機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
控室へ入ってきたラクスを前に、シンたちは僅かに戸惑っていた。
プラントでその顔を知らない者はほとんどいない。歌姫としてだけではなく、かつて戦争を終わらせるために動いた人物としても、その名は広く知られている。
ルナマリアとレイが姿勢を正すのにつられ、シンも反射的に敬礼した。
ただ、その視線だけは他の2人より鋭かった。
まるで睨むように彼女をを見る。
ラクス本人を憎んでいるわけではない。
だが、彼女が自分たちと対峙してきた側にいることも事実だった。アークエンジェルも、フリーダムも、何度もミネルバの前へ現れ、戦場へ割り込んできた。
ラクスは3人の敬礼に少し驚いたあと、穏やかに一礼した。
その横でアスランがシンを見る。
視線が合った。
何も言われてはいない。それでも、わずかに細められた目が何を言いたいのかは分かった。
そんな目をするな。
シンも眉を動かし、小さく視線を逸らす。
分かってますよ。
声に出せば、たぶんそんな返事になっていた。
そのやり取りに気づいたルナマリアが、横からシンを見て小さく息を吐く。
だが、今のシンにはラクス以上に気になる相手がいた。
ラクスを護衛するように隣に立つ青年。
柔らかそうな茶色の髪に、険しさのない顔立ち。先ほどまで戦場で見ていた白いMSとは、どうしても印象が重ならない。
シンが何度も剣を向けてきた機体。
ミネルバの前に現れ、作戦へ割り込み、時には真正面から自分と戦ったフリーダム。
そのパイロットが誰なのか、シンはまだ名前を知らなかった。
視線に気づいたのか、キラもこちらを見る。
互いに数秒、言葉が出なかった。
「……もしかして」
先に口を開いたのはルナマリアだった。
「あなたが、フリーダムのパイロットなんですか?」
キラは少しだけ目を見開き、それから頷いた。
「うん。僕が乗ってる」
シンの表情がさらに固くなる。
戦場で何度も聞いた声だった。怒鳴り声や短い通信ばかりだったせいか、こうして目の前で聞くと妙に穏やかに感じる。
キラはそんなシンを見て、少し迷ったあと手を差し出した。
「キラ・ヤマトです」
差し出された手を、シンはしばらく見つめた。
つい先ほどまでなら、互いにMSで銃を向けていた。
もっと前には、本気で撃墜しようとしたこともある。目の前の青年も、自分に向かって何度も引き金を引いた。
その手が今は、何の武器も持たずに差し出されている。
「……シン・アスカです」
気づけば握り返していた。
キラの手から伝わってくるのは、ごく普通の人間の感触だけだった。
シンが想像していたような威圧感もなければ、戦場で感じた圧倒的なものもない。
「君がシンなんだね」
「俺のこと、知ってるんですか」
「アスランから聞いてる」
シンの視線が隣へ動いた。
「アスランさん……」
「何だ」
「いや、別に」
握手を終えても、シンの方はまだどこか落ち着かなかった。
キラもそれ以上踏み込まず、僅かに笑って手を下ろす。
その様子を、ラクスは嬉しそうに見ていた。
やがて視線がシン達から離れ、控室の奥へ向かう。
そこにはメイリンの隣に立つセラがいた。
ラクスの表情が少し柔らかくなる。
だが、彼女がセラへ近づくより早く動いた者たちがいた。
部屋の一角で待機していた4人の少女が、一斉にラクスの前へ集まってくる。
「え……」
さすがのラクスも足を止める。
4人ともまだ幼い。
体格にも僅かな差はあるが、顔立ちや声にはどこか共通したものがあり、そのすべてにラクス自身を思わせる要素が混じっている。
先頭にいたL-272が、一歩前へ出た。
じっとラクスの顔を見上げる。
「貴女が、オリジナルですか」
あまりに真っ直ぐな問いに、ラクスは一瞬だけ言葉を失った。
「……オリジナル、というのがわたくしのことでしたら」
「はい」
「ラクス・クラインは、わたくしですわ」
4人の少女が同時に小さく息を吐いた。
「確認しました」
「本人です」
「音声も一致しています」
「外見差分も許容範囲です」
次々に返ってくる言葉に、今度はラクスの方が戸惑う。
キラもどう反応したものか分からず、アスランは4人を見ながら僅かに眉を寄せていた。
