機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
帰還警報が格納庫に響く。
開放されたハッチの向こうから、最初にデスティニーが姿を見せた。誘導灯に沿って着艦位置へ入り、機体が固定される。続いてインパルス、ブレイズザクファントムも格納庫へ戻ってきた。
整備班が一斉に動き出す。その後ろには、普段ならここにいない白衣姿の医療班が数人待機していた。
その中にメイリンもいる。
今日は非番だったが、戦闘終了後に格納庫へ来るよう連絡を受けていた。医療班まで待機させたのはタリアの指示だった。
今回、帰還する機体に目立った損傷はない。
それでもタリアは、もう機体の状態だけでセラの無事を判断しなかった。何度も戦闘を重ねる中で、あの少女がどういう戦い方を選び、どこまでなら平然としていられるのか。そして、どこから先で急激に限界を迎えるのかを見てきたからだった。
デスティニーのハッチが開く。
「ただいま!」
シンが真っ先に降りてきた。
インパルスからルナマリア、ブレイズザクファントムからレイも続く。3人とも疲労は見えるが、自分の足で歩いている。
「お姉ちゃん!」
「メイリン? なんでここにいるの?」
「艦長から言われたの。医療班と一緒に待ってろって」
ルナマリアが白衣の集団を見て、少しだけ顔をしかめた。
「そこまでしなくても大丈夫よ」
「お姉ちゃんたちのためだけじゃないから」
メイリンの視線が、帰還ハッチへ向く。
白いレギナントがゆっくりと格納庫へ入ってきた。その後ろから赤黒いネメシスも続く。
2機がそれぞれの着艦位置へ収まると、先にネメシスのハッチが開いた。
No.2が姿を見せる。
足場へ降りたところで、体が僅かに傾いた。
「おい、大丈夫か?」
シンが声を掛ける。
No.2は手すりへ片手を置いたまま、少しだけ呼吸を整えた。
「問題ない」
「それ、セラと同じくらい信用できないんだけど」
「歩けている」
それだけ答えて、No.2は自分の足で足場を降りていく。
多少の疲労はあっても、歩行に支障はないようだった。
その間にもレギナントは固定を終えている。
だが、ハッチが開かない。
「……セラ?」
メイリンが白い機体を見上げた。
シンたちも気づく。
いつもなら固定が終われば、セラは言われる前に降りてくる。少なくとも、ハッチすら開かないことはなかった。
「セラ、聞こえる?」
ルナマリアが通信を開く。
返事はない。
「セラ?」
「おい、セラ!」
シンも呼ぶ。
それでもハッチは動かなかった。
ヴィーノとヨウランが顔を見合わせ、すぐに機体へ駆け寄る。
「外から開けるぞ」
「分かった」
ヴィーノが整備用端末を接続し、ヨウランがハッチ脇の手動開放機構へ手を掛ける。
警告音が鳴ったあと、重いハッチがゆっくりと持ち上がった。
「セラ!」
コクピットの中にセラはいた。
意識はある。
薄く開いた目が、ハッチの外にいる2人へ向いた。
だが、そこから動かない。
正確には、動こうとしていた。
シート脇へ置いた手に力を入れ、上体を起こそうとしている。それでも腕は細かく震えるだけで、体がついてこない。
「……降ります」
「いや、無理だろ!」
「移動可能です」
言葉とは裏腹に、もう一度体を起こそうとした腕から力が抜ける。
ヨウランが慌ててコクピットへ入り、ヴィーノも反対側から手を伸ばした。
「いいから動くなって!」
「セラ、ベルト外すぞ」
2人掛かりで固定具を外し、セラをシートから引き起こす。
足を床へ下ろしても、自分の体重を支えられなかった。膝が崩れ、ヨウランが肩を抱いて支える。
そのままヴィーノと左右から肩を貸し、どうにか格納庫まで降ろしてきた。
「セラ!」
メイリンが真っ先に駆け寄る。
ルナマリアとシンもその後ろへ続いた。
「担架! 早く!」
医療班が動こうとした時、その横をNo.2が通った。
メイリンの前へ出ると、そのままセラの前にしゃがみ込む。
「ちょっと、No.2――」
No.2は答えず、手を差し出した。
掌の上に、小さな錠剤が1粒乗っている。
それを見た瞬間だった。
ほとんど力の入らなかったセラの手が動く。
錠剤をつまみ取り、そのまま口へ入れて飲み込んだ。
「セラ?」
メイリンが目を見開く。
数秒も経たないうちに変化が現れた。
