機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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地球の重さ

ミネルバは現在、インド洋上を進んでいる。

大気圏突入の熱がまだ艦体のどこかに残っているようだ。

外装の一部には焼けた痕が残り、艦首装甲には宇宙で受けた攻撃の傷もある。

だが、それでもミネルバは航行していた。

 

第三陣まで続いたロゴスの追撃。

その物量の中を抜け、大気圏へ降下した艦としては、損害は驚くほど軽微だった。

被弾はある。

損傷もある。

だが、航行不能には至っていない。

それはタリアによる指揮、ブリッジクルーの操艦、そしてMS隊の奮戦の結果であり、

ミネルバの練度の高さを物語っている。

 

もっとも、艦内に安堵の空気はない。

まだ警戒態勢を維持している。

敵が追ってこない保証はないのだ。

広大な宇宙であれだけ正確に位置を捕捉された以上、

地球へ降りたからといって安全とは言い切れなかった。

 

格納庫では整備班が総出で動いていた。

インパルス、ガナーザクウォーリア、ブレイズザクファントム、セイバー。

帰投した4機はそれぞれ固定され、外装の確認と弾薬補充が急がれている。

補給港で積み込んだ物資はあるが、

次にいつ補給を受けられるか分からない以上、無駄にはできない。

 

シン達も、機体から完全には降りていなかった。

いつでも再出撃できるよう、各機のコクピットで待機している。

ただ、地球に降りたという事実だけは、誰の身体にも確かに伝わっていた。

 

「……重い」

 

ルナマリアがコクピットハッチを開け、ヘルメットを外しながら呟いた。

 

宇宙とは違う、手枷や足枷を付けられたような感覚。

まとわりつく全身のダルさ。

 

彼女は大きく息を吸う。

肺に入る空気も、どこか湿っているように感じた。

 

「地球って感じね……」

『のんびりしてる場合かよ』

 

通信越しにシンの声がした。

 

「分かってるわよ。ちょっと言っただけ」

 

ルナマリアは言い返しながら、ふと格納庫の奥を見た。

そこにはレギナントがいる。

純白の大型MSは、片膝を曲げて佇む騎士のような姿勢で固定されている。

宇宙で戦場に出られなかった白い機体は、地球に降りてもなお動かない。

そして、その足元に。

 

「……え?」

 

ルナマリアの手が止まった。

白い床の上に、小さな人影が倒れていた。

セラだった。

 

「セラ!?」

 

反射的にコクピットから飛び降りようとして、ルナマリアは寸前で踏み止まる。

まだ厳戒態勢中だ。

持ち場を離れるわけにはいかない。

敵襲があれば、すぐに再出撃しなければならない。

彼女は歯を食いしばり、通信を開いた。

 

「医療班!格納庫奥、レギナントの足元!セラが倒れてる!」

 

その声に、シン達も一斉に反応した。

 

『何だって!?』

『動くな、シン』

 

アスランの声が飛ぶ。

 

『まだ待機命令は解除されていない』

『でも!』

『医療班が向かう。俺達は持ち場を離れるな』

 

シンは言葉を詰まらせた。

レイの通信が静かに入る。

 

『好きにさせておけ、とは言えない状況だな』

『だから何なんだよその言い方は!』

 

シンが叫ぶ。

しかし、誰もコクピットから降りなかった。

降りられなかった。

医療班が格納庫を駆け抜け、レギナントの足元へ向かう。

その様子を、4人はそれぞれのコクピットから見ているしかなかった。

 

*****

 

3時間後。

追撃は来なかった。

ミネルバの厳戒態勢は、警戒態勢へ引き下げられた。

その放送が流れた瞬間、シンはコクピットハッチを開けた。

 

「セラは!?」

 

誰に聞くでもなく叫びながら、彼はリフトを降りる。

ルナマリアもすぐに続いた。

レイ、アスランも遅れて格納庫へ降りる。

4人はそのまま医務室へ向かった。

しかし、医務室にセラの姿はない。

 

「え、いない?」

 

ルナマリアが医療班の1人を呼び止める。

 

「セラは? さっき倒れてたでしょ?」

「ああ、彼女なら処置後に個室へ移しました」

「個室?」

 

シンが眉をひそめる。

 

「医務室じゃなくていいのかよ」

「外傷も発熱もありませんでしたし。 意識もあり、生命反応も安定しています。ただ……」

 

医療班員は少し言葉を選びながら、フフッと小さく笑う。

 

「立てなかったんです」

「立てない?」

「重力環境下での継続行動に身体が追いついていないようです。

 戦闘の時のG耐性とは別問題ですね。

 彼女はこれまで、宇宙環境での生活が長かったのでしょう。

 加えて神経接続の影響など、これまでの疲労も重なっています」

 

シンはぽかんとした。

ルナマリアも言葉を失う。

アスランだけが小さく息を吐いた。

 

「つまり、地球の重力に慣れてないということか」

「簡単に言えば、そうです」

 

レイが短く言った。

 

「行くぞ」

 

その一言で、4人は個室へ向かった。

 

*****

 

セラに割り当てられた個室は、相変わらず生活感がなかった。

何も置かれていない机。

小さなロッカー。

簡易ベッド。

置かれている私物らしいものはほとんどない。

必要最低限以下の生活感。

 

そのベッドから手をついて座っていた。

顔色は悪くない。

いつもの無表情に近い。

ただ、ベッドから降りようとはしていなかった。

 

「セラ?」

 

シンが扉口から声を上げる。

セラはゆっくりと顔を向けた。

 

「損傷はありません」

「こっちはそれを聞く前に心配してんだよ!」

「心配」

 

セラは小さく繰り返す。

ルナマリアが額を押さえた。

 

