機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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40.ジブラルタル基地 2

ドックの喧騒が、一瞬だけ遠ざかった。

 

ジブラルタル基地の大型ドック。

修理用アームの駆動音、資材運搬車の低い唸り、誘導員の声、金属板を叩く工具の音。

 

それらすべてが、白いノーマルスーツの少女が発した一言の前で、薄くなっていく。

 

イザークは、目の前の少女を壁際に押さえつけたまま、言葉を失っていた。

 

外れたヘルメット。

その下に現れた顔。

 

ラクス・クライン。

 

そう見えた。

少なくとも、一瞬はそう思った。

 

だが少女は、こちらの動揺などお構いなしに平坦な声で告げた。

 

「私はラクス・クラインを基準個体として作製された模倣個体です」

 

説明というより、識別情報の提示だった。

 

「……模倣個体」

 

イザークが低く繰り返す。

 

「ラクス・クラインを、基準に作った(・・・・・・)だと」

「はい」

「誰がそんなことをした」

「回答権限、確認不能」

「ふざけるな!」

 

イザークの声がドックに響いた。

 

周囲の整備兵たちが振り向く。

だが、誰もすぐには動けなかった。

 

ジュール隊隊長が、誰かに怒声を浴びせ、押さえつけている。

だが誰も近づこうとは思わない。

 

誰だって、余計な揉め事には首を突っ込みたくない。

 

「アスラン!」

 

イザークは背後にいたアスランへ視線を向けた。

 

「説明しろ。こいつは何だ」

 

アスランは一歩踏み出しかけ、そこで表情を硬くした。

 

「イザーク、それは機密事項だ。俺の判断では話せない」

「機密だと?」

「ああ。艦長の許可なくは答えられない」

「なら今すぐ許可を取ってこい」

 

イザークは即座に言った。

 

「俺は見た。今の言葉も聞いた。これで知らん顔をしろと言うなら、そちらの方が無理だ」

「ここで話せることじゃない」

「だから艦長を呼べと言っている!」

 

イザークの怒声に、アスランは返す言葉を探した。

その横で、ディアッカが軽く息を吐く。

 

いつもの調子より、声が低かった。

 

「悪いが、俺もイザークに同意だな」

「ディアッカ」

「見ちまったんだよ。しかも本人の口から、模倣個体だの何だのって言葉まで聞いた。これで何も知らないままジブラルタル防衛で横に並べってのは、ちょっと無理があるぜ」

 

アスランは答えられなかった。

 

その時、ドックの奥から足音が走ってきた。

 

「セラ!」

 

メイリンだった。

 

彼女は顔色を変え、息を切らしながら一直線に駆け寄ってくる。

イザークの階級も、ジュール隊の名も、その瞬間の彼女の目には入っていなかった。

 

「メイリン」

 

セラが名を呼ぶ。

 

それは助けを求める声ではなかった。

ただ、接近した人物を識別しただけの声だった。

 

メイリンはイザークの前で止まらない。

セラを押さえているイザークの腕に、両手でしがみついた。

 

「離してください!」

「何だ、お前は!」

「セラに乱暴しないで!」

 

その言葉に、イザークが一瞬だけ詰まった。

 

「乱暴だと? こいつは――」

 

言い返しかけたところで、イザークは自分の手元を見た。

 

押さえていた腕は細かった。

軍人の腕ではない。

鍛えられた兵士の身体でもない。

 

その意味不明な言動のせいか、少女を無意識に危険人物として扱っていた。

 

だが、壁に押しつけられている少女は、ほとんど抵抗していなかった。

抵抗しないのではない。

できないのだと、ようやく分かる。

 

「メイリン。圧迫は許容範囲内」

「そういうことじゃないの!」

 

メイリンの声が震えた。

セラはその反応を数秒だけ見つめる。

 

意味を照合しているように、瞬きを一度だけした。

 

「乱暴」

「そう! 乱暴なの!」

「拘束強度は、戦闘時基準より低い」

「基準の話じゃない!」

 

イザークは舌打ちし、手を離した。

 

支えを失ったセラの身体が、わずかに前へ傾く。

メイリンが慌てて受け止めた。

 

