機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
カノ中継補給基地での補給は、予定より早く進んでいた。
ミネルバの艦体に残っていた損傷は、完全ではないにせよ応急処置を終えている。弾薬と推進剤も補充され、MS各機の整備もひと通り済んでいた。
ジブラルタルへ向かう準備は、整いつつある。
だが、艦長室の空気は軽くなかった。
タリアは机上の端末に表示された地図を見つめていた。アーサーもその隣で、カノ基地から提供された情報を確認している。
地図に示されているのは、カノから北へ伸びる内陸ルート。その先、サハラの奥にあるタマンラセット方面だった。
「輸送部隊の失踪が3件。不審な熱源反応が5件。所属不明機の目撃証言が複数」
アーサーが読み上げる。
「どれも確証には足りませんが……重なりすぎていますね」
「ええ」
タリアは静かに頷いた。
情報は断片的だった。
補給物資を運んでいた部隊が、砂漠の途中で消息を絶った。夜間にだけ動く熱源がある。現地の遊牧民や偵察班が、見慣れないMSらしき影を見た。
だが、そのどれもが決定的な証拠ではない。
それでも、すべてが同じ方角を指している。
「ジブラルタルへ向かうには、この地域の近くを通ることになります。迂回しますか」
「迂回すれば、時間も燃料も余計に消耗します。それに敵拠点が本当にあるなら、背後を取られる危険も残るわ」
タリアは地図上の一点を指した。
タマンラセット北西、起伏の激しい岩場地帯。
現地の目撃情報と熱源反応を重ねた結果、そこに何かがある可能性が高かった。
「完全制圧は目的ではありません。こちらから一撃を加え、敵の目と補給線を乱す。その隙に通過します」
「急襲、ということですか」
「ええ。相手が待ち構える前に、こちらから動きます」
アーサーは少しだけ躊躇した。
「ですが、見慣れないMSというのが気になります。地球連合の新型でしょうか」
「可能性はあります。ただ報告にある機影は、ダガー系にもウィンダム系にも似ていない。MA系の発展型とも違う」
タリアは目を細めた。
「MSは運用思想が形に出ます。既存機の改良なら、どこかに系譜が残るものです。それが見えないなら……別機関、別組織の機体と見るべきでしょうね」
「ロゴス、ですか」
「断定はできません」
タリアは端末を閉じた。
「けれど、無視もできないわ」
*****
同じ頃、ミネルバの格納庫では、出撃準備が進められていた。
インパルスを始めとする各機は固定アームに支えられ、整備兵たちが最終確認を行っている。
レギナントは格納庫の奥で、片膝を曲げた姿勢のまま沈黙していた。
左側スカート装甲の損傷は、今ではスリットの入ったスカートのようにも見える。
戦闘で受けた傷であるはずなのに、その欠けた輪郭は、白い女王めいた印象を奇妙に損なっていなかった。
セラはその足元に立ち、端末を見ていた。
メイリンが隣から覗き込む。
「3号ユニットの数値、どう」
「通常制御、問題なし。高機動制御、短時間運用に限定。ドラグーン制御、負荷増大傾向あり」
そこで、セラは少しだけ間を置いた。
「長時間戦闘には不向きです」
「うん。そこはちゃんと分かってる」
メイリンは安心したように頷く。
以前なら、セラは必要とあれば無理を通そうとした。今でもその傾向は消えていない。
けれど、少なくとも彼女は自分の状態を報告するようになっている。
それだけでも、メイリンには大きな変化に見えた。
そこへシンが歩いてくる。
「セラ、今回も出るのか」
「艦長命令によります」
「そうじゃなくて、お前はどうなんだよ」
セラはシンを見た。
数秒、考える。
「必要なら出ます」
「またそれかよ」
シンは少し不満そうに言ったが、怒ってはいなかった。
メイリンが苦笑する。
「シンも出撃準備でしょ」
「ああ。変なMSがいるかもしれないって話だしな」
シンはインパルスを見上げた。
