機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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137.トーチ

帰還警報が格納庫に響く。

開放されたハッチの向こうから、最初にデスティニーが姿を見せた。誘導灯に沿って着艦位置へ入り、機体が固定される。続いてインパルス、ブレイズザクファントムも格納庫へ戻ってきた。

整備班が一斉に動き出す。その後ろには、普段ならここにいない白衣姿の医療班が数人待機していた。

その中にメイリンもいる。

今日は非番だったが、戦闘終了後に格納庫へ来るよう連絡を受けていた。医療班まで待機させたのはタリアの指示だった。

今回、帰還する機体に目立った損傷はない。

それでもタリアは、もう機体の状態だけでセラの無事を判断しなかった。何度も戦闘を重ねる中で、あの少女がどういう戦い方を選び、どこまでなら平然としていられるのか。そして、どこから先で急激に限界を迎えるのかを見てきたからだった。

 

デスティニーのハッチが開く。

 

「ただいま!」

 

シンが真っ先に降りてきた。

インパルスからルナマリア、ブレイズザクファントムからレイも続く。3人とも疲労は見えるが、自分の足で歩いている。

 

「お姉ちゃん!」

「メイリン? なんでここにいるの?」

「艦長から言われたの。医療班と一緒に待ってろって」

 

ルナマリアが白衣の集団を見て、少しだけ顔をしかめた。

 

「そこまでしなくても大丈夫よ」

「お姉ちゃんたちのためだけじゃないから」

 

メイリンの視線が、帰還ハッチへ向く。

白いレギナントがゆっくりと格納庫へ入ってきた。その後ろから赤黒いネメシスも続く。

2機がそれぞれの着艦位置へ収まると、先にネメシスのハッチが開いた。

No.2が姿を見せる。

足場へ降りたところで、体が僅かに傾いた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

シンが声を掛ける。

No.2は手すりへ片手を置いたまま、少しだけ呼吸を整えた。

 

「問題ない」

「それ、セラと同じくらい信用できないんだけど」

「歩けている」

 

それだけ答えて、No.2は自分の足で足場を降りていく。

多少の疲労はあっても、歩行に支障はないようだった。

その間にもレギナントは固定を終えている。

だが、ハッチが開かない。

 

「……セラ?」

 

メイリンが白い機体を見上げた。

シンたちも気づく。

いつもなら固定が終われば、セラは言われる前に降りてくる。少なくとも、ハッチすら開かないことはなかった。

 

「セラ、聞こえる?」

 

ルナマリアが通信を開く。

返事はない。

 

「セラ?」

「おい、セラ!」

 

シンも呼ぶ。

それでもハッチは動かなかった。

ヴィーノとヨウランが顔を見合わせ、すぐに機体へ駆け寄る。

 

「外から開けるぞ」

「分かった」

 

ヴィーノが整備用端末を接続し、ヨウランがハッチ脇の手動開放機構へ手を掛ける。

警告音が鳴ったあと、重いハッチがゆっくりと持ち上がった。

 

「セラ!」

 

コクピットの中にセラはいた。

意識はある。

薄く開いた目が、ハッチの外にいる2人へ向いた。

だが、そこから動かない。

正確には、動こうとしていた。

シート脇へ置いた手に力を入れ、上体を起こそうとしている。それでも腕は細かく震えるだけで、体がついてこない。

 

「……降ります」

「いや、無理だろ!」

「移動可能です」

 

言葉とは裏腹に、もう一度体を起こそうとした腕から力が抜ける。

ヨウランが慌ててコクピットへ入り、ヴィーノも反対側から手を伸ばした。

 

「いいから動くなって!」

「セラ、ベルト外すぞ」

 

2人掛かりで固定具を外し、セラをシートから引き起こす。

足を床へ下ろしても、自分の体重を支えられなかった。膝が崩れ、ヨウランが肩を抱いて支える。

そのままヴィーノと左右から肩を貸し、どうにか格納庫まで降ろしてきた。

 

「セラ!」

 

メイリンが真っ先に駆け寄る。

ルナマリアとシンもその後ろへ続いた。

 

「担架! 早く!」

 

医療班が動こうとした時、その横をNo.2が通った。

メイリンの前へ出ると、そのままセラの前にしゃがみ込む。

 

「ちょっと、No.2――」

 

No.2は答えず、手を差し出した。

掌の上に、小さな錠剤が1粒乗っている。

それを見た瞬間だった。

ほとんど力の入らなかったセラの手が動く。

錠剤をつまみ取り、そのまま口へ入れて飲み込んだ。

 

「セラ?」

 