苦しそうに寄っていた眉が戻る。浅かった呼吸も落ち着き、震えていた指が止まった。
セラはヴィーノたちの腕から離れると、自分の足で立ち上がる。
先ほどまで体を起こすことさえできなかった少女が、何事もなかったように立っていた。
「身体状態、安定しました」
いつもの平坦な声だった。
「ちょっと待って」
メイリンがセラの両肩を掴む。
「何が安定したの!? 今まで立てなかったでしょ!」
「現在は歩行可能です」
「そういう話じゃない!」
ルナマリアも呆然とセラを見る。
シンはセラとNo.2を交互に見た。
「今の、何飲ませたんだよ」
No.2は自分の服から小さな瓶を取り出す。
そこから同じ錠剤を1粒出すと、何の躊躇もなく自分も飲み込んだ。
「鎮痛剤のようなものだ」
「……ようなもの?」
メイリンの目が細くなる。
No.2は気にした様子もなく、瓶をしまおうとした。
「No.2」
「何だ」
「その瓶、渡してください」
「必要ない」
「渡してください」
声は大きくなかった。
だが、メイリンは差し出した手を引かない。
No.2がその顔を見る。
数秒、そのまま動かなかった。
「……」
やがて、小さく息を吐く。
「面倒だな」
「早く」
「分かった」
渋々といった様子で、瓶をメイリンの掌へ落とした。
メイリンはすぐに蓋が閉まっていることを確認し、そのまま医療班へ渡す。
「これ、調べてください」
「分かりました」
No.2はそれを見ながら、何か言いたそうに口を開きかけた。
だが、メイリンと目が合うと、そのまま閉じる。
シンがその様子を見て眉を上げた。
「……お前、メイリンには弱いんだな」
「黙れ」
短い返事だけが返った。
*****
数日後。
タリアの艦長室には、メイリンと医療班の女医、それにアーサーが集まっていた。
机の上には透明な袋へ入れられた小瓶と、医療班がまとめた分析結果が置かれている。
タリアは資料へ目を通したあと、視線だけを上げた。
「それで、結局これは何なの?」
女医が手元の端末を開く。
「主成分はイソトニタゼン系の合成オピオイドと思われます。非常に強い鎮痛作用を持つ、本来なら厳重な管理下に置かれる類の合成麻薬です」
「麻薬……?」
「はい。ただし単一成分ではありません。神経接続後の過剰な知覚反応や、自律神経系の異常を抑える成分も組み合わされています」
「神経接続後の症状を抑えるための薬、ということ?」
「効果だけを見れば、そうです」
そこで女医の言葉が止まった。
タリアは続きを待つ。
「ですが、効き方が強すぎます。痛みや眩暈を軽くするというより、身体が発している異常信号そのものを感じにくくしている、と考えた方が近いです」
タリアは机の小瓶を見る。
動くことさえできなかったセラが、1粒飲んだだけで普段と変わらない顔に戻った。
あれを回復と呼ぶには、変化があまりにも急すぎた。
「それだけじゃないのでしょう?」
「はい。繰り返せば耐性がつきます。同じ量では効きにくくなり、以前と同じ効果を求めれば服用量を増やすことになる」
「依存性も?」
「あります。身体が薬の存在を前提とした状態になる可能性があります」
メイリンの表情が強張った。
「でも、セラはあれを見た瞬間に飲みました」
「それだけで依存しているとは判断できません。おそらく、飲めば動けることを知っていたのでしょう」
メイリンは黙った。
あの時、セラは薬の名前すら確認しなかった。
No.2の掌に乗ったものを見ただけで手を伸ばしている。
以前にも使ったことがある。
それも、1度や2度ではないのかもしれない。
「効き目が切れたあとは?」
アーサーが尋ねる。
「抑え込まれていた痛みや眩暈、神経症状が戻ります。さらに身体が薬に慣れていれば、悪寒や発汗、吐き気、強い倦怠感などが加わる可能性もあります」
「それでも効かなくなれば、もっと飲む……」
「それが一番危険です。この系統の薬は呼吸まで抑制します。服用量を増やし続ければ、意識を失うだけでは済まない。呼吸そのものが止まる可能性があります」
アーサーの顔が強張る。
「じゃあ、使い続ければ効きにくくなる。止めれば身体に反動が出る。だからといって量を増やせば、今度は薬そのものが命に関わる」
「そうなります」
「……本当に禁断の薬じゃないですか」
誰も否定しなかった。
タリアは資料を閉じる。
「今の2人は?」
