機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
L1宙域中継港コロニーを離れたミネルバは、西ルートへ向けて航路を取り始めていた。
外部モニターの中で、補給コロニーの灯が少しずつ遠ざかっていく。
巨大なドック、推進剤タンク、規則正しく並んだコンテナ群。
つい先ほどまでミネルバの船体に接続されていた補給アームも、
今ではただの小さな光の線にしか見えない。
これが、当面最後の補給になる。
その事実は艦内全体に共有されていた。
格納庫にはまだ補給作業の余韻が残っている。
固定を終えたコンテナが壁際に並び、整備班が予備部品の確認を続けている。
機材の駆動音、金属を叩く音、誰かの怒鳴り声。
戦闘中ではないにもかかわらず、そこはいつも以上に慌ただしかった。
その格納庫の奥。
純白のレギナントは、片膝を曲げて佇む騎士のような姿勢で固定されていた。
全高約26メートルの大型機である。
直立させればミネルバの格納庫でも余裕はない。
だが半跪の姿勢を取るその姿は、単なる格納状態には見えなかった。
主命を待つ白い騎士。
あるいは、玉座の前で静かに控える女王の影。
「これが、小判ちゃん2号だ」
沈黙。
ヴィーノが露骨に顔をしかめる。
「……だから、その名前を正式名称みたいに言うなって」
「定着してきただろ?」
「お前の中だけな」
作業台の上には、薄い楕円形のパッドが何枚も並んでいる。
表面には小さな端子があり、裏面には導電ゲルが薄く塗布されていた。
見た目だけなら、医療用の湿布か電極パッドに近い。
そこへシン達がやってくる。
「……湿布か?」
シンが最初に言った。
ヨウランは待ってましたと言わんばかりに顔を上げる。
「違う。小判ちゃん2号だ」
ルナマリアが作業台を覗き込む。
「これ、前のと違うの?」
「全然違う」
ヴィーノは端末を操作しながら説明した。
「1号は12本分の接続を1本にまとめた。
結果、負荷が1点に集中して失敗した。だから今回は逆だ」
「逆?」
「刺さない。拾う」
ヨウランがパッドを一枚摘まみ上げる。
「神経が多く集まる部分に貼り付けて、そこから電気信号を拾う。
針を直接突っ込むよりはずっと負担が少ない……はずだ」
「また“はず”なのね」
「試作品だからな」
ルナマリアが半眼になる。
メイリンはケースの中のパッドを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「これなら、痛くないの?」
「直接刺すよりはな」
その答えに、メイリンの表情が少しだけ明るくなる。
ルナマリアも腕を組んだまま、どこか安心したようにレギナントを見上げた。
セラだけは、変わらない。
小判ちゃん2号をじっと見ている。
喜ぶでもなく、期待するでもなく、ただ試験対象を観察するような目だった。
「試験を開始しますか」
「うん。タリア艦長からも許可は出てるよ。ただし、異常が出たらすぐ中止」
「了解しました」
セラは頷き、いつものようにノーマルスーツの背面ロックへ手を伸ばした。
その瞬間だった。
メイリンとルナマリアが、左右から同時にその腕を掴んだ。
「今日は先に処置衣!」
「前回学習したからね!」
セラは二人に腕を掴まれたまま、数秒沈黙した。
「作業効率が低下します」
「低下していいの!」
ルナマリアが即答する。
メイリンも真剣な顔で頷いた。
「セラ、こういう時は先に言って。あと、男の子がいる時は脱がない」
「接続部位の確認には露出が必要です」
「必要でも順番があるの」
「順番」
「そう、順番」
アスランが軽く咳払いをした。
「医療区画から背面開放式の処置衣を借りてくる。
装着はメイリンとルナマリア、それに医療班の立ち会いで行う。
ヨウランとヴィーノは外部端末だけを見る」
「妥当だな」
レイが短く言った。
ヨウランは口を開きかけたが、ルナマリアの視線を受けてすぐ閉じた。
ヴィーノは既に背を向けていた。
「今回は最初から見てないぞ」
「偉いじゃない」
ルナマリアが言う。
ヨウランは胸を張った。
「音声情報だけで状況を想像しているだけさ」
「お前、最低だな」
ヴィーノが即座に切り捨てた。
****
試験は改めて行われた。
処置衣に着替えたセラの腰部に、小判ちゃん2号が貼られた。
メイリンはその作業を手伝いながら、
セラの背中に残る薄い炎症痕を見ないようにしていた。
完全には消えていない。
赤みは引いている。腫れも前よりは落ち着いている。
それでも、そこには確かに痕が残っていた。
研究所にあったという専用薬剤なら消せたもの。
ミネルバには、消せないもの。
「痛くない?」
メイリンが尋ねる。
「痛覚反応はありません」
「そっか」
メイリンは頷いた。
でも、聞きたかったのはそういう意味ではなかった。
セラはその違いに気付いていない。
ただ静かに、装着作業が終わるのを待っていた。
*****
レギナントのコクピットハッチが閉じる。
半跪姿勢のまま固定された純白の大型機に、起動信号が流れ込んだ。
格納庫のモニターに数値が並ぶ。
