機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
10機のウィンダムに包囲されたミネルバ。
艦橋の大型モニターには、艦の周囲へ展開する敵機の映像が映し出されていた。どの機体も距離を詰めすぎない。だが、引く気配もない。銃口は艦橋と機関部へ向けられたまま、照準だけが淡く揺れている。
タリアは、その光景を睨んでいた。
「艦長……」
アーサーが、やや青ざめた顔で彼女を見る。
ここから離れた宙域では、20機がシンたちを抑えている。その間に、別働隊10機がミネルバを直接包囲する。見事だと言わざるを得なかった。
狙われていることには気づいていた。
敵が正面から挑めるほどの戦力を持っていないことも、ある程度は見えていた。
合計30機。
ミネルバ隊4機と艦の火力をすべて使えたなら、しのぎ切れない数ではない。
敵が真正面から向かってきた場合、ミネルバ側にも損害は出る。だが、敵も無傷では済まない。だからこそ敵は消耗を避け、劣勢を補うための戦い方を選んだ。警報を繰り返し、疲労を蓄積させ、出撃戦力を分断し、最も守りが薄くなった瞬間を突く。
そこまでは読めていた。
だが、結果として完全に掌の上で転がされた。
ブリッジの空気は重い。
管制席の乗員が、乾いた唇を噛む。別の席では、手元の入力が止まりかけ、隣の者が小声で促した。
時間は、刻々と削られていく。
その時、艦橋の扉が開いた。
武装警備兵に連れられ、セラが入ってくる。
彼女はまず、周囲を静かに見渡した。
いつもの営倉とはまったく異なる空間。壁面を埋め尽くす計器類。赤く瞬く警告表示。低く鳴り続ける警報音。そして、緊迫した空気。
最後に、艦橋正面の大型スクリーンへ視線を向ける。
映し出されているのは艦外映像だった。
その中に、いくつもの機影が浮かんでいる。
数秒間、セラの視線が止まった。
そして、目を細めて口を開く。
「前方に4機確認。死角を考慮した場合、後方にも同数以上が存在すると推測します」
「え?」
アーサーが思わず振り返る。
「包囲陣形です。総数は8機から10機程度」
誰も、彼女に状況分析を求めてはいなかった。
だがセラは、ただ観測結果を報告しただけだった。
タリアは、その姿を見つめる。
この子は、本当に変わらない。
目に映るものを分析し、情報として整理する。まるで呼吸でもするように。
そして、その能力は今の状況を正確に言い当てていた。
「その通りよ」
タリアは静かに言った。
「現在、ミネルバは敵部隊によって包囲されている」
セラが視線を向ける。
「敵は、君の引き渡しを要求している」
艦橋の空気が、さらに重くなった。
誰も口を挟まない。
「このままでは艦が危険よ」
タリアは言葉を選びながら続けた。
「現在、君を解放するかどうかを検討している」
その言葉を聞いても、セラの表情は変わらなかった。
驚きもない。
怒りもない。
喜びもない。
ただ、情報を受領しただけの顔だった。
しばらく沈黙が続く。
セラは再びスクリーンへ目を向けた。
ウィンダム。
ミネルバ。
味方戦力。
敵の配置。
射線。
退路。
そして。
「確認します。包囲している機体の中に、黒いMSは確認されていますか」
静かな声だった。
「いや、確認していない」
タリアはすぐに答える。
「そうですか」
セラは短く呟いた。
その一言だけで、彼女の中の計算が一段進んだように見えた。
「私が解放された場合、部隊は撤退する可能性があります」
「ですが、私が解放された後、部隊から攻撃を受ける可能性も十分にあります」
「そうでしょうね」
タリアは頷く。
艦橋の空気が止まった。
乗員の何人かが、視線を落とす。
要求を呑んでも安全とは限らない。
拒否すれば撃たれる。
交渉の形を取ってはいるが、敵は最初から選択肢を奪いに来ていた。
まさに、絶体絶命だった。
しかし、セラは言葉を続けた。
「現在の配置であれば、レギナントによる状況打開も可能です」
アーサーが目を見開いた。
何人かの乗員も顔を上げる。
タリアだけが、無言のまま続きを待った。
「レギナントの能力を使用した場合、敵部隊の包囲維持は困難になります」
「勝算は?」
「およそ93%。十分にあります」
即答だった。
迷いはない。
感情論でもない。
希望的観測でもない。
ただ、計算結果を述べているだけ。
だからこそ、その言葉は重かった。
タリアはセラを見つめる。
本当に帰りたいのなら。
本当に研究所へ戻りたいのなら。
こんなことは言わない。
解放してください。
それだけで済む話だ。
だが、この子は違った。
解放という選択肢を提示されたにもかかわらず、自ら別の解決策を提示した。
本人は、おそらく気づいていない。
ただ状況を分析し、この艦で取り得る策を示しただけ。
しかしその行為自体が、すでに答えになっていた。
タリアは問いかける。
「やってくれるのか」
「いいえ、それはできません」
セラは即座に答えた。
「私には、この艦を防衛する義務は存在しません」
その言葉に、アーサーが顔をしかめる。
艦橋の乗員たちにも、わずかな動揺が走った。
だが、タリアは思わず小さく笑った。
あきれたのではない。
ようやく、この子の言葉の形が分かった気がした。
「そういうことか」
誰に向けた言葉でもなかった。
呟くようにそう言うと、タリアは背筋を伸ばした。
そして艦橋全体へ聞こえる声で告げる。
「現時点をもって、貴君の身分を再定義する」
アーサーが、嫌な予感を覚えたように顔を上げる。
「か、艦長?」
タリアは聞かなかった。
「L-31」
セラが視線を向ける。
「貴君を、ミネルバ所属パイロットとして臨時徴用する」
艦橋が騒然となった。
「ちょっ――」
「艦長」
「そんな権限が――」
アーサーの悲鳴にも似た声が飛ぶ。
他の乗員たちも、互いに顔を見合わせる。
だがタリアは意に介さない。
強引でも何でもいい。
今この場において必要なのは、議論ではない。
決断だった。
「異論は後で聞きます」
短く言い切った。
そして、真っ直ぐセラを見る。
「レギナント、L-31……セラ」
その名前を呼ぶ。
初めて。
艦長として。
正式に。
「
セラは一度だけ瞬きをした。
「了解」
それだけ告げ、静かに艦橋を後にした。
感情は見えない。
決意表明もない。
ただ命令を受領しただけ。
それでも、その背中を見送りながら、タリアだけは確信していた。
この子はまだ気づいていない。
自分がどちらを向いているのか。
それでも今、確かに一歩だけ前へ進んだのだと。