機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバ格納庫。
警報が鳴り響く中、整備員たちは慌ただしく走り回っていた。普段なら整備音だけが響く空間も、今は赤い警告灯と怒号に塗り潰されている。
艦は敵部隊に包囲されている。
艦橋と機関部を狙われ、制限時間は刻々と削られている。
その格納庫の中央に、純白の機体が固定されていた。
レギナント。
損傷した左側のスカート装甲は、応急処置のまま残されている。白い装甲の一部は剥がれ、露出したフレームの奥で、推進ユニットの光がまだ弱く脈打っていた。
美しい機体だった。
だが同時に、見る者に息苦しさを覚えさせる機体でもあった。
そのコクピットに、セラは乗っていた。
閉じられた薄暗い空間。
セラは背中を預け、メインパネルを見つめている。表情はいつもと変わらない。恐怖も緊張も見えない。
「接続、開始します」
静かな声だった。
それは出撃前の報告というより、定められた工程を読み上げる声に近かった。
メイリンは、格納庫の管制席で思わず唇を噛む。
あの日の言葉を思い出す。
1本でも悲鳴を上げてもおかしくない。
失神しても不思議ではない。
整備主任が、そう言っていた。
その神経接続を、セラは今から当然のように受け入れようとしている。
カシャ、と硬い音がした。
セラの背後で、接続ユニットが開く。
薄暗いコクピットの奥から、細い接続針が姿を現した。束になったそれは、機械の部品というより、獲物を逃がさないために並んだ牙に見えた。
格納庫の整備員たちの手が止まる。
誰かが工具を落としかけ、慌てて握り直した。
「接続針、展開……」
若い整備員の声が、かすれていた。
メイリンは、画面から目を逸らせなかった。
セラ本人は逃げられない。
なら、自分だけが目を逸らしていいはずがない。
1本目が入った。
肉を裂くような、湿った硬い音が通信越しに拾われる。
セラの肩が跳ねた。
声は出ない。
だが、喉の奥で息が詰まる音だけが、かすかに漏れた。
格納庫の空気が凍る。
メイリンの隣で、整備員の1人が口元を押さえた。別の整備員は顔を真っ青にして、コンソールに手を突いている。医療班の女性兵が一歩踏み出しかけ、しかし止まった。止められないことを、彼女も知っていた。
「接続……正常」
セラは告げた。
平然としているように聞こえた。
けれど声の端が、ほんのわずかに震えていた。
2本目が入る。
今度は指先が強張った。コンソールを掴む手に力が入り、白い指がさらに白くなる。
3本目。
4本目。
5本目。
秒単位で、接続針が次々と刺さっていく。
そのたびに、セラの身体は小さく震えた。痛みが存在している証拠だった。慣れているわけではない。平気なわけでもない。ただ、その痛みを止めるという選択肢が、彼女の中に存在しないだけだった。
メイリンは一度だけ目を逸らした。
胃の奥が冷たくなる。
膝から力が抜けそうになる。
けれど、すぐに視線を戻した。
セラは、逃げないのではない。
逃げるという選択肢を持っていない。
なら、せめて見届ける。
最後の接続針が入った。
セラの身体が、今までで一番大きく跳ねる。
喉が開きかけた。
悲鳴になるはずの息が、しかし声になる前に押し殺される。
メイリンの胸が痛んだ。
聞きたいわけではない。
そんな声を、聞きたいわけがない。
それでも、我慢しなくていいのに、と思った。
痛いなら痛いと言っていいのに、と。
「神経接続率97%」
「同調率、通常値を下回っています」
「全システム正常。
モニターが次々と起動していく。
戦況予測。
敵配置。
軌道計算。
レギナントの周囲に、無数の情報が流れ始めた。
セラの声からは、もう震えが消えていた。
「作戦目標。ミネルバ周辺を包囲するウィンダム型MS10機」
一拍置く。
整備員たちが顔を見合わせた。
今の痛みも、周囲の動揺も、彼女の中ではすでに工程の後ろへ押し流されている。
出撃ハッチが開く。
眩い光が差し込み、宇宙空間が広がった。
「セラ」
