機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
月面基地ダイダロス、司令部。
会議室の扉が開き、通信士官が足早に入ってきた。
基地司令とオーブ使節団の間には、すでに長い交渉の疲れが残っている。双方とも同じ主張を繰り返し、それでも席を立たずにいた。
「失礼します。緊急報告です。オーブ軍艦隊を捕捉。現在、月宙域をダイダロス方面へ進行中です」
基地司令の眉が動いた。
「……何だと?」
使節団の1人が、思わず隣を見た。
ほんの一瞬だったが、その目には明らかな戸惑いが浮かんでいる。
基地司令はそれを見逃さなかった。
「これは、どういうことですかな」
声を荒らげてはいない。それでも、それまで保たれていた外交的な響きは消えていた。
「我々がここで停戦について協議している最中に、貴国の軍がこちらへ向かっている。説明していただきたい」
使節団の団長は、しばらく基地司令を見返した。
「我々も、艦隊がこの時点で動いたことは知らされておりません」
「それを信じろと?」
「信じていただくために申し上げているのではありません」
団長は静かに返した。
「ですが、オーブとしても、これ以上そちらの時間稼ぎに付き合うつもりはないということでしょう」
「時間稼ぎ?」
「レクイエムです」
短い一言だった。
「我々がここで言葉を重ねている間にも、レクイエムは存在し続けている。照射の準備が進められていないと、我々には確認する術がありません」
「そのために交渉をしている」
「我々も、そのつもりでした」
団長の返答のあと、部屋に沈黙が落ちた。
ザフトから見れば、オーブの和平交渉は艦隊を集めるための時間稼ぎにも見える。
オーブから見れば、ザフトの交渉継続はレクイエムを撃つための時間稼ぎにも見える。
どちらにも、相手の疑念を消すものはなかった。
やがて団長が椅子から立った。他の使節たちも、それに続いて立ち上がる。
「……これ以上、ここでお話しできることはなさそうです」
基地司令は止めなかった。
まだ戦端は開かれていない。オーブ軍は接近しているが、ザフトに対して攻撃を行ったわけではなく、使節団も正式な外交使節としてダイダロスへ入っている。
ザフト兵たちが扉の前から退き、通路を開けた。
使節団は誰も何も言わなかった。
怒りをぶつける者も、基地司令を振り返る者もいない。表情を固めたまま、足早にシャトルポートへ向かっていく。
やがて、彼らを乗せたシャトルが月面を離れた。
窓の向こうで小さくなっていくダイダロスを見ながらも、誰も口を開かない。
ここまで来ても、止めることはできなかった。その無念だけが、重く残っていた。
*****
ダイダロス作戦司令部では、基地司令に代わって副司令が現場の指揮を執っていた。
正面の大型戦術モニターには、月宙域を進む複数の光点が表示されている。現在確認できているのは、戦闘艦8隻と大型輸送艦10隻だった。
「MSの展開は、まだありません」
「搭載数の推定は」
「艦種から見て、およそ150機です」
「進路は」
「ステーション5方面。このままなら、最初に接触するのは同ステーションの防衛部隊です」
副司令は表示を睨んだ。
150機。
決して少ない数ではない。
だが、オーブが本格的にレクイエムを破壊しに来たと考えるには、まだ少なすぎる。
「第6、第7、第8大隊をステーション5へ。防衛配置につかせろ」
「了解。3個大隊、108機を移動させます」
表示上でザフトの部隊記号が動き始める。
敵が推定150機なら、それでも数では劣っている。
しかも中継ステーションは広い月宙域に離れて配置されており、戦闘が始まってから別方面の部隊を呼び寄せても、すぐに間に合うとは限らない。
「防衛隊を前へ出しますか?」
幕僚の問いに、副司令は首を横に振った。
「いや。ステーションから離すな。108機で150機を正面から迎え撃つ必要はない。防衛線を利用して止めろ」
「では増援を?」
「さらに3個大隊を後詰めに回せ。ただしステーション5へは重ねるな。後方で待機させる」
「了解」
新たに108機の表示が動いた。
ダイダロス攻略戦までの損耗を含め、現在この宙域で稼働可能なザフト正規MSは17個大隊、612機。
そのうち6個大隊を、まだ一発も撃っていない相手へ振り向けることになる。