メイリンが目を見開く。

数秒も経たないうちに変化が現れた。

苦しそうに寄っていた眉が戻る。浅かった呼吸も落ち着き、震えていた指が止まった。

セラはヴィーノたちの腕から離れると、自分の足で立ち上がる。

先ほどまで体を起こすことさえできなかった少女が、何事もなかったように立っていた。

 

「身体状態、安定しました」

 

いつもの平坦な声だった。

 

「ちょっと待って」

 

メイリンがセラの両肩を掴む。

 

「何が安定したの!? 今まで立てなかったでしょ!」

「現在は歩行可能です」

「そういう話じゃない!」

 

ルナマリアも呆然とセラを見る。

シンはセラとNo.2を交互に見た。

 

「今の、何飲ませたんだよ」

 

No.2は自分の服から小さな瓶を取り出す。

そこから同じ錠剤を1粒出すと、何の躊躇もなく自分も飲み込んだ。

 

「鎮痛剤のようなものだ」

「……ようなもの?」

 

メイリンの目が細くなる。

No.2は気にした様子もなく、瓶をしまおうとした。

 

「No.2」

「何だ」

「その瓶、渡してください」

「必要ない」

「渡してください」

 

声は大きくなかった。

だが、メイリンは差し出した手を引かない。

No.2がその顔を見る。

数秒、そのまま動かなかった。

 

「……」

 

やがて、小さく息を吐く。

 

「面倒だな」

「早く」

「分かった」

 

渋々といった様子で、瓶をメイリンの掌へ落とした。

メイリンはすぐに蓋が閉まっていることを確認し、そのまま医療班へ渡す。

 

「これ、調べてください」

「分かりました」

 

No.2はそれを見ながら、何か言いたそうに口を開きかけた。

だが、メイリンと目が合うと、そのまま閉じる。

シンがその様子を見て眉を上げた。

 

「……お前、メイリンには弱いんだな」

「黙れ」

 

短い返事だけが返った。

 

*****

 

数日後。

タリアの艦長室には、メイリンと医療班の女医、それにアーサーが集まっていた。

机の上には透明な袋へ入れられた小瓶と、医療班がまとめた分析結果が置かれている。

タリアは資料へ目を通したあと、視線だけを上げた。

 

「それで、結局これは何なの?」

 

女医が手元の端末を開く。

 

「主成分はイソトニタゼン系の合成オピオイドと思われます。非常に強い鎮痛作用を持つ、本来なら厳重な管理下に置かれる類の合成麻薬です」

「麻薬……?」

「はい。ただし単一成分ではありません。神経接続後の過剰な知覚反応や、自律神経系の異常を抑える成分も組み合わされています」

「神経接続後の症状を抑えるための薬、ということ?」

「効果だけを見れば、そうです」

 

そこで女医の言葉が止まった。

タリアは続きを待つ。

 

「ですが、効き方が強すぎます。痛みや眩暈を軽くするというより、身体が発している異常信号そのものを感じにくくしている、と考えた方が近いです」

 

タリアは机の小瓶を見る。

動くことさえできなかったセラが、1粒飲んだだけで普段と変わらない顔に戻った。

あれを回復と呼ぶには、変化があまりにも急すぎた。

 

「それだけじゃないのでしょう?」

「はい。繰り返せば耐性がつきます。同じ量では効きにくくなり、以前と同じ効果を求めれば服用量を増やすことになる」

「依存性も?」

「あります。身体が薬の存在を前提とした状態になる可能性があります」

 

メイリンの表情が強張った。

 

「でも、セラはあれを見た瞬間に飲みました」

「それだけで依存しているとは判断できません。おそらく、飲めば動けることを知っていたのでしょう」

 

メイリンは黙った。

あの時、セラは薬の名前すら確認しなかった。

No.2の掌に乗ったものを見ただけで手を伸ばしている。

 

以前にも使ったことがある。

それも、1度や2度ではないのかもしれない。

 

「効き目が切れたあとは?」

 

アーサーが尋ねる。

 

「抑え込まれていた痛みや眩暈、神経症状が戻ります。さらに身体が薬に慣れていれば、悪寒や発汗、吐き気、強い倦怠感などが加わる可能性もあります」

「それでも効かなくなれば、もっと飲む……」

「それが一番危険です。この系統の薬は呼吸まで抑制します。服用量を増やし続ければ、意識を失うだけでは済まない。呼吸そのものが止まる可能性があります」

 

アーサーの顔が強張る。

 

「じゃあ、使い続ければ効きにくくなる。止めれば身体に反動が出る。だからといって量を増やせば、今度は薬そのものが命に関わる」

「そうなります」

「……本当に禁断の薬じゃないですか」

 

