機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
閉じた扉の前で、セラはまだ動かなかった。
ラクスたちが出ていってから、控室の空気はずいぶん緩んでいる。
シンとルナマリアは椅子へ座ったまま話を続け、少し離れたところではL-272たちが先ほどの再現精度についてまだ何かを話していた。
その中で、セラだけが扉を見つめている。
メイリンはしばらくその横顔を見ていたが、やがて紙コップをテーブルへ置き、隣へ近づいた。
「セラ」
呼ばれて、ようやくセラが振り向く。
「はい」
「どうしたの?」
「何でもありません」
返事はいつも通り短かった。
だが、メイリンはすぐに首を横へ振った。
「それ、嘘でしょ」
セラの目が僅かに動く。
「虚偽の報告はしていません」
「うん。でも、本当に何でもない時のセラは、そんな顔しないよ」
言いながら、メイリンはセラの手を取った。
細い指が少しだけ動く。
振りほどこうとはしない。ただ、自分の手を握るメイリンを不思議そうに見上げていた。
「気になることがあるんでしょ」
セラは答えなかった。
メイリンも急かさない。
握った手を離さず、そのまま待つ。
数秒間、セラの中で言葉が紡がれていく。
やがて、小さく口が開いた。
「今後、議長はどうなるのでしょうか」
メイリンは一瞬、答えられなかった。
セラの視線は、もう一度閉じた扉へ戻っていた。
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メサイアの議長室には、本来置かれていない大きな円卓が運び込まれていた。
その一方にギルバート・デュランダルが座り、少し後ろにタリアが立っている。
向かい側にはラクス。その後ろにはキラとアスランが控え、円卓の中間にエザリア・ジュールが席を取っていた。
さらに正面の大型モニターには、オーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハの姿が映っている。
だが、この場を取り仕切っているのはデュランダルではなかった。
「始める前に、私の立場について明確にしておきましょう」
最初に口を開いたのはエザリアだった。
「私は現在、プラント最高評議会の議員ではありません。しかし今回の停戦協議について、評議会から必要な権限を委任されています。ここで私が示す基本方針は、私個人の意見ではなく最高評議会の総意です」
ラクスが静かに頷く。
カガリもモニターの向こうで表情を引き締めた。
デュランダルは何も言わなかった。
議長として席にいる。
それでも、会談の主導権がすでに自分の手から離れていることを、誰より理解しているように見えた。
エザリアは続ける。
「最高評議会は、これ以上の地球方面への攻勢を支持しません。地球連合、オーブ連合首長国、スカンジナビア王国との戦闘を停止し、正式な停戦交渉へ移行することを決定しました」
カガリが僅かに身を乗り出す。
「地球上にいるザフトの侵攻も止まるということか」
「新たな攻勢は停止します。現在戦闘状態にある部隊にも、順次戦闘停止命令を出します。ただし攻撃を受けた場合の自衛まで放棄するものではありません」
「それはこちらも同じだ」
カガリは短く答えた。
エザリアは頷き、卓上の資料を切り替える。
「この停戦案は地球連合側にも通達します。回答が得られる、もしくはその期限までは、ザフト側から戦線を拡大することはありません。スカンジナビア王国にも同様の条件を提示しています」
一度、そこで言葉を切った。
「そして、ダイダロス基地に存在するレクイエムについてですが、最高評議会は当面の使用凍結を決定しました」
ラクスの表情が僅かに変わる。
「凍結、ですか」
「破壊はしません」
カガリが机を叩いた。
「何故だ! あんなものを残しておく理由がどこにある! あれは一度撃てば、国も軍も関係なく人を消し飛ばす兵器だぞ!」
その声が議長室へ響く。