それ以上を動かすには、情報が足りなかった。
「敵が150機だけとは限らん」
副司令の言葉に、幕僚たちが戦術表示へ目を戻す。
「輸送艦が多い。後続がある可能性もある。それに、あれ自体が陽動かもしれない。ステーション5へ目を向けさせ、その間に別働隊をダイダロスへ向かわせる可能性も捨てるな」
「ダイダロスとメサイアの警戒は維持します」
「そうしろ。ここを失えば、中継ステーションをいくつ守っても意味がない」
命令が飛び、各所へ伝達されていく。
ザフト側もまだ撃たない。
オーブ側もまだ撃っていない。
互いの軍が位置を変え、武装を整えながら、戦端だけが開かれない時間が続いた。
その時、通信士官が顔を上げた。
「強力な広域通信を確認!」
「ジャミングか?」
「いえ、違います。オープンチャンネルへ映像通信が入っています」
メインモニターが切り替わった。
そこに映った女性を見て、司令部の空気が変わる。
淡い桃色の髪。穏やかな表情。その顔を見間違える者は、プラントにはほとんどいなかった。
ラクス・クラインだった。
『こちらはエターナル、ラクス・クラインです』
その声はダイダロスだけではなく、ステーション5へ向かう防衛隊や後方の増援部隊、各艦艇、MSにも同じように流れていった。
『中継ステーションを護衛するザフト軍の皆様へ、通告いたします。私たちはこれより、その無用な大量破壊兵器の排除を開始します』
ザクのコクピットで、若い兵士がモニターを見たまま動かなくなった。
ラクス・クライン。
プラントで、その名を知らない者はいない。歌を聞いた者も、かつて彼女の言葉に希望を見いだした者もいる。
その本人が、今は自分たちへ語りかけている。
『レクイエムは、人が守らなければならないものでも、平和のために戦う者が必要とするものでもありません』
ステーション5へ向かっていた部隊の通信が、次第に静かになっていく。
『平和を願い、そのためにその軍服を身につけた誇りが、まだ皆様の中にあるのならば――どうか、道を開けてください』
通信が終わっても、すぐに声は戻らなかった。
「……道を、開けろって」
誰かの呟きが回線へ漏れる。
『俺たちは、レクイエムを守るためにここにいるのか』
『馬鹿、勝手なことを言うな』
返した声にも、先ほどまでの強さはなかった。
自分たちはプラントを守るために軍服を着た。そのつもりで戦い、仲間を失い、それでも命令に従ってここまで来た。
だが今、その自分たちが一撃で都市を消せる兵器を守っている。そのことをラクス・クライン本人から突きつけられていた。
「各機、通信に惑わされるな! 予定通り防衛配置につけ!」
部隊長が叱咤する。
『……了解』
返事は戻った。
しかし、その声に残る迷いまでは消えていない。
ダイダロスの司令部でも、副司令が険しい表情でモニターを見ていた。
兵士だけではなく、士官たちの中にも言葉を失った者がいる。
同じ映像は、メサイアにも届いていた。
デュランダルは席に座ったまま、ラクスの言葉を最後まで聞いていた。周囲では参謀たちが各部隊の状況を確認し、次々に報告を上げている。
「前線部隊の応答速度が低下しています」
「ステーション5防衛隊、一部で命令の復唱に遅れ」
「各艦でも動揺が広がっています」
デュランダルは正面のモニターから目を離した。
「セラは」
「はい?」
「ミネルバへ戻ったのかね」
副官が端末を確認する。
「いえ。現在は格納庫で機体の搭乗口に向かう途中です」
「呼び戻したまえ」
それだけを告げると、デュランダルは再び戦況表示へ視線を戻した。
*****
少し前。
オーブ軍旗艦クサナギの艦橋でも、ザフト軍の動きが捉えられていた。
「ザフト軍、動きます!」
CICのアマギの声に、ソガ一佐が正面の戦術表示へ目を向ける。
「ステーション5方面へMS部隊が移動。確認できる範囲で100機以上。さらに後方にも別部隊の反応があります」
「全艦停止」
「停止、ですか?」
「そうだ。全艦へ通達。現在位置で待機、戦闘態勢はそのまま維持する」
アマギが命令を各艦へ送る。
すぐに返ってきたのは、了解の言葉ばかりではなかった。
『クサナギ、こちら第3艦。このまま停止するのですか!?』
『敵も配置を始めています。ここで前へ出た方が先手を取れます!』
