのは、何ができるかという情報だ。それ以外を記録する理由はなかった」
「……そうですか」
悪意はない。
おそらく、本当にそれしか知らないのだ。
それでも、セラが14年間を過ごしてきた場所で残されたものが、能力を示す数字ばかりだったのだと思うと胸が重くなった。
少しの沈黙の後、今度はNo.2が口を開く。
「一つ聞きたい。『セラ』とは何だ」
「何って……セラはセラですけど」
「L-31をそう呼んでいた。別の識別名か?」
そこで初めて気づいた。
No.2は、一度も彼女を名前で呼んでいない。
「あの子の名前です。ミネルバではみんなセラって呼んでます。私がつけました」
「そうか」
No.2は短く頷いた。
「識別できるなら、L-31のままでも問題はないと思っただけだ」
メイリンの眉が僅かに寄る。
「名前は、識別するためだけにあるものじゃないです」
「そうなのか」
「そうですよ」
強めに返してしまったが、No.2に反発した様子はなかった。
ただ、考えるように僅かに目を伏せる。
「ここでは、我々とかなり扱いが違うようだ」
「扱い?」
「L-31の運用だ。出撃中の状態を細かく監視している。負荷が上がれば帰投させる。戦闘以外でも、本人の意思を確認してから決めることが多い」
「それの何がおかしいんです?」
「おかしいとは言っていない。ただ、効率は悪い。L-31は高負荷状態でも戦闘を継続できる。限界値も一般兵より高い。我々なら、稼働可能と判断されている間に運用を止める理由はない」
メイリンは端末を抱く腕へ少し力を入れた。
「セラが壊れるまで戦わせるってことですか!?」
「壊れる前には止める。ここでは、その能力を十分に使っていないという話だ」
「そういう意味じゃありません!」
No.2がメイリンを見る。
声を荒らげられた理由が分からないらしい。
「セラは、自分から休みたいって言わないんです。だったら、誰かが止めないといけないでしょう!」
「なぜ?」
「なぜって……!」
思わず声が大きくなる。
No.2は変わらない。
「本人が継続可能と判断し、実際に能力も残っている。それを止めさせる理由が分からない」
「身体を壊すかもしれないからです」
「機体に損傷があり、撃墜の危険があるなら撤退を優先させる。それは此方でも同じだ」
「でも、その基準が違うじゃないですか」
メイリンはすぐに返した。
ネメア社なら使える。
まだ動ける。
戦える。
その言葉を、これまで何度セラ自身の口から聞いてきただろう。
「セラは、平気だから戦うんじゃありません。戦えるなら戦わなきゃいけないって思ってるんです」
「違いがあるのか?」
「あります!」
また声が強くなる。
No.2は僅かに目を細めたが、反論する調子にはならなかった。
「それに、ここでは戦闘以外のことも教えてるんです。人との付き合い方とか、普通に暮らすためのこととか」
「必要なのか?」
「……え?」
「L-31はそうした教育をほとんど受けていない。判断を求められても分からないことの方が多い。選択肢を増やせば、判断しなければならないことも増える。本人の負担になる可能性がある」
「負担だから、知らなくていいって言うんですか」
「必要のない負荷を与える理由はない」
メイリンはNo.2を見つめた。
声にはやはり何の感情もない。
本当に、それがセラのためだと思って話している。
だからこそ腹が立った。
「じゃあ、ずっと研究所にいた頃みたいにしてろってことですか」
「その方が、本人には理解しやすい部分もある」
何かが、胸の奥で冷たく沈んだ。
名前を持たず。
命令されたことだけをして。
身体が動く限り実験や戦闘を続けて。
分からないことは、知らないままでいい。
セラが少しずつ覚えてきたものを、必要がないという理由だけで全部取り上げれば、確かに迷うことはなくなるのかもしれない。
「ここでの扱いにL-31を合わせようとすれば、本人が混乱するだけだ」
No.2の言葉に、メイリンは顔を上げた。
「……違う」
「何が?」
「セラを研究所のやり方に戻そうとしてるのは、あなたでしょう。戦えるから戦わせる。分からないことは必要ない。名前だっていらない。全部、研究所ではそうだったからって言ってるじゃないですか」
「戻そうとはしていない。L-31の性質に合った扱いを説明しているだけだ」
「それを押しつけるのが嫌なんです!」
メイリンの声がエレベーターの中へ響いた。
No.2はしばらく彼女を見つめる。
「お前たちは違うのか?」
「……え?」
「名前をつけ、戦闘以外のことを教え、普通の人間と同じ生活に慣れさせようとしている。それをL-31本人が最初から望んだのか」
メイリンは息を呑んだ。
すぐには答えられなかった。
名前を尋ねたのはセラだった。
けれど、人との付き合い方も、友達という言葉も、普通の生活も、自分たちが教えてきたものだ。
No.2はその沈黙を見ても、勝ち誇るような表情を見せなかった。
「此方とは方向が違うだけだ。そちらも、自分たちの基準にL-31を合わせているように見える」
「……少なくとも私たちは、セラが嫌だって言えばやめます。苦しいなら休ませます。分からないなら、一緒に考えます」
「それで本人が生きやすくなる保証はない」
「だからって、最初から何も与えない理由にはならないでしょう!」
メイリンの手に力が入る。
No.2は少しだけ視線を落とした。
「いずれ死ぬ可能性が高い個体に、そこまでする理由も俺には分からない」
「……死ぬって、どういう意味ですか。セラの身体に何かあるんですか!?」
