機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバはインド洋上を西へ進んでいた。
大気圏降下から数日が過ぎている。
艦首装甲には宇宙で受けた攻撃の痕が残り、
外装の一部には突入時の熱で焼けた色がまだ薄く残っていた。
だが、航行に支障はない。
推進系も主機も、致命的な損傷は免れている。
それでも、艦内に楽観的な空気はなかった。
宇宙で受けた追撃は、ただの一戦ではない。
物量に次ぐ物量による波状攻撃。
その事実は、ミネルバの進路を大きく変えることになる。
*****
会議室のモニターには、地球の海図と航路予測が映し出されている。
包囲網から逃れるため、予定されたルートから大きく外れたミネルバは、
現在位置から本国へと続く航路を新たに策定する必要があった。
抑々、地上展開は予定にない。
艦体の損傷は軽微とはいえ、
装甲には傷が残り、弾薬と推進剤も宇宙での連戦により消耗している。
いつまでも、このまま海上を漂うわけにはいかなかった。
「目的地はジブラルタル基地とします」
タリアの言葉に、アーサーが顔を上げた。
「ジブラルタル、ですか」
「ええ。修理、補給、情報整理。
それに、プラント本国へ戻るための再上昇準備。
今のミネルバには、地上拠点での支援が必要だわ」
モニター上に、複数の航路が表示される。
最短でジブラルタルを目指すなら、スエズ方面を抜けるのが早い。
だが、そこはかつて地球連合軍の重要拠点だった場所であり、
今も完全に安全とは言えない。
ザフトが押さえた地域もあるが、旧連合系の残存戦力、ロゴスに連なる企業勢力、
あるいはその補給網が残っていてもおかしくはなかった。
「……そうね、スエズは避けます」
短い言葉に、アーサーが顔を上げる。
「しかし艦長、ジブラルタルへ向かうなら、あそこを通るのが最短です」
「最短であることと、安全であることは別よ」
タリアは海図上の線を指した。
インド洋からアラビア海、紅海、スエズ方面へ抜ける航路。
それをなぞった後、彼女の指はさらに南へ下がった。
アフリカ大陸の東岸を大きく避け、南端を回り込み、
大西洋側からジブラルタルを目指す遠回りの航路。
「こちらを取ります」
「アフリカ南端を迂回、ですか」
「時間はかかるわ。けれど損傷した艦で係争地帯に入る理由はありません。
今必要なのは速さではなく、追撃を断つことです」
会議室に沈黙が落ちる。
その判断は、決して楽なものではなかった。
航路は長い。
補給も期待できない。
だが、敵の拠点密度は低い。
広い海上を大きく迂回するなら、ロゴスの追撃網から外れる可能性がある。
タリアは小さく息を吐いた。
「ミネルバはアフリカ南端を回り、ジブラルタルへ向かいます。
警戒態勢は維持。
レギナントの再起動試験は、搭乗者の容態が安定次第、艦内安全確認後に限定して許可します」
*****
訓練室には、電子音が低く鳴っていた。
シミュレーターの座席に、セラが座っている。
背面には神経接続補助ユニット3号が装着されていた。
2号ユニットと同じ湿布型ではあるが、構造は大きく異なる。
1枚のパッドで12本分の神経信号をまとめて拾うのではなく、
まとめる数を減らして6本単位で信号を受け取る。
神経信号に発生する干渉が分散…はずだ。
ヨウランは端末の前で腕を組んでいる。
「よし、小判ちゃん3号入力テスト開始」
ヴィーノが隣で眉をひそめた。
「だから、その名前を正式名称みたいに言うな」
「セラも呼んでるぞ」
「それが問題なんだよ」
セラは座席の中で静かに答える。
「小判ちゃん3号の接続値は安定しています」
ヴィーノは額を押さえた。
「ほら見ろ。定着し始めてるじゃねぇか」
「識別名としては有効です」
「いや、そういう意味じゃなくてな……」
ヨウランは笑みを噛み殺しながら、端末に視線を戻した。
「入力確認。腕部および脚部、姿勢制御、全て反応あり。
遅延は2号よりかなり減ってる」
「信号が潰れてないな」
ヴィーノが画面を見ながら呟く。
「2号は1枚で全部拾うから駄目だった。分けた分だけ信号の輪郭が残ってる」
「つまり?」