『レクイエムがいつ撃たれるか分からないんですよ。待っている間に照射されたら――』
スカンジナビア王国から派遣された艦からも通信が入る。
『我々も前進を提案する。この兵器を残したまま待機する危険は大きい』
レクイエム。
その名前だけで、回線の声が早くなる。
実際にプラントを焼いた兵器であり、次の照準がオーブへ向かない保証などない。一刻も早く破壊したいという思いは、ソガにも理解できた。
だからこそ、今は進めなかった。
「全艦に繋げ」
「はい」
アマギが艦隊回線を開く。
「こちらクサナギ、ソガだ。各艦、そのまま聞け」
それまで重なっていた声が、次第に静まった。
「急ぐ気持ちは分かる。レクイエムがいつ撃たれるか分からない。それも承知している」
ソガは戦術表示を見る。
こちらはまだ揃っていない。
ザフト側には、それを上回る戦力がある。
「だが、我々は負けてもよい戦いに来たのではない。今ここにいる戦力だけで敵へ突っ込めば、まず我々が潰される。その後に増援が到着したところで、今度はそいつらが同じ敵と戦うことになる」
誰も割り込まなかった。
「それでは増援ではない。ただ順番に戦力を差し出しているだけだ」
後続部隊の反応は、戦術表示の外縁から少しずつ近づいている。
「敵はこちらより多い。それは変わらん。ならば、せめてこちらから戦力を分けるような真似はするな」
『しかし、間に合わなければ――』
「だからこそ、勝つ」
ソガは声を荒らげることなく遮った。
「焦って負ければレクイエムは残る。我々も失う。何一つ止められん。後続を待つ。全艦、現位置で停止。敵から攻撃を受けるまで戦端は開くな」
数秒の沈黙のあと、各艦から返答が戻ってきた。
『……第3艦、了解』
『第4艦、了解』
『スカンジナビア第2戦隊、了解した』
ソガは小さく息を吐いた。
「警戒を怠るな。ここから先は、1つの判断ミスで全部終わるぞ」
その時、アマギが新たな通信を捉えた。
「オープンチャンネルに広域通信。映像、入ります」
モニターが切り替わり、ラクス・クラインの姿が映し出された。
艦橋が静かになる。
レクイエムを止めること。
大量破壊兵器を守る必要はないこと。
平和のために軍服を着たのなら、道を開いてほしいということ。
ソガは最後まで何も言わずに聞いた。
そして通信の終わり際、画面の中にいるラクスへ向けて、静かに右手を上げた。
敬礼だった。
*****
ラクス・クラインの放送が終わっても、ザフト側に広がった動揺は収まらなかった。
ステーション5へ向かう部隊は動いている。
命令違反も起きていない。
それでも、通信に飛び交う声は明らかに減っていた。
『本当に、これを守るのかよ』
『ラクス様が、あそこまで言うなんて……』
『でもオーブを信用できるのか?』
『だったら、何を信じればいいんだ』
答えは返らなかった。
ザフトには、今や安心して背中を預けられる同盟国と呼べる存在もない。
オーブは敵国と認定され、スカンジナビアも同じ立場に置かれている。それでも、そのオーブ側に立つようにしてラクス・クラインが自分たちへ呼びかけてきた。
デュランダル議長を信じるのか。
ラクス・クラインを信じるのか。
それとも、目の前へ来たオーブ軍をただ敵として撃つのか。
兵士たちは迷いながらも、命令に従って進んでいた。
「全機、隊列を維持しろ! 持ち場を離れるな!」
部隊長が繰り返す。
『了解』
返事はある。
だが、弱い。
その時、もう一つの広域通信が入った。
「新たな通信を確認!」
各機のモニターが切り替わる。
最初に映ったのは、デュランダルだった。
ざわめきが走る。
だが、議長は何も言わない。
その傍らには、パイロットスーツを身につけた小柄な少女が立っていた。
少女はカメラの前でヘルメットを外し、続いてバイザーを上げる。
淡い桜色の髪が現れ、その顔がはっきりと映し出された瞬間、各所から戸惑いの声が漏れた。
つい先ほどまで映っていたラクス・クラインと、あまりにもよく似ていた。
『……ラクス様?』
『いや、違う。もっと若い……』
セラは周囲の反応を待たなかった。
表情はほとんど動かず、声にも演説らしい抑揚はない。
『私は識別番号L-31。識別名称はセラ。現在、とある事情によりミネルバに所属しています』
戸惑う兵士たちへ向け、セラは同じ調子で続ける。