「そういう話ではない。L-31は戦闘用個体だ。戦場で運用する以上、いずれ死ぬ事になるだろう、という意味だ」
淡々とした声が続く。
「それに、当時の研究なら兎も角、現在与えられているのは戦闘技術とそのための知識が中心だ。戦争が終わった後、一般社会へ適応できるよう作られてはいない。名前をつけ、普通の生活を覚えさせ、強く情を持てば、失った時にそちらの負担は増える事になるだろう」
「だから……名前なんていらないって言うんですか」
「必要性は感じないな」
メイリンは何も言わなかった。
No.2はそれを拒絶とは受け取らなかったのか、そのまま続ける。
「意思疎通が成立するからといって、運用上の性質まで変わるわけではない。道具へ愛着を持つこと自体は自由だが、言葉が通じるからと言ってペットのように扱っても――」
乾いた音が響いた。
No.2の顔が横へ流れる。
メイリンの右手は、振り抜いた位置で止まっていた。
胸が大きく上下している。自分でも手が出るとは思っていなかったのか、その顔には怒りと同時に僅かな動揺が浮かんでいた。
No.2はゆっくりと顔を戻す。
頬が赤くなり始めていたが、怒る様子はない。
「セラは道具でも、ペットでもない!」
メイリンは感情のタガが外れ、No.2に思い切り怒鳴りつける。
ちょうどその時、到着を告げる電子音が鳴った。
エレベーターの扉が左右へ開いていく。
「……メイリン?」
そこにはタリアとアーサーが立っていた。
アーサーの視線がメイリンからNo.2へ移り、赤くなった頬で止まる。
「えっ……何があったんですか!?」
メイリンはゆっくりと手を下ろした。
「……すみません、艦長」
タリアはすぐには何も言わなかった。
メイリンの顔、No.2の頬、その間に残った空気を順に見た後、小さく息を吐く。
「話は後で聞きます。No.2、艦長室へ」
「了解しました」
No.2は一度だけ頬へ触れ、そのままタリアの後へ続いた。
最後まで、なぜ殴られたのかを理解した様子はなかった。
*****
ミネルバ艦長室。
机を挟んだ正面には、左頬を赤くしたNo.2が立っていた。
アーサーは少し離れた位置に控えていたが、どうしても気になるらしく、時折その頬へ視線を向けている。
タリアは端末へ送られてきた資料を確認してから顔を上げた。
「まず、こちらのクルーが手を上げたことについては謝ります。メイリンには後で私から話をします」
「了解しました」
「……怒ってはいないの?」
「理由が分かっていません。判断できません」
タリアは僅かに眉を寄せたが、今は追及しなかった。
「では本題に入ります。あなたは現時点をもって、ネメア・インダストリアルからミネルバへ出向する。間違いないわね」
「はい」
「任務内容は?」
「バンパイア隊を指揮し、ミネルバの作戦行動を支援することです。部隊は近隣宙域で輸送艦とともに待機しています。必要であれば合流させます」
「詳しい経緯は聞いていないのね」
「聞いていません。出向と作戦支援。それが受けた命令の全てです」
デュランダルがネメアとの取引を成立させた以上、その戦力を利用すること自体は不思議ではない。
おそらくミネルバへの増援として活用せよという意図なのだろう。
だが、タリアの意識はどうしても別のところへ引かれた。
目の前の男は、近くで見るほどレイを思わせる。
同じ顔ではない。それでも目元や鼻筋、感情の動きが薄れた時の表情には、妙に重なるものがあった。
なぜ似ているのか。
No.2という呼び名は何を意味するのか。年齢はいくつなのか。セラとはどのような関係にあり、ネメアの中でどういう扱いを受けているのか。
聞きたいことはいくつもあった。
だが、セラを保護した時とは事情が違う。
No.2には明確な所属があり、その所属から命令を受けてここへ来ている。本人が答えるつもりのない情報まで、艦長という立場だけで聞き出せる相手ではない。
タリアはその疑問を胸の内へ残し、今確認するべきことへ意識を戻した。
「分かりました。指揮系統と補給についてはこちらで調整します。最後に一つだけ。ここにいる間は、あなたもミネルバの一員として扱います。こちらも必要な支援はする。その代わり、クルーとはできるだけ協調してちょうだい」
「了解しました」
タリアの視線が、まだ赤みの残る頬へ向く。
「……本当に分かっている?」
「先ほどの件については原因を理解していません。ただ、同じ結果を避ける必要があることは理解しています」
「そう。なら、まずはそこからね」
「努力します」
No.2は短く頭を下げ、そのまま艦長室を出ていった。
扉が閉じると、しばらく部屋には沈黙が残る。
「艦長……」
「分かっているわ」
「まだ何も言ってませんけど」
「レイに似ている、でしょう」
アーサーは何も返せず、閉じた扉へ視線を向けた。
タリアも同じ場所を見つめる。
増援として考えれば、No.2とバンパイア隊の加入は大きい。
それでも、これから同じ艦で行動することになった男について、自分たちはまだあまりにも何も知らなかった。
タリアは閉じた扉を見つめたまま、僅かに眉を寄せる。
「……議長。あなたは何を考えているの?」
ネメアとの関係も、No.2をミネルバへ送った意図も、推測だけでは足りない。
1度、議長本人に確かめる必要がある。
タリアが黙って視線を落とす中、ミネルバは月の暗い宙域を静かに進んでいた。
窓の外では、遠くの星々だけが変わらぬ光を放っている。
その先に何が待っているのかは、まだ見えなかった。