機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
タンホイザーの暴発による衝撃は、ミネルバの艦首だけでは収まらなかった。
艦体を伝った振動と爆発は各区画へ広がり、特に砲身に近い格納庫では天井材が崩れ、整備機材やコンテナが固定具を引き千切って床へ散乱していた。
非常灯だけが残った薄暗い空間には警報が鳴り続け、負傷者を呼ぶ声と救助を求める声が幾重にも重なっていた。
「医療班! こっちにもいる!」
「担架が足りない! 動ける奴は手を貸せ!」
「第3隔壁の向こうはどうなってる!」
「応答なし! 通信も死んでる!」
整備員たちは倒れた仲間を引きずり、まだ使える通路へ次々と運んでいく。
自力で歩ける者は肩を貸し合い、負傷の軽い者が重傷者を支えていたが、その中には呼びかけに応じないまま床へ横たわるクルーもいた。
いつもならMSを囲んで工具を手にしている者たちが、今は一人でも多く格納庫から送り出すために走り回っていた。
その一角では、ヴィーノが崩れた整備足場の前で膝をついていた。
額から流れた血は頬を伝って右目の横まで染めていたものの、その視線は自分の傷ではなく、目の前に積み重なった瓦礫へ向いている。
「ヨウラン! 聞こえてるか!」
「聞こえてるって……そんなでかい声出すな」
瓦礫の隙間から返事が聞こえ、ヴィーノはさらに身体を寄せた。
ヨウランは腰から上だけを出し、左脚を太い鋼材と崩れた外装板の下へ挟まれている。
「今どかす! ちょっと待ってろ!」
「待てって! お前、その頭どうしたんだよ!」
「今はそんなの関係ないだろ!」
ヴィーノは両手を瓦礫の縁へ掛け、腰を落として持ち上げようとした。
しかし、その上には別の機材まで崩れ込んでおり、腕と肩へ力を込めても鋼材はわずかに軋むだけで動かない。
それでもヴィーノは手を離さず、もう一度全身へ力を込めた。
「くそっ……!」
傷口から新しい血が流れ、腕が震え始める。
その時、格納庫の奥から聞こえていた空気の流れる音が急に強まり、床へ散らばった工具や紙片が同じ方向へ動き始めた。
「気密低下! 第4区画、空気漏れ拡大!」
「隔壁閉鎖まで3分! 残ってる奴を急がせろ!」
天井の表示灯が赤く点滅し、新たな警報が重なる。
ヨウランはその光を見上げたあと、まだ瓦礫へしがみついているヴィーノへ視線を戻した。
「ヴィーノ」
「黙ってろ……! 今どかせるから!」
「俺の脚、もう潰れてる」
「……は?」
「感覚ないんだよ。たぶん駄目だ」
ヴィーノの腕から一瞬だけ力が抜けた。
ヨウランは苦しそうに息を吐きながらも、いつものように軽く言うつもりなのか、わずかに口元を歪める。
「隔壁閉まるぞ。お前まで残ってどうすんだ」
「ふざけんな」
「本当だって」
「だったら余計に置いていけるかよ!」
ヴィーノは再び瓦礫へ手を掛けた。
人の力では持ち上がらないと分かっていても、手を離せばそのままヨウランを置いていくことになる。
「馬鹿かお前! 行けって!」
「うるさい!」
「ヴィーノ!」
「お前1人置いて逃げたら、あとで何言われると思ってんだよ!」
「誰にだよ!」
「俺が俺にだよ!」
その声に重なるように近くで爆発が起こり、格納庫全体が大きく揺れた。
天井から細かな破片が降り注いだため、ヴィーノは反射的にヨウランへ覆い被さり、落下物から庇う。
「お前まで潰れたら笑えねえぞ」
「その口閉じろ!」
減圧はさらに進み、ヴィーノの作業着まで破損部へ引かれ始めていた。
このままでは瓦礫を動かす前に隔壁が閉じると思われた時、散乱した部材を踏み越える重い機械音が2人へ近づいてきた。
「退いてください!」
ヴィーノが振り向くと、小型のワーカーマシンが瓦礫を押し退けながら進んでくる。
操縦席にはユアンがおり、2人の位置を確認すると機体を崩れた足場の横へ寄せた。
「ユアン!?」
「俺が持ち上げます! ヴィーノさんはヨウランさんをお願いします!」
作業用アームが瓦礫の下へ差し込まれ、油圧機構が低く唸る。
先ほどまでヴィーノがどれほど力を込めても動かなかった鋼材が、今度はゆっくりと持ち上がっていった。
「今です!」
「ヨウラン、出ろ!」