『私はラクス・クラインと同じ遺伝子を持つクローンです。しかし、私はラクス・クラインとは違い、皆さんの戦いを直接見てきました』
ザフト側だけではない。
通信を受けているオーブ艦隊でも、その言葉に反応して声が上がっている。
『私は戦場で戦う人たちを見ました。そして、戦いによって傷ついた人たちも、多く見てきました』
淡々とした声だった。
怒りも悲しみも感じさせない。
だからこそ、その言葉だけが通信の中へ残っていく。
『私は、デュランダル議長の言葉がすべて正しいとは思っていません』
ザフト側に、再びざわめきが走った。
メサイアでも参謀の1人がわずかにデュランダルを見る。
だがデュランダルは口を挟まず、セラの横で正面を見ていた。
『しかし、地球連合から突然の宣戦布告を受け、プラントが混乱に直面した時、事態を収拾するため、咄嗟にラクス・クラインの替え玉を用意し、その混乱を鎮めたのはデュランダル議長です』
今度のざわめきは、それまでより大きかった。
『替え玉……?』
『じゃあ、あの時のラクス様は……』
声が交錯する。
事情を知らなかったザフト兵たちだけではない。
オーブ側でも、モニターを見つめたまま言葉を失う者がいた。
それでもセラは止まらない。
『デュランダル議長は、戦争の根源であるロゴスの存在を突き止めました。そして、その存在を世界へ明らかにし、戦いを終わらせようと今も行動しています』
セラの言葉を聞くうちに、兵士たちの視線が再び画面へ集まり始める。
『それを可能にしたのは、皆さんの奮戦と、プラントで銃後を守る人々がいたからだと評価します』
前線のザクで、操縦桿を握っていた兵士が顔を上げた。
つい先ほどラクスから、自分たちの誇りを問われたばかりだった。
今度は、同じ顔を持つ少女が、その自分たちの戦いを認めている。
セラは変わらない声で続けた。
『戦争を終わらせようと戦ってきたデュランダル議長と皆さんが、これまで
その言葉にも熱はない。
誰かを煽ろうとする強さも、怒りを押しつける響きもなかった。
ただ、そう評価したという事実だけを読み上げるように続いていく。
『しかし私は、先ほどの言葉を、我々が流してきた血と涙を踏みにじる挑発と評価しました』
前線の通信から、雑音のように漏れていた声が少しずつ消えていく。
セラは真っ直ぐカメラを見た。
『ラクス・クライン』
オーブ側でも、ザフト側でも、その呼びかけに声を挟む者はいなかった。
『あなたは私のオリジナル個体です。しかし、理想だけで
そこで映像は切れた。
暗くなったモニターを前に、ザフト兵たちはすぐには動かなかった。
ラクスと同じ顔を持つ少女が現れ、自分がクローンであることを明かし、議長が替え玉を用意していたことまで口にした。
理解の追いつかない情報はいくつも残っている。
それでも、直前まで自分たちの中にあった迷いとは別の感情が、前線へ戻り始めていた。
最初に声が上がったのは、ステーション5へ向かう部隊だった。
『……俺たちの戦いまで、間違いだったわけじゃない』
『そうだ。俺たちはプラントを守るために戦ってきた』
それを皮切りに、通信の数が増えていく。
「第6大隊、隊列を修正! 遅れている機体は前へ詰めろ!」
『了解!』
「第7大隊、ステーション5到着後ただちに防衛線を構築!」
『了解!』
返事に力が戻っていた。
やがて、いくつもの回線から声が上がる。
一つ一つは別々の言葉だったが、それまで沈み込んでいた部隊が再び動き始めたことだけは、誰の目にも明らかだった。
ダイダロス作戦司令部でも、報告が次々に飛び込んでくる。
「前線部隊、応答回復!」
「ステーション5防衛隊、予定配置へ移行しています!」
「後詰め部隊も速度を回復!」
副司令は戦術表示を見ながら、大きく息を吐いた。
メサイアでも、参謀たちが同じ変化を確認していた。
「各部隊、士気の回復を確認」
「命令系統も正常化しつつあります」
「ステーション5方面、防衛配置を継続しています」
デュランダルは、再び動き始めた部隊表示を静かに見つめていた。
先ほどまでラクスの言葉に揺れていた兵士たちは持ち場へ戻り、ステーション5の防衛線も形を取り戻しつつある。
少なくとも、その時は成功したように見えた。
セラが口にした言葉が、この先ザフトの中で別の混乱を生み出すことになるとは、デュランダル自身もまだ気づいていなかった。