機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
『対象機、撤退を開始』
レイの声が、通信に入った。
白いMSは、デブリ帯の奥へ向けて後退している。
赤い線はもう消えていた。
ドラグーンも収納され、さっきまで戦場を縛っていた網は跡形もない。
だが、シンの中に残ったものは消えなかった。
前へ出られなかった。
見えている敵を止められなかった。
所属不明艦を、目の前で逃がした。
「……逃がすかよ!」
インパルスが急加速する。
『シン、待て! 戻れ!』
アスランの声が飛ぶ。
だが、シンは止まらなかった。
「あと少しなんだよ! ここまで好き勝手やっといて、逃げられてたまるか!」
インパルスは単独で白いMSを追った。
『なにがあと少しだ! このままでは――戻――』
通信にノイズが混じる。
デブリ帯が近い。
金属片と岩塊が散る宙域に入り、通信状態が一気に悪くなっていく。
『シン、聞こえますか。応答を――』
メイリンの声も、途中で途切れた。
「くそっ……!」
シンは舌打ちし、それでも前へ出る。
*****
暗いデブリの影。
その向こうに、白い機体が見えた。
逃げているようには見えなかった。
それは、静かに止まっていた。
まるで、追ってくると分かっていたかのように。
『接近継続を確認』
オープン回線に、あの少女の声が流れる。
幼い声。
だが、そこに焦りはなかった。
『
次の瞬間、ドラグーンが散った。
赤い線が、デブリの間を縫うように走る。
まるで暗い宇宙に、見えない檻が組み上がっていくようだった。
だが、今度のシンは止まらない。
「もう見えんだよッ!」
インパルスが加速する。
赤い線と線の隙間へ、機体を滑り込ませる。
ビーム。
回避。
赤い線。
機体を倒す。
別方向から、またビーム。
シンはそれを読んで、強引に抜けた。
一度見せられた。
何度も動かされた。
だからこそ、分かる。
線に触れたら撃たれる。
避けた先に、次の線がある。
なら、その次まで読めばいい。
「そこじゃねえ!」
インパルスが機体を反転させる。
予想した射線の手前で急制動。
追ってきたビームが、機体の前を空振りする。
その隙に、シンはライフルを構えた。
白いドラグーンが、進路を変えようとした。
遅い。
「そこだぁッ!」
ビームライフルが火を噴く。
ドラグーンが一基、爆散した。
『ドラグーン損失を確認』
少女の声は、変わらなかった。
だが、赤い網に小さな穴が開いた。
「やれるじゃねえか!」
シンはさらに踏み込む。
赤い線が減ったわけではない。
だが、密度が変わった。
さっきまでなら塞がれていた隙間が、わずかに残っている。
インパルスはそこへ食い込んだ。
2基目を狙う。
ドラグーンが逃げる。
シンは追わない。
逃げた先を読んで、横から撃つ。
直撃はしなかった。
だが、端末の一部が弾け、姿勢が乱れる。
赤い線が揺れた。
『制圧率低下』
その短い報告が、通信に混じる。
白いMSが、初めて大きく動いた。
それまで静かに浮かんでいた機体が、わずかに姿勢を変える。
大型スカート装甲が広がり、残ったドラグーンが一斉に再配置された。
赤い線が増える。
だが、シンはもう止まらない。
「遅い!」
インパルスは、網が閉じきる前に飛び込んだ。
デブリの間をすり抜ける。
ビームが背後の岩塊を削る。
破片が弾け、視界に散った。
警告音。
機体損傷表示。
それでも、距離は詰まる。
白いMSが、目の前に近づいてくる。
『近接迎撃へ移行』
少女の声。
その直後、白いMSの指先が開いた。
刃ではなかった。
爪だった。
細い腕の先で、熱を帯びた爪が光る。
斬るためというより、掴むための形。
捕らえ、噛みつき、引き裂くための手。
「近接まであるのかよ!」
シンは叫び、ビームサーベルを抜く。
インパルスが踏み込む。
白いMSもまた、初めて真正面から動いた。
赤い線の網を抜けた先にあったのは、逃げ道ではなかった。
白い機体の腕だった。
爪が伸びる。
インパルスの腕ではなく、サーベルの柄を狙ってくる。
「させるか!」
シンは機体をひねり、サーベルを振り抜いた。
白い爪が、刃を受け流すように横へずれる。
次の瞬間、もう片方の手がインパルスの背へ回り込んでいた。
「っ!?」
爪が噛んだ。
背部ユニットに食い込み、装甲を裂く。
推進系の警告が一斉に鳴り響いた。
だが、シンも止まらない。
「うおおおおッ!!」
ビームサーベルが振り抜かれる。
閃光。
白いMSの左側スカート装甲が、弾け飛んだ。
同時に、インパルスの背部スラスターが火花を散らす。
両機が衝撃で弾き飛ばされた。
「っ……!」
シンは操縦桿を引き戻す。
だが、機体の反応が鈍い。
推力が足りない。
背部の制御が死んでいる。
インパルスは姿勢を保てず、デブリ帯の中へ流されかけた。
「止まれ……止まれって!」
スラスターを細かく吹かし、ようやく機体を立て直す。
その向こうで、白いMSも大きく姿勢を崩していた。
砕けた装甲片と、破損したドラグーンの残骸が周囲を漂っている。
だが、白いMSはまだこちらを向いていた。
残ったドラグーンが、ゆっくりと広がる。
赤い線が、再び形を作ろうとする。
シンの喉が鳴った。
「まだやるのかよ……!」
インパルスがビームライフルを構える。
だが、推力不足で照準が揺れる。
白いMSも動かない。
いや、動けないのかもしれない。
長い沈黙が流れた。
赤い線が一本、震える。
次に、ドラグーンの光が不安定に揺れた。
そして、ふっと消えた。
赤い線も消える。
ドラグーンが動きを止める。
白いMSの全身から、力が抜けたように見えた。
「……は?」
シンは眉をひそめる。
撃墜した。
そう判断するには、あまりにも静かだった。
機体は爆発していない。
コクピット反応も、微弱ながら残っている。
ただ、動かない。
「……なんなんだよ、お前」
シンはライフルを向けたまま、動けなかった。
今なら撃てる。
動かない敵機を撃つだけだ。
さっきまで自分たちを翻弄していた相手。
所属不明艦を逃がした敵。
このまま放っておけば、また動き出すかもしれない相手。
それなのに、引き金を引けない。
耳に残っていた。
『警告します』
あの幼い声。
震えも迷いもない、機械のような声。
だが、確かに子供の声だった。
シンは奥歯を噛む。
ライフルの照準が、わずかに揺れた。
白いMSは、何も言わない。
何もしてこない。
ただ、暗いデブリの中で、壊れかけた女王のように沈黙していた。