「向こうが何だろうと、先に叩けるならその方がいい」
その言葉に、セラは小さく首を傾げた。
「先に叩く」
「そうだよ。やられる前にやる」
「理解しました」
セラは端末に視線を戻す。
「今回の作戦目的と一致します」
「……そういう返しになるのか」
シンは妙な顔をした。
*****
タマンラセット方面。
岩場の奥に、その施設は隠されていた。
地表から見えるのは、古い採掘施設の跡と、半ば砂に埋もれた倉庫群だけだった。
だが、岩盤の下には地下格納庫があり、訓練区画があり、神経接続試験室がある。
ネメア・インダストリアル――タマンラセット支部。
研究所であり、訓練所であり、地球仕様ミュルミドンの実地試験場でもある施設だった。
その司令室に、警報が入る。
「ミネルバ接近。カノ方面より北上中」
報告を受けた研究所長兼司令官は、端末を見もせずに笑った。
「来たか」
白衣の上に軍用ジャケットを羽織った男だった。
研究者というより、前線指揮官に近い。いや、指揮官というより、戦力を並べてぶつけることを好む男だった。
「推定進路は」
「タマンラセット西側。現在、こちらの施設位置までは特定されていないと思われます」
「なら、好都合だ」
司令官は立ち上がる。
「迎撃部隊を出せ。ミュルミドン全小隊、起動準備!」
オペレーターが一瞬だけ動きを止めた。
「全小隊、ですか」
「そうだ」
「通常運用では4小隊を前線、残り4小隊は後詰めです。No.3の統制負荷が――」
「ミネルバにはレギナントがいる」
司令官の声が硬くなる。
「出し惜しみなどするな。ここで叩き潰す」
別の端末に、鉛黒の機体群が表示される。
ミュルミドン。
その中に、錆赤の小隊長機が混じっている。
地球仕様の翅蟻たちが、地下格納庫の中で目を覚まそうとしていた。
「No.3は」
「ストラテゴス、起動準備中。神経統制系、接続待機」
「起こせ」
司令官は短く命じた。
「8小隊すべてを使う。実戦データを取るには、これ以上ない相手だ」
*****
暗い格納庫の奥で、赤黒い巨体が沈黙していた。
ストラテゴス。
レギナントを上回る28m級の大型機。
巨大な頭部装甲、張り出した肩部装甲、重い脚部装甲。それらを細い骨格が支えているような、異様なシルエットを持つ。
装甲は黒い。
だが、完全な黒ではなかった。
照明を受けるたび、赤褐色にぬらりと光る。まるで巨大な甲虫の外殻だった。
縁取りには、燻んだ金属色が走っている。
そのコクピットで、No.3は目を開けた。
「起動確認。戦術統制系、接続待機」
少女の声は平坦だった。
感情はない。
ただ、命令を処理するための声だった。
『No.3。8小隊の統制を命じる』
「推奨運用を超過。最大統制時、継戦時間は5分以内と推定」
『構わん』
「了解」
No.3はそれ以上、何も言わなかった。
ストラテゴスの周囲で、システムが起動していく。
鉛黒の兵たち。
錆赤の小隊長機。
8小隊、32機。
それらが、将の命令を待っていた。
*****
ミネルバは砂漠上空を進んでいた。
速度は落としている。高度も低い。
熱源反応を追いながら、岩場地帯へ慎重に接近している。
ブリッジには緊張が満ちていた。
「熱源反応、複数。移動しています」
メイリンの声が響く。
「施設本体は」
「確認できません。ですが地表の反応と地下熱源が重なっています。自然熱源とは考えにくいです」
タリアは正面モニターを見つめた。
砂漠は静かだった。
風が砂を押し流し、岩場の影をゆっくりと変えていく。
見える範囲に敵影はない。砲火もない。
だがその静けさが安全を意味しないことを、誰もが知っていた。
「第2戦闘配備を維持。MS隊は即応待機。索敵範囲を広げて」
「了解」
アーサーが艦内へ指示を飛ばす。
ミネルバはゆっくりと進んでいく。
その先に何が待っているのかは、まだ見えない。
だが砂の下ではすでに、鉛黒の兵たちが動き始めていた。