「人間が持っていいものじゃない。使わないと言うなら、壊してしまえばいい!」
ラクスも静かに続けた。
「わたくしも、カガリさんと同じ考えです。あれほどの力を持つものを残すこと自体が、次の争いを生む原因になりかねません」
エザリアは2人を見た。
「では、こちらからも聞きましょう」
声は落ち着いていた。
「我々はこれまで、幾度となく核を向けられてきました。実際に核によって市街コロニーを失い、本戦争開戦時もまた核ミサイルが放たれた。迎撃に成功したからといって、撃たれなかったことにはならない」
カガリの表情が硬くなる。
「そして今度はレクイエムです。あの光によって実際にヤヌアリウスが直撃、その余波でディセンベルも大破しております。その時に恐怖したのはプラントという国家ではありません。そこで暮らしていた人間です」
「だから同じものを持つというのか!」
「同じことをするためではありません」
エザリアの返答は速かった。
「二度と同じことをされないためです」
カガリが言葉を止める。
エザリアはさらに続けた。
「勘違いしないでいただきたい。オーブが核を撃ったと言っているのではありません。ですが、貴国もこの戦争ではプラントと交戦した当事国です。双方に死者が出ている。その事実まで他人事のように扱われては困ります」
カガリの口が僅かに開いた。
だが、言葉は続かなかった。
マナドでも多くの兵が死んだ。
オーブ軍も、ザフト軍も。
自分は止めようとした。
それでも、自国の軍が戦ったという事実までは消せない。
「ですが」
ラクスが静かに割って入る。
「それでも、戦争そのものが人を傷つけます。核であっても、レクイエムであっても、通常の兵器であっても、その先にいるのは人です」
エザリアは黙って聞いている。
「守るために必要だというお気持ちは理解できます。けれど、誰かを守るための力が、いつか別の誰かを傷つける力へ変わることもあります」
「だからこそ凍結するのです」
エザリアは資料を卓上へ表示した。
「射撃管制は最高評議会の直轄管理へ移します。単独の命令では使用できない状態にする。使用が認められるのは、プラントそのものに対して戦略級攻撃が行われた場合に限る。その場合でも評議会の承認を必要とします」
「最終的な処分は?」
カガリが問う。
「正式な講和協議へ持ち越します」
ラクスはすぐには答えなかった。
納得したわけではない。
だが、今ここで完全破壊だけを条件とすれば、この会談そのものが止まることも分かっていた。
円卓の上に短い沈黙が落ちる。
その間も、デュランダルは何も言わなかった。
タリアは後ろから、その背中を見ていた。
いつもなら、すでに何か言っている。
相手の言葉の隙間を拾い、問題を整理し、議論を進めていたはずだ。
デュランダルは、目の前の会談をただ聞いていた。
少し前までこの男は、人類の未来そのものを変えると宣言していた。
その計画に欠陥があることにも、自分自身で気づいていた。
それでも止まれず、ここまで進んだ。
そして今、その先へ進む軍事行動が止められた。
評議会によって――いや、そうではない。
それは、各プラントから上がった停戦を求める声であり、評議会はその代弁者に過ぎない。
デュランダルを支持していたはずの国民が、もうこれ以上戦うことを望まなかったのだ。
タリアには、彼が何を考えているのかまでは分からない。
ただ、自分の判断に確信を持てなくなっていることだけは分かった。
僅かに身を寄せる。
「議長」
デュランダルは振り返らない。
「今、あなたが何を考えているのかは知らないわ」
声は、円卓の向こうまでは届かないほど小さい。
「何を怖がっているのかも、何を間違えたと思っているのかも。でも、それと今ここで何もしないことは別よ」
デュランダルの指先が僅かに動いた。
「評議会が戦いを止めたことは、私も聞いてる。それが国民の総意であることも、あなたなら分かっているでしょう」
タリアは一度だけ息を置いた。
「だからって、全部投げ出すの?」
返事はない。
「ギルバート」
今度の声はさらに小さかった。