「で、何で倒れてたのよ」

「重力環境下での継続行動に支障が発生しました」

「つまり?」

「立てませんでした」

 

あまりにも淡々とした答えだった。

医務室で聞いた時と同じ答え。

よく見たら、着いた彼女の膝が僅かに揺れている。

シン達は肩の力を抜いた。

 

「まあ、気持ちはわかるけどな……」

 

ルナマリアも大きく息を吐く。

 

「びっくりさせないでよ。怪我かと思ったじゃない」

「外傷はありません」

「そういう意味じゃないの!」

 

アスランは部屋の中を一度見回した。

机もロッカーもほとんど使われていない。

ベッドも、今日初めて本来の用途で使われたように見えた。

 

「しばらくはここで休め」

「出撃待機位置はレギナントのコクピットが最適です」

「今は最適じゃない」

 

アスランの声は静かだった。

 

「立てない状態でコクピットに戻る意味はない」

 

セラは数秒沈黙した。

 

「……了解しました」

 

その返答に、ルナマリアが少しだけ目を丸くする。

反論が来ると思っていたのだ。

けれど、セラはそれ以上何も言わなかった。

レイはベッドの横に立ち、短く告げる。

 

「好きにさせておけ」

「いや、今回は寝かせとけって意味だよな?」

 

シンが確認するように言う。

レイは無表情のまま答えた。

 

「そうだ」

「そこはちゃんと言うんだね……」

 

ルナマリアが呆れたように呟く。

部屋の空気が少しだけ緩んだ。

セラはそのやり取りの意味を理解していないようだった。

ただ、毛布の上で手を置き、静かに4人を見ていた。

 

シン達はしばらくしてから、格納庫へ戻った。

戦闘は終わっていない。

追撃の可能性も消えていない。

 

それでも、セラに何事もなかったという事実は、

少しだけ4人の肩の力を抜かせていた。

 

*****

 

それから数日後。

ミネルバはインド洋上を西へ進んでいた。

警戒態勢は続いている。

 

だが、敵の追撃はなかった。

その間も整備班は休む暇もなく動いていた。

損傷確認。

弾薬管理。

推進系の点検。

 

そして、神経接続補助ユニットのデータ解析。

格納庫の片隅で、ヨウランとヴィーノは何度も同じ記録を見返していた。

 

「起動はしてる」

 

ヴィーノが端末を指差す。

 

「出力系も問題ない。レギナント側の反応も正常だ」

「でも動かすと遅れる」

 

ヨウランが椅子の背にもたれた。

 

「やっぱ入力側か」

「だろうな。拾えてはいる。でも細かい信号が潰れてる」

 

神経接続補助ユニットは、1枚の湿布型パッドで12の神経信号をまとめて拾う方式だった。

針を刺さないから負担は少ない。

起動はできる。

だが、レギナントの高機動戦闘に必要な細かい反射や姿勢制御までは拾いきれない。

それが現時点で二人が考えた仮説だった。

 

「毎回、レギナントを起動して試すわけにもいかねぇしな」

「そうだな。艦長が許可しない」

「なら、こっちだ」

 

ヨウランは立ち上がった。

 

*****

 

セラが連れてこられたのは、訓練室だった。

MS操縦訓練用のシミュレータが並ぶ区画。

通常ならパイロットが模擬戦闘や機体操作の確認に使う場所である。

 

そこに、神経接続補助ユニットの接続機材が繋がれていた。

 

「これからはこのシミュレータを使ってテストする」

 

ヨウランが言った。

ヴィーノが横で補足する。

 

「レギナント本体を毎回起動する必要はない。

 シミュレータ側に神経信号を読ませて、入力のズレだけを見る」

 

セラは機材を見た。

 

「レギナントとの接続試験ではないのですか」

「本体は動かさない。まずは信号だけだ」

「小判ちゃん2号で拾えてない信号を探す」

 

ヨウランは端末を叩く。

モニターにレギナントの簡略モデルが表示された。

 

「起動もした。基本動作はできた。出力系も死んでない。

 だったら次は入力だ。

 神経信号をどう拾えば、レギナントが遅れずについてくるか。

 それを調べるんだ」

 

セラは数秒黙った。

 

「試験協力は可能です」

「おう」

「ただし、今日は倒れるなよ」

「重力環境下での継続行動には改善傾向があります」

「そういう返事かよ」

 

ヴィーノが小さく笑った。

セラはシミュレーターに座る。

神経接続補助ユニットが背中に貼られている。

痛みはほとんどない。

 

「開始するぞ」

「了解しました」

 

シミュレータが起動する。

画面の中で、白い機体の簡略モデルがゆっくりと腕を上げた。

遅い。

だが、確かに動いている。

ヨウランとヴィーノは同時に端末を覗き込んだ。

 

「やっぱり信号は拾えてる」

「ああ。でも遅い。お互いの干渉がひどくてちゃんと拾えてない」

「じゃあ、これは1枚じゃ駄目だな」

 

ヨウランが呟く。

ヴィーノも頷いた。

 

「入力位置を分けるしかない」

「その分、受信部を半分にしてみるか」

「まずはそこからだな」

 

セラはシミュレータの中で、ゆっくりと次の動作を入力する。

画面内の機体が遅れて反応する。

それでも試験は続いた。

一度では終わらない。

二度でも終わらない。

 

失敗した1号。

起動だけを可能にした2号。

そして、まだ形のない改良型。

その開発は、インド洋を西へ進むミネルバの中で始まった。

 

レギナントはまだ戦場に戻れない。

だが、格納庫の片隅で、訓練室の端末の前で、整備班の手は止まっていなかった。

 

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