機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

21 / 98
21.帰還への道のり

ミネルバ会議室の空気は重かった。

 

壁面モニターには、地球圏の航路図が映し出されている。その上に、3本のルートが色分けされて表示されていた。

 

まず、東ルート。

最短距離でプラント本国へ向かえる。だが、その周辺にはロゴスの軍事拠点が点在しており、発見される可能性が極めて高い。

 

次いで、西ルート。

地球軌道上を大きく迂回する長距離航路だった。敵勢力との接触リスクは比較的低い。だが、補給や修理を受けられる前線基地がほとんど存在しない。

 

そして、最も遠回りになるコロニー軌道上ルート。

地球の衛星軌道ではなく、コロニーの軌道線を経由する最長距離の航路だった。周辺コロニーから補給を受けやすい反面、機密保持という観点では最悪に近い。

 

「どれも決め手に欠けますね……」

 

アーサーが頭を抱える。

 

タリアは、すぐには答えなかった。

 

どのルートにも利点がある。

同時に、どのルートにも致命的な欠点がある。

 

東は早いが、敵に近すぎる。

西は隠れやすいが、補給が薄い。

コロニー経由は補給に優れるが、人目が多すぎる。

 

会議は数時間続いた。

それでも結論は出ない。

 

誰もが資料を睨み続けていた。

 

---

 

その頃、食堂だけは別世界だった。

 

「今日は金曜カレーだからね!」

 

トレーを抱えたルナマリアが、上機嫌に宣言する。その隣では、メイリンが半ば呆れた顔をしていた。

 

「毎週言ってるよね」

「大事なことなの!」

「出撃前にも言ってた」

「もっと大事なことなの!」

 

2人の後ろを、セラが無言で歩いている。

 

正確には、連れてこられていた。

さらに厳密に言うなら、格納庫のレギナントから引きずり出されたと言った方が近い。

 

引きずり出される際に、髪が乱れて少しひどいことになっていた。

 

「出撃待機中でした」

「待機しなくていいから!」

「現在は平時です!」

「了解しました」

 

理解しているのか、していないのか分からない返答だった。

 

席に着く頃には、シンとレイも合流していた。

 

「お、今日は豪華だな」

「毎週同じだ」

「レイ、お前そういうこと言うなよ」

 

シンが笑う。

 

それぞれが思い思いにカレーへ手を伸ばした。シンとルナマリア、メイリンはもちろん、レイもこの時ばかりは穏やかな顔をしている。

 

その時だった。

 

セラだけが、動かなかった。

 

じっとカレーを見つめている。

数秒後、虚空へ視線を向け、静かに立ち上がった。

 

「セラ?」

 

メイリンが首を傾げる。

 

返事はない。

 

セラはそのまま調味料棚へ向かう。

 

嫌な予感がした。

 

戻ってきた彼女の手には、ドレッシングのボトルが握られている。

 

そして。

 

「あああーーーっ!?」

 

誰かの悲鳴だった。

いや、全員の悲鳴がきれいに重なった。

 

その視線の先で、セラは躊躇なくドレッシングをカレーへ投入していた。

 

食卓が静まり返る。

 

「な、何してる……の?」

 

メイリンが聞く。

 

「栄養バランスの最適化です」

 

即答だった。

 

「いやいやいや」

 

シンが吹き出す。

 

「カレーだぞ? カレーなんだぞ?」

「認識しています」

「じゃあ、なんでドレッシングをかけるのよ」

 

ルナマリアが聞く。

 

「栄養補完です」

 

真顔だった。

 

ルナマリアが頭を抱える。

 

「美味しくなくなるでしょ……」

 

セラは、そこで初めて顔を上げた。

 

「なぜですか」

「なぜって……」

 

ルナマリアが言葉に詰まる。

 

「好きにさせておけ」

 

レイだけは無表情だった。

止める気はないらしい。

 

いや、心なしかスプーンを持つ手に力がこもっているようにも見えた。

 

セラはそんなやり取りを気にする様子もなく、一口食べた。

 

全員が見守る。

 

飲み込む。

 

「問題ありません」

「いやいやいや」

 

シンがまた吹き出した。

 

---

 

食事を終えたセラは、再び格納庫へ戻っていた。

 

大型クレーンが動く音。

溶接の火花。

整備員たちの怒号。

機械の駆動音。

 