「今はまだ、あなたが議長よ」
デュランダルの目が僅かに上がる。
円卓の向こうでは、エザリアとラクスがなおレクイエムの管理について話していた。
デュランダルはその言葉をしばらく聞いたあと、ゆっくりと口を開いた。
「少しいいかな」
デュランダルの言葉に、全員が彼の顔に視線を向けた。
先ほどまでの疲労感は消えていない。
顔色も、姿勢も完全には戻っていない。
それでも、その目はもう卓上ではなくラクスへ向いていた。
「ラクス嬢。君は、レクイエムによって被害を受けたプラントの住民と直接話したことがあるかね」
ラクスは僅かに瞬きをした。
「直接、ですか」
「ああ。家族を失った者。住む場所を失った者。今も、次の攻撃が来るのではないかと怯えている者たちだ」
デュランダルの声は静かだった。
「兵器が恐ろしいという君の言葉は理解できる。私も、レクイエムという兵器そのものを善だと思っているわけではない」
ラクスは黙って聞いている。
「だが、プラントが光の中へ消えていくのを見て、何もできなかった者たちにとってはどうだろう。二度と同じことをされたくない。そのための力を残してほしいと願う者に、それでもすべて捨てろと言えるだろうか」
ラクスの唇が僅かに動いた。
以前、似た問いを向けられたことがある。
理想だけでは届かない場所がある。
正しいと思う言葉だけでは、現実に傷ついた者を守れないことがある。
それでも、ラクスは目を逸らさなかった。
「だからこそ、その力が再び誰かへ向けられない保証が必要なのです」
「その点には同意する」
デュランダルはエザリアへ視線を向けた。
「レクイエムは当面凍結。最高評議会の管理下へ置き、単独での使用を不可能にする。最終的な処分は講和交渉で改めて協議する。そこまでは双方が受け入れられる線ではないかね」
エザリアは数秒考えたあと、頷いた。
「評議会として異論はありません」
カガリは不満そうな顔をしたままだった。
それでも、やがて小さく息を吐く。
「……オーブとしても、停戦そのものをそれで拒むつもりはない。だが、私は最終的には解体を求める」
「それは今後の交渉で主張していただければいい」
デュランダルの答えに、カガリもそれ以上何も言わなかった。
一つ、線が引かれた。
完全な合意ではない。
ただ、撃ち合いを止めるための線だった。
「もう一つ」
デュランダルが続ける。
「戦争責任についてだ」
室内の空気が再び硬くなる。
「プラントは、この戦争を引き起こし、あるいは拡大させた国家、組織に対して正式に賠償を求める」
カガリの眉間に皺が寄る。
「オーブもか」
「交戦当事国である以上、例外にはできない」
「だが――」
「金額も範囲も、この場で決めるつもりはない」
デュランダルが遮った。
「賠償問題は停戦成立後の協議事項とする。これを停戦条件にはしない。今ここで金額を巡って戦争を続けるほど、我々も愚かではない」
カガリは言い返しかけ、口を閉じた。
その条件なら、少なくとも停戦そのものを拒否する理由にはならない。
ラクスもそれを理解したようだった。
「そして、責任を国家だけに負わせるつもりもない」
デュランダルは続ける。
「今回の戦争を主導した者については、個人としての責任も問う」
アスランの表情が僅かに変わった。
キラもデュランダルを見る。
「ロード・ジブリールについては、私はすでに処刑を命じ、執行されている」
今度は、カガリがはっきりと目を見開いた。
「……処刑?」
「形式上は地球圏外への追放処分だ。だが、生還を前提とした措置ではない」
静かな言葉だった。
そこに勝ち誇る色はなかった。
「彼については、それで終わりだ」
僅かに曇るラクスの表情をそのままに、デュランダルは構わず続けた。
「だが、地球連合やロゴスに関わった者を一括して同じように扱うつもりはない。軍に所属していたというだけで罪人にするつもりもない」
エザリアが彼を見る。
「では、どのように?」
「大量破壊兵器の使用、民間人を対象とした作戦、違法な人体実験、戦争継続のために行われた政治工作。証拠を集め、それぞれ個人の責任を問う」