「少なくとも、シミュレーター上では通常機動に問題なし」
ヨウランは小さく拳を握った。
「よし」
シミュレーター内のレギナント簡易モデルが動く。
腕を上げる。
膝を曲げる。
姿勢を変える。
2号ユニットの時にあった、あからさまな遅れはない。
完全ではない。
だが、動きは確実に改善している。
セラは正面モニターを見たまま報告した。
「小判ちゃん3号での通常制御は可能と判断します」
「通常制御は、か」
ヴィーノが苦い顔をする。
「高機動はまだ分からん」
「だから次だ」
ヨウランが端末を閉じる。
「レギナント本体で、短時間だけ起動試験をやる」
*****
格納庫の奥で、レギナントは片膝を曲げて佇んでいた。
白い大型MSは、地球の重力下でもなお異様な存在感を放っている。
整備足場に囲まれ、固定アームに支えられたその姿は、主命を待つ騎士のようだった。
タリアの許可は限定的だった。
起動時間は短時間。
戦闘機動は禁止。
高機動制御は模擬入力に留める。
そして、異常値が出た場合は即時停止。
その条件の下で、レギナントの実機起動試験が始まった。
セラはコクピットに収まっている。
神経接続補助ユニット3号が背面に貼り付けられ、
複数の信号が補助系を通じてレギナントへ送られていく。
ヨウランとヴィーノは整備端末へ張り付いていた。
メイリンも格納庫の端末前にいる。
ルナマリアとシン、レイ、アスランも離れた場所から見守っていた。
『レギナント、起動します』
セラの声が通信に入る。
次の瞬間、白い機体の各部に光が走った。
モニター上の数値が上がる。
主機反応。
姿勢制御。
神経同期率。
ヨウランが息を詰める。
『起動確認』
ヴィーノの声が低く響いた。
「3号ユニット、信号安定。遅延、許容範囲内」
レギナントの頭部がわずかに動く。
続いて腕が上がる。
膝を曲げたまま、機体が上体を起こす。
格納庫の空気が変わった。
長く動かなかった白い騎士が、ゆっくりと目を覚ましている。
『高機動制御、模擬入力を開始します』
セラの声は平坦だった。
だが、端末の数値は明確に変化していた。
姿勢制御系が鋭く反応する。
スラスター制御の模擬値が跳ねる。
2号ユニットでは追いつかなかった領域に、3号ユニットの信号が届いている。
「いける……」
ヨウランが呟いた。
「まだ短時間だ」
ヴィーノはすぐに釘を刺す。
「でも、いけてる」
「ああ」
ヴィーノもそれ以上は否定しなかった。
セラは数値を確認し、静かに告げる。
『小判ちゃん3号による高機動制御は、短時間であれば実施可能です』
メイリンの表情が明るくなる。
ルナマリアも小さく息を吐いた。
シンは腕を組んだまま、どこか悔しそうに笑う。
「やっと戻ってくるのかよ」
アスランは無言でレギナントを見上げていた。
白い大型機は、まだ格納庫の中にいる。
それでも、その姿は先ほどまでとは違って見えた。
戦場に出られなかった騎士が、ようやく立ち上がろうとしていた。
*****
同じ頃、遠く離れた通信管制室で、ひとつの信号が拾われた。
それは長い通信ではなかった。
起動時に一瞬だけ漏れる、低周波の識別パルス。
通常の受信装置なら、ノイズとして処理される類のものだった。
だが、特殊艦オルフェウスには特別な意味を有する。
そのノイズは機体識別として、そして味方機の位置座標として処理されていた。
白い大型MS。
レギナント。
嘗ては特殊艦オルフェウスの重要機密だったMS。
搭乗者L-31と合わせて、この艦最高傑作の1つだった。
「再捕捉しました」
オペレーターの声に、室内の空気が変わった。
「座標は」
「インド洋南西方面。ケープタウン付近」
指揮官はモニターを見つめる。
スエズではない。
紅海でもない。
危険地帯を避け、大きく南へ回った海上ルート。
そこに、ミネルバはいた。
「信号は短時間です。現在は消失」
「十分だ」
指揮官は薄く笑った。
「追撃部隊へ座標を送れ。今度こそ、逃がすな」
暗号化された座標データが、海上部隊と航空部隊へ流れていく。
ミネルバは、まだ気付いていない。
自分達がようやく取り戻した白い騎士。
それが再び敵に呼び寄せるということを。