ミネルバの格納庫は、今日も騒がしい。

 

その中を、セラは壁際に沿って歩く。中央通路には近づかない。フォークリフトや整備車両が、絶えず行き交っているからだ。

 

やがて、レギナントの足元へ辿り着く。

 

何の迷いもなく昇降ハッチを上り、コクピットへ潜り込んだ。

 

それを見ていた2人がいる。

 

ヴィーノとヨウランだった。

 

「また入ったな」

「ああ」

「好きだな、あそこ」

「お前も好きだろ」

「まあな」

 

しばらく、2人で見上げる。

 

相変わらず眩しすぎる顔立ち。

近寄りがたい雰囲気。

艦内に緘口令が敷かれるほどの重要人物。

そして、レギナントのパイロット。

 

だが。

 

「気になるよな……」

 

ヨウランが呟いた。

 

ヴィーノは思わず、ヨウランの顔を睨む。

嫌な予感しかしなかった。

 

「やめとけ」

「まだ何も言ってねぇ」

「言うな」

「無用な接触は禁止されてる、だろ?」

「そうだよ。だからやめとけ」

「だったら用を作ればいい」

「おい」

 

ヨウランの目が輝いていた。

 

絶対に何か企んでいる顔だった。

 

「レギナントの整備確認とか」

「やめろ」

「機体運用についての聞き取りとか」

「やめろ」

「パイロットとの意思疎通とか」

「お前それ全部後付けだろ」

 

ヴィーノは額を押さえた。

 

しかし、ヨウランは止まらない。

 

レギナントを見上げながら、腕を組む。

 

「よし」

「何がよしだ」

「まずは作戦会議だ」

「やめろって言ってるだろ」

 

2人の声は、格納庫の喧騒に飲まれていった。

 

---

 

深夜、艦長室の明かりはまだ消えていなかった。

 

机の上には、冷めたコーヒー。

手つかずの食事。

そして、積み上がった報告書。

 

タリアの視線は、それらには向いていない。

 

壁面モニター。

そこに映る航路図を見つめていた。

 

東ルート。

西ルート。

コロニー軌道上ルート。

 

どれも危険だった。

 

軍艦である以上、危険を避けることはできない。ミネルバは戦うための艦だ。それは理解している。

 

だからこそ、決断できなかった。

 

タリアは小さく息を吐く。

 

視線を落とした。

 

書類の山。

その中の一枚が、目に入る。

 

対象識別番号、L-31。

艦内識別名、セラ。

 

そこまでは記入されている。

だが、その下にある氏名欄だけが空白のままだった。

 

タリアは、ペンを止めた。

 

本来なら、空欄のままでも問題はない。

彼女は正規兵ではない。戸籍も不明。出身も、所属も、正確には確認できていない。

 

識別番号さえあれば、軍の書類は処理できる。

 

だが。

 

L-31。

 

その文字だけで、あの少女を記録に残すことに、どうしても抵抗があった。

 

タリアはしばらく黙っていた。

 

歓声を浴びながら困惑していた少女の姿を思い出す。

営倉へ戻っていった後ろ姿を思い出す。

レギナントのコクピットで、出撃命令を待っていたという報告を思い出す。

 

番号ではなく、名前で呼ばれ始めた少女。

けれど、書類の上ではまだ空白だらけの少女。

 

タリアは静かにペンを動かした。

 

セラ・フェイド。

 

正式な名ではない。

誰かに許可を取ったわけでもない。

 

ただ、番号だけで処理するには、あまりにも幼すぎる少女へ、艦長が勝手に与えた書類上の姓だった。

 

書き終えてから、タリアは小さく息を吐いた。

 

「……これでいいわね」

 

誰に聞かせるでもなく、そう呟く。

 

そして再び、モニターへ目を向けた。

 

答えは、出ていた。

 

最短ルートは取れない。

コロニー経由も論外だ。

 

今のミネルバには、守るべき機密がある。

そして、番号だけで処理したくない少女がいる。

 

「西ルートね……」

 

遠回りになる。

補給も難しい。

 

だが、少なくとも余計な目には触れずに済む。

 

タリアは決裁書類を引き寄せた。

 

ペン先が静かに走る。

 

航路変更申請。

目的地、プラント本国。

 

その文字を書き終えたところで、タリアはようやく冷め切ったコーヒーへ手を伸ばした。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。