呼び止める声に、セラがモニターへ目を向ける。
メイリンだった。
何を言えばいいのか分からない。
大丈夫、とは言えない。
頑張って、とも言えない。
その言葉が、今のセラに届くのかも分からない。
だから。
「その……気を付けて」
結局、それしか言えなかった。
数秒の沈黙。
セラは、小さく頷いた。
「了解しました」
それだけだった。
しかし、その返答に、メイリンは少しだけ息を吐けた。
次の瞬間、レギナントが発進した。
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ミネルバ艦橋。
正面モニターには、艦を包囲するウィンダム隊が映し出されている。その中央へ、純白の機体がゆっくりと姿を現した。
レギナント。
敵部隊の隊長は、モニター越しにその機体を見て、わずかに息を吐いた。
「要求を呑んだか」
予想より早い決断だった。
悪くない。
L-31を回収できれば、任務の大半は達成される。後は艦橋か主機関に一撃を加え、ミネルバの追撃能力を奪えばいい。
約束を守る必要などない。
相手はすでに詰んでいる。
隊長は通信回線を開いた。
「各機、艦橋および主機関への攻撃準備――」
そこまでだった。
レギナントの背部ユニットが開く。
白い装甲の影から、5つの光点が弾けた。
「何……?」
隊長の顔から笑みが消える。
3条の光線が、艦橋前面をなぞった。
直後、そこを固めていた3機のウィンダムが、ほぼ同時に光に呑まれる。反応する暇もない。機体の輪郭が崩れ、装甲が裂け、火球となって宇宙に散った。
「なっ……!?」
理解が追いつかない。
レギナントを敵に奪われたのか。
L-31を乗せたまま、こちらに向かっているのではなかったのか。
想定外。
その言葉だけが、隊長の頭をよぎった。
「全機、レギナントを攻撃しろ!」
命令が飛ぶ。
即座に、残存機が一斉にビームを放った。
艦橋へ向いていた銃口が、慌てて白い機体へ切り替わる。
だが、当たらない。
レギナントは正面から逃げたのではない。射線が重なる前に、もうそこにいなかった。白い装甲がひるがえり、青白い推進光が尾を引く。ビームの雨は、その残像だけを撃ち抜いていく。
あの機動。
あの反応速度。
見間違えるはずがない。
「神経接続されている……!?」
隊長が呻いた。
認めたくなかった。
認めてはならなかった。
しかし、目の前の現実は違う。
「L-31が反乱した! 何としても撃ち落とせ!」
最高機密の塊が、機体ごと敵の側で動いている。
それがどれほど致命的か、考えるまでもなかった。
ビームとミサイルが雨のように飛ぶ。
その隙間を、レギナントは舞った。
右へ、左へ。
上へ、下へ。
機体は傷ついている。
失われた左側スカート装甲の奥には脚部フレームが覗き、応急処置の痕も残っている。
それでも、レギナントは美しかった。
純白の装甲が宇宙の光を反射する。
青白い推進光が、欠けたスカートの影から流れる。
傷ついた白妙の女王が、戦場で舞っているかのようだった。
光線が走る。
また1機。
ドラグーンが軌道を変え、次の敵の退路を塞ぐ。
さらに1機。
5機目のウィンダムが爆散した瞬間、包囲陣形は完全に崩壊した。
その瞬間、タリアの声が艦橋へ響く。
「CIWS全門開放! 近接目標を排除しなさい!」
ミネルバ各所の機関砲が、出番を待っていたかのように一斉に火を吹いた。
無数の曳光弾が宇宙空間へ広がる。
巨大な獣が身体を震わせ、まとわりつく羽虫を追い払うかのように。
残存するウィンダムたちは、慌てて散開した。
「隊形維持不能!」
「包囲崩壊!」
報告が飛び交う。
隊長は歯噛みした。
このままでは各個撃破される。
「こちら包囲隊!」
通信回線を開く。
「L-31が反乱! レギナント健在! そちらと合流する!」
『なんだと! 間違いな――』
悠長に通信などしている暇はなかった。
隊長機が反転する。
生き残った機体も、次々と後退を開始した。
そして、レギナントもまた。
何も言わず、何の感情も見せず。
ただ当然のように、その後を追って加速を開始した。