「医務室で安静にしています。今のところ命に関わる症状はありません。ただ、薬の作用が切れてから神経症状が戻り、血圧もまだ不安定です。セラは強い倦怠感と悪寒があり、水分もかなり欲しがっています」
「No.2さんは?」
「似た状態ですが、セラほど酷くありません」
メイリンが小さく息を吐いた。
「2人とも、しばらく安静が必要です」
「ちゃんと休んでいるの?」
「No.2さんは何度か出ようとしました」
「でしょうね」
タリアも小さく息を吐く。
「許可しないで。セラも同じよ。本人が『問題ありません』と言っても信用しないこと」
「はい」
メイリンが誰より早く返事をした。
女医は頷き、端末の表示を切り替える。
「もう1つあります。この薬が、何のために使われていたかです」
「神経接続による炎症でしょう?」
「はい。2人には、高負荷の神経接続によって生じた炎症の痕跡があります。それが痛みや眩暈、運動障害を起こしている」
メイリンが顔を上げた。
「じゃあ、この薬で炎症を治してたんじゃ……」
言葉が途中で止まる。
以前、セラから聞いた言葉を思い出した。
炎症を抑える薬は存在しない。
「……違う」
タリアも同じことに気づいたようだった。
「セラは以前、炎症そのものを抑える薬はないと言っていたわ」
「その説明は正しいです。この薬は炎症を治しません。症状を感じにくくしているだけです」
「その間に自然に治るのを待つ?」
「はい。神経接続を外し、身体が回復するまで待つ。それが行われていた処置だと思われます」
炎症は残ったまま、本人が感じる症状だけを抑える。
回復すれば、また使う。
アーサーが顔をしかめた。
「それって……治療って言えるんですか」
「少なくとも、身体そのものを治す処置ではありません」
メイリンは格納庫で立ち上がったセラを思い出す。
倒れそうだった少女が、薬を飲んだ途端に何事もなかったような顔へ戻った。
それが以前から繰り返されていたのだとしたら。
動けなくなれば薬を飲み、症状が消えればまた動く。
治ったかどうかではなく、使えるかどうかだけを見る。
「……酷い」
「メイリン」
「だって……それじゃ、セラが痛いかどうかなんて、どうでもいいみたいじゃないですか」
誰もすぐには答えなかった。
アーサーは机の小瓶を睨むように見ている。
タリアの脳裏に、ネメア側の人間と交わした会話が蘇った。
あの場で語られたのは契約と所有権、そしてL-31としての価値だった。
今、机の上にある小瓶も、その考え方から外れたものには見えない。
「……この薬は医療班で管理します」
タリアが静かに言う。
「本人たちには返さないで。必要な処置はこちらで判断する。2人が求めても、勝手に服用させないこと」
「分かりました」
女医が頷く。
メイリンも小さく息を吐いた。
机の上には、小さな薬瓶が1本あるだけだった。
それでも、その中に残された錠剤を見ていると、セラがミネルバへ来る以前、どうやって戦い続けてきたのかが少しだけ見えた気がした。
タリアは瓶から目を離す。
「以上よ。2人の状態に変化があれば、すぐ知らせて」
「はい」
話は終わった。
それでも、誰もすぐには席を立たなかった。
*****
医務室は静かだった。
照明は落とされ、ベッド脇の小さな灯りだけが白い壁を照らしている。
ユアンは椅子へ座り、眠っているセラを見ていた。
目を閉じていれば、ただ眠っているだけに見える。
だが、いつもの白い肌はさらに血の気を失い、僅かに青みがかっていた。
枕元には水差しとコップが置かれている。
セラは目を覚ますたびに水を欲しがった。
少し飲んでは眠り、また目を覚まして水を求める。それを何度繰り返したか、ユアンはもう数えていない。
毛布の下で、セラの体が小さく震えた。
ユアンは立ち上がり、ずれていた毛布を肩まで掛け直す。
「……寒いんですね」
少ししてセラの瞼が動いた。
「ユアン」
「起きましたか」
「水分を要求します」
「はい。少し待ってください」
ユアンがコップへ水を注ぐ。
起きようとするセラの背中へ手を回した。
「無理しなくていいです。持ちますから」
「自力で可能です」
「今は俺にやらせてください」
セラは一瞬ユアンを見たが、拒否はしなかった。
半分ほど水を飲むと、再び枕へ頭を戻す。
「もういいです」
「分かりました」
毛布の中で、また小さく震える。
「寒いですか?」