ラクスは助けを求めるようにセラへ視線を向ける。
「セラ。この方たちは……」
「Lシリーズです」
4人の後ろから、セラが静かに答える。
「研究所では、ラクス・クラインを再現することも課題の1つでした。容姿、発声、行動を基準個体へ近づけます」
「わたくしを……」
「達成個体はありません」
あっさりと続けられ、ラクスが瞬きをする。
「現在、その課題は廃止されています。戦闘適性のみが運用されています」
「そう、ですか……」
セラの声に変化はない。
L-272たちも、それを特別なこととして聞いている様子はなかった。
ラクスはしばらく4人を見つめた。
やがて表情を整えると、改めて少女たちへ向き直る。
「では、改めまして。ラクス・クラインです」
「確認済みです」
「ええ。ですが、こうしてご挨拶するのは初めてでしょう?」
L-272が少し考えるように首を傾ける。
「はい」
「でしたら、よろしくお願いいたしますわ」
ラクスが笑う。
その瞬間、4人の空気が僅かに変わった。
「質問があります」
「わたくしに?」
「はい」
L-272の隣にいた少女がすぐに口を開く。
「今回の作戦は、戦力差を考慮すると無謀ではありませんでしたか」
ラクスの笑顔が僅かに固まった。
「……随分と難しいことを聞きますのね」
「回答可能ですか」
「ええ」
答え始めるより先に、別の少女が続く。
「ダイダロスで行った降伏勧告は有効でした。事前に想定していた効果ですか」
「フリーダムのパイロットには、精神的に不安定な要素が多すぎませんか」
「えっ」
最後の質問だけは、キラが思わず声を上げた。
L-272たちの視線が一斉にキラへ向く。
ほんの数秒観察したあと、またラクスへ戻った。
「戦闘時の行動に感情的変動が多く確認されます」
「それは……」
「ラクス?」
キラが困ったように名前を呼ぶ。
ラクスは口元へ手を添え、僅かに笑った。
「戦場では、誰でも迷うことはありますわ」
「回答が抽象的です」
「えっと……そういうこともあります」
納得したのかしていないのか分からないまま、少女たちは小さく頷いた。
質問はそれで終わらなかった。
作戦目標と被害の釣り合い。
降伏勧告を行う時期。
敵軍兵士へ呼びかける際の言葉の選び方。
戦闘を止めるために、どこまで危険を受け入れるべきなのか。
ラクスは1つずつ答えていったが、途中から不思議な感覚を覚えていた。
目の前にいるのは、自分よりずっと幼く見える少女たちだ。
だというのに、出てくるのは戦場や作戦についての問いばかりだった。
自分が彼女たちほどの年頃だった時、こんなことを考えていただろうか。
答えはすぐに出た。
なにも、考えてはいなかった。
「理解しました」
L-272が頷く。
それから突然、他の3人へ身体を向けた。
「比較を実施します」
「……何をですの?」
ラクスが問い返した時には、もう遅かった。
L-272が小さく息を吸い、旋律を口ずさみ始める。
――冷たい闇の中、ひとり眠る誰かへ語りかけるような、静かな祈りの旋律だった。
――人気のない寂しい野に小さな灯がともり、それが遠い未来への約束を照らしていく。
――いつか夜が明け、世界が緑の朝を迎えることを信じるように、幼い声は優しく歌っていた。
その場にいた全員の視線が集まった。
声質だけを聞けば、驚くほどラクスに近い。
ただし本人より幼く、表情も仕草もどこか大きい。両手を胸の前で組み、楽しげに身体を揺らす姿は、まるで幼いラクスが無邪気にはしゃいでいるようにも見えた。
歌い終えると、L-272は少し得意そうに3人を見る。
「再現率は高いと判断します」
「似ていません」
「似ていません」
「差異があります」
即座に否定された。
「どこが違いますか」
「語尾の伸ばし方」
「呼吸位置が0.4秒遅いです」
「右手の角度が違います」
「誤差範囲です」
「違います」
真剣な顔で言い争い始める4人を前に、ラクスは何も言えなくなった。
キラは口元を押さえ、アスランは頭痛でもするように額へ手を当てている。
「では、修正します」
今度は別の少女が前へ出た。
姿勢を整え、穏やかな笑顔を作る。
「わたくしは、ラクス・クラインです」
4人が一斉に観察する。
「視線が高いです」
「笑顔が0.2秒早い」