誰も否定しなかった。

 

タリアは資料を閉じる。

 

「今の2人は?」

「医務室で安静にしています。今のところ命に関わる症状はありません。ただ、薬の作用が切れてから神経症状が戻り、血圧もまだ不安定です。セラは強い倦怠感と悪寒があり、水分もかなり欲しがっています」

「No.2さんは?」

「似た状態ですが、セラほど酷くありません」

 

メイリンが小さく息を吐いた。

 

「2人とも、しばらく安静が必要です」

「ちゃんと休んでいるの?」

「No.2さんは何度か出ようとしました」

「でしょうね」

 

タリアも小さく息を吐く。

 

「許可しないで。セラも同じよ。本人が『問題ありません』と言っても信用しないこと」

「はい」

 

メイリンが誰より早く返事をした。

女医は頷き、端末の表示を切り替える。

 

「もう1つあります。この薬が、何のために使われていたかです」

「神経接続による炎症でしょう?」

「はい。2人には、高負荷の神経接続によって生じた炎症の痕跡があります。それが痛みや眩暈、運動障害を起こしている」

 

メイリンが顔を上げた。

 

「じゃあ、この薬で炎症を治してたんじゃ……」

 

言葉が途中で止まる。

以前、セラから聞いた言葉を思い出した。

 

炎症を抑える薬は存在しない。

 

「……違う」

 

タリアも同じことに気づいたようだった。

 

「セラは以前、炎症そのものを抑える薬はないと言っていたわ」

「その説明は正しいです。この薬は炎症を治しません。症状を感じにくくしているだけです」

「その間に自然に治るのを待つ?」

「はい。神経接続を外し、身体が回復するまで待つ。それが行われていた処置だと思われます」

 

炎症は残ったまま、本人が感じる症状だけを抑える。

回復すれば、また使う。

 

アーサーが顔をしかめた。

 

「それって……治療って言えるんですか」

「少なくとも、身体そのものを治す処置ではありません」

 

メイリンは格納庫で立ち上がったセラを思い出す。

倒れそうだった少女が、薬を飲んだ途端に何事もなかったような顔へ戻った。

 

それが以前から繰り返されていたのだとしたら。

動けなくなれば薬を飲み、症状が消えればまた動く。

治ったかどうかではなく、使えるかどうかだけを見る。

 

「……酷い」

「メイリン」

「だって……それじゃ、セラが痛いかどうかなんて、どうでもいいみたいじゃないですか」

 

誰もすぐには答えなかった。

アーサーは机の小瓶を睨むように見ている。

 

タリアの脳裏に、ネメア側の人間と交わした会話が蘇った。

あの場で語られたのは契約と所有権、そしてL-31としての価値だった。

今、机の上にある小瓶も、その考え方から外れたものには見えない。

 

「……この薬は医療班で管理します」

 

タリアが静かに言う。

 

「本人たちには返さないで。必要な処置はこちらで判断する。2人が求めても、勝手に服用させないこと」

「分かりました」

 

女医が頷く。

メイリンも小さく息を吐いた。

 

机の上には、小さな薬瓶が1本あるだけだった。

それでも、その中に残された錠剤を見ていると、セラがミネルバへ来る以前、どうやって戦い続けてきたのかが少しだけ見えた気がした。

 

タリアは瓶から目を離す。

 

「以上よ。2人の状態に変化があれば、すぐ知らせて」

「はい」

 

話は終わった。

それでも、誰もすぐには席を立たなかった。

 

*****

 

医務室は静かだった。

照明は落とされ、ベッド脇の小さな灯りだけが白い壁を照らしている。

ユアンは椅子へ座り、眠っているセラを見ていた。

目を閉じていれば、ただ眠っているだけに見える。

だが、いつもの白い肌はさらに血の気を失い、僅かに青みがかっていた。

 

枕元には水差しとコップが置かれている。

セラは目を覚ますたびに水を欲しがった。

少し飲んでは眠り、また目を覚まして水を求める。それを何度繰り返したか、ユアンはもう数えていない。

 

毛布の下で、セラの体が小さく震えた。

ユアンは立ち上がり、ずれていた毛布を肩まで掛け直す。

 

「……寒いんですね」

 

少ししてセラの瞼が動いた。

 

「ユアン」

「起きましたか」

「水分を要求します」

「はい。少し待ってください」

 

ユアンがコップへ水を注ぐ。

起きようとするセラの背中へ手を回した。

 

「無理しなくていいです。持ちますから」

「自力で可能です」

「今は俺にやらせてください」

 

セラは一瞬ユアンを見たが、拒否はしなかった。

半分ほど水を飲むと、再び枕へ頭を戻す。

 