「セラ、大丈夫?」

「姿勢保持は可能」

「だから、そういう報告じゃなくて……!」

 

メイリンは泣きそうな顔で、セラの腕を握ったままだった。

 

イザークはその様子を見て、苛立ちと困惑を同時に浮かべた。

だが、問いを引っ込めるつもりはない。

 

「アスラン」

 

彼は低く言った。

 

「艦長の許可が必要だと言ったな」

「ああ」

「なら行くぞ。今すぐだ」

 

アスランは、セラとメイリンを一度だけ見た。

 

セラはメイリンの手元を見下ろしている。

握られている腕を、振り払おうとはしない。

 

「……分かった。艦長に確認する」

「確認ではない。説明の場を作れ」

 

イザークは言い切った。

 

「俺は納得していない」

「だろうな」

 

ディアッカが肩をすくめる。

 

「俺も、さすがにこれは軽く流せねえよ」

 

ドックの奥では、修理中のミネルバが沈黙していた。

傷ついた艦は、ようやくジブラルタルに辿り着いた。

 

だが、そこで待っていたのは休息だけではなかった。

 

*****

 

ジブラルタル基地司令部の一角に、臨時会議室が用意された。

 

窓はない。

壁は厚く、通信遮断処理が施されている。

入口には基地側の士官が立ち、関係者以外の接近を制限していた。

 

室内にいるのはタリア、アーサー、アスラン、イザーク、ディアッカ。

セラとメイリンは同席していない。

 

タリアはテーブルの向こうで、静かにイザークを見ていた。

 

「基地司令から、限定的な説明の許可は得ています」

「限定的、か」

 

イザークが腕を組む。

 

「こちらはラクス・クラインそっくりの少女を見た。本人ではないと言い、基準個体、模倣個体などと口にした。それで限定も何もあるのか」

「あります」

 

タリアの返答は即座だった。

 

「彼女に関する情報は、ミネルバだけの問題ではありません。ザフト本国への報告対象であり、同時に敵性組織の軍事機密にも関わります。すべてをこの場で開示することはできません」

「では、何を話せる」

「ジブラルタル防衛に必要な範囲です」

 

イザークの眉が動いた。

 

「防衛に関係するのか」

「ええ」

 

タリアはアーサーへ視線を向けた。

アーサーが端末を操作する。

 

壁面モニターに、ぼかし処理のかかった大型MSのシルエットが映った。

 

純白の大型機。

レギナント。

 

「先ほどの少女はセラ。元識別名はL-31。ラクス・クラインを基準個体として作製された、Lシリーズと呼ばれる個体群のひとりです」

 

イザークは何かを言いかけた。

だが、タリアが続けたため、黙った。

 

「ラクス・クライン本人ではありません。影武者でもありません。元は人格形成研究の一環として生み出された個体、クローンと見ています」

「人格形成研究?」

 

ディアッカが顔をしかめる。

 

「それがどうしてMSパイロットになるんだよ」

「そこから先は、研究本来の目的から外れています」

 

タリアは言葉を選んだ。

 

「何らかの経緯で、彼女たちは軍事利用された。セラはその中で、神経接続型の大型MS、レギナントへの高い適合を示した個体です」

「神経接続型……」

 

イザークの視線がモニターに移る。

 

「通常の操縦系ではないということか」

「ええ。ただし詳細は話せません。重要なのは、彼女とレギナントが通常のMS運用とは異なる関係にあるということです」

 

アスランは黙っていた。

 

彼もすべてを知っているわけではない。

だがミネルバに乗り、セラと接してきた中で、断片的には理解している。

 

それでも、こうして改めて説明されると、その異様さがはっきりと形になる。

 

「同系列の個体は複数存在します」

 

タリアは次の情報を出した。

 

「タマンラセット方面でミネルバが交戦した敵部隊にも、同系列の個体が関係していると見ています」

「タマンラセット……あの黒い大型機か」

 

ディアッカが呟く。

 

ミネルバからジブラルタルへ共有された報告には、正体不明の大型MSの記録が含まれていた。

ビームを減衰させる装甲。

戦艦主砲級の大型兵装。

ミュルミドン部隊を統制するような異常な連携。

 