ヴィーノが両腕を掴み、そのまま身体を引く。
ヨウランは痛みに顔を歪めたが、瓦礫との隙間が広がるにつれて左脚も少しずつ抜けていった。
「痛っ! 待て、引っ張るな!」
「脚潰れてんだろ! 我慢しろ!」
「いや、それは――」
最後に強く引いたところでヨウランの脚が瓦礫の下から抜け、ヴィーノは勢いのままその身体を抱えるように後ろへ倒れ込んだ。
ユアンは2人が十分に離れたことを確かめてからアームを戻し、支えを失った鋼材は再び床へ落ちて、先ほどまでヨウランの脚があった場所を押し潰した。
「隔壁閉鎖まで2分!」
放送が格納庫内へ響く。
ユアンはワーカーマシンを停止させると操縦席から飛び降り、まだ座り込んでいる2人へ駆け寄った。
「急いでください! 隔壁が閉まります!」
「分かってる!」
ヴィーノはヨウランの腕を肩へ回して立たせ、そのまま走り出そうとした。
すると、ヨウランの左脚が自分で床を蹴ったのが見え、ヴィーノは思わず足を止めた。
「……おい」
「何だよ」
「お前、脚動いてるじゃねえか」
「動いてるな」
「潰れてるって言ったよな!?」
「そうでも言わなきゃ、お前逃げないだろ!」
「この野郎!」
ヨウランの作業着は膝下まで裂け、血も滲んでいたため、まともに走れる状態ではない。
それでも脚そのものは残っており、右脚へ体重を寄せればどうにか前へ進むことはできた。
「あとで覚えてろよ!」
「生きて出られたら聞いてやるよ!」
「2人とも、喧嘩はあとにしてくださいよ!」
ユアンも隣へ並び、3人は避難通路へ向かって走り出した。
その途中にも何台もの担架とすれ違い、顔を押さえた整備員や腕を固定されたクルー、誰かに肩を借りなければ歩けない者たちが次々と運ばれていく。
中にはレギナントを囲み、セラと何度も言葉を交わしていた顔もあった。
「まだ奥に2人いる!」
「俺、戻る!」
「駄目だ、隔壁が閉まる!」
声を聞いたヴィーノが足を止めかけたため、ユアンがすぐにその腕を掴んだ。
「ヴィーノさん、ここは救助班に任せて行きましょう!」
「でも!」
「今戻ったら、ヴィーノさんまで逃げられなくなります!」
警告灯の点滅はさらに速くなっている。
ヴィーノは奥を振り返ったものの、ヨウランを支える腕へ力を入れ直し、ユアンとともに再び避難区画へ向かった。
3人が区画へ飛び込んだ直後、背後で分厚い隔壁が閉まり始めた。
最後のクルーが隙間を滑り抜けると鋼鉄の扉は完全に閉じ、その向こうから何かが激しくぶつかる衝撃だけが伝わってくる。
ヴィーノは壁へ背中を預け、そのまま床へ座り込んだ。
隣ではヨウランも息を切らしながら脚を伸ばし、少し離れた場所ではユアンが膝へ手をついて荒い呼吸を整えている。
「……ヨウラン」
「何だよ」
「やっぱりあとで殴る」
「頭怪我してる奴が無理すんなよ」
「誰のせいだと思ってんだ!」
2人の言い合いのすぐ横を、またひとつ担架が通り過ぎていく。
そして格納庫が隔壁の向こうへ切り離されたあとも、ミネルバ艦内の警報は鳴り止まなかった。
---
ミネルバの艦首から炎が噴き上がった瞬間、レギナントの動きが完全に止まった。
セラはアークエンジェルの目の前にいることさえ忘れたように、黒煙と火花を噴き出すミネルバだけを見つめている。
砲撃を受ければ回避する余裕もない距離だったが、レギナントは防御姿勢すら取らなかった。
やがてセラの口から、小さな声が漏れる。
「……ミネルバ」
次の瞬間、レギナントは弾かれたように反転した。
推進器が一斉に火を噴き、アークエンジェルへ背を向けたままミネルバへ向かって加速していく。
セラは一度も振り返らず、その視線も黒煙を上げる艦から離れなかった。
一方、アークエンジェルの艦橋では停止していた表示が次々と復帰し、各部署から報告が重なっていた。
「主電源、安定しました!」
「センサー系、復旧! 火器管制もオンラインへ戻ります!」
「主砲、副砲、各砲座、いつでも撃てます!」
マリューは正面モニターへ目を向ける。
ミネルバは艦首から黒煙を噴き、先ほどまで続いていた砲撃も完全に途絶えていたうえ、アークエンジェルを追い詰めていたレギナントも戦域から離れようとしていた。