「体温感覚に異常があります」
「それを寒いって言うんじゃないですか」
いつもの返事だった。
それでも声には少し力がない。
ユアンが毛布の端を整えていると、向かい側から声がした。
「過剰に気にする必要はない」
No.2もベッドにいた。
何度か医務室から出ようとした末、タリアから直接退室禁止を言い渡されている。
「薬が切れた反動だ。時間が経てば戻る」
「そう聞いてはいます。でも、だから心配しなくていいとは思えません」
「L-31は回復する」
「セラだけじゃありません。あなたもです」
No.2の眉が僅かに動いた。
「No.2さんも同じ薬を飲んでいたんですよね」
「そうだ」
「なら、あなたも心配です」
「不要だ」
「そう言われても、なくなるものじゃないと思います」
No.2は少しだけユアンを見た。
「……妙な奴だな」
「そうかもしれません」
ユアンは苦笑し、眠るセラへ視線を戻す。
「でも、こんな状態になるのは今回が初めてじゃないんですよね」
「違う」
「前にも?」
「必要なだけだ」
必要なだけ。
何回なのかは答えになっていない。
だが、No.2にとってはそれで十分なのだろう。
「俺には、普通だとは思えません」
ユアンは声を抑えたまま続ける。
「動けなくなるまで戦って、薬で症状を抑えて、また動く。それを続けていたら、いつか本当に限界が来ます」
「理解している。L-31もだ」
「……セラも?」
「当然だ」
No.2の返事には迷いがなかった。
「使えば消耗する。接続を続ければ神経も傷む。薬を常用すれば、身体が耐えなくなる可能性もある」
「そこまで分かっていて、どうして続けるんですか」
No.2はユアンを見る。
「それがどうした」
「命に関わるんですよ。それでも続けるんですか」
「続ける」
ユアンが言葉を失う。
No.2は何でもないことのように続けた。
「蝋燭が燃え尽きるのが嫌だから、火を点けないのか」
「……蝋燭?」
「火を点ければ短くなる。いずれ燃え尽きる。分かっていても使うだろう」
「それと人間は違います」
「何が違う」
ユアンはすぐには答えられなかった。
人間は道具ではない。
使い切るために生まれてくるわけでもない。
だがNo.2は、それを知らないわけではない。
自分が壊れることも、その先に死があることも知ったうえで受け入れている。
「燃え尽きるのが嫌だから火を点けない、という話じゃないです」
「同じだ」
「違うと思います。火を点けることと、燃え尽きるまで止めないことは別でしょう」
「止める理由などあるのか」
「命が係わるという事は、理由にならないんですか」
「役割を果たせなくなるよりも優先度は低い」
ユアンは黙った。
それがNo.2の答えだった。
自分の命より、役割が先にある。
「L-31も同じだ」
ユアンが顔を上げる。
「……セラも」
「そうだ」
眠っているセラを見る。
水を欲しがり、寒さに震え、毛布の中で小さく丸まっている。
ただ疲れて眠っている少女にしか見えない。
その少女が、自分の身体が壊れる可能性を知りながら、それでも戦うことを当然だと思っている。
「それで……いいんですか」
No.2は答えなかった。
しばらくしてセラが小さく身じろぎする。
ユアンは反射的に立ち上がり、毛布から出ていた肩を掛け直した。
「ユアン」
「はい」
「水分……」
「分かりました。起きなくていいです」
ユアンはコップへ水を注ぎ、セラの上体を少しだけ起こす。
No.2は黙ってその様子を見ていた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
水を飲み終えたセラは、すぐにまた目を閉じた。
やがて規則的な寝息が戻ってくる。
ユアンは空になったコップを置き、椅子へ座った。
No.2との話は終わっていない。
それでも、今は何を言えばいいのか分からなかった。
人は蝋燭ではない。
少なくとも、ユアンにはそうとしか思えない。
けれどNo.2もセラも、自分たちをそう扱うことに疑問を持っていなかった。
向かいのベッドでは、No.2が目を閉じている。
眠ったのかどうかは分からない。
医務室には、空調の低い音だけが残った。
ユアンはセラの枕元に置かれた水差しへ手を伸ばす。
次に目を覚ました時、すぐに飲めるように。
ただそれだけをして、もう一度椅子へ座った。