「ストラテゴス」

 

アーサーが補足する。

 

「こちらで確認している敵大型機の識別名です。搭乗者はNo.3。セラと同系統の個体と推定されています」

「No.3」

 

イザークが低く繰り返した。

 

「つまり、あの少女と同じような存在が、敵にもいるということか」

「同じではありません」

 

タリアは言った。

 

「少なくとも運用思想はまったく違う。セラは現在、ミネルバの保護下にあります。こちらの命令系統下で行動していますが、彼女を消耗品として扱うつもりはありません」

 

その言葉に、会議室の空気がわずかに変わった。

イザークはタリアを見る。

 

ただの戦力説明ではない。

そこには艦長としての判断と、線引きがあった。

 

「敵は違う、というわけか」

「そう見ています」

 

沈黙が落ちた。

 

ディアッカが椅子の背にもたれ、天井を見上げる。

 

「ラクスそっくりの子を作って、軍事利用ね……。冗談で済む話じゃねえな」

「冗談で済ませるつもりはない」

 

イザークが言った。

 

「だが納得もできん。そんなものを抱えたまま、ミネルバは地上を走り回っていたのか」

「抱えたまま、ではありません」

 

タリアの声が、少しだけ硬くなる。

 

「彼女を拾い、守り、同時に敵の追撃を受けながら、ここまで来ました」

 

イザークは黙った。

タリアは続ける。

 

「ジブラルタル周辺でロゴス部隊の動きが増えていることは、基地司令から聞いています。彼らがストラテゴス、あるいは同系列の戦力を再投入してくる可能性は否定できません」

「だから俺たちにも知らせる必要がある、か」

「ええ。ただし、必要範囲のみです」

 

イザークは不満そうに息を吐いた。

 

「相変わらず、隠し事の多い艦だ」

「否定はしません。ですが、こちらにも守るべきものがあります」

 

タリアは静かに答えた。

 

イザークの脳裏には、先ほどの少女の姿が残っている。

壁に押しつけられたまま、ほとんど抵抗しなかった細い腕。

ラクス・クラインと同じ顔で、自分を模倣個体と呼んだ声。

そして、必死に腕へしがみついたメイリンの叫び。

 

セラに乱暴しないで。

 

イザークは奥歯を噛んだ。

 

「……分かった」

 

ようやく、彼は言った。

 

「全部を話せとは言わん。だが、防衛に関わる情報は出せ。こちらも知らずに動くわけにはいかん」

「そのつもりです」

 

タリアは頷いた。

 

「ミネルバ本艦の即時出撃は困難です。ですが可能な範囲で、基地防衛には協力します」

「ならば、その可能な範囲とやらを詰めるぞ」

 

イザークは立ち上がりかけ、ふと足を止めた。

 

「それと」

「何でしょう」

「先ほどの少女には、後で謝る」

 

室内の空気が、わずかに緩んだ。

ディアッカが目を丸くする。

 

「へえ」

「何だ」

「いや、別に」

「言いたいことがあるなら言え」

「隊長殿も丸くなったなと思ってさ」

「黙れ、ディアッカ」

 

いつもの調子が、ほんの少しだけ戻る。

だが、誰も笑い切れなかった。

 

問題は何ひとつ解決していない。

ただ、共有すべき火種の形が、ようやく見え始めただけだった。

 

*****

 

ドック奥の整備区画は、夜になっても騒がしかった。

 

ジブラルタル基地の工廠は広い。

ミネルバの修理区画だけでも、仮設足場、補給ライン、予備部品の搬入口、装甲板の仮置き場が入り組んでいる。

 

右舷損傷部の応急処置は進んでいるが、本格修理にはまだ時間がかかる。

大型ドックの照明は落ちず、整備班の声も途切れない。

 

「うへえ……基地って、こんな時間でも動いてんだな」

 

ヴィーノが肩を回しながら歩いていた。

 

「大型ドックだぞ。艦が入ってる間は止まらないだろ」

 

ヨウランが端末を片手に答える。

 

「それに、こっちはまだ楽な方だ。右舷ハッチ周りの班なんか、今夜も徹夜だと思う」

「聞かなきゃよかった」

 