接続状態。
神経同期。
機体基幹制御。
ヨウランとヴィーノは端末へ張り付き、メイリンは少し離れた場所で息を詰めていた。
「小判ちゃん二号、接続開始」
「……もういい。突っ込まねぇ」
ヴィーノの指がスイッチを押す。
パッドが信号を拾う。
レギナント側のシステムが応答する。
一瞬の沈黙。
そして、モニターに緑の表示が点灯した。
「起動確認!」
ヨウランが叫ぶ。
ヴィーノも思わず拳を握った。
「いけた……!」
メイリンの顔が明るくなる。
「セラ!」
『レギナント、起動確認。基幹制御に異常なし』
通信越しの声は、いつも通り平坦だった。
それでも、その場にいた者達の間には確かに安堵が広がった。
針を刺さずに起動できた。
それだけで、前進したように思えた。
ルナマリアが胸を撫で下ろす。
「よかった……」
だがアスランだけは、モニターから目を離さなかった。
「まだだ。動かして確認するまでは分からない」
その言葉通り、試験は次の段階へ移った。
*****
ミネルバの外へ出たレギナントは、白い装甲に宇宙光を受けながらゆっくりと姿勢を変えた。
格納庫の中では片膝を折っていた白い騎士が、宇宙空間で静かに立ち上がる。
艦外機動試験。
戦闘機動ではない。
低速旋回。
姿勢制御。
短距離加速。
推進系の反応確認。
あくまで小判ちゃん2号装着時の基礎データ取得が目的だった。
『第一段階、開始します』
セラの声が通信に乗る。
レギナントがゆっくりと動き出した。
白いスカート装甲が宇宙の闇を裂くように揺れ、背部スラスターが淡く光る。
最初は順調に見えた。
だが、すぐに違和感が出た。
「……遅くないか?」
シンがモニターを覗き込む。
ヴィーノの指が端末上を走る。
「推進系は正常だ。出力も出てる」
「でも、機体がついてきてない」
メイリンが呟いた。
レギナントが旋回に入る。
だが、その動きはいつものそれではなかった。
白妙の女王が舞うような鋭さがない。
機体は確かに曲がっている。
しかし鈍い。
わずかに遅れている。
セラの操作に、レギナントが追いついていない。
『旋回反応、低下』
セラの声。
『姿勢制御に遅延。高機動戦闘には不適です』
「待て、何でだ」
ヨウランが端末を叩く。
「信号は拾えてる。起動もしてる。なら何で反応が遅れる?」
「分からん」
ヴィーノの声にも余裕がなかった。
「出力側の制限じゃない。多分接続側だ。でもどこで詰まってるのか……」
アスランが通信に割り込む。
「セラ、試験を中止しろ。レギナントを戻せ」
『了解しました』
レギナントはゆっくりとミネルバへ戻ってくる。
その動きは安定していた。
だが、戦える動きではなかった。
少なくとも、皆が知るレギナントではない。
格納庫に収容され、再び半跪姿勢で固定されたレギナントを見上げながら、
ヨウランは端末を握りしめた。
「起動はしたんだ……」
「でも、戦えない」
ヴィーノが苦々しく言った。
メイリンは何も言えなかった。
成功したと思った。
これでセラの負担を減らせると思った。
けれど現実は、そこまで優しくなかった。
セラはコクピットから降りると、静かに報告した。
「小判ちゃん二号装着時、レギナントの通常起動は可能です。
ただし、高機動戦闘、及び空間支配の実施は困難と判断します」
ヨウランの肩が落ちる。
「原因、すぐには分からねぇな」
ヴィーノも頷いた。
「データ取って解析するしかない」
メイリンが尋ねる。
「次、どうするの?」
誰もすぐには答えられなかった。
その時だった。
格納庫内に警報が鳴り響いた。
赤い警告灯が回転する。
『第一戦闘配備。所属不明機
空気が変わる。
シンが顔を上げた。
「敵かよ!」
ルナマリアが舌打ちする。
「こんな時に……!」
レイは既に動いていた。
アスランもすぐにヘルメットを手に取る。
「シン、ルナマリア、レイ、出るぞ。セラは――」
言葉が止まった。
全員の視線が、レギナントへ向く。
白い大型機は、片膝を折ったまま格納庫の奥に佇んでいる。
動かない。
動けない。
今の状態では戦えない。
かといって、炎症が完全に引いていない今、直接神経接続を許可することもできない。
セラは一度だけレギナントを見上げた。
そして、メイリンの方へ向き直る。
「レギナントは出撃不能と判断します」
いつも通りの声だった。
だが、メイリンにはなぜか、その一言が重く聞こえた。
「……うん」
シンが拳を握る。
「なら俺達でやる」
ルナマリアも頷いた。
「セラはそこで待ってなさい」
レイは短く言う。
「好きにさせておけ」
シンが思わず振り返る。
「いや、今回は好きにさせちゃ駄目だろ!」
レイだけは無表情だったが、言い直す気はないらしい。
アスランがヘルメットを被る。
「行くぞ。ミネルバを守る」
四人がそれぞれの機体へ向かって走り出す。
格納庫に発進準備の声が飛び交った。
セラは動かなかった。
ただ、半跪のレギナントの足元に立ち、出撃していく仲間達の背中を見ていた。
白い騎士は、まだ動かない。
その静けさだけが、警報の鳴る格納庫の中で、ひどく異質に見えた。