「もういいです」

「分かりました」

 

毛布の中で、また小さく震える。

 

「寒いですか?」

「体温感覚に異常があります」

「それを寒いって言うんじゃないですか」

 

いつもの返事だった。

それでも声には少し力がない。

 

ユアンが毛布の端を整えていると、向かい側から声がした。

 

「過剰に気にする必要はない」

 

No.2もベッドにいた。

何度か医務室から出ようとした末、タリアから直接退室禁止を言い渡されている。

 

「薬が切れた反動だ。時間が経てば戻る」

「そう聞いてはいます。でも、だから心配しなくていいとは思えません」

「L-31は回復する」

「セラだけじゃありません。あなたもです」

 

No.2の眉が僅かに動いた。

 

「No.2さんも同じ薬を飲んでいたんですよね」

「そうだ」

「なら、あなたも心配です」

「不要だ」

「そう言われても、なくなるものじゃないと思います」

 

No.2は少しだけユアンを見た。

 

「……妙な奴だな」

「そうかもしれません」

 

ユアンは苦笑し、眠るセラへ視線を戻す。

 

「でも、こんな状態になるのは今回が初めてじゃないんですよね」

「違う」

「前にも?」

「必要なだけだ」

 

必要なだけ。

何回なのかは答えになっていない。

だが、No.2にとってはそれで十分なのだろう。

 

「俺には、普通だとは思えません」

 

ユアンは声を抑えたまま続ける。

 

「動けなくなるまで戦って、薬で症状を抑えて、また動く。それを続けていたら、いつか本当に限界が来ます」

「理解している。L-31もだ」

「……セラも?」

「当然だ」

 

No.2の返事には迷いがなかった。

 

「使えば消耗する。接続を続ければ神経も傷む。薬を常用すれば、身体が耐えなくなる可能性もある」

「そこまで分かっていて、どうして続けるんですか」

 

No.2はユアンを見る。

 

「それがどうした」

「命に関わるんですよ。それでも続けるんですか」

「続ける」

 

ユアンが言葉を失う。

No.2は何でもないことのように続けた。

 

「蝋燭が燃え尽きるのが嫌だから、火を点けないのか」

 

「……蝋燭?」

「火を点ければ短くなる。いずれ燃え尽きる。分かっていても使うだろう」

「それと人間は違います」

「何が違う」

 

ユアンはすぐには答えられなかった。

人間は道具ではない。

使い切るために生まれてくるわけでもない。

 

だがNo.2は、それを知らないわけではない。

自分が壊れることも、その先に死があることも知ったうえで受け入れている。

 

「燃え尽きるのが嫌だから火を点けない、という話じゃないです」

「同じだ」

「違うと思います。火を点けることと、燃え尽きるまで止めないことは別でしょう」

「止める理由などあるのか」

「命が係わるという事は、理由にならないんですか」

「役割を果たせなくなるよりも優先度は低い」

 

ユアンは黙った。

 

それがNo.2の答えだった。

自分の命より、役割が先にある。

 

「L-31も同じだ」

 

ユアンが顔を上げる。

 

「……セラも」

「そうだ」

 

眠っているセラを見る。

水を欲しがり、寒さに震え、毛布の中で小さく丸まっている。

ただ疲れて眠っている少女にしか見えない。

 

その少女が、自分の身体が壊れる可能性を知りながら、それでも戦うことを当然だと思っている。

 

「それで……いいんですか」

 

No.2は答えなかった。

 

しばらくしてセラが小さく身じろぎする。

ユアンは反射的に立ち上がり、毛布から出ていた肩を掛け直した。

 

「ユアン」

「はい」

「水分……」

「分かりました。起きなくていいです」

 

ユアンはコップへ水を注ぎ、セラの上体を少しだけ起こす。

No.2は黙ってその様子を見ていた。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

水を飲み終えたセラは、すぐにまた目を閉じた。

やがて規則的な寝息が戻ってくる。

 

ユアンは空になったコップを置き、椅子へ座った。

No.2との話は終わっていない。

それでも、今は何を言えばいいのか分からなかった。

 

人は蝋燭ではない。

少なくとも、ユアンにはそうとしか思えない。

けれどNo.2もセラも、自分たちをそう扱うことに疑問を持っていなかった。

 

向かいのベッドでは、No.2が目を閉じている。

眠ったのかどうかは分からない。

 

医務室には、空調の低い音だけが残った。

ユアンはセラの枕元に置かれた水差しへ手を伸ばす。

次に目を覚ました時、すぐに飲めるように。

 

ただそれだけをして、もう一度椅子へ座った。

 

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