「艦長、照準できます」
今ならミネルバへ砲撃を通せる。
マリューはその状態を確認したあと、正面ではなく別の表示へ視線を移した。
「アカツキの位置は?」
「確認しています。機体反応あり、パイロットの生命反応もあります!」
「回収を急いで。収容後、反転します」
「ミネルバは?」
「エターナルの救援を優先します」
マリューの判断を受け、ノイマンはすぐに操艦へ入った。
アークエンジェルはミネルバへ砲口を向けることなく進路を変え、まずは漂流するアカツキの回収へ向かった。
---
損傷したミネルバの近くでは、ブラストインパルスがストライクフリーダムの進路へ割り込んでいた。
ルナマリアの背後にあるミネルバは自力で退くこともできず、艦首から黒煙を上げたまま砲撃を止めている。
ここを抜かれれば、フリーダムはそのまま動けないミネルバへ向かう。
そのためルナマリアはケルベロスの照準を正面へ合わせ、白い機体の動きをじっと見た。
真正面から来るならケルベロスで止める。
横へ逃げるなら、その回避先へレール砲を重ねればいい。
「くっ……! こっちに来るんじゃないわよ!」
ケルベロスが火を噴き、太いビームがフリーダムの正面を塞いだ。
すると白い機体が左へ進路を変えたため、ルナマリアは待っていたようにレール砲を撃ち、その回避先へ砲弾を送り込む。
しかし、フリーダムはさらに機体を沈めて弾道の下へ潜り込み、そのまま低い位置から速度を上げた。
ルナマリアはすぐに機体を振って照準を追わせ、今度はケルベロスを横へ薙ぐように撃つことで、ビームそのものを壁にして進路を上方へ押し上げる。
狙い通りフリーダムが上へ動いた。
そこへレール砲を向け、先回りするように撃ち続けると、2つの弾道が白い機体の行く先を左右から挟み込んでいく。
このままなら捕まえられる。
そう感じたところで、フリーダムはさらに推力を上げた。
左右へ逃げれば砲弾へ飛び込む状況で、キラは後退するのではなく、その射線が閉じる前に内側へ飛び込んできた。
ルナマリアが作った包囲そのものを抜け、そのままインパルスへ向かって一気に間合いを詰めてくる。
「っ!」
ルナマリアはケルベロスを振り上げて迎撃しようとしたが、すでにフリーダムの右手にはビームサーベルがあった。
砲身を向け直すより早く青白い刃が振り下ろされたため、インパルスを後退させて直撃を避けようとする。
「きゃあっ!」
斬撃は胴体ではなく右手首を捉え、切断された右手が回転しながら宇宙へ飛んでいった。
衝撃で機体が傾いたものの、ルナマリアはすぐに残った左手で姿勢を戻し、スラスターを噴かして距離を開こうとする。
砲戦装備のインパルスで、この間合いに留まるのは不利だった。
一度距離を取れれば、まだ撃てる武器は残っている。
その思惑を見透かしたように、フリーダムは追いすがるのではなくインパルスの横を一度すり抜けた。
白い機体の方から距離を取ったように見えたため、ルナマリアは機体を立て直そうとしたが、直後に左手のビームライフルがこちらへ向く。
銃口が狙っているのはコクピットではなかった。
ルナマリアがその先にあるものへ気づいた時には、一条のビームが背部推進器へ突き刺さっていた。
「しまった! 推進器!?」
背中から爆発がインパルスを突き上げ、機体は制御を失いながら前へ押し出された。
推力表示は一気に落ち、操縦桿を倒しても先ほどまでのような加速が戻ってこない。
そしてモニターの向こうでは、フリーダムがすでに反転していた。
右手のビームサーベルを構えたまま、動きを失ったインパルスへ再び近づいてくる。
右手を奪われ、次には推進器を潰された。
ならば今度はどこを狙うのかと考えた瞬間、ルナマリアの中へ初めて明確な恐怖が入り込んだ。
使えるものが一つずつ消えていく。
何とかしなければならないのに、選べる手段だけが急速に減っていた。
それでも残された姿勢制御スラスターを噴かし、インパルスの機体を少しでも横へ向けようとする。
逃げ切れるとは考えていなかったが、次の斬撃を外すことができれば、その先にもう一度撃つ機会があるかもしれない。
そんな時、ルナマリアの脳裏にシンの顔が浮かんだ。