2人は作業を終え、割り当てられた宿泊区画へ戻る途中だった。

 

ミネルバ艦内ではなく、基地側の一時個室。

妙な感じはするが、艦がドック入りしている以上仕方がない。

 

その時、ヴィーノが足を止めた。

 

「……なあ」

「何だよ」

「あれ、セラじゃないか?」

 

ヨウランが視線を上げる。

 

通路の先。

補助照明の下に、白いノーマルスーツ姿の小柄な影が立っていた。

ヘルメットも被ったままだ。

 

基地の空調は効いているが、ノーマルスーツを着続けるには暑いはずだった。

 

「セラ」

 

ヨウランが呼ぶと、その影がこちらを向いた。

 

「ヨウラン。ヴィーノ」

「何してんだよ、こんなとこで」

「待機中です」

 

ヴィーノが苦笑した。

 

ここは基地ドックの中でも隔離された格納庫の前。

通常MSとは違って、機密性の高いレギナントはミネルバから降ろされたものの、ほとんどの人間の立ち入りが制限されていた。

 

「暑くないのか、それ」

「暑い」

 

即答だった。

ヨウランとヴィーノは顔を見合わせた。

 

「じゃあ脱げよ」

「脱衣許可、未確認」

「誰の許可だよ」

「不明です」

「はい」

 

ヨウランは額に手を当てた。

 

「メイリン呼ぶか?」

「メイリンへの通報は不要です」

 

返答が早かった。

ヨウランが目を瞬かせる。

 

「通報って……お前がそういう言い方するの、何か珍しいな」

 

セラは少しだけ黙った。

ヘルメットのバイザー越しでは、表情は分からない。

 

だが、その沈黙は、いつもの処理待ちとは少し違っていた。

 

「ヨウラン」

「ん?」

「レギナントに、新規武装が必要です」

 

ヨウランの顔から、笑いが消えた。

ヴィーノも足を止める。

 

「新規武装?」

「はい」

 

セラは頷いた。

 

「前回戦闘で、私は有効に機能しませんでした」

「タマンラセットのことか?」

「はい。ストラテゴスに対し、現装備の効果は限定的。ビーム兵装は減衰。ドラグーンによる制圧も不十分」

「そりゃ、相手が悪すぎただろ」

 

ヴィーノが言う。

 

「あんなの普通じゃないぞ」

「普通ではない敵が、再出現する可能性があります」

 

セラの声は平坦だった。

 

「ジブラルタル基地防衛において、同種の敵と交戦した場合、レギナントは有効打を持ちません」

「だから、新しい武器が欲しいってことか」

「はい」

 

ヨウランは端末を握り直した。

 

「……セラ。それ、お前が自分から言い出したんだよな」

「はい」

「誰かに命令されたわけじゃないよな」

「命令ではありません」

「じゃあ、なんでだ」

 

セラは答えなかった。

 

数秒だけ、視線が下がる。

ヘルメットの奥で、その目が何を見ているのかは分からない。

 

「ミネルバは損傷しました」

 

やがて、セラは言った。

 

「右舷区画、格納庫ハッチ、CIWS、出撃シークエンスにも影響。私が有効に機能していれば、損傷は低減できた可能性があります」

「……それ、悔しかったってことか?」

 

ヴィーノがぽつりと言った。

セラが顔を上げる。

 

「悔しい」

「あー……いや、分かんないならいい」

「分かりません」

 

セラは正直に答えた。

 

「ただ、同じ結果になるのは許容できません」

 

ヨウランは黙った。

 

セラの言葉は、いつも通り合理的だった。

戦力分析、損害評価、次回戦闘における改善要求。

 

けれど、それだけではない気がした。

 

役に立てなかった。

守れなかった。

同じことを繰り返したくない。

 

セラはそれを、まだそういう言葉では言えない。

 

「……分かった」

 

ヨウランは息を吐いた。

 

「基地工廠に聞いてみる」

「基地工廠」

「そう。普通なら無理だな」

「無理」

「普通なら、だ」

 

ヨウランは少しだけ笑った。

 