「プラントの軍事法廷でか?」
カガリの問いに、デュランダルは首を振った。
「それでは勝者が敗者を裁くだけになるだろう。停戦成立後、関係国の立ち会いによる公開法廷を設けることを提案する。オーブにも、スカンジナビアにも参加してもらいたい。地球連合側にも同じ条件を提示する」
カガリはモニターの向こうで腕を組んだ。
「証拠も公開するんだな」
「無論だ。責任を問うのであれば、それが誰の命令で、何が行われたのかを明らかにする必要がある」
エザリアもゆっくりと頷いた。
「評議会へは、私から提案しましょう」
「お願いします」
デュランダルは短く答えた。
ほんの少し前まで、この円卓にいる誰もが彼を見ていなかった。
今は違う。
主導権が戻ったわけではない。
評議会の決定を覆したわけでもない。
ただ、自分に残された仕事へ戻っただけだった。
エザリアが資料をまとめる。
「では、現時点での合意事項を確認します。双方は戦闘を停止し、新たな攻勢を行わない。レクイエムは最高評議会管理下で使用を凍結し、最終処分は講和協議へ持ち越す。賠償問題についても停戦とは切り離し、後日の協議事項とする」
カガリが頷く。
「オーブ軍にも戦闘停止を命じる」
「プラント側も同様です」
「地球連合が拒否した場合は?」
ラクスの問いに、デュランダルは少しだけ考えて答えた。
「拒否できるとでも? ロゴスという後ろ盾は解体され、地球上の多くの国民から支持を失い、それでも拒否するのであれば、それはそちらで対処して頂こう」
そう言いながら、デュランダルは眼を鋭くしてカガリを見た。
その目の冷たさに、カガリは背筋から冷たいものを感じる。
ラクスは静かに頷いた。
完全な平和ではない。
条約もまだない。
それでも、戦争を続けるための命令ではなく、仮初めでもそれを止めるための命令がこれから各地へ送られる。
それだけでも、昨日までとは違っていた。
会談が終わり、カガリとの回線が閉じる。
ラクスが席を立ち、キラとアスランもそれに続いた。
エザリアはまだ残り、タリアと何か短く言葉を交わしている。
扉へ向かいかけたところで、キラが足を止めた。
「……一つ、聞いてもいいですか」
デュランダルが顔を上げる。
「何かな」
キラはラクスを一度見た。
それから、デュランダルへ向き直る。
「どうして、ラクスを殺そうとしたんですか」
空気が止まった。
タリアが眉を寄せる。
エザリアも同じようにデュランダルを見る。
アスランは何も言わなかったが、視線だけが鋭くなった。
そしてデュランダル自身も、怪訝そうに眉を寄せていた。
「……何の話だね」
デュランダルの思わぬ答えに、今度はキラの方が言葉に詰まった。
「ラクスを狙った部隊です。前に、僕たちがいた場所を襲った……」
「私はそのような命令を出していない」
デュランダルは迷わず答えた。
ラクスの表情が変わる。
「ですが……」
「ラクス嬢を暗殺する理由が、私にどこにあったというのかな」
「ミーアさんを……ラクスとして使うために」
キラの声に、デュランダルは数秒黙った。
「逆だよ」
「逆……?」
「ラクス嬢が不在だったから、彼女を用意した」
デュランダルは椅子へ背を預ける。
「戦争が始まり、プラントが混乱していた時期に、ラクス・クラインは表舞台を降りていた。だがあの時、混乱を収めるためにはその名が必要だった。だから代わりを立てた。それがミーアだ」
ラクスはデュランダルを見つめたまま動かない。
「少なくとも私は、君を消すために彼女を用意したわけではない」
キラは言葉を失っていた。
では、自分たちはデュランダルを勝手に敵として見ていたのかと。
だが、その結論に至り、認めるには時間が足りなかった。
タリアがゆっくりとデュランダルを見る。
エザリアも、先ほどとは違う表情をしている。
デュランダルだけが、彼らの反応の理由を理解できずにいた。
「もう一度聞こう。君たちは、一体何の話をしている」
燃えるように静かな声だった。