いつもならこういう時に無茶をして飛び込み、怒鳴りながらこちらの窮地へ割って入ってくる、馬鹿で単純で、それでも頼りになる仲間の顔だった。
しかし、今ここにシンはいない。
正面から迫るフリーダムがビームサーベルを振り上げる。
ルナマリアは残っている左腕を引き、せめて斬撃を外そうと機体を捻った。
青白い刃が振り下ろされた。
その瞬間、視界の横から白い巨体が飛び込んできた。
「セラ!?」
レギナントがインパルスの前へ割り込み、そのままフリーダムの斬撃を受けた。
ビームサーベルが右肩へ食い込むと白鏡層が激しく発光し、刃の周囲で光が爆ぜる。
それでも斬撃の勢いは消えず、青白い刃は右肩から胸部を斜めに走り、そのまま腰部ユニットまで巨大な焼痕を刻んだ。
白い装甲が焼けながら吹き飛び、内部から大量の火花が噴き出すと、レギナントの巨体は斬撃に押されて大きく流される。
ルナマリアは自分へ振り下ろされたはずの刃が、目の前でレギナントを肩から腰まで切り裂いていく光景を見ていた。
一瞬、何が起きたのか理解できず、そのあとでようやく声が出る。
「セラ!」
レギナントから返事はない。
ルナマリアはもう一度名前を呼んだが、白い機体は傷口から火花を散らしたまま傾いていった。
「セラ! 返事して!」
一方、フリーダムのコクピットでも、キラは大きく目を見開いていた。
右肩から腰まで続く深い傷と、飛び散っていく白い装甲がモニターを埋め、ビームサーベルを通して斬り込んだ手応えまで伝わっている。
「……っ」
あの深さならコクピットまで届いたかもしれない。
まさか殺してしまったのかと考えた瞬間、傾いていたレギナントの推進器が一斉に噴いた。
白い巨体が再び姿勢を戻し、フリーダムへ正面を向ける。
キラは一瞬だけ息を呑んだが、今までとは違う動きを見せるレギナントを前にすると、混乱を押し込むように操縦桿を握り直してビームサーベルを構えた。
レギナントのコクピットでは、右肩、胸部、腰部の損傷を告げる警告表示が次々と視界を赤く染めていた。
しかしセラの目は警告へ向かわず、その向こうにいるフリーダムを見据えたままだった。
背後ではミネルバが黒煙を上げている。
そして通信からは、何度も自分の名前を呼ぶルナの声が聞こえていた。
「セラ! 聞こえてる!? セラ!」
いつもなら、まず機体状態を確認する。
次に戦況を整理し、残された戦力と敵の位置を比較してから、最も効率の良い行動を選ぶ。
けれど今は、その順番が頭の中から消えていた。
ミネルバが失われるかもしれない。
ルナも、メイリンも、艦の中にいる者たちも、今まで当たり前のようにそこにいた人たちがいなくなるかもしれない。
その想像を受け入れようとした時、胸の奥から強い拒絶が込み上げた。
それを何と呼べばいいのかセラにはまだ分からなかったが、それでも一つだけ明確だった。
失いたくない。
操縦桿を握る手へ力が入る。
そしてレギナントがフリーダムへ向き直った時、セラの口から出た声は、それまで誰も聞いたことのないものだった。
「
気炎を上げるような叫びが通信へ叩きつけられ、ルナマリアは目を見開いた。
ミネルバのブリッジでもその声を聞いたメイリンが顔を上げ、一瞬遅れて手元の表示へ視線を戻す。
「……セラ?」
レギナントの状態を示す数値が急速に変化していた。
「レギナントの生体電池、消耗率上昇! これ……さっきまでと全然違う! 艦長!」
タリアは艦内の損傷報告が並ぶ表示から顔を上げ、レギナントのデータをメインモニターへ回させた。
「レギナントの状態を回して」
「はい!」
表示の横では、ミネルバ自身の状態も赤く染まっている。
メインエンジンは完全に停止し、残された補助推進器だけでは戦域から離脱できるほどの推力を出せなかった。
それでも、艦の向きを変えることはできる。
タリアはレギナントの表示をしばらく見つめたあと、操艦席へ視線を向けた。
「操艦、補助推進器を使用。艦首をレギナントへ向けて」
「艦首を……レギナントへ?」
「急いで」
「は、はい! 面舵30、仰角ー25!」
アーサーの指示を受けて補助推進器が噴射し、動きを止めていたミネルバがゆっくりと回頭を始める。
その艦首は、戦場でフリーダムと向かい合うレギナントへ向かっていた。