「ここ、ジブラルタルだぞ。艦もMSも山ほど集まってる。大破した艦の部品とか、使える砲とか、何か転がってるかもしれない」

「艦の砲をMSに持たせる気かよ」

 

ヴィーノが呆れる。

 

「レギナントなら持てるかもしれないだろ」

「発想が雑すぎる」

「雑でも候補にはなる」

 

ヨウランは端末を操作し始めた。

 

「ビームが駄目なら実弾、質量で殴る! 相手がどんな装甲でもさ、衝撃や貫通まで無効にできるとは限らない!」

 

セラがじっとヨウランを見た。

 

「実弾兵装」

「そう。対艦用の徹甲弾とか、そういうやつ」

「レギナントへの適合性も不確定です」

「まだ分からない。でも、聞くだけ聞いてみる」

 

ヴィーノが肩をすくめた。

 

「どうせまた変な仕事が増えるんだろうな」

「嫌か?」

「嫌じゃないけどさ」

 

ヴィーノはセラを見た。

 

「でも、その前にヘルメット脱げ。暑いんだろ」

「暑い」

「じゃあ脱げ」

「脱衣許可、未確認」

「じゃあ俺が許可する」

 

ヨウランが言った。

 

「整備班権限でな!」

 

セラは数秒だけ沈黙した。

 

「権限系統、不明」

「そこは流せよ!」

 

ヴィーノが吹き出した。

セラは少しだけ首を傾け、それからヘルメットのロックを外した。

 

乾いた音がして、白いヘルメットが外れる。

 

額に汗が浮かんでいた。

 

「ほら見ろ。暑かったんじゃないか」

「暑かった」

「だから最初から脱げって……」

 

ヨウランは呆れながらも、端末に工廠担当への照会文を打ち込み始めた。

 

レギナントに、新規武装が必要です。

 

セラの言葉は、まだ耳に残っている。

それは単なる装備要求ではなかった。

 

白い女王は、自分から刃を求め始めていた。

 

*****

 

荒野の夜は、静かだった。

 

月明かりの下、乾いた大地を影が滑っていく。

大型輸送艦が数隻。

高度を低く保ち、灯火を落とし、レーダー反射を抑えながら北へ進んでいた。

 

護衛機の姿は少ない。

代わりに、輸送艦の腹には重い荷が積まれている。

 

改良型ミュルミドン。

黒い装甲を持つ地上制圧用MS群。

 

そして、その中心に、さらに大きな影があった。

 

赤黒い甲殻をまとった大型機。

巨大な頭部装甲。

太い骨格を覆う、重く歪な甲冑。

 

ストラテゴス。

 

それは自力で長距離を移動しているのではない。

拘束フレームに固定され、外部電源と冷却装置を接続され、巨大な荷物として運ばれていた。

 

だが、眠ってはいない。

 

胸部奥のコクピットで、No.3は目を開けていた。

 

瞳は焦点を結んでいる。

だが、その奥にあるものは、以前とは違っていた。

 

呼吸は浅い。

身体各所に接続されたケーブルが、生命維持と神経制御の数値を断続的に送っている。

 

「……L-31」

 

唇が、かすかに動いた。

 

「帰投。帰投命令。未達成」

 

声は低く、乾いていた。

 

「L-31、帰投」

「拒否。不許可」

「回収。拘束。帰投」

 

言葉が、途切れながら繰り返される。

 

「損傷、許容」

「破壊、不可」

「回収。拘束。帰投」

 

誰も答えない。

 

輸送艦の床が低く震えている。

その振動に合わせるように、格納区画に並ぶミュルミドンのセンサーが、ひとつ、またひとつと赤く灯った。

 

No.3の指が、操縦桿の上で痙攣するように動く。

 

「帰投命令、未達成」

「未達成」

「未達成」

 

それは命令だった。

祈りではない。

記憶でもない。

 

焼き付いた処理だけが、壊れた意識の底で回り続けている。

 

「L-31」

 

No.3の口元が、わずかに歪んだ。

 

「回収する」

 

船団は北へ進む。

目指す先は、ジブラルタル。

 

まだ修理の終わらないミネルバと、白い女王のいる場所だった。

 

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