「発音は近いです」
次の少女が入れ替わる。
「想いだけでも、力だけでも駄目なのです」
ラクスの頬に、僅かに赤みが差した。
「似ています」
「声量が少し高いです」
「許容範囲です」
さらにもう1人が前へ出る。
大きく息を吸い込み、勢いよく腕を振った。
「左舷、弾幕薄いよ!何やってんの!?」
「え? だ、誰!?」
「抑揚が強すぎます」
「姿勢も違います」
「感情表現が過剰です」
「再実施を推奨します」
真顔で評価が続いていく。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
とうとうメイリンが声を上げた。
目の前で繰り広げられる光景についていけず、L-272たちとセラを何度も見比べる。
「セラも、前はこういうことしてたの?」
「していません」
「即答なんだ……」
ルナマリアが肩を震わせている。
シンも最初は呆然としていたが、とうとう耐えきれずに顔を背けた。
イザークは眉間を押さえ、ディアッカだけが面白そうに眺めていた。
「なかなか似てるじゃないか」
「どこがだ!」
「お前、分かるのか?」
「分からん!」
再びイザークの声が部屋へ響く。
ラクスは恥ずかしそうに頬へ手を添えながら、それでも4人を止めようとはしなかった。
自分の声や仕草を真似されることには困っているようだったが、少女たちが楽しそうに続けていることまで否定する気にはなれないらしい。
やがて廊下側から一人の兵士が現れ、会談の準備ができたという声が届いた。
ラクスは名残惜しそうに4人を見る。
「申し訳ありません。そろそろ行かなければなりませんわ」
「質問は残っています」
「また機会がありましたら、その時に」
「次回、回答を要請します」
「ええ。お約束します」
L-272が満足したように頷く。
ラクスは最後にセラへ目を向けた。
セラも彼女を見ている。
何かを言うかと思ったが、どちらもすぐには口を開かなかった。
「では、行ってまいります」
ラクスが静かに告げる。
キラとアスランもその後に続き、ヒルダたち護衛とともに控室を出ていった。
扉が閉じる。
L-272たちは、しばらくその扉を見つめていた。
「行きました」
「質問が3件残っています」
「次回、回答予定です」
「記録します」
どこか残念そうな声を残しながら、4人は自分たちに割り当てられた待機スペースへ戻っていく。
メイリンはその後ろ姿を見送り、すぐ隣のセラを見る。
もう一度、遠ざかる4人を見る。
そして、またセラを見る。
「……はい」
「え? あ……何でもないよ」
セラにも分かる何でもない顔。だがそれ以上聞かなかった。
張り詰めていた空気がようやく緩み、シンは近くの椅子へ深く腰を下ろした。
ルナマリアも隣へ座り、メイリンが人数分のコーヒーを持って戻ってくる。
「……疲れた」
シンが紙コップを受け取る。
「戦闘の後より疲れた顔してるわよ」
「だって、何なんだよ、あの4人」
「セラの仲間みたいなものでしょ?」
「同じには見えないだろ」
「私に言わないでよ」
ルナマリアもコーヒーへ口をつける。
少し離れたところでは、レイが静かにカップを受け取った。
シンは湯気の向こうへ視線を落とす。
「……あの人が、フリーダムのパイロットか」
「キラさん?」
「ああ」
少し考えてから続けた。
「もっと……何か、違う感じだと思ってた」
「違うって?」
「知らないよ。もっと偉そうとか、怖そうとか」
ルナマリアが小さく笑う。
「すごく普通の人だったわね」
「普通っていうのも変だけどな。あれだけ強いのに」
レイがカップを持ったまま口を開いた。
「外見と戦闘能力に関係はない」
「分かってるよ」
「なら問題ない」
「そういう話じゃないって」
いつものように返しながら、シンはもう一度コーヒーを飲んだ。
目の前で会えば、ラクスもキラも戦場で見ていた姿とは違っていた。
それだけで、これまでのことが消えるわけではない。納得できないことも、聞きたいことも残っている。
それでも、少なくとも想像していた相手とは少し違った。
控室に、久しぶりに戦闘とは関係のない会話が流れていく。
その中で、セラだけは椅子へ座らなかった。
閉じた扉の前。
ラクスとキラたちが消えていった先を、ただ静かに見つめ続けていた。